雨上がりの午後

Chapter 352 「娘」の帰省(1日目:前編)

written by Moonstone

「お父さーん!お母さーん!」

 強い日差しと立ち込める湿気を振り払うかのような元気な声がする。声の主は一直線に走り寄り、両膝を付いた晶子に飛び込む。感慨深げに声の主−めぐみちゃんを抱き締める晶子。もはや様式美だ。
 今年の夏は猛暑そのもの。梅雨時期から蒸し暑いことこの上なく、全国で熱中症患者が続出中だ。光熱費は上昇するが幸い夏バテもなく、盆休みの時期を迎えた。晶子が働く店も定休日の月曜の間を全て休みにして、トータル1週間の休みになったことを受けて、めぐみちゃんを迎えることにした。
 ひと月ほど前から高島さんを介して打診があったが、俺と晶子が出向くことも考えていて断続的に調整していた。めぐみちゃんが夏休みに入ることで、帰省という概念がないめぐみちゃんに夏休みの思い出を作る手助けをしたいとなって、こういう形になった。

「めぐみちゃん、また大きくなったね。」
「育ち盛りだもん。」
「元気で何よりだ。暑いから中に入ろう。」

 前回と異なり、今回は高島さんとめぐみちゃんが揃って家に泊まる。梅雨明けに買った2組の布団の出番だ。もっとも、布団はこのために買ったんだが。オートロックを解除して高島さんと晶子に抱っこされためぐみちゃんを入れ、エントランスのドアを閉める。

「駐車スペースを使わせていただきました。ありがとうございます。」
「普段使ってないので、車があると無断駐車の恐れもなくて良いです。」
「無断駐車はありますか?」
「幸い今のところはないようです。平日の昼間は完全に確認出来ないですが。」

 終日がら空きの駐車スペースで気になるのは無断駐車。管理業者が巡回時に必ずチェックしているせいか、確認できる範囲では無断駐車はされていないようだ。俺と晶子は揃って平日昼間は居ないことが多いし、月曜定休の晶子も必ず駐車スペースをチェック出来る訳じゃない。完全な防止策はないと言える。
 対抗策として車を買う手もあるが、費用が馬鹿にならない。今の車は1リットルのガソリンで10数km走るものが多いが、俺は電車通勤だし晶子は徒歩。使う機会は買い物くらいしかない。遠出を覚えたら使う機会は増えるだろうが、その分ガソリン代がかさむ。それ以外の維持費も馬鹿にならないのが車だ。

「涼しーい!」
「流石にエアコンを使わないとね。」
「新京市もかなりの暑さですね。」
「京都の夏は暑いそうですね。」
「ええ。盆地ならではの気候は健在ですよ。」

 今までだとエアコンの稼働は梅雨明けなんだが、あまりの蒸し暑さに梅雨時期から稼働を開始した。窓を開けても湿気交じりの熱風が入って来るし、何しろまともに寝られないと仕事に支障をきたしかねない。今年は輪をかけて蒸し暑いからエアコンはもはや生活必需品の域に達したと言える。

「お昼ご飯の準備をしますね。めぐみちゃんはちょっとの間、お父さんとおばあちゃんとお話してて。」
「はーい。」

 晶子はリビングに入ってめぐみちゃんを降ろし、台所に入る。暑さと渋滞を避けるため朝出発すると、昨夜高島さんから連絡があった。それを見越して晶子は昼飯から準備すると意気込んでいた。メニューは俺も知らない。

「渋滞はどうでした?」
「途中のインターチェンジ付近が若干混み合っていましたが、此処の最寄りのインターチェンジまではスムーズでした。」
「此処の最寄りというと…新京北インターですか。あそこは渋滞の常連ですね。」
「5kmくらいでしたら、15分くらいで抜けられましたが。」

 石垣旅行を終えてから通勤時間にラジオを聴くようになった。通勤に順応して暇を感じるようになったからだ。スマホなんて洒落たものは持ってないし−今もペアの携帯は健在−、画面を見つめていると酔ってしまいそうな気がするから、聞き流しも可能なラジオが無難だ。
 聞いているチャンネルでは通勤時間帯に2回ほど交通情報が流れる。その時、頻繁に渋滞場所の名前として挙がる1つが新京北インター。新京市には新京北と新京の2つのインターがあるが、上りも下りも新京北から新京、下りは更に先の柏原(註:新京市の南に隣接する市)インターまでしょっちゅう渋滞しているようだ。

「京都から一般道を走ることを考えれば、楽なものですよ。」
「京都は碁盤の目の道路という印象なんですが、難しい道路なんですか?」
「交通量が多くて一方通行が随所にあって、いきなり専用レーンが現れたりと、なかなかに初見殺しな環境ですよ。」

 石垣のように、市街地を少し離れると信号が殆どなくなる、初心者大歓迎のような道路だけなら良いが、市街地はどうしても道がややこしくなる。小宮栄は道路の奇々怪々さである意味悪名高い。2つの直進レーンが右折レーンに変貌したり、迂闊に狭い道路に入ると一方通行の連続で明後日の方向に追いやられたりするそうだ。
 京都は有名な碁盤の目のような道路で、一見分かりやすそうだが、どうもそうでもなさそうだ。京都は小宮栄と並ぶ大都市。しかも年中観光客で溢れている。標識を見ながら運転すれば目的地に容易に辿りつける環境だと思うのは甘いか。

