謎町紀行

第38章 害人の町に佇む廃墟は牙城

written by Moonstone

「!シャル!いつの間に!」
「彼がベッドに横になるなり動かなくなったのを心配しない彼女は、彼女じゃないですよ。」

 昼のニュースは大騒ぎになった。中部横断自動車道でトラック後部に追突事故発生。これだけならトップニュースになるほどじゃない。問題になったのは、わざわざ前に出て急ブレーキと急加速を繰り返し、かわされたと知るや猛スピードで追跡する執拗な煽り運転の結果、一直線にトラックに激突した顛末だ。
 しかも、その映像は動作サイトにアップされ、撮影者の車がインターチェンジに乗るところから始まり、問題の車両が煽り運転をする様子、猛烈な勢いでトラックに突っ込んでいく様子の一部始終が克明に捉えられている。ナンバーも車種も鮮明だ。前に割り込んでの急ブレーキと急加速は、どう見ても衝突事故を誘導するようにしか見えない。
 更に、水素タンクが爆発炎上したこの車から救出された運転手が、ホーデン社の渉外担当室職員と報道された。本人は全身大火傷に両脚欠損で意識不明の重体。車両下部に設置された水素タンクが爆発炎上したんだから、全身バラバラになっても不思議じゃない。事実、車は原形をとどめない鉄くずになり果てた。
 執拗な煽り運転の果てに、渋滞で停車していたトラックに激突して爆発炎上ってだけでも批判は避けられない。しかも、ハネ村に圧力をかけていたホーデン社のスパイ組織、渉外担当室所属と判明したことで、ホーデン社とトヨトミ市への批判のボルテージが更に高まった。合併の圧力だけでは飽き足らず、一般車に煽り運転をしかけて、挙句停車中のトラックに激突して爆発炎上か、などホーデン社のコンプライアンスの欠如を指摘するものが多い。荷台を完全に破壊され、荷物も全滅したトラックは本当に災難でしかない。
 この事故で、中部横断自動車道はからミヤノイチインターからシマモトインターまで2時間上下線通行止め。僕とシャルは警察の誘導でシマモトインターからどうにか降りたけど、降りるのに1時間かかった。車間距離制御機能を使っても、なかなか動かないし動いても不規則。おまけにインターを降りても混雑は酷い。高速道路での事故が一般道に影響を及ぼすことがよく分かった。
 運が悪いことに、次のインターまでは細い道を走らないといけない。しかも山道で街灯もない。シャルがシミュレーションした結果、一般道を走行したほうが早くカマヤ市に着けることが分かった。なんでも中部横断自動車道はその先の別の場所でも事故渋滞が発生していたそうだ。
 土地勘が全くない僕は、ナビとHUDを頼りにどうにか運転してカマヤ市のホテルに到着。その頃には事故発生から4時間が経過していた。一般道と言えども4時間連続運転はさすがに疲れる。チェックインして部屋に入って、ちょっと休もうと思ってベッドに横になったところまでは覚えてる。すっかり寝てたんだな。シャルの膝枕で。

「SUVの処分は完了しましたけど、ヒロキさんの負担増大までは考えが及びませんでした…。」
「僕が運転するって言ったんだし、サポートもしっかりしてくれたから、僕の体力の限界だよ。」

 シャルは映像音声の編集−僕やシャルだと分かるものを削除して、映像はそのまま動画サイトにアップした。発生したばかりの事故の、発生に至る一部始終が克明に編集なしでアップされたことで、SNSで一気に拡散され、ホーデン社とトヨトミ市のまたとない攻撃材料を探していたであろうマスメディアが飛びついた。
 映像のアップは僕とシャルがインターを降りてからの時間だから、万一運転中の動画アップかと的外れの非難をされても対策は出来る。そんな一連の処理を、ハネ村駐留の航空部隊や地上部隊の統率や、ホーデン社関係の調査を行いながらするのはシャルの負担だと思って、僕が運転を担当することにした。
 勿論事故もなかったし、見たこともない風景の連続は新鮮だった。片側1車線とはいえ基本山道で蛇行が多かったのと、見通しが悪いところが多かったことで、緊張感が長く続いて体力を消耗した。長距離運転はやっぱり疲れるもんだけど、今は疲労を心配してくれる彼女がいる。疲れは休めば消えるから、運転を全うできて良かった。

