芸術創造センターこぼれ話 Dropped talk of Performing Arts Center

この話を聞いてくださるのは貴方が人目です。

  • 最新10日分 2022年6月26日更新 Updated on June 26th, 2022
  • 2022/6/26 [熱中症対策を追加]
  •  強烈な蒸し暑さは、相当早い梅雨明けを感じさせます。来週からのリフォーム工事施工には屋外の対象もあるので、この天候だと業者の熱中症対策を強化する必要があると踏んで、物資の追加購入をしました。私自身はエアコンが昨年更新のメインPC部屋に立てこもる形になるので、熱中症対策は十分ですが、腰痛対策の方が急務かもしれません。
  • 謎町紀行 第2016回 written by Moonstone
  •  見知らぬ外国人に、試しに英語で話しかけるようなものか。相手が理解できる言語を先読みするなんて不可能だから、こちらからアプローチするか、相手からのアプローチを待つしかない。今回は前者を選ぶ必要がある。銀狼や銀狼神社を取り巻く状況は確実に切迫しているからだ。
     今朝、食道で朝食を食べていると、例の密漁グループが疲れ切った表情で旅館に戻ってきた。わざわざ話しかける必要もないからシャルに傍受してもらったところ、アシヤマ集落の混雑が悪化して、物資の補給も食事もトイレもひと苦労。テントも人も犇めき合う状況だと言う。
     昼夜問わぬ騒ぎや無秩序な待機、私有地への侵入に周辺住民から苦情が相次いだんだろう。町役場の職員と警察が多数乗り込んできて、私有地に居座る連中の排除に乗り出した。銀狼見たさに海を渡ってきた連中は、ツアー客も含めてこの排除に不満続出で、警察や町役場の職員と小競り合いを起こしている。
     密漁グループは、物資が不足したのと、兎に角疲れが酷いということで戻ってきたそうだ。テントで熟睡するのは、床や寝床の状況にもよるけどなかなか難しいという。そんな環境下で周囲が常時騒がしければ、流石の密漁グループも寝るに寝られないだろう。朝食や僕とシャルを一瞥もせずにドミトリーに向かったから、相当疲労が溜まっているんだろう。
     数日間、密漁の成果を放置してアシヤマ集落に待機していたくらいだから、銀狼捕獲への執念は相当なものだろう。その執念も疲労や空腹には勝てなかったようだ。他の連中やツアー客も似たり寄ったりな状況だと見て良い。警察や町役場の職員に排除され、一旦は撤収しても、場所を変えるか時間が経つかしたら戻って待機しているらしいけど。
  • 2022/6/25 [撤収と片付けの2日間開始]
  •  手続きや通知。引継ぎはほぼ完了して、残るはリフォーム工事施行の準備、つまり該当箇所にある物品の撤収や片付けだけになりました。その殆どはキッチンにあって、料理の材料(料理酒とか調味料とか)と料理器具、洗剤などの3種類に分けるのが良さそうです。収納ケースは5個で足りるのかちょっと不安。
  • 謎町紀行 第2015回 written by Moonstone
  •  ナンバル集落に近づくと、それまで距離を取りながら追跡してきた銀狼が姿を消す。観察や警戒のために森から出ることはないし、人間が住む集落に近づくこともない。相当用心深いし、集落の位置も把握している。知能の高さはかなりのもののようだ。

    「昨日は黄昏時でしたから多少森から出ていましたが、太陽が明るい時間帯は森から出ないことも徹底していますね。」
    「経験で学んだわけじゃないだろうし、謎が多いね。」

     何だかただの狼じゃなくて、何かの化身じゃないかとさえ思える。狼を神として信仰することは、農耕民族ではよく見られることだそうだけど、銀狼を見るとそうなる心情も理解できる。意思疎通が出来れば良いんだけど。

    「意思疎通、ですか。試す価値はありそうですね。」
    「どうやって?」
    「単純ですよ。何らかの言語で問いかけてみれば良いことです。」

  • 2022/6/24 [エアコンはどちらも問題なし]
  •  昨日付で触れたエアコンの試運転は、リビングのものも問題なし。待っていたかのように蒸し暑さが加速して、これは熱中症の危険と感じてエアコンの稼働を開始しました。この時期の雨上がりは蒸し暑さに拍車がかかります。リビングのエアコンはフィルターがかなり汚れていて、そちらも掃除したばかり。タイミングが良いのか悪いのか。
     エアコンが問題なくて、業者に出す茶菓子も購入。あとは撤収と片付けくらいです。次の土日でキッチンは封鎖して、撤収と片付けに専念する予定です。部屋の片隅に積みあがった収納ケースと飲料ケースは、私の身長に匹敵する高さ。リフォーム工事施工までもうすぐです。
  • 謎町紀行 第2014回 written by Moonstone
  •  本来存在しない特徴がいきなり表れるというのは、僕の知識からだと突然変異が挙がる。皮膚や体毛が真っ白になるアルビノも突然変異の1つだし、燐光を発するようになる確率も全くゼロじゃないと思う。
     だけど、警戒心が強くて身を潜めるのが基本の野生動物で、身体が常時発光していたら、到底成獣するまで生きてられないんじゃないだろうか?移動や狩りの際に発光してたら発見されやすい。それは獲物からもそうだし、外敵からもそうだ。特に外敵に対して「目立つ」ことは非常に危険だ。
     銀狼に限らず、いきなり成獣になる動物なんてあり得ないし、幼獣の頃は特に外敵に狙われやすい。幼獣の頃に全身が光るなんて「襲ってくれ」と言っているようなもの。生存競争が絶え間なく続く野生動物に、配慮なんてご都合主義の生易しい概念は存在しない。

    「ヒロキさんの推測どおり、突然変異だとすると成獣になるまで生きていられたのが奇跡的な確率です。しかも本来群れを作る性質の狼で、群れの危険を誘発しかねない発光する個体が生き延びられることも。」
    「そんな低確率の環境を生き延びたから、想像以上に用心深いんだろうね。」
    「そうかもしれません。ただ、現在も森の中から追跡しながらこちらを観察している知能は、狼の領域を超えていると思います。」

     HUDの右下の小型ウィンドウには、断続的に走っては物陰から僕とシャル、あるいはシャル本体を観察する銀狼の姿が映し出されている。僕とシャル、あるいはシャル本体にかなり強い関心を持っている様子だ。すぐに逃げられる距離と位置を保ちながら観察を続ける用心深さは、シャルが言うとおり狼の領域を超えた知能を感じさせる。
     ヒヒイロカネが埋め込まれている、あるいはヒヒイロカネが形を変えた存在かとも思ったけど、シャルのスキャンで銀狼はヒヒイロカネと無関係という結果が出ている。そうなると、現時点では突然変異で生き延びて、厳しい環境下で知能が著しく発達したとしか考えられない。
  • 2022/6/23 [エアコン試運転]
  •  蒸し暑さに拍車がかかる中、暑さにはそこそこ耐性があるとはいえ、気づかないうちに熱中症という事態もあり得るので、エアコン稼働の準備を始めました。来週からの自宅リフォーム工事は暑い最中の施工になるので、屋内は常時エアコンを稼働させる予定なのもあります。それこそ熱中症の危険が高まるので。
     メインPCがある部屋(施工期間中はほぼ此処にいることになる)のエアコンは、昨年末に入れ替えたので夏は初めて。流石に新製品だけに効きが良く、全く問題ありません。問題はリフォーム対象のキッチンを含むエリアを担当するリビングのエアコン。旧自宅からの電化製品の生き残り3台のうち1台なので、替えるなら替えておくのも手かもしれませんが、流石にリフォーム工事と重複するわけにはいかないので、何とかやり過ごすことになりそうです。
  • 謎町紀行 第2013回 written by Moonstone
  • 「銀狼がいます。運転に支障がないよう、HUDに映像を表示します。」

     HUDの右下に、小さいウィンドウで映像が表示される。森の奥から銀狼が仄かな銀色を発光しながらこちらをじっと見つめている。シャルのリアルタイム処理があるから鮮明に見えるけど、これがなかったら気づかないところだろう。

    「やはり、銀狼はヒロキさんと私を観察しているようです。」
    「そうなると、毎日このルートを通るのは適切じゃないかもしれないね。同じルートを通って自分を拿捕しようとしている、とか銀狼が警戒心を強めるかもしれないから。」
    「その確率は十分あり得ますね。」
    「銀狼からヒヒイロカネは検出できる?」
    「昨日の出現時からスキャンしていますが、ヒヒイロカネのスペクトルは検出されません。昨日よりかなり近くまで接近した格好なので再度高精度のスキャンをかけましたが、やはりヒヒイロカネのスペクトルは検出されません。」
    「突然変異かな。」
    「現時点で最も可能性が高い推論だと思います。」

  • 2022/6/22 [リフォーム工事の準備は転居時と似ている]
  •  リフォーム工事施工が迫る中、ふと現自宅への転居を思い出しました。本業が人員減と業務量増加で厳しい中、銀行や役所に出向き、実印片手に延々と説明を聞きながら押印して、旧自宅の荷物の整理と梱包、現自宅のリフォーム工事への茶菓子運搬兼監視と奔走していました。おかげで疲労とストレスの蓄積が酷く、一度蕁麻疹が吹き出て、救急窓口に駆け込む羽目になりましたが。
     今回は銀行手続き(代金の支払い)はオンラインで出来ますし、実印は不要。荷物の梱包や運搬は一部(荷物の多さではトップクラスの場所ではある)。移動もなし(代わりに自宅軟禁状態になる)。転居時よりは楽かな、と思いますが、片付けや掃除が苦手な人間にとっては面倒なことが多いことには変わりありません。
  • 謎町紀行 第2012回 written by Moonstone
  •  シャルに調べてもらったところ、昨日の銀狼との邂逅場所である駐車スペースがある道は、次の札所があるナンバル集落に繋がっていて、森は銀狼神社の所有地と地続きだと分かった。アシヤマ集落は混雑が激しくなる一方で、交通規制も始まっている。88ヵ所巡礼ならアシヤマ集落を通るより、あの道を通った方が混雑を避けられるし、銀狼の動向を窺いやすい。
     昨日通ったルートをなぞって、例の駐車スペースがある道に入る。舗装はされているけど、車が何とかすれ違える程度の幅しかない、ガードレールがあるだけましという典型的な山奥の道。HUDに対向車の有無を表示してもらって、それを見ながら慎重に進む。

    「昨日、銀狼が僕とシャルを見ていたのは…この辺だよね。」
    「はい。今のところ、銀狼の存在は確認できません。」
    「待っていると警戒するかもしれないから、このまま進むよ。」
    「はい。このまま安全運転でお願いします。私は引き続き周辺の監視を続けます。」

