謎町紀行 第53章

昼に見えず夜に見える町

written by Moonstone

「あと1時間くらい、か。」
「天候も良好ですし、経路に問題はなさそうですね。」

 陽光自動車道のヒナタSAで、休憩がてら道路情報を見る。晴天が続いて事故も渋滞もなく、順調に移動している。次の目的地の最寄ICは、アヤマ湖IC。此処ヒナタSAから1時間くらい西に進んだところにある。この辺は来たことがないから土地勘がなくて、どの辺に何があるのかよく分からない。有名どころの大庭園とかも名前を知っているくらいだ。
 次の候補地は、アヤマ市。アヤマ湖は大きな湖で、アヤマ市にある大庭園、享楽園に含まれる。アヤマ市自体、行ったことはなくても名前は知っている。このあたりで有数の大都市。ヒヒイロカネが隠されているかもしれない場所は、人口や開発の度合いとは無関係のようだ。
 ヒナタSAはかなり混み合っている。このSA限定の菓子とラーメンが動画サイトで有名になったのが原因らしい。実際、売店の一角とSAのフードコートは、行列が出来ている。このSAは高速道路を使っていなくても飲食や買い物は出来るタイプなのが、行列の形成に拍車をかけている。

「シャルは食べてみたい?」
「私は特に関心がありません。食事はゆったりしたいですし、菓子に限って言えば、ヒロキさんに買ってもらったチョコレートがあるので。」

 此処までの行程で、シャルは時々ココヨ市の空港で僕がプレゼントしたチョコレートを口にしている。種類が豊富で量も結構あるから、色々味わえる。チョコレートはどうしても保管温度が気になるところだけど、流石はシャルというか、最適な環境で本体に保管されている。
 勿論、シャル1人で楽しむんじゃなくて、僕にもくれる。僕は運転しているから、開けた口にシャルが入れてくれる形。チョコレートの味よりも、シャルの指をうっかり咥えたりしないかの方が気になってしまう。

「私は、あれを飲んでみたいです。」

 シャルが指さしたのは、屋外に面した店舗の1つ。「名物マスカット・サワー」と書かれた幟がある。売店やフードコートほどじゃないけど、そこそこ賑わっている。シャルが言うには、小粒のマスカットと色付きの炭酸飲料を組み合わせる飲み物だという。
 まだもう少し続く高速道路での移動には、飲み物は欠かせない。前に立ち寄ったSAで買った飲み物は空になったし、自動販売機で買うのもありだけど、こういう特徴あるものを買うのも旅の醍醐味の1つだろう。僕とシャルは店に向かい、マスカットの種類と炭酸飲料を選んで買う。

「美味しいですね。」
「うん。炭酸飲料の選び方で色々な味が楽しめそうだね。」

 僕はノーマルなマスカットにアセロラ、シャルは紫のマスカットにレモンを選んだ。混雑を避けて少し遠い場所に置いたシャル本体に戻って、出発の準備。といっても、シートベルトやミラーは自動で最適な張力や角度になるし、HUDとナビにはリアルタイムでやはり最適な情報が表示される。僕がするのはシステムの起動だけだ。

「ちょっと待ってくださいね。手を拭きたいので。」
「うん。ウェットティッシュは…!」

 助手席の光景を見て言葉が出ない。勿論、勝手知ったる自分の本体、シャルはウェットティッシュをダッシュボードから取り出す。問題はマスカット・サワーの置き方。ダッシュボード近くの助手席用のボトルホルダーじゃなくて、シャルの胸に置いている。載せていると言うべきか。ストローを加えているから完全にフリーじゃないけど…。

「コップにちょっと溢れたサワーがついていて、手がべたついたんです。…どうしたんですか?」
「…凄い置き方したね。」
「行儀が悪いという認識ですか?」
「置けるんだ、って思った。」
「ちょっと角度に気を付けないといけませんけど、十分置けますよ。」
「そ、そうですか…。」

