謎町紀行 第131章

岩杖神社が伝える歴史と家系の真相(前編)

written by Moonstone

 翌朝、シャルに起こしてもらって、レストランで朝ご飯。ビュッフェ方式なのは他と同じだけど、入店と同時に予め席に案内されて、カードキーと同じく電子ペーパーのプレートに部屋番号と利用者名が表示される仕組み。どの席を誰が使っているか一目で分かるし、店側も席に纏わるトラブルを回避できる。

『岩杖神社周辺を警備中のSMSAからは、異常発生の連絡は入っていません。宮司の所在も確認済みです。』
『情報保全隊が襲撃しても良さそうなものだけど。』
『三岳神社に派遣した一団が記憶喪失状態で帰還したこと、内通者を炙り出すのに懸命なこと、そして県境を越えることから、岩杖神社まで手を伸ばすのが困難な情勢です。』
『そのまま内輪もめに徹してくれた方が、こっちとしてはありがたいかな。』

 本来なら何時の間にか脱走した重要人物を追うことを最優先すべきだけど、最悪SNSで拡散するような内通者、つまりは裏切り者をそのままにしておけない御家事情がある。組織というより上層部のメンツを優先するためだと言ってしまえばそれまでだけど、今回は僕とシャルにとっては好都合ではある。言い方は悪いけど、勝手に混乱して勝手に同士討ちでもしてくれればよい。
 兎も角、自衛隊や警察の襲撃がないから、岩杖神社への訪問は可能。此処ですることは、三岳神社でもらった矢別さんからの親書を渡して、情報収集への協力を依頼すること。三岳神社ほどのインパクトはないかもしれないけど、情報は多い方が良い。もしかしたら、まだ知らない情報があるかもしれない。
 朝ご飯を終えて、その足で駐車場に向かう。親書は僕が持っているし、財布と免許証以外に持ち出すものはない。シャル本体に乗り込み-雪が覆っていないのを見るのは久しぶりに思える-システムを起動して、HUDとナビを確認して出発。到着予定は9時過ぎ。1時間くらいかかる。
 道路は車が少ないし、信号も少ないから、かなりスムーズに走れる。大半が高原と畑、偶に牧場と集落、という景色の中を走ると、何だか高原に旅行に来たみたいだ。次第に山の割合と道路脇の雪の量が増えて来る。今は綺麗な晴天だけど、ここも雪深い地方だと改めて実感する。
 予定時刻に現地に到着。集落から少し奥まったところに、森に包まれるように佇む小さな神社。これが岩杖神社。小さいとはいえ、由緒が書かれた立て看板の字は鮮明で-掠れて読み辛い由緒は意外にある-、周囲の除雪もされている。管理は行き届いているようだ。
 単なる空地のような駐車場にシャル本体を止めて、まず由緒を読む。天鵬上人が修行で訪れた時、不作続きだったこの地に仏の力を得た杖を突き立て、土地に潜んでいた鬼を退治した。天鵬上人がこの地に寺を建立し、鬼に追いやられていた土地神を戻して神社を創建した。後に廃仏毀釈で寺が壊され、神社だけが残って今に至る。天鵬上人の名が此処にもある。全国どこにでも軌跡や痕跡を残しているんじゃないかと思ってしまう。
 参拝を済ませたのち、社務所へ。こじんまりした境内の片隅にある平屋の一軒家。これは三岳神社と似ている。恐らく住居を兼ねているんだろう。カーテンが開いているところから、女性が事務作業か何かをしているのが見える。あそこに行けば良いだろう。

