慈善「死」医療

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第4章

 翌日、小山内はデータベースにアクセスを試みていた。データベースとは勿論、臓器バンクのそれである。
臓器摘出団によって「ドナー」から摘出された臓器はすぐさま臓器バンクのデータベースにアクセスされて、適合する患者が居るかどうかをチェックし、
もし該当する患者が居るようであれば、すぐさま移植手術が行われるよう、患者が入院している医療機関に連絡が入り、臓器が到着次第手術が
行われるという段取りになっている。
そして、臓器バンクを管理するのは何を隠そう、移植医療推進機構である。
 臓器バンクのデータベースには、臓器提供を待つ患者の情報の他、臓器提供意思表示カードを持つ人の血液型や白血球の型など、詳細のデータが
登録されていて、その人が脳死或いは死亡した場合、直ぐに適合者を検索できるようになっている。
 数年前、臓器提供意思表示カードに臓器提供の意思を表示した人は、臓器バンクの−即ち移植医療推進機構だ−精密検査を受けて、そのデータが
登録される。勿論、その人が臓器にダメージを与える何らかの疾患に羅漢した場合、即座にその医療機関からデータが提出され、その臓器は「対象」から
外されることが法律で決められたのだ。
 まさに臓器移植にとってこれ以上ないという条件が整ったものの、小山内が危惧していたように慢性的な臓器不足に陥り、多くの患者が移植医療を
受けられることなく命を落としていくという現状にはさほど、否、殆ど変化はない。
 小山内はデータベースにアクセスして、昨日命を救えなかった患者のデータを調べようとしているのである。
それは死神との手術が「敗北」に終った後、スタッフの一人の看護婦が小山内に伝えた言葉が頭から離れなかったからだ。

「はっきりとは聞こえなかったんですが・・・『腎臓は・・・片方潰れてる・・・強すぎだ。』とか『肋骨が折れてる・・・肺も破れてるぞ』とか言っていたんです。」

「何か・・・最初から臓器摘出の対象になることを・・・知っていたような気がして・・・。」

 もし小山内の悪い予感が的中していたら・・・臓器摘出団は看護婦が言っていたとおり、運び込まれたその患者が臓器摘出の対象になることを知っていた、
言い換えればその患者が小山内の居る国立総合医療センターに運び込まれる直接の原因となった交通事故を見て見ぬ振りをしていたか、或いは・・・。
小山内は案内に従ってデータベースにアクセスし、昨日の患者のデータを検索する。
ブラウザの画面が少しの間停止した後、患者のデータが一気に表示される。
そして小山内は、その患者の血液型など、臓器移植に密接に関わるような事項は無視して、提供する意思のある臓器一覧を見る。

提供希望臓器:心臓、肺、腎臓、すい臓

 小山内は背筋に冷たいものが流れるのを感じる。
看護婦が耳にしたという、臓器摘出団の会話の内容にあった臓器が提供希望臓器の中に入っている。

『腎臓は・・・片方潰れてる・・・強すぎだ。』
『肋骨が折れてる・・・肺も破れてるぞ』

 やはり・・・臓器摘出団は、その患者の臓器を狙っていたのではないか?
そのために・・・交通事故を装ってその患者を襲撃したのではないか?
嫌な予感が次々と頭を掠める中、小山内はブラウザのウィンドウを閉じ、今度は電話に手を伸ばす。
受話器を耳と右肩で挟んだ状態で、小山内は素早くある番号をダイアルする。
数回のコール音の後、ガチャッと受話器が外れる音がする。

「はい。墨東(ぼくとう)署交通課です。」
「おはようございます。私、国立総合医療センターの小山内と申しますが。」
「小山内様ですか。いつもお疲れ様です。」

 電話に出た婦人警官は、小山内の名を聞いて普段と違う挨拶をする。
国立総合医療センターは墨東署の管轄エリア内にあり、交通事故などの重大事件が−交通事故は半ば日常茶飯事的に起こっているが−起こり、
国立総合医療センターに運び込まれてくる負傷者や死亡者の情報提供を行っている。
その関係で、墨東署と国立医療センターとは密接な関係があり、特に名医として名高い−本人の意には反しているが−小山内は、墨東署では新入署員
以外でその名を知らないものは居ない程だ。

「ちょっとお願いがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
「昨日発生した交通事故について、加害者の身元と被害者の死亡原因を知りたいのですが。」

 交通事故など、公共の場で起こった事故や事件や変死事件などの遺体は、死亡原因特定のため、墨東署付属法医学病院に移される。
昨日の患者も、遺族が悲しみの対面を果たした後、死亡原因の特定のために墨東署付属違法医学病院に搬送されたのだ。
その報告は通常、外部に知らされることはないが、小山内の依頼とあっては断るわけにはいかない。
それだけ、小山内の社会的信用は高いということだ。

「分かりました。データを抽出して小山内様にメールで送信します。」
「その際、暗号化メールでお願いできますか?」
「分かりました。そのように致します。」
「お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。」
「いえ・・・。では、失礼します。」
「失礼します。」

 小山内は受話器を置いて立ち上がる。回診に向かう為だ。
昨日の事件とはいえ、膨大な数の事件事故のデータベースの中から特定のデータを抽出するのはそれなりの時間がかかるだろう。
その間ぼうっとしているのではなく、自分が大切にしている回診に少しでも多くの時間を割きたい。小山内はそう思う。
小山内は部屋を出てドアの行き先案内を「回診」に合わせて、病棟へ向かう。
その颯爽とした後姿とは裏腹に、小山内の頭の中は言い様のない不安に満ちていた。
 回診を終えて自室に戻った小山内は、早速メールチェックをする。
「メール受信中・・・」の文字の横に2桁の数字が見えるが、どうせ別の医療機関で移植医療でないと助からないと言われた患者かその家族からのメールで
あろうと思い、椅子に腰掛けて溜息を吐く。
暫くしてメールの受信数が広範に入って間もないところで、メールソフトがメッセージダイアログを出す。

