雨上がりの午後

Chapter 123 夏の夜に浮かぶ歓談と絆の言葉

written by Moonstone


 先を歩く年長者集団の方向が変わる。
先頭を歩く桜井さんが暖簾(のれん)を潜ったのは、和風情緒豊かな、かなり大きな店だ。
年長者集団について歩いていくと、店先に看板があって「歓迎 桜井御一行様」と書かれている。桜井さんの名前で予約してあったようだ。
 中に入ると、左側にライトアップされた日本庭園が広がり、右側に満席に近いテーブル席が並ぶ廊下が続き、奥に進んで行くと、先頭を歩いていた
桜井さん達が靴を脱いで上がる。どうやら座敷席のようだ。
俺と晶子も靴を脱いで上がる。晶子は靴を脱ぐ時点でようやく俺の腕から離れた。
 8人が余裕で座れるゆったりした座敷席は、正面奥にライトアップされた日本庭園がガラス越しに見えて、机には見るだけで恐縮してしまう豪華な料理が
並んでいる。
本当に俺と晶子は金を払わなくて良いんだろうか?
俺と晶子が突っ立っている中、年長者集団は続々と座っていく。
少なくとも晶子と離れるのは嫌だから、とりあえず座ろう。
俺はやはり困惑気味の晶子の手を引いて、潤子さんの向かい側、桜井さんの左側に座る。晶子も腰を下ろす。
 席の配置は、正面向かって左側奥からマスター、潤子さん、青山さん、勝田さん、右側奥から桜井さん、俺、晶子、国府さんとなった。
年齢や音楽のキャリアはこの際無関係のようだ。
座って間もなく、和書のようなメニューが送られてきた。俺はメニューを広げて中をざっと見る。一品料理の他、飲み物もある。どれも種類が豊富だ。

「全員メニューが見られるようになったかー?」

 桜井さんがやや大きな声で−そうじゃないと周囲からの喧騒にかき消されてしまう−尋ねると、彼方此方から、OK、とか、大丈夫、とかいう声が返ってくる。
どうやらメニューは全員が見られる分だけ配られたようだ。

「飲み物は★印がついているものは飲み放題だから、どんどん頼んで良いぞー。まずは全員ビール大ジョッキでOKかー?」

 奢ってもらう身だし、ビールはしょっちゅう飲んでいるから文句はない。
俺は、OKです、と言って手を挙げる。左から、私もOKです、という声がする。見ると晶子も手を挙げている。
そう言えば前に晶子と飲みに行った時も、晶子がビール大ジョッキを注文しようと言い出したんだっけ。
彼方此方から、OKだ、とか、異議なし、とかいう声が返ってくる。

「よし、賢一!ビール大ジョッキ8つ注文だ!」
「了解!」

 威勢の良い返事が聞こえてくる。どちらかと言うと落ち着いた印象がある普段の国府さんからはちょっと想像し難い。
喧騒に混じって、ビール大ジョッキ8つ、という声が聞こえてくる。俺の右肩がポンポンと叩かれる。俺は桜井さんの方を向く。

「料理はこれだけじゃないけど、足りないようだったら遠慮なく注文して良いからね。それから飲み放題以外の飲み物も注文して良いよ。
隣の彼女にもそう伝えて。」
「良いんですか?」
「気にしない、気にしない。」

 潤子さんが言っていたように、ここは年長者の好意に甘えることにするか。
俺は、ありがとうございます、と桜井さんに言ってから、晶子に桜井さんからの言葉を伝える。
晶子は、これ以外に料理が来るなら追加注文は必要ないでしょうね、と言う。
俺もそう思う。小さな鍋料理、ヒレ肉の刺身らしいもの、立派な煮物、焼き鮭が並んでいる。
これら以外にどれだけ料理が来るか分からないから、まずは来た料理をきちんと食べることが先決だな。

「どんどん回していってねー。」

 勝田さんの声が聞こえる。見ると、ビール大ジョッキが人から人へ、横から横へと渡されていく。
晶子からビール大ジョッキが回ってきた。俺はそれを受け取って桜井さんに渡す。そしてもう一つ受け取る。これは俺の分だ。

「全員回ったかー?」

 桜井さんが尋ねると、返事と共にビール大ジョッキが掲げられる。
桜井さんは膝立ちになって人数分行き渡っていることを確認してから、自分のビール大ジョッキを持って言う。

