Saint Guardians

Scene 9 Act 1-2 結実-Flution- 人間関係の過去、現在、そして未来

written by Moonstone

 暑い日ざしも、細やかな刺繍が施されたレースのカーテンを介すことで柔らかくなる。網戸を通して注ぎ込まれるそよ風と相俟って、穏やかな空気を作る。
アレンが運び込まれた部屋もそうだ。真夏の日中とは思えない穏やかな空気だけでも、療養中のアレンの気持ちを平穏に保つに十分だ。
アレンには加えて、シーナによる適切な薬品の投与と塗布の後で看護を任されているルイがヒールを非詠唱で継続使用して治癒を促している。アレンには
自己再生能力(セルフ・リカバリー)が備わっているから必要ないし、アレンもルイの魔力消耗を考えて止めてはみたのだが、ルイはやんわりと、しかし頑なに
拒んでヒールを使い続けている。ヒール使用が停止するのは、ルイが食事や入浴、就寝などのために一時的に退室する時だけと言って良い。
 リルバン家の唯一の次期後継候補でもあるルイには当然のことながら別室が供与されている。しかし、ルイがその部屋で時間を過ごすのは就寝と着替えの
時だけだ。専らアレンの治癒を促進するために時間を費やすことは、ルイには何ら惜しくない。ヒールを受けるアレンは、春のような部屋の陽気と毛布に
全身を優しく包まれたような温もりと心地良さに浸って目を閉じている。ゆったりした周期で小さな呼吸を規則的に繰り返す様子は、眠っている時と何ら
変わらない。
 ルイは一旦ヒールを止めてアレンの鼻元に手を近づける。微かな空気の流れがその手に規則的に触れる。アレンは何時しか本当に寝入ってしまっていた。
ルイは安心して微笑み、アレンを起こさないよう静かに退室する。昼食が済んでから3ジムもの間ヒールを継続使用していたルイは、アレンが寝入った間に
魔力回復に有効な休憩を挟むことにしたのだ。
 専用食堂に向かう途中でルイと出くわした使用人やメイドは、口々にルイに挨拶をして用事の有無を確認する。ルイは恐縮してすぐさま丁寧に挨拶を返し、
自分のことは自分でするので気遣わないよう依頼する。これまでの生活は自分のことは自分でするのが基本だったし、教会の上級職に昇進するにつれて
率先して職務を手がけることが必然であり、それが当たり前のこととばかり思っていたルイは、絶えず誰かに何かすると言い出されることに未だに相当な
違和感を覚えずにはいられない。
 専用食堂には先客が居た。アレン用の薬品の製薬を終えてドルフィンと寛いでいたシーナ、薬剤師の勉強のためシーナの助手を志願して担当したリーナ、
そしてフィリアだ。ルイを見たドルフィンとシーナが表情を明るくしたのと対照的に、ドルフィンとシーナとは別のテーブルで1人ティンルーを啜っていた
リーナは視線だけ向けて一瞥すると直ぐ何事もなかったかのように視線を戻し、やはり1人でアイスクリーム6)を食していたフィリアに至っては殺意という
レベルに達した敵意と嫉妬が篭った、大抵の者が見たら恐怖するような怖い顔で睨みつける。ルイはフィリアの無言の威圧に屈せず、ドルフィンとシーナが
居るテーブルに向かう。
アレンの治癒に多大に寄与している医師兼薬剤師のシーナは、ルイにとっては感謝して止まない恩人だ。律儀なルイはアレンへの定期的な診察と薬品の
投与・塗布を続けているシーナに深く一礼する。

「シーナさん。何時もありがとうございます。」
「良いのよ、お礼なんて。どう?アレン君の具合は。」
「はい。おかげさまで順調そのものです。今は眠っています。」
「その間に休憩か。良いことだな。」
「ありがとうございます。」
「ヒールはまだ継続使用してるの?」
「はい。少しでも早くアレンさんに治って欲しいので。」
「無理はしないようにね。」
「はい。お気遣いいただき、ありがとうございます。」

