雨上がりの午後

Chapter 346 石垣への夫婦旅行(2日目:後編)

written by Moonstone

 暫く浜辺を歩いて、偶然発見した食堂で食事を済ませて北上を再開。車を動かす前にナビと地図で道路を確認したところ、このまま県道206号線を北上していくと島の北端近くまで移動できるようだ。石垣島は結構縦に細長い、ギターみたいな形をしている。そのフレットに相当する部分を進むわけだ。
 再開、と思いきや割と直ぐ停止。左手の方向に、ガードレールと原生林越しではあるが海が見えるようになったからだ。

「この辺から、海と道の距離が近くなるみたいですよ。」
「高低差が少ないところを走るみたいだな。」
「ええ。もう少し走ると、最初の売店で教えてもらった場所ですね。」

 最初に立ち寄った売店からは随分走って来た。前回の運転より距離は増えているし、空白期間が年単位である。それでもナビを途中で見たりできるくらい余裕を持って運転できるのは不思議なもんだ。「身体で覚える」というがその典型例かもしれない。
 左手に海を見ながら車を走らせ、ギターで言うとヘッド(註:言を捲きつけるペグという部分が並ぶギターの先端部分)の辺りに相当する、石垣島最北のエリアに入る。海が左手の方向に見える時間が増えて来た。信号が全くない、標識と言えば行先表示くらいの閑散とした道路を北へ北へと走り続ける。

「海が近くなってきましたね!」

 左手の方向から前方全体に広がって来た海に、晶子は珍しくはしゃぐ。普段見ることのない、空とは違う青を見ると何だか心が弾む。俺も晶子も元々は内陸部の出だし、海に来るのは夏の限られた時だけ。日常から遠く離れた場所で見る海だから、感動が倍増しているんだろうか。

「普段は、外を歩いていて海が見えるってことはないよな。」
「そうですよねー。家が殆どでたまにお店ですから。」
「目標地点までもう暫く我慢してくれ。」
「します!待ち切れないですけど!」

 迂闊に停まったりしたら、ドアから飛び出していきそうな勢いだ。これだけはしゃぐ晶子は本当に珍しい。めぐみちゃんを彷彿とさせるのは、それだけシンクロする部分が多いってことだろうな。海を見て目を輝かせている横顔は、めぐみちゃんそのものだ。
 最寄りの集落に入る。兎に角道が狭い。すれ違いは相当難しいか不可能かという道ばかりだ。標識は1つもないが、その分いきなり人が物陰から飛び出してきたりする恐れがある。安全運転・徐行が唯一の策だ。

「最寄りの道路脇に停めるか。」
「それが良さそうですね。今までの傾向からして駐車場が整備されているとは思えないです。」

 こういう時は至極冷静になる晶子の言うとおり、前に降り立った浜辺−明石ビーチというらしい−と同様、駐車場をはじめとする設備は整備されていないと見るのが無難だ。道路脇、邪魔にならないところに車を停めるしかない。それにしても、本当に道が狭いな…。
 目標地点にほど近い道路脇、地肌が露わな場所に車を止める。これだけ寄せておけば車は十分通れる。入り組んだ道路の運転はなかなかハードだ。教習所のクラックの運転を思い出すが、周囲が見渡せる分教習所の方がずっと楽だ。

「お疲れ様です。これ、飲んでください。」

 晶子が後部座席の袋からペットボトルを差し出す。明石ビーチ近くの売店で買った飲み物だ。目標地点が間近だから我先に飛び出していくかと思いきや、こういうところはしっかり弁えているのが晶子ならではだ。

「ああ、ありがとう。行こうか。」
「はいっ!」

 ペットボトルを半分近く飲み干して喉を潤した俺は、晶子の手を取って目標地点に向かう。…ん?柵がある。「営業は終了しました」とある。営業ってことは入場料とかが要るのか?