「それじゃー、今回のコンサートの成功を祝して、かんぱーい!」
「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」

 俺はジョッキを掲げる。
そしてまず晶子とジョッキを軽くぶつけ合い、そして桜井さん、向かい側に居るマスターと潤子さん、そして青山さんとジョッキを軽くぶつけ合う。
それから黄金色の液体を飲み込む。程好い苦味が効いた、よく冷えた液体が喉を潤し、胃へと流れ込んでいく。
 何処からともなく拍手が起こる。次第にそれは大きくなる。俺もジョッキを机に置いて拍手する。
見る限り誰も彼も皆笑顔だ。俺も顔が綻んでいくのを感じる。これまでの苦労が一瞬にして吹き飛んでいく。
一生懸命やった後だからこそ感じられる充実感と達成感が俺の心を満たす。

「さあ!せいぜい飲んで食って喋れー!」
「「「「「「「おー!」」」」」」」

 桜井さんの声に全員が陽気な声を返す。打ち上げが始まった。皆食べるわ飲むわ喋るわ・・・。
俺も食事を突き、ビールを飲みながら、隣の晶子や桜井さん、向かい側に居るマスターと潤子さん、それに青山さんとコンサートのことについて話す。
普段あまり喋らなくてクールな青山さんも、酒が入ると結構陽気になるから結構親しみやすい。

「それにしても、今日のコンサートは大盛況だったな。」
「ああ。チケットは全部捌けたが、満員御礼になるとは思わなかった。買うだけ買ってこない客も多少は居るかと思ったんだが。」
「それだけ客の期待が大きかったってことだな。安藤君の予想どおりアンコールもあったし、久々に燃えたよ。」
「祐司君は高校時代にバンド経験があるから、大勢の人の前で演奏することに関しては、俺達よりよく知っている面がある。」
「なあ文彦。安藤君をこっちにくれ。」
「却下だ。うちの貴重なウェイター兼ギタリストをそう安々とくれてやるものか。」

 桜井さんとマスターの会話の焦点が俺に移りつつある。
くれ、ってあの・・・犬や猫の仔じゃないんだから、そんなにあっさり言わないで欲しいんですけど。
俺は苦笑いしつつヒレ肉の刺身を食べる。和風ドレッシングがかかったそれは、口の中で程好くとろけて良い味を口の中に広げる。

「しかし、実際安藤君の演奏には脱帽だね。」

 ビールを飲んだ青山さんが言う。

「文彦から渡されたMDを聞いて、こんなギタリストとセッションしたい、と思ってたんだが、その念願があんな大きなステージで実現出来て最高だよ。」
「大助もそう思うか?そう言えば、安藤君と一番セッションしたがってたのは大助だったもんな。」

 え?そうだったのか?
桜井さんの言葉を聞いて俺はビールを飲むのを止める。
実力派ドラマーと呼ぶに相応しい実力を持つ青山さんが、一番俺とセッションしたかったなんて・・・ちょっと信じられない。

「そうだったんですか?」
「そうだよ。MDは俺が全員分ダビングして渡したんだけど、大助が特に君のギターに興味を持ってね。こんな演奏が出来るギタリストと是非セッション
したい、って言ったんだ。普段の大助じゃ考えられない熱の篭りようだったよ。」
「へえ・・・。俺の演奏がそんなに・・・。」
「明。前にも言ったろ?祐司君はうちのバイトの採用試験を満場一致でクリアした実力派だ、って。実際、祐司君には根強いファンも居るんだ。そういう
プレイヤーは息が長い。そうだろ?」
「ああ、確かに。本当に俺達のグループに安藤君が欲しくなってきたよ。だろ?大助。」
「是非欲しいね。ギターが居ると演奏出来る曲の幅が広がるし、ドラムの叩き甲斐がある。安藤君。こっちに来ないかい?」
「そ、そんなこと言われても・・・。」
「ちょっと桜井さん。それに青山さん。祐司さんは私のものなんですから、誰にも渡しませんよ。」

