謎町紀行 第133章

事なかれ主義と空虚な理想主義が生んだ都市の内戦

written by Moonstone

 ヤマ市のハイクラスホテルできっちり残り4泊して出発。シャルによる次回以降の候補地再選定は予定どおり1日で完了したけど、「せっかくだから」というシャルの意向で高原一帯を巡った。スキーやスノボはやったことがないしやる気もないから-どうも良い印象がない-、昼間は暖かく感じる済んだ空気に満ちた高原を気ままに歩いて、少し遠い場所にはシャル本体で移動して、近くのカフェで食事をするという贅沢な時間の使い方をした。
 移動はヤマインターから新オオクス自動車道で、南に向かっている。シャルが再選定した次の候補地はS県オダワカ市。移動距離は5時間とそこそこ長い。S県があと50kmまで来たところで、昼ご飯も兼ねてサタSAに入る。このSAは高原に近いところにあって、遅い春の訪れを感じることができる。レストランに入って、シャルお勧めの山菜の天ぷら盛り合わせ定食を注文する。

「えっと、オダワカ市の位置は…。」

 待ち時間に、スマートフォンのマップアプリでオダワカ市の位置を見る。大きな川が北西から南東に向かって流れていて、これが葦川。オダワカ市はこの葦川の北側に位置していて、葦川を超えると東京に入る。霞が関は勿論、Xが居ると考えられる東京都心に一気に近づくことになる。

「ヤマ市での滞在を切り上げなかったのは、ヒロキさんの休息は勿論ですが、情勢を見るためでもありました。」
「情勢?」
「このマップアプリで見てください。」

 マップアプリが別のものに切り替わる。マーカーが立っているオダワカ市の一部が赤色で、その周辺も赤に近いオレンジで塗りつぶされている。

「その地域の危険度を示すマップアプリです。ちなみに私のオリジナルです。」
「それは凄いけど、危険地帯が異常に多いね。どういうこと?」
「『異民の町』。この通称のオダワカ市は、不法移民閒の抗争で非常に危険な状況です。」
「?!」

 シャルはダイレクト通話に切り替えて説明する。オダワカ市は東京都心へのアクセスが良好で、葦川を隔てた程度の距離で東京都心より住宅が密集していなくて地価も安い-東京都心の地価が異常な高値だけど-ということで、東京都心のベッドダウンとして発展してきた。ところが近年、これらの条件が不法移民が住み着く条件として悪用されてきている。
 不法移民は老朽化や都心へのアクセスがやや不便という理由で若年層が出て行って高齢者が残った団地や、かつて工場だった廃屋などに住み着いて、「先輩」の不法移民が経営する企業で働いている。不法移民は入管-出入国管理局に収容され、強制送還される恐れと背中合わせ。だから何とかして在留許可が出る難民という「地位」を得ようと申請を繰り返すけど、殆ど申請は認可されない。不法移民、つまり在留資格がない外国人は仮放免という状態で、就労禁止、県外移動の制限、保険証はないし生活保護も受けられない。だから必然的に不法移民が特定の企業に集中する。その企業の業種は一般的に「3K」と呼ばれる業種で、賃金は他の業種より低い。
 それらの不安や不満は蓄積し、夜間の駅前やコンビニ前で飲酒しながら騒いだり喧嘩したりする。これらは良し悪しは兎も角、日本人の若者どころか中高年でも見られるものではある。だが、女子学生を追い回しナンパと称して拉致しようとしたり、無保険で改造車を乗り回して物損や人身事故を起こしたり、挙句傷害や殺人未遂の上に救急病院前に家族親戚や関係者が集結して、救急病院に押し入ろうとしたとなれば話は違ってくる。
 市役所に寄せられた多くの苦情に加えて、救急病院前の事件は一時的とはいえ、市民の最後の砦である救急受け入れ停止に至った。オダワカ市議会は、「一部外国人」と外国人全体や国籍の名指しは避けながらも、不法移民による治安の悪化や市民生活への悪影響を批判し、取り締まりを強化するよう国に求める意見書を可決した。だが、事態と治安は悪化する一方で、ついに銃器も使われ始めた。
 暴力団には暴対法があるから、小さくても事件を起こせば警察による逮捕連行や家宅捜索などが行える法的条件がある。だけど、不法移民はビザの期限切れや違法パスポートによる入国で実態が把握できない上に、不法故に違法な金銭や物品を扱い、その追跡が難しい。厄介なことに、不法移民は国籍が同じでも一枚岩じゃない。だから親族や企業を根拠にするグループに分かれて抗争を繰り返し、それが銃器を用いたものにまで悪化してきた。
 不法移民が銃器を持てば、市民にも向けられる。窃盗恐喝、暴行、強盗強姦など治安はさらに悪化している。オダワカ市とS県警と入管は取り締まりを強化しているけど、検察が不起訴を連発して、結局野放しにされる。検察は不起訴の理由を明らかにしないから、現場では検察への不満も高まっている。不起訴になった不法移民は再びグループに戻って抗争に加わる。銃声や叫び声がない日はないというくらいで、特にマップアプリで赤色表示のエリアは抗争どころか戦争地域と言える。抗争が昼間はほとんどなく、夜間に集中しているだけまだましと言わざるを得ない。