「めぐみちゃんは、朝早かったけど眠くなかった?」
「全然!早くお父さんとお母さんに会いたかったから。」
「そうか。中学くらいになったら、1人で電車に乗って来られそうだな。」
「うん!絶対来る!」

 快活に返事をするめぐみちゃんに、眠気は全く感じられない。今回は2泊するのもあってか、前回も使った可愛らしいリュックはやや膨れ気味。高島さんから打診があった頃から、めぐみちゃんは今日を楽しみに日々を過ごしてきたという。それが現実のものになった今、高揚感の塊みたいなもんだろう。

「お待たせしました。」

 晶子が皿を載せたトレイを持って来る。そこには大皿に盛られたチンジャオロースが鎮座している。

「わぁーっ!美味しそう!」
「他の料理も持って来るから、もう少し待ってね。」
「俺も手伝う。」
「ありがとうございます。」

 4人分だと何往復かしないといけないだろう。その分めぐみちゃんがお預けを食らう。それに料理を運ぶのは、ほんの2年ほど前まで週6でしていたことだ。あちらは4時間だったがこちらはほんの数分で終わる。
 他はコンソメスープと野菜サラダ、そしてご飯が4人分。野菜サラダはツナが乗っている。ツナ好きのめぐみちゃんに合わせたものだろう。目の前に野菜サラダが置かれた瞬間、めぐみちゃんの目が更に輝く。

「ツナサラダだー!」
「めぐみちゃんは多めに入れておいたからね。」
「ありがとー!」

 全員揃って「いただきます」。めぐみちゃんはやはりというか、早速サラダに手を伸ばす。ツナを堪能した後、チンジャオロースを自分の小皿に盛る。以前は晶子の手を借りたが、今回は自分できちんとこぼさないようによそう。こういう細かいところにも成長が感じられる。

「凄く美味しい!」
「ありがと。いっぱい食べてね。」

 元気良く食べるめぐみちゃんを、晶子は温かい眼差しで見ている。チンジャオロースをはじめとする料理の数々は非の打ちどころのない出来だ。茶もきちんとウーロン茶なのが細かい。めぐみちゃんはそのウーロン茶やコンソメスープを合間に挟みながら、チンジャオロースをペース良く食していく。

「お母さんは、本当に料理が上手だね!お母さんが作ってくれる料理は全部美味しい!」
「ありがと。毎日何か作ってるからね。」
「お母さんは、お店で料理を作ってるんだよね?」
「そうよ。色んな料理をたくさん作ってるよ。」

 相変わらず店は繁盛している。宣伝はしないしクーポンは一切作っていないが、塾通いの中高生が食堂代わりにしたり、近隣の主婦や休日の女子高生がティータイムをするのを基本に、胡桃町周辺の中小企業勤務の人や外回りの営業の人など、色々な人が訪れるそうだ。
 常連も多い店の料理を担うのは、潤子さんと晶子。そこに最近は青木さんが加わっている。日によっては入れ替わり立ち替わりで客が来るから−中高生の試験前は特に凄いらしい−、キッチンは常に何かを作っている状態。その一翼を晶子が担っている。
 店では幾つもの料理をいかに速く、間違いなく作るかが焦点。そのためにフライパンや鍋に多くの食材を投入して、時に煽る。その様子を見れば、料理がなかなかの重労働だと分かる。今の料理も、チンジャオロースの量からして相当重かった筈。だが、晶子はそんな様子を微塵も見せない。

「こういう大皿の料理は、お店で作るんですか?」
「あまりないんですが…、複数のお客さんが皆で食べるから一皿に纏めてほしい、と要望された場合はそうするようにしています。」
「かなり柔軟な対応をしているんですね。」
「常連の方が多いお店ですから、融通を利かせても良い場合はそうするように、というオーナーご夫妻の方針もあります。」

 高島さんと話す晶子は、明らかにめぐみちゃんの時とは雰囲気が違う。娘に対するものと義母に対するものという表現がぴったり当てはまる。高島さんは別段威嚇したりはしていないが、めぐみちゃんを娘と位置付ければどうしても晶子から見た高島さんの位置づけは義母に相当するようだ。

「御馳走様ー!美味しかったー!」

 チンジャオロースをはじめ、料理は完全になくなった。晶子がデザートとして出したアイスクリームベースのフルーツパフェも、めぐみちゃんはぺろりと平らげた。めぐみちゃんは元から食欲が旺盛な方だが、これだけ綺麗に食べられると料理を出した晶子も、見ていた俺も大満足だ。

「少しも残さないで食べたね。ありがと。」
「お腹空いてたし、凄く美味しかったもん!」

 食休みがてら、俺が食器を洗う。調理器具は料理の推移とともに晶子が片づけていくから−これは俺には真似できない−、食器を洗うだけで良い。その間、晶子はめぐみちゃんを膝に乗せて寛ぐ。めぐみちゃんは晶子の膝に乗って甘えられるから大満足の様子。