 失礼します、の一言と再度の深い一礼でシーナへの挨拶を締めくくったルイは、空いているテーブルに座る。直ぐにやって来たメイドにティンルーを頼む。
待っている間にふとフィリアと目が合う。涼むのに最適なアイスクリームを食しながら、フィリアはルイを睨み続けている。
アレンは傷の深さから完全回復するまで面会謝絶とシーナが決定している。そのアレンが居る部屋でアレンと唯一2人きりになれるルイが、フィリアの敵意や
嫉妬を生まない筈がない。睨んでもルイが一向に動じたりしないことで、フィリアは敵意と嫉妬の炎をより強める。咥えたスプーンは何時噛み切られても
不思議ではない。

「ありゃあ。結構人口密度高いなぁ。」

 緊迫していた専用食堂の空気を一瞬で脱力感に変える一言が発せられる。声の主は勿論クリス。半袖シャツの襟を肩まで捲り上げ、首にかけたタオルで
滴る汗を拭う様子は、健康的な色気を醸し出している。その隣には同じく汗だくのイアソンが居る。
一見不思議な組み合わせだが、共に陽気で気さくな性格なためイアソンとクリスは直ぐに打ち解け、アレンの手術が済んでからはクリスがトレーニングを
する際にイアソンを誘って相手役にしている。クリスに免状を上回る技と破壊力を齎すに至った実戦を想定してのトレーニングは、魔術師の称号は高いとは
言えないものの魔道剣士として諜報活動の最前線に立つだけの戦闘力も持つイアソンを伴うことで、より洗練されたものになっている。元々身体を動かす
ことが好きなイアソンにとっても、自らの肉体のみを武器と防具にして俊敏に技を繰り出すクリスとのトレーニングは、戦闘技術の向上に大いに役立っている。
 クリスは互いに異性の友人と認め合ったイアソンの恋愛相談に応じている。それは専用食堂に隣接する専用酒場7)を舞台として毎晩のように行われて
いるのだが−大酒飲みのクリスが酒の肴にしている部分もある−、ここでは割愛する。
ルイの姿を見たクリスはルイと手を小さく振り合い、自信溢れる様子でドルフィンに歩み寄る。カルヒルを飲んでいたドルフィンが何かと思ってクリスを見やる。

「ドルフィンさん。あたしと勝負してくれませんやろか?」

 クリスの発言は、それまでルイに激しい視線を向け続けていたフィリアは勿論、イアソンとクリスの入室にも我関せずといった様子でティンルーを飲んでいた
リーナも、先ほどまでクリスのトレーニングに付き合っていたイアソンも仰天するに余りある。人間兵器と言う他ない戦闘力を誇るドルフィンに勝負を挑むなど、
ドルフィンを知るパーティーにはただの自殺幇助の依頼としか思えない。だが、周囲の仰天や動揺を他所にクリスは続ける。

「その背ぇの高さ。筋骨隆々な体格。まさにあたしが倒して下僕とする理想の男ですわ。」
「ほう・・・。」

 妙な野望を実現すべくドルフィンに照準を絞ったことを、称賛らしい言葉を交えて表現するクリスに、ドルフィンは不敵な笑みを浮かべる。
フィリアとリーナとイアソンはどのようにクリスを止めようか懸命に思案する。ドルフィンが応じる前にクリスを止めなければ、今日でクリスの人生が終焉して
しまうと本気で焦っているからだ。一方のクリスはグローブを胸の前で突き合せて、勝負への意欲を見せる。

「イアソン相手のトレーニングで自信も深まったことですし、ここらで一丁、どうでっしゃろ8)?」
「良いだろう。」
「そう来なくっちゃあ、男が廃るっちゅうもんですよな。」

