雨上がりの午後

Chapter 350 石垣への夫婦旅行(4日目:後編)

written by Moonstone

 ふう…。しこたま泳いだ。海と浜を何度か往復して、疲労を感じて浜に上がって携帯で時間を見たらもう昼前。3時間くらい海水浴に没頭していたわけだ。時間の経過を感じさせるのは、多少増えた人と太陽の高さ。浜辺で座る場所を探す必要はないのは変わらない。
 日差しはますます強くなっているのを感じる。浜に上がって直ぐ肌に針が軽く刺さるような刺激を感じた。急いで日焼け止めを塗ったが、じりじり焼かれている感覚は確実にある。日焼け止めを塗ってなかったら確実に火傷レベルの日焼けになるだろう。南国で泳ぐのは意外に制約や注意事項が多い。

「そろそろ上がるか。」
「はい。日差しが強くなってきましたし。」
「十分楽しめたか?」
「それはもうバッチリです。」

 晶子は満面の笑顔を浮かべる。視線はあったが危害に変貌するレベルじゃなかったし、安心して海水浴を満喫できたようだ。泳ぐのはかなりの全身運動だし、紫外線の強さは更にますのは確実。この辺で切り上げて悔いはない。
 更衣室に向かい、それぞれ着替える。シャワーで十分流して着替え、日焼け止めは確実に塗る。この状態でも幾分肌の色が変わっている。どれだけ強いんだ、南国の紫外線は…。しかも4月下旬。これだと日焼けで病院に搬送される観光客が多いという理由が良く分かる。
 待ち合わせは最初と同じ看板の前。少し待っていると、晶子が出て来る。着替えはしたものの、水分を含んだ髪と肌の色の違いが何時もと違う雰囲気を醸し出している。俺はまだしも、晶子は日焼けが心配だ。

「お待たせしました。」
「全然。それより、日焼けは大丈夫か?」
「色が変わったな、ってくらいですよ。日焼け止めを塗って間違いなかったです。」

 晶子は夏でも肌の露出を避けている。視線を集めるのを避けるためでもあるが、そのせいで日焼けとは縁がない。後になって酷くならなければ良いんだが。痛がっている様子はないし、保健相は持ってきているから、いざとなったら病院に行くことは出来る。
 丁度昼前。近くに飲食店がないから、出店で軽く腹ごしらえ。選択肢は1つしかない。何しろ店が1つしかないんだから。選択肢も1つ。アイスのみ。この割り切った感が何だか面白いとさえ思える。アイスの銘柄はやっぱりブルーシール。沖縄・八重山地方の定番の1つだな。

「美味しいですね。」
「ああ。存分に泳いだ後だからかな。」

 海は少しひんやりしていたが、泳いでいるうちは気にならなかった。着替えた今は強まる一方の日差しに晒されているから、間違いなく暑い。湿度は低いようで蒸し暑くはないが、アイスが冷たくて美味しいと感じる気候だ。湿度以外は本当に夏そのものだ。
 アイスを食べつつ、次の行き先を考える。どう考えても、海の近くに食事が出来る場所はなさそうだ。地図を見ても集落は島の中央部に密集してるし、そもそも道路自体が少ない。一旦集落の方に戻って食事を済ませるか、このまま南下してカイジ浜という場所に行ってからにするかくらいの選択肢だ。

「カイジ浜は…星砂の浜とも言われるそうです。」
「星砂って、星型の砂があるとか。」
「そのとおりらしいです。」

 晶子が地図に付属しているダイジェスト方式の観光案内を見せる。紹介の写真に写っているのは典型的な☆の形をした砂らしいもの。まさかこんなところに人工物を敷き詰めるわけがないし、どうやってこんなものが出来るんだ?しかも1個2個というレベルじゃないし。