このメールは暗号化されています。
解読には専用のソフトとパスワードが必要です。

 小山内は思わず身を乗り出して、マウスカーソルをOKに合わせてクリックする。
待ちに待った、墨東署からのデータが記載された暗号メールである。
受信に少々時間がかかったものの、暗号メールを示す小さなアイコンがSubjectの横に表示される。
 全てのメール受信が終ると、小山内は他のメールには目もくれず、暗号メールをクリックする。
するとPCのハードディスクがアクセスを始め、暗号メール解読ソフトが起動してパスワードを要求してくる。
小山内が手早く長めのパスワードを−勿論、他者に見られないようにする為だ−入力すると、「暗号を解読しています・・・」というメッセージと
プログレスバーが表示され、プログレスバーの表示が一定のスピードで左から右へと進んでいく。
「解読完了」のメッセージダイアログが表示され、小山内がOKをクリックすると、メールの文章が表示される。

拝啓

平素からお世話になっております。墨東署交通課の川内です。
お問い合わせの件に関するデータを抽出できましたので、添付ファイルとしてお送りします。
内容は他言無用でお願いいたします。
それでは、失礼致します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
このメールには添付ファイルが存在します。
開く際には万全の注意を払ってください。

 小山内は余程重大な事実があるのかと思い、添付ファイルのアイコンをクリックする。
常駐しているウィルスチェックソフトが起動して、少しした後ウィルスチェックが無事終了し、続いてワープロソフトが起動して添付ファイルが開かれる。
その内容は、概して以下のとおりであった。

加害者:性別は男。それ以外は不明。
    氏名、職業、住所など全ての項目について完全黙秘。
    厳しい追及にも関わらず、黙秘に徹している。
    また、すぐさま弁護士が派遣され、黙秘に徹するよう指導が行われている模様。
    弁護士は加害者の顧問弁護士と称しているが、加害者が顧問弁護士を依頼できるほど経済的余裕が
    あるとは考え辛い。
    顧問弁護士については、当方で調査を開始。

被害者:死亡原因は全身強打による出血多量と脳挫傷。
    肺が折れた肋骨により右側が損傷。
    腎臓は事故時の衝撃により左側が破損。
    心臓とすい臓は摘出されており、所在確認できず。
    その他の臓器は事故時の衝撃により大半が破損している。

 小山内は嫌な予感が的中したような気がしてならない。
嫌な予感、即ち加害者が臓器提供を希望している被害者を狙い、交通事故を起こしたこと、そして顧問弁護士をつけて移植医療推進機構の関係者で
あることを隠そうとしているのではないか?
臓器摘出団は被害者が助からないという情報を入手して−加害者か、或いは控えていた移植医療推進機構の関係者か−、此処国立総合医療センターに
駆けつけたのではないか?
そして・・・被害者が死亡したのを見計らって手術室に「進入」し、被害者の提供希望の臓器を摘出しようとしたのではないか?
そう考えると、あの看護婦が言っていた臓器摘出団の言葉にも納得がいく。
 被害者を「対象者」にするために交通事故を起こしたは良いが、いかんせん衝撃が強すぎたため−鉄の塊がぶつかってくるのだ−、「予定」していた
目的の臓器を一部破損してしまった。
臓器摘出団の迅速すぎるとも言える行動は、目的、即ち被害者が提供を希望していた臓器がデータベースに登録されていたからこその結果だ。
 小山内はメールウィンドウを閉じる。その手がわなわなと震えている。
本来臓器提供者の自発的な意思と、偶発的な事件や事故が重なって不幸にも助かる見込みがなくなった場合にのみ許される筈の臓器提供を人為的に
作り出した。何の罪もない、否、罪がある者であっても許されない筈の故意の事故で、被害者を死に追いやり、その臓器を奪い去っていった。
公平な臓器提供を一元的に管理掌握する存在としてやってはならないこと。
医療に携わるものとして許し難いこと。
それが実施されたのだとしたら・・・二度目、三度目が起こらないという保証は何処にもない。それどころか、何度も繰り返される可能性が高い。

臓器移植、慈善医療の名を盾にして。

 小山内は握り潰してもおかしくない程の力でマウスを握る。
あってはならない筈の事態が起こったのなら、何としても二度目以降は阻止しなければならない。
それが移植医療を行う者として、それ以前に医療に携わる者としての使命だ。
小山内は再び受話器を取り、耳と右肩で受話器を挟んで手早くダイアルする。
3回目のコール音の途中で、ガチャッという受話器が外れる音がする。
そして受話器の向こうから明るい調子の声が聞こえてくる。

「はい。移植医療推進機構でございます。」
「私は国立総合医療センターの小山内という者だ!大至急、データベース管理者か移植医療担当者を出せ!」
「しょ、承知しました。暫くお待ちください。」

 それまで脳天気とも言える明るい口調だった受付らしい女性の声が、小山内の怒声を聞いて事の重大さを察したのか、こわごわした口調になる。
拍子抜けするような保留のメロディが暫く流れた後、ガチャッという音がする。

「はい、移植医療担当の毛利です。」

 小山内の耳に届いた声は、気味悪いほど冷静な男の声であった。
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