「お母さんみたいに料理上手になりたいな。」
「少しずつでもおばあちゃんのお手伝いをして、包丁の使い方とかを教えてもらうと良いよ。」
「包丁かぁ…。ちょっと怖い。」
「きちんと使えば便利だから、そんなに恐がらなくても大丈夫。」

 めぐみちゃんは料理に興味を持ち始めたようだ。家庭科は…まだかな。高島さんも料理上手だし、基礎から少しずつ身につけていけば、そのうち晶子とめぐみちゃんが揃ってキッチンに立つ日が来るかもしれない。その時、めぐみちゃんは晶子の味を受け継ぐんだろうか?
 料理はやっぱり作る人の好みや癖が出るらしい。実際、同じメニュー−例えばハンバーグでも、晶子と潤子さんでは微妙に味や焼き加減が違う。ソースの作り方が若干異なるのが最大の要因らしい。味を受け継ぐというのは、教える人の好みや癖を受け継ぐのとほぼ等しいと思う。
 「煮る料理は出汁と灰汁をきちんとすれば時間がかかるだけで何とかなる。焼く料理は失敗すると取り繕えないから難しい」とは晶子の弁。ハンバーグはタネを作るところから難しく、焼き料理の集大成と言えるそうだ。その割に弁当や食卓に何の違和感もなくハンバーグが出るのは不思議でならない。
 食器洗いを終えて、晶子が淹れた茶を飲みながら暫し歓談。まずは高島さんからの報告。今回の訪問は電話や纏めた書類だけでは伝わり難いこれらの報告のためでもある。
 晶子の伯父は息子である、晶子から見て従兄に実権を剥奪されて強制的に隠居させられたことで、晶子への要求は完全に途絶えた。電話は母屋にしかなく、携帯も没収・解約されたため、外部との連絡は息子夫婦が居る母屋を介するしかない。当然許す筈がなく、事実上の幽閉状態だ。
 本家の財産に傷を付ける形になったことで、当初から和解を提案していた晶子の伯父の姉、つまり晶子の伯母の発言力が増し、反対に晶子の伯父の弟2人、つまり晶子の叔父の発言力は大幅に弱まった。「最初から晶子の出奔を容認、出来ないなら黙認していればこんな事態にはならなかった」と言われれば返す言葉はない。
 特に晶子の両親は、一気に晶子の伯母に同調した−この日和見主義はらしいといえばらしい−他の親族に責められ、どうにか挽回しようと躍起になっている。現在、高島さんに晶子の「引き渡し」などを要求しているのは、専ら晶子の両親と実兄だ。
 勿論、高島さんは全て門前払い。「間違っても当人に直接間接問わず接触しないように。したらその瞬間、本家に600万の賠償義務が生じる」「今度は本当に土地を売らないと払えないだろう」と警告している。「冗談じゃない」と言うが、何故晶子が言うことを聞かないのか未だに理解出来ないようだ。

「−なかなか暇な人達ですね。」

 高島さんは笑顔で皮肉をこめて総括する。確かに暇人ではある。仕事をしていれば準備なり電話の応対なりすることはあるわけで、毎日のように同じところに同じ内容の電話をするのは、余程しつこい飛び込みの営業くらいのもんだろう。特に実兄は殆ど仕事をしていないと言って良さそうだ。
 晶子の表情は芳しくない。晶子にしてみれば、今度は両親と兄が前面に出て来てまだ干渉しようとしているわけで、気分が良い筈がない。本家当主になった晶子の従兄が、俺と晶子への一切の干渉を禁じると通告しているし、今度600万取られるとなれば致命的な事態になるだろうから直接の接触はない。だが、唯一の窓口である高島さんに執拗に要求し続けている事実は変わらない。

「市外どころか県外ですから、電話代もかさむでしょうに。奥様に失礼ですが、まっとうに仕事をしているようには見えないですね。」
「農家ですから、ある程度時間の融通は利くとは思いますが、兄の方は…。」
「何処の馬の骨云々、まっとうな男云々と、枕詞のように言いますが、御主人を見れば噴飯ものですよ。」

 認知度は低いが、世界的に圧倒的なシェアを誇る装置の他、企業間取引で安定・必須の材料やモジュールを製造・販売している俺の勤務先。2年目の俺は住民税が始まったが、目立った減額にはなっていない。ボーナスはきちんと出るし、有給は取得を奨励されている。5月と8月と年末年始には長期休暇が用意される。
 その仕事をしていると、日中電話をする機会は昼休みくらい。出社して作業着の上着を着たら、あっという間に昼になり、弁当を食べてのんびりしたらあっという間に終業時間になる。要求が通らないと分かっている相手に毎日のように電話できる暇はない。

「念のため、引き続き警戒を続けてください。現状維持ですね。」
「分かりました。」

 電話攻勢に徹しているのは、親族から総攻撃を食らったことで出るに出られないのか、或いははるばる新京市まで来るだけの時間や金が惜しいのか。どちらにせよ、万が一にでも来たらその時点で高島さんに連絡という方針は変わらない。弁護や手続きは高島さんが全部進めてくれる。
 直接間接問わず、つまりメモをポストに投げ込んでも600万の支払い義務が発生する。前回のように払わないなら強制執行あるのみ、というのが方針だから、先祖代々の土地を売らせてでも払わせることになる。そうなったら晶子の親族、特に首謀者はその土地では住めなくなるのは確実だ。

