雨上がりの午後

Chapter 49 回想の終わり、年越しの食卓

written by Moonstone


 ビールを呷りながらの「破壊行為」の余波でバイトをサボる羽目になった俺が、夕食や雑誌を買おうと近くのコンビニに買い物に出掛けたとき、
俺と時を同じくしてレジに並んだ晶子が驚きの声を発したのが始まりだった。
そして次に俺が立ち寄った本屋の出入り口で出くわしてまた驚かれた。そして翌日の心理学の講義会場で三度出くわした。

 勿論、そのときの俺が優子と同じ「女」という生き物に、疑念や怒りこそ湧いても親近感や好意など抱く筈もなかった。
関わり合いになりたくなかった。冷たく突き放したりもした。
 しかし、俺が「兄に似ている」という晶子は俺の無視や威嚇を受けても諦めたり怒って去ったりすることもなく、ストーカーも真っ青の調査力と執念で
俺を追い回して、俺が晶子の居る文学部に近い一般教養講義の時間と場所を調べ上げだ。
挙句の果てには、一休みするために偶然立ち寄ったとはいえ、晶子にバイト先まで発見されて、あろうことか「楽器を使える」という
バイトの条件を無視したマスターと潤子さんの決定で同じくバイトに採用となった。

 そして俺は晶子をヴォーカルにするための指導役を任されてしまった。冗談なら早くそう言って欲しいと思ったが、冗談じゃなかった。
晶子の最初のレパートリーになる「Fly me to the moon」を俺の伴奏で歌えるように足しげく晶子の家に通う日々が続いた。
音楽の知識や経験の乏しい晶子の練習がそう簡単に進む筈もなく、俺もつい荒い口調で叱咤することが多かった。
 しかし、晶子はそれに怯んだり涙することもなく、必死で俺に食らいついて来て、約一月後には充分人に聞かせられるレベルに達した。
店のステージに上がってのお披露目も無事終了して、晶子は「歌」という楽器を手に入れたことが認められた。
そしてその過程を通っていくにつれて、俺の晶子に対する印象は明らかに変わった。
少なくとも以前のように毛嫌いしたり冷たくあしらう気にはならなくなっていた。

 あれは・・・何時からだっただろう?晶子に対する俺の気持ちが特別なものだと気付いたのは・・・。
「Fly me to the moon」以降のレパートリーの充実と指導を引き続き任されることに応じたときだったか?
智一が気軽に「晶子ちゃん」と呼ぶことに妙に心の中がもやもやするのを感じるようになったときだったか?
晶子と待ち合わせてレパートリー候補を探すCD探しに行ったときだったか?
・・・あのときから変わった、と明確には言い表せないが、確かに晶子に対する気持ちが特別なものだと感じた俺は、必死にその気持ちを打ち消そうとした。
またあんな目に遭いたくなかったからだ。何時あっさり崩れるか分からない夢の世界の再構築を始めたくなかったからだ。
 だが、変化した気持ちを取り除くことはどうしても出来なかった。
心のベクトルの向きが彼方此方に、否、180度違う方向に忙しなく変わる中、晶子から俺への気持ちを伝えられた。
心のベクトルの向きが定まってなかった俺は、何れ返事はする、という曖昧、且つ、言ってみれば「その場凌ぎ」の回答をした。

 晶子に対する気持ちに正直に向き合えるようになったのは、皮肉なことに晶子と初めて口論した−といっても俺が一方的に詰め寄るだけだったが−
翌日になってからだった。
晶子が智一からのデートの誘いに応じたのを聞いて、晶子が俺の出方を窺うような様子を見せたことで頭に血が上って、
俺に止めて欲しいのか、と激しく詰め寄ったら、晶子は悲しげな表情を残して闇の中に走って消えていった。
 それが正しい選択だったと自分に言い聞かせた。
もう二度とあんな悲しくて辛い思いはしたくなかった。だから晶子を突き放して良かったんだと。
だが、心の中から絶えず「それで良いのか?」と問われ続けた。晶子のデート前夜の席で潤子さんからも問われた。
心の中からの問いかけには、吐き捨てるように「知るか・・・」と呟くしかなかった。
潤子さんの問いかけには「もう、あんな思いはしたくない」と答えるしかなかった。
だが、どれもこれも嘘だった。
心の周囲に壁を築いて傷つくことから逃れようとしていた筈が、壁があるせいで心が疲れるようになっていたことにようやく気付いた。

 晶子が智一とデートする日、俺は不覚にも高熱を出して寝込んでしまった。
全身が燃えるような高熱と相反する悪寒の両方に襲われながら、俺はただ後悔と自己嫌悪に苛まれた。
不可思議にも冷静にこのまま死ぬんだろうか、とさえ思った。
意識が朦朧とする中、俺は井上、と弱々しく漏らした。せめて晶子に−あの当時はまだ姓で呼んでいた−謝りたかった。
智一とデートに行くなと言いたかった。だが、意識を急速に覆っていた闇は、俺の思考を許しはしなかった。