「此処に行ってみるか。」
「行きたいです。星の形をした砂なんて、おとぎ話みたいですね。」

 カイジ浜は此処コンドイ浜から500mほど南に行けばある。道は1本、直線だから迷いようがない。此処に入る前、自転車で南の方に向かう人がちらほら居たが、その人達もカイジ浜を目指していたのかもしれない。星の形をした砂がどんなものか、知ったからにはぜひ見てみたい。
 偶にすれ違うか追い越されるかする自転車と、一度だけ見えた徒歩の家族連れだけの道を南下していくと、少し開けた場所に出る。港以来初めて見る車であるマイクロバスが1台停車している。カイジ浜に到着した俺と晶子を出迎えたのは、やはり有名らしい場所とは思えない、良く言えば質素、悪く言えば殺風景な周辺環境だ。
 駐車場も、マイクロバスだと横に数台並んだらもう満車という広さ。一般の車も停められなくもないが、これも数台停めたら満車のレベル。突き当たり奥にある駐輪場の方が、1台のサイズに対して広い。広大な駐車場と「隅に固めました」という体の自転車置き場というのが普通だから、此処まで車に対して配慮がないのは新鮮だ。

「マイクロバスは…島の巡回路線らしいな。それ以外で車で来るのは想定してないのか。」
「道も車が行き来出来るのは港周辺くらいでしたから、駐車場を用意するほど車がないのかもしれないですね。」
「車で移動するのが前提みたいな生活からは、俄かに想像できないな。」

 徒歩で全体を巡れるくらいの広さだから車を使うまでもないとも言える。一方、車社会の新京市で、スピードを出して幹線道路を疾走する車の群れを横目に自転車か徒歩で−徒歩は雨の場合−買い物や通勤を続けるのは、行動範囲が狭くないと大変だ。俺と晶子だから出来るとも言える。
 駐車場を1台分持っていながら、空白のまま金だけ払い続けている俺と晶子は、傍から見れば相当の変わり者だろう。近所づきあいは顔を合わせた時の挨拶程度、晶子のママ友付き合いはそれ自体ないし、周囲に友人は居ない。赤の他人にどう思われても、危害が加えられたりしなければ勝手にすれば良いというスタンスだから、別に肩身が狭いとは思わない。
 今のところ車を持っていなくても不自由しないし、車を持つならそれこそ晶子の念願−子どもをもうけてからで良い。残念ながら俺と晶子の年代だと車の任意保険も割高だし、購入から維持費まで考えると、やっぱり負担であることは否めない。
 車を持たずに生活できるなら、その方が良い。意外に困るのが置き場所、すなわち駐車場。自宅は用意しないと車を買うこと自体出来ないらしいが、出先で駐車場に停めたり駐車場を探したりするのも意外に手間がかかる。そうじゃなかったら、駐車待ちの行列を尻目に俺と晶子が悠々とスーパーやショッピングセンターに入れたりしない。

「入口は…あそこか。」

 カイジ浜への入り口は、駐車場の角あたりにある。勿論、観光客を迎えるゲートがあるわけでもない。木と木の隙間が開いていて、そこから海が見えている。ただそれだけ。此処まで割り切る姿勢はコンドイビーチと似通っているから、竹富町の観光の基本方針なのかもしれない。

「ぱっと見ただけだと分からないですね。」
「ある意味意表を突く作りだな。」

 観光地らしいものと言えば、出入り口脇にあるカイジ浜を解説する看板と、その横にある丸太のベンチくらい。飲食店はおろか屋台もない。こういう「何もない」場所には昨日の輩のような奴等は来たがらないだろう。しかも重要アイテムである車を満足に使えないとなると、来る価値がないと見なすだろう。
 昨日石垣で話を聞いた時、敢えて石垣から離れて離島に行った方が良いと教えてもらったが、そういう心理を読んでのことだったんだろう。車は移動や運搬のみならず、使いようによっては拉致や犯罪場所にもなる。それらが実質使用不能なら行こうとしない。車を使えないことが別の大きなハードルになっている。
 出入り口という体の、木と木の間を潜りぬける。目の前が一気に開けて、空と海と浜辺が織りなす光景が広がる。コンドイビーチと大きく違うのは、浜辺のゴツゴツした部分が広いこと。コンドイビーチより浅瀬になっている部分が広いらしい。かなり遠くの方までサンゴ礁ならではの複雑な海の底が広がっている。