 青山さん直々の誘いを受けて困惑していたところに、晶子が俺の腕に手を回して距離を詰めてくる。その目はいたって真剣だ。

「おーおー、そう言えば安藤君には嫁さんが居たんだっけ。嫁さんの許可無しにはこっちに譲ってはもらえないわけか。」
「これは迂闊だった。奥さんが許可しないんじゃ、こっちに引き込みようがないな。」
「そういうこと。祐司君は晶子ちゃんのものだし、晶子ちゃんが祐司君を手放すようなことをすると思う?」
「考えてみたら、潤子さんの言うとおりだよな。ははっ、こりゃ参ったね。」
「嫁さんっていう強力なマネージャーが居るんじゃ、こっちもそれなりの対応をしないと交渉には応じてもらえないってわけか。」
「分かったか。明、大助。二人の左手を見てみろ。しっかり結婚指輪が填まってるぞ。祐司君、井上さん。見せてあげなさい。」
「ちょ、ちょっとマスター。あれは結婚指輪・・・」
「はい。分かりました。」

 マスターの言葉を否定しかかったところで、晶子が俺の左手を掴んで広げて前に突き出させる。そして自分も左手を突き出す。
晶子の誕生日にプレゼントしたペアリングが照明で煌く。
周囲から、おーっ、とどよめきが起こる。見ると桜井さんと青山さんだけじゃなく、国府さんや勝田さんも興味深げにこっちを見ているじゃないか。
これじゃ、もう少なくともこの場で俺がどう否定しても無駄だな。

「おー、こりゃ見事な結婚指輪だな。今までこっちの店での練習が終わった後の飲み会で、たまに安藤君や井上さんの指が光っていたように見えたのは、
これのせいだったのか。」
「私の誕生日に合わせてプレゼントされたんですよ、桜井さん。」
「どうりでコンサートの最中ステージ脇に居た時、この二人が離れる気配がなかったわけだ。練習の後の飲み会でも必ず一緒に座ってたし。」

 国府さんが納得した様子で言う。そう言えば国府さんは、俺と晶子と同じ側に居たんだっけ。
益々深みに嵌まっていくような気がしてならない。

「二人共まだ学生さんでしょ?なのにもう結婚?早いですね。」
「光。こういうことに早い遅いは関係ない。やった者勝ちだ。文彦なんて、潤子さんと知り合って2年で結婚指輪填めさせたんだぞ。30台後半の髭面サックス
プレイヤーの犯罪行為だ、って前にも話さなかったか?」
「あ、そんな話聞いたことがあります。」
「明。人を犯罪者呼ばわりするな。」
「10歳以上も若い美人を捕まえておいて、犯罪者の烙印から逃れられると思ったか。」
「くそっ、何かにつけてお前、俺を犯罪者呼ばわりするなぁ。」
「あなた。良いじゃないの。実際殺し文句で私のハートを盗んで自分のものにしたんだから。」

 潤子さんの言葉を合図にするかのようにどっと笑いが起こる。
潤子さんはじゃれ付く猫のような顔でマスターに凭れかかる。マスターも流石に跳ね除けるわけにもいかず、やれやれ、といった様子でビールを口にする。
 俺は晶子に腕を引っ張られて自分のところに戻って来たと思ったら、晶子が潤子さんと同じように俺に凭れてきた。
やっぱり跳ね除けるわけにはいかないから照れ隠しにビールを飲む。
あんまり苦味を感じないのは、酔いが回ってきたせいか、それとも晶子に凭れかかられてそっちの方に意識が向いているせいか。・・・多分、後者だな。

「失礼しまーす。」

 場が盛り上がっているところに店員の声が入る。
二人の店員が手分けしてそれぞれの前に刺身の乗った皿と刺身醤油の皿を置いていく。
赤いのはマグロで白いのは・・・この季節だとカレイだ、って前に晶子が言ってたな。それとハマチに・・・タイか?
随分豪勢だな。本当に俺と晶子は金を払わなくて良いんだろうか?

「暑い夏の夜を更に暑くする二組を突くのも良いけど、料理もどんどん突いていけよー。次から次へと来るからなー。」

 桜井さんの声が飛ぶ。皆それぞれ料理を食べたりビールを飲んだり、近くの人と話したりしている。
折角の宴席でこのままぼんやり座ってるわけにもいくまい。
俺が刺身に手を伸ばすと、俺の左腕が軽く何度か突かれる。見ると晶子が何か言いたげな表情で俺を見ている。さしずめ散歩を強請る犬か?