 俺が目を覚ましたのは、決して広いとはいえない俺の家に無用に良く響くインターホンの連打だった。
最初は無視しようかと思ったが、あまりのしつこさに−晶子のストーカーぶりを思わせた−壁を伝ってドアへ向かった。
新聞か生命保険か宗教団体の勧誘かと思いながら。
しかし、ドアを開けた俺の前に姿を現したのは、あろうことか、智一とデートに出掛けた筈の晶子だった。
 驚愕と安堵で全身の力が抜けて、倒れそうになった俺を晶子は抱きとめて、決して軽いとはいえない俺の腕を肩に回して、
部屋の電灯を点して俺をベッドに戻した。
そして晶子は・・・初めて俺に涙を見せた。自分の非を詫びる晶子に、俺はその手に自分の手を乗せて、心に思ったことそのままを口に出来た。

今はただ、傍に居て欲しいんだ、と・・・。

 晶子はその日を含めて2泊3日、俺に殆どつきっきりで看病してくれた。
病中最も問題な食事も、マスターと潤子さんからの援助と−冷やかしがおまけに付いてきたが−晶子が作るお粥で解決された。
特に晶子お手製のお粥は本当に美味かった。水が多すぎてどろどろになった御飯、というそれまでの俺の認識を改める他なかった。
 潤子さんの作った料理は言うまでもなく美味いのは知っているが、それでも晶子のお粥が食べたい、と思った。
それを言うと晶子は嬉しそうに作ってくれた。
形を崩した米に薄い塩味とその中央に乗った梅肉の酸味だけ。そんなシンプルな味が、強烈な印象を俺の心に刻み込んだ。
味だけじゃなく、それを作ってくれる晶子のことも・・・。

 病床にある中で、俺の心の中で晶子が誰も取って代われない程の大きな存在になっていることを更に実感したのは2日目の日曜日、
晶子がバイトに出掛けて一時的に自分の家に自分だけ居ることになったことだった。
晶子はバイトを休もうとしていたが、潤子さんもリクエストを受ける立場になって忙しくなるし、二日連続で俺と晶子が二人とも休むと
−俺が行くのは無理としても−店に迷惑がかかる、と説得してどうにかバイトに行ってもらった。
 晶子が名残惜しそうに出掛ける時、やっぱり行かないで欲しい、と引き止めそうになった。
そして蛍光灯に照らされた、「自分一人」に慣れた筈のこの家が、「一人」が当たり前と思っていたこの家が、やたらと広く感じた。
今まで狭いと思うことはあっても、広いと思うことなんてなかったのに・・・。
俺が横になっていたベッドの横にあった椅子に座って俺の心がしっくりくるのは晶子なんだ、と晶子が帰ってきてその椅子に座ったことで痛感した。
俺が自分で作った心の壁は跡形もなく吹っ飛んだが、その跡地に晶子を主とする確固たる城塞が築かれた。

 完全に回復した月曜日、俺は晶子に留守番を頼んで大学へ行った。
駅から大学へ向かう途中で智一に出くわした。
智一は晶子にデートを突然中断された経緯を話した。
高熱に魘されていた俺の家に晶子が血相を変えて駆けつけた背景には、俺は晶子が常に俺の方を向いていたことと、
俺が熱を出してバイトを休んでいたことが偶然一致したことを知った。
智一は表面にこそ出さなかったが相当ショックを受けたと思う。
そんな智一の「挑発」に俺は自分の気持ちの片鱗を口にして、智一の「アドバイス」に俺は晶子への礼を兼ねて晶子を食事に誘うことを決めた。
 大学から帰って晶子の出迎えを受けて、俺は晶子を食事に誘おうとした。
しかし、自分からアクションを起こすことに決して慣れているとはいえない俺は、しどろもどろで要件を口にするしかなかった。
そんな俺の様子と言葉から俺の気持ちを察したらしい晶子は、俺の「誘い」に喜んで応じてくれた。

 徒歩圏内で知っている店が殆どない俺は、思い切って普段足を運ぶ機会がない駅の向こう側に晶子を連れて行った。
そこでたまたま見つけた中華料理店に入って、予想以上に美味い建物に舌鼓を打った。
 晶子はその席で、智一とのデートの日に昼食に案内された店の高級感に緊張感を感じた晶子は味を感じる余裕がなかったことを打ち明けた。
華やかさや高級感とは縁遠い、俺が直感で選んだその店で晶子は安心して食べることが出来たようで、俺はほっとすると同時に
それぞれの「世界」が一致することが重要なんだ、と肌身に感じた。

