謎町紀行 第54章

見える見えないの錯綜、享楽園の不可解な混乱

written by Moonstone

 翌朝。シャルに起こしてもらって目を覚ます。少し酒が入ったのもあるだろうけど、長丁場の運転はやっぱり疲れる。シャルのパジャマは、僕がプレゼントした、僕が着ていたワイシャツ。起き抜けに見るとびっくりする。起こしてくれる時にシャルが屈むから、緩い胸元から立派なものが見える。

「調査結果が出ました。日光の量、具体的には可視光の強度によって視認できるかどうかが決まります。」

 カジュアルな服に着替えたシャルが浴室から出て来て、開口一番超常現象の理由を告げる。可視光の強度で見えるかどうかが決まるのなら、昨日の時点で不可解だった、「次第にシャルがリアルタイム処理をしなくても視認できるようになった」「夜は普通に見えた」理由が分かる。
 夕暮れ時だから次第に可視光が少なくなる。夜も明かりはあるけれど、日光の明るさに比べれば微々たるもの。だから「次第に見えるようになった」し、「夜は普通に見えた」わけだ。問題は音声。音声は空気の振動だから、可視光の強度とは関係ない。それも視認できるかどうかと連動していたのが分からない。

「音声が視認と連動している理由も判明しました。レストランに行きましょう。朝ご飯を食べながら説明します。」

 外は曇りだからか薄暗いけど、街灯が織りなす明かりよりは絶対明るい。ということは、僕の知覚だと誰も居ないし何も聞こえないホテルになっているだろう。シャルのサポートがないと、誰も居ないレストランで食器だけが勝手に動いたりするホラー映画みたいな光景を目の当たりにすることになる。
 シャルと一緒に部屋を出て、エレベーターで1階に降りてレストランへ。僕にはフロントやレストランに人がいるのが見えるし、料理を取る時のトングが容器に当たる音や、談笑したりしているのが聞こえる。これもシャルのサポートがあるから出来ることだろう。

『そのとおりです。私がスリープモードから復帰した時点で、既に通常の可視光分析と音声の周波数と振幅の分析が出来ない状況でした。』
『他に泊まっている人もいると思うけど、びっくりだよね。夜にチェックインした時には普通に人がいたのに、起きたら全然いないなんて。』
『パニックを避けるため、他の宿泊者にもリアルタイム処理を行っています。その結果、重要と思われる情報を得ました。』
『それって?』
『1つは、ヒロキさんと私と同じく、この町に来た外部の人は、すべて同様の現象-可視光強度によってこの町の人が見聞きできない現象に見舞われることです。もう1つは、この町の人には現象が生じていないことです。』
『この町に在住かどうかで、超常現象が出たり出なかったりするってことか…。』
『この町に在住か、仕事や通学で来ているかは、大規模な追跡調査が必要ですから、現時点では断定できません。ですが、この町に在住もしくは通勤通学で関係がある人には、一連の現象は影響がないのは間違いありません。』

 この前のホーデン社絡みの一大捜索・回収案件は別として、今までの案件では、割と特定の土地や自治体にヒヒイロカネの影響が及んでいた。この今の科学では説明できない不可解極まりない現象も、ヒヒイロカネが近くにあるから発生している確率が高いと考えられる。

『ヒヒイロカネは現在も捜索中ですが、今のところスペクトルは検出できていません。影響を及ぼしている確率は高いと私も思います。』
『この町の人かどうかの判断や境界線とか、そういうものがあるかもしれないね。一定期間滞在したら、僕とシャルもこの町に来た人には見えなくなるとか。』
『!それはあり得ますね。追跡調査の条件に滞在期間も加えます。』
『頼むよ。今は情報を多く入手しないと推測も十分に出来ないから。』