「こんにちは。」

 声をかけると、女性が顔を上げる。店番(?)の若い女性が顔を上げる。

「はい、こんにちは。」
「朱印をお願いします。」
「はい。少々お待ちください。」

 シャルから受け取った朱印帳を開いて差し出すと、女性は受け取って奥へ向かう。朱印を書くところを見せるところと見せないところがある。神社の認識が違うんだろう。

『あの人は宮司?』
『いえ、宮司は別にいます。さっきの可愛い女性の父親ですよー。』
『!だから、妙な意図はないって!』

 女性が若くてきれいもしくは可愛いと言える見た目だと、途端にシャルの機嫌の雲行きが怪しくなる。シャルは自分のアイドル顔負けでグラドル殺しの、僕の好みのストライクど真ん中の容貌と、僕が指輪を交換してこの世で唯一愛してるって事実を認識してくれれば、何ら不安に思う必要はないと思うんだけど。

『ヒ、ヒロキさんが私のこと大好きなのは分かってますけど、隙あらば女性が色目を使ってきそうなので。』
『そんな馬鹿な話が。』
『ありましたよねー。私が人体創成をした、最初の候補地でもあるオクラシブ町でー。』
『…カフェの女性のこと?あれは客が僕とシャルしかいない状況が長く続いたから、店の人の印象に残ってただけのことだよ。』

 痴話喧嘩そのものをダイレクト通話でしていると、奥から女性が戻ってくる。朱印は墨汁と朱肉を使っていて、そのままだと向かいのページとくっついてしまう。だからドライヤーで乾かしたり、間に別の紙を挟み込む。少し時間がかかったのは、ドライヤーで乾かしていたからだろう。

「お待たせしました。こちら、お受け取りください。初穂料は300円です。」
「はい。」
「300円ちょうど、確かに。ご参拝ありがとうございます。」
「こちらを宮司の方にお渡しいただけますか?」

 本題に入る。矢別さんからもらった親書を差し出す。「岩杖神社 宮司様」と宛先が書かれているから、誰に渡せば良いかは分かる筈。

「少々お待ちください。」

 女性には面倒をかけるけど、再び奥に入っていく。宮司がどういう態度をとるかは分からないけど、矢別さんの話だと神社本庁の方針に反発して離脱の方向で動いているそうだから、無下にはしないと思うんだけど。

「三岳の宮司の親書を持ってきたというのは、貴方ですか?」

 程なく、羽織袴姿の初老の男性が奥から顔を出す。やや怪訝そうな表情をしているが、ものがものだけに無理はない。

「はい。」
「…裏から上がってください。」
「分かりました。伺います。」

 一応親書の内容は伝わったようだ。第一印象にこだわらず、実際に会って話をする。裏手に回り、玄関から入る。土間で待っていると、すぐに宮司らしい男性が出て来る。

「どうぞ、あがってください。」
「失礼します。」

 ひととおりの礼儀は守っておく。印象だけど、この宮司はよく言えば真面目、悪く言えば堅物という感じがする。宮司の職を娘に事実上押し付けて一時期出奔した三岳神社の宮司とは正反対の性格だろう。矢別さんからの親書があると言っても、それですべて安泰とは限らない。宮司が拒否したらそれまでだし、抉れたらI県の神社庁、さらには神社本庁に通報される恐れもある。

『別に拒否するなら脳に直接アクセスして引っぱり出して、終わったらSMSAに記憶を消去させれば良いことです。』
『相手は敵じゃないから、それは駄目だよ。』

 最終手段としてシャルのダイレクトアクセスがあるけど、あくまで最終手段。少なくとも今は岩杖神社の宮司と敵対はしていない。話が抉れて神社庁や神社本庁、更には警察に通報すると言い出した時に使うに留めたい。強引に情報を引き出して用が済んだら記憶消去で始末、を何でも正当化するなら、Xやその取り巻きと変わらない。
 宮司に案内されて部屋に通される。三岳神社の社務所と似た感じで、居間兼客間の窓側がそのまま社務所として機能しているようだ。そのテーブルの前に案内され、促されて腰を下ろす。

「本日は急な訪問にもかかわらず、お時間をいただき、ありがとうございます。こちら、ご笑納ください。」
「ご丁寧に。ありがたく頂戴します。…早速ですが、親書の件について。」