 晶子の家で夕食を食べる感覚そのままに、ゆったりとした食事の時間を味わった俺と晶子は、俺が雑誌を買うためによく行く本屋に向かった。
そこでの買い物を終えた俺は、一つの決断を迫られた。晶子にまだ居て欲しい、と言うべきかどうかということを。
俺は勿論、晶子ももっと傍に居たいと思っている素振りと呟きを見せた。だが、俺は敢えて晶子に帰ってもらう方を選択した。
 晶子の存在が疎ましいからではないというのは勿論だ。
だが、病み上がりとはいえ一応身体が回復した俺の理性が、果たしてベッドの上で晶子に至近距離で居られて平然としていられるとは言い切れなかった。
平然と出来なかった場合の行為を汚らしいとか思う気持ちはなかった。
だが、もし自分の理性が吹っ飛んでその行為に走ったら、何のために晶子に告白の返事を待たせているのか全く意味がなくなる。
その「免罪符」として、俺にとって物凄い重みのある言葉である「好きだ」という言葉を口にしたくなかった。
 ともすれば言い訳がましく聞こえる俺の「説明」を、晶子は理解してくれた。
俺は一連のすれ違いと衝突をどうにか避けようと、心の中身を整理できないまま言葉にしたのが幸いだったのかどうかは分からない。
でも、下手なりに懸命に言った言葉が晶子の心に届いたことで、俺は安心すると同時に、偶然が重なってここまで育った晶子との絆の大切さを感じた。

 その後はまさに師走というに相応しく、駆け足のように過ぎていった。
通学は言うに及ばず、バイト先で実施するというクリスマスコンサートの準備に大忙しの毎日だった。
初めて演奏する曲や初めてのペアもあって−その一つの例が俺と潤子さんのペアだ−、一月弱という限られた時間で
10数曲を弾きこなすことが出来るかどうか、不安の種は尽きなかった。
 高校時代にバンドで何度もステージに上がった経験がある俺ですら不安と緊張に苛まれた。
晶子は表面にこそ出さなかったが、日々猛烈な緊張と重圧を感じていたに違いない。
それでも晶子は練習を重ねていくうちに定番のクリスマスソングを英語で歌いこなし、新曲をもどんどん自分のものとしていった。
その目を見張るような吸収力に、俺は感服せずにはいられなかった。

 コンサート前の最後の週末に、俺と晶子は音合わせのために−言い換えれば一緒に練習することだ−、2日間バイト先に泊まりこむことになった。
俺が言うのも何だが、実力派揃いのメンバーだから、音合わせでは目立った問題は見つからなかった。
晶子が出ずっぱりの俺に休憩出来る時間を工面して欲しい、とマスターに進言してプログラムを再編成してもらったのは助かった。
 高校時代のバンドでも10数曲演奏することはあまりなかったし、譬えあってもロックだったから、多少の間違いはディストーション
(音を歪ませるエフェクト)たっぷりの音の勢いで追いやることも出来た。
でも、バイト先でのクリスマスコンサートにはバンドの時のように勢いで押し切れるような曲はなかった。
指先に絶えず緊張を強いられる曲が並んでいるから、疲労が重なると指が動かなくなってしまう可能性が無いとも言い切れなかっただけに、
本当にありがたい進言だった。

 泊り込みの最初の夜、俺と晶子は一つの布団で寝る羽目になった。
元はと言えば晶子に割り当てられた部屋の隣、即ちマスターと潤子さんの寝室からの物音で寝られなかった晶子が−余程の音量だったんだろう−
寝る場所を俺に割り当てられた部屋に求めたんだが、一つの布団で一緒に寝るのは初めてだっただけに俺も最初はどうしたら良いか分からなかった。
 実際は初めてじゃなくて2回目だったんだが、1回目は俺が熱を出して寝込んだ2日目の夜で、俺が寝た後に布団に潜り込んできたから、
翌日目を覚まして横を見るまで気付かなかった。だから、二人とも意識がはっきりしている中で一緒に寝ようとするのは、
音合わせの初日の夜が初めてのことだった。

 晶子に割り当てられた部屋の隣から聞こえる物音が収まるのは何時になるか分からないし、暖房を切って冷気が漂っている中に
晶子を放り出しておくわけにもいかなかったから−風邪をひいて喉をやられたら一大事だ−、俺は晶子に俺の布団に入れることにした。
最初は緊張感で寝るどころじゃなかったし、俺の背後に身を寄せてくる晶子にどう対処して良いか、
そして自分の理性が何処まで持ち堪えられるか分からなかったから、晶子に背を向けて眠気が意識を覆うのを待つしかなかった。
 だが、晶子は自分の告白に対する返事を聞くことさえ出来れば、俺が衝動的な行動に走っても構わないと言った。
それで俺の妙な興奮は急速に冷めていった。
俺の脇腹に乗っていた晶子の手に自分の手を重ねてやがて手を取り合ううちに−手を繋ぐのはこれが初めてだった−、
俺の衝動的な欲望は穏やかな愛しさに変わり、そして身体の向きを仰向けに戻して、晶子と至近距離で向かい合った。
意外なほどあっさりと、そして自然に・・・。
それまで背後の存在を意識していたのが妙に滑稽に思えた。