 場の成り行きで止める機会を逸したまま、ドルフィンがクリスの挑戦を受けてしまう。ドルフィンは残りのカルヒルを一気に呷って席を立つ。

「ドルフィン。」

 シーナが不安そうに言い出す。ドルフィンの戦闘力は、力の聖地クルーシァで修行と生活を共にしたシーナが最も良く知っている。

「絶対怪我させちゃ駄目よ?」
「分かってる。」
「シーナさん。婚約者やからドルフィンさんを心配するんは分かりますけど、方向が違うてますよ?」

 全然違ってない、とフィリアとリーナとイアソンは心の中で突っ込む。だが、ドルフィンはクリスに先導されて勝負の場所へ向かう。
シーナだけでなく、フィリアとリーナとイアソンも、そしてティンルーを飲み始めて間もないルイも、クリスの身が不安になって席を立ち、後を追う。ルイは瀕死の
アレンを護ったプロテクションの内側から、ドルフィンがホークの顧問を片足1本で軽々と倒したのをその目で見たから、他の面々と同じくクリスがどうなるか
不安でならない。
 ドルフィンが案内されたのは、燦々と日が差す邸宅本館前の広大な庭。イアソンを相手役にしたトレーニングの場でもあるそこで、クリスはドルフィンに言う。

「此処でやりましょうや。ルールはどうします?」
「そうだな・・・。お前が俺に一撃でも与えればお前の勝ち、ってことでどうだ?」
「一撃でも・・・って、拳でも蹴りでも何でもええんですか?」
「勿論だ。戦闘で手段を選ぶ必要はない。」

 露骨なまでのハンディキャップを提示されたクリスの表情が次第に厳しくなる。

「えらい自信ですなぁ。一撃ですよ?一撃食らわせたらあたしの勝ちですよ?ホントにええんですね?」
「構わん。」
「負けてから文句言わせませんで。」

 プライドを損なわれたこともあって、クリスは首にかけていたタオルを荒々しく投げ捨ててドルフィンと10メールほど間合いを取って身構える。獲物を見据えた
猛獣のような瞳は気合十分だ。ドルフィンはシーナに絶対怪我をさせないように念押しされ、愛用のムラサメ・ブレードを地面に置いてクリスと向き合い、何と
腕組みをする。眼前で更に多大なハンディキャップを積まれたことで怒りが生じたクリスは、両の拳をより硬くする。
 緊迫の時間が僅かに流れた後、クリスが突進して蹴りを放つ。対戦の行方を不安げに見守る面々には「決まった」と思わせる素早い動きからの一撃だが、
ドルフィンは身体を捻るだけで悠々とかわす。一撃で決める筈、決まる筈だった技が空振りに終わったことにクリスは少なからずショックを受けるが、これで
戦闘不能になるほどクリスの精神力は柔ではない。即座に体勢を立て直して突きを連発する。だが、ドルフィンはクリスの拳が当たらない分だけ後ろに下がる
ことで回避する。
必要最小限の動きでクリスの攻撃を難なくかわす様に、特にトレーニングの相手をしているイアソンは驚愕する。
 自らの肉体のみが武器であるクリスが繰り出す技は、真剣にかわすかしっかりした防御で受けないと簡単に弾き飛ばされてしまう。武術着という防具を着用
してはいるが、金属製の鎧より防御力は低い。更に賢者の石を手に埋め込んでいないから、結界を張る術を持たない9)。だから、クリスは「やられる前にやる」
攻撃スタイルを確立している。それは陰湿で執拗な苛めに遭うルイを護るために、武術家の免状試験で必要な礼儀作法より習得する優先度がはるかに高い
ものでもあった。
 フィルの町に到着するまでの道中で何度か襲撃されたが、全身鎧や金属製の盾をものともしない破壊力の技で兵士達を倒してきたクリスに護られ、
戦闘中や戦闘後に補助系魔法や支援系魔術や治癒系魔術を使用してクリスを支援したルイは、長年の付き合いでクリスの戦闘力が並々ならぬ高さである
ことを良く知っている。だから、村でのオーディションで圧勝した際、クリスが自分の護衛として真っ先に名乗りを挙げたことは嬉しく思ったし、頼もしくも
思った。
訓練された国軍の兵士でも大半は力不足で、指揮官を務めるクリスの父ヴィクトスで互角というほどのクリスが護衛なら、心情的にも安心して護衛を依頼
出来ると思ったからだ。そのクリスの技が一度もヒットしないのは、ルイは初めて目にする。だからクリスが無事で済むのか、ルイは不安でならない。
 クリスは拳の連打を繰り出していた間合いから蹴りを放つが、ドルフィンは蹴りが命中する直前に高くジャンプし、クリスの頭上で腕組みをしたまま宙返りを
してクリスの後方に着地する。これでクリスとの位置関係が先ほどまでと真逆になった。背後を取られたクリスは瞬時に向きを変えて身構えるが、ドルフィンは
腕組みをしたままだ。見る限り隙だらけだし、繰り出した攻撃はどれも手加減していない。だが、かすりもしない。こんな相手はクリスも初めてだ。激しく
吹き出る汗は暑さだけが原因ではない。