     用心深い性格だから、昨日の邂逅で警戒して身を潜めていても不思議じゃない。銀狼の存在自体は確かに気になるけど、僕とシャルがこの島を訪れたのはヒヒイロカネの捜索と回収のため。銀狼はその旅に加わった優先度の低い目標、ある意味副産物でしかない。
     対向車がないまま、運転を続ける。道は山道の宿命でやや蛇行しているけど、割と見通しは良い方だ。こうなると、心配は対向車より飛び出してくる動物だ。動物と衝突してもシャル本体にダメージが出るとは思えないけど、動物に怪我をさせたくない。
  • 2022/6/21 [何度目かのテキストエディタ移行へ]
  •  このページの更新・運営で使用しているテキストエディタは、長らく秀丸エディタです。文字エンコードの切替など出来る便利さと軽快な動作は確かですが、本業で使う開発環境のテキストエディタとしてはいまいち(言語ごとに細かく設定しないと使いづらい)。1つのテキストエディタで文章も開発環境対応も出来ないかと考えていました。
     今のところVSCodiumが移行先候補で、ここの更新から順次適用しています。段組みやタグの色分けなど不自由はしませんが、唯一文字エンコードは切り替えられない&Shift-JISだと派手に文字化けするのが欠点。過去ログなどはすべて秀丸エディタでエンコードをUTF-8に切り替えないと…。
  • 謎町紀行 第2011回 written by Moonstone
  •  このまま留まっていると、銀狼にも監視カメラにも怪しまれる恐れがある。今日のところは見なかったふりをして帰還するのが良いだろう。シャルにこのエリアに部隊を常駐させて、銀狼の動向を観察してもらうことにする。僕とシャルが去った後で銀狼がどういう行動に出るか、それだけでも銀狼の意図を検討する材料になる。
     街灯がない、どんどん暗闇が増していく中、シャル本体を慎重に動かして駐車スペースを去る。HUDは暗視カメラに切り替わって安全運転のアシストに専念する。実在した銀狼。アシヤマ集落の喧騒を避けて、僕とシャルを観察するように姿を現した不可思議な存在。この島は謎が多いな…。
     翌日。僕とシャルは88ヵ所巡礼に銀狼の調査を含ませることにした。調査と言っても、部隊を潜入させたり、ましてや数と技術にものを言わせて拿捕するわけでもない。近隣を通って出方を窺うことに徹する。
     昨日の偶然の邂逅から、銀狼はかなり知能が高く、用心深い性格だと見られる。僕とシャルを遠方から観察して、敵味方を識別しようとしているとも考えられる。燐光を発する哺乳類という前代未聞の特徴は、銀狼を用心深くさせるには十分だ。
  • 2022/6/20 [食事より風呂の方が問題かもしれない]
  •  リフォーム工事の準備をボチボチ進めつつ、工程表を見てふと思ったことがキャプション。工期の長さは駐車場拡張>>バルコニー防水>浴室>キッチン。使用不能期間はキッチンは実質1日なのに対して、浴室は2日。さらに、食事は近隣でどうにかなりますが、風呂は近隣ではどうにも出来ません。マップで事実の裏付けがなされた格好です。
     最近暑くなってきて、流石に横着な私も1日入浴しないと汗で不快になります。そうなると、病気の時の手段-湯を沸かしてそれで身体を拭くしかなさそうです。キッチンと浴室が同時に使用不能になる期間がないだけましでしょうか。
  • 謎町紀行 第2010回 written by Moonstone
  • 「写真や映像より発光が控えめに見える。」
    「加工や編集がなされた結果だと思います。銀狼はこちらを認識していますが、敵か味方か-正確には有害な存在かどうかを観察している様子です。」
    「ということは、かなり知能が高い?」
    「そのようです。ニホンオオカミより大型で、一般にハイイロオオカミと呼ばれる種類に近いです。スキャンしたところ、実際の生物であることも確認できます。」
    「発光する哺乳類、しかも日本では絶滅したとされる狼か…。でも、どうして僕とシャルの前に?」
    「それは不明ですが、通路を移動する際に遠方や物陰から観察していて、アシヤマ集落に陣取る連中とは違う動きに関心を示した可能性もあります。」

     実在することは判明したけど、謎は多い。むしろ謎が増えたと言える。知能が高いらしいこと。僕とシャルが有害かどうかを観察しているらしいこと。ライトやシャルのリアルタイムスキャンがあるから襲撃されても返り討ちに出来ただろうけど、そのスキャンに引っかからずに物陰から観察していたなら、相当用心深い。
  • 2022/6/19 [準備第一弾:ケース購入と搬入]
  •  かなりの勢いの雨が降り、例の持続的な腰痛で夜中寝られず午前中苦悶→午後は収束後暫く気絶、という悪条件てんこ盛りの中、リフォーム工事前に物品を収納するケースの調達に向かいました。天候が天候なので、普段だと土日は激烈に混みあう店が割と空いていたのは数少ない幸いでしょうか。
     ケース1個は両手で十分抱えられるサイズですが、それが5個ともなると、積み上げれば自分の身長に匹敵する高さ。車のトランクはいっぱい。しかも雨なので店舗→駐車場でも自宅駐車場→自宅でも傘を差しながらの運搬。改めて転居時の大変さを思い出しました。洗剤とかその辺から始めましょうかね。
  • 謎町紀行 第2009回 written by Moonstone
  • 『銀狼です。』
    『?!』
    『ついさっき、森の奥から姿を現しました。声を出さずに、そのまま私本体に乗り込んでください。』

     ま、まさか噂の銀狼が本当にいたとは…。それだけでも驚きだけど、人前に姿を現すなんて予想外だ。

    『!そういえば、このあたりは監視カメラが仕込まれているじゃ?だとしたら銀狼の存在が…。』
    『偶然ですが、銀狼は監視カメラの撮影範囲外に居ます。仮に映ったとしても解像度と明るさの関係で、銀狼だと視認できません。』

     黄昏時という時間帯と警戒心の強さが奏功している。シャルの指示どおり、気づかないふりをしてシャル本体に乗り込む。ドアを閉めるとシステムが自動で起動して-シャル本体だからシャルの意向次第でどうにでも出来る-、HUDに別角度の映像を映し出す。森の奥から淡い銀色に輝く1匹の狼が微動だにせずにこちらを見ている。HUDの方角と距離の表示から、南西方向200m先にいるらしい。
  • 2022/6/18 [そろそろ自宅軟禁もといリフォーム工事の準備を]
  •  工期中は平日の夜か日曜しか家を出られない(出ない、ではない)生活まであと半月あまり。準備に専念できるのは土日だけなので実質後4日。いきなりすべて用意や準備をするのは、私の性格からして無理なので、今日明日と準備に入ります。ものが多いキッチンを中心に、使用頻度が低いものを小型のケースに収納するのがメインです。
     業務もそこそこ片付いてきましたし、継承や代行が必要なものは資料を揃えています。工事は私が手を出すところはないので、基本待機&偶に見て変遷の記録として写真を撮影&茶菓子の提供といったところ。片付けや収納を早めに手掛けて、軟禁生活に備えようと思います。
  • 謎町紀行 第2008回 written by Moonstone
  • 『シャル本体に危険はない?』
    『ACSを最高レベルにしていますが、現在まで危険や不審者の接近などは全くありません。』
    『それなら良いんだ。心配事は取り越し苦労で終われば、それに越したことはないよ。』

     この島の88ヵ所巡礼の発祥や歴史は別途調べるとして、道中に危険がなければ良い。今までこの手の巡礼には良からぬ輩がセットになっていたし、札所の内紛もあった。天鵬上人が手配犯の確率が高いとはいえ、この世界では数々の伝説を残した歴史上の人物。衆生を救うとして即身仏になったという天鵬上人の教えはどこまで受け継がれているんだろうか。
     朱印ももらったし、帰路に就くことにする。まだ日の入りが早いし、山や森はそれが更に早まる。駐車スペース周辺には街灯がなかったし、通路は完全に真っ暗になるだろう。夜になると野生動物の動きも活発化する。参拝を終えたらまっすぐ戻った方が良い。
     ライトとシャルのリアルタイムスキャンで無事駐車スペースに到着。かなり日が落ちて周囲の明るさが大きく低下している。念のため周囲を見る。周囲には不審な人物や動きはない。シャル本体のロックを解除した時、シャルがダイレクト通話で言う。
  • 2022/6/17 [2日目も終了]
  •  職場の講習会2日目もすんなり終わりました。やっぱり体力はごっそり削られましたが、その後に来た「データがおかしいから直せ」メールの方がダメージが大きいです。前回OKだったデータが基になってるのに、担当者が違うと言うことが違うのは何とかならないものか。
  • 謎町紀行 第2007回 written by Moonstone
  • 「はい。間違いありませんね。」
    「初詣みたいな混雑だな…。まさかここまで混雑してるなんて。」
    「こんなに人が犇めき合っている状況で、警戒心が強い野生動物がのこのこと顔を出すはずがないんですが。」

     よっぽど人慣れしてるペットや動物園の動物なら兎も角、野生動物は基本的に警戒心が強い。のこのこ姿を現したら敵にやられかねないから当然だけど、あんな混雑じゃ本当にいたとしても尻込みするだろう。狼の牙が鋭くても、一度に複数の人間を相手に出来ない。それこそ身ぐるみ剥がされるだろう。
     幸い、アシヤマ集落内の札所は、この南山寺で終わり。アシヤマ集落に出入りして混乱に巻き込まれることなくヒラマサ島版88ヵ所巡礼を出来るのはありがたい。獣道に毛が生えた程度の道でもきちんと通じていたし、案外昔の人もこういう通路を使って巡礼をしていたかもしれない。
  • 見解・主張書庫 2022年1月1日更新 Updated on January 1st, 2022
  • No.1: スポーツに関する見解(2002/6/24~2002/6/28掲載)
    No.2: 中央教育審議会答申の「公の意識」批判(2002/7/19~2002/7/27掲載)
    No.3: 「日の丸」「君が代」は何故問題か(2002/7/19~2002/7/22掲載)
    No.4: 公明党の事実歪曲、隠蔽を糾す(2002/10/24~2002/10/27掲載)
    No.5: ここまで堕落した「平和の党」公明党(2003/2/18~2003/2/20掲載)
    No.6: イラク国民と日本国憲法を蹂躙するイラク特別措置法案(2003/6/19~2003/6/21掲載)
    No.7: 「マニフェスト選挙」宣伝の背景にある経済界の策略(2003/10/16~2003/10/18掲載)
    No.8: 夫婦別姓について-賛意に敢えて苦言を付す-(2004/6/2~2004/6/24掲載)
    No.9: 腐った祭典オリンピックとスポーツ神聖視を改めて批判する(2021/7/22~2021/7/31掲載)
    No.10: 池袋暴走事件に見る警察・検察・裁判所の限界、メディアの怠慢(2021/9/3~2021/9/21掲載)
  • No.10: 池袋暴走事件に見る警察・検察・裁判所の限界、メディアの怠慢(2021/9/3~2021/9/21掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。人物の肩書はすべて執筆当時のものです。