『…酷い状況だね。』
『オフの期間中に状況が改善される可能性を考えましたが、無駄でした。』
『でも、オダワカ市のそういう状況は、ちょっと見たところだとSNSで少し出ているけど、マスコミのニュースの扱いは小さいみたいだね。』
『ヘイトスピーチ規制法と人権を盾にして、左右両方の政治家や支援団体が圧力をかけているからです。』

 この国には、外国人が日本人に危害を加えたり違法行為をしても不起訴で片づけるのに、日本人が外国人の犯罪行為を批判するとヘイトスピーチやヘイトクライムとされる歪な構図がある。その原因の1つがヘイトスピーチ規制法と人権。言うまでもなく本来どちらも必要・重要なものだけど、法を制定したり人権を主張する側が二枚舌だと、それらが誰のためにあるのか分からなくなるし、守るべきものを守らずに「差別」「ヘイト」のレッテルを貼って排除する事態に陥る。
 「難民申請を認めろ」「外国人を差別するな」という外圧によって、ヘイトスピーチ規制法は制定された。だけど、大半は陸続きの欧州諸国やアメリカ-メキシコと違って、日本は周囲を海に囲まれている。海からの移動は時間的にも食事面でもほぼ不可能だから、日本に来るにはほぼ空路のみ。実際、不法移民と取りざたされる国民や民族は空路で日本に入っている。書類面はビザや違法パスポートのどちらかとして、空路の資金はどこから出ているのか、という疑問が生じるし、それだけの資金がありながら亡命ならまだしも難民と称するのは何故なのか。
 「右」の政権党やその亜流は基本的に法律を制定・運用する側だから、一度運用が始まった法律を反故にするのは難しい。法律を廃止するにも「〇〇法廃止法案」という、法律を廃止する法律を立法しないといけない。だから現場に丸投げするし、散発する所属議員の問題発言などは「個人の見解」と逃げを作る。
 「左」の野党は政権を批判する側だから、兎に角難癖をつけるために批判することが間々ある。不法移民の問題については、不法移民の人権を持ち出して、不法移民の不法性や違法行為の取り締まりを人権侵害と言い出し、批判や反対行動に「差別」のレッテルを貼る。不法移民を国民より上に置く構図だ。
 不法違法行為を犯す不法移民を現場の警察が逮捕起訴しても、検察が殆ど不起訴にする。不法移民は年数を重ねて一定程度日本語が話せる場合が多いけど、検察はまともに取り調べないのと、検察は警察同様上位下達の縦社会な上に、所詮法務省の官僚だ。出世のためには良くも悪くも問題を起こさない、短期間の異動を凌いでその間の業務をやり過ごせれば良いという官僚主義に、左右両方の政治家や支援団体の圧力や忖度を加えて不起訴にする。検察が容疑者の社会的地位や所属によって起訴不起訴どころか捜査するかどうかも変えるのは公然の秘密。法治主義が聞いて呆れる。