「疲れはまだ残っているようですね。」
「カマヤ市に入ろうと必死に運転してたからね。大丈夫。起きられないほどじゃないよ。」
「食事はデリバリーサービスを手配しました。もう少しかかりますから、ゆっくり休んでください。」
「そんなサービスあるの?」
「このホテルが提携している飲食店のサービスです。メニューはあまり選べませんが、今日はヒロキさんの休養を優先したかったので。」

 食事はこうでないと嫌だというこだわりは、腐っていたり食べられないものを押し付けられるといった不快感を伴うものを除けば特にない。それよりもシャルの気遣いが嬉しい。僕が欲しかったものをシャルはくれる。どちらが上とか察してホストのように動くとかそんなんじゃなくて、こういう気遣いが欲しかったんだ。

「シャル。僕が寝てた間に何か動きはあった?」
「トラックが完全に停車中だったことが、トラックのドライブレコーダーで確認されたことで、トラックは完全に被害者であることが立証されました。それを受けて、警察−G県警察はSUVを運転していたホーデン社工作員を、危険運転致傷の容疑で回復次第逮捕する方針です。もっとも、その時が何時来るかは分かりません。」
「G県県警もホーデン社の影響下にあるってこと?」
「いえ。単に工作員が重傷かつ重体で、回復の見通しが立たないからです。満タン近い状態で爆発炎上した水素タンクの至近距離にいて、生命反応があった方が不思議なくらいです。ゴキブリ並みの生命力ですね。」
「ゴキブリって…。」
「ハネ村で傀儡の自治体と一緒に威圧脅迫暴言何でもあり、A県全体で傍若無人の振る舞いをしていた事実がどんどん暴露されている最中、別の県でも執拗な煽り運転・危険運転の果てに暴走して停車中のトラックに衝突して爆発炎上で高速道路を通行止めにしたことで、ホーデン社への批判はとどまるところを知りません。」

 ホーデン社の渉外対策室室員、つまりはスパイであることが、マスメディアに根回しする前に報道されたのが、ホーデン社には致命的だ。一歩間違えれば重大事故に発展した恐れもある事故を起こした容疑者として報道されれば、イメージダウンは避けられない。ましてや先に重大事件の当事者として批判の槍玉に挙がっているところだ。
 ホーデン社は内外にかなり動き辛くなっただろう。マスメディアも流石にホーデン社を擁護できないし、仮に広告費という名の賄賂で抑えたとしても、SNSという別ルートがある。SNSの方では、ご丁寧にも海外向けに英語など複数の言語に翻訳された字幕を付けた映像や写真も配信されている。ホーデン社1社では抑えようがない。

「今日は食事をしてゆっくり休んでください。ハネ村の駐留部隊やホーデン社の情報分析は、私が問題なく出来ます。」
「運転して終わりで良いのかな…。」
「拠点の移動も重要な仕事です。事実その間、私は膨大な情報の収集と分析に集中できました。」

 シャルは僕の左頬に右手を当てる。ほんのり温かい手が僕の左頬を優しく撫でる。これだけなのに凄く気持ち良い。

「ヒロキさんは、もう誰かの良いように使われる存在じゃありません。誰かの顔色を伺う必要もない。私と協力してこの世界を巡る旅の主人公です。」
「シャル…。」
「ゲームの主人公も仲間を加えたり、休んだりアイテムを買ったりします。生身の人間であるヒロキさんは尚更、そういったことが必要です。」
「うん…。」

