Saint Guardians

Scene 9 Act 1-3 結実-Flution- 対峙と対話、そして対面へ

written by Moonstone

 クリスに大きな目標を抱かせた日から3日後。アレンの処置を終えたシーナは安堵の溜息を吐く。

「これで完了ね。」

 崩落した建物の瓦礫の雨霰(あめあられ)とホークの顧問によるサン・レイとレイシャーの狙撃で重傷を負ったアレンは、自己再生能力(セルフ・リカバリー)だけ
では間に合わないと診断したため、執刀したシーナが傷口を縫合していた。その傷も自己再生能力(セルフ・リカバリー)にシーナが調合した薬品の塗布・
投与とルイのほぼ終日のヒールが加わったことで、予想を大幅に上回る速さで回復し、今日の治癒検査と抜糸に至った。
 自己再生能力(セルフ・リカバリー)があるアレンは、傷口を縫合しても跡が残ることはない11)。シーナが安堵の溜息を吐いたのは、この白くて艶のある肌に
傷跡が残るのは惜しいと思っていて、抜糸を終えて傷跡や縫合跡が一切残っていないのを確認したのもある。

「ありがとうございました。」
「どういたしまして。筋肉が多少衰えてるだろうけど、徐々に運動していけば回復するから。」
「分かりました。」
「ルイちゃん、お疲れ様。」
「いえ。色々とありがとうございました。」

 アレンの治癒に大きく寄与したルイは、席を立ってシーナに一礼する。要職にある正規の聖職者ならではの礼儀正しさと律儀さに、シーナは恐縮する。

「そんなに丁寧にしてもらわなくて良いのよ。でも、何だか新妻っぽいわね。」
「え・・・。」

 シーナの冷やかしに、ルイとシャツを着終えたアレンは絶句する。

「食堂や浴室の場所はルイちゃんから教えてあげて。もう食事は普段どおり食べて良いから。」
「は、はい。」

 照れて俯いたアレンとルイの様子を暫し堪能したシーナは、事実上ルイにアレンの付き添いの継続を依頼する。
幾ら傷の治癒が予想より大幅に早まったとは言え、骨や臓器を一部損失していたほどの重傷だったところから完全治癒までは油断ならないから、シーナは
アレンに絶対安静を指示していた−食事は臓器修復を促す薬品に流動食を混合して摂取していた−。トイレは各部屋備え付けだから、アレンは意識回復
以降も部屋を一歩も出ていない。当然何処に何があるか何も知らないから、知っている誰かが教える必要がある。
 リルバン家本館邸宅には必要な期間滞在して良いと当主フォンが許可を出しており、使用人やメイドにも周知されている。だからルイのように部屋を出て
最初に出くわした使用人やメイドに尋ねれば良いのだが、ずっとアレンに付き添っていたルイが案内すれば確実だし、必要なら近くの使用人やメイドを
捕まえれば、懇切丁寧に教えてくれるから何の問題もない。

「じゃ、ごゆっくり〜。」
「『ごゆっくり』って、『お大事に』の間違いじゃ・・・?」

 アレンの突っ込みをシーナは素知らぬ顔で聞き流し、用具を持って退室していく。後姿が楽しげに見えるのは気のせいばかりではない。
部屋に残されたアレンとルイは一度顔を見合わせて直ぐ俯き、話の切り出し口を探る。暫くして、共にオーディション本選が終わってからの約束に糸口を
見出す。口に出さずとも同じことを思いついたのはあくまでも偶然だが、護り護られたことで今生きているという共通項がそうさせたのかもしれない。

「「あ、あの・・・」」
「ちょーっと、良い?」

 アレンとルイが同時に顔を上げて切り出したところで、殺気溢れる調子で割り込みが入る。見ると、開いたドアからフィリアとイアソンが姿を現している。
イアソンがやや遠慮気味−覗いているようでもある−なのに対し、フィリアは威風堂々と仁王立ちしている。辛うじて平静を取り繕っているものの、引きつった
表情の直ぐ裏には猛烈な嫉妬と敵意の炎が燃え盛っているのが明らかだ。
 怒ったフィリアの恐怖を知っているアレンは憤怒溢れるフィリアを見ただけで竦み上がってしまうが、ルイは少しも動じずにフィリアと向き合う。
フィリアとルイの視線の衝突は「竜虎対決」という表現が相応しい。