 時間帯、正確には可視光の強度で見えるか見えないかが決まることは判明したけど、それがこの町の居住者や通勤通学する人に限ったものか、一定時間を過ぎると影響を受けるもので、今の現象はその結果なのか、色々分からないことが多い。それを正しく推測するには出来るだけ多くの情報が必要だ。
 こんな奇怪な現象はヒヒイロカネの影響によるものだと考えられるけど、それがどうして起こるのかは不明だ。確か、オクラシブ町の深い霧は、一定レベルの知能を持ったヒヒイロカネが共鳴することで発生していた。この町の超常現象も、ヒヒイロカネが影響しているとしたら…!
 もしかして、オクラシブ町に深刻な災厄と深い傷跡を残した、あの知能を持ったご神体を設置して去ったという人物が、このアヤマ市に居るんじゃないか?今は居ないにしても、どこかにその痕跡があるんじゃないか?現象の傾向も似ている。直接攻撃はないけど、普通じゃあり得ない現象を生じるってところ。
 共通するのは、視界に重大な悪影響を及ぼすこと。人間の情報の大半は視覚で得ているという。それが事実上使用不能になると、ほぼ坑道不能になると言って良い。実際、シャルのサポートを受けるまで、僕は周囲に何がいるか分からなくて、身動きが取れなかった。

「この町を回ってみましょう。」
『ヒヒイロカネは勿論、この現象の手掛かりが得られるかもしれません。』
「そうだね。どんな場所がある?」
「まずは…此処ですね。享楽園。」

 シャルはスマートフォンにマーカー付きの地図を表示する。この町の名前にもあるアヤマ湖を含む一大庭園だ。本格的に回ろうとすると、1日では足りないくらい広いらしい。名前は知っているけど、こうして訪れることになるとは思わなかった。
 何しろ広いし、時間はある。シャルの大規模調査はサンプルの追跡も必要だから、一定時間かかるだろう。ただ待っているより何か手掛かりがないか探す方が良い。ふとしたきっかけで手掛かりが得られるかもしれないし、些細な情報が実は重要な情報だったりする。
 享楽園はこのホテルから車で10分くらい。駐車場も完備。最初の調査ポイントとして選ばない理由はない。朝食を済ませた僕とシャルは、早速享楽園に向かう。シャルのサポートを受けている今は、ちょっと車が多めの街並みと、行きかう人々が作り出す都心部の風景が見える。
 シャルが言うには、今現在も画像処理をしないと人は全く視認できないそうだ。事故が起こらないのが不思議でならない。無機物は何故か見えるのが不幸中の幸いか。もっとも、誰も乗っていない車が動いているように見えるから、予備知識がないとパニックになっても不思議じゃない。
 駐車場は適度に車がある。適当なところにシャル本体を止めて出る。…ん?何だか騒がしいな。出入口のところで集団が騒いでいる。見たところツアー客みたいだ。

「人が誰も居ないのに彼方此方でぶつかる、何かにぶつかったと思ったら頭を殴られた、とか言っていますね。」
「市外からの観光客だから、この町の人が見えないんだ。」
「見聞きは出来なくても、物理的に存在はしていますから、何もサポートなどがないとぶつかるでしょうし、向こうにとってはぶつかったのに謝りもしないので立腹したんでしょう。」
「これは深刻だね…。この町全体の風評被害が広がるよ。」
「町が完全に自給自足かつ部外者立入禁止ならこのままでも成り立ちますが、そうはいかないですね。サポートをすることも出来ますが、今回は気が進みません。」
「人数が多すぎるね。」
「あのくらいの人数なら、負荷の上昇率は0.35%ですから大した問題ではありません。1人の女性に集団で食って掛かる性根が気に入りません。」

 よく見ると、ツアー客らしい集団は、1人の制服姿の女性に口々に詰め寄っている。恐らく添乗員だろうけど、添乗員に文句を言ったところでこの奇怪な現象が解決する筈がない。事故や災害で運転見合わせになった鉄道とかでも見る光景だけど、文句を言うより対策を講じる方がよほど建設的だと思う。
 この手の集団設問は、女性より男性、若者より年配者がよくやらかす傾向がある。実際、今回も男性が前面に出ている。添乗員は孤立無援。あまりにも不利だし、何より理不尽すぎる。僕もこの手の世代には働いていた時に嫌な思いをさせられたことがあるから、シャルにサポートを依頼する気にはなれない。