 下手なグラドルが裸足で逃げだすレベルのスタイルだから出来ることではある。実際に見ると驚いて固まってしまう。見せようと意識しているのかしてないのか分からないけど、突拍子もなく全く予想もしてなかったことをするのは、ちょっと心臓に悪い。
 さてさて、出発。緩やかに加速して、SAから本線に合流。アヤマ市はここ数十年間雪が降ったことがないそうだ。梅雨もそこそこに終わって、夏も冬も延々と晴れの日が続くことから、「光の町」と内外にアピールしている。雪は多いと除雪のコストが馬鹿にならないし、少なくても不慣れだと道路の凶器になる。雪がないと困るのはスキー場と雪像やかまくらを作るイベントくらいだろう。
 本線に戻った陽光自動車道という名前も、アヤマ市をはじめとするこの地域が、晴れの日が多いことに由来しているそうだ。明るい印象だけど、ヒヒイロカネがあるとしたらどう関与しているか。ハネ村とカマヤ市は、対抗勢力と戦争と言って過言じゃない状況になったから、ひっそりと隠されていてほしいところだ。
 要塞じみた状態になっていたカマヤ市のは兎も角、ハネ村のは小さな神社のご神体として長い歴史の中にいた。それに、ヒヒイロカネを我が手にしようと目論んだ一部の人間と、それに命令された兵隊が警察、しかも公安とグルになって群がった。それがなかったら、至極平穏に回収できただろう。
 ヒヒイロカネが人間の欲望を掻き立てることはない。どんな道具だって、意志を持つわけじゃないから、それをどう見るか、どう使うかは結局人間次第。理性や倫理を投げ捨てて、他人の揚げ足をとって蹴落とす、大声で自分の主張を掲げて押し切ることが是とされるこの世界が、ヒヒイロカネの認知を歪めている。
 日が西に傾きつつある。日差しが来る方に向かって走ると眩しいのが困るんだけど、シャル本体にはガラスから入る日差しや熱の入り具合を制御する機能もある。ガラス部分もシャルの制御下にあるヒヒイロカネだからこその機能で、これが地味に便利だ。夏場に時間を置いた車内が猛烈な暑さになることがない。
 陽光自動車道は、割と都心部を走る箇所が多い。新しい方の高速道路は直線が多いしカーブも緩いし、アップダウンも控えめだけど、森と空しか見えない山の中を走るところが多くて、ちょっとつまらない。陽光自動車道はややカーブやアップダウンがきついところもあるけど、移り行く景色を眺めながら運転できるのは退屈しにくい。
 アヤマ市に入るまでの行程も、一部トンネルがあったりするけど、基本的に都心部を走っている。結構高層ビルが多かったり、初めて見るデパートの名前があったり、住んでいたところにもあった塾の看板があったり、それぞれの土地にそれぞれの生活や人生があるのを感じる。
 道路脇に、アヤマ市の名前と市章らしいマークが書かれた看板が出る。この看板が出ると、別の町に入ったことが分かる。緑が目立つ場所から始まって、次第に住宅やビルが増えていく。淡いオレンジに照らされる町並みは、どことなく物悲しく見える。
 HUDに車線変更の案内矢印が表示される。最寄りのアヤマ湖ICが近いようだ。道路に重なるように表示される矢印に沿って車を動かすと、スムーズに車線変更が出来る。強力なアシストを得ながら、夕暮れが近づくアヤマ市に入る。
 ETCレーンから出口までアシストを得て-高速道路の出口は土地勘がないとどこへ行けばいいか分からないことがある-、シャルが手配してくれたホテルへ向かう。…あれ?人がいない?でも、他にも車は走ってるし。兎も角、ホテルへ向かおう。道のりはナビに表示されているし、HUDによるアシストもあるから、安心できる。
 どうも町に違和感を覚えながら、ホテルの駐車場に入る。入口のゲートで駐車券を取るタイプ。問題なく駐車券を取って、空きスペースにシャル本体を止める。この立体駐車場からホテルへはエレベーターと通路で直結らしい。天候に左右されないし、荷物を持っての移動も楽で良い。僕とシャルの荷物は少ないけど。
 それにしても…人がいないな。見たところ、此処も結構大きなホテルだから、全部空室なんてあり得ない。否、ちょっと待った。周辺に人がいない。こんな大きな町に人が1里もいないなんて、どう考えてもあり得ない。そもそも大小のビルの窓には明かりが灯っているし、そこに人がいない筈がない。

『人はいますよ。』
『え?!何処に?!』
『周辺に多くいます。私も最初は見えませんでしたが、赤外線センサでスキャンしたら見えました。ヒロキさんにはリアルタイム処理した映像を直接転送します。』