     2名死亡、9名重軽傷の大惨事を引き起こした池袋暴走事件の加害者、飯塚幸三被告に禁固5年の判決が出されました。主張を二転三転させ反省も謝罪もない飯塚幸三被告を、警察は一度も逮捕しませんでした。検察は危険運転致死傷や未必の故意による殺人ではなく過失致死で立件・起訴し、裁判所は求刑の7掛けの判決を出す判例主義に固執しました。言うなれば、官僚主義・前例主義と叙勲者の保護=天皇のメンツを優先した妥協の産物です。
     京都アニメーション放火殺人事件では、入院中の青葉真司被告に逮捕状を出し、拘置所を改修してまで拘留し、他の交通死亡事故ではほぼ現行犯逮捕。「逮捕=刑罰ではない」と言われますが、実質的に「逮捕=刑罰」として機能している現状では、法曹界の空虚な理想論にすぎません。その説明も碌にないまま、警察は飯塚幸三被告の自宅を警備する体たらく。一般の事件事故の加害者がここまで守られる事例は聞いたことがありません。これが特別扱いでなくて何だと言うのでしょうか。

     飯塚幸三被告が骨折で入院したことで現行犯逮捕されなかったことは妥当な範囲です。しかし、供述を二転三転させた段階で、退院後に逮捕拘留から早期に起訴することも出来た筈。前後に起こった他の交通事故では現行犯逮捕→送検、起訴とある意味定型処理なされただけに、飯塚幸三被告に対しては徹頭徹尾任意聴取がなされたのは、特別待遇という疑惑・批判は当然です。事故発生時に経歴や勲章の有無を把握するのはまず不可能ですが、その後の把握の時点で手心を加えたとの疑惑は払拭できません。
     検察の怠慢ぶりも看過できません。飯塚幸三被告がパーキンソン病の疑いがあると診断されていたこと、2001年に自転車との接触事故で略式処分を受けたこと、ブレーキ一切なしで暴走を続け、多くの死傷者を出したことから、単なる過失ではなく少なくとも重過失、危険運転致死傷、更には「積極的に犯罪行為を意図してはいないが、結果的にそうなっても仕方ない」という未必の故意による殺人の適用も視野に入れるべきところ。「自動車事故だから過失」「加害者は天皇から叙勲された」など、前例踏襲の悪しき官僚主義と天皇のメンツ優先で罪状を狭小化したとの誹りは免れません。

     検察よりも怠慢なのは裁判所です。裁判所の極端な判例主義は、悪しき官僚主義そのものです。検察の求刑には拘束力はなく、日本国憲法にあるとおり「法と良心にのみしたがって」判決を出せます。しかし、判例主義に固執するあまり、機械的に求刑の7掛け8掛けの判決を出したり、世情から乖離した空虚な理想論に基づく判決をだしたりしています。機械的な判決や法の条文をなぞっただけの判決しか出せないなら、機械学習に置き換えた方が人件費の大幅削減にもなります。
     検察と裁判所、弁護士は立場こそ違うように見えますが、実際は司法試験合格→司法修習生という同じレールを進んだ同胞です。検察と裁判所は悪しき官僚主義に毒され、弁護士は金のためなら悪魔の尻も舐め、今回の飯塚幸三被告の弁護士のように荒唐無稽な弁護や、安田好弘弁護士らのように何の落ち度もない被害者遺族を侮辱することも躊躇わない醜悪さを隠しません。法曹界が、自浄能力もなければ刷新もない、ただ六法全書など法律の条文をいかに解釈するか、敢えて卑猥な表現を使うなら「六法全書オナニー」に明け暮れる、新陳代謝が途絶えて淀み腐敗した世界であるかを知らしめています。
     結局のところ、弁護士など法曹界は法律がすべて完全に適用されている「理想の世界」に生きていて、現実と法律の乖離などには全く無頓着であることが窺えます。AEDの問題でもこの「理想の世界」に生きる故の現実の見えなさがあります。法曹界は「理想の世界」で条文をこね回すのではなく、現実を直視すべきであり、免許更新制度を導入するなら、教師よりも医師と弁護士が対象であるべきです。もっとも、日本医師政治連盟だの日本弁護士政治連盟だのを結成して与野党問わず国会議員を送り込み、日本医師会だの日本弁護士連合会だの圧力団体を結成して既得権益を死守する体制を堅持しているので、それらは望み薄なのもまた現実です。

     金と権力に媚びる腐敗と悪しき官僚主義が充満する警察と法曹界もさることながら、例によってそれ以上に腐臭を放ったのがメディアです。同時期に発生した大津の園児死傷事故では、記者会見を開いた被害者と言うべき保育園の園長を、産経新聞の清水記者、報道ステーションの井沢記者などが執拗に責め立てました。それを「表情が伴って初めて"お気持ち"なのだし、記者会見をカメラが捉えているなら、お気持ちを聞くということは基本中の基本」(テレビ朝日の平石直之氏)「「どんな園児がどのような散歩を行っていたのか」は、泣き崩れた園長や園児を守ろうとした保育士のためにも聞くべきことだったのです。」(木村隆志氏:東洋経済オンライン2019年5月10日付)などと、メディアの悪辣な行為を正当化する始末です。保護者に託された園児が事件事故に巻き込まれて死傷したら、冷静ではいられないのが当然。にもかかわらず、「お気持ち」を聞かせろなどと妄言を吐き、それを正当化するメディアが、いかに心底腐っているかをまざまざと見せつけました。
     それに対して、飯塚幸三被告や同乗していた妻、更には隠蔽工作を図ったとの疑惑もある息子(110や119ではなく、息子に連絡している時点で救護義務違反、つまりはひき逃げと等価)などへの取材攻勢はいたって控えめなもの。いつものメディアスクラムはどうした?大津の死傷事故のように飯塚幸三被告を徹底的に質問責めにしないのか?
     この池袋暴走事件では、「逮捕されないのは入院したから~」「逮捕は刑罰ではない~」など弁護士やメディアがこぞって説諭まがいの見解を出しました。ところが、京都アニメーション放火殺人事件の青葉容疑者など、その理論に合致しない事例は多数あります。福島県の県立大野病院事件では、無理がある手術を要望した遺族がけしかけた警察によって医師が逮捕される羽目になったように、メディアがいくら「逮捕は刑罰ではない」「逮捕されないと容疑者とは言わない」「逃亡や証拠隠滅の恐れがなければ逮捕されない」と法曹界を動員してまで弁明しても、詭弁でしかないことを証明しています。

     更に看過できないことは、様々な角度から飯塚幸三被告の擁護が出ていることです。例えば、加害者家族支援NPO法人「World Open Heart」(以下WOH)の阿部恭子氏は、自身が運営するWOHのホットラインに飯塚幸三被告の息子から電話が入ったこと、飯塚幸三被告の息子が報道と事実が違うことや家族が悲嘆に暮れていることを挙げたり(現代ビジネス 2020年10月9日)、飯塚幸三被告や家族への批判が被告を頑なにさせ、真実を遠ざけている(週刊女性PRIME 2021年4月29日)などと、飯塚幸三被告を事実上擁護しています。また、名古屋大学未来社会創造機構特任准教授の島崎敢氏は「人間は本質的に「エラーをする生き物」だから」「「加害者の発言が被害者や社会の人たちにどう映るか」や「本当は何が起きたのか」と切り離して考えれば、飯塚被告の発言は自然なものだと考えることもできる」(オトナンサー2020年12月2日)などと、飯塚幸三被告の引き起こした事故は「エラーを罰するべきではない」とまで述べて擁護しています。
     白昼の東京都心で、過去に自転車と接触事故を起こし、パーキンソン病の疑いで足が不自由な飯塚幸三被告が車を暴走させ、多数の死傷者を出したことが単なるエラーであり、罰するべきではないとまで言い、起訴までに供述を二転三転させ、法廷で自身の過失ではないと無反省に繰り返す飯塚幸三被告や、同乗者の妻や隠蔽疑惑まである息子を責めるのはおかしいとまで言う。このような擁護の動きが、それこそ単なるエラーで引き起こされた交通事故であるにもかかわらず、方や事実上加害者支援のNPO法人から、方や国立大学の研究者から出ること自体、あからさまな特定人物擁護の腐った策動であると言わなければなりません。
     前述のように、通常なら家族の下に押しかけ時に謝罪会見を開かせるマスコミが弁護士を動員して、「逮捕されていないから容疑者とは呼ばない」「逮捕は刑罰ではない」と供述を二転三転させる飯塚幸三被告が退院後も逮捕されないことを正当化したり、NPO法人代表や学者を動員して「飯塚幸三被告を責めるだけでは解決しない」と事実上擁護する動きを見せたのは、飯塚幸三被告の身内(特に息子)や弁護士がメディアに手をまわしたのと、メディアが叙勲者である飯塚幸三被告、ひいては天皇のメンツを優先させた結果である疑いが濃厚です。言い換えれば、同じ犯罪を犯しても社会的地位や年齢で警察やメディアは遠慮し、弁護士があの手この手で擁護の風向きを作ろうとする、日本国憲法が謳う「法の下の平等」などどこ吹く風の状況が日本の実態なのです。

     池袋暴走事件の飯塚幸三被告が控訴せず、禁固5年の実刑が確定しました。勲章とそれに伴う名誉(年金などは文化勲章受勲者だけ)の剥奪を避けるため、控訴で引き延ばしを図ると見ていたので、予想外です。とはいえ、刑事訴訟法で70歳以上もしくは刑の執行で健康を害すると判断される場合に刑の執行が停止できます。公判や事実上加害者支援のNPO法人を介しての体調悪化や難病罹患アピールは、控訴による引き延ばしから刑の執行停止に切り替えたものだと推測されます。勿論、悪魔の尻を舐める弁護士の入れ知恵で。
     警察はまだ飯塚幸三被告周辺の警護を続け、検察も裁判所も通り一辺倒の求刑と判決を出すだけの人件費がかかる機械学習でしかなく、弁護士とマスコミは金次第で悪魔の尻も舐める腐った法運用や報道環境下で、飯塚幸三被告がどう出るか、何時本人あるいは身内や弁護士が記者会見を開くのか、注視していくと共に、空虚な理想論を繰り返すだけで実際は権力と金に弱い法曹界とメディアを厳しく糾弾する必要があります。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.9: 腐った祭典オリンピックとスポーツ神聖視を改めて批判する(2021/7/22~2021/7/31掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     私は以前から商業主義や国粋主義に塗れたオリンピックを強く批判していますし(No.1を参照ください)、IOC即時解体が必要だと考えています。東京オリンピック誘致が決まった際「おもてなし」だの「平和の祭典」だのもてはやされた中でも、それに水を差す非国民的な見方をされた中でも、この見解は一貫している自負があります。
     一連のコロナ脳騒ぎの数少ない利点は、オリンピックに纏わる嘘や欺瞞、拝金主義と中間搾取、オリンピック開催の帳尻合わせのために国民生活に犠牲を強いる上級国民的性質が露呈して、一定の周知がなされたことです。オリンピックはIOCなどの利権のためであり、オリンピックをはじめとするスポーツ神聖視を捨てる時期に来ています。

