謎町紀行 第114章

村が蟲毒たる理由(前編)

written by Moonstone

 翌朝。夜討ち朝駆けがあるかと思ってあまり寝られなかった。シャルが作った朝ご飯を食べて目を覚ます。この旅に出て朝ご飯はホテルのビュッフェ形式が格段に多くなったけど、ご飯と味噌汁をベースにした定番の朝ご飯は、何だか落ち着く。旅に出る前はこういう朝ご飯は無理だったな。

『集落ごとの緊急集会の理由が判明しました。ヒロキさんと私を最大限警戒し、戦闘態勢を取り続けろ、というものです。』

 朝ご飯を食べ終えて茶を飲んで一息ついたところで、シャルが重大なことを言う。やっぱりというべきか。
 シャルの説明を聞く。雪中行軍で余程の理由-宿直とか寝たきりとか乳児とか-以外は全員参加という深夜の集落単位の集会は、異様な雰囲気が漂っていた。大画面TVには中継で村役場の村長室が映し出され、村長の登場と同時に全員が恭しく頭を下げた。一糸乱れぬ挙動はどこぞの専制国家そのものだった。
 そして椅子に座ってふんぞり返った村長の状況説明という名の演説が始まった。平和な村にかつてない危機が迫っている。村を支える青年団の2人が、低体温症と凍傷で村外の総合病院にヘリコプターで搬送された。2人は最近村に入った余所者2人の追跡と、七輪神社の警護をしていたところを襲われたものと見られる。
 2人は意識こそあるものの余所者2人を追跡した日の朝からの記憶が全くなく、何があったか分からない。だが、余所者が村の聖域である七輪神社に不用意に近づくのを防止する重要な任務を担う青年団の2人が余所者2人に何かされたのは間違いない。余所者2人は、中肉中背の男と金髪の若い女。日々農作業や村の集落維持に勤しむ青年団と比べて体力腕力共に劣る筈。にもかかわらずやられてしまった。ただものではない。
 余所者2人は、わが村を侵略しようとしている。平穏な共同体を破壊し、我々の生活を蹂躙しようとしている。村の人間は団結して余所者に対峙し、2000年続く余所者の侵略から村を守らなければならない。-こんな村長の演説が続き、村人はひれ伏したまま感涙していた。

『狂ってるというか…。』
『狂っていると言えばそのとおりです。問題は、ただ独裁村長にひれ伏しているわけではないということです。』
『どういうこと?』
『理由は2つあります。村長は演説の最後にこう言いました。אל תפחד. אלוהים בא לבחון אתכם ולהעמיד את פחדו לנגד עיניכם כדי שלא תחטאו.』
『え?え?』
『日本語に訳すとこうなります。「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである。」』
『な、何かの宗教?』
『村がカルト宗教染みているのは事実ですが、この一節の出典は出エジプト記20。旧約聖書の一部と言う方が分かりやすいでしょうか。そして、それが原語であるヘブライ語で語られたという事実。』
『!!』

 唐突にこの辺境の過疎の村にヒヒイロカネに繋がる重大な痕跡が浮上した。ヘブライ語は天鵬上人こと手配犯の1人が唐に渡った際に習得したと見られる言語の1つで、史実とは異なるルートでヒラマサ島を経由した際、銀狼が話せるようにした言語でもある。そして今度は更に踏み込んだ感がある。旧約聖書の一節がヘブライ語で語られたという事実は、歴史を根底から覆す言語学的証拠になり得る。

『村人は、全員ヘブライ語を理解できるってこと?』
『それが奇妙な話で、村に伝わる団結と勝利を祈願するまじないという認識です。』
『意味も分からずに聞いて、涙まで流しているのか。』
『恐らく祈願する当事者すらも理解できない文体の祈祷やまじないをすることは、珍しくありません。それこそ神社の宮司が行う祈祷で詠まれる祝詞もそういう類です。』