 二日目の昼には晶子と映画に出掛けた。二人で昼間何処かへ出掛けるのはこれが初めてだった筈だ。
潤子さんから貰った映画の招待券を持って、朝一番の上映に間に合うように、映画館の場所を知っているという晶子の案内でその映画館へ向かった。
俺は映画を見るなんて高校の時以来だったし、それ程興味はなかったが、今話題の映画、それも恋愛ものということで晶子は興味津々と言った様子だった。
 実際見てみると、恋愛ものとは思えないほど予想外に淡々とした様子で話は進んでいった。
高校を舞台にした主人公の男と転校生の女の間に輪郭のぼやけた過去がある様子だったが、目立った進展もないままに日々は流れていった。
退屈と言えばそのとおりの展開だったが、そのぼやけた記憶とは何なのか、台詞が少ない分、その映画に興味を持つようになった。
 ある休みの日に、主人公が小高い丘に聳え立つ一本の樹に吸い寄せられるように向かい、そこで自分の目線と同じくらいの位置にある
転校生の名前を見つけた。
そして後からやってきた転校生と向かい合い、巧みなカメラワークの中で二人の居る場所に長い沈黙が続き、転校生は詠うように言葉を放った。

逢瀬の丘にて・・・再び逢える日を・・・

 その言葉を引き金にして、主人公の中にあったぼやけた記憶がセピア色の風景とその時に交わした言葉と共に急激に蘇った。
そこは主人公は転校生の幼き日々の記憶が封印された二人の場所だった。主人公は転校生の求めとも言える問いかけに、遠き日の約束どおり、
樹に刻まれた転校生の名前の横に自分の名前を刻んだ。
 時は流れ、一夜を共にした二人が−ハードなラブシーンはなかった−再びあの樹の下へ足を運んだ。
どちらがあの樹のある場所に行こうと言い出したわけでもなく、それこそ前のシーンで主人公があの樹の元に向かった時と同じように。
台詞が極端なほど少ない展開が、逆にそこに至るまでの経緯や色々な想像を巡らせる手助けとなっているように感じた。

「逢瀬の丘にて・・・再び逢える日を待ち・・・。」
「時の流れが再び交わるとき・・・契りの言葉を交わさん・・・。」

画面に満ち溢れてくる光の中で二人の言葉が詠うように聞こえた。
そこからプロポーズへ続くのかと思ったら、思い出と想いが刻まれた樹を横に、寄り添う二人を捉えたままカメラが引いて終わりを迎えた。
最後まで観る側に興味を起こさせ、考えさせる話の異質な作りに、それまで特別思わなかった他の映画での様々な台詞のやり取りが
無闇に多いようにさえ思わされた。

 映画が終った後、俺の手を取って引き寄せたままだった晶子はなかなか立ち上がることが出来なかった。
ようやく立ち上がってロビーに出てもまだ晶子は涙が収まらないようだった。
俺が珍しく持っていたハンカチで晶子の頬にあった涙の後を拭いてやると、いきなり晶子が抱き付いて来た。
周囲の視線を−羨望と嫉妬の両方を感じた−感じた俺は、兎に角晶子を落ち着かせようと晶子を連れて映画館から出て偶然目に留まった喫茶店に入った。
他の客やウェイトレスの視線が痛く感じる中、どうにか晶子を落ち着かせることが出来た。
 話を聞いたら、晶子が泣いたのは映画のような感じで前の彼氏と結婚しようね、とか言っていたことが幻に終った記憶が、
映画を観て一気に噴出した、ということだった。
前の彼氏も随分勿体無いことをしたもんだな、と言ったら、晶子も同じことを言った。
ポイ捨てされた俺の場合は絶対そんなことはないと思ったが・・・その喫茶店を出て晶子と手を繋いで駅の方へ歩いていったとき、とんでもない奴を目にした。

そいつは紛れもなく、俺をポイ捨てした優子だった。

 俺は優子の追跡を振り払い、晶子の手を取って走れるところまで走った。
過去の思い出じゃなく、過去そのものを見た俺はどうしても、その過去に触れたくなかった。見たくなかった。
 落ち着いてからも何処へ行くか途方にくれた俺は、店に戻ろうという晶子の提案を受け入れて、暫く知らない町の風景を見て店に戻った。
折角の時間に後味の悪さを残してしまって、俺は情けなくてどうしようもなかった。
そんな俺の心情を理解して労わってくれた晶子には本当に救われる思いがした。