     今回の東京オリンピックは、コロナ脳騒ぎが始まる前から以前にも増して腐臭が充満していました。誘致選考の段階で「おもてなし」とか、とどのつまりは接待攻勢。招致委員会理事長だった竹田恒和・JOC会長(当時)に贈賄疑惑が生じるのは自明の理。この「おもてなし」とやらで伏魔殿IOC総会でプレゼンをしたのが、悪名高き現環境相、小泉進次郎氏の現配偶者である滝川クリステル氏というのも、もはや質の悪いギャグです。
     利権の腐臭がするところには利権の腐ったネットワークが構成されるもの。死者も出るほどの猛暑の最中に開催を決めたのも、最大のスポンサーであるアメリカ放送局NBCの意向ですし、それを粛々と受け入れる一方で、冷房すらない新国立競技場建設や、後に箔をつけるためのタワーマンション選手村建設。これで開催理念は「コンパクト五輪」。何のギャグでしょうか。
     前述したとおり、体温より高くなることもある気温と猛烈な湿度という、スポーツでなくても最悪の環境でオリンピックを開催すること自体が愚の骨頂ですが、その愚の骨頂を実行に移したのは、他ならぬスポンサー、特にNBCなど海外勢です。欧米の多くは高緯度地域、しかも夏でも湿度が低いので想像が及ばないのかも知れませんが、多少調べればわかること。知った上でごり押しするのは、単に金のため。「アスリートファースト」などどの口が言うのか。
     受け入れ側の日本・東京都の対策も杜撰の一言。打ち水や朝顔の陳列でどうにかなる筈がなく(しかも朝顔の世話もせずに立ち枯れさせるお粗末さ)、B29を竹槍で落とそうとした時代から為政者の頭の中身は何も変わっていないことが露呈しました。これをメディアが碌に批判しなかったのも、メディアがスポンサーだから。これでオリンピックやIOC、JOCの腐臭がする腐敗を糺せる筈がなく、大本営発表の時代からやはり何も変わっていないのです。

     メディアがスポーツイベントにスポンサーとして関与することで、イベント全体の腐敗度が進行しやすくなります。オリンピック然りFIFA然り高校野球然り。選手やチームは勝利や栄光を目指して練習に勤しみ、と様々な形で美化して喧伝されますが、その一面もある一方で暴力恐喝喫煙飲酒、八百長ドラッグetc.と大小の不祥事は日常茶飯事です。これはスポーツの本質の1つでもあり、その本質を「健全な精神は健全な肉体に宿る」などと美辞麗句で誤魔化しているにすぎません。
     スポーツの歪んだ本質がある一方で、「健全な精神は~」などスポーツをする側が健全、それを批判する者は不健全という図式が今もまかり通るのは、メディアの責任が重大です。スポーツイベントを称賛する一方、スポーツやイベントの本質を覆い隠すのは、やはり金のため。こんなメディアなど不要です。
     メディアがスポンサーとなってでもスポーツイベントに関与することで、別の歪みが生じます。スポーツイベントの礼賛とその押し付けです。現に、体裁上オリンピックへの疑問の声を一応紹介していたメディアも、いざ始まるや日本選手のメダル獲得や予選状況をつぶさに報道し、オリンピックやIOC、電通や自公政権の腐敗追及、感染と発症の区別すらしないまま、開業医の団体である日本医師会や御用学者集団である専門家会議の怠慢や欺瞞など、どこ吹く風です。
     スポンサーとして関与するから、例えば朝日新聞が主催する高校野球で、甲子園出場校や常連校での犯罪を掘り下げたり追及することもなく、一般的な報道を投げて終わり。オリンピックなど最たるもので、膨大な予算が何処に消えたか、中間搾取の実態に迫るものは殆どありません。暗部を追求し、隠された事実を暴く使命を放棄したメディアは、単なる大本営発表の広報機関でしかありません。

     オリンピックをはじめとする腐ったスポーツイベントがメディアによって喧伝される理由は、金であることは疑いようがない事実です。同時に、メディアはもとより多くの市民がスポーツを神聖視していること-スポーツは尊く、それに携わるスポーツマンもまた尊いとする認識が、この歪んだ現状を強力に支援していることも事実です。
     スポーツマンが果たして健全か?否!「勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。」(高野連の日本学生野球憲章より抜粋)と謳っている高校野球では、常連校でも飲酒喫煙暴力など日常茶飯事。オリンピックやFIFAは言わずもがな。「法令を遵守し、健全な社会規範を尊重する」だの「一切の暴力を排除」(いずれも高野連の規定第2条)などどの口が言うのか。「スポーツをする者が健全」など大ウソであり、「スポーツは戦争の代替手段」だと市民が認めることが肝要です。
     スポーツがフェア精神を涵養すると喧伝されますが、選手の側は何度も挙げているとおり、部員などへの暴力など「よくある話」のレベル。しかも不問だったり、時に被害者に退学を迫る理不尽さ。観客の側はフーリガンなど暴力行為や八百長、「勝てば官軍負ければ賊軍」そのものの扱いで、負けた選手やチームが「身の危険を感じる」のもこれまた「よくある話」。これで何がフェア精神の涵養かと冷笑する他ありません。
     スポーツをする者が何かにつけて良い人間とされ、スポーツが苦手な者は冷遇されることは、義務教育前から続く伝統です。それが社会では、上には諂(へつら)い下には粗暴な体育会系という悪しき伝統と人脈を形成し、理不尽を躾や教育として強要する始末。スポーツ愛好家の本性見たり、ではないでしょうか。このような腐った理不尽が選手の側でも、観客の側でも、そして運営の側でも凝縮された最たるものの1つが、オリンピックです。

     スポーツ優遇、(スポーツではないという意味での)文化冷遇は、オリンピックに限りません。プロ野球などスポーツイベントは観客の制限はあれど通常どおり開催している一方で、コミケやライブなどの文化イベントは、時に医師会がしゃしゃり出て来てまで中止に追い込まれています。答えは単純。メディアやスポンサーの金になるかどうか。健全な精神云々と言いながら、露骨に金と権力で動いているのがスポーツの実態です。
     オリンピックが開催されるのも、金と権力が行使できるスポーツイベントだからであり、その額が巨額だから。それはこれまでも述べて来たとおりであり、スポーツ優遇、文化冷遇の結果が、学校行事の理不尽な中止・延期にも表れています。学校行事でメディアやスポンサーは儲かりませんがオリンピックはその正反対。開催側は金と権力に骨の髄まで浸かり、選手は暴力ドラッグ反則で腐ったスポーツイベントの最高峰オリンピックは、IOCもろとも即時解体以外にありません。
     オリンピックを巡る腐敗や歪みをまともに指摘できるメディアは殆どないのは、スポンサーとして癒着しているからなのは前述のとおりですが、政党が右も左もオリンピック礼賛一色なのが情けない限りです。オリンピックなど国際スポーツイベントを、右は国威発揚・国民団結の起爆剤としていて、左は世界平和・友好の象徴と位置付けていますから、どちらも礼賛一色になるのは当然と言えば当然です。どちらもオリンピックなどスポーツイベントを崇め奉り、利用する立場なのは何とも滑稽なものです。
     オリンピックなどスポーツイベントの報道を見れば、スポーツは所詮戦争の代替手段であることは明白。だから開催側では金と権力とメンツが鎬を削り、選手や応援側では暴力恐喝ドラッグ八百長など犯罪を当然とする体育会系思考が跋扈する、極めて歪み腐敗したものになるのです。戦争の代替手段ですから「勝てば何でも許される」となれば、それに善悪やモラルなど期待するのが無駄なのです。そんなイベントをこぞって応援するなど、戦争や腐敗を応援・礼賛するのと等価です。

     スポーツは娯楽の1つであり、スポーツイベントは興行の1つです。それらに楽しみを見出すのは他の娯楽を楽しむのと同じですから全面的に否定はしませんが、高尚でも健全でもないどころか、大規模なものほど腐敗しやすいこと、特に上意下達が理不尽と融合する体育会系思考が跋扈しやすく、暴力や殺人をも正当化する有害なものでもあることを認識しなければなりません。スポーツやスポーツイベントは過程や結果で、リアルで殺人が起こる醜い現実を直視すべきです。
     菅首相が「なんだかんだ言ってもオリンピックが始まればこぞって応援する」という趣旨の高を括った発言をしましたが、まさにそのとおりになりました。「国民などオリンピック報道で簡単に誤魔化せる」と完全に見透かされ、舐められているからこのような発言が出るのです。オリンピックをはじめ、スポーツやスポーツイベントは利権と犯罪の坩堝であり、それから目を背けてスポーツやスポーツイベントを礼賛・神聖視することは、国民の不満を逸らし忘却させる愚策に嵌る愚行でもあることを認識し、改めることが必要です。「健全な精神は健全な肉体に宿る」などスポーツやスポーツイベントが抱える醜い現実から目を背ける、空虚なスローガンでしかないのです。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.8: 夫婦別姓について-賛意に敢えて苦言を付す-(2004/6/2~2004/6/24掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     日本において夫婦別姓問題が浮上するようになって久しいですが、「姓の変更で不利益や断絶感を生じる」と主張する「賛成派」と「家族の一体感が崩壊する」という「反対派」の主張が真っ向から対立し、国会では未だに法案に審議にすら入らない状態です。今回は夫婦別姓に対して述べることにします。

     「夫婦別姓になると家族の一体感が破壊される」という「反対派」の主張は完全に破綻しています。「夫婦別姓=家庭の崩壊」ということは即ち、「夫婦同姓=家族の強固な一体感」となるのでしょうが、では何故夫婦同姓の日本で離婚や家庭内別居、果ては親殺し、子殺しといった家庭崩壊が頻発しているのでしょうか。また、儒教の「女性は男性の家に入ることはできない」という考えが根強い韓国では夫婦は別姓ですが(時折「韓国のような男尊女卑の根強い国でも夫婦別姓がある」というような主張がありますが、全くの的外れであるばかりか、心の何処かに韓国に対する蔑視感情があると推測されます)、夫婦や家族の一体感は強固です。
     国会図書館が夫婦の姓に関する法令や判例、慣習法について40カ国25地域について調査した結果では、34カ国が夫婦別姓を認めています。夫婦別姓を法的に認めている国でも、或いは日本のように夫婦別姓が法的に認められていない国でも、強固な絆を持つ夫婦や家族もあればその逆もあります。日本においても結婚して姓が変わったらもはや親子ではない、赤の他人になるかと考えればこれも違います。やはり親子は親子です。これらのことは姓の一致や不一致では合理的に説明できません。
     それに、現行の民法では結婚時に夫婦どちらかの姓を選べる(というより統一する)ようになっていますが、97%以上が夫の姓になっているということは、必然的に女性の殆どが結婚と同時に姓が変わり、そこでこれまでの自分とこれからの自分に有形無形の断絶が生じます。特に個人名が前面に出る職業、例えば弁護士や税理士、研究者や技術者、芸術家といった「資格職業」や「経歴職業」、自由業に就く人には、姓を重要視する日本社会における改姓は、男性女性を問わず、経歴や実績の重大な断絶を招くことに繋がります。
     日本では名前よりも姓が重要視される傾向が強いです。呼称ひとつを採り上げても、普段の生活で「○○さん」と呼ぶときは殆どの場合、姓が使われます。ここで名前を使うのは余程親密な間柄だけが許されるのであって、付き合いの浅い段階で使おうものなら「馴れ馴れしい」「生意気」という印象すら与えかねません。それだけ姓は日本人にとって重要なのであり、それを変更することに大きな問題が生じるのは必然的とも言えます。これは通称使用で解決する問題ではありませんし、通称にしても使用できる範囲は地域や状況によってかなり制限されているのが現状です。「通称使用でよい」と述べるなら、通称使用の範囲を拡張するように役所や企業などに働きかけるべきです。

