謎町紀行 第72章

最果ての神社とボスママの因果

written by Moonstone

 翌朝。少し眠気を残しつつ朝食。そこでシャルから、カノキタ市の例の条例制定の経緯や背後関係などの調査結果を聞く。

『条例の制定は、カノキタ市の母親グループの運動が発端です。』
『こう言うのは変かもしれないけど、ちょっと意外だよ。政党や市民団体が関わってるかと思ってた。』
『私も予想外でした。この手の支援策は政党や市民団体が実績に掲げたいタイプですから。特異なのは発端だけではなく、この母親グループが行政に食い込んでいることです。』
『議員を送り込んでいるとか?』
『いえ、カノキタ市市役所の一組織として存在しています。』

 規模は兎も角、市民グループが行政の組織になるなんて、聞いたこともない。いったい何が起こってるんだ?シャルの説明によると、この母親グループは市内の母親で構成されていて、元々は母親向けの行政支援を拡充することを目的に地道に活動していた。それが数年前、グループの代表に1人の母親が就任したことが大きな転機となる。
 この代表は、「民間の意見をダイレクトに行政に反映させる必要がある」「それは市民活動を直接行政組織とすることが最善」として、行政にアプローチした。当然というか当初は相手にされなかったが、現市長の出身である財務省の主計官が、このグループと接触して「民間活力の先駆的な導入事例になり得る」と絶賛した。
 これが母親グループと現市長を勢いづけた。何しろ今は「民間活力」「民間人の登用」とか民間と関連付ければ正しいこととされやすい。しかも絶賛したのが省庁のトップとされる財務省の、将来の事務次官を競う主計官。中央省庁の事務次官候補が絶賛した民間人登用の先駆的事例となれば、お墨付きとしては最高の部類だ。
 母親グループは現市長と共同して、母親グループを直接市役所組織に組み込むと共に、母親グループが掲げた子育て支援策をセットで条例として提案した。一介の市民団体を直接行政組織とする条項には当然ながら市議会の多くは難色を示したが、子育て支援を公約としていた現市長に加えて、普段は役所の民間人登用に懐疑的な政党の議員が、子育て支援の先駆的な実践事例になるとして異例の賛成に回った。
 子育て支援自体は有効な施策だから、議員も全面的に反対できない。現市長は普段は敵対する政党の議員が賛成に転じたことを利用して、子育て支援と民間人登用が両立できることを前面に出して、条例を制定に持ち込んだ。これが問題の条例、カノキタ市子育て支援条例だ。

『言い方は悪いけど、中央省庁の威光を笠に着て、市長と手を組んで行政組織化と希望の条例を制定させたってことか。』
『民間人登用という美辞麗句を悪用しましたが、結局のところ、民間人登用を提唱する側に都合の良い民間人を登用したわけです。子育て支援と母親が絡んだことで、たとえばタカオ市では現代版治安維持法と言える相互監視条例に一貫して反対した政党が賛成に回ったのは、名目で脊髄反射的に行動した思慮の浅さを露呈した格好です。』
『その政党もそうだけど、市長は現状をどう考えてるの?条例制定は仕方ないとして、見直しの機会はどれだけでもある筈なのに。』
『流石に聡いですね。残念ながら、市長などはそのような視点を持ち合わせていません。』

 前例がないと箸も持たないが、前例が出来ると人殺しも定型処理にする-皮肉交じりの前例主義が、ここでも悪い方向で力を発揮している。前例がなかった市民団体の行政組織化は、前例が出来たことで全国初の事例になった。子育て支援の活動や要望を直接行政に反映するとして、一時期報道もされた。
 だけど、母親グループがそれまであった子育て支援の市役所組織を半ば追いやり乗っ取る形で、1つの課として一定の裁量まで持つ組織となったことで、母親グループはある意味調子に乗り出した。絶賛した財務省主計官の威光を笠に着て、現市長と結託して条例をどんどん自分達の都合の良いものに変えていった。
 1つの市役所組織となったことで、条例の改定案は通常のルートで市が市議会に提案することが出来る。現市長は実績を重ねるため、その提案に無条件で乗っかった。チェックして問題があれば正すべき立場の市議会も、元々市長派の議員が圧倒的多数な上に、通常なら議会のチェック機能を自称する政党の議員が賛成に回ったことで、条例の改定案はすべて採択・成立していった。
 自分達の提案が正式な行政のルートでどんどん市議会に諮られ、無条件で成立していくことで、母親グループは条例を自分達により都合の良いものに変えていった。その過程で、たとえば子育て支援の財政基盤の拡充のためとして、子育て世帯以外の住民税が大幅に値上げされた。何度もの改訂を経て、カノキタ市は子育て世帯の牙城になった。

