Saint Guardians

Scene 1 Act3-1 解放-Liberation- 対峙、そして正義無き戦いへ

written by Moonstone

 国家特別警察が、アレンの家を急襲した夜が白々と空け始めた。本部施設の1階にある巡回兵士の詰所から、交代で巡回に出る兵士達が出て来る。
兵士達は煙草を燻らし、見るからに威張り散らした様子で談笑している。

「いやあ、外回りは辛いよなあ。」
「全くだ。その代わり、臣民共を気ままに殴れるのが幸いだな。刃向かったら逮捕してやればいいし。」
「ここに戻ったら囚人達の拷問大会だ。それを楽しみにパトロールに励むか。」

 兵士達が建物の外に踏み出した瞬間、目に飛び込んできた凄惨な光景に思わず叫び声を上げる。

「何事だ!」

 叫びを聞きつけて駆けつけた別の兵士達も、目の前の光景に目を疑う。
正面玄関前には兵士達の惨殺死体が転がっていた。ある者は全身をハンマーで叩かれたかのように潰され、ある者は全身をバラバラに切り刻まれており、
見るに堪えないものばかりだ。
 彼らは夜間に町を巡回していた兵士達と、本部施設前で警備に当たっていた兵士達である。そしてその中に、原形を殆ど留めない無残な死体−昨夜
アレンの家に突入した警備隊長の変わり果てた姿−がある。最も惨たらしいその死体は、木切れを組んだ十字架に頭らしい部分を下に磔にされている。
兵士達は恐る恐る警備隊長の口らしき穴に放り込まれていた紙切れを取って見る。紙切れには次のように書かれていた。

「警告。国家の家畜は三日以内に全囚人を解放し、この町から退去せよ。
退去しない場合は、全員この死体のようになることを覚悟すべし。
死神より愛を込めて」

 文面を読んだ兵士達は一気に顔面蒼白になる。
この町に入り込んだ謎の殺人者は、自分達に刃先を向けると宣言した。兵士達は死の匂いが強烈に漂う脅威という名の刃を喉元に突き付けられたのである。

「なるほど。これが奴流の警告か。」

 出入り口から数人の屈強な護衛に守られて、長官マリアスが出てきた。兵士達は言いようのない恐怖を無理矢理押え込んで慌てて立ち上がり、
マリアスに敬礼する。

「無残極まりない殺し方に直々のメッセージ。やってくれるものだ。」
「で、では長官、これは奴が我々をこのように殺すという?」
逆さ十字1)に磔にするとはな。フフフ。味な真似を。」

 マリアスは葉巻を大きく吹かす。恐怖に脅える兵士達とは対照的に、マリアスは何故か冷静そのものだ。

「警備隊長は大きな間違いを犯した。奴に絡んだことだ。決して触れてはならない禁断の書物を紐解いたのだ。」
「し、しかし、我々に挑戦するとは・・・。何の得にもならないのに・・・。」
「奴がこうまでしてきたのだ。それは損得の問題ではあるまい。」

 兵士達は一斉にマリアスに注目する。

「で、では長官、奴と・・・。」
「当然だ。仮に死神であろうと、国家に牙向く者を野放しにしてはならん。」

 マリアスの一言に兵士達は身を固くする。上官の命令のためというより、死にもう一歩近付いたという恐怖のためだろう。

「現在より非常事態令を発令する。臣民を外出禁止とし、総動員態勢で警戒に当たれ!そして反逆者の家を包囲しろ!」
「は、ははっ!」

 兵士達は沸き立つ恐怖を無理矢理胸の奥に押し込み、再度マリアスに敬礼する。
マリアスの余裕はドルフィンの力を知らないことから来ている。いかに最強の武術の継承者と言えども、重装備の兵士達を相手に一人で戦えるはずがないと
高を括っているのである。
 町の見張り塔の鐘が激しく打ち鳴らされ、非常事態令が発令された。買い物に出ていた主婦や畑仕事に出かけようとしていた農民達は勿論、洗濯物を
干そうとしていたところで血相を変えた兵士に家に押し戻された者もいた。
 町の外にいるのは兵士達だけという状態になるには、そう時間はかからなかった。アレンの家の周囲に兵士達が駆けつけ、通りに面する出入り口を完全に
包囲した。騒然とする町の動きを、一羽の黒い蝶が空をふわふわと飛びながら見下ろしている。蝶は眼下の緊迫感を他所にふわふわと優雅に舞い、包囲する
兵士達の頭上を飛び越え、昨夜の騒ぎで壊された玄関を塞ぐように箪笥やがらくたで築かれたバリゲートの隙間を通り抜けてアレンの家へ入って行く。
 外の厳戒態勢とは裏腹に、居間ではアレンとフィリア、そしてドルフィンが朝食を摂りながらのんびりと寛いでいる。カーテンを全て閉めた為、少々薄暗い
居間にあの黒い蝶が舞い込んで来る。