「・・・えーっと、アレン。シーナさんから傷が完治したって聞いたから、ちょっと話したいことがあってな・・・。」

 何時戦闘が勃発してもおかしくない壮絶な睨み合いに居た堪れなくなったイアソンが、その場からの逃避も兼ねて話を持ちかける。同じくあまりの恐怖に
耐え切れなくなっていたアレンは、ベッドから出る。

「はい、そこまで。」

 ルイがアレンに手を貸そうとしたところでフィリアが制する。引きつった表情は決壊寸前まで嫉妬と敵意が溢れている。

「ルイ。あんたにはあたしから折り入って重要な話があるから、あたしについてらっしゃい。」
「・・・分かりました。」

 念押しするかのように必要以上にゆっくり言って−それが威圧感をより増幅させる−手招きするフィリアに、ルイは静かに対抗意識を燃やして応じる。
フィリアとルイが連れ立って出て行った後、冷や汗を流しながらイアソンが入室する。アレンもつい先ほどまで激しい視線の衝突と爆発を間近で感じていた
ことに伴う緊張感で、大量の冷や汗を流している。

「こ、怖かった・・・。」
「俺もだ・・・。」

 恐怖と緊張感から解放されて間もないアレンとイアソンは、同様の感想を漏らす。ルイが攻撃手段に富む魔術師や剣士などで且つ好戦的だったら、間違い
なくこの部屋が戦闘場所になっていただろう。それだけフィリアとルイの睨み合いは凄まじい迫力だった。

「で・・・、俺に話って?」
「ああ、その件だが・・・。」

 イアソンはそれまでルイが座っていた椅子に腰を下ろし、アレンの部屋を訪れた本来の目的であるルイとフォンの関係改善に向けた協力の依頼を実行に
移す・・・。
 同じ頃。燦々と太陽が照りつける中、フィリアとルイは中庭に出ていた。

「アレンから手を引きなさい。」
「お断りします。」

 単刀直入に本題を突きつけたフィリアに対し、ルイは即答する。引き締まった表情からしても一歩も譲らない決意なのは間違いない。出方を窺ってみたが
全面対決は不可避だと改めて判断したフィリアは、険しい表情でルイを睨みつける。
 フィリアにしてみれば、アレンは長年連れ添った幼馴染でもあり、恋心を抱いてきた異性でもある。これまでアプローチを試みてきたがアレンの鈍さもあって
悉く失敗に終わっていたところに、ルイという新参者が割り込んで来た。割り込んで来ただけならまだしも、ルイはアレンの心をほぼ手中にしてしまっている。
そんなことは到底フィリアが容認出来るところではない。
 幸いなのは、アレンとルイの先ほどの様子からして−イアソンと共に覗き見していた−まだ告白の段階には至っていないと推測出来ることだ。
ルイはおっとりしているが、村に居た時アレンはもとより男性を度々怯ませた自身の威嚇−勿論乱用してはいない−にもまったく動じない上に、1週間も
不眠不休でヒールを使い続けるなどの根気強さや、ホテル内でのアレンとのデートの際に礼服を着用するなどのしたたかさも持ち合わせている。一方の
アレンはいざという時の行動力は確かなものだが、普段は自身も散々手を焼かせられたほど優柔不断ぶりだ。そのため、告白はアレンからではなくルイから
行う可能性が高いとフィリアは踏んでいる。アレンとルイが交わしている約束が事実上そのとおりなのはやはり偶然だが、想定される最悪の事態が現実の
ものとなる前に阻止しなければならないことには違いない。

「アレンはね。あたしの幼馴染なのよ。」
「それは存じています。」
「分かってるのね?なら、人のものを横取りするんじゃないわよ!!」
「幼馴染なら即交際という図式はありません!」

