雨上がりの午後

Chapter 339 「娘」との時間2

written by Moonstone

 夕飯前に少し散歩。高島さんに外は相当寒いから防寒をしっかりと言われて、いざ外に出たら震え上がるを超えて縮こまるレベルの寒さ。今晩は冷え込みが厳しくなるそうだ。夕飯の準備をする高島さんを残して、俺と晶子はめぐみちゃんを連れて外に出る。

「寒いですね。」
「今年は特に寒いよ。多分、今日は雪が降ると思う。」
「雲がかなり低いし、この色だから、めぐみちゃんの言うとおりになりそうだな。」

 空は既に鉛色の空に覆われている。しかも空から落ちてきそうな低さだ。そしてこの冷え込み。雪が降る前兆としては十分だ。京都の雪景色は観光スポットだと絵になるが、町の暮らしにはかなりの足かせになりそうだ。

「お父さんとお母さんの住んでるところって、雪降る?」
「降らないなぁ。年に1回か2回うっすら積もることがあるくらいか。」
「それだと、雪合戦出来ないね。」
「とても無理だな。朝起きて積もっていても昼にはなくなるレベルだから。」

 新京市の冬はそこそこ寒いだけで雪はまず降らない。降る時は雨で、それで寒さや春の近さを感じる。そんな調子だから、雪が降ると異変という扱いだ。幹線道路、特に小宮栄や新京市中心部に通じる国道は大渋滞。高速道路も通行止めか渋滞かの究極の2者択一になるのは避けられない。
 京都は意外と雪が降ると聞く。盆地の特徴である夏暑くて冬寒い気候の一部は、今体感しているし、体感することになるだろう。雪も降るならその対策もそれなりにあるだろう。雪が降るのがめったにない新京市のような地域だと、数cm積もればたちまち交通網は寸断される。雪国の人達から見れば失笑ものの事態だ。

「めぐみちゃんは、雪の日でも歩いて学校に通ってるの?」
「うん。長靴履いてレインコート着て、みんなで行くよ。」
「傘は差さないんだな。」
「雪で傘を差すと、前を見なくなって危ない、って学校の先生が言ってる。」
「転ばないように足元に目が行きがちになってしまうのもあるみたいね。」
「うん。学校の先生もそう言ってた。」

 確かに、雨でも視線が自然と下に傾く。雪だと足元に注意するから余計に視線が下に向く。道路上での危険は前に現れることが多いから、前を見てないと避けられるものも避けられない。だから傘ではなくレインコートが推奨されているんだろう。これも雪が普通にある地域の知恵かもしれない。
 小さい公園に着く。滑り台と砂場、ブランコがあるだけで、大人が歩けば5分くらいで一周できるくらいの広さだ。周辺は家に囲まれていて、乳児が親に連れられてくる公園というイメージが湧く。誰も居ない公園は静まり返っている。

「此処で、お友達と待ち合わせして遊びに行く。」
「遊ぶ場所っていうより、ゆっくりしたり待ち合わせをしたりする場所って感じだな。」
「此処は狭いから、ボール遊びはしちゃいけないって言われてるよ。赤ちゃんも、そのこのお母さんに連れられて来て、ボールがぶつかると危ない、って。」

 この広さはどのみちボール遊びには向かない。このあたりは住宅が密集しているから、その緩衝材的な側面もあるだろうし。道路も2方向で面しているし、ボールを追って道路に出たら、という免許更新時の講習でありそうなシチュエーションが現実のものになる恐れもある。

「学校に行く時も、此処に集まるの?」
「うん。学校はもう少し歩いたところ。」

 めぐみちゃんの案内−晶子がしっかり手を繋いでいる−で、公園から東に向かって歩く。車がすれ違える程度の広さの道が続く。あまりアップダウンが激しくないのは、山を切り開いて造成された新興住宅地の部類に入る新京市の胡桃が丘や鷹田入とは違って、昔からの集落が発展して出来た住宅街だからだろうか。
 歩いて行くと、さっきの公園のように、道路に面しながらも木々に囲まれた場所が見えて来る。公園…?否、公園にはあり得ない門構えが見える。あれが、めぐみちゃんの通う小学校か?