「おっ、戻ってきたか。」

 ドルフィンはその蝶に右手を差し出す。蝶はドルフィンの右手に乗ると、ポンと軽い音を立てて消滅する。ドルフィンは少しの間目を閉じ、何か考えるように
押し黙る。

「非常事態令まで発令しやがった。兵士達は血相変えてやがる。」

 黒い蝶はドルフィンが召喚したパピヨン2)だ。

「出入り口前に惨殺死体を陳列されたら、普通はびびっちゃうよ。」

 アレンは昨夜までとは別人のように顔色が良くなっている。父親を救出できるという希望が持てたことで、ここまで変わったのである。

「でも、家の周りは包囲されちゃったみたいだし、大丈夫なの?」
「なあに。居たけりゃ居させとけばいい。3日以内に出てかなきゃ死ぬだけだ。食料は大丈夫だな?」
「はい。十分もちます。」
「じゃあ、アレンの体調が完全回復するまでゆっくり静養していれば良い。」

 ドルフィンはアレンの体調が完全に回復する猶予期間として3日とした。わざわざ待たなくてもドルフィン一人で突っ込めば簡単に解決しそうなものであるが、
ドルフィンはアレンの父親救出を手伝うということで協力するのであり、アレンが動かなければドルフィンは何もしない。協力は惜しまないが依存は拒否すると
いうのがドルフィンの方針であり、勿論、そのことはアレンも十分承知している。

「3日の間にパピヨンを奴等の本部に忍び込ませて内部構造を調べる。アレンの父親や他の囚人達の収容場所を確認しておかないと、人質を取られて
厄介なことになるかも知れんからな。」
「報復措置と言って囚人に手出ししないでしょうか?私、それが心配で・・・。」

 フィリアの不安はもっともだ。国家特別警察に脅しをかけたのは良いが、これが彼らを刺激して囚人に余計な危害を及ぼすようなことになると問題だ。

「心配要らん。その点も召喚魔術で押さえておく。ちょっとでも囚人に手出しすれば数人死ぬように強力な奴を送り込んでやる。」

 ドルフィンの計画は穴がないように練られている。戦闘能力が抜群に優れているだけでなく、戦略能力も申し分なく持ち合わせているドルフィンはまさしく
戦闘のプロだ。

「じゃあ、早速実行に移すか。パピヨン。」

 ドルフィンの召喚で、先程の黒い蝶がドルフィンの前に姿を現す。

「奴等の本部の建物に入って内部構造を調べろ。頭がいる場所と囚人達の収容場所は精密に記憶しろ。」

 パピヨンはドルフィンの命令を聞いて、ふわふわと居間から飛び去って行く。

「じゃあお次。こいつは耐性がないと危険だから迂闊に近付くなよ。アベル・デーモン。」

 ドルフィンは次に、犬の頭に山羊の角を生やし、真紅の法衣に身を包んだ悪魔を召喚する。アレンとフィリアは、見ているだけで体から力が抜かれて
いくような気がする。

「主よ、何用か?」
「さっきのパピヨンの後を追え。囚人達に少しでも危害がなされたら適当に兵士を殺せ。できるだけ残虐にな。」
「承知。」

 アベル・デーモンは信じられないほど従順にドルフィンの命令を聞き入れ、かき消すように姿を消す。

「ついでにもう一匹。外の兵士達にもプレッシャーをかけてやるか。サラマンダー3)。」

 ドルフィンが召喚したのは、猛烈な光と熱を発する火の玉に包まれた、炎の槍を持った蜥蜴のような火の精霊だった。

「我が主よ、用件は何か?」
「外をうろついてる兵士達を軽く脅かしてやれ。民家や一般市民にくれぐれも危害を与えないように注意しろ。」
「仰せの通りに。」

 サラマンダーは次第に小さくなり、やがて消えた。
召喚の一部始終を見ていたアレンとフィリアは、ドルフィンの驚異を垣間見たような気がした。パピヨンに始まり、悪魔や精霊をいとも簡単に召喚する
ドルフィンは、二人にとっては雲の上の存在に思える。