「では、話を変えて。めぐみ、あれを見せてあげなさい。」
「はーい!」

 めぐみちゃんは元気良く返事して、晶子の膝の上から出てリュックの元に向かう。間もなく戻って来て再び晶子の膝の上に座り、可愛らしい財布を持って来る。そこの小銭入れのファスナーには見覚えのあるものがぶら下がっている。

「お父さんとお母さんからのお土産、此処に付けたよ!」
「お財布に付けてくれたのね。」

 めぐみちゃんの財布にぶら下がったものは、俺と晶子が春に石垣旅行に行った時の土産。親指大の雫型をした、透明な本体に薄いグリーンの模様のようなものがちりばめられたキーホルダーだ。どうやって渡そうかと思ったが、結局日帰りで京都に行って手渡しして来た。あの時のめぐみちゃんの喜ぶ様子は今も鮮明に思い出せる。
 キーホルダーとは言え、めぐみちゃんの玄関は家の中から制御できるタイプ。だから何処に付けるかはめぐみちゃんに任せることにした。後に届いた手紙に「此処なら絶対なくさないところに付けた」とあって、今回来ることになった際に見せると伝えられていた。なるほど、これならなくさないよう強く警戒する。

「これの不思議なところには気付いた?」
「うん!初めて見た時、凄くびっくりした。凄く綺麗だったよ!」
「私もめぐみに呼ばれて見ましたが、面白いものですね。ああいう仕掛けがあるとは思いませんでした。」

 この土産を選んだのは晶子。晶子がふとした変化に気づかなかったら、めぐみちゃんの手に届くことはなかった。晶子がめぐみちゃんに手渡す際、「付けるものをなくさないようにしていれば不思議なものが見られるよ」と言ったが、恐らくめぐみちゃんは財布を片時も離さず持ち歩いていたんだろう。

「夜寝る前に見せてね。」
「うん!」
「色々お気遣いいただいて、ありがとうございます。」
「こちらこそ、ずっとお世話になってますから。」

 めぐみちゃんへのキーホルダーと紅芋タルトとちんすこうの合計金額は1万にも満たない。今も毎日窓口として単調な門前払いを続けつつ、万一に備えて攻撃態勢を続けてくれる高島さんと、俺と晶子に会えるのを楽しみに日々元気に過ごしているめぐみちゃんへの礼には安いくらいだ。
 熱射病のリスクが高い外出は、今日は控えてめぐみちゃんの宿題を見る。漢字と計算のドリル、問題集、自由研究、自由工作、日記、読書感想文、と俺と晶子の時代と大差ない。ドリルや問題集がぐっとカラフルになっている。最近の傾向らしい。
 漢字と計算のドリルと問題集は済ませていて、日記は継続中。「大物」の自由研究と自由工作、そして読書感想文が残っている。自由だけにかえって難しい面もある。俺と晶子の家に泊まりに行くための目標として、「大物」と継続が必要な日記以外は全部済ませたそうだ。

「一生懸命問題を解いたね。」
「頑張った。」
「めぐみは、お2人に褒めてもらうことを糧にしていて、成績も上々です。」
「めぐみちゃんは頑張ってるんだね。」

 晶子がめぐみちゃんの頭を撫でると、めぐみちゃんはちょっと得意気な満面の笑みを浮かべる。こういうシチュエーションを想像して日々の発奮材料にして来たんだろう。材料の源泉がアイドルだったり食べ物だったりするくらいで、多くの人がしているであろうことだ。

「読書感想文は、お母さんが持っている本にしたい。」
「指定図書とかはないの?これを読みなさいっていう。」
「指定図書か自由選択かのどちらかです。どれを読めば良いか分からない、という児童向けに指定図書が用意されているイメージです。」
「そうですか。お母さんの本棚を探してみよっか。」
「うん!」

 蔵書数はかなりのものだから、そこから一緒に探すだけでもめぐみちゃんには楽しいだろう。もしないとしても、市の図書館に行く手がある。そこでめぼしい本を選んで、書店に買いに行けば良い。幸い移動は高島さんの車があるから、普段よりずっとスムーズだろう。
 問題は自由研究と自由工作か。自由と銘打っているから、親が介在しやすい。こういうのは成績云々より自分で何をするか決めて、計画を立てたり準備をしたりする過程が重要だと今になって分かる。「大人」が3人いるからテーマを決める段階で余計に介在の危険が強い。

「自由研究と自由工作が難しいな。めぐみちゃんは何をしたいか考えてる?」
「ん…。良いのが思いつかなかった…。」
「そうか…。高島さん。過去の自由研究や自由工作はどんなものかご存知ですか?」
「自由研究はやはり理科と社会に関するものが大半のようです。自由工作は抽象的ですが、何か1つのものを作る形式です。」
「めぐみちゃんの年代からあまりにかけ離れたものだと、ただ大人の言うとおりに動かされるだけで、自由研究や自由工作とは言えないですよね。」
「仰るとおりです。ただ、中学受験を考えてか、親がむしろ積極的に介入する傾向が強まっています。」