『行政組織になったことを悪用して、条例もカノキタ市そのものも私物化するようになったんだね。』
『言いえて妙ですね。母親グループは総務部ママ課という名称で総務部の所属ですが、実際には現市長に直接提言できることで、部と同等の存在です。』
『腐っても子育て支援が名目だから、表立って反対しにくいところを突いて、勢力と権力を拡大した、か。この母親グループとヒヒイロカネの関係は?』
『現時点では関係性は存在しません。関係性が疑われるのは、財務省主計官です。』

 財務省というと、ナチウラ市とヒョウシ市で暴虐の限りを尽くしていた元財務相が思い浮かぶ。大学に偽装した核兵器攻撃施設を建設して、核燃料を餌に潜伏していたヒヒイロカネを飼い慣らし、若者を拉致して奴隷にしていた。財務相は閣僚の中でも大きな権力を持つのは周知の事実。それが元財務相にとって魅力に映ったことだろう。
 結果的に母親グループと現市長に暴走のお墨付きを与えた財務省主計官は、間違いなく将来の事務次官を狙う1人。前例主義が蔓延る一方で、ライバルを出し抜くには実績も作りたいところ。財務省主計官がどうして大都市じゃなくてカノキタ市を訪れたか不明だけど、単なる外遊や視察とは考え辛い。

『勿論、この財務省主計官も調査対象に含めています。もう暫く時間を要します。』
『調査範囲が広いからね。時間は気にしないで調査を進めて。』
『分かりました。』
「あと3,4日は特別することがないかな。何処かへ行く?」
「行きたいところがあります。」
「じゃあ、そこへ行こう。」

 シャルのことだ。恐らくカノキタ市全域を調査しているだろう。それに加えて、霞が関に潜む財務省主計官も調査対象にしている。3,4日もしくは1週間は調査に要すると見た方が良い。時間がかかるのは一向に構わない。ほんの少しでも怪しい、不可解なことが見つかれば、そこが糸口になり得る。根気が必要なこともある。今はその時だ。
 それより今は、シャルが行きたいところがどんなところか気になる。今までの傾向からして、路面電車とかローカル線とか、或いは特産物の食べ物か。このI県も実際に訪れてみるとかなり広い。外を見ると雪が舞っている。冬の北国を自由に移動する機会が来るとは。しかも…こんな可愛い女の子と。
 更に3日過ぎた。雪が時折視界を埋めるほど降る中、タザワ市のホテルを拠点として、漁港や水族館、塩田といった海に関係する場所を中心に、I県の全域を巡っている。水族館や塩田は、I県にあることを初めて知った。狭いと言われる日本だけど、狭いのは行動範囲が限られているからそう思うだけかもしれない。
 高速道路も通じるところが限られていて、しかも大雪で通行止めの箇所もある。この地方の大雪は、これまでの雪と全然スケールが違う。雪が塊になって町を覆うから、車も人も除雪された道しかまともに通れない。雪害という言葉を初めて身近に感じている。
 シャル本体は、本来なら雪で立ち往生するような道でも、平然と進んでいく。邪魔な雪を瞬時に蒸散させ、タイヤの構造をスパイクシューズのように変えて、雪が覆った道を切り開いていく。本体内部は至って快適な気温が維持されているし、吹雪でも多数のセンサと強力な画像処理で視界は良好。僕は通常どおりHUDやナビに従って運転していれば良い。
 4日目の今日訪れたのは、I県の北端部にあるヒジリ市。漆器が有名な町の1つで、此処も一面の雪。吹雪いていないだけましと思うのは、感覚が麻痺しているからだろうか。こんな大雪の中でも動いている鉄道の駅の駐車場にシャル本体を止めて、街を歩く。除雪してあるからまだ何とか靴が埋もれる程度で済むけど、それ以外を歩こうとすると雪に埋もれる。
 雪の中に繰り出す前に、僕は長靴を買った。長靴なんて小学校以来だと思うけど、この雪を前にして普通の靴じゃ濡れて酷いことになるし、雪が解けた水は兎に角冷たい。凍傷も現実味を帯びるから、シャルに調べてもらって長靴を買った。シャルも長靴というかブーツに変えている。靴のままでも全く問題ないけど、1人靴で平然と歩いていると怪しまれるかもしれない、ということで。