「こちらも自然の浜辺そのものですね。」
「コンドイビーチとはまた違う良さがあるな。」

 コンドイビーチは海水浴も可能な穏やかな浜辺という印象。このカイジ浜はサンゴ礁の痕跡が多く残る荒々しい自然の一部という印象。1つの島で1kmも離れていない浜辺で異なる顔が見られるのは、観光客向けに加工しないからだろう。やっぱり竹富町の観光に対する基本方針があるようだ。
 カイジ浜も遊泳禁止と、出入り口近くの看板や地図のダイジェストにあった。砂浜で周期的な前後運動を続ける分には分からないが、相当潮の流れが早く複雑らしい。泳ぐには危険な場所だから、この剥き出しの自然が無事に残っているとも言える。
 剥き出しの自然を売りにしているせいか、飲食店どころかトイレすらない。唯一、出入り口近くに観光客向けのグッズ販売店がある。この店も、店舗らしい建物じゃなく、雨風を何とか凌げる程度の屋根を、見た目不安になる柱数本で支えるだけの、掘立小屋のようなものだ。

「星砂って何処にあるんでしょうね。」

 晶子が足元を見回して言う。

「見たところ、コンドイビーチと同じ綺麗な白い砂浜ですけど…。」
「他のところに固まってるとか。」
「探しているらしい人は彼方此方に居ますから、そうでもないみたいです。」

 カイジ浜は星砂の場所でもあるが、一見それらしいものはない。だが、砂浜には星砂を探しているらしいしゃがんだ人達が散見される。それに、自然の造形物である星砂が、剥き出しの自然のこの場所で極端に集中しているとは考えづらい。もし集中していたら、探す人も固まる筈だ。

「足元を探してみるか。」
「はい。」

 その場にしゃがんで砂浜を観察。白い砂浜はやや粒が大きい、全体としては不揃いな粒子が密集して出来ている。試しに砂を軽く摘んで掌に広げてもっとよく観察してみる。砂の粒子ばかり…?これって…もしかして…星砂?
「「これが星砂?」」

 意図せず発声がシンクロしてしまう。晶子と抽出した粒を見せ合う。予想していたものよりごく小さい、大きめの砂の粒子より小さめの、それでいて星の五角形はきちんと存在するもの。晶子の掌にも俺が見つけたものと同じようなものがある。

「小さいんだな…。」
「でも、ちゃんと星の形をしてますね。」
「自然に出来たものにしては形が綺麗過ぎるな。」
「えっと…確か…。」

 晶子は地図のカイジ浜のダイジェスト紹介のページを基に、1ページ分の詳細解説のページを広げる。俺も横から見る。

「−バキュロジプシナ、っていう生物の殻か。」
「こんな分かりやすい殻なんですね。それも凄く小さい。」
「生物自体は相当小さいわけか。てことは…、この星砂を掌分集めようとすると、物凄く根気が必要だな。」

 星砂は本当に小さい。目を凝らしてようやく視認できるくらいで、米粒より小さい。砂金を得るには延々と砂を集めてごく少量混じっている金の粒をかき集めたらしいが、目に見えて分かる寮の星砂を集めるには洒落にならない労力と時間が必要だろう。
 彼方此方で砂浜にしゃがんでいるのは、この星砂を多く集めようとしているのか、それとも見つからないのかは分からない。これだけ小さいと見付け辛いのは確かだし−色も他の砂と同じで余計に分かり辛い−、数を集めるには1日2日じゃ無理だろう。それでも星砂を集めたくなる気持ちは分からなくもない。