 自由研究や自由工作と言いながら、親の意向が介在する現実。中学受験の是非は別として、何のための研究や工作か分からないし、親が介在して上等なものを作るのが横行してるなら、成績から度外視するとか学校側が対応すべきだと思うが、多分親からのクレームがあるから無理なんだろう。
 めぐみちゃんが授業や日常で色々なことに関心を持って、自分で調べたり人に聞いたりして知識や技術を身につけていく手助けに徹したい。それにはやっぱり、年齢不相応なテーマは避けるべき。だが、そういうテーマが直ぐ思いつくくらいなら苦労はしない。さてさて、どうしたものか…。

「自由研究は今時の関心ごとと絡めるのが良いか。…環境とか、省エネとか。」
「良いですね。めぐみちゃんが自分で測ったり出来るようなものだと尚更。」
「測るとなると…、時間とか温度とか…!」

 これなら良いんじゃないだろうか。めぐみちゃんの理解が及ばないこともないし、彼方此方に行く楽しみも出来る。

「色々なところの温度を測ってみよう。」

 俺は思いついた案を説明する。温度計は問題なく調達出来る。気温なら置時計と一体になっているものでも間に合う。それで彼方此方の温度を測る。時刻と天候を明記した上で、家なら南に面した部屋と北に面した部屋、エアコンがある部屋とない部屋、風呂場やトイレ、台所も面白い。エアコンの室外機の温度も良い。
 緑のカーテンと言われるものを目にする機会がある。実際、木陰に入ると多少は涼しいが、それは日差しを遮るだけか?確認するために屋外に出て、日差しが照りつけるアスファルト、公園の芝生、大きな木の木陰など色々な場所の温度を測ってみると、何かが見えて来る筈だ。

「面白そう!」
「緑のカーテンの効果を色々な角度から立証しようというものですね。環境意識を高める良い機会にもなります。」
「凄く良い案だと思います。外出したりしながらでも出来ますから、楽しみが増えますね。」

 全面的な賛同を得られた。特にめぐみちゃんから賛同を得られたのは大きい。主役はあくまでめぐみちゃんだから、めぐみちゃんがやる気になるかどうかが最大の焦点。その点がクリア出来たから、実施計画を立案するくらいだ。

「明日も晴れの予報だし、ほぼ今日と同じ環境と見て良いから、その計画は後で立てよう。自由工作の方を考えておこう。」
「確かに工作もテーマは決めておいた方が良いですね。」
「複雑なものだとめぐみちゃんが作れないし…。」

 めぐみちゃんが主役だから、下手に難しいものを選ぶと手に負えないし、結局大人の介在を招く。それを避けようとテーマを考えているのに本末転倒でしかない。めぐみちゃんが出来る範囲のもので、何か作り遂げたという実感が湧きそうなものというと…。

「めぐみちゃんは、細かいものを作るのって得意な方?小さい折り紙を折ったりとか。」
「ん…。出来ると思う。どうして?」
「町の小さい模型を作れるかな、って思って。」

 今度は晶子が説明する。町の航空写真を基に町並みを模型にする。模造紙や画用紙を切って、屋根やビルに見立てて厚めの紙−段ボールとかで良い−に並べていく。綿に絵具で色を付けて森にしたり、特徴的な建物も簡単な形に表現してみる。両手で持てるくらいの大きさにすれば見栄えも良い。
 凝ろうと思えば徹底的に凝ることが出来る。屋根の形を写真の家に応じて変えたり、色も変えたり。だから、あまり広範囲でなくて良い。めぐみちゃんが住んでいる町−小学校が含まれると尚良い−を題材にすれば、見る人も注目するし、めぐみちゃん自身も小さな町を作っていく楽しみがあるだろう。

「面白そう!作ってみたい!」
「町の模型か。思いつかなかったが、良いアイデアだな。作る範囲も自由に決められるし。」
「大変良いですね。社会科で自分の町を学ぶ機会がありますし、工作で作りながら学ぶことも出来ます。」

 晶子は照れ臭そうにする。自分の手で模型とは言え町を作るのを、過程から体験するのは非常に良い。何処まで凝るかより全体の統一感を出すようにした方が良いし、そのためにはあまり欲張って対象範囲を広げない方が良い。その辺のさじ加減を助言して、作ること自体はめぐみちゃんがすれば良い。

「課題のテーマが決まったから、順に始めていきましょう。」
「そうだな。出かけるのは明日からにして、今日はそれ以外のことをしようか。」

 午後は更に暑くなる。元気とは言え車での長旅で疲れているだろうから、翌日以降のことを考えてあまり無茶はさせない方が良い。この家の温度を測ったり、読書感想文の本を探したり、町の模型を作る予備工作−台座になる段ボールや建物の材料になる画用紙とかを探したりと、色々することはある。

「温度計は…言われてみれば家にはないな。」
「工作の材料もないですから、合わせて買いに行けば良いですよ。」
「丁度車で来ていますし、4人十分乗れますから、今日行っておきましょう。」
「では、車をお願いします。」
「皆でお出かけだー!」