『うーん…。犯罪に巻き込まれないようにしないといけないね。少なくとも警察の上層部がXの支配下にあると見て良い状況だから、僕とシャルは警察に関わらない方が良い。』
『別に絡んでくるなら指や腕がなくなる覚悟を決めれば良いことです。拳銃なんて石礫(いしつぶて)にもなりません。』
『極力戦闘は避けてね。それはそれとして、シャルがこんな危険な町を候補地に選定したのは、何か重要な情報とかがあってのこと?』
『主導権を巡って争うグループが、支配者の証として須佐皇(すさすめら)神社のご神体を狙っている、という情報があるからです。』
『支配者の証…!』

 聞き覚えのある、耳障りが悪い言葉。財務省主計官の1人が将来の首相の座を狙い、出身地の母親グループの代表と不倫関係になり、そのグループを市役所にねじ込んだことで、子連れの母親を最上位に、それ以外を事実上の奴隷にする極端な条例と環境が作り出されたカノキタ市。それらの野望は頓挫して財務省主計官は諭旨免職の上に離婚され、グループ代表の母親は離婚されて無一文で放逐された。母親グループは市役所内部で居場所を失い、子連れの母親は税金を食いつぶす穀潰しとされ、最下層に転落した。  その事態に関わった時、財務省主計官は霞が関で「支配者の証」とされているものがあり、それを母親グループの代表に貸し出していた。いずれ自分が首相の座に就き、自分が構想する社会階層に基づく社会を構築した暁に、出身地を支配することになった母親グループの代表から返却してもらう、という約束で。その前に僕とシャルが事実を突き止め、シャルの逆鱗に触れた母親グループの代表は、シャルに激しく折檻された挙句、衆人環視の中で不倫と将来構想を暴露させられた。
 オダワカ市で最も外国人-クルド人グループの抗争が激しいのは、オダワカ市の中心部を構成する西オダワカ駅の東側。警察署もあるこの一帯の東に、須佐皇神社がある。この神社は特段全国的に有名でもなく、こじんまりした、地域に密着した神社だけど、何時からかそのご神体が「支配者の証」という噂が流れ始めた。
 折しも、クルド人グループの抗争が激化し始めた頃と重なるように噂は表面化した。地域住民は、地元の小さい神社の、見たこともないご神体が「支配者の証」というのは一笑に付すレベルだけど、主導権争いの只中にいるクルド人グループは、何としても獲得すべき宝。彼らにとっての大義名分が出来たことで抗争はより激化し、その一帯にある警察署が抑えられないほど悪化している。
 当然ながらグループをまともに逮捕連行できない警察への風当たりは強い。一方で、唐突に「ゴール」とされた須佐皇神社は、「当社は厄払いと夫婦円満の御神徳で地域に根を下ろして歩んできた神社であり、支配者のためにあるのではない」「地域と当社の平穏を損ない、あろうことかご神体を奪わんとする不埒な外国人集団を当社は断固として許さず、認めない」と強い調子の声明を看板とWebで発表し、クルド人グループに対抗して地域住民が武装して警戒と迎撃に乗り出し始めた。

『-今はクルド人グループと地域住民の争いになってるってこと?』
『はい。しかし、素行の悪さや自分達に合わせろと傲慢な主張さえするクルド人グループの実態がSNSなどで知れ渡り、警察がまともに対処しないことで、地域住民は自らの生活の安寧を守り、取り戻すためという明確な大義名分を得ています。警察も地域住民の事実上の自警団結成と行動に介入できない状況です。』