     夫婦や家族、そして姓の問題は価値観的命題の一つです。夫婦や家族は同姓でこそ一体感が保てるというのも一つの価値観ですし、夫婦や家族は姓が違っても強固な関係は構築できるというのも然り。また、個人を取り巻く状況も大きく異なります。価値観的命題に対して千差万別の回答が提示されるのは当然です。そんな命題に関してある「模範」回答を法律という強制力を伴う形で強要することそのものが誤りですし、条文化されてなくてもまた然りです。だから現行の「夫婦は同姓であるべき」というのは勿論、「夫婦は別姓が当然」というのを他人に強要するのもおかしいのです(これに関しては後述)。
     「選択肢が多いことが民主主義の成熟度を示す」とも言われますが、その観点からも、2通りの選択肢のうち1つが圧倒的多数で半ば自動的に「選定」される現状下で、実生活や精神的に大きな矛盾や苦痛を感じる人に「新たな選択肢」を提供できるのであれば、選択的という条件を付加した形での夫婦別姓制度は大いに賛成ですし、早く実施されて然るべきものだと考えます。
     しかし、私は夫婦別姓制度に無条件に賛成することはできません。私がこの問題が世間に広まる以前から抱いてきた、「夫婦別姓制度そのものは賛成だが、同姓にする人に圧力が掛からないか」という疑問が未だ消えないのですが、それは「夫婦別姓こそ男女平等の証明」「男性は改姓に伴う『家』や『墓』の心配はないから反対する」「夫婦別姓に反対するのはおかしい、遅れている」というような主張が度々「無条件推進派」から聞こえて来るからです。そのような姿勢で夫婦別姓制度を推し進めるなら、待ったをかけなければなりません。

     1980年代から夫婦別姓を含む民法の改正を提唱している日本共産党の木島日出男衆議院議員(当時)は、「別姓を望む夫婦というのは、お互いに相手の姓、立場を大事にしようという思いからそうする」「むしろ夫婦の絆を強めようという意志のあらわれ」(「女性のひろば」1998年1月号p12)、「多くの国民が家庭崩壊に胸を痛めて」いることは「同姓を強制することで解決できるものではありません」(同)と述べている。これには異論を挟まざるをえません。
     一つ目に関して言えば、この逆を言えば「同姓を望む夫婦は、相手の姓や立場を犠牲にしようという思いからそうする」「(同姓を望む夫婦は)夫婦の絆を強めようと考えている訳ではない」と言いたいのではないでしょうか。だとすれば、「選択肢を増やす」ことで「違いを認めあえる成熟した社会をつくる」などという美辞麗句は建前にすぎません。
     二つ目に関して言えば、家庭崩壊の原因は木島議員も述べているように、「雇用や賃金など経済・くらしの問題、子育て・教育問題、病気や老後の不安、退廃的な文化(この表現も引っ掛かりますが)など、複雑な要因がからみあって」いるからであり、別姓にしたところで即座に解決するものでもないのではないでしょうか。法律の条文や制度の変更で個人の考えが180度変わるなら、日本は日本国憲法や現行民法の施行段階で、世界に誇る民主国家になっている筈です。
     木島議員の発言はもとより、私が夫婦別姓制度研究の取材のために出席した「選択的夫婦別姓に関するシンポジウム」(以下、シンポジウム)におけるパネリスト諸氏の発言を耳にしている中で、「結婚しても自分の姓でいたい」「いろんな生き方を認めあえる成熟した社会を」「違いを認めあえる社会を」という主張はあくまでも賛同を集めるための建前であり、本音では「夫婦別姓こそ男女同権の象徴であり、それに異を唱えるのは男女差別」と考え、それを実行しようとしているのではないか、「夫婦の姓をどうするかは女性の問題であり、男性は女性の意向、即ち夫婦別姓に異議を唱える権利はない」と言いたいのではないか、という疑問がさらに膨らんだ次第です。
     それらを臭わせる発言として、パネリストの弁護士は「女ばかりの姉妹や一人娘で家名、墓の心配から(別姓を)望む人もいます。・・・こういう心配も男ならない」と述べました。これは、結婚しないと家系が断絶する、墓を守る人間がいなくなるという周囲(特に親族)の圧力に晒され、追い回されている現代の男性の実情を知らないのか、あるいは「男性は加害者で女性は被害者」であり、「被害者の女性の主張は絶対正しく、加害者の男性や社会は絶対間違っている」という図式を描きたいが為に意図的に無視したのか。このような一方的な見解をさも正論の如く言われては、男性の一人としては到底承服できません。

     また、同じくパネリストの瀬古由紀子衆議院議員(当時)は、梶山前官房長官(当時)の発言を取り上げ、「(私の妻は夫婦同姓がいい、と言ったことに関して)何て遅れた考えだろう、このような考えの方が自民党の中心にいるんです」と述べました。重複しますが、夫婦や家族の姓の問題が価値観的命題の一つである以上、一律的に強制力を伴う法律という形を取るかどうかを問わず、ある「回答」を強制するのは問題です。仮に個人で夫婦同姓は遅れていると考えていても、それを立法や法改正の理由にすべきではありません。 「彼はこう考えているが、それも一つ。しかし、様々な理由で別姓制度を望む人もいるから推進する」というのなら大いに賛成ですが、パネリスト諸氏のこのような発言を聞いていると、どちらも価値観的命題に対して「全てかくあるべし」と強要する姿勢を見せているという点で、「賛成派も反対派もどっちもどっちだな」という冷めた印象しか持てません。そもそも、このシンポジウムのパネリストがすべて女性だったことや、案内状を女性にしか配布しなかったという態度(私は情報を聞きつけて参加しました。参加条件に「女性のみ」とはありませんでした)にも、どこかきな臭いものを感じます。
     パネリストの発言に代表されるような本音と建前の使い分けや、夫婦別姓以外は認めないと暗に仄めかしていたシンポジウム会場の雰囲気を考えると、このまま夫婦別姓制度が推進されることにはちょっと待った、と言わざるを得ません。反対派の主張には、「別姓制度が導入されれば、自分の妻が別姓を言い出すのでは」「これまで自分が抱いてきた価値観が否定される」という不安や警戒感があると推測されますが、このような感情を無視していては、「夫婦別姓を強制しようとしている」と言われても「言論の自由だ」「反対派に対する粛正だ」の水掛け論になるだけで事態は進展しませんし、無理に進めればどこかで歪みが生じるのは必然的です。

     併せて、別姓制度が夫婦(になる男女)だけの問題のように語られ、子どもに対する配慮が欠けている点も無視できません。夫婦別姓の場合の子どもの姓に関しては、「どちらかの姓に統一すべき」「出生時にどちらか届け出て、ある年齢に達した時点で改めて子どもに選ばせるべき」など様々な意見がありますが、「とにかく実施して、問題が発生した時点で議論する」などという意見もあります。姓を重視する傾向が強い日本社会の傾向と人間の思考がそう簡単に変わるものとは思えないことを考えると、あまりにも子どもに対して無責任ではないでしょうか。
     親の考えや制度が変わる毎に姓が変えられることで、人生の断絶を感じるのは子どもも同様です。大人や社会の都合で振り回されては、子どもにとってはいい迷惑でしかありません。「改めて子どもに選ばせる」にしても、「自分の姓を大事にしたい」という意志で夫婦別姓を選んだ夫婦が、子どもが自分の姓を取るか相手の姓を取るかで干渉や軋轢を生むとも限りません。親族がしゃしゃり出て来て余計に拗らせる危険性も無視できません(現在でも結婚相手に関して五月蝿いのは親族の場合が多いものです)。「夫婦別姓では子どもが可愛そう」という反対派の主張は、その意味では正論です。姓は夫婦のみの問題ではないということを、推進派はもっと考慮すべきです。

     結婚に伴う姓の問題は、ずっと辿っていくと最終的には「役所に書類を提出しなければ夫婦でないのか」という法律婚や戸籍制度への疑問に繋がる大きなテーマです。夫婦のみの問題に矮小化したり、同姓あるいは別姓が当然と決め付けることなく、十分な議論を重ねていくことが望まれます。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.7: 「マニフェスト選挙」宣伝の背景にある経済界の策略(2003/10/16~2003/10/18掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     衆議院総選挙を前にして、民主党がまたも本音を出しました。管代表が年金財政に充てるためと称して消費税を10%にする必要があると言い出したのです。とは言え私は何も驚いてはいません。元より民主党は消費税を重要な税目の一つとしています。管代表の提言はそれが表に出ただけのこと。マスコミが「自民VS民主」「小泉VS管」、そして「マニフェスト選挙」なる聞き慣れない、言い換えれば新鮮な謳い文句を煽り立てているから目立たない、否、目立たないように隠されているだけです。

     社会保障の財源のため、年金財政のため、と色々口実はありますがどれも出鱈目嘘八百。これまで金持ちから貧乏人まで「平等に」買い物の度に巻き上げられてきた消費税約130兆円は、実のところ長引く不況や経済界の要求に沿った法人税減収の穴埋めに使われてきたのです。これは過去の税金推移を調べれば一目瞭然です。
     考えてもみてください。自民党や民主党は勿論、公明党や保守新党はことある毎に消費税は社会保障のため、などと言ってきましたが、実際これまでに行われてきた社会保障の「変化」を見てみると、医療費の労働者本人3割負担へのアップ、保険料聴衆の総報酬制(簡単に言えばボーナスからも保険料を徴収すること)の導入、物価の下落に伴う年金スライドの実施など、社会保障がどんどん崩されてきたのが実情ではないでしょうか。幾ら社会保障や年金の充実を持ち出したところで、実際がそれに反映されていなければ、それは票目当ての偽りの看板であるばかりか、有権者、ひいては国民に対して嘘に嘘を重ねる背信行為と言わなければなりません。