 ホテルのセレクトショップで買った手土産を渡して、少し部屋を覆う張り詰めた雰囲気が和らいだけど、それも一瞬。宮司の沈黙が重い。

「…三岳の宮司-恐らく字面からして娘が書いたものでしょうが、その親書には、歴史の真相を解明する旅を続けている貴方方に、最大限の情報や資料の提供をお願いしたい、と書かれていました。どれから話せば良いものか。」
「提供いただいた情報の整理や分析は、僕たちが行なうことです。今は1つでも多くの情報を必要としている段階です。」
「分かりました。ではとりとめもない話になると思いますが、ご容赦のほどを。…三岳で聞いたとおり、3社は歴史、特に世間で聖人と持てはやされている天鵬の悪行と、それに関係する秘宝を伝承する役割を担っています。端的に言えば歴史の真相です。」

 宮司が語る歴史の真相は、三岳神社で矢別さんから聞いたものと同じ。だが、それは小規模な神社に伝わるトンデモ歴史じゃなく、闇に埋もれた歴史を複数の経路で伝承することで、どれかの経路が途絶えても良いようにした結果であり、密かに、だが確実に、重大な事実が伝承されてきたことを証明するものだ。
 事実、村の腐敗に同化して若い女性を拉致監禁する地下牢さえ提供していた七輪神社は、村ごと消滅した。村役場の職員でもあった宮司は逮捕連行され、起訴されるのは確実という。村が壊滅して復旧もほぼ不可能というから、七輪神社も「かつて存在した神社」の1つになるのはほぼ確実。だけど残る2社-三岳神社と岩杖神社が残っていることで、オオクス地方で遠い昔に起こった事実は闇に消えずに残る。職人は相当聡明な人物だったようだ。

「-この話は、三岳でも聞いたと思いますが、復習を兼ねてのこととご理解ください。ここからがある意味本番です。」

 宮司は一呼吸置く。

「天鵬がトライ岳に隠した秘宝は、遠い将来、天鵬が復活し天地を支配統治する際に必要なものと位置づけられています。」
「?!」
「このことは、三岳では聞いていないでしょう。先祖は、天鵬と秘宝に関する情報を3つの家系、今の岩杖、三岳、そして七輪に分散しました。三岳は秘宝を模したご神体に刻まれている、天鵬が持っていた巻物に記載されていた文字列らしいもの、岩杖は天鵬と秘宝の関わり、そして七輪は天鵬の正体に近づく情報、といった具合です。」
「…ご存じかと思いますが、七輪神社は…。」
「ええ、村諸共壊滅しましたね。七輪は戦後、宮司が村役場の職員を兼任するようになったあたりから、本来の目的を忘れて村に迎合し、神社本庁を妄信崇拝する方向に変質していったようです。岩杖や三岳は先代の時代から時々諫めましたが、耳を貸しませんでした。村と運命を共にしたのは必然でしょう。」

 七輪神社が復興する可能性は、限りなく低い。天鵬上人こと手配犯の悪行や「空白の7年間」、更には継体天皇の出自やその後の血統にも関わる謎めいた行動などなど、天鵬上人こと手配犯の正体に迫る情報を握っていたらしい七輪神社が失われたことは、職人が将来を見越して情報の所有を分散させたことを一部無にしてしまったということでもある。MIRVを撃ち込まれるなんて予想できなかったとはいえ、重要な情報の一部が失われたのは痛い。

「七輪のことはさておき、岩杖が継承してきた、天鵬と秘宝の関わりについてお話します。冒頭でお話したとおり、天鵬と秘宝に密接な関係があるのは勿論、天鵬は遠い将来の自分の復活に備えて、秘宝をトライ岳に隠しました。そして天鵬は不死となる方法を探るため、当時の中国、唐に渡ることを画策していました。」
「?!」