 外国人の無法違法をしっかり取り締まっていればまだしも、難民申請や人権を盾にした外国人を地域住民より上に置いたことで、警察は地域住民から見捨てられた格好だ。ここで地域住民の自警団活動に介入したら、たちどころに「日本の警察は日本人を取り締まって外国人を野放しにする」「どこの国の警察か」と総叩きに遭うのは確実。現状、A県での企業との癒着が発覚して手厳しい批判にさらされているところに、O県での国会議員への忖度を疑う姿勢などで警察批判は非常に厳しい。ここである意味自分達の怠慢を棚上げして治安を名目に地域住民の自警団活動に介入したら、より批判は厳しくなる。「捜査は適切に行われた」という常套句は通用しない。
 一方で事態は混沌としている。クルド人グループの数は分からないけど、三つ巴どころかバトルロワイアルと言った方が良いかもしれない。この中に突入するのは危険極まりない。物理攻撃自体はシャルが圧倒的だから、戦闘になってもシャル以外が死体の山に変わるだけだろう。だけど、不特定多数相手の戦闘は僕とシャルにデメリットが大きい 。
 地域住民と外国人には手出しできなくても、余所者の僕とシャルは絶好の逮捕連行対象になり得る。僕とシャルが抗争を扇動したという罪を擦り付けて始末しつつ、外部からの攪乱によって取り締まりが出来なかったと言い繕うことも出来る。メンツを重んじる警察としてはそうしない手はないだろう。無論、警察が敵になってもシャルが全員死体に変えることは造作もない。だけど、警察相手に戦争したら、それこそメンツを重んじる警察は総動員で僕とシャルを追う。
 様々な個人情報は、実は警察に筒抜けになっていることはホーデン社絡みの件で明らかになった。サイバー警察を標榜する公安に限らず、警察は免許証で個人の氏名と住所を常時把握している。しかも捜査名目で尾行盗聴情報収集何でも可能だ。そうなると、僕とシャルは今後ホテルに泊まったり、物資を買ったりが難しくなる。そうでなくても、潜伏や逃亡を続けながらの生活は疲弊するという。僕個人は、いくら旅をしながらの生活だと言え、潜伏中の逃亡犯のような生活は御免こうむりたいというのが正直なところだ。

『…今度はどこを拠点にする?』
『シラワ市-オダワカ市の北にあるS県の県庁所在地にホテルを確保してあります。まずはそこに向かいます。』

 シラワ市は僕も名前は知っている。シラワ新都心計画という触れ込みで、かなりの規模の自治体が合併した新市の中央部を再開発した。結果として大規模商業施設が集中する大型駅と、大規模ショッピングセンターや大規模ホールがその近隣に出来た住宅街に落ち着いた。今回のオダワカ市よりは多少距離があるけど東京都心部に電車1本で行ける利便性、駅を少し離れれば整備された住宅街が広がり、ショッピングセンターや病院、飲食店に加えて美術館や博物館、運動場も揃う良好な生活環境、東京都心に繋がる高速道路が複数走るアクセスの良さを兼ね備えていて、地価はオダワカ市より高くなるけど利便性と安心を求める一定以上の収入がある人に人気がある。