 サーバのセキュリティを乗り越えて情報を取り出したり、膨大な情報の分析やそこからの推論なんて僕には到底不可能。それらが得意なシャルに任せるのが良い。分かっているつもりだけど、何かしなければと半ば焦燥感すら湧き出してくる。かつて何かと押し付けられていた時代の学習効果なんだろう。
 あのSUVの男は結局シャルに軽く捻り潰された。両足欠損というから、仮に退院できても車の運転はまず不可能だろう。ハネ村の事件でホーデン社がどうなるかは予想できないし、今日明日で事態が何らかの方向で一気に収束する見込みは薄い。シャルの厚意に甘えてゆっくり休もうかな…。
 翌日。余程疲れていたのか食事もそこそこに寝てしまった僕を、シャルが起こしてくれた。僕のシャツを使っての裸ワイシャツだったから、起き抜けに血圧と心拍数が急上昇したけど。シャルが言うには「ゆったりしていて楽なのもある」そうだ。シャツくらい買えば良いからシャルに2着プレゼントした。
 僕が何度か着たものだから新品の方が良かったかと気づいてシャルに言ったら、「こっちの方が良い」と譲らなかった。洗濯はホテルのランドリーを使えば良いし、今までそうしてきたから、僕が渡したものは洗濯して畳んであったもの。それをシャルが喜んでくれるなら嬉しい。…ボタンは出来るだけ嵌めるようにとは言っておいた。
 定例のビュッフェ方式の朝食を食べながら、シャルの報告を聞く。ハネ村関係は動きがない。ホーデン社は昨日の事故で更に批判が強まり、その影響でA県県警への風当たりも強まっている。「ホーデン社専属の国営警備会社」とまで揶揄されるほどホーデン社に対して腰砕けの対応だったことを槍玉にあげられ、駐車違反とかでも「ホーデン社からの賄賂で潤ってるのにせせこましくネズミ捕りか?」とまで言われることもしばしばらしい。自業自得ではあるが。
 ホーデン社も流石に今までどおりではまずいと思ったようで、全社員に対して安全運転と法令順守を指示した。むしろ今までそういった指示を出してなかったのか疑問でならない。シャルの調査では、そういった指示は今まで一度も出されていない。トヨトミ市を傀儡にしてA県県警や議会を掌握して天狗になっていたのがよく分かる。
 ハネ村は厳戒態勢を緩めていない。勿論焦点のオウカ神社も境内全面立入禁止が続いている。A県県警は結局ハネ村の工作員暴行監禁については、工作員の脅迫や威力業務妨害への正当防衛として書類送検もしないことを発表した。書類送検から起訴となると、ハネ村の弁護団などが黙っていないし、判決次第では最悪の事態も予想されると判断したんだろう。
 ハネ村の事件はハネ村優位のまま推移しているけど、僕とシャルにとって重要なオウカ神社への立ち入りは解禁の見通しが立たない。次の候補地の1つであるカマヤ市に移動して、並行してヒイイロカネの捜索と回収を進めるのは効率的だと思う。カマヤ市の方も時間がかかるだろうし。

『カマヤ市はディスプレイの生産で一時全国区になったんだ。』

 カマヤ市はそれまでM県の人しか所在を知らないような、地方都市の1つだった。カスプ社がこれまでよりはるかに薄くて透明に出来るフラット・ディスプレイを量産するため、カマヤ市に巨大な工場を建設した。カマヤブランドとしてフラット・ディスプレイは一気に全国区になって、カスプ社の株価は連日ストップ高になるほどだった。
 だけど、どんな製品も普及しきれば飽和する。ディスプレイはTVや携帯端末、車のHUDに使われるけど、一度買ったらそうそう頻繁に買い替えるものじゃない。車のHUDは面積が大きい分価格も高いし、それこそ1年2年で誰もがポイポイ買い換えない。普及したら次に来るのは飽和からの価格の下落だ。
 工業製品は、普及して飽和すると価格が下落する。作っても売れなくなるから、利幅を圧縮して売ろうとする。そこに、他社の製品も入ってくると下落幅が大きくなる。当初莫大な利益を上げていた工場は、やがて会社にとって重い負担になっていく。事業計画で見込んだ利益が減ったり赤字になったりすれば、経営層の責任問題になる。
 カマヤ社自体の経営悪化も重なって、ついにカマヤ市のフラット・ディスプレイの工場は売却された。売却先の外資系企業は、売却後早々に閉鎖した。フラット・ディスプレイは海外製造の自社製品で十分賄えること、新規の設備投資は巨額で採算が合わないというのが理由。いずれにせよ、カマヤブランドの栄光は完全に潰えた。