「あそこが、めぐみが通う小学校。」
「森の中にあるみたいね。」
「理科で花を育てたり、動物や虫を見たりするよ。」
「良い授業だな。理科は身の回りに関係するものだから。」

 冬休み最中だから、門は固く閉ざされている。中央に噴水もある中庭のような場所には駐車場もあるが、そこには車は1台も止まっていない。近づくとようやく存在が分かるフェンス−こい茶色に塗られていて幹に同化している−と木々の隙間から見える運動場にも、やはり誰も居ない。
 同じく木々の隙間から見える校舎は、恐らく鉄筋コンクリート製だが、直方体を並べて積み重ねたようなよくあるタイプじゃなく、寺社仏閣を彷彿とさせる作りだ。門構えのところに書かれていた校名からして市立小学校なのは間違いないが、こうした洒落た作りの校舎は初めて見た。

「校舎は3階建てなのね。」
「上級生が上の階に居るよ。めぐみは1階。去年もそうだった。」
「1年と2年が1階で、3年と4年が2階、5年と6年が3階、ってことか。」
「うん。」
「1学年のクラスはいくつあるの?」
「よく知らないけど、今の2年生は3クラスあって、1年生も同じ。」

 俺も小学校の時は3クラスだったから、同じくらいの規模か。否、今は30人未満とかでクラスが作られるそうだから−バイトしていた時の中高生からの情報−、やっぱり減ってはいるか。多ければ良いっていうもんじゃないし、めぐみちゃんにとって楽しい学校生活なら良い。

「建物が良いわね。京都らしいっていうか。」
「前に100周年で建て直したんだって。」
「100周年?そんなに歴史があるのか。」
「ずっと昔からあって、おばあちゃんもこの小学校を卒業したって言ってた。」
「めぐみちゃんのおばあちゃんも卒業生なの?凄い歴史のある学校なのね。」
「祖母と孫が通うくらいだから、歴史が長いのも納得できるな。」

 俺が出た小中学校はどちらも戦後に出来たもの。高校もそうだ。だから歴史は半世紀あれば相当長い方。この小学校は1世紀の時の流れを漂って今もある。恐らく建て替えの時も、往年を偲ぶ建物にするよう工夫したんだろう。100年だと財力を持っていたり顔が広いOBが居ても不思議じゃない。

「めぐみちゃんは、学校が好き?」
「うん、好き。幼稚園からのお友達も居るし、給食も美味しいし、勉強も分からないこともあるけど楽しいから好き。」
「めぐみちゃんが元気に学校に通って楽しく暮らしていれば、おばあちゃんも、お父さんもお母さんも嬉しいからね。」

 晶子の言うとおりだ。悪いことをして叱られるのは当然だが、親の顔色を窺いつつ怯えて暮らすより、友達と元気に遊んだり、悩みながら勉強したりして楽しい学校生活を送れる方がずっと良い。2年前、晶子が何より願ったのはそれだし、その願いは叶えられている。それが続くことを願うばかりだ。

「ただいまー!」
「おかえり。丁度晩御飯の準備が出来たところよ。中に入って席に座ってなさい。」
「はーい!」

 散歩から帰ると、高島さんと森崎さんが出迎える。森崎さんは買い出しに出かけていたそうだ。森崎さんは此処に住み込みで働いているようだ。その分、未だに姿を見せないめぐみちゃんの実の両親は何処に居るのか少し気になる。
 そう言えば、俺と晶子がこの家を訪問する際、めぐみちゃんの実の両親を見たことはない。恐らく意図的に高島さんが外に出しているんだろう。めぐみちゃんは俺と晶子、厳密には晶子に終始甘えるし、実の両親としては良い気分はしないかもしれない。少なからず俺と晶子に遺恨もあるだろうし。
 リビングの椅子は5人分に増えている。俺と晶子は、昼と同じ席に案内される。めぐみちゃんは晶子の向かい側。これも昼と同じだ。垣間見えるキッチンでは高島さんと森崎さんが手分けして料理や皿を運ぼうとしている。どうやら鍋料理のようだ。
 少しして料理が運ばれて来る。やはり鍋料理。見たところ水炊きのようだ。色々なものが食べられるし、何より強烈な寒さが身に染みる今日のような日は、こういう温かい食べ物が嬉しい。