『良いホテルを確保してあります。ナビとHUDで案内しますから、安心して運転してください。』
『分かった。土地勘がないからシャルの指示が頼りだよ。』

 まずは拠点のホテルを目指そう。その先のことは、安心して足を伸ばせる環境に入ってからでも良いだろう。戦争地域に入るなんて今までなかったし、この旅を始める前は想像もしなかったけど、現に戦争状態の町があるという。日本は狭いと言うけど実は広いし、様々な問題や病巣を抱えていることが良く分かる…。
 これまた張り込んだな、というのが感想。少し道が複雑だったけど-都心部でありがちな立体構造の道路と複雑な接続のせい-、駐車場に入るとそこから先は一切天候の影響を受けない。駐車場も立体だけど自走式で、通路もこの手の駐車場にありがちな狭さじゃなくて、十分すれ違える幅員。1台分の幅も広くて、ドアの開閉で神経をすり減らすことはない。
 ロビーから高級感が漂っている。高級感はあるけど華美じゃない。チェックインの対応もスマート。そしてエレベーターで最上階まで上ってカードキーで開錠して部屋に入れば、ソファや大画面TV、広いベッドが立派なカーペットに乗っていて、ドアの向こうには広々した洗面台と浴室が控えている。照明は明るさをやや抑えて、間接照明で落ち着いた雰囲気を醸し出している。

「唯一残念なのは、この設備でダブルベッドの部屋はなかったことです。」
「1つのベッドでこんなに広いなら、十分一緒に寝られるよ。」
「大事なことですね。」

 シャルは僕の頬にキスをして微笑む。意図は…分かるか。晩御飯の時間までちょっと時間があるから、ソファで寛ぐことにする。シャルが冷蔵庫と棚から何か持ってくる。ボトルとグラス?

「この部屋専用のサービスの1つで、シャンパンが用意されるんです。」
「この後シャル本体での移動は出来なくなるけど、大丈夫?」
「現状、1日で事態が急に収束することはありません。安心してください。」

 悪い方向から良い方向に急転することは非常に少ない。ほぼないと言って良い。それは…僕自身が分かっていることでもある。なのに、どうしてもそうなることを心のどこかで期待することがなくならない。シャルと並んで座り、シャルが開けて注いでくれたシャンパンを飲むことにする。

「乾杯しましょう。」
「うん。…乾杯。」

 自己主張がやや控えめな炭酸は兎も角、この味と匂いは苺?苺味のシャンパンは初めてだ。シャルが言うには、S県の特産品の1つだという。このシャンパンだけでなく、朝食メニューも地元産の食材を優先的に使用しているらしい。ホテルはハイクラスそのものだけど、地元を重視しているんだろうか。良いことではある。

「せっかくなので、着替えてみました。」
「何時の間に…ってシャルには簡単か。」

 それこそ瞬く間に着替えたシャルの服装は、所謂パーティドレス。色はリボンと同じ紫。裾の方は割と眺めだけど、胸元が大きく開いて袖がないどころか、脇の方がウエストあたりまで開いている。物凄く大胆な服装だ。まさか、晩御飯を食べに行く時も、この服装で行くつもりじゃ…?

「そんな選択肢、あるわけないですよ。これを見られるのはヒロキさんの特権。」

 ほっとしたところでシャルが再び頬にキス。この雰囲気でこういうことをされると、僕もちょっと攻めてみたくなる。と言っても、シャルの肩を抱いて抱き寄せるくらいだけど。シャルはここぞとばかりに更に密着して、僕の肩に頭を乗せる。かつての僕が見たら目を疑う光景だ。今でも夢じゃないかと疑ってしまうことがある。

「長旅の後の寛ぎと癒しの時間は、私が保障しますよ。」
「期待してる。」

 シャンパンをゆったり飲みつつ、時々頬や唇にキスをし合う。明日から何が待ち受けているか分からないけど、今はこの夢のようなシチュエーションに浸ることにしよう。明日からは場合によっては戦争の只中に突っ込まなきゃならないかもしれない。その根本的な原因の1つはヒヒイロカネと思しきご神体。どう考えても、この世界にヒヒイロカネは相応しくない。テクノロジーの面でも倫理の面でも…。
 翌日。シャルに起こしてもらって着替えて身繕いをした後、朝食会場のレストランへ。レストランというよりパーティー会場のような雰囲気だ。若干気後れしつつも、適当に食べ物を選んで、シャルと向かい合って座る。シャルはカジュアルながらもカーディガンを羽織っていることで、清楚さと気品を強めにしている。服1着で雰囲気を変えられるのは、シャルが何を着ても様になるのが大きい。