『な、何やねん・・・。全然当たらへんて初めてや・・・。』

 クリスは再び突進し、拳と蹴りを連発する。だが、どれもドルフィンの必要最小限の動きにかわされる。

「なかなか筋が良いな。動きに無駄がない。」
「!!」
「技が幾分単調なのが惜しい。」

 自分が間髪入れずに次々と繰り出す技をかわすどころか観察さえしていたことを仄めかされて、クリスは流石に動揺する。しかし、それで動きを止めること
なく、技が単調と批判されたことに回し蹴りを終えたばかりの右足を強引に逆回転させて応える。回し蹴りに続く後ろ回し蹴りも、ドルフィンは難なくかわす。

「即興力もある。武術家として申し分ない。」
「このっ!!」

 クリスは拳の間合いまで距離を詰めてから蹴りを連発するが、これもドルフィンにはまったく当たらない。道中襲撃してきた兵士達やホテルで叩きのめした
武術家など比較にならない相手だと確信したクリスは、攻撃を続けながらどうやって一撃を当てるか思案する。肘や膝も交えた連続技も繰り出されるが、
ドルフィンは全てを必要最小限の動きでかわす。スタミナが低下してきたクリスは、技の連発を止めて間合いを十分取り、一撃を当てる術を懸命に考える。
 かわされてばかりではスタミナを消耗するだけだ。スタミナが枯渇する前に勝負をつける、すなわち一撃を当てなければ、スタミナ切れでギブアップと
相成る。勝負を挑んだ側としてそれだけは絶対避けたい。このような場合、相手の隙を突くか裏をかくのが最も効果的だが、ドルフィンは見た目隙だらけ
なのにこれまでの攻撃を全てかわした。ならば、後者を選択するしかない。
裏をかく・・・。魔法が使えないクリスが取れる策は限られる。狭い間合いからの蹴りもあっさりかわされた。他に裏をかく策と言えば・・・。

「はああああああああ!」

 クリスは雄叫びを上げながら突進し、ある程度間合いが狭まったところで前方にジャンプし、蹴りを放つ。ジャンプからの蹴りはこれまで放っていないことを
踏まえた上で思いついた策もしかし、ドルフィンは身体の向きを変えるだけでかわしてしまう。

「跳び蹴りもあったか。なかなか鋭い。良く鍛錬していることが分かる。」
「くっ!!」

 間合いが狭いこととドルフィンが側面に居ることからクリスは反射的に裏拳を繰り出すが、ドルフィンは首を少し仰け反らせるだけでかわす。

「跳び蹴りの後は隙が出来る。そのフォローもしっかりしている。」

 クリスは何とか一撃を当てるべく、残りのスタミナを振り絞って技を次々と繰り出す。しかし、いかにクリスのスタミナが高い方とは言え、限度がある。
クリスの攻撃がついに鈍ってきたところで−スタミナ切れを隠せているのは流石だ−、クリスの拳を脇に避けてかわしたドルフィンがクリスに告げる。

「よくやった。出直して来い。」

 ドルフィンはクリスの首筋に軽く手刀を入れる。その瞬間、クリスの動きが止まり、前のめりに崩れ落ちる。地面に突っ伏すより先にドルフィンが片腕で
受け止める。ぐったりとなったクリスは微動だにしない。勝負を見守っていた面々が一斉に駆け寄ってくる。

「クリス!」
「心配は要らん。1ジムほど寝させてやれば目を覚ます。」
「怪我、させてない?」
「ご覧のとおり、無傷だ。」

 意識を失っているクリスを、ドルフィンから託されたイアソンが抱きかかえる。トレーニングでの猛々しさや、食堂や酒場での豪快さがないクリスは、
意外に軽くて柔らかい。友人という意識は変わらないが、クリスは女の姿をした男ではなくて本来は見た目どおり細身で華奢な女性なのだ、とイアソンは
認識する。