 直情的なフィリアらしい表現を交えた怒声にも、ルイは一歩も引かない。
ルイの言い分はもっともだが、幼馴染という関係はフィリアにとってある意味特権であり、倣いたい前例がある関係でもある。前例とはドルフィンとシーナだ。
幼馴染だったドルフィンとシーナは共にクルーシァに渡り、それぞれの師匠の下で厳しい修行や勉学の日々を過ごし、婚約や同居に至った。
 この世界は交通手段があまり発達していないこともあって、基本的に町村間や国家間での人の出入りは少ない。そのため、幼少時の人間関係が成長後も
引き継がれることが多い。無論それには男女関係も含まれる。ザギに攫われたアレンの父ジルムを捜索・救出する旅に同行することであわよくば、と思って
いたところでアレンを奪われては、ドルフィンとシーナに倣うどころの話ではない。
 恫喝でルイが「撤退」しないことは最早明らか。では、どうするか?嫉妬と敵意に危機感と焦燥感が注がれたことで、フィリアは無意識のうちに選択肢を
狭める。フィリアは両手に魔力を集中させる。魔力の集中を感じたルイは素早く結界を張り、結界が破られた場合の防御系魔法の行使に備える。先手を
打ってパラライズやサイレンス12)で無力化する方策もあるが、好戦的ではないルイは余程の事態でない限り、戦闘を仕掛けられたら防御に徹する。
パラライズやサイレンスによる硬直は一時的なものとは言え相手に極力ダメージを与えたくないというルイの優しさの表れだが、このような事例では戦闘を
未然に回避出来ないという意味で裏目に出てしまう。
 フィリアの両手にはバレーボール大の魔法球が形成される。完全に攻撃態勢に移行したフィリアのルイを見据えた瞳は険しく、鋭い。ルイは視線を
逸らさず、フィリアの出方と防御魔法の発動タイミングを窺う。危害を加えたくはないがアレンから「撤退」するつもりはさらさらないルイは、徹底抗戦の構えだ。

バシィッ!!

 乾いた大きな音が青白い閃光と共に勃発する。フィリアの魔法球がついにルイ目掛けてぶつけられたのだ。結界は破られない。

「退かないってわけね・・・!」

 フィリアはルイの結界に魔法球をぶつけた右手を硬い拳に変え、左手の魔法球を一回り大きくし、強力にする。ルイの対抗姿勢でフィリアの魔力は高まって
いる。
 衛魔術では人を助け護ろうとする心、言い換えれば慈愛や愛情など持続性に左右される感情が魔力の源泉となる。瀕死のアレンを護ったルイが、称号
のみで見れば自身の称号より3つ以上離れているため生命力を削る恐れもある甚大な魔力消費を伴う筈のプロテクション13)
を非詠唱で使用し、ホークの
顧問が指揮した総攻撃でもプロテクションによる防御壁を破られなかったのが端的な例だ。
 一方の力魔術は闘争心や怒りなど、主に衝動的な部類に属する感情が魔力の源泉となる。これは聖職者より魔術師の称号が上昇しやすいことと関連が
ある。平静を保つより怒りを増す方が人間の本能や感情としては自然なのと同等だからだ。無論そのままでは文字どおりの無法地帯になるから、共同社会の
維持形成に際しては各種法律や道徳、倫理といったものが必要となるのは当然だし、魔術師もその魔力を無闇に発動させないよう自律心を養っている。
魔術師がこの世界で高い社会的地位を得ているのはそのためだ。何れにせよ、フィリアもルイも魔力が高まる一方である原因の共通項がアレンであることは
皮肉としか言いようがない。
 フィリアは渾身の力を込めて左手の魔法球をルイの結界に叩きつける。先ほどより衝突音は大きく、閃光は眩い。結界は尚も破られない。ルイの魔力も
高まっている証拠だ。

「フィリア、止めろ!」

 フィリアが2回目の攻撃を準備し始めたところで、イアソンの声が制止に入る。イアソンだけでなく、本館邸宅内から多数の使用人やメイドが不安げに
フィリアとルイの方を見ている。
相当量の魔力の集中以外に2度の大きな衝撃音を聞けば、ただ事ではないと容易に分かる。様子を見に行ってみたら、フォンと同格のルイが上客扱いの
フィリアと対峙しているのだから、使用人やメイドが肝を冷やすのは至極当然だ。

「邪魔しないでくれる?!」
「俺の隣に居る人物にもそう言えるか?」

 声を荒らげるフィリアに、イアソンが呆れた様子で言う。イアソンの隣にはアレンが居る。
怒りのあまりアレンが目に入っていなかったフィリアは、怖いものを見るような表情の−実際そうだが−アレンと視線が合ったことで気まずさを感じて視線を
逸らす。嫉妬や敵意が爆発してのこととは言え、暴力的になっているところを想いを寄せる異性に見られては堪らない。
 ようやく戦闘が終結したことで、アレンとイアソンだけでなく、遠巻きに成り行きを見詰めていた使用人やメイドも一様に胸を撫で下ろす。

「ルイ嬢。アレンとお話していただきたいことがあります。」
「!何よ、イアソン!!あんた、ルイに助太刀するつもり?!」
「それとは違う!」

 先読みして再び感情を高ぶらせたフィリアを、再びイアソンが制する。アレンとルイは告白こそしていないが両想いだから助太刀の必要はない、と付け足し
そうになるが、そこは「言わぬが花」と言うもの。言えば今度はイアソンが八つ当たりも含めた標的にされるだろう。
イアソンの魔術師の称号はフィリアよりずっと低い。しかもフィリアの魔力は怒りや嫉妬で俄かに高まっている。こんな条件でフィリアの相手をしたら、命が幾つ
あっても足りはしない。