「こんなに分かりやすい星の形をしているものが本当にあるなんて、現実離れしてますね。」
「ああ。普通思いつかないよな。」

 これほど分かりやすい形で、文字どおり砂粒としてこの星砂があることに感心してしまう。普段の生活だと、空想の世界の産物と一笑に付されるか可哀想な目で見られるかのどれかであろう五角形の星の形をした小さな粒が、現実のものとして存在する。これだけでも此処が別世界だと思ってしまう。
 海水浴が出来る穏やかなコンドイビーチでは見られなかったものが、遊泳禁止とされるくらい潮が速い此処カイジ浜には存在するのもまた不思議なところ。人間の感覚だと逆じゃないかと思うんだが、生物にとっては人間の感覚の方が異質なのかもしれない。潮が早くて底の形状も複雑だからこそ、この造形が出来たのかもしれない。

 星砂を暫し堪能した後、砂浜を散策する。日が高くなってきたことで下からの照り返しが強くなって、靴を履いていても足元から熱が押し寄せて来る。青い空にところどころ浮かぶ雲は明らかに積乱雲。これも別世界と感じさせる要因だ。
 砂浜は北の方に長く伸びている。コンドイビーチと連結している−のは当たり前か。歩いて来た時は木が遮って見えなかったが、浜辺は木や崖に遮られることなく地続きになっていたのは、ちょっと意外に感じる。
 浜辺と海の境目をなすように、ゴツゴツした部分があるのは変わらないが、北に進むにつれてなだらかになっていくのが分かる。潮の流れの速さが長年荒いサンゴ礁を削り、コンドイビーチが出来上がったんだろうか。つまり、カイジ浜がなかったらコンドイビーチは存在しなかったかもしれない。
 遊泳禁止だからか、カメラを向けている人が多い。一見何もない場所だし、所謂「南国の海辺」のイメージとは少し違う荒っぽい地形だが、夏そのものの青い空と積乱雲、底が遠くまで見渡せる澄み切った海と白い砂浜は、明るく開放的な気分にさせてくれる。

「遊泳禁止は昨日行った川平湾もそうでしたけど、此処はグラスボートとかもないですね。」
「そう言えばそうだな。石垣市と竹富町の観光方針の違いかな。」
「そんな感じがしますね。竹富町は石垣市より観光地としての整備を絞って、あるがままを見せようとしている気がします。」

 大型旅客機も離着陸できるらしい大型空港がある石垣市と、複数の島からなって島の間や島の外との移動手段が船しかない竹富町では、観光客の受け入れ態勢にも違いが出る。ある程度土地があって水も確保出来る−ホテルは想像以上に水を大量に使う−石垣市は、大勢の観光客を受け入れて、その観光客が楽しめるようにする。
 竹富町は船で来るしかなくて、その船もフェリーのような大型船は厳しい。更に水の問題もある。元々大勢の観光客を受け入れられる体勢は取れない。決して安価とは言えない料金を払わないと来られないから、観光地としてあれこれ整備するより、今あるものを残す方向を選んだと考えられる。
 海っていうものはかなり高いハードルになるもんだと思う。継続的に物資を運搬できないし、天候に左右されやすい。真っ直ぐ進んだとしても潮の流れであらぬ方向に流されたり、座礁して船そのものが使用不能になることもある。ある程度海が落ち着いていて、船が浮かべるほどの深さがないと、岸壁にたどり着けない。
 竹富町は町名でもある竹富島の他、主だった島だけでも西表島−あのイリオモテヤマネコが居る島−、小浜島、黒島、鳩間島、新城(あらぐすく)島、そして波照間島の7つの島からなる。全て近距離にあるならまだしも、波照間島は極端に離れている。行き来するだけでも大変だ。
 観光地として観光客を来ただけ受け入れるには、どうしても設備を整えるために相応の物資や資材が必要だ。各島には埠頭があるようだが、大量のコンクリートや鉄筋や木材を積んだ船は埠頭に入れそうにない。運んだところで、それを運搬して組み立てる道路や人も十分じゃない。

「竹富町の島を全部巡るのは面白そうだな。」
「時間とお金はかかるでしょうけど、出来ると良いですね。」
「1回で全部巡ろうと思わなければ、何とかなるんじゃないか。」
「南の果てに来たと思ってましたけど、まだまだ知らない世界はあるんですね。また1つ楽しみが増えました。」