 音合わせの「合宿」も終って、俺は補講の為に大学へ向かった。そこで智一から「宣戦布告」を受けた。
もう晶子のことは諦めたと思っていた智一が、まさに万全の準備を整えて晶子を誘おうとしていたことを知って俺は仰天した。そして焦りも感じた。
確かに智一の言うとおり、その時点までの「晶子争奪戦」での俺の優位は間違いなかった。
だが、智一は俺が未だ尚態度を決めかねているという事実を見切って、そこに突破口を見出したわけだ。
 そんな状況においても尚、俺はどうしても「決め手の一歩」が踏み出せないまま晶子とのクリスマスコンサートの練習や一緒の食事に甘んじる日が続いた。
しかし、「待てるだけ待つ」と言った晶子が、もしかしたら俺とは違う方向に傾くかもしれない、という不安を晶子のマンションまで送り届けた俺に告げた。
焦りは益々増し、どうにかして言わなきゃ、言わなきゃ今の関係がそのまま思い出になってしまうかもしれない、という思いが
俺に「決め手の一歩」の背中をつき押して踏み出させた。
 晶子がセキュリティを解除しようと手袋を取ったとき、俺は晶子を呼び止めて色々前置きを並べておいて、
最後まで残っていた「逃げ」の蓋を最大限の勇気で吹き飛ばして晶子に向けて叫んだ。

「今の関係は確かに心地良い。だけど・・・そのままで終わらせたくないんだ。
だから・・・俺と・・・付き合ってくれ・・・!」

 晶子は瞳を涙で潤ませて俺の下に歩み寄って頭を俺の胸にくっつけて、それを支えるように両手を俺の後ろに回した。
ようやく「決め手の一歩」を踏み出して安堵する中、俺は高2の時に1度演奏して封印した曲を聞かせることを約束した。
何もプレゼントを用意していない俺からの、せめてものクリスマスプレゼントにするつもりで・・・。

 2日間に渡るクリスマス・コンサートも無事成功に終った。
後片付けが終ってから4人全員でシャンパンで乾杯して、それから俺と晶子は「二次会」の会場である晶子の家に向かった。
そこでは晶子が予め買っていてくれたケーキと紅茶が待っていた。
俺と晶子は紅茶の入ったティーカップを合わせた。
会話の弾む中、忙しさにかまけて決めかねていた帰省するかどうかに、晶子と同じくこの町に居る結論を出した。
まあ、決心した理由の半分は、帰らないでいようかな、という俺の呟きを耳にした晶子の押しの強さだったんだが。
 そして俺は事前の約束どおり、晶子へのクリスマスプレゼントとして、2年間封印していたオリジナル曲の弾き語りをした。
バンド用に作ったものを少々無理に弾き語り用にしたから違和感がなくもなかったが、晶子は涙ぐみながら満面の笑顔を浮かべて、
手が痛いんじゃないかと思うほどの拍手で喜んでくれた。それだけでアレンジに費やした労力が充実感に変化した。

 晶子からのプレゼントは二つあった。
一つは練習の合間に少しずつ編んでいたという手編みのマフラー。
今まで使っていたマフラーは結構くたびれていたから、実にタイミングの良いプレゼントだった。
その柔らかさと肌触りに晶子の精一杯の想いが詰まっているように感じた。
そしてもう一つのプレゼントは・・・キスだった。
俺はその感触に驚いて目を開けそうになったが、事前の「約束」どおりぐっと目を閉じて、迫り来る密着感を両手で体を支えることで
受け止めるしかなかった。
その後もう一度キスをした。今度は互いに求め合うように。
俺は初ステージを前に緊張の色を隠せずに居た晶子を抱き締めて以来初めて、自分から晶子を抱き寄せた。
そしてあの時には思わなかった、晶子を抱き寄せたい、離したくないという感情が俺を支配した。

 俺は晶子の部屋で朝を迎えた。朝を迎えたといっても一つのベッドで一緒に寝ただけだが。
少し遅れて目を覚ました晶子が二度寝するかと思いきや、買い物に行くと言い出した。
女性専用のマンションで男一人留守番というのも何だし、晶子と一緒に行くことにした。
晶子の案内を受けて俺がこの町に来て初めて訪れたスーパーマーケットで、晶子は必要なものを次々自分の籠に放り込んでいき、
重そうなものは俺が自分の籠に移し変えた。別に晶子が頼んだわけでもない。俺がそうしたくなっただけだ。
 その買出しで一番驚いたのは、晶子が自分で魚を捌いて刺身を作る、と言い出したことだ。
目が怖いだのぬめっとしてるだの言うくせに、その切り身とかは平気で食べるし、爬虫類は可愛いと言ったりする女が巷で目立つ中、
晶子の発言は俺を驚かすには充分すぎるほどだった。
俺の驚きなど知らない晶子の品定めが始まった。
そこで晶子は「奥さん」と呼ばれたが全く動揺することなく、「ご主人」の俺が、晶子が選んだ魚を受け取ることになった。
晶子は「奥さん」と呼ばれたことが嬉しくて仕方ない様子だった。
夫婦ごっこ、と言ってしまえばそれまでだが、俺も悪い気はしなかった。もし幸せな時間の一例を挙げるなら、これも一つに挙げることが出来るだろう。