「自由に入れる場所じゃないみたいですね。」
「そうらしいな。それなら、先を目指すか。」
「そうしましょう。」

 最初に立ち寄った売店で教わったのは、此処ともう1か所、絶景の場所があると言うこと。俺と晶子が島を1周して星が良く見える場所を探していると言ったら、店主が教えてくれたことだ。流石に料金が要るらしいことまでは教えてくれなかったが、知らなかったと見るべきだろう。他の地域のことは知らないというのは、新京市でもあることだ。
 此処から更に北上すると、県道206号線は終点に達し、島の最北端に近づく。それに、まだ回っていないところもある。行けるかどうか分からないところに固執するより、行けるところにどんどん行くに限る。時間は十分あるが無限じゃない。
 再び県道206号線を北上。この県道206号線は島を一周するんじゃなく、島の北端で終点を迎える。日頃国道や県道に接する機会は買い物くらいだが、どこに終点があるのか考えたことはない。そもそも道路に終点があると言う概念があったかも疑問だ。
 石垣島に来て地図と睨めっこしながら移動を続け、1つの県道が終点を迎える場所に行きつくことが分かった。島巡りの目的の1つに加えない理由はない。このまま北上を続ければもう1つの絶景ポイントにも行けるし、県道が終点を迎えるのはその延長線上のことだ。
 県道206号線は、時折緩やかにカーブする程度で運転しやすい。県道が特に中部から北部を南部と繋ぐためのパイプだと考えれば納得がいく。物資や人の輸送をしやすくするための道路が蛇行していたら事故が起こりやすくなる。でも、車が少ないのは良いのか悪いのか微妙なところだ。
 学校が見えて来る。校舎は民家と同じく平屋建てだが、体育館らしい大きな建物はしっかりしている。それより目を引くのはグラウンド。ほぼ全面芝生のようだ。グラウンドと言えば土という概念しかなかったから、綺麗さも相俟って羨ましくも思う。

「芝生のグラウンドって良いですね。」
「手入れが大変だろうけど、転んでも怪我をし難いらしいし、座ったり寝転んだりが出来るから良いな。」

 芝の面倒なところは年に何度か刈る必要があること。そうしないとただの草むらと変わらない。その手間の出所は分からないが、土のグラウンドより見栄えも使い勝手も良い。むしろ、生徒数が多い新京市や小宮栄のような地域でも芝のグラウンドを導入すべきだと思う。財政規模も大きいんだし。
 晶子経由で店の話を聞くと、子どもが小中の母親の中に今のままで良いのかと思う少数派が居る。新京市が学区ロンダリングをしてでも子どもをより良い−この「良い」は難関大学に行ける確率が高い進学校に行きやすい観点での「良い」−高校に行かせようと躍起になる地域柄なのもあって、親も常時高熱を出している。
 親と言うが、子どもの進学や就職を煽る高熱を出しやすいのは大抵母親だ。「子どものため」とは言うが、実際は「自分のため」。特に専業主婦ほどこの傾向は強い。有名企業で働く夫と良い学校に行き良い企業に就職する子どもに自分の生き甲斐を見出す、否、それらをステータスに感じているからだ。
 店に来る主婦も大半はそのクチ。基本的に昼休みの時間が限られている勤め人だと、ランチに来てもそれほど長居は出来ない。昼の部が終わる時間まで喋り続けられる主婦の会話は、夫の職業と稼ぎと子どもの進学先、それに加えてその場に居ない主婦か姑の悪口。これも定番と言えば定番だ。
 そんなグループから外れて、時々来る主婦が若干名存在する。子どもは学校に加えて塾にも通い、その上部活で休む暇がない。夫も長時間労働が当たり前で過労が心配。何か出来ることはないかと悩んでいる。最も手っ取り早いのは自分も働くことだと思うが、晶子の立場で言うのは憚られる。
 偶に、Iターンとかで地方に移住する話がある。表に出るのは際立った成功例か偶に失敗だから過信は禁物だが、動機で「あくせくした都会よりのんびりした地方でのびのび子どもを育てたい」が多いことは考えさせられる。良い学校・良い会社で馬車馬のように勉強し、働くことに疑問を持つ人は一定数存在する。
 さっき見た学校の芝のグラウンドや、生徒数が少ない故の少人数学級など、地方ならではのメリットはある。人が少ない故に交流が密になり過ぎる、交流から外れる人を排除するといった負の面も直視して改善しないといけないが、常に競争し続けることと別の道があって良い筈だし、その回答の1つが地方への移住だと思う。
 そこから暫く原生林と畑が両側に並ぶ景色が続く。緩やかに右に左にカーブする道をひたすら走る。しかも車はまったく追ってこないしすれ違いもしない。別の世界に行けるんじゃないかと子どもみたいなことを思ってしまったりする。

「何処までも続いて行くみたいですね。」
「別の世界に繋がっていたら面白いな。勿論、今より住みやすい世界限定で。」

 原生林か畑が両側に並び、遠くに小高い山が見えるだけの道路は、何処までも続くような錯覚を覚えさせる。小さい頃、まだ世界が自分で歩いて行けるくらいのごく狭い範囲だった頃、近くに走る幹線道路の先を思い浮かべたな。今見える世界の先にある世界への憧れは、誰しも抱くものなんだろうか。
 景色は大きな変化がない状態が続く。だが、晶子は退屈そうにすることも寝ることもなく、地図を見て景色を見ることを繰り返す。そして、時折見える海と浜辺にテンションを急上昇させる。道を調べることと、滅多に見ることがない海を見て楽しんでいる。海が近い人には分からない感覚だろう。
 歩道がなくなり、両側に森が多くなる。更に進むと一気に視界が開けて広大な畑が両側に広がる。畑の中央を県道が真っ直ぐ貫いている。遠近感のダイナミクスがもの凄い。こんな風景は新京市ではお目にかかれない。