「雪の感覚やイメージが完全に変わったよ。」
「気温の低下と高密度による重量の増加による建造物へのダメージ、融解によるスリップなどなど、危険を多数生み出す季節的災害と見た方が良いですね。」

 雨なら地面に流れていくけど、雪はその場に留まる。溶けずに積もった雪は圧力で硬くなって、まさに氷の塊になる。一抱え二抱えある氷の塊が建物の上に居座るから、ダメージが蓄積するだろう。除雪しないと最悪家が押し潰されることは、雪国では現実味のある危険なんだと分かる。
 低く垂れこめた鉛色の雲からは、時々遠雷が聞こえる。冬に雷の音を聞くとは思わなかったけど、実は雷は冬のこの地方では珍しくも何ともないそうだ。ちょっとしたカルチャーショックというか、先入観を覆された。雷は夏というイメージだったから。
 そんな中でも、朝市は活気がある。最寄りの漁港直送の魚介類をはじめ、白菜や大根といった冬の野菜、そして近くの塩田で出来た塩やそれを使ったお握りなどなど、品数は豊富だし安い。特に魚介類は、都市部だと桁が増えるものが簡単に買える値段だったりする。
 時折雪が舞う中、イベントでよく見る屋根だけのテントが幾つも並び、そこで様々な品が売られている。車のナンバーを見る限り市内もしくは近隣の自治体から来ているようだけど、それだけじゃ足りないと思えるくらいの賑わいだ。魚介類や野菜は流石に買えないから、塩結びや小型の茶碗、箸とかの漆器類をシャルの希望で幾つか探す。

「どうするの?」
「車中泊の時に、使えます。紙製品でも良いですけど、水も作れますし、こういうのが1セットある方が良いと思って。」

 この旅では時々車中泊がある。拠点の宿に戻るとロスが大きいとかそういう理由だけど、車中泊で食器があると便利かもしれない。食材はこういう場所で現地調達できるようだし、シャルは水素ジェネレータから生成される水を精製して飲用に使えるレベルに出来るというから、煮炊きや洗浄も十分可能だ。
 保管場所は特に困らない。元々僕の荷物はボストンバッグが半分余るくらい少ないし、シャルに至っては自分の一部を服に出来るから、ナチウラ市で買った水着と体裁を整えるために同時に買った下着数着しかない。収納方法とかはシャルに任せれば良い。シャルなら内部に専用の収納棚を作ることくらい造作もない。
 茶碗2種類に大小の皿2種類、箸が揃う。このヒジリ市の漆器って、本来は結構な値段の筈だけど、2人分で5000円もしなかった。仲買人や商社を挟んだり、運送とかを含めると値段が変わるのは致し方ないか。それよりも、2人分の食器を買うなんて想像もしなかった。
 旅に出る前は1人暮らしだったから、1人分の食器しかなかった。そんなに数多く料理を作るわけじゃないし、毎日使うわけでもなかったから、胸くらいの高さの小さい食器棚で十分だった。不揃いだったそれらは、この旅に出るにあたって他の持ち物の例に漏れず、すべて処分した。
 旅に出て以来、食器は店で使われるものという認識すら出来ていた。だから食器を買いたいとシャルが言い出した時、食器が必要なのかと率直に思った。車中泊は直近のイズミ町でもあったし、大量のヒヒイロカネの無力化と回収はこれからも起こり得る。その時栄養食だとちょっと味気ない。食器を2人分用意しておくのは良いと思う。
 シャルが選んだ食器は、シンプルな塗りのもの。同じ食器が2人分って、同棲か新婚のすることだよな。実際僕が代金を払う時、「新婚さんかい、ええねぇ」と言われた。考えてみれば、お揃いの食器を2人分買う男女は、新婚か同棲カップルの何れかだろう。揃って指輪を左手薬指に填めているし、疑う方が無理があるか。