 めぐみちゃんは行く気満々な様子。本当に元気いっぱいだな。子どもが居ると子どもが主役になる、と会社の人が言っていたが、それは当たっていると思う。親の操り人形にしないように、放置して誤った道を進まないように、きちんと誘導したり世話をするのが大人であり、親なんだろう。
 最初の目的地に到着。俺は助手席から、晶子とめぐみちゃんは後部座席から降りる。チャイルドシートが不要で、晶子と並んで座れたことで、めぐみちゃんは移動中もご満悦。流石と言うか、高島さんの車は高級車らしく、座席もゆったりしていて走行中もかなり静かだった。

「此処は何のお店?」
「ホームセンターっていう、お家で使うものがたくさん置いてあるお店よ。」
「恐らく、めぐみにとっては初めてだと思います。」

 最初に訪れたのはホームセンター。此処なら本と食料品以外は大抵何でも揃う。特に工作の材料には事欠かない。此処でしこたま買い込んでおけば、失敗や作り直しを気にしなくて良い。晶子にはめぐみちゃんとしっかり手を繋いでもらう。便利な一方刃物とかもあるからな。

「お花がいっぱいある。」
「園芸って言う、お花や野菜を育てるための道具とかもあるのよ。」
「学校の花壇みたいなもの?」
「そうそう。それをお家でするの。野菜を作る場合があるのが、学校とちょっと違うかな。」

 園芸の言葉は知らなくても、小学校だと似たようなことがある。花壇に水をやったりする係は俺が通った小学校にもあった。意外と花を見る機会は少ない。桜の印象が強すぎてそれで沢山見たと錯覚している感がある。その上、めぐみちゃんはホームセンターに来るのが初めてだというから、色々な花が並んでいる光景に驚いたんだろう。
 今回は花を使わないから、そのまま店内へ。広大な店内には日用品から文房具、家電、工具など色々なものが犇めいている。食品は基本的にないのがホームセンターだったが、最近はコメや酒や飲料品辺りがある。ドラッグストアもそうだが、買う側から見ると品揃えの中心が何処にあるかの違いしかない。

「スーパーと全然違う。洗剤がこんなにたくさんある。」
「お洗濯やお掃除に使うものとかが、このお店にあるのよ。」
「画用紙とかもある?」
「勿論よ。」

 洗剤など日用品や文房具は、出入り口から近いところにある。買われる可能性が高いからだろうか。文房具はボールペンやサインペン、シャーペンといった筆記用具、消しゴム、クリップ、封筒など、思いつくものは何でも揃っている。

「画用紙もたくさんある。」
「折り紙もあるわね。」
「家を画用紙じゃなくて折り紙で作っても良い?」
「勿論良いわよ。めぐみちゃんが作るんだから、めぐみちゃんが良いアイデアを思いついたらそれを試して良いからね。」
「うん。綺麗に作る。」

 めぐみちゃんは、工作の材料を選んでいく。折り紙を一旦手に取ったが、少し考えて色つきの画用紙にする。晶子の会話で、折り紙だと薄いから家がしっかり立たないかもしれないと思ったからだと分かる。きちんと考えてる。それだけ自分で作るという意志がしっかりしていると見て良い。
 晶子のアドバイスを受けて、カッターと定規も籠に入れる。綺麗に切るには定規を当てつつカッターで切る方が良い。下敷きには段ボールの切れ端でもあれば十分だ。段ボールも買うから、折り曲げる部分の一部を下敷きにすれば良い。

「自由工作の材料はこれだけあれば十分ね。」
「うん。頑張って作る。」
「自由研究の道具も買わないといけないね。」

 自由研究は温度計があれば、あとは時間と手間をかければ出来る。温度計は…地面の温度を測ったりするから、時計に内蔵されているようなものより体温計のように触れた個所の温度を測るようなタイプ、昔ながらの温度計のようなタイプが一番良いだろう。
 意外と温度計は見つからない。そもそも何のカテゴリに属するのか、よく考えてみれば分からないのもある。どうにか探し当てて籠に入れる。ノートや筆記用具はめぐみちゃんが持って来ているから、それを使えば良い。グラフ用紙を文房具コーナーで買っておく。グラフにする方が理解度が高まる。

「何でもあるんだねー。」
「野菜やお肉とか以外は大抵何でもあるよ。」

 めぐみちゃんは初のホームセンターに感慨深げのようだ。画用紙や段ボールがそこそこの大きさだからレジ袋も大きなものになったが、高島さんの車で来ているからそのトランクに入れれば良い。こういう時、車は便利だな。

 次の目的地は図書館。実は俺も晶子も今回初めて行く。場所は市役所のすぐ近くにあることは、婚姻届の提出とかで知ってはいたが、大学に図書館があったから行く必要性がなかった。此処で読書感想文の題材になりそうな本を探したり、自由工作で重要な地図をコピーしたりする。

「大きいねー。」
「去年、引っ越して新しく建てたばかりなんだって。」
「道理でデザインが今風なんですね。」

 地下の駐車場から出て、エスカレーターで図書館に入る。白を基調にした建物1階は、壁が全面ガラス。エスカレーター周辺は最上部まで吹き抜けで、図書館のイメージからかなりかけ離れている。建物に関しては、大学の図書館より間違いなく立派だ。