 予想外の、しかも驚きの内容だ。宮司は話を続ける。
 天鵬上人がオオクス地方を訪れたのはトライ岳の造営、つまりは秘宝を隠すためだが、その根幹には天地を支配統治する野望があった。三岳神社で矢別さんが語った秘宝の正体、すなわち「仏の世界をも包括する偉大な神の力の証であり、その神への信仰の証として選ばれし者が神から授けられたものである」とは、仏を超越する立場に天鵬上人自身が座ることであり、秘宝は天地を支配統治する証という意味だ。
 三岳神社では、先祖である職人は話が壮大過ぎて意味をよく理解できなかったと話されたが、それは半分嘘。漠然としてはいたが天鵬上人が自身を神に選ばれた、仏をも超越する存在と位置付けていることは察した。その時点で職人は天鵬上人を危険な人物と感じ、天鵬上人を尊敬し、仏法の神髄を知りたいというふりをして出来る限りの情報を聞き出すことにした。
 天鵬上人は自分を尊敬することは兎も角、仏法を知りたいという姿勢を気に入ったようで、三岳神社が継承する「秘宝を授ける際の神の言葉を記した」巻物の他、秘宝とは「神の力を宿し芽吹く木の杖」「神との契約の内容を示す石板」「神の力による食料を入れた壺」の3つであること、そしてそれらは太古の日本で神によって創られ、神が天に持ち去った神聖なもので出来ていることを教えられた。
 天鵬上人が仏と神を使い分けていること、仏より神を上に置いていることは分かった職人は、天鵬上人が神から秘宝を授かった経緯を教えてほしい、と尋ねた。それに対して天鵬上人は、世界の真理を求めて旅をする中、神の導きによって神宝を授かったと答えた。それによって朝廷に登用され、天皇の宗教的側近になるに至ったとも。
 更に天鵬上人は、秘宝の真の力を引き出すには、今の世界では不可能であり、それは遠い未来に可能になると思うこと、そのためには不死になる必要があり、そのために唐に渡る準備を進めている、とも話した。あまりにも壮大な話だが、つまるところ自身が秘宝の力で天地を支配統治するのが目的で、それは現在では不可能だから、長い寿命-不死と言うべきものが必要であり、そのために唐に渡る考えだと分かり、天鵬上人から貸与された巻物を書き写すとともに、天鵬上人の目的と秘宝についても出来る限り記録した。

「-史実では、天鵬は何処にも記録が残っていない、所謂「空白の7年間」の後に唐に渡り、高僧に認められて仏法の神髄を継承したとされています。実際は、空白の7年間において密かにオオクス地方をめぐり、イザワ村にトライ岳を造営させ、そこに秘宝を隠し、造営した棟梁の一団を火山噴火に巻き込んで抹殺し、口封じを図ったのです。」
「…。」
「天鵬が先祖に語ったことは、岩杖に伝わる書物にまとめられています。何度かの写本を経たことで誤記や欠落はあるかもしれませんが、大筋は変わっていません。」

 宮司は席を立ち、奥の部屋に消える。少しして1冊の書物を抱えて戻ってくる。シャルが持つ朱印帳と同じくらいのサイズと厚みのその書物を、僕とシャルの前に差し出す。

「書物は紛失や盗難、焼失を防ぐため、本体は石で出来た箱に厳重に保管するよう、先祖から言い伝えられています。その箱は、先祖が天鵬から聞き出した3つの秘宝を収める箱を模したものです。」
「では、この本はコピーというか複写というか、そういうものですか?」
「はい。複写とはいえ、性質上門外不出のもの。三岳から貴方方に最大限協力するよう依頼されましたので、特別にお見せする次第です。」
「ありがとうございます。書き写すのは時間もかかりますし、すぐには全部を読めないでしょうから、スマホで撮影という形を取らせていただきます。」
「それが良いと思います。開く際に折り目がついても構いません。」

 早速、僕がページを開いて、シャルにスマートフォンで撮影してもらう。スマートフォンでも撮影はするけど、メインはシャルの画像キャプチャと保存、解析。シャルなら寸分違わず模写できるし、言語として確立されているものなら、達筆でも十分解読や解析が可能だ。