「今更ですが、お二人には食べられないものやアレルギーの食品はありますか?」
「焼き茄子以外はまったく問題ないです。」
「私は何でも大丈夫です。」
「御主人は焼き茄子が駄目なんですか。」
「小さい頃酷く苦い焼き茄子を食べて、どうしても手が出なくなって…。」
「克服には、奥様の手料理で少しずつ練習されるのが一番ですね。」
「それに期待するしかないです。」

 晶子が作る弁当には、焼き茄子が入ったことは一度もない。無理に食べようとして貴重な昼食の時間を嫌なものにするより、時間の経過で食べられるようになるのを待った方が良い、と晶子が以前言った。恐らく弁当に焼き茄子が入るのは、もう少し年齢が増えてからか、晶子と夫婦喧嘩をした翌日のどれかだろう。
 昼時より1つ増えた席には、森崎さんが座る。全員揃って「いただきます」。人数と食べる量を考えてか2つ用意された鍋から、白菜やらつくねやらを適当に掬って、ポン酢に浸けて食べる。外気に晒されて身体に深く浸透した冷えが、一気に解消されていくような気がする。

「温かくて美味しいです。」
「何だか、ホッとしますね。」
「たくさんありますから、遠慮なく食べてください。」
「お母さん。豆腐取って。」
「お皿貸して。…はい。」
「ありがとー。」

 冬場の鍋は食卓も暖かくなるんだろうか。めぐみちゃんは身長の関係でやや取り辛そうだが、今日は晶子が居るから安心だ。早速豆腐を取って欲しいと頼んでいたし−多分崩れやすいからだろう−、晶子に甘えられる口実も出来て嬉しいだろう。
 今日の散歩でめぐみちゃんが公園や学校を案内したのは、自分の普段の生活を垣間見せて、俺と晶子が居なくてもきちんと学校に行って楽しく暮らしていることを見せたかったんだろう。平凡でも落ち着いた暮らしをしてほしいというのは晶子の願いだし、その只中に居ると見せるには普段の生活の一端を見せるのが良いと思ったんだろう。
 俺と晶子はどう頑張ってもめぐみちゃんの親にはなれない。普段の生活を共にすることも出来ない。だが、成長を見守り、これまでの経験からより良い道を指し示すことは出来る。怯えることも顔色をうかがうことも必要なくなっためぐみちゃんが、自分の可能性や未来を探して進んでくれれば良い。

「水炊きの後は雑炊がありますので。」
「鍋料理の後ならではですね。」
「お二人も鍋料理の後は雑炊ですか?」
「はい。時々うどんにすることもありますけど。」
「どちらも美味しいですからね。」

 白菜につくね、椎茸に長ネギ、豆腐にこんにゃく。ぐつぐつ煮え立つ土鍋に詰められた食べ物は、十分煮込まれて美味い。この時期の鍋料理は格別だ。何より身体が温まる。暖房では届かない身体の芯の部分に染み渡る温かさが嬉しい。準備もかなり楽だから、晶子が遅番の時に俺が準備することも出来る。
 鍋の中身が細切れの具しかなくなると、高島さんが雑炊の用意をして持って来る。ご飯を入れて再加熱。出来るまでも待ち遠しい。俺と晶子も鍋料理の後は大抵雑炊、時々うどん。旨みが凝縮されて美味いんだよな。めぐみちゃんも楽しみのようで目を輝かせている。
 沸騰したら弱火にしてよくかき混ぜて、出汁の水面が見えなくなったあたりで溶き卵を投入。そして刻みネギを広げてまたかき混ぜる。ホカホカの雑炊が出来上がりだ。