「2人分の食器を買うって、ちょっと憧れてた。」

 近くの食堂に入ってモーニングセット-と言うけどご飯に味噌汁、漬物に焼き魚と純和風テイストの食事を食べながら、食器の入った紙袋を見やる。木製の器や箸にヒジリ市特産の漆を塗った2人分の漆器。金額は兎も角、僕には縁がないことだと思っていた「2人分同じ食器を買うこと」が、この旅で実現した。

「旅に出るまでは1人分で十分だったし、旅に出てからは食器を使うことはないと思ってた。」
「これから車中泊で使いましょう。キャンプも出来ますよ。」
「キャンプか…。した覚えがあるようなないようなレベルだよ。」
「照明や調理器具はどうにでも出来ますし、水素や水はどちらかがあれば作れますから、これから何処へ行っても大丈夫です。」
「キャンピングカーみたいになっていくね。」

 これから先、何処にでもホテルがあって、食事も近くの店に行けば良いという環境が続くとは限らない。出張で2,3回国外に出たけど-そのためにパスポートを取る羽目になった-、町を出たら土地と道以外何もないとか、飲食店が日曜日に殆ど営業していないとか、日本と違う環境が向こうでは普通だ。
 そんな時、ある程度食材を買い込んでおいて、調理や洗浄が出来れば、シャル本体で寝泊まりできる。空調とかの車内環境は申し分ないし、使っていないリアシートを倒せば、どうにか布団を敷けるくらいの広さがある。シャル本体が移動や生活の拠点になる時は必ずあるだろう。そんな時に食器があるかないかで違う。
 シャルも言っていたけど、食器は別にこのご時世使い捨ての製品がたくさん手に入る。だけど、それは今までの環境だったから言えること。普段の生活だと当たり前のことが当たり前でないことは出て来るだろう。食べ物は今のところ問題ないけど、気候はI県に入って雪がもはや災害レベルの氷の塊だと初めて理解できたくらいだ。
 これから先、物が買えない、売っていないことは起こり得る。食器や食事だって例外じゃない。そんな時、保存していたり現地調達した食材があれば、熱源と基本的な調味料さえあれば、どうにか食べられるものが出来る。いざ食べるとなった時に、食器がないと不自由することになる。
 逆に、適当に作ったり用意した料理でも、食器が揃っていれば格が上がって見える。高級料理店で良い食器を使っているのは、見た目で食欲をそそるためでもあると聞いたことがある。食器は意外と生活水準の向上に繋がるものかもしれない。

「この先、道路が閉鎖になってる場所があるね。」

 朝市の出入口の1つ、駐車場に近いところに近隣の道路情報を見られる場所がある。雪のことを考えてか屋内にあって、5分ごとに更新される大型ディスプレイだ。このヒジリ市は高速道路がなくて、基本的に沿岸部を走る国道しか近隣の町に通じる道路はない。県道らしい山道は幾つもあるけど、多くが黒色表示に両側バツ印。通行止めだ。
 別のディスプレイを見ると、「冬季閉鎖中」として幾つかの道路が挙げられている。冬は積雪や雪崩の危険で閉鎖される区間があるそうだ。今のところ、ヒジリ市を通る国道は問題ないけど、近くの県道が幾つも冬季閉鎖中。ヒジリ市に来るまでに使った高速道路は、積雪で40km規制の上に、冬用タイヤ必須。雪が障害物でしかないことが改めて分かる。