     大体、旧民主党と自由党が合併して出来た今の民主党自体が、経済界の意向を踏まえた、自民党と政権が変わっても経済界が安心出来る政党として作られたという事実があります(「月刊「BOSS」2002年11月号)。旧民主党は旧社会党や民社党を主体とする、労働組合を締め付けている労働貴族集団。自由党は自民党の中でもタカ派の集団が自民党をカッコ良く(そのつもりで)離脱した集団。ですから旧民主党が政権を取ると労働組合に有利で経済界に不利な政権が出来てしますのではないか、という不安が経済界の中にあったわけです。その点、自由党は勢力は小さいが、党首の小沢氏が消費税増税、自衛隊の軍隊化、憲法9条「改正」など、経済界と二人三脚の自民党の政策をより強い形で受け継いでいる(小沢氏の著作「日本改造計画」を思い出してください)。その二つがくっ付けば、経済界も安心の巨大右派政党が出来て、政権交代しても経済界は安心、というからくりです。
     明らかな政治買収といえる、自分たちの主張への「貢献度」に応じて献金をちらつかせる、経済界の大集団である日本経団連と民主党は会談し、「政権交代可能な野党」を求める奥田会長に「民主党にかけていただきたい」と言い、もう一つの経済界の大集団である経済同友会は2003年7月18日に「マニフェストで競う総選挙の実現を」というアピールを採択。そこでは野党に「批判勢力からの脱皮」を求め、保守二大政党による「政権選択」選挙を働きかけています。要は経済界の意向に合わせて生まれた野合の集団、それが民主党なのです。経済界では有名な稲盛和夫・京セラ名誉会長も旧民主党と自由党の合併に深く関与していることは、識者の間では有名です(月刊「BOSS」2002年11月号)。
     これでお分かりのとおり、「自民VS民主」の構図、そして「マニフェスト選挙」は、経済界の意向で生み出された意図的な選挙構図なのです。経済界、即ち大企業の広告料金で経営が成り立っているマスコミが「自民VS民主」の構図や「マニフェスト選挙」を煽るのは、こういう背景があるからです。こんなマスコミは要りません。

     経済界の要求に応じて形作られた「自民VS民主」の構図。更に双方経済界の「信用」を得るための政策をぶち上げていますから、アメリカの「共和VS民主」、イギリスの「労働VS保守」と同等、否、それ以下のレベルの「どっちもどっち」の争いでしかないわけです。それが消費税率の引き上げであり、憲法「改正」であり(民主党は「創憲」と言っていますが、「憲法を『不磨の大典』とすることなく」と前置きしているところからして今の憲法を変えようとしていることは明らか)、更に郵政民営化にも表れてきているわけです。
     元々郵政民営化は電電公社の民営化、国鉄の分割民営化同様、国民から出てきた議論ではありません。こういう時の決り文句は「民業を圧迫している」「民間活力を利用していない」です。要するに自分たちの儲け口が少ないから開放しろ、という利害関係者(この場合は銀行や生命保険)の声を代弁しているに過ぎません。しかし、郵政を民営化して良くなるのか、という議論はさっぱり見えてきません。
     それもその筈、現に民営化したスウェーデンでは、都心部と僻地の郵便料金の格差の発生など、今の郵便が維持している国民の権利でもあるユニバーサルサービス(全国何処でも同じ行政サービスが受けられる)が崩壊してしまっているからです。マスコミがこういう事実を報じないのは、先に言ったように「自民VS民主」が自分達のスポンサーである経済界の意向であり(郵政民営化も経済界の意向)、それを煽る役割を担っているからです。

     このように、経済界の意向で作られた「自民VS民主」の構図や「マニフェスト選挙」の謳い文句に目を向けていては、どちらが政権をとっても経済界にとって安心の、国民いじめの政治が続くだけなのです。経済界が最も強大化を怖れるのは日本共産党です。何故なら日本共産党は企業団体献金を一切受け取らず、企業に応分の負担を求めることを掲げているからです。このような経済界との腐れ縁のない、経済界にも言うべきことを言える政党を伸ばすことこそ、今の政治の舵を大きく変えることに繋がるのではないでしょうか。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.6: イラク国民と日本国憲法を蹂躙するイラク特別措置法案(2003/6/19~2003/6/21掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     与党が数の力で会期延長してまで成立を狙うイラク特別措置法案(7/11現在)。これは一見イラクの復興支援をするように見えますが、実際は自衛隊をより本格的に戦地に送り込み、実戦に臨ませやすくする法律であり、イラク国民と憲法を蹂躙する法案です。

     まず、法案は国連安保理決議を持ち出してイラク戦争を合理化しています。しかし、幾ら強弁しようと、一連の国連安保理決議の中にイラク攻撃を容認、追認したものは一つもありません。だからアメリカやイギリスは国連憲章違反、国際法違反、と厳しく内外から批判されているのです。そんな無法な戦争を追認することは、イラク国民はおろか中東イスラム諸国、ひいては国際社会を侮辱するものです。
     そして問題なのは、占領軍、即ち米英軍の指揮下で兵站(へいたん)支援(武器、弾薬、物資の輸送、通信など後方支援)を行うことです。武器弾薬、そして米英兵を輸送することは、イラク国民側からすれば自衛隊は米英側に立っていると見なされ、今でも続いている散発的な反撃やテロの標的にされかねません。「兵站支援は非戦闘地域で行う」としていますが、イラク全土が戦闘地域、とアメリカの司令官が言っている状況下で戦闘地域、非戦闘地域の線引きが出来る筈がありません。こうして「自衛」を口実にイラク国民に銃口を向けたり、イラク国民に米英軍と同等と見なされて銃口を向けられることになるのです。
     米英軍によるイラク攻撃が国連憲章、国際法違反の侵略戦争である以上、イラクを占領する米英軍は侵略国です。侵略行為に対する反撃措置は国連憲章第51条に明記されています。即ち、米英軍を支援していてイラク国民から銃口を向けられても文句は言えないのです。

     更に問題なのは自衛隊の武器使用基準を緩和しようとしていることです。交戦権放棄を憲法で謳っている日本に武器使用基準があること自体が矛盾なのですが、その武器使用基準を緩和することで益々自衛隊の海外での武力行使をやりやすくするものです。
     イラクのインフラ復旧や治安回復といったことはジュネーブ条約に基づき占領軍である米英軍が行わなければなりませんが(このことは国連安保理決議1483で明記されている)、その他イラク国民への生活物資の輸送などは国連主導で行われなければなりません。現に今、ユネスコや世界保健機構(WHO)、国際NGOなどがそれを行っています。日本が支援すべきはそのような行動であり、占領を追認しその尻馬に乗ることではありません。それに、ユネスコなどが行っている支援活動は治安悪化で思うように進まないのが現状なのです。
     日本が憲法とイラク国民を蹂躙してまで自衛隊派兵に躍起になるのは何故か?そこには2003年5月の日米首脳会談が背景にあります。ここでは「地球規模の日米同盟」が提起され、小泉首相は「安全保障面での日米協力を更に強化するため、グローバル(地球規模)な課題への取り組みを含め、両政府間の協議を更に進める」(外務省発表文)と発言。ブッシュ米大統領はこれを称賛してます。イラク戦争支持、占領米英軍の支援は「地球規模の日米同盟」を具体化したものなのです。

     更に国内では重大な胎動があります。自民党の内閣・国防・外交三部会の合同会議が2003年6月12日にイラク特措法案の了承にあたってあげた決議の一節には「国際的基準に合致した武器使用権限の規定を設けることを含む恒久的な法制の早期整備に努めることを法案の附則に明記する」とあります。この決議は今回のイラク特別措置法案には反映されなかったものの、福田官房長官は「恒久法とはどういうものかということについて、これから大いに議論してほしい」(2003年6月13日の会見)と述べています。2003年7月10日には自衛隊派兵の恒久法制定に向けた発言が飛び出していますし、防衛庁を「省」に格上げし、名実共に自衛隊を日本国軍としようとする策動が企まれています。
     「恒久法」とは「国連決議に基づき派遣される多国間の平和活動(いわゆる『多国籍軍』)への我が国の協力(例えば、医療・通信・運輸等の後方支援)について一般的な法整備の検討を開始する」「国際平和協力法(PKO協力法)では・・・『多国籍軍』は対象とはならず、また、テロ対策特措法も・・・限時法であるため、いわゆる『多国籍軍』への協力のための部隊要員派遣についての一般的な法的根拠がない」と福田官房長官の諮問機関「国際平和協力懇談会」が述べています。要するに「普通の国」に近づけるために特別措置法案を必要としない、何時でも海外で武力行使出来る法整備をせよと言っているのです。軍国主義自民党の本性が露呈した格好です。

     「恒久法」の議論が少なからず今回のイラク特別措置法案の策定経過に絡んでいたことは、先に強行成立した有事法制とあわせ、自衛隊が建前上の「専守防衛」の原則を投げ捨て、アメリカと共に堂々と海外で武力行使する突破口となる危険があります。このような時代錯誤の盲動を続ける政党とそれにつき従う政党には、選挙という場で厳しい審判を下す必要があります。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.5: ここまで堕落した「平和の党」公明党(2003/2/18~2003/2/20掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     驚くと言うより呆れました。日曜日(2003/2/16)のNHK「日曜討論」そしてテレビ朝日系「サンデープロジェクト」で、公明党・創価学会の本音が出ました。先の「日曜討論」では、「(ベーカー米駐日大使は)まだ攻撃するということは、最終決断してませんとおっしゃっているわけです。何かもう、戦争、戦争というけれども、それはいま圧力をかけているわけであって」と、軍事攻撃準備を進めるアメリカなどの動きを「圧力」として擁護するばかりか、「その圧力を抜くような、利敵行為のような、サダム・フセインに利益を与えるような、戦争反対とか、それはむしろ解決を先延ばしする。」とまで言いました。
     何のために国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力機関(IAEA)が3度も国連安保理に報告し、問題点があるとしながらも「査察は前進している」「査察は継続・強化すべき」と唱え、安保理15ヶ国中12ヶ国が2003年2月14日の国連安保理外相級会合で査察の継続・強化を主張したのか。それはもはやマスコミも無視出来なくなったように国際的にイラク戦争反対の世論が強まり、アメリカやイギリスの孤立が深まっているということの表れです。それを害するような軍事攻撃準備を「圧力」と言うとは。しかもアメリカは「ゲームは終わった」などとして先制攻撃を公言しているのです。これほど現実を無視した暴論もそうそうありません。「平和の党」の正体が見えた、というものです。
     更に「サンデープロジェクト」では、司会の田原総一郎氏の「フランス、ドイツは断固反対しているんですが、それに対してどうして日本ははっきりした姿勢は示さないのか。」という問いに対し、「私は政府じゃないから分からないが」とわざわざ前置きした上で「査察継続はいいんだが、それはサダム・フセインの喜ぶところじゃないんですか。」と答え、フランスなどの戦争反対の姿勢を「間違っていると思いますよ。」と言いました。
     公明党は国権の最高機関である国会における与党の一員です。政府の行動を左右する権限があります。にも関わらず「政府じゃないから分からない」というのは責任逃れでしかありません。フランスなどの戦争反対の姿勢を「間違っていると思う」という発言共々、政府与党の一員の発言という自覚があってのことでしょうか。もしないとすれば政権与党たる自覚のなさを示すものであり、あるとすれば日本政府は戦争を容認する立場にあると公言したことになります。