「出汁が効いていて美味しいですね。」
「雑炊の要の1つですからね。」
「熱っ、熱っ。」
「めぐみちゃん。ゆっくり食べないと火傷するよ。」
「う、うん。」

 雑炊は見た目より熱い。明らかに煮立っている鍋料理と違って、元々御飯だから火傷しそうな熱さがイメージし難いから余計に熱く感じるのか。めぐみちゃんは少々苦戦中。晶子が少しずつよそってやる。少量を何度もよそうのは別にマナー云々言うものじゃない。
 鍋が完全に空になった頃にはすっかり満腹。雑炊は出汁を吸いこんでるから見た目より腹に溜まるんだよな。溶き卵と刻みネギだけのシンプルな味付けは、雑炊にはうってつけだ。

「「御馳走様でした。」」
「ごちそうさまでしたー。」
「何時も以上にしっかり食べたわね、めぐみ。」
「お腹空いてたから。」

 見ていたところ、めぐみちゃんは1回の量こそ少なくても頻繁に食べていた。そう言えば…、めぐみちゃんと最初に出会って昼飯を食べに行った時、出されたツナサンドを美味しそうに頬張っていたな。美味しそうに食べる様子は見ていて気持ちが良いもんだ。

「9時にお風呂の用意をしておきますから、めぐみと一緒にお願いします。」
「はい。」
「お風呂まで本読むー。」

 めぐみちゃんは席を立って、晶子のところに駆け寄る。風呂まであと2時間くらい。読み合わせも十分出来る。改めて高島さんと森崎さんに礼を言って、めぐみちゃんの遊び部屋に向かう。
 廊下は流石に鍋が2個あったダイニングよりは冷えるが、思わず縮こまるような温度差はない。やっぱり全域に空調が効くようになっているようだ。外の冷え込みを考えると何となく納得できる。北国、特に北海道あたりでは家が密閉構造になっていて全域に暖房が行き届くようになっていると聞いたことがある。
 それは零下何度という気温が当たり前の外気から住人を守るためでもあり、家を守るためでもあると言う。何でも、一部でも暖房が効かない部屋があると、そこから家が傷んでくるらしい。だから暖房費と引き換えにしてでも家全体を暖め続ける必要があるというわけだ。
 京都はそこまで冷え込まないと思うが、それでも冬の厳しさは新京市より上だと思う。事務所も含む広大な家で空調が効かない場所があると、そこから家が傷んだり、温度差にやられて万が一のことがあるとも限らない。冬の風呂場やトイレで老人が脳出血や脳梗塞を起こす事例はごまんとある。

「お父さんとお母さんみたいになれるように、頑張って本読んでるよ。」

 遊び部屋に案内しためぐみちゃんが、少し得意げに言う。遊び部屋は本棚の比率が増している。ジャンルは純文学と言えるもの、小説、科学に関するものなど色々だ。何だか晶子の書棚を彷彿とさせるのは、晶子を目指した部分が強いためだろうか。

「科学関係−宇宙とか動物とかの本もあるな。」
「お父さんみたいに物知りになるには、こういう本を読むと良い、っておばあちゃんに買ってもらった。」
「ちょっと見て良いか?」
「うん。」

 試しに「宇宙の科学」という本を取って見る。全編漫画で描かれていて数式は出て来ないようだが、夜空に輝く星は地球から光の速さで何年もかかる遠い場所にあること、何億年という長い時間をかけて誕生から死までの経緯を辿ることなどが書かれている。漫画はとっつきやすさのためのようだ。
 意外にも、ブラックホールについても書かれている。太陽よりも−太陽も夜空の星と同じ恒星の1つと解説がある−ずっと重い星が死ぬ時に出来る天体で、最も速く動く光も脱出出来ないから真っ暗に見えること、光すらも脱出出来ない穴のようだからブラックホールということなど、結構きちんと書かれている。