『車のフラット・ディスプレイがカマヤブランドってだけで高級車に分類されることもあったよ。』
『私の本体も、私になる前はそうだったんですか?』
『僕が買った時は、もうカマヤブランドが消えた後だよ。車のHUDにフラット・ディスプレイは標準で使われるようになってた。』
『そういう事情があったんですね。昨日のデリバリーサービスの車が、頑丈な作りだったのが疑問だったんですが、納得の理由です。』
『何かあったの?』
『デリバリーサービスで見られるオープンタイプの車ではなく、大型のワンボックスで、武装した警備員が2名同乗していました。』
『何?それ。』
『「害人の町」。内外の「外」ではなく有害の「害」。これがカマヤ市の通称です。』

 強烈な通称だ。シャルの証言どおりデリバリーサービスで警備員が同乗するなんて聞いたことがない。昨日、此処まで運転してくる時には危害が加えられることもなかったし、煽られることもなかった。あのSUVに追いかけられた中央横断自動車道の方が、はるかに危険を身近に感じた。

『シャルの本体は大丈夫?駐車場は屋外だけど。』
『今のところ車上狙いなどを試みる者はいません。ACSは常時稼働していますし、痛い目に遭うのは車上狙いの方です。』
『駐車場から監視されていたタカオ市よりはましなのかな…。』
『このホテルがあるあたりは、治安が比較的良いところなのもあるようです。これを見てください。』

 シャルが取り出したスマートフォンに、赤い点が無数にプロットされた地図が表示される。右上の方に星印がある。これが今居るホテルだとすると、中心部、線路や国道や高速道路が通っているあたりに赤い点が固まっていて、そこを中心に広がるように赤い点が散在している。

『この赤い点が犯罪発生地点?』
『はい。証言、目撃情報や防犯カメラの映像で明らかなものも含めて、容疑者が外国人に限ったものです。』
『外国人犯罪がこんなに?』
『はい。カマヤ市では外国人犯罪が他の自治体の10倍発生しています。外人ならぬ害人と称されるのはそのためです。』

 少し中心部を拡大してみると、至る所で外国人犯罪が発生している。それこそ5m歩けば犯罪を目撃するか被害を受けるかといったところか。海外のスラムならそういうのも不思議じゃないけど、曲がりなりにも治安の良さを売りにする日本の小さな地方都市で、こんな深刻な事情があるとは俄かには信じられない。
 だけど、シャルがわざわざスマートフォンを操作して表示する情報に嘘はない筈。こんな状況下で迂闊に中心部を通ると、たちまち犯罪被害に遭う羽目になりかねない。シャルなら銃撃されようが刃物を向けられようが何ともないだろうけど、危険に晒したくはないし、盾になってもらうわけにもいかない。

『私に武器を向ければ自分がその餌食になるだけですし、万が一ヒロキさんに危害を加えるようなら、この世から直ちに消えてもらうだけです。』
『シャルなら造作もないよね。でも、シャルは見た目外国人だから、面倒なことになるかも…。』
『それを考慮して、此処でのヒイイロカネの捜索は、空からを基本にします。ココヨ市で私が創作したアプリの機能を少し拡張して対応できます。』

 シャルが襲撃を撃退したりしても、警察は見た目外国人−根元から完全な金髪だし色白だから白人と思うだろう−のシャルを少なからず疑うだろう。相手が返り討ちに遭って負傷したら、任意という枕詞付きの連行に発展するだろう。そうなると警察との対峙に発展しかねないし、何より周辺住民の警戒を強めてしまう。
 どこに隠されているか分からないヒヒイロカネの捜索には、地域住民と良好な関係を持っても敵対することはあってはならないのが基本だと思っている。候補地を地道に回って時に地域住民の話を聞くことが、重要な手掛かりになることもある。見た目外国人のシャルが犯罪に被害者としても関わるのは避けたいところだ。
 シャルのアプリは、リアルタイムで該当地域の上空からヒヒイロカネを捜索できる。今は1画面だけだけど、タブ機能を追加して複数同時に捜索しつつ画面は自由に切り替えられるそうだ。それでもシャルにとっては負荷が増えるというレベルではないという。シャルの処理能力はこの世界のスーパーコンピュータを束にしても適わないだろう。