「添乗員だと、何度かこの町に来て状況の変化を知ってるかもしれない。シャル。ツアー客を落ち着かせるか追い払うか出来る?」
「後者は容易です。実行します。」

 シャルがそういった次の瞬間、集団で添乗員を怒鳴りつけていたツアー客が、一斉に顔を引き攣らせる。だんだん後ずさりしたと思ったら、悲鳴を上げて散り散りに逃げ出す。シャルが、添乗員が魔物か何かに変貌する様子を見せたんだろう。傍から見ていると、勝手に驚き慄いて逃げ出していったようにしか見えない。
 僕とシャルは添乗員に近づく。ピンクの帽子と学校みたいな制服の小柄の若い女性。少なくとも十数人は居たと思うツアー客に集団で怒鳴られた直後だからか、目が潤んでいて怯えた様子を見せている。

『ほう。タイプの女性のようですねー。』
『!違う!そんなんじゃないから!』

 久しぶりに聞いたような気がする、シャルの抑揚が極端に減った、2オクターブくらい低い声。脳にダイレクトに響くから恐怖感が凄い。

「大丈夫ですか?」
「は、はい…。何が何だか分からなくて…。もう…。」

 張り詰めていた緊張が解けたことで、色々な感情が溢れてきたんだろう。こういう時に話してもらおうとしても無駄だし、かえって心理的圧力が強まって言いたいことも言えなくなる。

「シャル。僕はあそこの自販機で飲み物を買ってくるから、この女性を近くのベンチに座らせて。」
「え?あ、はい。」

 女性同士の方が誘導とか落ち着かせたりとかをされるのは多少でも安心だろう。僕がそうしようとしても不審がられるだけだ。幸い、自販機とか売店には事欠かない。飲み物を買うだけなら自販機の方が早い。まだ冷え込みとは無縁だし、自販機の選択肢は冷たいものしかない。適当に見繕って3本買ってベンチに向かう。
 やっぱりと言うか、添乗員は泣いていた。大声を上げるんじゃなくて涙を零しながら声を殺して。シャルは特に何をするでもなく、隣で様子を見ている。下手に慰めたり叱咤激励するより、泣き止むまで待った方が良い。僕はシャルの隣に座る。ベンチに向かって左から僕、シャル、添乗員という並びだ。

『女性の隣に行かないんですか?』
『間に挟むと尋問されるとか心理的に負担になると思う。隣はシャルのままの方が良い。』

 シャルの声のトーンが戻っている。尋問が目的じゃなくて、何が起こったのか、この町の奇怪な現象について知っていることがないかといった情報収集が目的だ。相手の負担になることは避けた方が良い。まずが泣き止んで落ち着くのを待とう。
 添乗員が泣きじゃくる周期は次第に収まっていく。ちょっと温くなったかもしれないけど、僕はシャルを通じて添乗員に飲み物を渡す。好みとか分からないから緑茶。コーヒーか水かでちょっと迷ったけど、無難だと思う選択肢を取った。

「ありがとう…ございます。」
「何があったんですか?」
「この駐車場に着いてから誰も居なくて…。おかしいと思っていたら、お客様が何もないところでぶつかったとか、何かぶつかったと思ったら何処からか頭を殴られたとか仰って…。どういうことか説明しろとか謝罪と賠償をしろとか詰め寄られて…。」
「奇妙な状況が1人で起こせる筈がないのに、年は取っても頭の出来は幼児レベルですね。」
『ぶつかるのは当然です。ヒロキさんにも見えると思いますが、駐車場にはそこそこ人がいます。』
『うん。どうもさっき逃げ出した時にもぶつかって、殴られてる人もいる。』

 誰も居ないと思い込んで-見えないから仕方ないけど-走って逃げようとすれば、そこに居る町の人にぶつかる。何も謝らずに逃げようとすれば怒りを買うのは当然。ツアー客にとっては透明人間に殴られているようなものだけど、場合が場合だから同情する気になれない。

「この…透明人間みたいな状況は、以前にもあったんですか?」
「いえ。私がこの享楽園にお客様をお連れしたのは半年ほど前ですが、その時は何も変なところはありませんでした。」
『半年、か…。』
『何か手掛かりになるかもしれませんね。』

 添乗員はアヤマ市の隣、H県のバス会社の社員で、享楽園をはじめとするO県をめぐるツアーの添乗員だという。他の県にも出向いているから、アヤマ市やO県の事情はあまり詳しくないようだ。実家があるとかでもないと別の県や自治体の状況はあまり知らないものだ。県外の人から得られる情報はこれが限界だろう。