「部屋に運んでやれ。挑戦は何時でも受ける、と伝えておいてくれ。」
「わ、分かりました。」

 ドルフィンは満足そうな様子で本館に入っていく。シーナが後を追う。イアソンはドルフィンに言われたとおり、クリスを部屋に運んでベッドに寝かせる。
クリスが殺されなかったことにイアソンは勿論、同行したフィリアとリーナとルイも安堵の溜息を吐く。ドルフィンが本気を出していれば、クリスは既にこの世に
居ないどころか、遺体すら満足に残してもらえなかっただろう。

「クリスの攻撃がまったく当たらなかったなんて、初めてです・・・。」
「・・・ドルフィンに攻撃を当てられるくらいなら、ドラゴンにも勝てるわよ。」

 ドルフィンが店で用心棒を務めていた時代の武勇伝を幾つも知っているリーナがしみじみと言う。リーナの言葉はフィリアとイアソンも完全に同意する
ところだ。
 ドルフィンの戦闘力をよく知らなかったがための勇み足にしてはあまりにも無謀な挑戦だった。フィリアとリーナはクリスの無謀さに呆れるばかりだが、
イアソンは自身の力を出し切ったクリスを称賛する心境で、ルイはこれまで何度も自分を護ってくれたクリスが、技を悉くかわされてもドルフィンに果敢に
挑み続けたことを誇りに思う。同じ事象に遭遇しても、その評価は人間関係の深みや相違で大きく異なるものだ。
 ドルフィンが言ったとおり、1ジム後にクリスが目を覚ます。心配で様子を見ていたフィリアとリーナとイアソンとルイの表情が晴れ上がる。
クリスはやや焦点がぼけている目で自分の顔を覗き込む面々の顔触れを確認し、続いて身体を起こして周囲を見回す。自分の状況が理解出来ていない
ようだ。

「あたし・・・、あれ?何で・・・?」
「ドルフィンさんに手刀一発入れられてあんたがダウンして、勝負あり。」
「・・・あー。右からの一撃横にかわされた瞬間、首に軽いショックがあって目の前が真っ暗になったんやけど、それで勝負決まってもうたんか・・・。」
「ドルフィンに勝負挑んで命があっただけ、ありがたいと思いなさいよ。」
「全然攻撃当たらへんかった・・・。あんなん10)初めてや・・・。」
「ドルフィンからは、挑戦は何時でも受けるって伝言があったけど、命惜しかったら金輪際止めておくことね。」
「んな馬鹿な。これででかい目標が出来たんや。逃す手ぇあらへん。」

 攻撃を全てかわされて一撃で倒されたことに懲りたと思いきや、クリスが闘志を新たに燃やし始めたことが、フィリアとリーナには信じられない。
だが、クリスは目標を持つことで自分を鍛錬し、目標を達成することに生き甲斐を感じるタイプだ。ルイを護ることもそうだった。容赦のない苛めをルイから
退けるには、徹底的に相手を打ち負かす以外なかった。自分よりはるかに体格の良い相手や、力の強い相手も居た。それに勝つには自分を鍛えるしか
なかった。技を磨き、体力を増し、素早さを増すことで攻撃力を高め、ルイを護ってきた。
 ルイが正規の聖職者として名を馳せ、苛めの手が求婚にまで変貌したことで、クリスは自分を強くする目標を探していた。そこに圧倒的な強さを持った
ドルフィンが強烈な存在感を示したのだ。クリスが燃えない筈がない。

「晩御飯食ったらトレーニング再開や。イアソン、付き合うてな。」
「それは良いが・・・。」
「今度からは魔法も使うてや。魔法避けて攻撃出せるくらいやないと、ドルフィンさんには通じへん。」
「更に実戦を想定するわけか。分かった。」
「・・・この戦闘馬鹿。」

 呆れたリーナがクリスを一言で批判するが、新たな目標が出来たクリスは誰が見ても生き生きしている。完敗したことによる精神的ダメージを心配する
必要はまったくなさそうだ・・・。
 その日の夜。イアソンは、ロムノの居室を訪れていた。
夕食後に早速魔法も加えた激しいトレーニングに臨んだクリスの相手をしたからかなり疲れているが、解明したい疑問が幾つかあることで生じた好奇心が
疲労感を上回っている。ルイやホークの顧問を巡る諜報活動の敏腕ぶりを買われたイアソンは、ロムノの居室に出入りする許可を得ている。先日ルイに伝えた
オーディション本選後の状況も、こうしてロムノの居室を訪問して直接聞いた。