『接近しないと反応しないタイプのヒヒイロカネもありますから完全ではありませんが、場所を絞り込むことは十分出来ます。』
『十分だよ。カマヤ市にヒヒイロカネがあるかどうか目星を付けるだけでも、かなり違う。』
『では早速。…え?』
『何かあったの?』
『早期警戒機からの情報にノイズが重なって、画面に表示できる状況ではありません。』
『ジャミング?』
『はい。このジャミングは裏を返せば非常に重要な情報でもあります。』

 シャルが説明する。ヒヒイロカネの捜索には、ヒヒイロカネが発する特有のスペクトルをスキャンする。それは一般的な電波とは違うし−技術的な詳細は難しすぎる−、それをジャミングするのはヒヒイロカネに関する技術がないと不可能。つまり、ジャミングがあるところの何処かにヒヒイロカネに関する非常に有力な手がかりがあるということだ。
 ジャミングの理屈自体は、この世界のジャミングと同じと考えて良い。つまり、ヒヒイロカネのスペクトル検出を妨害するような電波のようなものを放出すれば良い。ジャミングは偶然かカマヤ市を覆うように存在している。捜索の難度は少し上がるが、カマヤ市の捜索でヒヒイロカネやそれに関する重要な手がかりが得られるだろう。

『神社の境内が暗号になっていたハネ村と違って、カマヤ市はあからさまっていうか。』
『はい。これまで人の手が及び難い場所に隠されたり、そのような形状でしたから、意外な状況です。』
『何かの罠かもしれないから、注意した方が良いね。』
『そのとおりですね。ヒヒイロカネが他にこの世界にある筈がないと思い込んでいるのかもしれませんが、単純に場所を特定すれば回収できるとは思わない方が良いですね。』

 カマヤ市のヒヒイロカネ関連は、これまでとは違って存在を誇示するかのようなことをしている。それは裏を返せば、奪えるものなら奪ってみろという挑戦的な考えに基づくものなのかもしれない。そのメッセージは、恐らくSMSA、ひいてはマスターと称されるあの老人に向けてのもの。かなりの危険も予想できる。
 現状はかなり厳しいと言わざるを得ない。外国人犯罪が多発している−今現在でも続発しているようだ−。ほぼ全域を覆うジャミング。何も考えずに突っ込むとそれこそ返り討ちに遭う危険もある。シャルの能力が高いといっても、物量作戦で押されたら厳しいかもしれない。騒動が表沙汰になったら外国人犯罪に手を焼く地元警察に目を付けられる危険もある。

『先にお話ししたとおり、此処でのヒヒイロカネ捜索は空からを基本にします。』
『ジャミングがあるからスペクトルの検出は出来ないんじゃない?』
『スペクトル検出は確かに現状では不可能ですが、目視での捜索は可能です。』

 シャルの説明では、目視−今回は高解像度カメラで画像分析をしながら捜索することは可能だという。こっちの世界だと、レーダーがジャミングされて使用不能な場合、目視で目標を認識して攻撃なりするのと同じこと。また、ジャミングは地表から上空までカバーできなくて、地表付近は無効か弱まる傾向がある。地表近くまで進行すればスペクトル検出機器の使用も可能になる可能性は高い。

『ジャミングの中心が固定されているので、移動体−私のように上空や車両によるものではないことはほぼ確実です。』
『カメラからの画像処理が加わると、負荷が一気に増えない?』
『現在よりは増えますが、微々たるものです。』
『画像処理が加わっても負荷上昇ってほどじゃないんだね。』

 画像処理は元々負荷が重い処理で、高解像度だとICの放熱も入念にしないといけないと聞いたことがある。それでもシャルにとっての負荷はごく僅かという。本体にあるCPU−という名称なのかは知らないけど−の性能はどれほどのものなんだろう。
 ヒヒイロカネ捜索について当面の対策や方針が明確になった。問題は僕とシャル。ホテルはチェックインとチェックアウトのシステムがある。部屋の清掃やアメニティの交換・補充のためだから当然だけど、その間僕とシャルはホテルから出ないといけない。でも、カマヤ市は外国人犯罪が溢れる治安状況。どうするか。