「何だ?」

 俺が問い掛けると、晶子は言葉の代わりにある方向を指差す。
晶子が指差した方を見ると、マスターが自分の肩に凭れたままの潤子さんに刺身を食べさせている。
・・・まさか、俺にもああしろ、というんじゃあるまいな?!

「じ、自分で取って食べろよ。」
「嫌です。」

 晶子はきっぱりと拒絶する。こうなった晶子は梃子でも動かない。
俺はやれやれと思いながら、刺身醤油に山葵(わさび)を少し溶かしてから、マグロを一切れ箸で掴んで軽く刺身醤油に浸し、素早く晶子の口へと持っていく。
晶子は待ってましたとばかりに口を開けてそれを口に含み、もぐもぐと噛んで飲み込む。そして実に満足そうな表情を浮かべる。これって反則だよな。

「おーい。俺、何だか無性に席変わりたくなってきたー。」

 桜井さんが言うと、再びどっと笑いが起こる。
桜井さんは向かい側にマスターと潤子さん、左隣に俺と晶子が居るから、桜井さんが言うところの「暑い夏の夜を更に暑くする二組」と壁に挟まれて
孤立してるんだよな。
その気持ちは分からなくもない。
 高校時代、バンドのメンバーと宮城と一緒にライブを観に行った帰りに喫茶店に寄った時、俺と宮城のペアと壁に挟まれた宏一が「何で俺の隣にお前らが
来るんだ」と文句を言ったもんだ。

「その位置に座った時点でお前の負けだ。」
「くそっ、大助!少しは援護しろ!」
「援護しようにもしようがない。俺だって隣と目の前に熱い現場を配置されてるんだから。」

 青山さんが苦笑いしながら言う。確かに青山さんも考えようによっちゃ居辛い席だろうな。
俺は晶子に離れるようにと肩を軽く何度か上下させるが、晶子は離れるどころか「次はまだですかー?」なんて言って来る始末だ。
俺はハマチの刺身を一切れ晶子に食べさせてから、ビールの入ったジョッキをぐいと傾ける。こういう場では酔わなきゃやってられない。

「あー、凄く羨ましい光景が展開されてますねー。」
「光。羨ましかったら髭生やしてサックスを吹きまくれ。10歳以上年下の美人を捕まえられる可能性があるぞ。」
「そうなったら勝田君も犯罪者の仲間入りだね。」
「こら賢一。お前まで何を言う。」
「言われたくなかったら、お前の肩に凭れて食べさせてもらってる嫁さんをどうにかしろ。」
「潤子は一旦甘え始めたら、満足するまでこのままだ。」
「じゃあ何か?俺は一人孤独に暑苦しい二組と壁に包囲されて飲み食いしろ、って言うのか?」
「そういうことだ。諦めろ。」
「へいへい。分かりましたよ。」

 桜井さんは呆れ返ったという口調でそう言うと、ビールをがぶがぶ飲みながら料理を突く。その様子が妙に寂しく見えて仕方がない。
俺はもう一度晶子が凭れている肩を軽く上下させるが、肩から重みは消えない。
よく考えてみれば、晶子も潤子さんと同じで一旦甘え始めたらなかなか止めようとしないんだっけ。
仕方ない。桜井さんには悪いが、ここは晶子を満足させることに専念した方が良さそうだな。