 今度来るのは何時になるか分からない。俺の仕事もそうだし、子どもが生まれたら数年は遠出できないと見た方が良い。だが、こうして晶子と夫婦で居続ければ、何時の日か離島を巡る旅が出来そうな気がする。その時は空も雲も海も、また違った顔を見せてくれるんだろうか?
 完全に夏の日差しだ。集落に戻り、遅い昼飯を済ませて散策するが、帽子と長袖、更に日焼け止めという完全装備でも刺さるような日差しを感じる。島の中央部に集中している集落は、夏と錯覚させる日差しの下、白い壁と赤い屋根を並べて静かに佇んでいる。
 起伏が多い石垣島と比べて、竹富島は全般的に平坦だ。レンタカーがなくてレンタサイクルがあるのは、坂道が厳しい自転車でも十分行動出来るこの地形もあるように思う。集落は道が狭いところが多いから、下手にスピードを出すと大惨事の恐れはある。
 石垣の存在率はかなり高い。石垣市は繁華街だとほぼ石垣はなかったが、竹富町はほぼ全ての家に石垣がある。家のみならず、畑らしい場所にも、空き地らしい場所にも周囲を石垣が囲んでいる。この石垣も白い壁と赤い屋根とセットで景観維持の対象になっているんだろうか。

「景観の保持が徹底されてますね。」
「建て替えの時とか、どうするんだろうな。いっそ今風の家にしたいとか思わないんだろうか。」
「勿論あるでしょうけど、条例とかがあって景観に沿った家にすることになるんじゃないでしょうか。」
「条例か。そういうのがないと景観の維持は無理だろうな。」

 今風の家っていうのは、オープン外溝と言うらしい駐車場から玄関までが剥き出しで、洋風の建屋のこと。俺と晶子が住む鷹田入に立つ新築は、大抵このタイプだ。今は距離が離れていてもインターネットという強力な情報源がある。いざ建て替えとなった時に、こういう家にしてみたいと思う場合はあるだろう。
 知る限り、今の法律に新築や建て替えの際に建物の形状を制限するものはない。だから、町もそのままだと周囲から明らかに浮いた雰囲気の家の存在を許してしまう。一度誰かが突破口を作ると、雪崩を打つように「自分も自分も」となってしまう。家はそう簡単に建て替えできないから、1件建つと当分そのままになって対策のしようがない。
 自治体ごとの法律と言える条例があれば、景観の保全のためとして建物の高さや形状の制限が可能だと言う。京都などはそういう条例が現にある。竹富町にもそういう条例があるんだろう。そうでないと収拾が付かないし、白い壁と赤い屋根の中に洋風建築があったら物凄い違和感を覚えるのは間違いない。

「電柱が木材なのって、珍しいですね。」
「そういえば…。確かに珍しいな。」
「これも景観維持の一環かもしれませんね。木材で電柱を作っていた時代があったってことで。」
「木材で作る方が逆にコストがかかるかもしれないし、色々気を遣ってるんだな。」

 晶子の地図にあるダイジェストを見ると、竹富町の人口は新京市の人口の数分の1。しかも、新京市はすべての町が地続きで幹線道路2本と複線の私鉄とJRがあるのに対し、竹富町は海で分断されている。景観の維持のみならず、方針の周知も大変だろう。電話やインターネットでは伝えきれない要素がある。
 この景観以外は何もない、一種の世界観は、かなり好き嫌いが明確に出ると思う。何しろ遊べる−酒を飲んだり騒いだりという意味−場所がない。伝統的な琉球地方の建物が形成する集落と、牛と草原が織りなす牧場という牧歌的な風景以外は、集落に多少の飲食店と、海水浴も可能な美しい浜辺があるくらいだ。
 浜辺にも、大音響でレゲエを鳴らす−何故海とレゲエが繋がるのかは不明−海の家が一軒もない。石垣島の海辺は南部の方にそういう欲求を若干満たせそうな場所があるが、石垣島を離れるとそれも叶わない。遊びを求めるにはあまりにも不適な場所だ。
 集落に遊べる場所もなければ海でも碌に遊べない。車で飛ばして女性やカップルを物色しようにもそもそも車自体が異質のような場所。こうなると遊びを求める人や輩にはどうにもつまらない、魅力のない場所としか映らないだろう。更に、有料の高速フェリーに載らないといけないというハードルもある。