「行き先をカマヤ市に絞らなければ良いんですよ。此処へ行きたいです。」

 シャルがスマートフォンの画面に出したのは、中部東自動車道のゴコウ山SAのWeb。「M県美味しいものフェア」という大きなバナーがある。この前、此処の名物らしいクリームチーズのロールケーキを食べに行って、シャルが大満足してた。恐らくクリームチーズのロールケーキの他にも食べ物が目白押しなんだろう。
 此処へ行くには中部東自動車道に入る必要がある。最寄インターは…カマヤインターか。此処から割と近い。ハネ村は膠着状態だし、カマヤ市は犯罪続発中。僕が何か事態打開の切り札を持っているわけでもないし、行きたいところやシャルが選んでくれた場所に行って気晴らしや暇つぶしをするのが良いか。

「混んでそうだけど、行こうか。」
「はいっ。」

 こういうところは混雑が必須みたいなものだし、今はむしろ時間がかかる方が良いのかもしれない。それにしても…この旅は割と気楽なところが多いな。
 やっぱりゴコウ山SAは混雑している。「M県美味しいものフェア」はSA内の店舗の他、屋台も対象。どこもかしこも人がいっぱいだ。SAの駐車場に入れたのが奇跡と言える混雑具合で、今はSAの入口前が10km近く渋滞しているそうだ。この様子ではさもありなん。
 飲食店の席は何処も満席。そもそも空席になる時間があるのか疑問に思うくらいだ。待っていると何時まで経っても食べられそうにないから、テイクアウトできる店舗や屋台で買ったものを、シャル本体の中で飲み食いすることにした。食べこぼしがないように、大きめのトレイをシャルに用意してもらって。

「ゆったり食べられますね。」
「本当は何処かの店で食べられたら良かったんだけど。」
「こういうことは、何処に行ったかも重要ですけど、誰と一緒だったかが一番重要だと思うので、私はこれで満足です。」

 前に来た時のように、混雑はしていたけど店で座って食べられればベストだったけど、シャルはこうして僕と一緒に飲み食いすることが一番重要だと言ってくれる。買う時も勿論並んだし、その時間は決して短くはなかったけど、シャルと近い距離で買ったものを時に分け合って飲み食いできるのは、至福の時だ。
 シャルが言うには、食べこぼしもゴミも生分解できるから気にしなくて良いそうだけど、シャル本体を汚すのは気が引ける。コックピットやダッシュボードが変形したトレイは十分広いし、ゆっくり食べれば、アップルパイとか食べかすが出やすいものもトレイに少し落ちる程度で済む。シャルと一緒なんだから慌てることはない。
 買ったものは前にも食べたクリームチーズのロールケーキの他、アップルパイ、照り焼きチキンサンド、ピリ辛フライドポテト、ヨーグルトシェイク。ヨーグルトシェイクはジャムで味を付けるタイプで、僕はブルーベリー、シャルはストロベリーを選んだ。ジャムの控えめな甘さをプラスした濃厚でよく冷えたヨーグルトは、ピリ辛フライドポテトに結構合う。
 カマヤ市からこのゴコウ山SAまでは、中部東自動車道で15分くらい。自治体としてはカマヤ市から北に1つ挟んだところにある。店を回る際にざっと見まわした感じでは、外国人はほとんど居ないようだった。むしろ完全金髪のシャルの方が一目で外国人と思われるくらいだった。同じM県でもこうも違うんだろうか。

「M県の自治体の多くは、川で境界が決まっています。そのため、カマヤ市に隣接している自治体への流入は殆どないようです。」
「橋が架かっているから渡れば良さそうなものだけど。」
「川はかなりの心理的障壁になります。夜は想像以上に暗く、非常に危険です。」

 シャルが言うには、川は流れが複雑で予想以上に深いところもあって、見た目よりはるかに危険が多い。橋だってそんなにあちこち架かってないし、シャルがHUDで見せてくれた地図を見ると、その橋は何れも国道やバイパス、高速道路など車の交通量が多いところ。自動車専用道路も多くて渡れる橋はかなり限られている。
 夜になると川がどう見えるか、シャルはHUDで事例を見せてくれる。想像以上に暗い。何処までが川岸で何処からが川なのか殆ど分からない。堤防沿いに街灯が点在しているにもかかわらず、だ。犯罪がばれて夜の闇に紛れて隣の自治体に逃亡しようと川を渡ろうとしたら、暗闇で足を取られて溺死してしまう危険が高いと容易に想像できる。