「本当に広いですね。」
「島だからって舐めてかかってたと思う。広いの一言だ。車がないと到底生活できそうにないな。」

 田舎ほど交通機関が貧弱だから、車が唯一の移動手段かつ生活の一部になる。新京市も路線沿い以外はバスが基本だが、その路線も中心部と大学回りに集中している。だから新京市も車が多い方だ。土日の大型ショッピングセンターの駐車場で車がひしめき合うわけだ。
 石垣は電車が1本もないし、バスはあるようだが本数は期待できない。となると、どうしても車を使うしかない。集落単位の自給自足と相互扶助で生きられる時代はとうに終わっている。観光客を見越して市街地から離れた場所に宿や飲食店を作ったら、当然観光客は車で来るだろうし、仕入れは車を使って運んだりしないといけない。
 国道390号線からこの県道206号線は、まさに石垣島の生活の大動脈だ。あるかどうかは分からないが、台風とかで通行止めになると大変なことになるだろう。道路を維持するにも資材や重機の運搬もそう簡単にはいかないだろう。離島の生活を支えるのはたくさんの労力と時間だと感じる。
 少し坂を登ると、一旦現れた森が再び開けて正面に海が見えて来る。どうやら島の北端、すなわち県道206号線の終点近くに来たようだ。

「此処からでも海の色が違うのが分かりますね。」
「元がサンゴ礁だからか?浅い部分が割と遠くまであるんだな。」
「こんな遠くからでも海が見えるなんて、予想もしてなかったです。」
「もう直ぐ第2の絶景ポイントだからな。」
「楽しみです。」

 県道206号線から一旦逸れて、第2の絶景ポイント目指して車を走らせる。海が次第に近づいて来る。色の違いがより鮮明に見えてくる。晶子はそわそわしながら前と横を交互に見る。楽しみでしかたないのが良く分かる。
 中央の線がない、およそ片側1車線と推測できる程度の道路は、次第に傾斜が明瞭になって来る。道の両側は起伏や高低差はあるが一面の草原。ナビを見るとどうやら牧場らしい。確か昨日の夕飯で石垣牛なる牛肉も食べたが、こういうところで飼育されてるんだろうか。
 道の片側、下り方向は急斜面の草原に、今走っている上り方向は少しの路肩を挟んでこれまた急斜面。こちらは下る方の斜面だから、万一踏み外したら大変なことになる。ガードレールがないからやや中央寄りで走る。対向車がないのが救いだ。
 暫くすると、錆が目立つガードレールが上り方向の道の縁に付く。緩やかにカーブしながら道は傾斜を伴いながら延びていく。ふと対向車線の方を見ると、電柱が道沿いに立っていることに気づく。終点に営業所とかあるんだろうか?

「あの辺で止めれば良いみたいですね。」
「そうらしいな。」

 ナビで表示される道路があと僅かとなった辺りで、左手の方向に広場が見えて来る。そこには車が2,3台止まっている。警備員も居ないし標識や看板もないが、他の人の邪魔にならなければ止めて良いという程度の緩やかなルールの場所だろう。小宮栄とかだと考えられない緩さだ。
 左折して広場に入り、空いていて他の車の出入りの邪魔にならないような場所に車を止める。出る時困らないようにバックで駐車するのはお約束か。だが、此処ではオーバーランすると斜面に乗り上げるか崖下へ真っ逆さま。教習所よりずっとハードだ。田舎で暮らすには車の運転技術は必須かもしれない。
 念のため、先に晶子に降りてもらって様子を見てもらうことにする。一応、バック時はナビがモニターにはなるが過信は出来ない。バックミラーとドアミラーと目視で確認しながら、ハンドルを注意深く操作して…。よし、これで良いだろう。

「お疲れさまでした。きちんと止められてますよ。」
「やっぱりバックで駐車は難しい。さ、行こうか。」
「はい!」

 晶子は俺が差し出した、否、差し出そうとした手を両手で取って歩き始める。俺はドアロックをもう一度してから目的の場所に向かう。此処からは坂道を歩いて行くのみ。とは言え、大した距離じゃない。ものの数分で十分歩けそうだ。
 坂道を登っていくと、左側に車が何台か並んでいる。どれもレンタカーだ。やっぱりガードレールはない。更に上っていくと、開けた場所に出る。車が周囲に沿うように何台か停まっていて、建物が沖縄らしいトイレと自販機、そして車の出店がある。奥の方に柵があって、その向こうに海が見える。