「貴女が乗ってきたバスは何処ですか?」
「この駐車場の、道を挟んで向かいにあるバス専用駐車場です。」
「先にバスに戻った方が良いですね。貴女もツアー客と同じで、ここに誰が居るか、ツアー客以外は見えない筈です。」
「は、はい。ですけど、お客様を放り出すわけには…。」
「客もこの状況ではバスに戻るしかありません。それに、貴女ではどうしても舐められてしまって、まともに説得を聞かないでしょう。」
「はい…。」

 僕の説得を、添乗員は仕方なしに受け入れる。添乗員として客を放置できないという気持ちは分かるけど、理解できない現象でパニックに陥って、1人しかいない添乗員に食って掛かるくらい頭に血が上っているから、説得を試みない方が良い。
 さて、添乗員はバスに戻ってもらうとして、散り散りになったツアー客をどうするか。一目散に、ある意味無事に逃げ出した人もいるかもしれないし、見えずにぶつかってしこたま殴る蹴るされている人もいる。一応これらも収束させたり、逃げ出した客を連れ戻す必要がある。
 添乗員に付き添って、僕とシャルはバスの駐車場に向かう。バスの駐車場には3台の観光バスが駐車している。このうちの1台、「シンド観光バス」というのが、この添乗員が乗ってきたバスだそうだ。

「運転手さん。戻りました。」
「あれ?早くない?そちらの人は?」
「運転手さんも気づきませんでしたか?この享楽園、いえ、アヤマ市に入ってから、人が全然居ないんです。」
「…やっぱり、俺の気のせいとかじゃなかったのか…。」
「失礼します。やっぱりこの町は何か変ですよね?」
「ええ。運転していて人っ子1人見えなくて、通勤通学ラッシュが過ぎて閑散としてるだけかと思ったんだけど、それにしては人が居なさすぎる。大体、享楽園に車はそこそこ止まってるのに、誰も居ないなんておかしい。」

 運転手にもこの町の人が見えていない。この町に来た人に、この町の人が見えないのはかなり危険だ。今のところ、信号を守っていれば首を傾げても事故が起こる確率は低い。だけど、見えないからと言って人がいないと解釈すると、歩行者信号が青なのに突っ込む車が出てくる危険性が高い。

「お客さんは?」
「人が居ないのにぶつかったり殴られたりすると言って私を怒鳴りつけていたんですけど、急に驚いて逃げ出してしまって…。」
「どうもおかしいからアヤマ市を出た方が良いけど、お客さんが戻ってこないと…。」
「戻ってきましたよ。」

 シャルが指さした方向から、血相を変えた人たちが走ってくる。中には添乗員を怒鳴りつけていた顔がちらほら見える。

「ば、化け物だ!こ、こんなところに居られるか!」
「運転手さん!ここから脱出してくれ!」

 ツアー客は我先にバスの乗降口に殺到する。1つしかない、しかも人のすれ違いが何とか出来る程度の幅のところに次々と人が押し寄せるから、押すな押すなの騒ぎになる。添乗員が先に乗り込んでいたのは不幸中の幸いか。僕とシャルのように乗降口付近に居たら、弾き飛ばされていたかもしれない。

「あ、ありがとうございました。」
「お気をつけて。」

 座席から「早く出発しろ」という声が飛んでくる中、添乗員は僕とシャルに礼を言う。状況がかつてない異常なもので、ヒヒイロカネの存在を明らかに出来ないから、無関係の人は出来るだけ「勢力範囲外」に出した方が良い。乗降口の扉が閉まって、バスがゆっくり動き始める。

「シャル。ツアー客に何をしたの?逃げ出したりバスに駆け戻ってきたり。」
「どちらも眼前にフィルターを構成して、化け物を見せただけですよ。それが実物でないかなんて分からないほどリアルな3D映像です。」

 HMDはかなり小型軽量になっているけど、どうしてもゴーグルのようなものを装着する必要がある。3Dモデルもモーションキャプチャやモデリング技術の向上でかなりリアルになっているけど、どうしてもモデリングした際の初期構成を引っ張ってしまう。たとえば服の裾が動いても固定されたままとか。
 シャルが今僕にリアルタイムでサポートしてくれている映像と同じようなものだろう。実際にその場所に居て、歩いたり立ち止まったりする際に服や髪が相応の動きをする。こういった細部の動きを、この世界の3DモデルやHMDではまだまだ再現しきれない。影もきちんと動きに追従するのは凄いの一言。このモデルを見せられて偽物だと即座に識別できる人はまずいない。