「国道は問題ないけど、通行注意だね。」
「はい。自分達がどれだけ注意していても、注意していない車が事故を起こしたり突っ込んできたりする危険が高まる状況ですからね。」
「その危険は、ね…。」

 雪が覆っていないところを探す方が難しい状況下でも、何故か普段どおりにスピードを出す輩がいる。いくらタイヤを冬用にしても、雪が圧縮されて氷になった部分は、予想以上によく滑るし、ブレーキも効きづらい。シャルなら特別仕様のタイヤに周辺の雪の蒸散、高度なリアルタイム制御があるけど、それでもスピードは抑えている。
 物理現象にはどうしても逆らえないし、それはシャルも十分理解している。除雪車と戦車を融合したみたいな走行が可能なシャルですら逆らえないのが物理現象。なのに、シャルからすればごく原始的な制御しかない車でスピードを出せばどうなるかは自明の理。だけどそれが分からない輩が意外といる。
 厄介なのは、その手の輩が事故を起こしても自分は死なずに、同乗者や無関係の他人を死なせることが多いこと。乗用車で1トンくらいある金属の塊が時速数十kmで突っ込んでくるときのエネルギーは、中学程度の物理の知識があれば甚大なものだと分かる筈なのに、分かっていないらしい。
 シャルは不意に車が突っ込んできても、ミサイルで迎撃するという最終手段がある。それでも破片が飛散してきたり、残存した車体が突っ込んで来る危険はある。当然ながら乗員は無事では済まない。そんな事態にならないことを願うしかないけど、実は此処へ来るまでにも事故している車が何台もあった。

「此処から先だと半島の先まで行く?」
「はい。それと、その近くにあるニウヤマ神社というところへ。」
『その神社の宮司の家系が、カノキタ市を牛耳る母親グループの代表の出身だと判明しました。』
『!!』

 予想外の接点だ。I県の果てと言えるノロシ半島の端にある、地元の人しか知らないような神社と、カノキタ市を実効支配するあの母親グループに接点があるなんて。もしかするとそこにヒヒイロカネか、関連する情報があるかもしれない。雪を押し退けてでも行く理由が出来た。
 懸念材料は雪だ。今も静かに、だけど大粒の雪が降り続いている。シャルがスマートフォンと道路情報のディスプレイで示した目的地は、国道が通じていない。今のところ通行は問題ないようだけど、雪で通行止めになることもあり得る。流石に通行止めになったら強行突破は出来ない。雪が収まってくれれば良いけど…。
 ヒジリ市からシャル本体では知ること2時間近く。海以外をすべて雪が覆っていると言って良い風景の中にある小さい集落。此処はI県の北端、スズリ市のハクエン町。かつてはハクエン町として単独で存在したこの町は、市町村合併でスズリ市の一部になったという。
 僕とシャル以外誰も訪れていないような、静かさを通り越して沈黙しているように見える町。此処は春から秋にかけては絶好のツーリングコースの一部で、シャル本体を止めた駐車場から歩いて行く展望台が人気スポットだそうだ。だけど、今は雪以外何もない。駐車場が除雪されているのが不思議に思えるくらいだ。市営だからか?

「ニウヤマ神社に人はいるのかな?」
「さっき連絡を入れたら、社務所に居るそうです。」
「手際が良いね。確かニウヤマ神社は…。」

 目的地のニウヤマ神社は、市営駐車場から歩いて行くしかない。車で参拝の際は市営駐車場に止めるよう、近くの看板に書かれていた。シャル本体以外何も止まっていない駐車場に、シャル本体を置いていくのはちょっと気がかりだ。今も降り続ける雪に埋もれてしまうんじゃないかとか思う。

「すぐさま蒸散させられますから、氷やコンクリートで固められても大丈夫です。」
「本当に凄いね。エネルギー消費は大丈夫?」
「途中で念のため水素スタンドに寄ってもらいましたし、雪を蒸散させながら走行しても、I県全体を余裕で回れますよ。さ、行きましょう。」