「海があっちの方にも見えますよ。」

 晶子が俺の手を引っ張って歩いて来た方を指さす。視界の下の方にかなり海が現れている。上って来た道を見ると、此処が結構高い位置にあることが分かる。此処でもなかなか見晴らしは良いが、教えてもらった絶景ポイントは此処から更に先に行ったところらしい。

「普段じゃ絶対あり得ない光景だな。」
「海の色がこんなによく分かって、しかも此処からでも透き通ってるのが分かるんですから、凄いですよね。」
「絶景ポイントに行く前に、もう少し此処を見ておこうか。」
「はい。あっちの方も見てみたいです。」

 半ば晶子に引っ張られるように柵のある方へ向かう。車が5台止まっているが、どれも小型車なのもあって十分間を抜けられる。柵から見える海は、石垣島がサンゴ礁であることが明瞭に示される、2つの色に分かれたコバルトブルーの光景だ。水平線が空と海を分けるのがくっきり見える。

「これまた凄いな…。」
「水平線が見えるって、何だかそれだけでも気持ち良いです。」

 海が見えると水平線が見えるというのは、これまで経験があるようでない。海水浴場は人がいるからそこまで見えない。海水浴場に見晴らしを期待するのは間違いだろうが、それなりに来ている筈の海で、これだけ見えるものが違うのか。

「海の色が明るいところに見える凸凹は、元々サンゴだったところか?」
「多分そうですね。何処にあるかがきちんと見えるのが凄いですね。」
「遠いとはいえ、海自体は繋がってるのに、こんなに違うとはな…。」
「海の汚れが局所的なのか、まだ此処まで及んでいないのか、難しいところですね。」

 同じ海でも、片や泥水のような色。片や海の底に何があるかまで見える透明さ。同じ日本でもこれだけ違う。気候も全く違う。この違いをどれだけ守れるか、守るか、1人1人が考えていかないといけないことだろう。
 ふと左手の方を見ると、木の柵を伴いながら坂道が伸びている。あれが絶景ポイントへの道か。左右を草に覆われた崖に一部塞がれたようなこの場所でもこんな良い眺めだから、更に高いところ、他の景色が目に入らないところに行けば、まさに絶景が拝める筈だ。
 ひとしきり景色を眺めた後、俺は晶子の手を引いて脇の坂道を登る。崖との境目を形成する木の柵が、散歩道の雰囲気を醸し出している。この道は車が入れないように、入り口に車止めのようなものがあった。この道ですれ違うのは、偶に広くなっているところを使わないと不可能だろう。

「凄ーい!」
「絶景だな。」

 一直線の坂道を登り切ると、視界から全ての障壁がなくなる。右手の方には、岩場も含めて草むらに覆われた未開の地と、遠方に集落らしいものがおぼろげに見える。左手には剥き出しの岩場と、海へ続く草に覆われた急斜面。そして正面には、少し下がったところに灯台がある。ただこれだけの風景。
 だからこそ、空と海が遮られることなく180度のパノラマを成している。色の異なる青が接するところに出来る1本の線。それを境に空と海が分かれる。上の青、空は下へ行くほど白くなり、上に行くほど青くなる。小さい綿雲が点在する程度の空は澄みきっている。
 下の青、海は、遠くは深く、近くは明るい。ある地点がもう1つの境界となって、凸凹が明るい青の下に見える。境界の辺りで波が変わるのか、白くなっている。この石垣島がサンゴ礁だとよく分かる地形だ。何万年という気の遠くなる時間スケールで形作られた地球の長い息吹の1つが此処にある。

「こんなところまで来たんですねー。風が気持ち良いです。」
「風があまり強くなくて良いな。」
「海辺の風ってもっとベタベタする印象があったんですけど、爽やかですよね。」

 晶子は風に煽られた反動で前に溜まった髪をかき上げる。昼を過ぎた太陽が、俺から見て左側、晶子の向こう側を上の方から照らす。頻繁に舞い上がる髪が太陽に照らされ、小さなプリズムのように様々な色に煌めく。日頃の手入れの賜物だ。
 同じように此処が絶景スポットだと聞き及んだのか、予め調べて来たのかは分からないが、カップルが他にも複数居る。後から来たのもあって晶子は此処でもかなり目立っている。傍らにパートナーがいるのにチラチラと晶子を見ている男が何人かいる。…女の方も気になるのか時々見ているようだ。
 前方下に見える灯台は、目の前の看板に「石垣島最北端」と紹介されている。見た限りでも、灯台の先は海だけ。「最○端」の地に来るのはこれが初めて。やっぱり足を踏み入れたい。だが、もう暫く隣の晶子を見ていたい。贅沢な悩みだな。