 買出しが終って仕分けも済んだ後、暇を持て余すのも勿体無いと思った俺は、晶子に日帰り旅行気分で外に出ないか、と尋ねた。
晶子がそういうことに反対する筈もなく、晶子が行きたいと言う海に近い駅を推測して「柳ヶ浦」という駅へ向かうことにした。
さして珍しくない電車での喧騒を聞き流したのもつかの間、俺と晶子は「柳ヶ浦」というその駅で降りた。
駅を降りて直ぐ、これでもか、と言わんばかりに海に近いことと歓迎の看板が掲げられていた。俺の推測が珍しく当たったわけだ。
 冬の海は灰色の空と相俟って寂寥感を醸し出していた。
そんな中、寒風にも負けず海岸で遊んでいる子ども達を見て、俺と晶子は昔と今の子ども達が置かれている状況の違いを
−落差といったほうが良いかもしれない−話した。
話すといっても俺が自論を吐き捨てるように言って、晶子がそれに同感するようなものだったが、晶子もそういう「固い」話が出来ない息苦しさを口にした。
花の女子大生といっても頭はファッションだの流行だのブランド物だのといった話しか出来ない中で、かなり息苦しく思うことがあると晶子は言った。

 人と人との繋がりが大学ではもう希薄になっている、という話から一転して、晶子が「私達みたいなカップルを除いて、ね」と尋ねつつ、俺に回答を迫った。
俺が肯定すると、それまでの切なげなものから一気に明るくなった表情で晶子はいきなり俺に抱き付いて来た。
俺は好きだと口にすることの重みは、関係が始まっても別の形で存在することを思い知った。
そして俺と晶子は波の音を背景に抱き合い、女にとっての「好きだ」と言われる気持ち良さと安心感を語り、そして唇を重ねた。
周囲に人影が見えなかったせいもあるだろう。冬の海が演出する寂寥感のせいもあったかもしれない。
でも、晶子を抱き締めて唇を合わせる中で、互いに好きだと口にすることの大切さを、過去の経験を踏まえて俺は感じた。

 そして自宅の大掃除。あれだけの規模だと引越しかと思われても仕方がないほど洒落にならないものだった。
一人じゃそれこそ雑誌を重ねて隅の方に置いて、はい、おしまい、としてしまっただろう。
幸い晶子が手伝いに来てくれた上に、掃除の手順まで指揮してくれた。
実家から持ってきた溜まり溜まった雑誌も一気に捨てることになって、家具の色が新品の時のそれを取り戻した。
昼には休憩を兼ねて外食に出た。行き先は『Alegre』。俺が優子と朝を迎えた時、必ず朝食を食べに行った喫茶店だ。
そこで俺は過去と正面から向き合い、そして清算するつもりだった。
俺達のことを出汁にしてあれこれと妙な噂話をしていた主婦連に、晶子がコップの水をぶちまけて怒声をぶつけるという、
普段の晶子からは信じられないようなハプニングもあったが、かつて必ず座っていた席を晶子の後ろ側にして、俺は晶子にこの店に来た理由を話した。
何時も座っていた席には座れなかったが、それで晶子に優子の面影を重ねることにならなくて良かった、と思った。

 何時終るのか予測もつかなかった俺の家の大掃除も、夕方には全身に蓄積された疲れと引き換えに終わりを告げた。
文字どおり隅から隅まで掃除した俺の部屋は見違えるほど綺麗になった。
晶子はさらに俺の服の整理もしてくれた。晶子が居なかったらどうなっていたか、考えるだけでも恐ろしい。
 その晶子と夕食をどうするか話していたとき、何気なしに晶子が発した「疲れた」という言葉に過敏に反応した−優子が使った絆を切る鋏だ−俺に、
晶子は労わると同時に叱咤してくれた。言葉の隅々まで過去に拘っていたら、何時までも優子の幻影に振り回されることになる、と。
あの言葉は聞いた時には確かに厳しいものだったが、俺が過去と向き合う姿勢を正してくれたと思う。

 言葉の綾で眠気がすっかり吹き飛んだ俺と晶子を襲ってきた空腹感をどうしようかと考えているうちに、俺がコンビニでおでんを買うことを思いついた。
コンビニ頼りの生活がこんな形で役に立つとは思わなかった。
そのアイデアに晶子も賛成してくれて、早速コンビニへ向かった。
思い思いの具を突っ込んだ入れ物を持って帰って、俺と晶子は初めて両者共健康体で夕食の時を過ごした。
最後に残ったはんぺんは晶子が取って半分食べた後、晶子が残りを俺に差し出した。
所謂間接キスというやつだが、かなり緊張した。直接のキスはしているくせに・・・妙な話だと我ながら思う。





 その日以来、晶子は此処に、つまりは俺の家に居る。
今日が大晦日だから既に3泊している。朝はキスで起こされるのは29日の朝から今日までで3日連続だ。
俺が晶子より早く起きることが出来れば俺から出来るんだが・・・って、何を考えてるんだ、俺は。
 そういえば、この一年を振り返っているうちに随分時間が流れたんじゃないかと思う。
晶子にしてみれば、自分をほったらかしにしておいてずっと考え事してる、と怒っても無理はない。
そう思って壁の時計を見ると、何と言うことか、最後の「兎さん林檎」の食感を堪能してから10分ほどしか経ってない。
俺は目を擦って再び壁の時計を見るが、やっぱり針は10分程度しか動いていない。