 人が通った痕跡がない道路を歩いて、ニウヤマ神社への参道へ向かう。道路はひととおり除雪されている。ところどころ道路から水が撒かれている。人間だと冷たいと感じる水でも、雪=氷から見れば温度が高いということか。道路が水浸しになると気温が下がった夜とかに凍るんじゃないかと思うのは素人考えか。
 参道は緩やかな階段になっている。此処も除雪されているけど、その後に降った雪が積もっている。足元に注意して慎重に上る。参道でもある階段の両側にある灯篭に明かりが灯っている。よく見るとLEDのようだ。空が鉛色の雪雲一色だから昼間なのにかなり暗い。灯篭の明かりが結構ありがたい。
 普段の倍くらい時間をかけて階段を上りきると、こじんまりした境内が広がる。正面に拝殿、向かって右側に社務所。左手の近くに手洗い場がある。此処にも人が訪れた痕跡がない。社務所の玄関にある灯りと、拝殿に見える蝋燭らしい小さな光が、辛うじて人が居ることを伝えている。
 いきなり社務所に向かうのも何かと思って、参拝してからにする。誰も居ない境内でシャルと2人で参拝。拝殿の奥は照明と蝋燭が灯っていて明るく、厳粛な中にも暖かさを感じる。照明が白じゃなくて白熱電球の薄いオレンジのせいだろうか。

『この神社にはヒヒイロカネのスペクトルはありません。』
『社務所にいるらしい宮司がどれくらい情報を持っているか、だね。』

 参拝を終えて社務所へ向かう。本来ならお守りとかを売る場所は、窓もカーテンも閉められている。引き戸の玄関は奥に灯りらしいものが見えるけど、居留守を使われないか心配だ。インターホンがあるから、それを押す。残響のように3回鳴ったのが聞こえる。奥から人の気配が近づいてくる。

「どちら様ですか?」
「さっきお電話した富原です。お話を伺いたいのですが。」
「ああ、さっきの電話の。鍵は開いてますのでお入りください。」
「失礼します。」

 意外にも玄関には鍵がかかってなかった。わざわざこの雪の中、しかも足跡が残る状況下で泥棒や強盗に入る暇人はいないか。コートに付いた雪を払ってから玄関を開けて中に入る。半纏を羽織った初老の男性だ。宮司であろうこの男性は、僕とシャルを見て驚いた顔をする。

「驚いた…。外人さんですか?」
「はい。」
「夏ならまだしも、この雪の時期に外人さん、しかも若い女性が来るとは思いませんでした。」

 やっぱり先から根本まで完璧な金髪=外人という公式めいたものがあるな。それに、当然ではあるけどやや訝しげだった男性の警戒感が一気に解かれる。シャルは此処まで見越して今の容貌を選んだんだろうか?僕は完全におまけだけど、別にどうってことはない。シャルが前面に出て情報が得られるなら、その方が良い。

「お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞどうぞ、上がってください。」

 シャルが前面に出たことで、宮司の態度が一気に軟化した。ちょっと複雑ではあるけど、情報を得ることを優先する。社務所の中は思いの外暖かい。ホテルや他の店もそうだったけど、こうした寒冷地は家の作りが他とかなり違うようだ。そうじゃないと、水抜きをしないと水道管が使い物にならなくなったり、雪で押し潰されない環境で生きていけないか。
 屋内は純和風で、通された応接間も畳の部屋。部屋には大型のファンヒーターがあって、随分暖かい。奥さんという女性が茶を淹れてくれる。この女性も、完璧な金髪の若い女性が相当珍しいようで、興味深げに尋ねる。シャルが都度答えることで、宮司側の警戒感は完全に解かれたようだ。