「どうやらこの町に来た人は、見聞きできないこの現象の影響を受けるようだね。」
「はい。ヒロキさんも気づいているかもしれませんが、現象は視覚に対して何らかのフィルターが形成されることで発生することが考えられます。」
「リアルタイムモデリングとは逆に、光学迷彩みたいに見えなくしてしまうフィルターだね?」
「そのとおりです。」

 それは考えられる。実際、シャルは航空部隊とかもそうだけど、光学迷彩を施せる。光学迷彩がどちらに適用されているか、つまりこの町の人に施されているのか、この町に来た人に施されるのかは不明だけど、光学迷彩が施されていたらまず識別できない。

「ヒロキさんと私をスキャンしましたが、光学迷彩に相当するフィルターなどの存在や侵入は確認できません。」
「ということは、この町の人に光学迷彩が施されてるってことかな…。」
「同じく、任意に抽出した、この町の人と思われる人を数人スキャンしましたが、やはりフィルターなどの存在や侵入は確認できません。」
「うーん…。どういう仕組みで見えなくなるんだろう?見えないのも勿論不思議だけど、聞こえないのが分からないな…。」
「光学迷彩と同様に、音声をミュートするか逆位相でキャンセルするものだと考えられます。これも存在や侵入は確認できません。」

 どういう仕組みで見聞きできなくなるのか全く分からないことが、この現象の奇怪さを際立たせている。シャルの解析でフィルターとかの存在が分かれば、それがどうやって作られているのかが糸口になりうる。今はそれすらも分からないから、理解に苦しむ。
 視界を極端に遮る現象があったオクラシブ町は、曇りガラスみたいな濃霧が原因だった。それはオクラシブ町に住む人であれ来る人であれ、万人共通の人工的な現象だった。今アヤマ市を覆う現象は、この町に住む人が見聞きできなくなることと、時間で条件が推移する特殊な条件がある。

「ひとまず、享楽園全体を回りましょう。何か手掛かりがあるかもしれません。」
「そうだね。考えてばかりだと堂々巡りになっちゃう。」

 情報や手掛かりは足で稼ぐとはよく言ったものだ。何処かにひっそり隠されているかもしれない情報や手掛かりは、機械学習や検索が高度になっても、結局自ら探したり人との繋がりが糸口になることが多いという。検索も機械学習と密接な関係があるけど、検索対策が行われている状況では情報の正確さや重要性より閲覧数や検索エンジン対策の対応度が優先される。
 この町の名前にもなっているアヤマ湖をはじめ、全国的にも有名な庭園の享楽園に何かあるかもしれない。それは探してみないと分からない。今は可能性をすべてあたってみるのが先決だ。今、僕の時間とお金はそのためにある。
 享楽園の内情は、ごくごく平凡だ。広大な日本庭園が何処までも広がっている。この地方有数の大都市の中心部に、こんな広大な庭園があるのは驚きだ。この手の場所は、親子連れやカップルとかに重点を置いて、やれアトラクションやれレストランと明後日の方向に行きがちだけど、此処は何処までも日本庭園を堅持している。
 ところどころにある飲食店や土産物屋も、すべて日本家屋。しかも平屋建て。庭園そのものは江戸時代に作られたそうで、他の建物は後に建てられたものだろうけど、庭園の雰囲気を崩さないようにしているのが見て取れる。此処は「ゆったり」や「静けさ」を求める場所だと理解できれば、こういうものだと納得できる。
 庭園内には、やっぱり人がそこそこいる。年配層が多めだけど、親子連れの他、カップルらしい若い男女も結構いる。こんな状況で見聞きできないと、衝突するのは必然だ。この町に来た人にも、この町の人にも危険が多い。衝突した相手を殴る蹴る出来ることから、この町の人は僕とシャルが見えていると考えてよい。