 確かに、僕とシャルが何度か受けた祈祷でも祝詞が詠まれたけど、何やら意味不明な言葉の羅列があった。祝詞は実際のところ、古代では意味があったものだけど、口伝のみで伝えられる上に頑強な秘密主義によって、意味が忘れられて言葉の羅列だけ残ったと言われている。
 村長が演説の最後に言った一節は、ヘブライ語での記述を知っていれば旧約聖書の出エジプト記の一節だと分かるけど、それを知らないと何が何だか分からない。村長や区長など一部権力者にのみ口伝で伝えられるとか、発音をカタカナかひらがなで並べた文字列を暗記するような伝承が続いたことで、本来の出所や意味が分からなくなって、ただ「団結と勝利を祈願するまじない」とだけ伝わっていると考えられる。

『そういえば、もう1つの理由って何?』
『流石の記憶力ですね。もう1つの理由は、村の人間の生体反応が不審な挙動を呈していることです。』
『どういう反応?』
『端的に言えば、異様な興奮状態と安定状態が共存あるいは混在している状態です。』

 ど、どういうこと?極めて平静な心理があって、まじないを聞いて興奮しているってこと?何にせよ、村全体が異様な状況だと見て良いのは間違いない。深夜に全員が集会所に集結して、村長の狂った演説をひれ伏して感涙する時点で異様としか言いようがない。閉鎖的・前時代的な村社会を舞台にした創作作品は数多いけど、この村はその上を行く。
 村と対峙することになっても勝負は既に決している。シャルがその気になれば、村人全員が雪を鮮血で染めることになる。それよりも、団結と勝利を祈願するまじないという形ではあるけど、ヘブライ語で旧約聖書の一節がそのまま伝わっていることの謎を解くことに専念したいところだ。
 ヒラマサ島は史実と異なる天鵬上人の帰国ルートの経路だった事実が明らかになったけど、オオクス地方と天鵬上人の関係性は、史実では存在しない。だけど、「空白の7年間」に加えて、史実と異なるルートで相当早期に帰国したと見られることから、どこかに天鵬上人の痕跡が残されている可能性がある。
 今なお雪深いオオクス地方。しかも御多分に漏れず山が多いから、全域を回るのは至難の業だ。車、しかも超高性能なシャル本体でも全域を回るには相当な時間を要するだろう。だけど、天鵬上人の時代から存在するランドマークである寺社仏閣を中心に廻れば、何かしらの手掛かりが得られる可能性はある。実際、此処オオジン村でも、社務所が境内にないごく小さな神社の七輪神社に、ヒヒイロカネに繋がるかもしれない物証が存在している。

『Web管理者の容体が回復したら、早々に村を出た方が良いね。わざわざ戦争して内外に情報が出ると、余計な追手が出て来る恐れがあるし、本筋から逸脱しかねない。』
『追手が増えても構いませんが、本筋から逸脱するのは良くありませんね。Web管理者の容体は非常に安定していて、明日には十分動けるようになります。』
『地下牢から安全に脱出させられる?』
『まったく問題ありません。地下牢と神社の無事は考慮しないという前提ですが。』
『地下牢はどうでも良いけど、神社はちょっと…。でも、仕方ないか。』
『遷宮で建て直すのが前提ですから、一度や二度吹き飛ばしても問題ありませんよ。何しろ、宮司が村役場の職員でもあって、拉致した女性を地下牢に監禁する担当者でもありますから。』
『!』

 例の線粘弾の2人との対峙の後、朱印をもらいに宮司がいる社務所に行ったけど、そこにいた宮司が村役場の職員でもあったなら、僕とシャルを追って青年団の2人が境内に入っていったことも当然把握していただろうし、その青年団2人が戻らずに僕とシャルが訪れたことを不審に思っただろう。村社会の異常なまでの情報網は、人がいないようでいることや、思いがけない形でまったく関りがない人がいたりするところが原因なんだろう。

『…今、村人はどうしてる?』
『手隙の青年団がこの施設がある集落-カミオオジン地区に集結してきていますが、それ以外は通常の生活です。もっとも、この雪と全国一の高齢化率で、外出できるのは職があるか通学している65歳以下ですから、全体の半数未満です。』
『この施設を包囲して戦争に突入しようというつもりは、今のところないってことか。』
『青年団がこぞってシャベルを持っています。雪中行軍を兼ねているんでしょうけど、いざとなったら武器になります。』
『臨戦態勢ではあるんだね。』
『集結している青年団は100人足らず。武器はシャベルのみ。これで私に挑もうというなら、まとめてシャベルが卒塔婆になるだけです。』