「さて…、この最果てのひなびた神社に、わざわざお越しになった理由とは?」
「こちらの人物をご覧ください。」

 シャルはバッグから写真を取り出してテーブルに出す。写真の人物-カノキタ市を実効支配する母親グループのリーダー格の女性が写るその写真を見た宮司夫妻の顔が強張る。

「訳あって、この人物を調べています。お心当たりはありますか?」
「…娘、です。」

 表情を強張らせた宮司が、絞り出すような声で言う。あの母親グループのリーダー格と、I県の最果ての神社が、1本の線で結ばれた。

「今、何処に?」
「I県のカノキタ市に居ます。」
「カノキタ市?!あの市民団体が市役所に食い込んで好き放題しているという町に?!」
「残念ながら、娘さんはその市民団体の筆頭格です。」

 僕の説明は死刑宣告に近いものがあったようだ。宮司夫妻はがっくり項垂れる。どうやらリーダー格は円満とは言い難い理由や経緯でこの町を出て、カノキタ市に流れ着いたようだ。いったい何があったのか、それがヒヒイロカネに通じる手掛かりになるかもしれない。だけど、尋問してまで聞き出すつもりもない。

「娘は…狂ってしまったんです。」
「狂った?」
「あの日…、神の啓示を受けたとか言って…。」

 宮司が無理やり言葉を引き出すように話す。10年ほど前、件の母親-ここではAとする-は当時短大を卒業したものの就職にあぶれて、この神社の神職見習いという体で手伝いをしていた。神職になるには神道系の大学を出るのが王道で、神職養成所に入所するとかは神社庁-名前から誤認されやすいが公的機関じゃなくて民間団体-の推薦が必要だったりするから、再度大学に入ってまで神職になるつもりもなかったAは、特に目標もなく日々を過ごしていた。
 雪が静かに降る、やけに寒い夜だったことは憶えている。特に何もするでもなく、社務所兼自宅のこの家で過ごしていると、インターホンが鳴った。雪が降る夜、参道の灯篭は既に消灯しているから真っ暗。誰がどうやって、何のために来たのかと訝しく思いながら、宮司が応対した。
 インターホンを鳴らしたのは1人の男。白装束に藁を編んだ笠と合羽、白木の杖という、お遍路さんのような恰好の男は、雪で移動が難しくなったから一晩泊めてほしいと言った。社務所兼自宅には客間があるが、一応年頃の娘がいるところにどこの馬の骨とも分からない男を入れる気にはならなかった。
 しかし、この雪深く寒い夜を徹して移動するのはまず不可能。時間からして、この町の宿は閉まっている。行き倒れでもされたら夢見が悪い。止む無く拝殿に泊めることにした。男は甚く感謝して拝殿に泊まった。拝殿は吹き曝しではないが、夜は暖房を切っているから相当寒い。布団と毛布を運んだ宮司一家は社務所兼自宅に戻った。
 夜が更け、静寂が支配する中、ふと外から光が差し込んできた。時刻は3時過ぎ。夜明けにはまだ遠い時間に何だと思って宮司が外を見ると、拝殿全体が仄かな光を放っていた。男が何か良からぬことをしているのではないかと感じた宮司は、急いで拝殿に向かった。
 拝殿に駆け込むと、光を発していたのは拝殿ではなく、その奥にある本殿だった。本殿にあるご神体は光を発するようなものではない。拝殿に入って何をしているのかと本殿に向かって座っている男を問い詰めると、神が降臨されたと答えた。ご神体に何をした、すぐ止めろと言ったが、降臨された神を追い払うとは不敬極まりないと応じなかった。
 押し問答を続けていると、Aがやって来た。騒ぎで目が覚めたと訝しげだったが、本殿からの光を見て、引き付けられるように本殿へ足を進めた。本殿は宮司でも限られた時しか入れない聖域中の聖域。宮司はAを止めたが、Aは宮司を無視して拝殿の祭壇を超えて本殿に消えた。
 「娘さんと神が共鳴されたようです」-男はそう言った。この神社で祀る神は女神。だが、Aは信心深いわけではない。宮司の頭が混乱する中、本殿からの光がゆっくり消えていった。少しの、しかし不気味な静寂の後、Aが本殿から戻ってきた。見た感じは特に異変はなかったが、開口一番こう言った。「神の啓示を受けた」と。
 男を問い質しても、「選ばれし娘さんは、神と共鳴し、啓示を受けられたのです」としか言わない。兎も角拝殿に居させるのは良くないと察した宮司は、男に、明日食事を食べたらすぐ出て行くように言い、Aを引っ張って社務所兼自宅に戻った。
 翌朝、宮司が雪をかき分けながら拝殿に入ると、男の姿はなかった。畳まれた布団の上に「一宿の礼」と達筆で書かれた封書があり、中には100万の束が入っていた。奇妙なことに、宮司が拝殿に入るまで、境内には足跡がなかった。降り積もる雪でかき消されたとしても、元々雪が深いから足跡の痕跡もないのはおかしい。
 宮司が首を傾げていると、社務所兼自宅から喧騒が聞こえてきた。何事かと戻ると、妻とAが揉めていた。正確には、妻がAを必死に説得しているがAが聞く耳を持たない様子。妻に事情を聴くと、Aが神の啓示を人々に広めるため、荷物を纏めてこの家を出ると言い出したという。
 Aは既に準備万端で、昨夜拝殿から戻ってから荷造りをしていたようだ。思いとどまるよう説得を続ける妻に続いて、宮司はそこまでしてまで広めたい神の啓示とは何かと尋ねた。するとAは「創造神たる伊邪那美(いざなみ)神のご加護を受け、社会を女性主体に変える」と答えた。
 この神社が祀るのは女神の1柱である伊邪那美。日本神話で伊邪那岐(いざなぎ)神と共に日本列島や森羅万象の神々を産んだ、日本と神々の創造神とされる。だが、Aはそれまで伊邪那美と伊邪那岐を間違えたり-間違えやすい名前ではある-、ご利益を知らなかったりとまるで関心がなかった。それがこの豹変。おかしいとしか思えない。
 仕組みは分からないが、あの男に洗脳されたと感じて考え直すよう言う宮司と、懇願に替わった母の説得を無視して、Aは家を出た。それっきり音沙汰はない。