「都心部にこれだけ広大な庭園があるのは珍しいですね。」
「名前くらいは知っていたけど、こんなに広いとは思わなかったよ。」

『条件が複数ある感覚器官へのフィルターってところかな。かなり複雑だね。』
『はい。視覚もさることながら、聴覚にも影響を及ぼすのが不可解です。』

 目くらましや煙幕とか、視界を遮る妨害工作は色々ある。レーダーを妨害するジャミングやミサイルの追尾を妨害するフレアも、ある意味視覚を妨害するのと等価だ。だけど、聴覚を妨害するものと言ったら、せいぜいノイズ、良くてノイズキャンセラーくらい。アヤマ市の現象の原因や仕組みは皆目見当がつかない。
 見る限り、アヤマ市の人々は自分達を取り巻く現象に気づいていないようだ。シャルのリアルタイム処理で見えるアヤマ市の住人らしい人達は、思い思いに庭園を歩いて、店に入っている。飲食店には野点(のだて)を模した外で飲食できるスペースもあるけど、そこで店員が配膳したりしている。
 試しにシャルに一時的にリアルタイム処理を停止してもらうと、風景は同じだけど人がすべて消える。もしアヤマ市の住人にもこの現象が適用されているなら、配膳や飲食の注文何て不可能だし、彼方此方で食器や食品が勝手に飛び交う、ポルダーガイストみたいな絵面が出来上がる。
 明らかにこの現象は、人を選んで適用されている。アヤマ市在住かどうか、だ。断定するにはアヤマ市在住だけじゃなくてアヤマ市に通勤する人にも適用されているかどうかの追跡調査の結果が必要だけど、アヤマ市在住かどうかが適用の大きな要因になっていると見て良い状況だ。
 オクラシブ町のように、町全域に影響が出るならまだ理解できるけど、人を選んで生じるのが理解できない。しかも、適用されているアヤマ市の人は気づいていないのがまた理解できない。SNSとかで「昼間にアヤマ市に行くと誰も居ない」と指摘されても、何を言っているんだという感覚なんだろうか。

『そのようです。旅行サイトの口コミなどでは、昼間に誰も居ないという指摘や批判に対して、正常に営業しているのにあり得ないデマを流布して言語道断など、トラブルに発展しかけているところもあります。』
『直接の危険もあるけど、長期化するとアヤマ市全体の評判が悪化するね。ホテル業に限らず、企業は特に。』
『はい。電話などの応対は出来ても、納品など市外からの直接の取引があった際に誰も居ないとなれば、不信を買うのは避けられません。』

 どうしても対比しやすいオクラシブ町の現象と大きく異なるのは、日光が一定以上ある昼間に誰も居ないと見なされることだ。取引や営業はほとんどの場合昼間。営業で出向いたり、商品の納品でアヤマ市に行ったら誰も居ないとなったら、どちらも業務に支障が出る。最悪、不誠実な対応として取引を打ち切ることも出てくるだろう。

『大なり小なり騒がれてるんだから、アヤマ市の人もこの町の異変に気付いても良さそうだけどね。』
『ココヨ市をはじめとするホーデン社と公安警察の癒着や横暴に関する報道や言及が圧倒的で、アヤマ市に向けるリソースがないのが大きいようです。』
『どんどん悪事や暴露が溢れてくる状況みたいだからね…。』

 僕とシャルの目的はあくまでヒヒイロカネの捜索と回収だから、ハネ村のオウカ神社に安置されていたヒヒイロカネを回収した時点で、僕とシャルは、ココヨ市をはじめとするどす黒い欲望の渦から離れた。だけど、世間はそうはいかない。これまで存在すら知らなかった公安警察の暗部が炙り出されて、ホーデン社とA県県警は連日大炎上中だ。
 内容は僕とシャルにとっては直接関係がないから流し読みするくらいだけど、ホテルやSAで見かける新聞の1面は、ほぼホーデン社とA県県警絡みの記事。普段は広告料や記者クラブの関係で滅多なことでは批判できない相手だからか、ここぞとばかりに徹底的に叩いている感がある。
 その一方で、他にもある重要なことや経過、結末についてはおざなりにされる。ナチウラ市は辛うじて政権と国際条約の絡みで言及されているけど、タカオ市やオクラシブ町のことは少なくとも報道では忘れ去られている。あれも地方自治体の首長の暴走と、それをチェックできなかった議会の在り方を問い直すべきところなのに。
 SNSも、フォロワーが多い人ほどリプライや賛同を重視する傾向があるから、関心はすっかりホーデン社とA県県警に向いている。だからアヤマ市の情報はシャルでも相当探さないと出てこない。僕だと探す前に諦めてしまう。そんな状況だ。