「す、凄い・・・。」

 アレンは思わず呟く。

「別に凄くはない。召喚魔術は魔物さえ倒して従えさせりゃ誰でもできる。俺は魔物と数多く戦うっていう普通じゃない経験をしただけだ。」
「でも、悪魔や精霊なんて、そうそう従えさせられるものじゃないよ。」
「お前達は町から離れたことがないだろう?街から離れりゃ魔物の巣窟だ。魔物と戦う機会も必然的に増える。俺はその機会を生かしただけだ。」

 ドルフィンは別段気取る様子もなく、ごく当たり前のように言う。しかし、ドルフィンにとっての当たり前は、二人には想像を絶する強大な力に違いない。
 オークやミノタウロスのように一般的な市販の武器でダメージを与えられる魔物は別だが、パピヨンやアベル・デーモン、そしてサラマンダーなどは人間とは
属性が異なる存在であり、通常の武器では全くダメージを与えられないし、魔術でも相当強力なものでないとかすり傷すら付けられない。そのような魔物や
精霊に武器でダメージを与えるには魔力の篭った武器を使用するのだが、魔力が篭った武器は魔術を使うのと殆ど同じで精神力がないとまともに扱えない
ため、下手をすれば一般の武器よりも威力が落ちてしまう。
 つまり、悪魔や精霊を召喚できるということは、腕力のみならず魔力の篭った武器を自在に操れるだけの精神力と技量、或いは強力な魔術を十分使い
こなせることの裏返しでもあるのだ。

「アレンは召喚できる魔物は持っているのか?」
「それが、魔術が嫌いなもんで全然・・・。」

 アレンが恥ずかしそうに答える。

「ははぁ。魔術学校で嫌な目に遭ったんだな?大方呪文の暗記押し付けられたんだろう。」
「な、何で分かるの?!」

 アレンは心の中を見透かしたようなドルフィンの指摘に驚く。

「魔術嫌いになるのは大抵教える人間が悪いからだ。まあ、人それぞれ好き嫌いってもんがあるから無理に好きになれとは言わんが、召喚魔術は便利だから
食わず嫌いは止めた方が良い。」
「でも、召喚魔術の相手にできそうな魔物って、この辺じゃオークくらいしか・・・。」
「オークは扱いたくないか。気持ちは分かる。あんな豚面、突進するだけでろくに役に立ちゃしねえからな。」

 ドルフィンのユーモア溢れる言葉に、二人はくすくす笑う。

「別に召喚魔術は攻撃用途ばかりじゃない。日常生活でも役立つ代物もあるもんだ。例えばこれだ。ドルゴ。」

 ドルフィンはテルサに来るまでに乗っていたドルゴを召喚する。

「これ、行商の人がよく乗ってるやつじゃないですか?」
「そうだ。こいつは知ってるかもしれんが結構乗用として普及してる。ただ、置き場所に困ったりするから、召喚魔術にしとけば必要ないときは消せるし、
必要なときはいつでも呼び出せる。呼び出さない間は餌を食わせる必要もない。良いことばかりだ。」
「へえ・・・。でも、この町じゃドルゴはあんまり飼われてないんだよ。小さな町だし、移動する人が殆どいないしね。」
「折角会ったんだ。記念にやるよ。」
「え?いいの?」

 アレンはドルフィンに聞き返す。

「ああ。ドルゴはもう一匹ある4)。番(つがい)で倒して一匹余ってたんだ。それをやるよ。」

 ドルフィンは召喚したドルゴを消して、もう一度ドルゴを召喚する。前のものよりやや小ぶりだが、それ以外は前のものと殆ど変わりはない。

「これと今から戦うの?家の中で?」
「いや、その必要はない。契約を更新すればいい。」
「契約って、どうやってするの?俺、全然知らないんだけど。」
「ああ、そうか。じゃあ、俺が途中まで契約の呪文を唱えてやる。」