『俯瞰した限り、宮司の話のとおりのことが書かれています。文章に暗号が隠されている可能性もあるので、単語の配置や誤記と思われるものも正確に記録します。』
『うん、頼むよ。非常に貴重な機会だから、シャルの能力が必要だ。』
『任せてください。』

 表紙から裏表紙まですべてのページの撮影が完了した。写本とはいえ古文書だから、扱いは慎重になる。出来るだけ折り目をつけないように、間違ってもページを汚損しないように、慎重に開いてシャルに撮影してもらったから、優に20分近くを要した。撮影を終えた書籍を宮司に差し出す。

「ありがとうございます。すべてのページを撮影しました。解析は戻ってから行います。」
「そうしてください。先祖からこの岩杖に託され、言い伝えられている情報は、まだあります。…天鵬が本当に進行していたのは仏ではなく神であることは感じられたと思いますが、それは、天鵬の出自に関わることです。…天鵬の出自は日本ではありません。遠い西の国からやって来た、所謂渡来人です。」
「!」

 天鵬上人が別の世界、シャルが創られた世界から逃げ込んできた手配犯の1人である確率が非常に高いことは、これまでの調査や追跡で分かっていた。それが第三者の証言によって確定したと言える。非常に重要な情報だし、史実の裏で天鵬上人こと手配犯が様々な手を巡らしていたことが分かる。
 宮司の説明を聞く。職人が仏法の神髄を知りたいと表面上熱心に質問を続けたことと、職人の出身地が現在の京都、当時の遷都間もない平安京だったことから、かなり打ち解けることが出来た。職人が棟梁の一団の最年少だったことから、若くして時の天皇-時代からして桓武天皇-に宗教ブレーンとして抜擢された天鵬上人自身を重ねたのかもしれない。
 天鵬上人は桓武天皇の宗教ブレーンとして、平城京から遷都して間もない長岡京から、平安京への遷都を宗教的側面から支援したことは、史実にもある。しかし、なぜ平安京の場所を選んだのか。棟梁の一団として土木建築についてはひととおりの知識があった職人は、海に近い方が遷都自体は勿論、交易の面でも有利ではないかと考えていた。
 重機など概念すらない時代、建材の運搬は人力頼り。建築物1つでも相当な人数と時間が必要で、都となればそれらは数倍どころではない。重くて大きい建材の運搬には船を使った方が圧倒的に効率が良い。なのに、当初の都である平城京も、1つ前の都である長岡京も、そして遷都間もない平安京もすべて内陸部。平安京遷都に携わった当事者でもある天鵬上人に、職人は率直に疑問をぶつけてみた。すると、不思議な答えが返ってきた。