「学校の図書室とかにありそうな本だな。内容はしっかりしてる。」
「学校にもあるよ。全部じゃないけど。」
「教科書に出て来るような有名な小説もあるのね。」
「今日宿題を見てもらった時にお母さんが言ってたことと同じこと、おばあちゃんも言ってた。色々な本を読んで文章に慣れること。漢字をたくさん覚えて書けるようになること。」
「毎日少しずつでも慣れていけば、不自由なく読んだり書いたり出来るようになるわよ。」
「頑張る。」

 めぐみちゃんは、数ある本の中から1冊を取って来る。「不思議の町」というタイトルの本だ。表紙からして小学生向けの本のようだ。

「これ、一緒に読みたい。」
「どんな本?」
「まだ読んでない。この前買ってもらったばっかりで、お父さんとお母さんと一緒に読むって決めてたから。」

 小学生向けにしては割と厚めの本。俺と晶子が滞在する間に読むつもりなんだろう。こういう楽しみを準備していたところに、晶子が体調を崩して来られなくなるかもしれないと知らされためぐみちゃんの動揺や怒りは推して知るべし。晶子の親族の大きな誤算であり、晶子が独りと思って今までのやり方で攻め込もうとした重大な誤りでもある。

「お風呂までだと途中までになると思うけど、一緒に読もうね。」
「うん!」

 めぐみちゃんは、晶子に背中を預けて座る。晶子が俺に求める姿勢そのものだ。晶子の懐の中で、めぐみちゃんは嬉々として本を広げる。俺は晶子の隣で読む。どんな内容なのか楽しみだったりする。小学生向けの本という先入観を取り除くと、意外に読める本が多いもんだ。

「そろそろ寝ようか。」

 風呂を挟んで「不思議の町」という本を読んでいたが、めぐみちゃんにとってはそろそろ寝る時間。来週から学校が始まるから、正月だからと言ってあまり夜更かしをするのは良くない。めぐみちゃんもやや眠そうだし、ぐっすり寝て明日に備えた方が良い。