「祐司さん。」

 暫くして、晶子が風に靡く髪を押さえながら言う。

「あの灯台に行ってみたいです。石垣島の最北端なんですよね?」
「晶子も最北端とかは初めてか。」
「行動範囲が狭いですから。」
「此処まで来たからには行っておかないとな。」

 俺は晶子の手を取ったまま−そもそも晶子が離そうとしない−近くの土の階段を下りる。両方を草むらが覆う、傾斜が急な階段を注意深く下りる。灯台が直ぐ目の前に、海をバックに聳え立っている。此処が石垣島最北端の灯台、平久保崎灯台だ。

「誰も居ない…みたいですね。」
「今は自動で無人化されてると思う。」
「太陽電池とかを使うんですか?」
「余程電気のある場所から離れてるような離島だとそうだろうけど、こういう場所なら普通に電気を運んできてるかもしれない。見栄えの問題で電線は地中に埋めてあるんだろう。」

 太陽電池の性能はどんどん向上しているが、どうしてもある程度の面積が必要だ。その上、石垣島は台風銀座の真っただ中。太陽電池だと吹き飛ばされたりする恐れがある。電気が安定に確保出来る環境なら電気を引いて、それこそ台風とかの停電時にバッテリーで駆動するのが最も確実だ。
 今のところ、太陽電池は板を並べるような形でしか配置できない。それだとどうしても気象条件が悪いと破損と停電のリスクが増える。塗れたり貼れたりするような薄い太陽電池の研究開発が進められているのは、太陽電池の機能面もさることながら、設置場所の制限をクリアするためだろう。

「こういう場所だと太陽電池があるかな、って思ったんですけど…。」
「補助的な形で、一番上にはあるかもしれない。台風が来てもふっ飛ばされたりしない程度の大きさと設置方法だろう。」
「意外と難しいんですね。設置すればずっと発電できるものかと。」
「今の方式−シリコンの結晶だとどうしても板状になるから、強風がある場所には設置し辛い。屋根瓦と似たようなイメージだな。」

 周囲に広がる草むらに太陽電池を設置すれば、と簡単に思ってしまうが、台風銀座の真っただ中でそれをしたら、毎年何度も破壊されるだろう。その都度修理費や購入費用を用意できるとは思えない。そもそも此処まで運ぶだけでも時間も手間もかかるから、設置や修理の費用がかさむのは目に見える。
 製造の数が増えれば単価は下がるのは勿論だが、太陽電池はICとかと同じ半導体の巨大バージョンと言える。つまり、半導体を製造するためのクリーンルームやらが大規模な形で必要だ。設備投資だけでも洒落にならない。莫大な負債になる恐れがあれば、企業はおいそれと大量生産できない。

「太陽電池に興味があったのか。」
「ええ。鷹田入でも太陽電池を屋根に設置した家を結構見かけますから。」
「言われてみれば、通勤途中に電車の窓から見えることはあるな。」
「家庭や工場で少しでも発電すれば、事故になったら大変な原子力を使わなくても良くなると思うんです。」
「発電は今の太陽電池だと結構出来るんだが、むしろ蓄電が問題だろうな。もっと簡単に多く蓄電できるようになれば太陽電池の普及ももっと進むと思う。」

 面積や方角にもよるが、屋根一面に太陽電池を貼ればその家庭の電力消費がほぼ賄えるくらいの発電が可能になっている。ところが、蓄電が意外と進んでいない。電気が不得手とされる最大の課題は貯めること、すなわち蓄電だ。発電した電気を完全に自給自足できるようにするには蓄電が不可欠だが、こちらの進展は発電や効率使用と比べて鈍い。
 蓄電が形になったバッテリーの飛躍的な性能向上も、ここ10年くらいのこと。携帯電話やノートPC、果てはスマートフォンやタブレットといった携帯電子機器の爆発的な普及はバッテリーの性能向上なくして語れないが、人間が日常生活で消費するレベルの電力だとまだまだ理想に遠い。
 蓄電も二次電池、つまりニッケル水素電池やリチウム電池の性能が飛躍的に向上したが、携帯電子機器のバッテリーには十分でも−スマートフォンだと足りないとなるそうだが−、日常生活を賄うレベルには足りない。電気自動車でようやくフル充電で1日2日分くらい使える程度で、それもかなり大きなバッテリーが必要になる。
 バッテリーを小型化するのは電気密度を高めることだが、それが簡単じゃない。リチウム電池はその上、リチウム自体が可燃性の危険物。以前PCとかのバッテリーが火を噴く事故があったが、リチウムだと迂闊なことをすると発火の恐れがあるから、保護回路を組み込んだりするとその分高価になる。