「-まさか、カノキタ市に居て、あまつさえ市役所に食い込んで好き勝手している胡散臭い市民団体の代表を務めているとは…。」
「カノキタ市の状況は、ご存じなんですか?」
「I県の人間は、カノキタ市に住もうとは思いませんよ。金が欲しい子育て世帯以外は。」

 シャルの問いに、宮司は吐き捨てるように言う。伝え聞くところでも、子育て支援が潤沢な一方で、他の行政サービスはI県最低水準。子育て世帯以外の住民税が高額なこと以外に、引っ越しや家や車の購入で必要な住民票の取得とかの手数料が、他の自治体の2倍3倍は当たり前。子育て支援で大盤振る舞いのツケを、住民税や他の手数料収入、予算削減で賄っている図式だ。
 それなら引っ越せば良い、とクルミサイズの脳みそしか持たない輩が言う。それが即出来るなら何も苦労しない。引っ越しには荷造りや業者の手配、新旧住民票の入手など、手間と時間を割かれることが多い。市内でもかなりの手間なのに、市外の引っ越しとなると手間はさらに増える。
 子どもがいれば、転校手続きも必要だし、通勤が変わると定期券の変更とかも加わって更に煩雑になる。単身者だと休暇を一定数取らないとまず対応できない。それがなかなか出来ないから、高額な住民税に子育て支援以外は低水準の行政サービスの中で生活するしかない人が居るわけだ。

「…お二人は、娘を調べていると言ってましたね。」
「はい。」
「娘に会ったら伝えてください。もう神の啓示とやらに人様を巻き込むのは止めろ、と。そして出来ることなら、娘を止めてください。」
「分かりました。少なくとも、伝言は伝えることをお約束します。」

 宮司夫妻は深々と頭を下げる。消息を絶った娘が、他の町で人々を蹂躙する実質的な女帝になり果てていたことは、宮司夫妻には重い事実だろう。神の啓示を受けた結果がカノキタ市の惨状なら、それを止める必要に迫られるだろう。母親グループの代表が狂った背景には…恐らくヒヒイロカネや手配犯がいる。