「内容はアレンからお聞きください。話の性質上、部外者は同席しませんので。・・・フィリア。」
「・・・分かったわよ!」

 少なくとも今回は恋愛関係ではないと思ったフィリアは、渋々ながらもその場から立ち去る。その際にアレンとルイに釘を刺すべくひと睨みするのを
忘れない。間近でフィリアの凄まじい形相を見て恐怖で竦んだアレンは、どうにか気を取り直してルイに歩み寄る。

「すみません。お見苦しいところをお見せしてしまって…。」
「見苦しいなんてそんなことは…。それより怪我はない?」
「はい。それは大丈夫です。」
「えっと此処じゃ何だから・・・、あそこに座ろうか。」
「はい。」

 アレンはルイと共に中庭の北側にあるベンチへ向かう。アレンを初めて見る使用人やメイドは、例外なくアレンの性別を囁き合う。それだけアレンの顔立ちが
女性的なのだが、先にアレンを見て性別を知っている使用人やメイドから性別を聞いて、女性は一様に「可愛い」と黄色い歓声を上げ、続いて男性の使用人と
同じく「美形同士」「お似合いのカップル」などと評価する。
 後者は当然聞き捨てならないフィリアは、そう評した使用人やメイドを睨みつける。使用人やメイドは、凶暴な魔物も尻尾を巻いて逃げ出しそうな怒気溢れる
フィリアに睨まれて戦慄を覚えて竦み上がる。中には悲鳴を上げたり、恐怖で腰が抜けたようにその場に座り込んでしまう者も出る。
 アレンとルイのカップルを絶対容認出来ないフィリアは、冷めやらぬ怒りを食事で紛らわせるべく専用食堂へ向かう。イアソンはフィリアを宥めるべく後を
追う。このままフィリアを1人にしておいたら、アレンとルイの話が終わったのを見越してルイに再び戦闘を仕掛けかねないからだ・・・。
 ルイと並んでベンチに腰掛けたアレンは、話の切り出しに迷う。イアソンの仲介を得てルイと2人きりになった今、話すことは決まっている。だが、アレンは
あまり気が進まない。時間だけが流れていく。

「・・・フォン当主とのことですね?」

 日が西に傾き始めた頃、ルイから話し始める。恋愛関係の話でないと言うし、他にアレンが口篭るようなことと言えば、フォンとのこと以外に考えられない。
ルイはアレンの療養が終わりに近づくにつれ、食事や休憩でアレンの部屋を出た際にイアソンやロムノから遠回しにフォンとの対面を持ちかけられるように
なった。その度にルイは、今はアレンの治療への寄与に専念したいと言って退けてきている。
 それは半分は本当で半分は口実だった。アレンが完全に治癒したから、それは理由にも口実にもならなくなった。

「・・・うん。」
「そんなに私と話をしたいなら、自分で直接言いに来れば良いものを・・・。」

 アレンを出汁にされたことで皮肉にもルイのフォンに対する拒否感が強まり、吐き捨てるような言い方や言葉に表れる。

「リルバン家の歴史と伝統を継承する候補は、現時点で私1人しか居ないことは知っています。ですが・・・、私である必然性はありません。」

 ルイの発言は自分に異母兄弟が出来ることを容認するものだ。しかし、ルイはフォンが母ローズ以外の女性と関係を持っていないことを知らない上に、
一等貴族当主の看板に何らの執着も未練もない。リルバン家との関係はオーディション本選の強制終了と同時に終わったとさえ、ルイは思っている。

「アレンさんは・・・、私とフォン当主が親子であることを望むんですか?」
「その必要はない、って・・・思ってる。」

 アレンからルイには意外な答えが飛び出す。ルイは思わずアレンの方を見る。
イアソンから、ルイをフォンとの話し合いの場に臨むよう促す依頼を受けたのは事実だ。しかし、先代の時代におけるリルバン家の事情を聞く前にルイから
1対1でルイの側から事情を聞いているアレンには、フォンに対するわだかまりが未だに存在する。同情や共感くらいならまだイアソンの話術で何とかなった
かもしれないが、アレンは口にこそ出していないもののルイと両想いの間柄だ。恋慕の情が理論だった思考を阻害している。
 勿論、イアソンは先日ロムノから聞いた先代の本意をアレンに話している。互いに素直になれずに確執を残したまま死に別れた歴史をつぶさに見てきた
ロムノの心境も話している。アレンも、頭では先代の支配下にあったあの時代では、フォンの選択はやむを得ないものだったと思う。思うが、それをルイと
フォンの親子関係修復へと促す理由に出来ない。