     さらに田原氏の「サダム・フセイン体制を倒さなければだめだということは、日本は賛成?」という問いに「ここまで違反してきた人ですから、それは、世界中が賛成するんじゃないですか。」とまで言いました。田原氏がこの後に述べたとおり、「世界中は(賛成)していない」のです。国際世論の多数派はイラク軍事攻撃反対、査察の継続、強化による平和的な武装解除なのです。しかも他国の政権転覆の展望を持っているということは、明白な内政干渉であり、アメリカの姿勢そのものです。公明党の発言は日本政府のアメリカ追随の姿勢を証明したことになります。
     アメリカ追随の姿勢を如実に示す自衛隊艦船の派遣、そして既成事実を作るための民間人技術者の派遣。あろうことか戦闘能力、情報収集能力が優れたイージス艦まで派遣する始末。「居住性」云々を言うくらいなら、とっとと引き上げてくれば良いのです。無実の一般市民を「テロ組織が居るかもしれない」と攻撃し、殺しているという立派な殺戮行為にこれ以上加担する理由はありません。

     「平和の党」を名乗るのなら、自衛隊の即時撤退を自民党に訴え、要求が飲まれない場合は連立解消、というくらいの気構えが何故持てない?それは公明党がおよそ「平和の党」という看板とはかけ離れた活動方針を持っているからに他なりません。そうでなかったら、自衛隊の海外での武力行使、即ち憲法で禁じられている戦争行為に道を開き、それに国民を強制動員する有事法制を自民党と一緒になって推進する役割を担える筈がありません。
     公明党、そしてその母体である創価学会が如何に偽りに満ちているか、そして自分達に異議を唱えるものを平気で誹謗中傷して恥じない謀略集団であるかは、新聞の印刷を委託したりスポンサーになってもらっているマスコミが書いたり報道したりしないだけで、目に余るものがあります。こんな政党や集団が「平和」を口にするなど恐れ多い。恥を知れ、とはまさにこういうことを言うのではないでしょうか。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.4: 公明党の事実歪曲、隠蔽を糾す(2002/10/24~2002/10/27掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     2002年臨時国会での各党の代表質問の場において、公明党の代表が、日本共産党が朝鮮労働党(北朝鮮の政権党)と親密な関係を続けていた、拉致を疑惑と称して後ろ向きな態度だった、と述べましたが、ここまで事実関係を捻じ曲げて他党を誹謗中傷する党もそうそうありません。流石は反共を至上命題とする創価学会の政治団体というだけのことはあります。

     確かに日本共産党は1960年代までは朝鮮労働党と通常の外交関係を持っていましたが、1960年代後半に北朝鮮が「南進」(韓国の革命を主導するという内政干渉政策)を提唱し、ソウルの青瓦台(大統領官邸がある)に武装集団を送り込んだりしたこと、1970年代から金日成個人崇拝を押し付けて来たこと、1980年代に発生したラングーン事件(ビルマのラングーンで爆弾テロが起こり、ビルマと韓国の高官数十名が死亡した事件)や大韓航空機爆破事件などの国家テロとも言える行為を行ったりしたことなどの北朝鮮の無法ぶりを厳しく批判し、逆に朝鮮労働党から「帝国主義者達に丸め込まれている」などと攻撃されたために関係は長く断絶しています。
     逆に公明党はというと、金日成個人崇拝を強めた1970年代以降に北朝鮮と親密な関係を持ち、1972年には党委員長を団長とした訪問団を派遣し、歓迎集会では「私たちは昨夜、この国を解放し、この国を本当に廃墟の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆さまの敬愛する金日成首相にお目にかかり、対日友好にあふれた雰囲気の中で親しく懇談することができました」と述べたばかりか、公明党が最も嫌っているはずの社会主義、共産主義体制を標榜する(「資本論」やレーニンの著書などを読めば、北朝鮮や旧ソ連などの体制が社会主義や共産主義とは無縁なことは明らか)北朝鮮の体制を、「今回、共和国の各地を参観し、そこに働く人々が、主体思想をもとに、チョンリマ(千里馬)運動で前進する共和国の社会主義建設が大きな成果を収めていることに深い感銘をうけました」と称賛さえしています(発言は何れも公明党の機関紙「公明新聞」に掲載)。自分達のそうした事実を覆い隠し、事実を捻じ曲げて他党を攻撃する態度は厳しく批判されて当然です。

     日本共産党が拉致を疑惑と称して後ろ向きな態度だった、という公明党の主張も事実の捻じ曲げです。そもそも拉致の「疑いがある段階」というのは政府と警察が捜査の到達点として公式に明らかにしてきた立場です。ことが国家間の、それも外交ルートがない国との問題であり、更に明確な証拠もなしに安易に疑惑を事実と断定することは出来ません。これは刑事事件の捜査の基本です。公明党はそのことを分かっていないのか。分かっていて言っているのなら尚更悪質です。
     それに「疑惑」という言葉が問題なら、公明新聞の記事や党幹部の発言、国会議員の質問でその言葉を繰り返してきた事実、例えば公明新聞の「日本人拉致疑惑で参考人質疑」(7月26日付)、「政治決断の必要性で一致 日本人拉致疑惑」(8月29日付)、3月に立ち上げたプロジェクトチームの名称「拉致疑惑事件調査等プロジェクト」はどう説明するのか。このような事例は多数存在します。それを覆い隠して「疑惑」という言葉を問題とするのは如何なものか。政党としての資質が問われる問題です。

     第一、共産、公明両党の拉致問題に対する方針や問題提起などの事実を見れば、どちらが「後ろ向き」だったかは明白です。日本共産党は1988年の参院予算委員会で橋本敦議員(当時)が、1978年夏に福井、新潟、鹿児島などの行方不明事件について政府の捜査状況を質(ただ)し、梶山静六国家公安委員長(当時)が「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と、初めて政府として国会の場で拉致疑惑の存在を認めました。更に1999年1月の衆院本会議質問で不破委員長(当時)が北朝鮮との正式な外交ルートの確立を行うべき、と提案し、同年11月の不破委員長の本会議質問で、ミサイル(テポドン)問題や拉致疑惑などは外交ルートを通じた交渉で解決を図るべきだと提案しました。そして事態は同年12月の日本共産党を含む超党派訪朝団の派遣、政府間の国交正常化交渉再開、そして日朝首脳会談へと進みました。
     一方、公明党の態度は北朝鮮側の譲歩がない限り国交正常化交渉を再開すべきではない、という立場から始まりました。新進党の(覚えてます?)解体後、再結成された公明党は再結成にあたっての「基本制作大綱」で北朝鮮政策について「北朝鮮のわが国に対する挑発的な外交姿勢が改められない限り、日朝国交正常化交渉は当面凍結するべき」(公明新聞1998年11月11日付)と、国交正常化に後ろ向きの態度を示していました。この当時の日朝間には北朝鮮のミサイル問題があり、緊張、対立状況でした。
     ところが、自民党が北朝鮮への食料支援の凍結解除などの動きを見せるようになると立場を急転換し、自民党との連立を決めた1999年7月の党大会では「朝鮮半島の平和へ積極的な関与政策」として、「拉致事件などの解決をあえて『入口』に位置づけないで、国交回復交渉をすすめる機会を粘り強く探る」と言い出しました。同年10月の政権入り目前の9月27日には、神崎代表が駐日米大使と会談し、北朝鮮問題について「拉致問題は重要だが、対話の前提条件にすべきではなく、対話の姿勢を強く打ち出すべきだ」と前提条件なしでの交渉再開を口にしました(公明新聞1999年9月28日付)。つまり、自分達が政権側につくような状況になった途端、立場をころっと変えたのです。これは外交問題を党利党略で扱っているとの批判を免れません。

     公明党=創価学会はこれまでにも日本共産党に対して事実捻じ曲げ、誹謗中傷、実績横取りなど様々な謀略活動を繰り広げてきました。しかし、創価学会タブー(「鶴タブー」と言う)を持つマスコミはこのような創価学会の蛮行を批判しません。それどころか新聞社は紙面の印刷を創価学会系の印刷会社に委託しているというのですから話になりません。真実を知るには商業マスコミを切り捨て、先祖代々からの「アカ」偏見の壁を突き崩してアンテナを思い切って広げることこそ重要です。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.3: 「日の丸」「君が代」は何故問題か(2002/7/19~2002/7/22掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     この問題は中央教育審議会答申の「公の意識」批判と関連しますので、まずはそちらをご覧下さい。「公の意識」を植え付けることで国民間に生じた格差意識を「是正」し、上から統制し易くする為に右翼軍国主義勢力が持ち出す「武器」が「日の丸」「君が代」なのです。
     国家(つまりは自分達のことと錯覚している連中を含む)に幼少時から奉仕し、忠実に仕える意識を植え付けために、「日の丸」「君が代」が押し付けられるわけです。国旗国歌法案では国旗を日の丸に、国歌を君が代とすると定めているだけで義務の文字は一つもありません。しかし、文部科学省が学習指導要領という形で教育現場に押し付けているのは事実。卒業式などで君が代を歌わない教師を処罰したりするなど、右翼勢力の意図は見え見えです。

     そもそも「日の丸」「君が代」は右翼勢力のシンボルであり、同時に奴らが崇める皇室とそれの派生神話で持って繋がる神社のシンボルです。「日の丸」の歴史は古く、奈良時代には日・月をかたどった旗がつくられたり、源平の合戦で日の丸の図案をあしらった扇が使われたりしました。江戸時代の末期になると、薩摩藩の提案で、外国船と区別するため、日本の船に「日の丸」をかかげるようになり、1870(明治3)年になって、政府は、日本の商船に「日の丸」をかかげると決めました。しかし、大日本帝国憲法でも国旗が「日の丸」であるという条文は何処にもありません。ただ慣習と思い込みで「日本の国旗=日の丸」と日本国民が勝手に思い込んで来たに過ぎないのです。
     そして日の丸はアジア侵略戦争の際に文字どおり旗印となり、多くのアジア人民を苦しめ、殺害したという血塗られた歴史を持っています。戦時中のドイツの鍵十字の旗と日の丸は同じ歴史を持っているのです。これはどうあがこうが変えられない事実です。ドイツが戦後国旗を変えたと同様、日の丸は戦後の国旗に相応しくないのです。
     「君が代」も国歌に相応しくありません。元々「君が代」は「古今和歌集」に収録された、親しい人の長寿を願う歌でしたが、明治政府が「君」を「君主」即ち天皇のことと決め付け、法律などの裏付けなしに、天皇の時代が末永く続くよう願う意味を持つ国歌として国民に押し付けたものです。ですから国旗国歌法案が成立するまで、日本は法律の根拠を持つ国旗も国歌も持ってはいなかったのです。