 ドルフィンは腰の短剣を抜いてアレンに差し出す。

「これから機会があるかも知れんからやり方を覚えておくといい。やり方は簡単だ。まず、自分の血で相手の適当な場所に契約の証を描く。証は魔法陣でも
文字でも記号でも何でもいい。契約者本人の血なら構わない。」

 アレンはドルフィンの言う通りに指先に軽く短剣を刺して、滲む程度に血を出す。ドルフィンの頭文字である「D」の文字が血文字で描かれたドルゴの額に、
真似して「A」と上書きする。

「よし。じゃあ描いた場所に手を翳すんだ。そして呪文を唱える、と。」

 アレンが描いたばかりの血文字に手を翳すと、ドルフィンは呪文を唱える。

「我、大いなる神の名の下に彼の者と血の盟約を交わし、下僕として従わせ給え。我が名は・・・。」

 ドルフィンがアレンに目配せする。アレンはドルフィンが何を言いたいか察して言う。

「アレン・クリストリア。」

 すると、ドルゴの額に描かれた血文字がほのかに輝き、ドルゴはゆっくりと姿を消す。

「これで良し。これからドルゴと呼べば一瞬で出てくる。試しにやって見たらどうだ?」
「う、うん。ドルゴ!」

 アレンが恐る恐る言うと、アレンの前に先程のドルゴが瞬時に姿を現す。その額にはアレンと契約したという証である、「A」の血文字が確かに描かれている。
アレンは初めて召喚魔術を使えたことで素直に感動を覚える。

「これじゃちと無理だが、知能が高いやつはいろいろ命令することもできる。主の命令は絶対だから不用意なことは言わない方が良い。名前が分からん
場合は、契約してから種族名を言えと言ってやれば頭に思い浮かんでくる。」
「うん。ありがとう。大事に使わせてもらうよ。」
「ドルゴ一匹でこれほど感謝されるとはな。こっちもやった甲斐があるってもんだ。」

 ドルフィンは笑みを浮かべる。

「ドルゴの乗り方は簡単だ。この一件が片付いたら教えてやろう。」
「これって何人くらい乗せられる?」
「そうだなぁ。余程の体重じゃねえ限り、あの大きさなら二人くらいは乗せられるだろう。」

 ドルフィンは続いてフィリアに向き直る。

「フィリアはどうする?欲しけりゃ何かやるぞ。」
「よろしいんですか?」
「ああ、遠慮することはない。どんなやつが欲しい?」

 フィリアは暫く考え込んだ末に答える。

「魔術師が使う力魔術は攻撃用途が殆どでしょう。これは魔術の特性ですから仕方がないんですが、防御、特に武器の攻撃を防げるようなものがいいかなと。
兵士達との戦闘に備えるという意味もありますし・・・。」
「成る程。それならいいやつがある。ノーム5)。」

 ドルフィンが召喚したものは、背丈が30セーム6)程の赤い帽子を被った小人だった。

「何か御用ですかい?旦那。」
「今から契約を更新する。新しい主に従うように。」
「分かりやした。では、どうぞ。」

 フィリアはアレンから短剣を受け取って、先ほどアレンがしたように指に軽く短剣を刺して血を滲ませる。

「おや、新しい主は若いお嬢さんですかい?こいつは嬉しいことで。」
「お上手ね。これからよろしく。」
「へい。こちらこそ。」

 ノームの愉快な話し振りに、雰囲気が和む。

「呪文は知っているな?」
「はい。魔術学校で教わりました。」

 フィリアはノームの帽子にアレンを真似て「F」の血文字を書き込んで手を翳し、呪文を唱える。

「我、大いなる神の名の下に彼の者と血の盟約を交わし、下僕として従わせ給え。我が名はフィリア・エクセール。」

 ノームの帽子に描かれた血文字がほのかに輝く。

「姐さん。今後ともごひいきに。」

 ノームはそう言ってゆっくりと姿を消していく。

「愉快な精霊ですね。」
「ちょっと変わった奴でな。まあ、威力は確かだからせいぜい使ってやってくれ。効力の範囲はミドルレンジ7)だ。」
「はい。どうもありがとうございます。」