「隣接する自治体の対応とかはどうなってる?」
「該当する地区の住民に、パトロールの強化や夜間の不要不急の外出を控えるよう要請している段階です。流入したと見られる容疑者はごく僅かですが、カマヤ市の状況は様々な媒体で知られているので、住民の警戒感は強いです。その警戒感が、カマヤ市とは無関係な外国人に住宅を貸さないなど、別方向のトラブル発生の遠因になっています。」
「難しい問題だね…。」
「川が障壁になっているのもあって、カマヤ市での外国人犯罪の容疑者は、カマヤ市に潜伏しているようです。それがカマヤ市住民の不安や不満を増幅して、外国人排斥を主張する地域政党が市議会第1党になっています。」
「外国人の流入で治安が悪化して、その排斥を主張する政党が台頭する、か…。歴史は繰り返すって本当だね。」

 第2次世界大戦前のナチスの台頭も、欧州での極右政党の台頭も、日本での右翼政党と取り巻きのネット右翼の跋扈も、背景には外国人の流入と治安の悪化がある。安い労働力として流入した外国人が、雇用調整弁として利用され、失業する。失業して生活に困窮して居場所もないと犯罪に走る。そしてそれを外国人排斥に繋げる。お決まりのパターンだ。
 一方で、外国人排斥や右翼の台頭に反対する左翼勢力が、この問題でいまいち支持を得られないのは、そういう単純な論陣を破れない左翼勢力の背景に問題がある。左翼勢力は反論の主軸としてほぼ必ず人権を持ち出すけど、それが外国人犯罪の被害に遭った自国民に対して、容疑者の外国人より下とみなすかのような扱いをする。自国の政党なのにどうして自国民より犯罪をする外国人を人権で守るのかと反発が起こるのは当然だし、そこを右翼勢力に突かれて「左翼勢力は売国奴」という喧伝がかえって支持を得ることになる。左翼勢力はそろそろ外からの見え方を学習した方が良い。

「カマヤ市は外国人が多いからだろうけど、その外国人は何処から来たか分かる?」
「容疑者として氏名や身元が判明した分に限定されますが、過半数はブラジル。他はフィリピン、中国など東南アジアです。」
「来日の理由は?」
「元々はカスプ社のフラット・ディスプレイ工場の設置に伴う募集で流入した人達です。」
「そしてカスプ社が利益減少で工場売却、売却先は工場閉鎖で、流入した外国人は失業して社宅とかもなくなって、犯罪に走っている。−こんな構図だね。」
「そのとおりです。そこでカスプ社の雇用責任や誘致の際の補助金返還についての議論が起こらないところに、この世界の民主主義の限界を感じます。」

 工場建設に伴って安く使える外国人を大量に募集しても、利益の減少で工場を売却してあとは知らん顔のカスプ社の責任は重い。「企業だから利益を考えるのは当たり前」だの「資本主義だから弱肉強食」というのは簡単だけど、そう言い放つ輩は、政権御用達の学者や評論家を除けば、政権から金を貰うか無職で暇を持て余すかのネット右翼。当の本人たちがその「企業」や「資本主義」から見れば負け犬であり食われる側であることを分かってない。
 企業が好き勝手すればどうなるか、財閥が跋扈した過去の日本、財閥が経済を牛耳る韓国、法律が出来るまで何でもするアメリカや欧州を見れば分かる。特に、投資の名目で短期間での株の売買が大勢を占めるようになったことで、株の配当目当てに何の経営哲学も持たずに経営に口を挟む自称「物言う株主」が、企業も経済もダメにしている。
 外国人犯罪で恐怖と敵視の対象になっているカマヤ市の外国人は、カスプ社の杜撰な経営計画の犠牲者でもある。だからと言って、犯罪をしても人権がどうとか、左翼勢力のように黙認するわけにはいかない。カマヤ市にはカマヤ市の住民が住んでいて、それぞれ平穏な暮らしを営んでいる。生活が苦しいからとか居場所がないことが、犯罪を人権の名目で黙認することにはならない。
 ジャミングをしているのが誰なのかは分からないけど、周辺の物理的な警備に外国人を動員している確率は高い。何しろ仕事もなければ居場所もないと失うものがない。失うものがない人が犯罪に走ると、死刑も厭わないからいとも簡単に大量殺人でもやってのける。物凄くたちが悪く、危険な警備だ。