「発電だけじゃ駄目なんですね。」
「収入がいくら多くても浪費している家計と似たような感じかな。」
「なるほど。貯める方もしっかりしてないと、右から左に流すだけですよね。」

 この点は、晶子は心配ない。しっかり家計簿をつけている。節約はするが無理はしない。夏冬に光熱費が上昇することも織り込み済みで、例えば冷房時はLDに面した窓のカーテンを閉めるといった冷暖房の効率的な使用で浪費しないようにする。食費は使いきれる量を買い、きっちり使う。
 この旅行にしても節約が前提であれば「無駄」の一言で却下するところだ。イレギュラーな多額の収入を差し引いても、揃って20代前半の夫婦だけの家庭としては少数派であろう貯金がある。その貯金の一部を使って1週間ほど別世界で気分転換を図るのは、決して無駄じゃない。

「此処で夕陽を見てから次に行くか?」
「はい。此処まで来たんですから、見ておかないと勿体ないです。」

 夕日になるにはあと2時間ほどかかる。そのくらいの時間待つのは、今の晶子は苦にならないだろう。見えるもの感じるもの全てが新鮮で、それを体感できるこの瞬間全てが幸せなんだから。南十字星がよく見えるスポット探しは夕陽を見てからで良い。夜にならないと星は見えないんだし。
 夕日が水平線に沈み、空が上の方から夜の色に染まっていく。夕日が水平線に沈みゆく様は昨日もリアルタイムで見たが、今日はまた違ったものに感じた。港から高台へと場所を変えたからだろうか。水平線に沈んでいく時は太陽の動きが速まるように見えたのは、昨日と同じだ。
 周囲はどんどん暗くなっていく。暗くなる速さは夕陽が沈む時よりずっと速い。それは、この辺りに街灯が1つもないことが大いに関係している。灯台がこの辺りの唯一の明かりだ。しかも、灯台は一定の個所を照らすためにあるもんじゃない。まさに闇に包まれるような錯覚を覚える。

「凄く暗くなってきましたね。」
「足元が見えなくなる前に、車に戻ろう。」

 灯台が見える、足場が整備された今居る場所からは楽に下の駐車場に行ける。数組のカップルが此処から更に高いところに上ったが、一応道らしいものはあるものの、獣道程度。しかも足元は大小の石が散在していてお世辞にも良いとは言えない。
 太陽が白からオレンジに遷移したあたりでカップルが移動を始めたが、足場の悪さを見て此処に留まることにした。晶子はスニーカーでズボンだから移動には支障ないが、周囲に電灯らしいものが何もないから、暗くなると危険だと判断した。旅行に来ての事故は避けられるものなら避けるべきだ。
 坂道を下り、駐車場を兼ねた広場に降りた頃には周囲はほぼ夜一色。此処でも自動販売機の照明とトイレ付近の照明が唯一の明かりと言って良い。街灯を一切設置していないのは、方針だろうか。留まっている間にも、どんどん闇は深くなって来る。

「本当に真っ暗ですね。」
「ああ。普段街灯があることに慣れてるから、夜の暗さを甘く見てた感はあるな。」

 夜は本来暗いものだ。当たり前だが、普段は照明があるし街灯もある。真っ暗で歩けないことはない。ところが、それらがないともう1m先もまともに見えない。これが夜というものだと改めて思い知らされた気分だ。街灯も照明も文明の産物だとも。
 照明を付ければ確かに夜も安全に歩いたりできるだろうが、その分星が見え辛くなるのは、昨日のホテルでの南十字星の探索でよく分かった。この辺も星空を見られるようにとあえて照明を設置しないようにしているのかもしれない。

「星はよく見えるな。」
「星ってこんなに多いんですね。」

 その分、こうして星はよく見える。小さい星がこれだけ輝くと天の川みたいだ。そもそも天の川自体、写真では見たことがあるが実際に見た記憶はない。この美しい星空を守るには、街灯や照明という文明の利器は排除するしかない。それで観光客が不便を強いられるのはやむを得ないと受け止めるべきだろう。
 坂道を下っていくと、車を止めた広場に出る。此処まで来る時間でもう完全に夜。遮るものがない星空は美しいことこの上ないが、明かりとしては全く役に立たない。こういう時、即席の照明に使えるのは…携帯だ。携帯を取り出して広げると、液晶画面が一定時間照明の代わりになる。
 携帯の臨時照明は使える時間が限られている。この間に車を確認してキーロックを解除して乗り込む。ドアロックとシートベルトをして、エンジンをかけて車のライトを付ける。これで広場の一部が見えるようになったが、それだけ闇が深いということか。