「突然の訪問にも関わらずお時間を割いてくださり、ありがとうございます。」
「いえ。今回は何用ですかな?」
「リルバン家に関する事項を知りたいと思いまして。」

 イアソンが提示したのは、ロムノの居室を訪ねて1対1で事情を聞くに相応するものだ。
お家騒動ではえてして血縁を問わない人間関係の暗部が複雑に絡んでいる。ルイを巡る一連の騒動もその例に漏れない。お家騒動に関する情報が外部に
漏洩することは、王族や貴族など格式のある家庭では権威失墜や第三者の妨害が加わる危険性が高い。現にオーディション本選後にフォンとルイの関係が
明るみに出たことで、バライ族排除を掲げる王国議会の二等三等貴族の強硬派議員がフォンの辞任を求める決議を提出した。決議は臨時建議会で却下
されたが、今後の議会で二等三等貴族の強硬派議員がフォンの秩序や倫理を槍玉に挙げて審議を妨害する可能性は十分ある。
 イアソンは当然議会運営に関与することは出来ないが、ルイが出生してから現在まで翻弄されたリルバン家の事情を把握することで、フォンとルイの関係
修復−構築と言うべきかも知れない−に寄与したいと考えている。それはリルバン家筆頭執事としてフォンが絶大な信頼を寄せているロムノも同じだ。
フォンが今後正室や側室を迎えるつもりはまったくないと知っているし、分かりやすい形で表に出さないもののルイがフォンに激しい怒りを抱いていることも
知っている。ルイがアレンの看護に専念しているのは、アレンの治癒に助力したいのもあるが、フォンと関わるのを極力避けるためでもあるとイアソンと
ロムノは察している。

「お時間を取るので、今回は1つだけ。・・・何故先代はホークを次期後継候補に指名されなかったのでしょうか?」

 イアソンはパーティーの誰もが大なり小なり抱いている疑問を口にする。
リルバン家における諜報活動でも、リルバン家先代当主、すなわちフォンとホークの実父が強硬派の中で名立たる存在で、思考を同じくするホークを次期
当主に指名する意向だったという。だが、先代はホークを次期当主に指名しないまま急逝し、フォンが当主に就任した。
 先代の次期当主指名に関する不可解な行動は他にもある。
フォンが使用人だったローズと深い関係になったことを知った時点で、一等貴族の直系としてあるまじき所業だとフォンをリルバン家から追放したり処刑したり
してもホークが居るのだから実行しても不思議ではなかった。ローズ襲撃に失敗したナイキが自分を襲撃したとでっち上げた嘘で先代は激昂したというが、
その際にフォンとローズを纏めて追放するなり処刑するなりしても、ホークを次期当主に指名するなら何ら問題なかった筈だ。
何故先代の意向がホークのみならず使用人やメイドも知るところとなったのに、先代はホークを次期当主に指名しないまま逝去したのか。
 ホークが次期当主に指名されていれば、フォンはリルバン家に見切りをつけて速やかにリルバン家を出ただろうし、ローズと関係を持った後ならローズを
伴っただろうし、そうなればルイが私生児として出生する事態はかなりの確率で回避出来ただろう。
ロムノは先代の在位中に筆頭執事に昇格したリルバン家の重鎮。先代が思想の違いを超えてその能力を認めざるを得なかったほどのロムノなら、何か知って
いるかもしれないとイアソンは見込んでいる。