 村を上げてというレベルじゃないけど、僕とシャルの2人と戦争をする態勢は着々と整えられつつある。だけど、シャルが相手だと村の全滅しか結末の選択肢がない。シャルの言うとおり、持っているシャベルが卒塔婆になる。青年団の2人が記憶をなくすレベルの返り討ちを食らったなら、喧嘩を売るのが危険だと想像できそうなものだけど。
 …でも、「お上」に絶対服従、村のために人はあるという感覚でも、最も戦闘力が高いと見られる青年団2人が得体のしれない相手に返り討ちを食らったことに、多少なりとも動揺するものじゃないか?なのに村長のある意味「村のために命を捧げろ」という演説に疑問を感じないんだろうか?これが悪い意味の田舎を凝縮した村で一生を過ごす者のなれの果てなのか?
 何だか違和感というか疑問がある。シャルが言う「表面上は異常な興奮状態なのに、内心は極めて冷静」というのも奇妙だ。逆ならまだ分かる。得体のしれない侵略者に最悪殺されるかもしれないという恐怖や絶望を、他の村人や区長、村長の前で必至に隠そうと表面上冷静を装うことは考えられる。だけど、内心冷静というのはかなり奇妙に映る。
 この村、何かおかしい。おかしいのは元からだと言われればそのとおりだけど、それ以上に妙だ。戦闘になってもシャルが負けることはないだろうけど、それだけじゃ終わらない気がする。この村…人攫い以外に何か別の企てが隠されているような気がする。「気がする」ばかりだけど、偏狂な思考に染まった辺境の村の戦闘態勢というだけじゃなさそうだ。少なくとも村長は何かを企んでいると思う。何と言うか…。

僕とシャルと、村人との戦闘で何かを試そうとしているような。

『生体反応が奇妙なので無作為抽出で解析してみましたが、誰からもヒヒイロカネのスペクトルは検出されませんでした。以前のように、微量のヒヒイロカネを埋め込まれて精神が高揚しているようなことはありません。』
『宗教染みた村長の演説に感動したような様子を見せるように、ある意味洗脳されているのかな。』
『その確率が高いです。粛清を避けて独裁者の演説に一様に感動を示すように洗脳あるいは訓練されるのは、古今東西よくある話です。』

 内心は冷めきっていても、周囲の目、そして高らかに犠牲になるよう唱える独裁者の目に止まり、粛清されるのを避けるため、感動を装っているとなれば筋は通る。それだけじゃないような気がするけど…、僕の思い過ごしならそれで良い。

『Web管理者が回復するまでこの部屋に籠る?』
『Web管理者は明日には十分動けるようになる見通しですし、食料は十分あるので、此処に滞在するのが良いですね。』
『食料が少し気になっていたけど、今日1日分あるなら大丈夫だね。1食くらい抜いても良いし。』

 部屋の中にいると耐えられないほどの空腹には至らないし、何より外に出ると青年団を中心とする村人との戦闘の危険が高まる。村人が持っているシャベルが卒塔婆になるだけだけど、戦争はしないに越したことはない。戦争して喜ぶのは自分が戦争に行かない権力者や軍需産業だから…!

『シャル。村長の背後関係、特に村の外の業者や議員との関係を調べることって出来る?』
『勿論です。突然どうしたんですか?』
『村長がまじないの文言を出してまで村人を戦争に動員するのは、村人も知らない理由があるんじゃないか、って思って。』