 フィリアは丁寧に頭を下げる。名実ともに尊敬に値する三大称号の魔術師ということで、それなりの礼儀を守らないといけないと思っているからである。

「これで準備はほぼ整ったな。あとは3日間、奴等の動きをゆっくり眺めるだけだ。出て行かねえなら警告通り皆殺しだ。」

 ドルフィンは余裕たっぷりに言う。それは慢心から来るものではなく、絶大な実力と綿密な計画に裏打ちされた自信から来るものだ。
 ドルフィンが発した撤退警告から4日目、猶予期限の終了を告げる朝が来た。
徹夜で厳戒態勢を敷いている兵士達の疲労の色は、目に見えて濃くなっていた。何時死刑執行人となったドルフィンが姿を現すとも知れないという恐怖と、
その恐怖と正面から戦わなければならないという境遇に、兵士達の神経は参り始めていた。さらに巡回中の兵士達の前に度々火の精霊が現れて、炎の槍を
投げ付けて追い回したため、疲労に拍車がかかっていた。
 兵士達ばかりではなく、長官以外の幹部連中も何時襲ってくるかも知れない恐怖に打ちひしがれていた。ドルフィンの警告の腹いせに兵士が囚人を拷問に
かけた途端、突然現れた悪魔によってその兵士はおろか、仮眠を取っていた兵士、食事中だった幹部の一人が次々と内臓を抉られ、手足をもぎ取られて
惨殺されたため、毎日恒例行事のように行われていた粛正という名の囚人の拷問−多分に彼らの気晴らしを含んでいる−が全くできなくなっていた。
囚人に手出しすれば容赦しないというドルフィンの無言のメッセージが、強烈な効果を生み出したのである。
 長官マリアスは自分が直接関わらない為か、一部幹部の撤退の進言にも全く耳を貸さず、町に居座り続ける方針を固持していた。そのため、
国家特別警察はドルフィンによる死刑執行を待つ身となってしまったのである。

「冗談じゃないよ・・・。」

 アレンの家の周囲を包囲している兵士の一人が呟いた。

「片手で人間の頭を砕くような化け物とどうやって戦えっていうんだ。無茶にも程がある・・・。」

 兵士の呟きを咎める他の兵士はいない。口には出さないまでも、包囲する兵士の誰もがそう思っていたからである。包囲網の責任者である警備隊長
代理が、その兵士につかつかと歩み寄る。

「貴様、何という不謹慎なことを言うんだ!」

 今までならこれで終わったのだが、もはやそのような抑圧は無効果だ。その兵士は隊長代理を睨み付けて言い返す。

「じゃああんた、あの家に突っ込んでみろよ。出来るか?」
「貴様、上官に対してその口は何だ!」
「喧しい!」

 別の兵士が叫ぶ。

「こんなこと、命令じゃなけりゃやってられるか!わざわざ死刑台に上りに行くようなもんだ!」
「上の命令を垂れ流すだけの奴が、偉そうに言うな!」
「そうだそうだ!」

 命令ばかりで何も直接手を下さない上役と、否応なくあらゆる危険の矢面に立たされる部下の確執という、上位下達の組織に見られる典型的な歪みが
如実に表れてきていた。隊長代理も、兵士達の今までになかった反応にたじろく。

「わ、私だって立場があるんだ。理解してくれ。」
「五月蝿い!幹部達に言ったらどうだ!奴と戦って勝てるもんならやってみろってな!」

 アレンの家の包囲網は内部から崩壊を始めていた。その様子を、カーテンの隙間からアレンが眺めていた。

「あーあ。喧嘩始めたよ。」
「だろうな。脅しをかけて、何もしない幹部と危険に晒される部下、そしてそのパイプ役の中堅幹部の間に確執が生まれるのを狙ったが、やはりうまく
いくもんだ。上役の圧力で動く組織なんざそんなもんだ。」