『オダワカ市の状況ですが、陸路は事実上電車しか使えません。』
『シャル本体で入れないってこと?』
『検問が敷かれています。クルド人グループや自警団がそれぞれの勢力範囲で独自に検問を敷いています。S県のナンバーの車以外は、クルド人グループの勢力圏だと確実に襲撃されます。』
『検問じゃなくて待ち伏せ強盗…。』
『そのとおりですね。警察は検問の情報を出して、クルド人グループの勢力範囲内にある道路は使用しないよう呼び掛けていますが、さっさとクルド人グループを取り締まれという正論がSNSなどでぶつけられています。』
『戦争を極力避けるためには、シャル本体で突入するのはリスクが大きいね。シャル本体は大丈夫でも更なる混乱は避けられないし、警察がそれを口実に本格的に攻撃してくるだろうし。』
『はい。そのため、電車を使うことになりますが、これはこれで問題があります。』

 シャルはスマートフォンのマップアプリで説明する。オダワカ市は現在、警察、クルド人グループ3つ、そして須佐皇神社周辺の住民で構成される自警団の5つの勢力がある。警察は通勤通学の安全を確保するため、警察署に近い西オダワカ駅周辺を何とか抑えている。クルド人グループは多数存在するが、概ね3つのグループの何れかの傘下にある。西オダワカ駅の西側全域を抑える「赤月」、市の北側を抑える「聖戦」、市の南側を抑える「神託」。自警団は市の東側、川を挟んだ東隣のトリキ市との境界と須佐皇神社を含むエリアを抑えている。面積比では「赤月」、「聖戦」、警察、自警団、「神託」、人口比では「赤月」、「聖戦」、警察、「神託」、自警団の順で大きい。
 このうち、自警団が死守する須佐皇神社に最も近いのが「聖戦」。面積比でも人口比でも2番目の勢力で、その地理的条件から自警団との交戦が最も多い。だけど、勢力は面積比でも人口比でも最大ながら、線路で東側と隔離されている「赤月」が夜間に線路を乗り越えて攻撃してくるので、その迎撃もあって思うように自警団のエリアを攻撃できずにいる。面積比でも人口比でも最小の「神託」が漁夫の利を狙って自警団の勢力圏に乗り込むことがあるけど、警察が抑えるエリアに隣接していてこちらも思うようにいかない。
 戦況は厳しいように見える自警団は、トリキ市に繋がるエリアを抑えていることで、トリキ市経由で物資を受け取ることができる。トリキ市との境界付近は、市の南側に陣取る「神託」のエリアだけど、川が境界になっていることで物資の略奪は出来ずにいる。越境したらトリキ市の警察が乗り出してくるし、トリキ市側も「神託」に繋がる橋をすべて封鎖している。そのため、東京などから物資を受け取れる自警団は、潤沢な物資を背景に交戦を続けている。

『さらっと言ったけど、交戦ってことは、自警団も武器を持っているってこと?』
『はい。銃器を有しています。明確な銃刀法違反や凶器準備集合罪ですが、クルド人グループが銃器で武装している状況ですので、警察も手出しできない状況です。』
『完全に内戦だね…。』
『ヒヒイロカネの回収は現地に赴く必要があります。私自身は銃弾程度石礫にもなりませんし、ヒロキさんを護衛することも容易ですが、県外からの人間の侵入に過敏になっているのは自警団も同じです。現状では、地域住民相手の戦争は避けられません。』