「祐司さん。あっちの方に展望台のような場所があるみたいです。」
「展望台か。…此処からはそれらしいものは見えないな。」
「なごみの塔っていう場所です。方角はこちらで間違いないですよ。」
「そうか。行ってみるか。」

 晶子が案内する方向は東。アスファルトのない道と石垣に囲まれた家という風景は変わらないが、これまでより若干人が多い。何かありそうな気配は感じる。

「あれ…ですね。」

 晶子が指し示す方向には、やや高台になったところにポツンと立つ小さな塔。なるほど、確かに塔ではあるが、イメージよりかなりこじんまりしている。京都駅前にある京都タワーはかなり存在感を醸し出しているが、こちらは「なごみの塔」と言われないと気付かないかもしれない。
 だが、此処も有名らしく、それなりに人がいる。入れ替わり立ち替わりで展望台に上って周囲を見渡したり写真を撮ったりしている。周辺も芝生が敷かれていて、珍しく「らしい」作りだ。地形が全体的に平坦な竹富島では、あの塔はかなり高い位置になるだろう。
 此処まで来たら多少待ってでも上って見るに限る。緩やかな石段を上ってなごみの塔に近づく。塔の周辺が小高い丘のように隆起していて、その中心部に白く細い塔が聳え立っている。塔自体は割と現代的だ。周囲の小高い部分は草に包まれた石垣で、こちらは年季を感じさせる。

「塔本体とギャップがあるな。」
「あちらは最近作られたもので、本来は石垣部分が遺跡らしいです。」

 晶子が地図のダイジェストを見せてくれる。それによると、平家の落ち武者が築いた城跡とされているそうだ。平家の落ち武者って、確か壇ノ浦で滅亡した筈が、海を越えてはるばる竹富島まで流れ着いたのか?凄い伝説だな…。

「平家の落ち武者が、こんな南の果てまで来られたとすると、凄い話だな。」
「全く不可能じゃないかもしれませんよ。元寇や遣隋使、遣唐使といったものが昔からありますし。」
「それは確かに。安全は保障されないが、落ち武者ならそうは言ってられないか。」
「海を渡ればそうそう追われませんし、捕えられて処刑されるよりはずっとましでしょうから。」

 完全に信用することは出来ないが、荒唐無稽と一蹴するばかりにはいかない。平家の落ち武者伝説は各地にある。平家の首領は時の天皇と共に壇ノ浦に消えたが、源氏側も全滅を完全に確認は出来なかっただろう。壇ノ浦は嵐だったと言うし、敗北を察して逃亡を図った者が居ても不思議じゃない。
 日本が北海道から沖縄まで含むようになったのは明治時代以降。東北や九州南部は時の政府、すなわち幕府などの手が及ぶのに相応の時間がかかった。幕府を担える称号である征夷大将軍という名称はその名残の1つだし−清和源氏の系統でないと付与されなかったのもある−、時の政府も必要以上に支配下地域の拡大に手を回す余裕はなかった。
 それを反映するかのように、九州は平家の落ち武者に関する伝説が多い。壇ノ浦から落ち延びた先として、海の向こうに位置する九州は説得力がある。晶子が言うように捕えられて処刑されるより、どうせ死ぬならと海に出て流れ着いた先が沖縄や此処八重山諸島だったという可能性はゼロじゃないだろう。
 当時の船で海が渡れるかと訝る向きもあるが、それは航海の歴史を知らなさ過ぎる。古代の太平洋の島の民族は筏(いかだ)で渡航したし、晶子が挙げたように遣隋使や遣唐使、果ては元寇は海を越えて行き来した−元寇は招かざる客だが−。途中の事故を度外視すれば、航海は十分出来た。
 日本の古代史は検証が難しいと言われる。1つは古代日本に文字による記録がないこと。もう1つは島国ゆえに海を隔てた場所は時の政府の手が及ぶまで表立った記録が出て来ないこと。考古学がもっと理学と融合すれば正確な検証が可能だろうが、何故か今もあまり積極的には進んでいない。