 急に視界に大勢の人が映る。普通に服も来ているし、魔物になっているわけでもない。生物は多かれ少なかれ体温の影響で赤外線を放出している。サーモグラフィは赤外線の強さを画像の色や濃淡に変えて視覚化したものだけど、それを実際の風景と合成して見えるようにしているわけか。
 じゃあ、シャルのサポートがないと全く見えないのはなぜ?こんな現象、初めて見る。…まず、ホテルへチェックインしよう。あまりの非現実的な光景をすんなり受け入れられない。僕の目がおかしくなったんだろうか?否、それだったら運転もままならない筈。

『ヒロキさんの視神経に異常はありません。此処の人達が可視光を透過しているか何かで、一般の目では見えなくなっているんです。』
『よく衝突したりしないね…。』
『この町の人達には、他の人は勿論、ヒロキさんと私も見えています。そうでなければ何度も正面衝突しています。』

 つまり、僕の目には見えないけど、この町の人には僕とシャルが見えているのか。一体どういうことだ?考えても全く理解できない。チェックインのためホテルの正面出入り口から入る。シャルのリアルタイム画像処理があるからフロントの女性が2人見えるけど、それがないと見えないんだろうか。

『はい。残念ながら。』
『…声は聞こえるかな。』

 シャルのリアルタイム映像処理を頼りに、フロントへ向かう。フロントには先客がいないから、向かって右の方へ行く。

「いらっしゃいませ。」
「えっと、予約してある富原です。」

 良かった、声は聞こえる。スマートフォンに予約画面を表示して見せる。予約確認は滞りなく進んで、カードキーを受け取る。8階805号室か。

『声も私のリアルタイム処理で聞こえるようにしました。』
『僕とシャルには、この町の人達は姿も見えなければ声も聞こえないってこと?』
『はい。更に奇妙なことに、次第に処理をしなくても姿を視認出来てきて、声も聞き取れるようになってきたことです。』
『ますます訳が分からなくなってきた…。』

 オクラシブ町では満月の時だけ晴れる深い霧が町を覆っていた。霧ならまだ自然現象の範疇だから理解できる。その場に確かにいるのに姿は見えないし声も聞こえない。しかも、何故か次第に見聞きできるようになってきたって、こんな現象は見たことも聞いたこともない。
 まず、一応安全な筈の部屋に入る。ホテルはごく普通の…ダブルベッドの部屋。2人用とかだとその分部屋が広いから、ちょっと得したように感じる。荷物を置いてちょっと一息…という気分になれない。いったいこの町は何なんだ?何が起こってるんだ?

「まず、食事に行きましょう。」

 シャルの提案に思わず脱力。超常現象と言う他ないこの状況だと、何が起こるか分からない。このホテルのレストランが機能するのは朝食の時だけ。これ自体は珍しくないけど、この状況で外出は躊躇われる。

「至近距離から複数同時に狙撃されても、余裕で銃弾を狙撃相手に弾き返せます。それに、この町の状況は現在のところ、他社に危害を加えるタイプではありません。」
「…さっき、シャルが処理をしなくても見えたり声を聞き取れたりできるようになってきたって言ってたけど、それはどう?」
「手近なところでフロントの女性従業員を観察していますが、現在は処理なしで見聞きできます。」
「ある意味普通の状態に戻ったってことか…。それなら大丈夫かな。」

 一体何が起こってるのか全く分からないけど、今は普通の町に戻ったと言って良い状況らしい。シャルの航空部隊で調査してもらうにしても時間が必要だし、偵察がてら外に出るのも良いか。シャルのサポートなしだと何も見えないし聞こえもしない状況が衝撃的過ぎて、ちょっと躊躇するけど。
 ホテルを出て、シャルが手配してくれた店に向かう。高層ビルの一角にある大型の中華料理店。出入口で出迎えたウェイターに僕の名前を告げて、席に案内してもらう。20階建ての高層ビルの最上階に位置するだけあって、見晴らしはすこぶる良好。シャルと相談の末、2名から頼めるフルコースを注文して料理が来るのを待つ。

『この店の人が見えたり会話できたりするのに、シャルのサポートは入ってる?』
『いえ、ヒロキさんが直接見聞き出来ています。私も同様です。』
『うーん…。どうして見聞きできるようになってきたんだろう?』
『断定には経過観察が必要ですが、時間の経過、厳密には昼夜の区別に影響されると見られます。』