『調査が完了しました。』

 2時間後、シャルが調査結果をTV画面に表示する。隣のA市選出の県議とその経営企業、関連企業が並ぶ。村の企業は何1つないのが、オオジン村の状況を如実に示している。企業ぐるみの選挙の是非はともかく、村に企業がないから村の外の企業と繋がるしかないわけだ。
 村長と繋がりがある企業の主な業務内容を見る。農産物や水産物の加工・販売か老人ホーム経営のどちらかで。工業製品の製造企業はまったくない。工業製品の製造業は、農水産物より製造量や品質が安定している一方で、広大な土地と大量の水、そして原材料や製品の輸送に必要な幹線道路や貨物鉄道が必要だ。この村には土地こそあるけど水は生活用水以上の量を用意できない。幹線道路や貨物鉄道は言わずもがな。誘致しようにもできないだろう。

『村長の選挙を金銭的に支援しているのは間違いありませんが、他であるような人的支援はなされていません。距離があるのと、流血沙汰も当たり前な選挙にわざわざ首を突っ込んで巻き添えを食らいたくないのが理由と見られます。』
『それらは至極もっともな理由だけど、村人を戦争に動員するには弱いな。…村長の対立候補の背後関係は調べられる?』
『そう頼まれると思って、同時に調査しました。』

 画面が切り替わる。村長の対立候補もやはり村の外の企業と繋がりがある。だけど、こちらも農水産物の加工・販売か老人ホーム経営のどちらか。しかも一部は村長と繋がりがある企業と取引があったり、同一企業があったりする。A市の企業の代理戦争という線もあったけど、今回はその線はないと見て良さそうだ。

『企業間の代理戦争ではなく、どちらに転んでも企業に不利益がない状況と見ることが出来ます。』

 代理戦争だとすると、対立候補が勝利したら次回選挙までは冷や飯を食わされることになる。選挙の間、本来の業務以外のことに金も人も-今回はそれはないようだけど-時間も取られるから多少なりとも疲弊する。それなら適当に付き合って、戦争はオオジン村で代わりにさせる方が得だと考えるだろう。
 代理戦争なんて国家間から企業間、果ては自治体の選挙まで枚挙に暇がない。戦争の当事者は色々な大義名分やメンツで必死になって疲弊もするけど、代理させる側は何も懐は痛まないどころか儲けになることも珍しくない。知らぬは本人ばかりってことはよくあるけど、村にとってはどうなのか。

『…対立候補も、今回の戦争準備に参加してる?』
『勿論です。村長でなければ田舎農協の一幹部でしかありません。』
『農協の幹部まで動員されているってことか。どういう心境なんだろう。』
『そんなことを冷静に考えられる程度の知能があるなら、この戦争に参加しないで村そのものに見切りをつけて脱出するでしょう。それが出来ないのは、知能が足りないのもありますし、先祖代々の土地とやらに自らを縛り付けているからです。』

 面従腹背で反抗の機会を窺っていると思ったけど、ある意味期待外れだったようだ。対立候補と言っても同じ村の人間。しかも根っこは繋がっている企業支援を受けているから、同じ穴の狢というやつか。どちらから戦争を仕掛けるか、何時戦争が始まるかという段階に来ている。
 シャルから戦争を仕掛けることはないと言って良い。シャルは僕か自分が攻撃されない限り「それ以外」が何をしようが、極端な話生きようが死のうがどうでも良いというスタンスだ。でも、一度攻撃を仕掛けられたら徹底的に反撃する。それは最低でも相手が戦闘不能、行動不能になるレベルまで追い込む。その結果手や足がもげようが知ったことじゃない。「それ以外」が生きようが死のうがどうでも良いというスタンスは徹底していると言える。
 緊迫の度合いは着実に高まっている。村長が号令を出すか。区長あたりが号令を出すか。それが村の破滅を宣言するラッパの音になる。手に持つシャベルが卒塔婆になるのは出来ることなら見たくないけど、村長が思いとどまるか、区長辺りが諫言するかする確率は非常に低いと言わざるを得ない。

『…あれ?』

 色々思案しながら見ていたTV画面に映るある企業名が、ふと目に入る。この企業の名前、何処かで見た覚えがある…!

『シャル。この新創命産業株式会社って会社の経歴や企業間取引を調べてくれない?』
『それは勿論可能ですが、どうしたんですか?』
『この企業、僕の思い違いじゃなければ…、ヒヒイロカネと繋がりがある。』
『!』