「・・・先代は待っておられたのです。フォン様が変わられるのを。」
「変わられる・・・?」

 ロムノは小さく頷いて、先代とのエピソードを語り始める・・・。

「またか!!フォンめが!!」

 執務室に怒声が響き、書類が乱雑に引き裂かれる。座して書類を引き裂くのは先代。机を挟んで向き合うのはロムノ。何度目かの光景にもロムノは
動じない。
先代はゴミ箱に書類だった紙切れの束を投げ捨て、怒りを多分に含んだ深い溜息を吐く。ロムノを睨む視線は他の者が見れば竦み上がるのは確実だが、
ロムノはまったく動じずに佇んでいる。
 先代が引き裂いた書類は、間接的議案提出権を得たフォンが作成した農漁民の基本税率引き下げ法案。提出したのはフォンの顧問も担っているロムノ。
バライ族の国からの排除と農漁民からの税率引き上げを推進する強硬派の筆頭格である先代が、フォンの対案を認める筈がない。

「あの馬鹿者めはいったい何時になったら分かるのだ!!このような法案で民族浄化後の我が国が維持出来ないと!!」
「・・・。」
「ロムノはフォンに諭しておるのか?!」
「はい。フォン様の顧問として。」

 ロムノが嘘を吐いていることは、先代は見通している。仮にロムノが諭してもフォンが変節しないことも、先代は見通している。
かつて自身が何度もフォンに民族浄化の必要性を力説して考えを改めるよう命令したが、フォンはまったく聞く耳を持たなかった。自身の右腕でもある
ロムノがフォンの顧問を担当すると志願したことで当初は若干期待したが、既に期待は潰えている。かと言って見せしめ的にロムノを処分するのは、自身の
職務に著しい支障を来たすことになるから不可能。それらを全て見越している先代は、怒りをロムノにぶつけることも出来ず、深い溜息を吐いて紛らわせる
他ない。

「・・・このあたりでホーク様を次期当主に指名されてみては?さすれば、ホーク様も研鑽に取り組まれるかと。」
「奴が一等貴族の職務を担うに値する職能を獲得するには、お前が顧問になっても100年はかかる!」
「・・・。」
「そういった事情すら分からんのか?!フォンめは!!」

 吐き捨てた先代はまた深い溜息を吐く・・・。

「…先代は、本心ではフォン様を次期当主に据える意向だったのですね?」
「はい。ホーク様の慢心とそれに伴う怠惰はもはや矯正不可能であると、先代は見切っておられました。」

 ロムノの補足で、イアソンは先代の本心を完全に把握する。
先代が思想を同じくするホークを次期当主に指名する意向だったというのは表向きで、真の目的はフォンの改心を促すことにあった。
ホークが一等貴族当主の職務をこなせるだけの能力を得ることは到底見込めない。だが、深刻な確執があるフォンに改心するよう命令しても、聞き入れる
ことはやはり見込めない。先代は能力が明らかに低いホークを次期当主に指名する意向だとの情報を意図的に流すことで、期待はしないが一応ホークに
自己研鑽を促すと同時に、ホークが次期当主に就任することに対する危機感をフォンが持ってひいては改心することを目論んでいた。
 先代が強硬派の筆頭格として議会内外で存在感を得ていたのは、強硬派の大部分を占める国粋主義としての表面だけの民族浄化と、自らの懐を暖める
ためだけのやはり表面だけの基本税率引き上げに留まらず、民族浄化による人口減と労動力減少、それに伴う税収減少を補完する策として基本税率
引き上げを推進し、イアソンは知らないが、同時に人口純増に繋げる出生率上昇と養育を税率引き上げで増収した税金で補助する策を講じるなど、深い
思慮を有していたためだ。
 方針の相違やことの善悪を別にすれば、先代の一等貴族当主としての能力が確かだったことが窺える。しかし、その目論見は叶わぬまま、先代は急病を
罹患して逝去した。先代の真意を知るのは今やロムノのみ。先代やロムノの心境はいかばかりか。

「親子と言えども他人同士。言葉を交わして心を直接突き合せなければ、分かり合えますまい。」
「仰るとおりです。しかし、フォン様が早くから先代の方針に異議を唱えられたことで生じた確執を解消することは出来ませんでした。」

 先代とフォンは深刻な確執を残したまま死に別れ、結果として相続争いに巻き込まれたルイは、リルバン家に関する話を聞こうとしないのもあって事情を
知らないまま、フォンに激しい怒りを抱いている。このままではリルバン家の相続もそうだが、親子関係の修復は不可能だ。