「時間が経つのが早いですね。」
「もう少し読みたいけど…、明日お父さんとお母さんと出かけるから、寝る。」
「帰って来てからも読めるからな。」

 この「不思議の町」という本、予想以上に面白い。主人公の少年が住む町に、不思議な言い伝え「雲が赤くなったら直ぐに家に帰り、夜が明けるまで外に出てはいけない」というものがある。少年が友達と遊んでいて、夕暮れ時に雲が赤くなった。その赤が夕焼けの赤と違って血の色を思わせる赤だったが、夕焼けだと思ってそのまま日が暮れる直前まで遊んでいた。
 友達と別れて少年が家に帰ろうとすると、町の雰囲気が変わっていた。街並みは何となく今までのものと違い、すれ違う車や人も何となく今までのものと違う。よく観察すると、聞こえて来る言葉が日本語のようで日本語じゃない、聞いたことがない不思議な言葉。
 怖くなった少年は急いで自分の家に向かう。しかし、自分の家の表札を見て愕然とする。日本語の文字だが意味不明な並びになっていた。家に入ってはいけない。そう察した少年は来た道を引き返す。途中、同じように引き返して来た友達と落ち合い、動揺や恐怖に晒されながら何が起こったのか相談する。
 読書が好きな友達の1人が、以前図書館で読んだこの町の伝承を思い出して話す。昔々、この町あたりを支配していた庄屋は重い年貢を取り立てて人々を苦しめていた。人々の怒りや不満は募る一方で、ついに一揆も起こった。困った庄屋は占い師を読んで対策を占ってもらい、人々が悪霊に取りつかれているから占い師が作った人形で守らせるようにと言われた。
 しかし、その占い師がかつて別の国の領主を殺して城を乗っ取り、家臣の1人に追放されたいわくつきの人物だった。人形は人々を襲って捕えて牢屋に入れ、人形が人々になり変わった。町は人形が蠢くようになり、町を訪れた商人なども次々と捕えられて人形ばかりが増えていった。人形に乗っ取られる形で反乱が起こらない町が出来た。
 それから数年後、町の噂を聞いた高僧が町を訪れた。人々になり変わった人形が高僧を捕えようとするが、高僧の札と読経の前に次々と破壊されていった。僧侶は庄屋、否、人形を齎した占い師と対峙し、激しい戦いの末に占い師を倒した。
 しかし、占い師は庄屋の屋敷に火を放った。脱出した高僧や、牢屋から助け出された人々の前で庄屋の屋敷は激しい炎を上げて燃えた。その時空を覆っていた雲が、不気味な赤い色に染まった。「再びこの雲が現れる時、自分と自分の人形達が町を支配する」という占い師の叫びを残し、屋敷は完全に焼け落ちた。
 占い師と庄屋の祟りを恐れた人々は、高僧に助けを求めた。高僧は庄屋の屋敷跡に寺を建て、そこに札を埋め込んだ人形を安置するようにと教えた。その寺は今も少年たちが住む町にあり、「人形寺」と呼ばれる。その人形は悪霊と化した占い師の力を弱め、再び町を支配できないようにしているという。
 だが、高僧が施した封印でも、悪霊と化した占い師を完全に封じることは出来ない。血の色のような赤い雲が空を覆う時、人形達が蠢く町が普段の町と入れ替わってしまう。だから、血の色のような赤い雲が出たら直ぐに家に帰り、夜が明けるまで外に出てはならない。さもないとその人形達と入れ替わり、永遠に彷徨うことになってしまうという。
 あまりの内容に狼狽し、中には泣きだす子も出る。しかし、読書好きな友達の「人形に捕まらずに夜明けを迎えれば、元の町に入れ替わると同時に自分達も戻れる」という言葉で、少年が皆で一晩逃げきろう、町全体を使える鬼ごっこやかくれんぼと思えば良い、相手は悪い奴に操られた人形だから壊しても良い、と友達を元気づける。
 町が完全に夜になる。夜になると、入れ替わった町が完全に人形達のものになる。人形達は匂いで「異質」な存在、すなわち少年達の存在を察知する。人形達は自分達を創り出した占い師を倒し、自分達も含めて封印して滅多なことではこの世に出られなくした高僧と同じ「人形でない者」、すなわち人間を強く憎んでいる。
 人形達は少年達を追う。少年達は気付かれたことと追われ始めたことを察し、逃げる。少年達は追いかけて来る人形達にあの手この手で反撃する。サッカー部の子どもは手近なものを力任せに蹴ってぶつける。少年野球のキャプテンは遠慮なくバットで殴りつける。衝撃に弱いらしく、人形達は次々と壊されて動かなくなる。
 人形達は警察も動員して少年達を追う。人形達の町にもパトカーはあり、音はやはり異様。しかも、白と黒のツートンカラーが赤と黒のツートンカラーだから余計に不気味だ。少年達は、この町に白という色がないことに気づく。町と人が入れ変わった証拠であり、人形達が忌み嫌う色かもしれないと少年達は思う。
 読んだのは此処まで。子ども向けの本だからてっきりメルヘンチックなものかと思ったが、予想外のホラー。文章も結構詰まっているし、めぐみちゃんは食い入るように読んでいた。めぐみちゃんがホラーに耐性があったのは少し意外だが、本だから怖くないという認識なんだろうか。

「凄いお話だった。頑張って逃げて欲しい。」
「明日は帰って来てから読もうね。」
「うん。お休みなさーい。」
「おやすみ。」

 めぐみちゃんは部屋に入っていく。俺と晶子は向かいの宛がわれた部屋に入る。布団に入って消灯。俺と晶子には幾分早いが、明日は朝飯の後めぐみちゃんと出かけることになっている。明日も冷え込みが厳しいらしいし、新幹線での移動もあった。感じない疲労があるかもしれない。
 寝ようと目を閉じた時、ドアがノックされる。俺が応対に出る。ドアをゆっくり、少し開けると、枕を抱きかかえためぐみちゃんが顔を見せる。