 ドルフィンはソファに腰掛けて、のんびりとコーヒーを飲んでいる。

「恐らく本部の幹部連中以外は、戦闘意欲が喪失しているだろう。こんな窒息しそうな状況は御免だと思っているさ。苛立ちの捌け口の拷問も出来ないし、
溜めざるをえない不満は精神を徐々に蝕んでいく。」
「そんなことまで計算してたのか。凄いなあ。」
「戦いは武器をぶつけ合うことが全てじゃねえ。むしろ、心理戦や情報戦、駆け引きの重みの方が大きい。戦争ってのは正義や聖なるとか体のいい枕詞を
付けたところで本質は同じ、泥臭くて卑らしいもんだ。正義の戦争や聖戦って言葉は所詮、それを言う人間が自分の主義主張の正当化のために使うもんだ。」
「・・・正義の怖さですね?」
「そうだ。正義とか善とか秩序とか、耳障りのいい言葉を頻繁に言う人間は信用しない方がいい。その典型的な例が今、この町でお目にかかれるはずだ。
国家への忠誠、秩序回復を言いながら奴等がやってることは何だ?単なる自己顕示と抑圧だ。これでも奴等にとっては正義だ。それが正義という言葉の
恐ろしいところってわけだ。」

 ドルフィンの言うことは、二人の胸に重くのしかかって来る。
場合によっては国家特別警察を撃破して囚人達を救出することで、正義と称してのぼせ上がってしまいかねないところに、ドルフィンは釘を刺したのだ。

「ドルフィン。俺、思うんだけどさ。ドルフィンの言うことが正しいなら、この世には善も悪もないってこと?」
「極端な物言いをすりゃあ、善や悪は人の数だけ存在する。世間一般の道徳や躾や規律なんてものは、最大多数の人間に共通し得るルールと言っていい。
そのルールに則った言動が正義で、その逆が悪となるわけだ。だから、そのルールが一部の人間の都合の良いように解釈されたり、作られたりすると大きな
歪みが生まれるってわけだ。」

 ドルフィンはアレンの疑問に哲学的な回答を示す。

「それに正義を守る為、悪を倒す為だからと言う枕詞も要注意だ。悪の側にいる人間を正義の為と言って虐げて、そのための行為は人殺しでも構わない。
そうなればそれも結局正義の側の言う悪と同等だ。ルール違反で相手を悪としておきながら、自分はルール違反をしても構わないって言うんだからな。」
「・・・俺達が今からしようとしてることって、何なの?」

 アレンが尋ねると、ドルフィンはコーヒーを一気に飲み干して言う。

「お前の父親を救出するための行動だ。場合によっては殺し合いも辞さない。」

 アレンとフィリアは息を呑む。

「理由はどうあれ人殺しは人殺し。それをどうやって正当化しても無駄だ。殺し合いに目的はあっても正義は無い。この事はよく憶えておくことだ。」

 二人は事の重大さを改めて認識する。
囚われの人々を救出する為とは言え、妨害する兵士達を殺せば人殺しには変わりない。それを正義の為の戦いということは、目的の為には殺し合いも
構わないと宣言するのと同じである。所詮戦争は殺し合いだということ、殺し合いという行為に善も悪もないということ、それを美化するのは危険だと
いうことをドルフィンは二人に言っておきたかったのだ。

「今から動くのはアレンの父親の救出のため。それだけを考えればいい。」

 二人は一度だけ小さく頷く。

「じゃあアレン。主役のお前が行動開始を宣言してくれ。」

 ドルフィンが言うと、アレンは一度咳払いをして緊張した面持ちで宣言する。

「行こう!父さんを救出する為に!」

 一行は気を引き締める。アレンは愛用の剣を持ち、鉄製のハーフ・プレート8)を身につけている。フィリアはこんな事態を予想していなかった為、
普段着のままだ。ドルフィンは細身の剣だけ持っている。
 一行はドルフィンを先頭にして居間を出る。廊下を進み、玄関に築かれたバリゲートをドルフィンが軽々と退けていく。激しい口論をしていた兵士達は、
突然の物音に驚いて玄関の方を見る。一行が兵士達の前に姿を現す。

「全員集合だ!!」

 隊長代理が面目を保とうと号令をかける。さすがに兵士達も全員玄関前に集結して、一行と睨み合う。ドルフィンがゆっくりと剣を抜く。その刃の妖しい
輝きに、兵士達は身を固くする。