「まずは地図をコピーしておこう。」

 エスカレーターの乗降口脇にフロアマップがある。1階は一般的な図書館と同じ分類に沿ったエリア、月刊誌や雑誌や新聞のエリア、幼児用の絵本や遊び場があるキッズルーム、大小の会議室が幾つかある。図書館と同じ分類のエリアに行けば間違いはないだろう。
 このエリアだけで一般的な公立の図書館くらいのスペースはあろう、本が詰まったエリアに入る。流石に図書館だけあって物音は殆どしない。めぐみちゃんも学校で図書館の使い方やマナーを習っているのか、晶子に手を引かれながら興味深けに辺りを見回している。
 地図は直ぐ見つかる。大分類の書架を探してそこから小分類のプレートを目安に順次探して行けば良い。地図はめぐみちゃんが住む京都市が出来るだけはっきり分かると良い。3D地図を作るわけだから、店の名前より建物の形状が分かる方が良い。

「こういう地図だと…工作には適さないな…。」
「道の幅や方向は分かりますけど、建物までは分からないですね…。」

 地図で必要なのは建物の形状じゃなくて方角や道路、道路同士の接続だから当然と言えば当然か。そうなるとどうしたものか。航空写真を探すのが近道か。此処は新京市の図書館だから新京市のものはあるかもしれないが、京都市は流石にないような気がする。

「パソコンで地図を出して印刷する方法があります。」
「パソコンで?」
「はい。地図を使えるページがあります。拡大や縮小も可能ですから、所定の範囲だけ印刷すれば十分使えるでしょう。」
「パソコンは確か…新聞とかがあるエリアにあると書いてあったな。」

 パソコンという手があったか。今時と言えばそうだが、航空写真を探すより早いだろう。めぐみちゃんが滞在する2泊3日で工作を全て出来るとは考えていないが、必要な資料は今の中に用意して、工作の最初の辺りや自由研究のさわりをしてめぐみちゃんが京都に帰ってからでも自分で出来る体勢を整えておきたい。
 パソコンのあるエリアで無事地図をゲット。パソコンで使う地図は拡大縮小も自由で、特定の場所をマーキングすることも出来る。今回はめぐみちゃんの家をマーキングしておいて、そこを中心に学校とかめぐみちゃんの身近なものを含む程度に収めた範囲で印刷すれば、建物の色や形も分かる特性航空写真の完成だ。

「此処に住んでるんだー。」
「かなり拡大しましたけど、鮮明ですね。」
「良い資料が手に入りました。あとはめぐみが工作することね。」
「うん、頑張る。」

 地図の1枚を手にしためぐみちゃんは意気込んでいる。工作の材料や道具は購入済みだし、帰宅したら工作に没頭するんだろうか。めぐみちゃんの器用さはどの程度か分からないが、怪我をしなければ良い。その準備として道具、特にカッターの使い方は教えておくべきだ。

 帰宅してから、めぐみちゃんは工作に没頭している。下敷きの段ボールは床に置き、机には土台の段ボールを置いて、床で画用紙を切り取って折ったりしてから、土台の段ボールに慎重に貼り付けていく。何となく町の形が見えて来たところだ。
 土台には何も目印とかがないから、目測で建物に見立てた画用紙を置いていくと、何時の間にか間隔がずれてしまう恐れがある。まず、段ボールに道を描き、建物の配置を下書きしてから、建物を作って置いていくように助言した。実際の作業はめぐみちゃんがするのは勿論のこと。
 建物を作るのは意外と難しいらしく、最初の1つ−1戸と言うべきか−が出来るのに時間がかかった。屋根だけだとちょっとつまらないし、かと言って建物の形まで再現するのは難しい。その折り合いを何処でつけるか、めぐみちゃんなりに試行錯誤したのもある。
 最初の1つはやはりというかめぐみちゃんの家。方角も気にしながら慎重に置いて確認し、改めて接着剤を塗って貼り付けた瞬間、めぐみちゃんの顔が綻んだ。以降、めぐみちゃんは近隣の家を作っては土台に置いて確認し、貼り付けていくことを続けている。
 めぐみちゃんの家と小学校を含めたことで、土台の段ボールはめぐみちゃんだとひと抱えはある。住宅地らしく家は結構詰まっているから、全部作り上げるには相当の根気が必要だろう。だが、今のめぐみちゃんを見ていると、その心配は杞憂で終わると思う。それくらい没頭している。
 画用紙の色は限られているが、めぐみちゃんは似たような色を選んでいる。これはホームセンターで晶子と相談した結果だ。絵の具で色を付けて写真に近づけることも考えたが、画用紙の限られた色を使うことで、全体の統一感やデザインの要素も出る。写真は建物の位置関係や大きさを知るために使うことにした。
 これが正解だったようで、カラータイルやステンドグラスのような雰囲気も出ている。家が増えて来た今、全体を俯瞰するとそれが如実に出る。これは全部出来るとかなり面白くてユニークな作品になりそうだ。めぐみちゃんが没頭しているのは、その予感を感じ取っているせいかもしれない。

「ちょっと休憩しよっか。」
「ん…。うん。」

 少し大きめの建物−高島さんの話だと公民館とのこと−を貼り付けたところで、晶子が声をかける。めぐみちゃんは顔を上げて小さく頷く。晶子はキッチンから焼きたてのクッキーとアイスティーを持って来る。クッキーはめぐみちゃんが居ることで、キティを象った特製品だ。