 今のところ確定しているのは、建物や車といった生物じゃないものは影響されないことと、時間経過で次第に見聞きできるようになってきたこと。シャルの言うとおり、時間経過に影響される確率が高い。だけど、この現象がどうして起こるのかが全く分からない。考えられるのはヒヒイロカネだけど…。

『駐車場からホテルまでの経路や、ホテルからこの店までの経路で、無作為抽出でスキャンしてみましたが、ヒヒイロカネのスペクトルは一切検出されませんでした。』
『ということは、オクラシブ町のように、どこかに隠されているヒヒイロカネが環境に影響を及ぼしているってことかな。』
『そう考えられます。航空部隊をこの町に展開して調査していますが、今のところヒヒイロカネのスペクトルは検出できません。』

 こんな超常現象はヒヒイロカネが原因だと考えられるけど、確証がない現在は推測の域を出ない。ひとまず、今は様子見とシャルの調査の結果待ちか。あまりの出来事の後の不完全燃焼ぶりに釈然としないけど、こういう時は待つしかない。飲み物と前菜が運ばれてきた。気分を切り替えて、シャルとグラスを合わせる。
 前菜の段階だけど、この店は美味しい店という判断で間違いない。中華料理はあまりテーブルマナーとかに煩くなくて気軽に食べられる一方で、料理人の腕がもろに出るから当たりはずれの差が大きいリスクもある。シャルの選択は今まで外れがない。どうやって選んでるのか不思議だ。

「多くの情報源を分野を問わずに収集して分析しています。そうすると、工作的な情報-金銭授受と引き換えに良い評判を書く、あるいは逆にライバル店の悪い評判を流すことや、1個人が複数のアカウントで同一の投稿を繰り返すといった傾向が浮かび上がってきます。」
「ディープラーニングだね。」
「この世界ではそういう名称ですね。それだけだと善し悪しの傾向は把握できますが、決定的な判断材料にはなりません。現地調査の結果を加えて総合判断します。」
「現地調査ってことは、口コミとか?」
「そうです。その地域に住む人は必然的にその地域の店に出入りする機会が多くなります。そのため、観光客向けでない店-メディア報道などで有名なものを高値で売りつけるのではなく、その地域の人に親しまれている、デートや会食に使うなら此処いう店を知っていることが多いです。そしてそういった情報は収集の対象となるという意味での表に出にくい一面もあります。」
「的確な店の選択の裏には、膨大な分析の労力があるんだね。」
「お金を払って食事をするのに、わざわざ不味い店を選ぶ理由はありませんよ。嫌がらせならまだしも、デートを兼ねた食事なら尚更です。」
「そ、そうだよね。」

 真向いでデートと明言されると、未だに妙な緊張を覚える。目の前にいるのは、控えめの照明で上品に輝く金髪を大きなリボンで束ねた、アイドル顔負けの美人。そんなシャルと高級感漂う高層ビルの中華料理店で2人で食事をする。到着直後の出来事が出来事だっただけに、ギャップが凄い。
 来ていきなり予想外の、しかも想像を絶する超常現象に見舞われた。直接の身体的な危害こそないけど、シャルのサポートがないと何処に行っても何も出来ない状況だ。シャルが一緒だから行動に支障はないけど、この町に来た他の人が危険だ。あまりの光景に仰天して事故やトラブルが発生する危険性が高い。

『残念ながら既にその手の事故やトラブルは多く発生しているようです。無機物は視認できるのでまだ事故は少ないですが、店先に行っても誰も居ないとSNSなどで訴える人が散見されます。』
『事故になっても、警察も見えないしこの町の保険会社の電話も通じないんじゃ、ただごとじゃないね。』
『事故はココヨ市などA県より確率が低いので-A県が異常と言うべきですが、まだSNSなどで我も我もという事態に発展していないようです。ただ、観光客や出張で来るは、昼間の到着や移動が多いので、誰も居ないように見えるアヤマ市には行くな、という声がSNSなどに存在します。』
『夜になれば普通に見たり声を聞いたりできるから、アヤマ市総出の嫌がらせか何かと思ってるのかな。』
『そのようです。観光や出張では見聞きできる時間帯にチェックインすることもありますから。』