     戦後の日本国憲法で主権在民の原則が打ち立てられた以上、天皇の時代の末永い繁栄を願うと解釈されてきた「君が代」が国歌に相応しくないのは明白。しかし、国旗国歌法案の審議において時の小渕首相が「『君』は日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇」を指すと言った以上、君が代を国歌とする右翼勢力が天皇中心の国家作りを目指していることは明らかです。
     血塗られた歴史を持つ日の丸と日本国憲法を否定する君が代の何れも国旗国歌に相応しくないのはお分かりでしょう。しかし、憲法改悪を狙う右翼勢力は手始めに教育基本法を改悪し、国民を上から統制し、天皇を崇める戦前同様の国家作りを学校から推し進めようとしているのです。

     右翼軍国主義勢力は、単なる日本国民の勝手な思い込みと慣習を利用する形で国旗国歌を「日の丸」「君が代」と決めましたが、これまでの経緯を踏まえれば「日の丸」「君が代」が国民を再び臣民とし、皇族を中心とする国づくりに利用しようとしているのは明らかです。我々は歴史的事実を見詰め直し、もう一度国旗国歌たるものを論じ、主権在民の日本国憲法に相応しい国旗国歌を作るべきです。
     そしてそれらが国旗国歌と決まったからといって、決して誰もが掲げ歌えと強制してはなりません。国旗国歌を掲げ歌い、逆に背を向けるのも日本国憲法に定められた思想信条、内心の自由だからです。「日の丸」「君が代」に背を向ける者を「非国民」呼ばわりした暗黒時代に逆戻りさせない為にも、我々は国旗国歌というものをもっと真剣に、そして自由に捉えるべきではないでしょうか。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.2: 中央教育審議会答申の「公の意識」批判(2002/7/19~2002/7/27掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     2002/7/16に中央教育審議会が教育基本法見直しの骨子を示しました。そこでは国際性と日本人としてのアイデンティティー(伝統、文化の尊重、郷土愛、愛国心)、個性の伸長と創造性の涵養(かんよう)、社会の形成に主体的に関わる「公の意識」、自律心、規範意識を第1条に入れることを打ち出しています。
     一見もっともらしいことを言っていますが、右翼政権お抱えの審議会が言う「愛国心」や「公の意識」など、要は国(皇室を含む)を愛せよ、社会に奉仕せよ、という上からの押し付けに過ぎません。事実、このような意識を教育基本法に盛り込むことを提言してきたのは「新しい教育基本法を求める会」であり、それの中心メンバーと侵略戦争否定、愛国心高揚を求めるグループ(「新しい歴史教科書を作る会」など)と同じです。また、2002/7/29の中央教育審議会答申の元になった首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」のメンバーにも、「国民を奉仕役に動員する」と言ってのけた、右翼国家主義者の曽野綾子氏なども含まれています。
     更に、「新しい教育基本法を求める会」が森首相(当時)に提出した要望書には、伝統とは「皇室を国民統合の中心とする社会基盤」としています。その一方で歴史教科書を「祖先を侮辱するような記述」と非難しています。結局今回の骨子は、民主主義教育を否定し、戦前の天皇絶対体制を支える国民を育成しようというものに他なりません。

     今の学校教育は教育基本法の精神から大きく逸脱し、子ども達を現在の権力の忠実なる継承者となりうる一握りの「エリート」と、それに従う存在になりうる「それ以外の子」に早期から差別化し、それを拡大しています。そうした教育基本法の精神を逸脱した現状を改めるのではなく、格差で生じた国民の間の意識を統制する為に「公の意識」を持ち出し、教育基本法の改悪を狙っているのです。これは戦争を放棄し、交戦権も否定した憲法第9条の解釈をアメリカの意向とあわせて無理矢理捻じ曲げ、自衛隊という名の軍隊を作り上げた過程と酷使しています。法律の理念に現実を近づけるのではなく、既成事実を固めて「現実に合わないから」と法改悪を狙っているのですから。
     ボランティアを点数化して入試や就職に有利にしたり、公共施設利用料金の割引など、実質ボランティアを義務化しようという動きもあり、これは中央教育審議会答申で明記されました。これも「公の意識」とやらの一環でしょう。本来自主的、自発的な思考に委ねられるべきものを飴と鞭を使って上から強制しようとする辺り、全体主義、国家主義を是とする右翼勢力らしい薄汚いやり口です。
     先に述べたような、教育基本法の精神を逸脱した一握りの「エリート」養成の過程で子ども達がランク付けされています。文部科学省自身、「『弾力化』により生ずる格差の対応」を今後取るべき施策の一つとしてあげていますが、自分達の施策で子ども達をランク付けしておいて、それへの「対応」を言うこと自体矛盾も甚だしいことです。それを「公の意識」で埋め合わせようとする一環として、ボランティアの事実上の義務化を打ち出してきているのですから、こんな「公の意識」など論議に値しません。
     国民はこのような教育基本法改悪、「公の意識」に名を借りたボランティアの事実上の義務化に断固反対しなければなりません。ボランティアそのものを侮辱するような施策を許さず、子ども間の競争を激化させる政策を改めさせ、真の意味で助け合い、支え合う社会の構築が今、急がれているのではないでしょうか。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

  • No.1: スポーツに関する見解(2002/6/24~2002/6/28掲載)
  • ※この見解は「こぼれ話」掲載のものを加筆、編集したものです。

     私はサッカーをはじめとするスポーツそのものを右翼軍国主義的性質のものとして否定するつもりはありません。スポーツそのものは人間の健康を維持、促進し、競技を通してマナーやルールを守ることの必要性を学ぶ良い機会であると考え、むしろ積極的に肯定する立場です。
     しかし、そこに部活動では学校の、国際イベントでは国家の威信とやらが絡んだり、「精神鍛錬」の名の元で横行する上級生の下級生に対する、指導者の選手に対する暴力の存在、とりわけ国際イベントにおける戦争の代理的性質が顕著に見られることに対して、これらはスポーツ本来のあり方を歪めるものであるとして強く異議を唱えるものです。
     同じスポーツでも所謂アマチュア、言い換えればそのスポーツを愛好する人々が自主的に集い、競技を楽しむレベルは大変良いことだと思います。しかし、アマチュアでもインターハイなどの右翼軍国主義の象徴である日の丸君が代がまかり通る国家レベルのものやプロスポーツ、とりわけチェアマン自身が「日本に君が代が流れるスポーツを」と言って君が代斉唱を導入したJリーグは即刻解体し、国家意識の介入を断つべきであると考えます。
     日の丸君が代という右翼軍国主義の象徴を取り除き、国家意識の介入を断ったプロスポーツそのものは、卓越した技と力を入場料を払って訪れた観客に披露するエンターテイメントの側面を持つものであり、その存在を否定するものではありません。
     W杯やオリンピックといった国際イベントは、大規模なものほど腐敗しています。そこはただスポンサーになった大企業が特権を振り回してチケットの入手の当否を賭けさせる形で自社の商品を売りさばいてぼろ儲けし、参加者が国家の威信とやらを背負わされて勝てば賛美、負ければ罵声という酷いプレッシャーに晒され続ける、スポーツ本来のあり方が商業主義と右翼国家主義で歪められた極めて問題のあるものです。
     それ故にスポンサーは金は出すが名前と口は出させない、出場を国家単位から地域ブロック単位或いは有志で構成するようにして、商業主義と国家意識の介入を断ち、国連主催の下で構成、運営するような体制に改めるべきです。

     アマチュアレベルでの改革も必要です。国内のアマチュアスポーツでも日の丸君が代の介入により、国家意識の植付けが行われています。スポーツに国家意識など必要ない筈です。その一方でスポーツの振興はtoto頼みで、国家予算に占める割合は削減される一方。スポーツしたけりゃ自前でやれ、という冷たい態度の一方で国家意識の植付けだけは徹底する。これは如何に日本政府与党がスポーツを文化として、否、それ以前に重視すべき項目として考えていないか、そしてスポーツが軍隊的精神継承の場であると考えている(上級生の下級生に対する、指導者の選手への暴力はその典型)という証拠です。
     先に述べたとおり、スポーツそのものは健康の維持、促進のみならずマナーやルール意識の確立という側面を備える重要な機会ですから、国は大型公共事業や軍事費を削減し、社会保障と共に「健康で文化的な最低限度の生活」の確立に向けて、toto頼みではなくスポーツ振興に本腰を入れるべきです。あくまでも「金は出すが口は出さない」方針は徹底されなければなりません。
     学校における部活動や野球のリトルリーグなどの青少年スポーツのあり方も、指導者の意識改革を含めて抜本的な改革が必要です。文字どおり「勝つためには何でもやる」とばかりに成長途上にある青少年に科学的根拠に基づかない過酷な練習をさせたり、「精神鍛錬」の美名の下で暴力をはびこらせることはあってはなりません。
     この点では保護者の側も「子どもを鍛える為」という暴力容認の誤った意識を変革しなければならないのは勿論です。どんな理由があれ、公道で暴力をふるったら犯罪になるのに、部活動や青少年のスポーツでは暴力が奨励されるという「治外法権」は許されてはなりません。教育する側に矛盾があっては子どもが大人の嘘を見抜いて言うことを聞かなくなるのは当然です。

     また、進学や就職では上下関係に厳しいとされる体育会系の部活動をしていた方が有利になるというのもおかしな話です。上下関係の厳しさと意見や反論を述べるのを許さないというのをごっちゃにしてはいけません。そもそも上下関係などスポーツに持ち込んではいけません。スポーツに親しみ競技を楽しむ場に上下関係など不要な筈です。上下関係を導入するのは権力誇示とその警鐘を目的としたものに他なりません。
     更に言うなら、部活動などに存在する所謂「体育会系的」上下関係が、「上の言うことは絶対正しい」「上に意見してはならない」という悪習を生み、行政が自分達を痛めつける政策をごり押ししてきたり企業などで雇用者側が無法な「合理化」(リストラとは言わない)を押し付けてきても反対せずに粛々と従い、陰で悪口を言う割には押さえつける側を支持するような、行政の下請け的町内会やストも出来ない腑抜けた労働組合を形成、維持し、それに異議を唱えるものを「アカ」と蔑視する(「アカ」という言葉そのものが戦前の天皇絶対政治が共産主義の拡大を恐れて、反共宣伝と共に流布した蔑称)悪習を続ける温床となっているのです。
     上下関係は信頼の上に成立するものであって、単に年齢やキャリアが上だからという理屈で成立するものではありません。スポーツの指導においてはそういうことも念頭において、選手の技術と共にマナー意識や道理ある信頼関係のあり方の意識を向上させるようにするべきです。
     繰り返しますが、スポーツは人間の健康の維持、促進の他、練習や競技を通してマナーやルール意識を習得する絶好の機会です。その機会を生かすも殺すも指導者や大人、保護者の意識次第なのです。スポーツは単なる暇潰しではなく、「健康で文化的な最低限度の生活」の一部として、国や自治体が積極的に支援すべきです。勿論「金は出すが口は出さない」という前提で。

    Written by Moonstone(芸術創造センター主幹)

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