「賢一!ビール追加だ!」
「はい、了解!」

 ジョッキのビールを飲み干した桜井さんが半ば自棄気味に言うと−その気持ちは分からなくもない−、国府さんが威勢良く応える。
俺は自分の料理を適当に晶子に食べさせる。晶子は実に満足げに料理を食べる。箸の動きが止まると、例の散歩を強請る犬のような目で見詰めるから困る。
 ビールお待たせしました、という声が聞こえてくる。そして店員がテーブルの空いている場所にビール瓶が何本か置いていく。
桜井さんは空になったジョッキを店員に渡すと、伏せてあったコップに自分でビールを注いで一気に飲み干す。桜井さん、酔い潰れなきゃ良いけどな・・・。
 俺の料理がなくなったところで、晶子がようやく俺の肩から頭を上げる。
すると、今度は自分が箸を持って刺身醤油に山葵を少し溶かし、刺身を一切れ摘んで軽く刺身醤油に浸して俺の口元に素早く運んでくる。
俺は反射的に口を開けてそれを受け取る。何度か噛んで飲み込むと、晶子は別の刺身を一切れ摘んでさっきと同じ要領で俺の口に運んでくる。
俺は醤油が零れないうちに素早くそれを口で受け取る。
食べさせてもらって満足したから今度は食べさせてあげる、というわけか?勿論嬉しいんだがちょっと恥ずかしいな・・・。
 隣じゃ桜井さんが「おーおー、仲の良いことで」なんて言うし、青山さんも面白そうに笑みを浮かべながら料理を食べたりビールを飲んだりしている。
俺は料理が運ばれてくる間にジョッキに残っていたビールを飲んでいく。やっぱり酔わなきゃやってられない。
 晶子に料理を食べさせてもらっている間にビールを飲んでいくと、とうとう空になってしまった。
俺は栓の開いているビール瓶を取って、伏せてあった自分のコップに注いで飲む。
この宴席では勺をするされるということがない。手酌が暗黙の了解になっているようだ。
マスターも、晶子と同じようにマスターに料理を食べさせる側に回った潤子さんも、桜井さんも、そして何時の間にやらコップでビールを飲んでいる
青山さんも自分でビールを注いでいる。
 こういう宴席は気楽で良い。
本来は俺や晶子のような所謂「年少者」は勺をして回るべきところなんだろうが、人それぞれ飲むペースというものがあるし、気を使わなきゃならない
宴席は肩が凝る。やっぱり自分のペースで飲める手酌がベストだと俺は思う。
 そうこうしている間にも料理が運ばれてくる。天ぷらに煮魚、どれも美味い。
元からあった鍋料理にも火が入れられる。少ししてぐつぐつ煮立ってくる。
俺は酔った勢いに任せて自分の料理を晶子に食べさせる。晶子も自分の料理を俺に食べさせる。
こうなるともう自分の前にある料理は相手のものという状態だ。
マスターと潤子さんも同じようにしている。俺と晶子に負けては−勝ち負けが生じるものじゃないとは思うが−居られないという心理が働いているんだろう。
そうなると益々桜井さんが孤立してしまう。良いんだろうか?

「あー、俺も嫁さん連れてくるべきだったなぁ。」

 桜井さんのぼやきにも取れる声が耳に届く。俺は桜井さんの方を向く。

「桜井さんって、奥さんと仲良いんですか?」
「そりゃ勿論。君達や目の前の犯罪者夫婦と同じく恋愛結婚だし、そうでなかったら俺みたいな職業やってる男と夫婦やってられないって。」

 自慢げに答えるところからすると、仲の良さでは俺と晶子やマスターと潤子さんに負けない自信があるらしい。
酔っているとは言え、こうやって堂々と言える関係は理想だな。俺だって言えるつもりだが。

「でも、お子さんが居るんでしょう?」
「もう5歳だし、人見知りしないタイプだからつれて来ても大丈夫さ。それに預けてる保育園は延長保育がないからね。まさか5歳の子どもを一人留守番させて
おくわけにはいかないよ。幼児期は最低でも親のどちらかが目の届く場所に居ないとね。何が起こるか分からないから。」
「ですよねえ。」
「はい、祐司さん。」
「あ、ありがとう。」

 俺は一旦晶子の方に向き直って料理を食べさせてもらい、再び桜井さんの方を向く。

「君達は子ども作るつもりなの?」

 突然の切り返しに俺は戸惑う。
子どもどころかまだ結婚もしてないのに−この場では結婚していることになっているが−、どう答えりゃ良いんだ?

「いや、その俺と晶子はまだ・・・」
「大学を卒業して、生活が落ち着いたら作るつもりです。」

 俺が戸惑っていたら、晶子が俺の肩の上から顔を出して答えてしまった。その目はとても冗談を言っているようには見えない。
これじゃ少なくとも桜井さんに対しては、俺と晶子は学生結婚してることを追認することになっちまう。
・・・ま、今更俺が否定して事情を説明したところで納得してもらえるとは、とても思えないが。

「それが良いね。まだ安藤君の将来構想は未定みたいだし、井上さんの将来構想だってあるから、それを擦り合わせないといけないからね。
学生の段階じゃ見えない部分は多いし。」
「明。前にも話したと思うが、祐司君は将来の道を模索している段階だ。出来る限り質問に答えてやってくれ。」
「了解。」
「あなた、はい。」
「おう。」