「さて、これからだが…。」

 これからの行動は大きく分けて2とおり。1つは県道206号線の果てまで行く。もう1つは島1周と星空を見るスポット探しに戻る。どちらも宿に戻る時間を考えるんじゃなくて、行動の選択だ。
 此処平久保崎は石垣島の北の果て。ナビを見ると、県道206号線の終点はさほど距離はない。チラッと見た程度だが、平久保崎の東にも集落があるが、街灯の邪魔は少ないと見て良さそう。県道の果てに行くついでに星空を見る考えだ。
 此処から島1周の旅に戻るにしても、国道から県道に変わって一本化するところまでは同じだし、レンタカーは石垣出発当日まで借りる契約をしてあるから、慌てて島1周をする必要はない。ただ、島の中腹部、山間地は行っていない。高台の方が周囲の邪魔が減ってより星が見やすくなるのも事実だ。

「どうする?」
「折角此処まで来たんですから、道が終わるところまで行ってみたいです。」
「そうするか。そこで星を見ることも出来そうだし。」

 晶子の意思表示は明確だ。単純なことだが、これが出来る人は意外と少ない。特に女性は少ない。受け身体質に浸っている、言い換えれば受け身に徹していれば誰かが何とかしてくれる環境に居ることが多いから、言わなくても相手が自分の意志を汲み取った行動を取ることを当然とすら考えるようにもなる。
 超能力者じゃあるまいし無茶を言うなという話だが、自分の意志を明確に表し、食い違いがあれば妥協点を見出すために話し合う。これが出来る女性は少ない。前者が出来ない上に「自分の意志を汲み取ってくれない」と取るから、妥協点を見出すのは「自分を大切にしない」と明後日の方向に考えが飛躍する。そして行きつく先はヒステリーだ。
 「ヒステリーは女性の性質だから受け止めるべき」とまで言い出す輩も居る。それこそ「女は子宮で考える」という揶揄を肯定するようなもんだが−何でも「ヒステリー」はギリシャ語か何かで「支給」の意味らしい−、そういった矛盾に気づかずに自分のやり口をその場その時の立場で正当化するから、男女平等にも反感を持たれる。
 晶子とて、今の考えや行動が最初から完璧だったわけじゃない。どうしても「察して欲しい」気持ちが先に出て、俺と喧嘩になったこともある。結婚前には別れるかどうかの瀬戸際まで行ったことさえある。それらから晶子はきちんと学んで反映しているから、思い出話で済む。
 俺は車を走らせ始める。街灯がない片道1車線の下り坂はかなり難しい。ライトで照らしても闇に食われてあまり遠くまで照らせない。高々車1台のライトで切り避けるほどこの闇は甘くない。こんな闇を伴う日々を暮らしつつ、この地に定住した人々の苦労は並大抵のものじゃなかっただろう。
 車を道路の端に止めてハザードを出し、エンジンを切る。県道206号線の終点、1つの道路の果ては数メートル先というところに来た。平久保崎からの距離はそれほどでもなかったが、道路まで覆う闇の深さは、県道に出て少し緩和された程度。その中をライト頼りに運転するのが難しかった。
 道路の果てらしいというのか、県道沿いに家が点在する以外は畑か森だけ。街灯が点々とあるだけだから、黒の濃さの違いとしか分からない。野生動物が出て来ても何ら不思議じゃない。野生動物くらいなら当たり前と思うべきだろう。

「この先を左に曲がって暫く進むと、家がなくなって畑と森だけになるみたいです。」

 車内灯をつけて地図を見ていた晶子が言う。

「北の方、海に近い方に行くほどその傾向が強い感じです。」
「周囲が畑の方が、星を見るには都合は良いな。」
「道が狭いようですから、気を付けてくださいね。急ぐ理由は何もないですから。」
「分かった。」

 これほど闇が深い道を走ることはあまりないと思うが、夜間の運転で一番怖いのは、不意の飛び出しでも周囲が見え辛くて発見が余計に遅れることだ。この辺りで事故になったら、警察が来るまでにも時間がかかるし、何より折角の旅行が台無しになる。周囲に車は全く見えないから、当面徐行運転でも良い。
 県道206号線の終点、T字路を左に曲がる。ナビを見つつ徐行運転。家は見えなくなり、周囲は改めて闇一色の世界になる。ハイビームにした車のライトだけが視界を作りだすが、この闇の深さからすればごくごく僅か。いかに街灯や照明が溢れているか痛感する。
 ナビに従って交差点を曲がり、集落を離れて北に向かう。2つ目の交差点を曲がって少し進むと、人工の光は車のライトだけになる。街灯がないから、ライトを消せば完全に闇の世界だ。周囲に何があるか見ようにも、闇しか見えない。こんな景色は初めてだ。