「遠い西の国にある平安の都に倣うためである。」

 平安京が四神相応-東に流水(青龍)、西に大道(白虎)、南に湖沼(朱雀)、北に丘陵(玄武)が備わる地勢を重視して遷都の場所に選ばれたとされる現在の主流の説は、平安京遷都当時の地勢を適用すると、不合理な点がある。西の大道とされる山陰道は奈良時代にはその場所を通っていなかったし、北の丘陵とされる船岡山は低すぎる。しかし、天鵬上人や桓武天皇の地勢ブレーンである和気清麻呂らは遷都の場所として平安京の地を選んだ。
 天鵬上人が言うには、平安京の地は2つの点で安定した都の地として適している。1つは四神相応。現在の主流である、東の流水に鴨川、西の大道に山陰道、南の湖沼に巨椋池(おぐらいけ。現在は埋め立てられていて存在しない)、北の丘陵に船岡山を充てた説は、前述のとおり当時の地勢を適用すると不合理な点がある。しかし、四神相応の発祥の地である中国の、ある意味本来のものに立ち返ると、平安京の地は四神相応に適した地になる。
 四神相応の前に、風水地理を知る必要がある。もともと風水は道教の経典と言われる「仙道五術」に含まれるもので、この「仙道五術」は、山で修行するための体術(山)、負傷や疾病への対策としての薬草学と医学(医)、自らの資質を知る運命学(命)、将来を見通す易学(卜(ぼく))、修行の場所を選定する環境学(相)から構成される。風水はこのうち、相つまり環境学に含まれるもので、仙人の修行に相応しい場所を選ぶためのもので、本名を「風水地理」という。
 この風水地理は、都市や建築物の吉凶を占う「陽宅風水」と、先祖を祀る墓の吉凶を占う「陰宅風水」の2つで構成され、それぞれの吉凶の判定方法として、地形や気候条件などで風や水、人の流れを読み解く方法と、方位や年回り、運気や邪気などで占う2とおりが存在する。都市や建築物の吉凶を占う「陽宅風水」で好条件とされるのは「龍脈が通り、大地の気が龍穴に潤沢に溢れる土地」。龍脈とは、太祖山から噴出する「大地の気」の通り道で、太祖山とは連山に囲まれて一方向が開けたすり鉢状の地形で最も高い山を指す。そこから噴き出た気は、複数に分かれた尾根伝いに流れ、徐々にすり鉢状の地形の底に移動する。このすり鉢状の地形の底の1点が龍穴と称する。尾根は複雑なほど、分岐が多いほど吉相とされ、すり鉢状の地形の底を流れる川は蛇行していることが吉相とされる。
 ここで、四神相応の相が現れた地形だと最上級の吉相となる。玄武の相は太祖山と流血の中ほどに「父母山」と呼ばれる小山があること。青龍・白虎の相は太祖山を中心に左右に山が連なることで、山に向かって右側(東)が青龍で左側(西)が白虎。朱雀の相は平地部分に離れ小島のように小山があること。実は、平安京はこれらを満たす地理的要因がある(あった)。
 北側には太祖山と見なせる貴船山などの標高数百メートル級の山で構成される険しい連峰があり、東方向は比叡山や大文字山などへ、西方向は愛宕山やポンポン山などへ繋がり、南以外を山に囲まれた地形、すなわち「連山に囲まれて一方向が開けたすり鉢状の地形」を形成している。さらに、龍穴と見なせる丸田町(京都御所がある)と太祖山と見なせる貴船山(京都御所から見てほぼ真北に位置する)の間には、父母山に相当する小山として船岡山があり、南には離れ小島のような小山として現在の城南宮(当時は鳥羽離宮など)がある。これらは平安京があった当時の古地図を見ないと分かり辛いが、平安京の地は本来の風水である「陽宅風水」で最上級の吉相を持つ場所というわけだ。
 もう1つは海外の都の模倣。時の中国である唐の都長安(現在の西安)は、平安京と同じ「陽宅風水」に沿って造られている。風水の発祥が道教の発祥地である中国、つまり本場だからある意味自然だが、更に遠い西の都、エルサレムにも配置を倣っている。平安京の東には琵琶湖があり、エルサレムの東には死海があり、どちらも都と湖の間は山々が連なっている。加えて、平安京は海抜の低い盆地、エルサレムは標高500m程度のやや高地という違いはあるが、どちらも少なくとも3方向を険しい山々に囲まれた窪地に位置する。
 職人が話を聞いた時には所謂万葉仮名の当て字が使われ、エルサレムと分かったのは後世だが、何故そんな遠い都の配置に倣ったのか、そもそもどうして天鵬上人がそんな遠い西の都のことを知っているのか、職人は疑問でならなかった。だが、それを口に出すと危険と感じ、職人はあくまで「仏法の神髄を知りたい」「土木建築集団の若輩者として平安京やトライ岳の背景や思想を知りたい」という姿勢に徹して天鵬上人から話を聞き出した。
 その結果、最初の天鵬上人の回答である「遠い西の国にある平安の都に倣うためである。」に続く話として、都の名前もエルサレムや長安に倣ったものだという話を聞き出した。エルサレムは現地の言葉で「平安の都」を意味し、長安は読んで字のごとく長く平安が続くようにという意味。桓武天皇が座する新しい都にも、それらに倣って平安京と名付けた。
 長安は理解できるとして、ここでもエルサレムが出て来る理由が分からなかった。それに、天鵬上人は不死の方法を探すために唐に渡る計画があると言っていた。唐の都は長安であり、長安のことを知っていながら長安に行こうとしていることにやや矛盾を感じた。若くして天皇直属の宗教家になったから知識は相当なものだが、実際に行ったことがないという話なら理解できなくもないが、さらに遠い西の都の名前や現地の言葉をどうやって知ったのか。
 当時は通信網もなければ郵便すらない(註:郵便制度が日本で開始したのは1871年)。図書館もなくアーカイブなど存在しない。ごく一部の階級で文字が使われていたが、印刷技術もないから地道に写本をするしかない。知識の蓄積や伝承は現代よりはるかに厳しい時代。そんな時代にどうやって長安より遠い都の名前やその現地語の意味を知ったのか、職人は疑問でならなかった。職人は危険を承知で、出来るだけ天鵬上人を刺激しないように、天鵬上人の出身を聞き出した。先に自分が出身を話しているし、せっかくだから教えてほしいという軽い感覚で。