「カメラ、私が使って良いですか?」
「それは勿論良いが、何か良い案でもあるのか?」
「はい。塔に上る前に確認しますね。」

 俺は持っていたカメラを晶子に渡す。晶子はカメラの電源を入れて何やら操作し、確認出来たのか小さく何度か頷いて電源を切る。人はそこそこ居るが、5分くらいで替わっていく。此処に来てまで順番争いや占拠をするのは野暮という不文律が自然に形成されたんだろうか。このギスギス感のなさは良い。
 暫く待っていると、俺と晶子の順番が来る。晶子を前にして塔に上る…が、物凄く階段が急だ。階段と言うより梯子と言った方が良いくらいだ。晶子に足元に注意するように言って、慎重に上る。塔はコンクリートだし、この急傾斜と高さで足を踏み外したら怪我は避けられない。
 幸い、何事もなく晶子から塔の最上部に上る。開けた視界には、屋根の赤と森の緑が複雑に絡み合った南国のコントラストが映える絶景だ。晶子はカメラを取り出し、電源を入れて構える。そして何故かゆっくりと身体の向きを変えていく。2人が何とか立てるくらいの足場の中心部を軸に、360度回転する形だ。

「何してるんだ?」
「パノラマ撮影ですよ。」

 なるほど、上る前にカメラを確認したのはこのためか。昨日動画を撮影したこともそうだが、単にカメラを向けて構えるだけの俺より使いこなしてるな。この赤と緑の風景は他にはない。高台から撮れるパノラマ写真としては格別のものになるだろう。
 こうして見ると、竹富町の起伏の少なさが良く分かる。サンゴ礁が隆起した際、何かの拍子に平らにされたかのようだ。それに、やはり今時の家は見当たらない。街並みを残すために苦心しているからこそ、統一感のある南国の町並みがこうして360度に広がっているんだろう。

「撮れました。」
「ありがとう。後の楽しみが増えたな。」

 行列と言うほどじゃないが、待っている人が居る。晶子と改めて360度のパノラマを見た後、上りの時とは逆に俺から降りる。短い時間だったが、屋根の赤と森の緑の風景はしっかり記憶に焼きつけたし、晶子がパノラマ写真を撮ってくれた。色々な形で2人の記録は残っていく。

 夜。夕飯を済ませて軽く散策して宿に戻って、改めてこれが石垣旅行最後の夜だと気付く。本当にあっという間だった。現実離れな風景の数々も、大幅に早い夏の体験も、ゆったり流れる時間も、初めて体験するものばかりで新鮮なことこの上なかった。

「何とか撮れてます。」

 茶を淹れてくれた晶子がカメラの液晶を見せる。カメラの左右のカーソルで動かしていくと、抜けるような青空と赤い屋根と濃い緑のパノラマが鮮明に写っているのが分かる。なごみの塔より高い場所は小宮栄にたくさんあるが、その何処からも見えない独特の風景だ。

「綺麗に撮れてる。大きめに現像して家の壁に張ると面白そうだな。」
「ぼうっとしてると、石垣にワープしたって思ってしまいそうですね。」

 茶を啜りながら次回を思う。石垣行きを決めたのが比較的遅い方だったのもあるが、往復の飛行機と宿代を合わせて1人10万。俺にとっては安い金額じゃない。それに、行く日程を確保しないといけない。俺は今のところかなり融通が利く方だが、今後もそうである保証はない。
 次に来る機会は何時になるか、全く分からない。だが、また来たいと思う。行動の流れで訪れることになった離島は、今回竹富島だけ。あのイリオモテヤマネコが住むという西表島をはじめ、まだ見ぬ八重山諸島の島々。何年かかけてひとめぐりしたい。晶子と…そして場合によっては、俺と晶子の子どもと一緒に。