「どれだけ数を集めても、私の妨害にはなり得ません。」
「人間はシャルの敵にはならないね。問題は、シャルのスペクトル検出を妨害できる設備を有する組織だよ。」
「それはそのとおりですね。」

 シャルの航空部隊や地上部隊の攻撃力は、オクラシブ町などで十分実証済み。問題は、ヒヒイロカネのスペクトルをジャミングする設備があること。ヒヒイロカネはこの世界ではオーバーテクノロジー。それの検出や回収は同じヒヒイロカネで出来ているシャルしか不可能なところに、検出を妨害できる技術や設備がこの世界に現にある。
 それはすなわち、ヒヒイロカネをシャルに近いレベルで扱える技術水準が存在するということだ。これはかなりの脅威と考えた方が良い。この世界でもジャミングの設備はレーダー、つまり電磁波に関する知識や技術が必要だ。シャルのスペクトル検出を妨害するジャミングの存在は、ヒヒイロカネに関する知識や技術の存在を示すものと言える。
 タカオ市ではシャルには劣るものの、対話が可能な知能水準のヒヒイロカネが登場した。その「製造」経緯はまだ不明だけど、カマヤ市全域をカバーするジャミング設備は、タカオ市でのヒヒイロカネと同等、あるいはそれ以上の技術水準が存在する確率を感じさせる。ジャミングを作れる技術水準で、ジャミングだけで済むとは思えない。
 シャルの攻撃力はこの世界の武器を遥かに凌駕するのは確かだ。だけど、ヒヒイロカネの規模が違うと圧倒的な優位が崩れる恐れは否定できない。ジャミング設備が決して狭いとは言えないカマヤ市全域をカバーするんだから、ヒヒイロカネの量はかなりのものだと考えられる。勿論、兵装も。

「戦力の差は数の差で決まるものではありませんよ。質が大きく左右します。」

 シャルは言う。何時もの口調だけど自身が滲み出ているように思う。

「私が搭載されたのがヒロキさんの愛車だった関係で、マスターはINAOSと紹介しましたが、私に実装された機能は車の制御に留まりません。そして、それらは日々刻々と進化しています。」
「シャルの航空部隊や地上部隊は、今もどんどん強力になってるってこと?」
「はい。単純な攻撃力だけでなく、相手の裏をかく潜入ルートの探索や、多数の航空機のコンビネーションなど。自ら学習し、その結果を分析してより厳しい条件下でも優位に立てるよう自らを強化する。私の中枢である非生命型神経ネットワークの本筋です。」

 非生命型神経ネットワークとは、シャルが創られた世界における人工知能の総称。ヒヒイロカネは特別な処理をすることで、学習によってシナプスに相当するものを接続・発達させて機能を深化していく。この世界のAIという名のディープラーニングは、外部からデータを供給しないと学習しない。しかも、特定の事象−たとえば将棋なり囲碁なりに絞っての話。人工知能のレベルが根本的に違う。

「勿論、ジャミング設備を有する組織相手の確率が高いので、油断はしていません。自信と慢心は違います。」
「シャルを信用してないわけじゃないんだ。文字どおりの戦争だから、相手が何をしてくるか分からないし、物量作戦に対してシャル1人じゃ不安で…。」
「攻防の立場は一見するとヒロキさんと私が防戦一方ですが、実際は攻防の立場が逆です。安心してください。」

 シャルが非力とは全く思ってないけど、カマヤ市全域を覆うジャミングを見ると、単身敵の要塞に乗り込むように見えてならない。僕が出来ることは…、気づいたことがあればすぐにシャルに伝えて、考えて知恵を出すくらい。戦闘能力は皆無に等しいけど、結果を分析したり予想したりすることは、僕にも出来る筈だ。

「これ、美味しいですよ。飲んでみてください。」

 シャルがヨーグルトシェイクを差し出す。無論、コップごと。ストローが入った状態のそれを差し出すってことは…。

「ヒロキさんのも少しくださいよ。」

 同じ構造のコップに入ったものを飲ませるってことは…。間接キス、だよな?コップを交換して、ストローに口を付けて…。ヨーグルトシェイクが凄く冷たく感じる…。
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