「不謹慎を承知であえて申しますが・・・、リルバン家云々よりまずはフォン様とルイ様の関係を改善するのが先決かと。」
「私もロムノ様と同じ考えです。リルバン家における人間関係の負の連鎖を断ち切る必要があります。」

 イアソンとロムノの見解は一致する。
ルイのフォンに対する誤解や怒り、わだかまりを解かなければ、ルイはリルバン家当主継承を拒む可能性があるし、何より先代の時代から続いてきた人間
関係の負の連鎖を断ち切らないことには、当主継承どころの話ではない。しかし、ルイはリルバン家に関する話を聞こうとしない。
 アレンの看護に専念するためとのルイが言う理由は、話を聞くことを拒否するための口実だと分かっている。しかし、仮に無理矢理聞かせたとしても、
15年の歳月とその間にあった幾多の辛苦の体験で強固に構築されたルイのフォンに対する感情を変化させられるとは思えない。妙案はないものかと
イアソンとロムノは思案する。

「アレンが・・・鍵になるかもしれません。」
「アレン殿、ですか。」
「はい。ルイ嬢がご自身の出生も交えた身の上話を最初にされた相手は、他ならぬアレンです。言い換えればそれだけ、ルイ嬢がアレンに心を開かれている
という証拠。アレンが最も問題を打開する可能性を有していると思います。」
「なるほど・・・。」

 イアソンの提案に、ロムノも賛同した様子だ。
リルバン家の歴史を目の当たりにしてきた者として、フォンの事実上の後見人として、互いに唯一の肉親でありながら分かり合えないで居るフォンとルイの
関係を改善したいとロムノは切に思っている。その打開策を現在療養中のアレンが有しているなら、表現は悪いが利用しない手はない。

「アレン殿の完治は何時頃に?」
「訪問の前にシーナさんに確認したところ、ルイ嬢の貢献もあって当初の予定より早まり、あと2、3日で全快する模様とのこと。」
「左様ですか・・・。では、イアソン殿。」
「私からアレンに事情を説明します。」

 イアソンは打開に向けて行動することを申し出る。
アレンとて、ルイと両想いになった過程でフォンに対して良い感情を持てなかった。フォンの口から事情が明かされた場でも、アレンは度々感情を高ぶらせて
いたから、直ぐに説得出来る可能性は低い。だが、フォンとルイが関係改善に踏み出せると知れば、アレンも態度を軟化させて協力に乗り出す可能性はある。
 ルイを直接説得出来る見込みがほぼゼロと言える今、ルイと両想いになり、しかも親友のクリスにも話さなかった出生の秘密を明かすほど心を開いた相手で
あるアレンに説得させるのが得策だ。イアソンはルイの身の安全を保障すべく、アレンと情報交換で行動を共にした。思い遣りの気持ちが強い故に感情が
高ぶりやすいところはあるが、決して聞き分けがないわけではない。上客扱いでパーティー全体を保護してくれている恩義に応えることも兼ねて、イアソンは
アレンの説得を決意する。イアソンの能力を十分認めているロムノは、イアソンに期待を寄せる。
 そのアレンは、引き続きルイの非詠唱のヒールを受けていた。夕食を済ませて直ぐヒール継続使用を再開したルイは、アレンと手を取り合っている。
フィリアが見たら激怒するのは間違いない光景が、ランプに照らされて仄かに浮かび上がる・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

6)アイスクリーム:製造法は我々の世界のものと同じだが、冷凍手段に乏しいこの世界で夏に食せるのはごく一部の富裕層に限られる。アイスクリーム自体が
この世界では高級デザートに分類される。


7)専用酒場:専用浴場や専用食堂と同じく、来客のみ使用出来る酒場。ランディブルド王国の王族と一等貴族の邸宅には必ず設けられている。

8)どうでっしゃろ?:「どうでしょうか?」と同じ。方言の1つ。

9)賢者の石を・・・:これまで解説してこなかったが、実は賢者の石を埋め込んでいれば結界を張ることは可能である。魔力が高い方が当然持続時間は長く、
強度は高い。「何故賢者の石を埋め込むだけで結界が脹れるのか」という命題は、魔術師の大きな研究テーマである。


10)あんなん:「あんなの」と同じ。方言の1つ。

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