「どうしたんですか?」

 何時の間にか−俺がこの1年を回想している間だろうが−俺の隣に居た晶子が尋ねてくる。
晶子も俺が10分間で1年間の回想をしていたとは思いもよらないだろう。

「ん、いや、今年一年を振り返ってみててさ・・・。」
「じゃあ、私と同じですね。」
「え?!」
「私も林檎を食べ終えてから、祐司さんの横で今年一年を振り返っていたんですよ。ああ、こんなことがあったなぁ、って。」

 晶子も1年間を回想してたのか・・・。それにしても、10分程度の時間であれだけ長い回想が出来るものなんだろうか?

「回想って、今年の正月から?」
「ええ、そうですよ。」
「俺もそうなんだけど・・・こんな短い時間で1年分の回想が出来てしまうもんなのか、不思議でならないな。俺はてっきり晶子が、
考え込んでいるうちに自分の世界に入った俺を不安半分不満半分で見てたんじゃないかって思ったんだけど。」
「前の心理学の講義でそういう話があったじゃないですか。人は短時間で長い夢を見ることがあるって。」
「・・・そう言えば・・・そんなこと言ってたな。」
「で、どうでした?祐司さんの見た長い夢は。」

 俺はテーブルに片肘を乗せて、その手に顎を乗せて少し考えてみる。
色々なことがあった今年1年。優子との初詣に始まり、二人共第一志望の進学先に合格、二人っきりの温泉旅行、新生活の始まり、
優子との別れの兆し、優子からの突然の別れの宣告、そして晶子との出会い。
 晶子にストーカーのように追いまわされ、講義だけじゃなくてバイト先まで同じになって、疎ましさと女一般に対する嫌悪感が次第に変わっていき、
初めての晶子との衝突で気付いた俺の気持ち・・・。
晶子からの愛の告白を受け、ずるずるとクリスマスコンサート直前まで引き摺った返事。ようやく互いの気持ちが明らかになった嬉しさ。
もう味わえることはないと思っていた俺に降りかかった新しい幸福な気分と新しい幸せな時間。
単純に振り返るだけでも色々なことがあった。これを一言で言い表すなら・・・。

「・・・色々なことがあったな、ってことがまず一つ。」
「もう一つは?」
「晶子に逢えて良かった、ってことだな。」

 答えを期待するように俺の顔を覗き込んでいた晶子が、ほんのり頬を赤らめて嬉しそうに微笑む。
期待通りの答えだったと考えて良いだろう。でも、言ったことが俺の本心であることには変わりはない。

「そう言う晶子はどうなんだ?」
「祐司さんと同じで・・・、色々なことがあって、その中で祐司さんと出会えて良かった、って。」
「そうか・・・。」

 俺と出会えて良かった、という言葉が嬉しい。俺の顔に微笑が浮かぶ。
控えめなテレビの音声が−晶子が点けて音量を絞ったんだろう−去り行く年と訪れる年の繋ぎ目が近いことを知らせる中、徐に晶子が立ち上がる。

「そろそろ年越し蕎麦の準備しますね。」
「ああ、俺が手伝うことはあるか?」
「直ぐ出来ますから私一人で大丈夫ですよ。」

 晶子は俺の後ろ側を通り抜けて台所へ向かう。晶子が作るのはざる蕎麦じゃなくて掛け蕎麦だ。
ざる蕎麦用の容器なんてないし−そもそも俺が一人でざる蕎麦を作るなんて想像もつかない−、丼は3つくらいあるから
−幾ら何でもインスタントラーメンはせめて丼で食べたいものだ−、必然的に此処で作れるものは掛け蕎麦になる。
 少しして香ばしい出汁の匂いが漂ってくる。
蕎麦を茹で上げた晶子は予め出しておいた二つの丼に蕎麦を入れて、その上に夕食の天ぷらを作る時に用意しておいた年越し蕎麦用のかき揚げを載せて、
さらに出し汁をかける。晶子特製の年越し蕎麦の完成だ。
 俺も立ち上がって台所へ向かう。晶子に何もかもさせるわけにはいかない。少なくとも自分の分を持ち運ぶことくらいはしないと・・・。

「あ、祐司さん。私が運びますから・・・。」
「自分の分くらい自分で運ぶよ。」
「・・・ありがとう、祐司さん。」
「それにしても美味そうだな。さ、早く食べよう。」
「ええ。」

 俺と晶子はそれぞれ両手で丼を持って自分の席へ向かう。
テレビと向かい合う席の右寄りの位置に俺が座り、左寄りの席に晶子が座る。
丼からは眼鏡をかけていたら間違いなく曇る程の湯気と、出汁の美味そうな匂いが立ち込めている。

「それじゃ・・・」
「「いただきまーす。」」

 俺が音頭を取って食事の前の挨拶を済ませた後、二人同時に食べ始める。
蕎麦は茹で過ぎず固過ぎず、丁度良い具合に茹で上がっている。そこに出し汁の豊かな香りが食欲をそそる。
天ぷらを少し齧ってみると、カリカリとした食感の中に出汁が染み込んで、これまた美味い。
まさかこんな本格的且つ美味い年越し蕎麦を食べられるとは・・・俺の運もまだまだ捨てたもんじゃないってことか?