「飲食店に入ってみようか。」
「はい。少し行ったところに杏(あんず)を扱うカフェがありますから、そこにしましょう。」

 こういった情報も、シャルは素早く入手する。口コミとか表に出てこない、出る機会が少ない情報も分析するからか、シャルが推す飲食店に外れはない。シャルの案内で、5分ほど歩いた先にあったカフェに入る。カフェと言っても建物は純和風の平屋建て。内装も純和風。徹底している。
 飲食店に入ったのは、兎に角広い享楽園を歩いてちょっと休憩したかったのもあるし、不特定多数が集まりやすい環境だからなのもある。もし僕とシャルのようにアヤマ市外から来て、ある意味無事にこの店に辿り着いた人が居たら、情報収集のきっかけになる。
 店は半分ほど席が埋まっている。めいめいに飲食したり談笑したりする光景は、飲食店で何処にでもあるものだ。やや年配層が多いけど、カップルや家族連れもいる。チラチラとこちら、正確にはシャルに視線を向けるのは何時ものことだけど、今はシャルが視認されているという-ついでに僕も-重要な事実を確認することでもある。
 袴を機能的にしたような制服の女性店員が来て、おしぼりと水を出す。注文が決まったら呼んでくれ、というよくある口上の後、踵を返す。やっぱり向こうはこちらが見えている。一方通行の視覚と聴覚のフィルターってことか。どういう仕組みか皆目見当がつかないのは相変わらずだ。

『うーん…。仕組みも原因も分からないなんて、厄介だな…。』
『オクラシブ町の霧のように、範囲内の全員に同様の影響があるなら理解できますが、今回は原因の推測から困難です。』
『やっぱり、光学迷彩みたいなものかな?僕にはそれくらいしか思いつかない。』
『今のところ、その方向が最も確率が高いと思います。』

 シャルでも原因の推測が難しいっていうんだから、僕に分かる筈もないか。光学迷彩の亜種じゃないかとは思うけど、聴覚への影響が説明できない。音声は空気の振動として伝わるから、光学迷彩では防げない。僕やシャルにノイズキャンセラーに相当するような物体は見当たらないというし。
 異変はあからさまなのに原因の推測も思いつくものを挙げるレベルに留まっている。早くも行き詰まりを感じる。こんな奇怪な現象はヒヒイロカネが何らかの影響を及ぼしている結果だとは思うけど、どのように影響しているかが分からない。

「ひとまず注文しましょう。」
「うん。そうだね。」

 気分転換だな。杏を売りにしているだけあって、杏を使ったメニューが主体だ。どれにするかちょっと迷うけど…、これにしようかな。

「杏のアイスクリーム1つと、杏パフェを1つ、お願いします。」

 店員を呼んで注文する。杏のアイスクリームが僕で、杏パフェがシャル。杏の味がイメージしづらいのと、晴天の中で歩いたから冷たいものを食べてみたくなったのが理由。アイスクリームなら余程出鱈目な素材じゃない限り、それなりの味になるだろうと踏んでいる。
 店員はごく一般的な接客で、僕とシャルを不審な目で見ている様子はなかった。言い換えれば、普通に見えているし声も聞こえる状況だということ。これが特別に感じること自体、異常なんだけど。果たして、この享楽園に手掛かりや情報はあるんだろうか。
 程なく注文したものが運ばれてくる。アイスクリームは一言で言えば「黄色のアイス」。パフェは小さく切られた杏の実が詰まっている。杏は普段食べないから、ちょっと怖いもの見たさ的な感覚もある。シャルが選んだ店だから大丈夫だとは思うけど。
 食べてみると、少し強めの酸味に続いて良い香りと甘みが来る。初めての味だけど美味しいと思う。よく見ると小さな果肉がある。杏の果肉だろう。アイスクリームとは違う触感と存在感の強い味と匂いは、果肉の存在が大きいかもしれない。