「死刑執行だ。」

 ドルフィンの一言に、兵士達は口々に悲鳴を上げる。

「な、何をしておる!!怖じ気つくな!!」

 隊長代理が懸命に兵士達の士気を煽ったが、恐怖に震える兵士達には全く無効果だった。兵士達は武器すら構えられずに顔面蒼白で震えている。

「そこのお前。」

 ドルフィンが隊長代理を剣で指す。

「他人に命令する前に、まず自分が手本を見せろ。」

 隊長代理の顔が引き攣る。周囲を見回すと、兵士達が疑いの眼差しを向けている。
ここで何もしないようだと、もはや兵士達は自分の命令を一切聞かなくなる。そう判断した隊長代理は、恐怖心を押え込んで剣を抜いて身構える。

「ドルフィン・アルフレッド!国家反逆罪で貴様を逮捕する!!神妙にしろ!!」
「くっくっく。虎の皮を被った狐の分際で、随分立派に言うじゃねえか。」

 ドルフィンがせせら笑う。

「おのれ!嬲るかっ!」

 隊長代理が剣を振り上げて突進を始める。ドルフィンは剣を十字に掃う。すると隊長代理が十文字に分離して地面に転がる。

「う、うわあーっ!!」

 堰を切ったように兵士達は絶叫を上げる。

「次は誰だ?自殺志願者は前に出な。」

ドルフィンが兵士達を睨んで言うと、兵士達は首を横に振って、口々に悲痛な叫び声を上げる。

「い、嫌だ。嫌だあーっ!!」
「こんな化け物、相手にできるかあーっ!!」

 兵士達は半狂乱になって一斉に本部施設へ向かって逃げ出す。隊長代理がいとも簡単に葬られたことで、恐怖が頂上に達したのである。

「案の定。これでまとめて片がつけられるってもんだ。」
「じゃあ急ごう。」
「よし。」

 一行は国家特別警察の牙城へ向けて歩き出した・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

1)逆さ十字:キャミール教では十字架は「両手を広げた主なる神」、即ち「降り注がれる大いなる愛」を意味し、それを逆さにすることは神とその愛を逆らい
拒絶する、すなわち神への反逆の証とされる。ドルフィンは「神」を気取る国家特別警察への「反逆」としてこのような行動に出たのだろう。


2)パピヨン:暗黒の属性を持つ闇の蝶。生物に纏わりついて生気を根こそぎ奪い取る。召喚魔術で使用すると生気を奪う攻撃の他に、収集した情報
(景色や音声も含む)を術者に伝えるという偵察の役割もできる。


3)サラマンダー:火の属性を持つ精霊。全身が火のエレメンタル(属性の霊的な構成要素)で構成されている為、通常の武器ではダメージを与えられない。
また、火や光に属する魔法は逆効果。無数に発する数千度の炎の槍、通称フレイム・レインが強力な武器。


4)もう一匹ある:召喚魔術では複数の同種の魔物などを従えさせることもできる。その場合、先に従えさせた方が優先的に召喚されるが、必要に応じて
選択して召喚することもできる。その場合は序数を語尾に付加する。


5)ノーム:土の属性を持つ精霊。土のエレメンタルで構成されている為、通常の武器は無効果。召喚すると物理ダメージを完全に遮断する地面の壁、通称
アース・ウォールを形成する。一定量以上のダメージを受けると(許容量は術者の精神力で異なる)壁は崩壊する。連続で使用して効力を持続させること
(リトリガ)が可能。


6)セーム:この世界における長さの単位。100セームで1メールとなる、つまり、1セームは0.8センチに相当する。

7)ミドルレンジ:魔術の効力範囲の一つ。魔術には効力を発揮できる範囲があり、術者、或いは対象のみに効力を発揮する場合(衛魔術:治癒や防御など、
一般に白魔術と称されるものに多い)はゼロレンジ、術者を中心に半径10メール以内の場合はショートレンジ(強力な魔術に多い)、半径50メール以内の
場合はミドルレンジ(魔術の大半)、それ以上の場合はロングレンジ(遠距離射撃タイプの魔術に多い)と4段階に別れている。効力範囲を正確に把握して
おくのも魔術の使用における重要な心構えの一つである。


8)ハーフ・プレート:上半身のみを覆う金属製の半身鎧の総称。全身鎧(フル・プレート)では重くて動き辛いが、鎧を装備していないと不安だという場合に
使用される。


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