「美味いな、この蕎麦。天ぷらのアクセントも最高。」
「そうですか?そう言ってもらえると嬉しいです。」
「晶子と出会ってなかったら、一人で鍋焼きうどん食ってただろうなぁ。あのアルミホイルで出来てるやつ。」
「実家に帰ったら、美味しい天ぷら蕎麦を食べられたんじゃないですか?」
「・・・そうかもしれないけど、実家に帰るのが面倒で此処に居たかもしれない。となると、結局はアルミホイルの鍋焼きうどんで終わりだな。」

 年越しだから、といって俺が料理をしようとするとはとても思えない。
実家にも帰らないとすれば、やっぱりアルミホイルの鍋焼きうどんが関の山。侘しい年越しになっていただろう。
それはそれで侘しいとは思わなかったかもしれないが。

「祐司さんって、食事と掃除に関しては面倒の一言で終っちゃう人ですね。」
「・・・嫌になった?」
「いいえ。それだけ正直で分かりやすいと、私が出る幕は此処だな、ってよく分かりますから。」
「出る幕?」
「女の人はね、祐司さん。何でも完璧にこなす男の人には近付き辛いんですよ。私が手を出す場所がない、って。むしろ、ちょっと変な言い方ですけど、
隙がある人の方が近付きやすいんですよ。」
「その隙ってやつは、俺で言うところの食事や掃除ってことか?」
「ええ。そこで私をアピールしよう、って思うんですよ。」
「ふーん・・・。そんなもんなのか。」
「勿論、アピールに失敗しないように、っていう緊張感は付きまといますけどね。でも、それは大抵良い方向に働くんですよ。」

 なかなか面白い−興味深いという意味で−話だ。食事を進める手を遅くして、その話に意識の焦点を合わせる。

「男の方は・・・どうだろうな・・・。割と高嶺の花に惹かれる傾向があるかな?才色兼備とか深窓のお嬢様とか。」
「へえ・・・。女の人とは逆なんですね。それで、祐司さんから見て、私はどう映ったんですか?」
「まあ、最初の頃はその・・・あんなことがあって思考が悪い方に悪い方に向かうようになってたから論外として、それから少しして客観的に見た時は
かなり美人だな、って思った。勿論、今でもそう思うけど。」

 照れているのか嬉しいのか、晶子の頬がほんのり紅い。
今はまかりなりにも交際相手だからそれこそ主観の方が客観より強いが、晶子がかなりの美人だ、という見解に変わりはない。
それをそのまま口にしただけだ。こういう言い方は時に相手の心をざっくり抉ってトラブルを招くこともあるんだが。

「それに今思うと、まだ俺の心がささくれ立っていた時から、雰囲気が他の女と違ってたな。チャラチャラ着飾って自分をこれ見よがしに
アピールするわけでもなし、姉御(あねご)面して取り巻きの男を大勢引き連れて新しい取り巻きを物色することもなくて、自然体で、
でも迂闊に声をかけ辛い雰囲気みたいなものはあったように思う。」
「そうですか?伊東さんは気軽に声をかけてきましたよ。」
「智一は、好い女だ、と思えば躊躇なしに声かけるタイプだからな。それに以前、晶子も言ってたじゃないか。よく声をかけられるって。
でも、どうして自分に声をかけたのかって聞いたり、自分が今の容姿でなかったら声をかけたのか、とか聞いたら、相手が困ったような顔をするとか。」
「よく覚えてますね、祐司さん。ええ、そうです。でも、声をかけられるのは以前よりかなり減りましたよ。」
「そうなのか?」
「ええ。多分祐司さんと一緒に大学に行ったりしてるうちに、祐司さんの手に落ちたのか、って思われて、
それが彼方此方に噂になって広まったんだと思います。」
「手に落ちた、ねえ・・・。そう言えば俺も前に同じ科の奴に聞かれたな。文学部の美人と付き合ってるのか、って。
俺の科の方は智一が居るから、噂を広げてくれって言ってるようなもんだからな。」
「色恋沙汰の噂話はかくも早くに広まらんかな、ってところですね。」
「おっ、さすが文学部。古典の一節風に締めたな。」

 俺と晶子は顔を見合わせて笑う。
アルミホイルの鍋焼きうどんを食べている状況だったら、こんな楽しい時間は望めなかっただろう。
テレビで番組を適当に選んで、その音声を聞きながら年と年の繋ぎ目を無機質に一瞥するか、あの出来事を蒸し返して散々心の中を荒らしまわっていただろう。
どちらにしても、全く前向きじゃないことには違いない。

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