「私の先祖は遠い西の国から来た。その西の国が滅ぶより前に脱出し、教えに従い東に新しい都を作るべく旅をした。」

 結局はぐらかされたが、天鵬上人はそう話したことがある。これまでの話から、遠い西の国の都がエルサレムとやらを指すのだと理解はしたが、教えが何なのか、わざわざ東に移動して新しい都を作る意味や目的は、職人には理解できず、言ったとおりに記録した。
 後世、と言っても先々代くらいになって、遠い西の国が現在のイスラエルで、恐らくソロモン王の死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、どちらも滅ぼされ、バビロン捕囚と繋がる旧約聖書の流れから来たものと思われること、つまり天鵬上人はユダヤ系の渡来人だと分かった。しかし、聖書に詳しくないし、エルサレムと平安京、そして天鵬上人とユダヤ人の関係性が理解できず、かといって先祖が生命の危険をかいくぐって残し、「この記録に己の解釈を加えるべからず」とも注記した先祖の教えを守り、そのまま記録を伝承してきた。

「-天鵬は、おのれの正体を掴まれることをかなり警戒していたと見られます。しかし、ユダヤ系の渡来人であることは間違いないでしょう。理由は分かりませんが、ユダヤ人の都、エルサレムを模して平安京を作らせた。そう考えられます。」
「…。」
「突拍子もないことですし、私自身先祖が残した文書を読んでも何のことやらよく分からないというのが正直なところです。しかし、先ほども申し上げたように、先祖は天鵬の語ったことを個人の解釈なしに忠実に書き記し、『この記録に己の解釈を加えるべからず』と、後世の歴史や文章の解釈を加えることを固く禁じたうえで、忠実に伝え残すようにとしています。私はそれをお二人にお話した次第です。」
「個人の解釈や読み違いなどで、資料や情報としての正確さを損なわないようにするためでしょう。内容は確かににわかには信じられないものですが、忠実に残すようにとしたご先祖には先見の明があったと思います。」

 歴史、特に物証が乏しい古代史はどうしても限られた文書の解読に頼る部分が大きい。だけど、文書の解釈に個人の趣味嗜好や思想が加わると簡単に歪められるし、解釈の正当性より権威のある人物が言ったかとか、どれだけ支持を集めたか、どれだけ注目を集める解釈をしたかといった、歴史の謎を解明するという本筋から逸脱した勢力争い、派閥争いがメインになる事例は数多い。藤村新一氏による捏造事件も、大本の歪みはそこにある。

「先祖が記した、天鵬の出自などの問答は、この書物に記載されています。」

 宮司は再び席を立って、別の書物を持ってくる。開いてみると、前の書物と同様達筆で書き込まれている。僕は宮司の許可を得て、この問答集も前の書物と同じくすべてのページをスマートフォンで撮影する。勿論、シャルにはすべてのページをスキャンしてもらって、撮影漏れやミスで読み取れなくなるリスクを回避することも忘れない。