「お父さんとお母さんと一緒に寝る。」
「良いよ。入って。」

 めぐみちゃんを招き入れてドアを閉める。身体を起こしていた晶子にめぐみちゃんは駆け寄る。晶子は身体を横にずらし、俺と自分の間に枕を置くように言う。めぐみちゃんはいそいそと枕を置き、晶子に布団をかけてもらう。俺も布団に戻り、めぐみちゃんに少し布団を回す。

「自分の部屋で寝るんだと思ったけど、どうしたの?」
「一緒に寝たくなったから。」

 理由には違いないが、それだけじゃない気がする。1人になってあの本の内容が怖くなった。俺と晶子が人形に置き換わってしまうんじゃないかとか不安が膨れ上がって来た。そういったことも理由だろうと思うが、敢えて言うことじゃない。

「お父さんとお母さんは、毎日一緒に寝てる?」
「一緒よ。」
「良いなぁ。」

 羨望の呟きを発して程なく、めぐみちゃんは規則的な寝息を立て始める。寝つきが良いな。出会った日の夜を思い出す。急遽コンビニで絵本を調達してきて晶子と一緒に読み聞かせていたら、寝てしまったんだよな。めぐみちゃんもあの時を思い出したんだろうか。

「子どもが大きくなるのって…、本当にあっという間ですね。」

 めぐみちゃんの寝顔を見つめながら晶子が言う。

「まだまだ甘えてくれますけど…、夏に泊まりに来た時より大きくなって、本も自分で読み進めるようになって…。京都御苑で出会った頃が遠い昔みたいです…。」
「小学校ももう1/3を過ぎる。卒業もあっという間だろうな。」
「元気に学校に行って友達と遊んで、親の手を離れて自分の道を歩いて行く…。そんな未来をめぐみちゃんに歩んでもらいたいです…。」
「平凡かもしれないけど、意外と出来ないことなんだよな。主に周りの要因で。」

 平凡なことこそ、最も難しいのかもしれない。特徴があれば目立つし、困難があると分かればその解決に向けて人や知恵が集中する。取り立てて特徴がないことは、指摘すべき問題点や欠点がないとも言える。つまり平凡とは完成形の1つだという見方はあながち間違ってはいない。
 平凡を目指すと困難が立ち塞がることもままある。晶子の場合はまさにそれだ。結婚はしたものの、それを壊そうとする輩がいる。しかもそれは両親と兄を含む親族。今でこそ高島さんの尽力で追い込みにかかっているが、賠償金を搾り取っても終わらないんじゃないかという不安が拭いきれない。
 恐らく、それは晶子も同じだろう。本来なら俺との夫婦生活を楽しみつつ子作りをする夢を描いているのに、ストレスで阻まれている。それが更なるストレスになってしまう悪循環が出来ている。めぐみちゃんを可愛がることは、晶子にとってストレスを和らげることになっていると思う。
 そのめぐみちゃんは、急速に成長している。会える機会は限られているし、小学校もあと4年少々。あっというまに中学生になって、一緒に寝たいと言わなくなるだろう。当初からずっとめぐみちゃんを可愛がっている晶子には、嬉しくもあり寂しくもある事実だろう。

「明日は朝からめぐみちゃんとお出かけだ。めぐみちゃんの元気に負けないようにしっかり寝ておこう。」
「そうですね。めぐみちゃん、楽しみにしてますから。」

 明日は終日めぐみちゃんとお出かけ。めぐみちゃんが最も楽しみにしていたことだし、それを台無しにされそうになったことで晶子の親族に激怒した。俺と晶子が寝不足で満足に行動出来ないとなったら、めぐみちゃんに顔向けできない。今日の疲れは完全に取っておかないと…。
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