「本当に真っ暗なんだな。」
「昔話とかで、夜にお化けや妖怪が出るとされた理由がよく分かりますね…。」
「もう少し先に行って、海が近いところまで行くか。」

 よく目を凝らすと、闇の濃淡がある。多少森があるようだ。森と言ってもそれほど丈の高い木はないんだが、人の手が及んでいないせいか隙間なく生い茂っている。その分闇がより深くなる。畑が多い場所に出るには、もう少し先に行った方が良いだろう。
 予想どおり、更に進むと闇の濃淡がほぼ均一になって来る。畑に囲まれたエリアに来たようだ。ナビで見ると海が程近いことが分かる。こんな果てまで来ることになるとは思いもしなかった。車の移動力の高さには驚くばかりだ。此処まで運転出来たことも我ながら驚きだが。

「この辺で一度外に出てみるか。」
「はい。星が良く見えそうですね。」

 ドアロックを解除して車を出る。車を一歩出た世界は闇に包まれ、頭上には…大小様々色鮮やかな星が無数に輝いている。空を埋め尽くさんばかりの星が織りなす夜の世界は、静寂と相俟って荘厳さすら感じさせる。

「凄い…。」
「綺麗だな…。」

 言葉が続かない。絶句という表現そのものだ。空の端から端まで様々な大きさと色の星が輝き、それぞれの存在感が不思議なほど調和している。人工の光がない深い闇が覆う世界は、頭上に見たことがない星空を湛える秘境なんだと実感する。
 俺は晶子の肩を抱く。晶子は身を寄せて来る。周囲には他の車も人影もない。畑と丈の低い木々だけが闇と共に深い眠りに就く世界で、俺と晶子だけが佇み星空を見上げている。何とも贅沢で至高の時間だ。遠い南国の北の果てに足を運んだからこそ見ることが出来る、貴重な光景だ。

「こんな星空を見られるなんて…。」
「来て良かったな。」
「今この一瞬全てが宝物です…。」

 日本の南の果てに近い石垣島の北の果て。長い運転の果てに見つけた満天の星空。有名スポットを集めた情報だけだと、此処まで足を運ぶことはなかっただろう。見たこともないものや良いものに触れようと思ったら、知識や情報に頼り切らずに自分で探すことが必要だと痛感する。
 普段なら星座早見表を使えば何とか所在が分かる星座も分からなくなりそうだ。それくらい星が多い。星ってのは夜空に点在するものだと思ってたが、昨夜その認識が違うと分かった。今日はそれを超えて、夜空は本来星が溢れているものという認識に至った。
 溢れるほど、鮨詰めと言って良いほど星があっても、太陽1つの光の量に遠く及ばない筈の街灯など人口の明かりに多くの星がかき消されてしまうのが不思議だ。これだけ見えれば地上に広がる人口の明かりをものともしないと考えてしまうが、そうでもないらしい。

「南十字星は…あっちの方か。」

 身体の向きを変えて南の方を向く。今居るところが軽い下り坂になっているようで、それで出来た高低差と生い茂る木々で南の星空が若干遮られている。しかもこの星の多さ。星座早見盤がないととても識別できそうにない。

「ちょっと探すのは難しそうだな。もう少し場所を探してみるか?」
「今日はこれで十分です。明日見えるところを探せば良いですから…。」

 色の白さと距離の近さのおかげで辛うじて見える晶子の表情は、幸福にどっぷり浸りきったものだ。南十字星を見ることに固執しないのは、昨日見られたことで欲求をひとまず満たせたこともあるだろう。それよりも、今はこうして南の星空を何者にも邪魔されずに見られるという幸福にもっと浸っていたいんだろう。
 星空以外は、星空の背景である闇と森が創り出す闇の濃淡だけが存在する世界。周囲には人家も人影も何もない。時折森が創り出す闇が風で少し揺らめく程度。星が犇めく空を2人きりで見られるとは、何とも贅沢だ。この自然のプラネタリウムは入場料無料で入れ替えもない。
 この壮大なプラネタリウムは、少し場所を変えても見える星空に大きな変化はないだろう。南十字星はもっと高い位置からの方が探しやすいだろう。だったら、此処で満足するまで星空を眺めていたい。晶子はそう判断したんだろう。南十字星もさることながら、この星空も遠く石垣まで来たからこそ見つけられたものには違いない…。
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