 潤子さんの声で、マスターは潤子さんの方を向いて料理を食べさせてもらう。
今までマスターと潤子さんとは何度か一緒に食事をしているけど、こんな風に食べさせ合いをするのを見るのは今回が初めてだな。
その割には恥ずかしがったりする様子がない。実は二人きりの時には当たり前のようにやっているんだろうか?
 折角の機会だ。聞けることは聞いておこう。
・・・やっぱりあのことは聞いておくべきだろうな。俺の将来は勿論のこと、晶子の将来にもかかわってくるであろう重大なことだから。

「一つ・・・聞いても良いですか?」
「何?」
「今の職業に就く時、ご両親に何か言われましたか?」
「そりゃ色々言われたよ。そんなことは職業の中に入らない、とか、世の中なめてかかってる、とか、まあ色々散々。俺は、自分の将来は自分で決める、
やってみなきゃ分からない、って言って話し合い−怒鳴り合いと言うべきかな?それは平行線を辿るばかり。最後は、勝手にしろ、って突き放されたよ。
アパートの保証人にもならない、って言われた。」
「じゃあ、住む所はどうやって確保したんですか?」
「叔父さん夫婦に親に内緒でなってもらった。嫁さんと結婚して今住んでる所に引っ越した時は、嫁さんが親を押し切って保証人になってもらったんだよ。
俺が言うのも何だけど、嫁さんは芯が強いからね。」
「へえ・・・。」
「で、子どもが出来てようやく、俺の親にも嫁さんの親にも認めてもらえた、って感じかな。人間ってやつはどうも孫には弱いらしい。まあ、認められようが
認められなかろうが、俺は今の職業を辞めるつもりはなかったし、嫁さんからは、辞めるくらいなら別れる、って逆にケツを叩かれてるよ。」

 波乱万丈の人生だな・・・。
俺は名立たると言われる新京大学に通ってるから、ミュージシャンになる、なんて言ったら親との衝突は避けられないだろう。
その点からも、桜井さんの話は参考になる。

「俺と嫁さんの出会いも、文彦と潤子さんと同じで、仕事で出向いた先のバーだったんだ。店と嫁さんとの年齢差は違うけどね。」
「明。俺に対するあてつけか?」
「よく分かったな。それ以前によく聞いてたな。てっきり聞いちゃ居ないと思ってたんだが。」
「俺はこう見えても地獄耳なんでな。それに愛があれば歳の差なんて、って言うだろうが。」
「そういう逃げ方があるか・・・。やるな。」
「事実を言ったまでだ。」

 マスターと桜井さんが笑う。
愛があれば歳の差なんて、か・・・。俺と晶子は1歳違い、しかも晶子の方が年上。
まあ、そんなこと意識したことはないけど。知った時に多少びっくりしたくらいかな。
財産目当てなら兎も角−俺の場合、狙われるような財産はないが−、マスターの言うことは正論だと思う。

「ま、今はこういうご時世だから親が心配する気持ちは分からなくもないけど、最終的には自分でどうにかしなきゃならないし、そうすべきなんだ。
特別の事情がないのに何時までも親と同居して安穏としてる方が、よっぽど始末が悪い。あれは寄生虫と一緒だ。」
「そうですね。」
「君も奥さんと一緒に将来の道を切り開いていけば良い。どうやら君の奥さんも音楽やこういう職業については理解があるみたいだし、君一人で何でも
やらなきゃいけない、なんて思わないことだね。夫婦は協力して家庭っていう一つの小さな、でも大切な社会を構築していくもんだよ。」

 桜井さんの言葉が身に染みる。
そうだ、俺一人で何もかもやっていかなければいけないわけじゃない。俺には晶子っていう、心強いパートナーが居る。
晶子と一緒なら、結婚式の誓いの言葉じゃないが、どんな苦しみも乗り越えていける。晶子もきっと俺と一緒に歩いてくれるだろう。
 俺の腕が何度か軽く突かれる。振り返ると少々むくれた晶子が料理を摘んだ箸を持って身構えている。
俺は小さく頷いてから口を開けて晶子に料理を食べさせてもらう。もう恥ずかしくも照れくさくも何ともなくなってきた。
酔いが回ったせいだろうが、何を言われても気にならない。