「パフェも杏がたくさんで美味しいですよ。」
「甘酸っぱいっていう表現がピッタリの味だね。」
「少し交換しましょう。」

 シャルはそう言って、パフェを僕の方にずらす。断る理由もないから、僕もアイスをシャルの方にずらす。

「スプーンも貸してくださいよ。」
「え?パフェのを使えば良いんじゃ。」
「パフェのは長いのでアイスは食べ辛いです。」

 スプーンも貸し借りするってことは…。アイスで冷えた筈の身体が急に熱くなる。この程度で熱くなるなんて、経験のなさが如実に出る。スプーンをアイスの皿に乗せてシャルに渡す。シャルは早速アイスを掬って口に運ぶ。僕もパフェをスプーンで掬って、生クリームが乗った杏を口に入れる。

「アイスは冷たさと甘酸っぱさの組み合わせが良いですね。」
「そ、そうだね。パフェは果肉たっぷりなのが良い。」
『シャルはスプーンごと交換するのに抵抗とかないの?』
『全然ありません。…キスしている間柄なのに。』
『た、確かに…。食器はちょっと感覚が違うかな…。僕にはね。』

 キスは唇と唇が触れ合うのに対して、スプーンは口に入るのが違う…といっても、舌を入れてたら同じか。それだと余計に、スプーンも入れ替えることにどうして恥ずかしがったりするのかってなる。人目に付くかつかないかの違いかな。
 シャルと食べ物を再度入れ替えて、アイスで火照った頭を冷やす。僕の正面でパフェを食べているシャルは、均等な金色を湛える長い金髪。画像加工ソフトの不自然な白さや形状の修正がない肌の自然な白さと奇麗な輪郭。こんな女性が僕の彼女という現実に、まだ夢のような感覚がある。
 今はアヤマ市を覆う不可思議な現象の謎を解くために、その手掛かりや情報を探しているんだけど、こうしていると普通のデートをしている感がある。シャルとしてはそれも兼ねているのかもしれない。複数の事項を同時にリアルタイム処理できるシャルならではかな。
 時々周囲を-僕だとあからさまだから自分の前方に限っているけど-、特に僕とシャルを不審に思っている様子はない。時折、人によってはかなりしっかりこっちを見ているけど、視線を追うとシャルに集中している。シャルが視認されているのが妙な形で実証されている。

『見る分にはお好きにどうぞという方針は、今も変わりません。何かしたら視覚も聴覚もその場で剥奪しますが。』
『過激なことはしないでね。…問題の現象が一方通行らしいのはよく分かるけど。』
『不可解な現象がアヤマ市の住人に不利でもあり、有利でもあるのが気になっています。』
『どういうこと?』
『昼間-厳密には可視光の強度ですが、アヤマ市の住人が他人に識別できないのは取引や商売では当然不利ですし支障をきたしますが、悪さをするには最適です。』

 言われてみれば、アヤマ市の住人は昼間限定の透明人間と言える。悪用すれば他人の家に侵入するのも、金品を盗みだすのも自由自在だ。アヤマ市の住人の中で邪な意思を持つ輩がこの現象に感づいたら、必ず悪用するだろう。
 この現象が単にある意味不可抗力的なもので、アヤマ市以外の人からは透明人間になっているのか、それとも何らかの意図を以ってそうされているかで、今後の展開は大きく変わってくることが予想できる。特に後者の場合、これまでのパターンだと行政なり議員なり大企業なりが関与している疑いが強い。
 今までも浮上しているのは、オクラシブ町に甚大な犠牲と被害を及ぼした存在。視覚に影響を及ぼす現象であることしか共通点はないけど、町長に多額の現金を渡してご神体とヒヒイロカネを入れ替えて、ヒヒイロカネを埋め込んだ輩に人狩りをさせて姿を消した存在の影がちらついている。

『この現象の影響がアヤマ市とどこまで深く関係しているか、追跡調査をしていますが、サンプルが多く必要なので時間を要します。』
『条件が多いし、複雑だからね。その間、手当たり次第に情報収集をするしかないね。』
『はい。有効なサンプルが一定数ないと正確な分析は出来ません。』
『享楽園をひととおり歩いたら、次のめぼしい場所を探した方が良いね。何処にするかな…。』

 僕はスマートフォンを出して、シャルに候補地を出してもらう。アヤマ市の他、アヤマ市に隣接する自治体も候補にしてもらう。アヤマ市を実験場にして、「本体」は別の場所で成り行きを観察していることも考えられる。めぼしいところは徹底的に探す方が良い…。