「石垣に来て本当に良かったです。何もかもが新鮮で楽しくて…。日本なのに日本じゃない。そんな景色と雰囲気に浸りきれました。」
「飛行機を降りたら夏だった、ってところからして現実離れしてたな。風景は本当に良かった。」
「また来たいです。」
「俺もだ。金と時間は何とかやりくりしよう。何年かかっても良いんだから。」
「はい。」

 晶子と一緒にカメラの写真を順に見ていく。俺としては、晶子の珍しい衣装が見られたのが思わぬ収穫だった。とりわけ、琉球衣装と水着は本職モデルも真っ青な見栄えだった。水着は撮ってないが、琉球衣装は…あったあった。これだけ写真撮影に熱中したのは記憶にないくらい撮った。

「琉球衣装を着た時の写真ですね。」
「これは綺麗だった。」

 角度を微妙に変えて撮ったものが連続している琉球衣装姿の晶子は、本当によく映えている。外野が写真を撮っていたのも頷ける。時々良からぬ輩を寄せ付けることにもなるが、光に群る蛾みたいなものと思って、撃退するのみだ。何も力一辺倒ばかりが手段じゃないのも今回のアクシデントで確信したし。
 職員の人に映してもらった、俺と晶子が一緒に写った写真も複数ある。完全に俺は添え物状態だが、この方が晶子の美貌が際立つとさえ思う。結婚披露パーティーでもそうだったが、衣装を変えて映えるのはやっぱり女性の方だ。男性は引き立て役に徹した方が良い。俺の場合は自動的にそうなったが。

「水着を着たところも撮ってみたいですか?」
「それは…撮らなくても良いかな。琉球衣装はこういうところに来ないとまず見られないが、水着姿は晶子次第で家でも見られる。」
「それなら…。」

 晶子は徐に立ち上がり、バスルームに赴く。少しして水着を着用して出て来る。突発的な海水浴の欲求を叶えた水着はバスルームに干してある。まだ乾ききっていないかもしれないのを考えてか、晶子はバスタオルを腰に巻いている。丁度パレオのように巻き付けているのは晶子のセンスだろう。

「リクエストにお答えして、再び着てみました。」
「バスタオルの巻き方に、センスの良さが出てるな。」
「まだちょっと濡れてたので…。センスを褒めてもらえたのは嬉しいです。」

 晶子は再び俺の隣に座る。やや絞られたオレンジ色の照明の下の晶子は、美しさと艶っぽさが絶妙にブレンドされて見える。更に意識してかどうかは分からないが、俺に身体を密着させる。下着より厚めという程度の布1枚で胸の隆起の半分ほどを隠しただけの上半身は、これ以上ない魅力を漂わせている。

「水着もよく似合ってる。」
「嬉しいです。脚は仕方ないとして、上半身は祐司さんしか見てないものですよ。」
「Tシャツでも意外と透けてなかったな。」
「少し厚手のものを着たんです。透けて見られるのも出来るだけ避けたかったので。」

 俺はカメラの電源を切ってテーブルに置き、晶子の肩を抱き寄せる。柔らかさと滑らかさが腕を含む左半身に溢れかえる。晶子の上半身の大半は素肌。しかも水着の形状が形状だから、下着姿と大差ない。無防備に俺を見つめるだけの様子が、更に欲情を刺激する。
 石垣に来てからも夜は欠かさない。別世界に来たという雰囲気がむしろ愛情と欲情をかき立てる。最後の夜はゆったり、とも思っていたが、こんな扇情的なものを間近で見て抱き寄せもしたら、方針を180度転換する以外にない。

「お風呂へ連れて行ってください…。」

 何処から触ろうかと思案していたら、晶子が視線を一切ぶらさずに言う。やっぱり風呂に入ってからだな。全てを…見せてもらおう。俺は立ち上がり、晶子を抱きかかえてバスルームへ向かう。別世界での最後の夜は熱くなりそうだ…。
Chapter349へ戻る
-Return Chapter349-
Chapter351へ進む
-Go to Chapter351-
第3創作グループへ戻る
-Return Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-