 宴は続く。
俺は晶子と料理を食べさせ合いながら、桜井さんや青山さん、そしてマスターと潤子さんのペアと話をする。そこに国府さんや勝田さんも飛び込んでくる。
賑やかで楽しい宴は続く。
音楽という共通項で結ばれたこの関係は、今回限りのものにしたくない。
ずっと大事にしていきたい。俺が将来ミュージシャンになってもならなくても・・・。

 打ち上げは大盛り上がりのうちに終わった。
気付いてみれば11時を過ぎていた。楽しい時ほど時間が過ぎるのが早いと言うが、あれは本当だな。
桜井さんが代表して会計を済ませて、店を出てからマスター、青山さん、国府さん、勝田さんがそれぞれ「分担金」を桜井さんに払った。
俺と晶子はその後で年長者集団に改めて礼を言った。
 全員揃って良い気分で来た道を引き返していく。
かなりビールを飲んだが−結局ビール以外飲まなかった−食べる方もしっかり食べたから悪酔いはしていない。
左腕には晶子が抱きついているが、往路みたいに照れくさいとかそんなことは思わない。酔いが回っているせいだろう。
 連絡通路を渡り、東口に出たところで先を歩いていた年長者集団が歩を止める。俺と晶子も足を止める。

「よーし、それじゃ此処で解散ということで。」
「お前ら、どうやって帰るんだ?行きはどうやって来たのか知らんが、電車はもう残り僅かだぞ。」
「タクシーって手段があるだろ。心配するな。」
「結構距離あるんじゃないのか?」
「懐具合なら心配無用。4人纏めて乗っていけば安く済む。それにこういう時ぐらいでもないとタクシーなんて使えんからな。」
「嫁さんに怒られるからだろ?」
「あはは、ご名答。」

 桜井さんが笑って言うと、どっと笑いが起こる。

「またこういう機会が持てると良いな。」

 桜井さんが言うと、年長者集団の視線が俺と晶子に、否、俺に集中する。
俺次第って言いたいのか?困ったな・・・。何て答えたら良いんだろう?

「期待に添えられるかどうかは分かりませんけど・・・、今回皆さんと演奏出来て良かったです。機会があったら、またメンバーに加えてください。」
「君達、今年3年生だったよね?」
「「はい。」」
「今回のコンサートが今後を決める上で何かの鍵になれば、俺達はそれで満足だよ。でも・・・、出来ることなら君達とまた一緒にやりたい。それは此処に居る
年長者集団の共通の思いだよ。」

 桜井さんの言葉に、マスターと潤子さんをはじめ、青山さんも、国府さんも、勝田さんも頷く。
そしてどちらともなく歩み寄り、俺と晶子はプロ集団、即ち桜井さん、青山さん、国府さん、勝田さんと固い握手を交わす。
どの手も温かい。
普段シーケンサを従えて演奏している俺は、生身の人間と力と息を合わせて演奏したんだ、と改めて実感する。

「それじゃ・・・また会おう。」
「はい。何時かまた・・・。」

 さよなら、とは言わない。言いたくない。今回限りの袖の擦れ合いとは思いたくない。
俺と晶子は、マスターと潤子さんに続いて歩き始めながら笑顔で手を振る。
桜井さん達も笑顔で手を振っている。マスターと潤子さんも後ろを振り向きながら笑顔で手を振っている。

「またな!」
「ああ、またな!」

 マスターと桜井さんの間で別れの言葉が飛び交う。爽やかな形で別れることが出来たと思う。
本当に楽しかった。こんな経験が出来たのも、俺がバイト先を探している時にマスターと潤子さんの店の噂を聞き、ギター片手に飛び込んだことが大元だ。
そしてあの日の夜、自棄酒を飲んで不貞寝した後に出向いたコンビニで晶子と出会ったことも大切なきっかけだ。
思わぬ形で思わぬ形の人の繋がりが出来る。今回のコンサートでそれを実感した。
 桜井さん、青山さん、国府さん、勝田さん。
もしかしたら、また一緒に演奏することになるかもしれません。その時は宜しくお願いします。
きっと、皆さんの期待に添えるような演奏をしてみせますから。

きっと・・・。


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