 オダワカ市の状況は予想以上に酷い。銃器で争うなんて日本で起こるとは考えられなかったことだ。でも、銃弾が飛び交う中で、銃弾も平気なシャルが突入するのは後々の危険が大きい。銃弾も平気な若い女性となれば絶対に目につくし、警察が目をつけるのは必至。特に県外からの素性が不明な人間は、こういう状況だと確実にターゲットになる。今後のことを考えると、シャル本体での突入は避けるべきだ。
 自警団とて、状況が状況だから、県外からの人間に対する警戒心は極限に達していると見て良い。そこに地域住民の要と言える須佐皇神社に近づけば、攻撃対象になる恐れが高い。地域住民の武装もシャルにとっては子どもの玩具レベルだろうけど、地域住民との交戦は本意じゃないし、SNS全盛のこのご時世、後々悪影響が出る恐れがある。
 これまでになく侵入が困難な状況だ。警察と自衛隊が交戦していて国道が封鎖されていたイザワ村は、ハイキングコースを改修することで侵入できた。あの時は地理的な条件をクリアすれば良かったと言えるけど、今回は市街地。車が通れない道は旧市街の裏道くらいだろうけど、そういうところは家が密集していることが多い。まさか家を破壊して進入路を確保するわけにはいかないから-そうするくらいなら迷わず正面から突入する方を選ぶ-、この選択肢もない。
 それにしても、クルド人グループは兎も角、地域住民が銃器で武装していることが気になる。物資が潤沢だからといって銃器まで入ってくるのはおかしい。銃器の製造販売は日本では非常に厳しい制限がある。そうなると、地域住民に流入している銃器は違法に製造されたものと考えるのが自然。それはどこで製造されているのか。何となく、オダワカ市の状況はオダワカ市だけで閉じたものじゃないような気がする。

『市内の病院はどうなってる?銃器で日夜抗争してたら病院がないと行き詰る。』
『非常に良い質問です。市内の病院は、各グループの勢力範囲にあり、負傷者の治療に従事させられています。』

 市内には大小の病院があるけど、総合病院の機能を持つのは、「赤月」「聖戦」「神託」の勢力範囲にある。勿論本来は住民のための病院だけど、クルド人グループが跋扈して内戦状態になって久しい状況で、病院は抗争による負傷者の治療を優先させられている。住民のための病院が、クルド人グループのための病院になってしまっているわけだ。
 警察と自警団は、総合病院が勢力範囲にない。警察がクルド人グループの取り締まりや摘発に消極的なのは、負傷した際にすぐ病院に運べないのも大きい。今はパトカーで突っ切ってシラワ市の総合病院の1つに搬送しているけど、地域医療に支障を来すから-それだけ負傷者の数が多い-そもそも活動を控える方向になっている。自警団は隣のトリキ市とのルートが通じていることで、個人病院で応急処置や軽傷の治療を行い、応急処置を終えた重傷者をトリキ市の病院に負傷者を搬送している。トリキ市側も状況が状況なだけに、自警団の負傷者受け入れは割と積極的だ。

『-このほか、クルド人グループの勢力範囲では、地域住民が銃器製造や兵站支援に駆り出されています。学校は教師が悉く逃亡し、クルド人グループ専用になっています。現状、オダワカ市は自治体として機能していないと言えます。外国人差別のレッテルを恐れた警察と検察の無能ぶりと怠慢。差別と人権を錦の御旗にして地域住民の窮状より不法移民の外国人を上に置いたリベラルの空虚な理想主義。これらのツケを、地域住民が払わされている格好です。』
『無茶苦茶だね…。どこから入ろうとしても戦争地域に入らざるを得ないってことは分かったけど。』
『どうしますか?SMSAに支援を要請することも出来ます。』

 SMSAの支援は強力だけど、どうやらこの世界にいられる時間には制限があるらしい。一方でオダワカ市の人口は約60万という。SMSAの支援にも限界がある。内戦状況が収束してから踏み込むのが無難だけど、その見通しは全くない。現在はそれこそ、シャル本体で強行突入して、妨害を無差別に蹴散らすしかないと言える。

『…シャル。幾つか頼みたいことがあるんだけど。』
『何なりと。』