 時間の経過か昼夜でこの奇怪な現象が左右される確率が高いのは、この町にとって幸運なのか不幸なのか。ココヨ市とかのように、無関係の人達に危害が加わることが今のところないから、A県を震源地、否、爆心地とする激しい怒りの渦を打ち消すには至らず、ある意味ローカルネタの範疇を出ないんだろう。
 疑問なのは、この他所から来た人には理解できない現象に、アヤマ市の人達が気づいているのかどうか。僕から見て完全な透明人間でも、シャルのサポートを得て見たところでは、衝突とかのトラブルは起こっていなかった。相手にも見えなかったら、彼方此方で衝突が起こって生活や営業どころじゃないか。
 あと、この町に来ている人が、後でこの町に来た人には見聞きできるかどうか。僕とシャルも明日この町に来た人には姿が見えなくて声も聞こえないかもしれない。これも直接気概が加わる確率は今のところ低いけど、今後もそうだとは言い切れない。

『航空部隊を展開していますが、無機物は一切影響を受けないようです。もし受けるようなら交通事故続発で大パニックになるでしょう。』
『本当に奇妙だね…。発現の条件が何となく分かりそうなくらいで、細かいところは何も分からない。』
『航空部隊でアヤマ市と周辺を調査しています。再現性を確認するため明日の朝までかかりますから、今は用心するに留めてください。サポートは勿論万全に行います。』
『そうだね。分からないことばかりだし、考えるにしても情報が少なすぎる。』

 これまでの経験を超える理解し難い超常現象の発現条件や現象の先着後着の関係性など、一定期間の調査が必要なことが多い。こればかりはシャルの調査結果を待つしかない。恐らくヒヒイロカネが関係しているんだろうけど、今のところそれも検出されないと来ている。不思議な、否、不気味な町だ。
 シャルとの食事を済ませて店を出る。シャルのサポートはないそうだけど、普通に人が見えるし、雑踏などの音も聞こえる。到着した時のあの誰も居ない、なのに車は事故も起こさず走っている、目を疑う光景は何処にもない。昼と夜で町が切り替わったような錯覚を覚える。
 昼と夜の顔が違う町は、繁華街だとよくある話だ。昼は人っ子一人いない町が、夜になるとネオンが煌々と輝き、人が溢れる町になるとか。ただ、それは人が昼と夜で別のところにいるからそうなるわけで、しかも町と言っても局所的。町全体から人が消えるなんてあり得ない。
 気になるのは、僕だけじゃなくて、シャルも見えなかったということ。勿論シャルは持ち前の能力ですぐに対処したけど、生身の人間とは違って全身がセンサと言っても過言じゃないシャルでも通常だと見えなかったというのは、人間だから作用するものじゃないってことだろう。
 人間だけに作用するとなれば、たとえばごく小型のコンタクトレンズのようなものが目に入って、有機物を見えなくするという仕組みが考えられる。だけど、シャルにも見えなかったってことは、視覚全体に作用するってことだ。人間だけじゃなくて、他の動物やカメラにも作用するってこと。
 透明化するのは軍事用として実用化の段階に入ったという。シャルの航空部隊とかで使われている光学迷彩だ。「見える」ことは、物体が反射した光を認識することだ。可視光をすべて吸収すると真っ暗に見えるし、全部貫通して向こう側のものが反射した光が見えると透明と認識される。
 人間に見えない光も同様で、赤外線を検出できるカメラだと見えるし、強度によって色を付ければサーモグラフィになる。紫外線を検出できるカメラは一般的じゃないけど、虫は見えるものがいる。蛍光灯に蛾とかが群がるのは、蛍光灯が紫外線を発するからで、それが美術館とかでは展示物の劣化に繋がるから、蛍光灯の代わりに最近はLEDが多い。
 到着時刻が夕方近かったし、予想外の出来事でパニックになったから思いつかなかったけど、赤外線や紫外線がシャルに認識できるかどうかも鍵になるかもしれない。何しろ情報が少なすぎるから、考えられる要素をすべて当たって、そこから推論を組み立てていくしかない。

「シャル。赤外線や紫外線の認識状況も調べてくれる?」
「勿論です。私も昼間はとっさにレーダー照射で対応しましたけど、赤外線や紫外線の認識状況次第では、得られる見解が異なってきます。」

 シャルはレーダーでそこに何があるか認識して、形状などをリアルタイム処理で僕の脳に表示していたんだな。見えないものに対してレーダー照射を思いつくのは、僕じゃ無理だ。どちらにせよ現状は「結果は寝て待て」だな。状況が定常的じゃないのも推測を難しくする…。