「イアソンからは、ルイさんを説得するよう依頼されたよ。でも・・・、だからと言って、ルイさんにフォン当主を父親と認めるよう言うことは、俺には出来ない。」
「・・・。」
「だから、俺からはルイさんにそのことは言わない。それより・・・、ルイさんのお母さんの願いを・・・叶えてあげて欲しいんだ。」

 アレンの言葉で、ルイは自身の右手薬指で輝きを放つ母の形見でもある指輪を見る。

「ルイさんが填めてるその指輪は・・・、ルイさんのお母さんの形見なんだよね?」
「はい・・・。」
「その指輪はフォン当主がルイさんのお母さんに贈ったもので・・・、ルイさんのお母さんは、ルイさんがフォン当主に会うことがあったら指輪を渡して欲しい、
指輪だけでもフォン当主の傍に戻りたい、って遺言を残した・・・。ルイさんが話してくれたこと、俺は憶えてる。」

 指輪を見詰めるルイの脳裏に、母との記憶が蘇ってくる。

 苛められて泣いて帰った幼少時、優しく抱き締めて神の愛とそれ故の試練を説いた。
 5歳の時、教会の下働きになることと引き換えに自分の戸籍を作った。
 教会での修行の日々の中で、重労働を黙々とこなす姿は励みであり、模範でもあった。
 称号の上昇や役職の昇進の都度報告した時、慢心しないよう自戒を促して最後に祝福した。
 死の間際に自分の出生の秘密を語った時、自分が紛れもなくフォンとの子どもであり、フォンと愛し合った結果神から授かったこの上ない宝物だと言ったが、
 フォンへの恨み言は最期まで一言も口にしなかった。

 母の死後、母の愛情を象徴する右手人差し指に填めるために村の宝飾店でサイズを変更してもらった。その際、宝飾店の店主は特注品かもしれないと
言っていた。聞けば、特注品は首都フィルに店を構えるような名の知れた有能な職人が手がけるもので、単なる成金相手には注文すらも受け付けない代物
だと言う。
フォンは母を逃がす前にこの指輪を手放さないように言い、それは自分を妻として迎える際に何よりの物的証拠になるからだと説明したと母から伝え聞いた。
それを忠実に守り、身篭っていた自分を産んでくれた母の遺志を全うするために、オーディション本選への出場を決意したのではなかったか?
 フォンへの怒りと聖職者の規範に反する自分への怒りから生じたフォンに対する拒否感で凝り固まっていたルイの心が、自身への疑問を契機に少しずつ
融解し始める。

「フォン当主を父親と認めるとか、リルバン家に入るかどうかとか、そんなことは考えなくて良いと思う。」
「・・・。」
「ルイさんのお母さんの願いを・・・叶えてあげて欲しいんだ。ルイさんが、ルイさんのお母さんに代わって、ね。ルイさんしか・・・出来ないことだから・・・。」

 アレンの言葉は、ルイの胸に深く温かい響きを生む。
フォンとの親子関係修復に向けた話し合いに臨むようルイを説得するのが、イアソンのアレンへの依頼だ。親子関係の認知を度外視して母の遺志を優先する
ように言うことは、依頼の趣旨から逸脱している。しかし、アレンの言葉は、ルイに当初の方針を180度転換してオーディション本選に出場することを決意した
原点を思い起こさせるには十分だし、フォンとの接触自体を拒んでいたことから親子関係は兎も角会うことへとやはり180度方針を転換させる大きな要因と
なる。
 15年もの間全くと言って良いほど接点がなく、幼少時から長く続いた母と自身の不遇が相俟って強固に構築されたルイの拒否感や怒りを解さないことには、
親子関係修復に向けた話し合いどころではない。いきなり本題に入らず、まず言葉を交わす。親子関係のみならず人間関係を構築する上で欠かせない
「始めの一歩」が、今のルイとフォンに必要なことだ。
 アレンはそれらを意識して言ったわけではない。先代の時代では止むを得なかったとは言え、愛する相手を地獄の境遇に突き落としたことには違いない
フォンに対するわだかまりは健在だ。しかし、辛さや悲しみや痛みを抱えるルイの心を分かろうとするアレンの気持ちは、結果的にルイをフォンとの対話に
向かわせるよう優しく背中を押しているのだから、アレンを利用したイアソンとロムノの計画は同じく結果的に正解だったと言えよう。
 暫しの沈黙の後、ルイは小さく頷く。アレンはフォンに話し合いの場を持つよう依頼することを申し出て、ルイに快諾される。アレンと共にベンチから腰を
上げたルイの表情は、少しばかり明るくなったように見える・・・。