「わーっ!可愛いー!」
「よく出来てますね。」
「細かい部分が大変でした。」
「味は…普通のとチョコレートか。その2色を使い分けたんだな。」
「ええ。チェック模様のものなら何度か作ってますけど、これは苦労しました。」

 顔は勿論、リボンや鈴までかなり再現されている。2色しか使えないところをパッチワークのようにすることで、菓子としての見た目を損なわずにデザイン的に再現している。細かい芸当もさることながら、こういうセンスはもはや才能と言うべきだろう。
 めぐみちゃんが作るのに没頭していた町の立体地図も、限られた色を敢えてそのまま使うことでデザインの要素を出している。晶子と相談した結果めぐみちゃんが選んだんだが、考え方が似ているんだろうか?クッキーを美味しそうに食べるめぐみちゃんを見る晶子の眼は暖かい。

「この飲み物、凄く良い匂い。」
「これは匂いを楽しむタイプの紅茶だからね。」
「お店で出しているものですか?」
「はい。他にも何種類かあって、一番人気があるものにしました。」

 店では以前から紅茶を売りの1つにしてきたが、最近は香りを主体にしたバリエーションが急増している。試しに晶子が買って出したものが大好評で、以後店のスタッフで試して全員が良いと思ったものを出している。昼間のお茶会を楽しむ主婦客にもかなり受けが良いそうだ。
 今出ているものは桜をイメージしたもので、香りは勿論良いが、押し退けて前面に出ようとするタイプじゃないから、匂いに邪魔されて他の味がかき消されるようなこともない。店でのスタッフの審査でも、香りが強過ぎるものは総じて受けが悪いそうだ。
 このタイプの紅茶は、主婦客の他、女子中高生にも人気らしい。匂いに敏感な年齢なのもあるだろうし、ミントなどとはまた違う、香りが主体の紅茶に触れた新鮮さもあるだろう。そこでは柑橘系のもの、例えばレモンが人気の1つという。柑橘系の匂いは女性と密接な関係があるもんだ。

「外が暗くなった頃にご飯にするから、あまりたくさん食べちゃ駄目よ。」
「うん。晩御飯が楽しみ!」

 めぐみちゃんの勢いだと、クッキーを全部食べてもしっかり夕飯は食べられるだろう。だが、めぐみちゃんにとって晶子手製の料理は大きな楽しみの1つ。十分腹のスペースに余裕を持たせてたっぷり堪能したいだろう。そういう調整もきちんと出来る。
 めぐみちゃんは本に囲まれている。夕飯をきちんと平らげた後、晶子と一緒にこの家の書庫と言うべき北の部屋に行って本を見繕い、どれを読書感想文の題材にするか選んでいる。選ぶにしても、表紙や知名度で選ばず、冒頭くらいは読んで決める方針らしく、1冊1冊真剣に選んでいる。
 町の立体地図は、夕飯前に今日の作業を終えた。2区画くらい出来たところで、更に町らしくなった。公園や木が多い家には、後で絵の具で色を付けた綿を、校庭とか土が多く露出しているところは、砂を拾って来て貼り付けるそうだ。明日は温度の測定と同時に砂を拾いに行くことになる。

「…お母さん。これにする。」

 暫くして、めぐみちゃんは1冊の本を晶子に示す。「謎町紀行」というその本は、晶子が愛読中の「Saint Guardians」と同じ作者の短編集。「僕」が立ち寄った町での出来事や町の様子などを書き綴ったドキュメントという体裁の本。俺も読んだことがあるが、ホラーだったり社会風刺だったりする。
 めぐみちゃんは、この前の正月に俺と晶子が泊まりに行った時も、「不思議の町」というかなりホラーな内容の本をじっくり読んでいた。俺と晶子は前半だけ付き合ったが、石垣の土産を届けに行った時、全部読んだことを聞かされた。めぐみちゃんはこういう本が好きなのかもしれない。

「結構難しい本を選んだね。漢字も多いし振り仮名もないけど、大丈夫?」
「頑張って読む。お母さんに辞書の使い方を教えてもらったから、辞書も使って絶対全部読む。」
「そっか…。じゃあ、その本を貸すから、頑張って読んでね。」
「うん!ありがとー!」

 晶子の読書好きは確実にめぐみちゃんに受け継がれたようだ。性的な内容は確かなかった筈だが、小学3年生の読書感想文の題材としてはかなり異質でヘビーだ。それを読んでどんな感想文を書くのか、それはそれで楽しみではある。
 冒頭を読んで選んでいたから、めぐみちゃんの読める漢字は飛躍的に増えたんだろう。正月に行った時、晶子が辞書の使い方を教えたのが良かった。読めなかったものが読める、出来なかったことが出来ることは、大きな自信になる。それが更に知的好奇心や向上心を高めていく。好循環の典型だ。
 平仮名の文章もたどたどしかった頃からすると、見違えるほど成長している。めぐみちゃんはこれからまだまだ成長していくだろう。やがてめぐみちゃんが俺と晶子を「お兄さん」「お姉さん」と呼ぶようになっても、めぐみちゃんが元気に成長したのを見届けられたことは、俺と晶子の大きな財産になる筈だ。
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