「では、17ジムにルイ様を応接室にお連れいたします。」
「うむ、頼む。」

 アレンの申し出を受けたロムノから、ルイが話をする意向であることを伝えられたフォンは、表情を少し緩める。ロムノはフォンの執務の進捗状況を踏まえて、
17ジムにルイを応接室に案内することにする。やや遅い時間帯だが、事実上初対面の2人がじっくり話し合うには、執務が続く昼間より比較的手が空く夜間の
方が良いとロムノが考えたためだ。
 失礼します、と言ってロムノが退室した後、フォンは改めて深い溜息を吐く。
ルイが自分との対面を拒んでいることはロムノから聞いている。本来なら自ら赴いてルイに対面を申し出るべきだと思っている。しかし、一等貴族当主という
立場と職務がそれを許さない。一等貴族当主でなかったらもっと容易に対面し、思い出話に花を咲かせることも出来ただろう。一等貴族当主の地位を決して
渇望していなかったフォンは、ルイの母ローズと交際していた時代以降、何度も自分の地位や立場が疎ましく思う時がある。今回もそうだ。
フォンは書類が積まれている執務机の隅に置かれたドローチュア立てを手に取る。1組の若い男女が描かれた1枚のドローチュアは、フォンがルイの母
ローズと交際を始めて間もない頃に描かせたものだ。
 一等貴族当主の直系として、先代が筆頭格だった強硬派の動きを少しでも抑えるべく対案を作成・提出し、そのための学習や調査に勤しんでいたフォンと、
メイドの1人に過ぎないローズがじっくり話を出来る時間はごく限られていた。ロムノの計らいがあって共に居る時間が増え、身分の差に躊躇していたローズが
心を開いたことで想いは通じた。記念になるものをと思って、昼下がりに中庭に佇むピクタ14)の大樹の傍らにローズと並んだところを描かせたドローチュアが、
今や唯一ローズの面影を留める貴重品である。
 若き日のローズとルイは、髪と肌の色は同じ。顔も良く似ている。ローズと生きて再会することは叶わなかった。しかし、ローズが娘に望んだ名とセルフェスの
姓、そしてローズに贈った指輪をしかと携えたたった1人の愛娘は存命している。ドレスのような衣装を纏ってオーディション本選の舞台に上がった娘ルイは、
実に見事な成長ぶりを見せてくれた。教会人事監査委員会の一員として監査した異動要請許可申請書に必ず大量に登場したルイは、今や正規の聖職者と
して全国の教会関係者が注目する存在ともなっている。信心深かったローズの影響を強く受けてのものだと分かる。まっとうに育ってくれたことを嬉しく
思わずには居られない。
その娘に父親として何もしてやれなかったことを悔い、せめて今後はリルバン家に迎えて出来る限り親子の時間を過ごし、償いとしたい。
フォンはドローチュアに描かれたローズに、間もなく娘と対面出来ることの喜びと期待、そしてそれら以上の不安を心の中で伝える・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

11)自己再生能力(セルフ・リカバリー)があるアレンは・・・:同じく自己再生能力を有するドルフィンの身体に傷跡が多いのは、ドルフィンが自己再生能力を
開花させるまでに受けた傷であるため。


12)サイレンス:衛魔術の1つで支援系魔術に属する。対象の声帯を硬直させることで魔法使用を封じる。一定時間(称号によって異なる)で硬直は解ける。
声帯以外で発せられる魔法(サラマンダーが放つ火の槍など)に対しては効果がない。キャミール教では司祭以上で使用可能。


13)称号のみで見れば・・・:Scene4 Act2-3で解説しているが、プロテクションはルイの称号より5つ上の主教で使用可能である。すなわち本来なら3^5=243倍
もの魔力を消耗する計算となる。


14)ピクタ:この世界における常緑の広葉樹の1つ。春に芳香を放つ花を咲かせる。キャミール教の創世神話で神が最初に大地に植えた木として描かれること
から、ランディブルド王国の家庭は好んでこの木を植える。


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