秦河勝は桓武天皇より前、用明天皇から推古天皇、その皇子である聖徳太子の時代に生きた人物。特に聖徳太子の時代、当時の秦氏の族長的存在として、聖徳太子や朝廷にも大きな影響力を持った。しかし、仏教を推進する蘇我氏の勢力増大は、崇峻天皇の暗殺、推古天皇への葛城県割譲要求など天皇家への干渉の拡大へとつながり、ついには秦河勝が仕えた聖徳太子の実子、山背大兄王の襲撃と一族自害への追い込みに発展したことで、蘇我氏の追討から逃れるため、秦河勝は摂津国から海路でセキウ市に入り、そこで千曲(ちくま)川の開拓など土木治水を行ない、その地で没した。土木治水の功績を称えた地元民によって大出神社が創建され、その祭神として祀られたと言われている。
権勢を振るった蘇我蝦夷・入鹿親子が乙巳の変で滅亡し、この政変を主導した中大兄皇子が後の天智天皇となったが、後継争いとなった壬申の乱で実弟の大海人皇子が勝利して天武天皇となり、以降、天武天皇系が称徳天皇まで続き、光仁天皇から天智天皇系に戻った。光仁天皇の後継が桓武天皇であり、この代で長岡京、そして平安京への遷都が行なわれたのは史実のとおりで、その際に前述のとおり、桓武天皇が山背国を拠点の1つとする秦氏を頼った。時代は隔てても技術に裏付けられた財力で天皇家や朝廷に秦氏が深く関与したわけだ。
これだけなら天鵬上人やヒヒイロカネとの関連性は薄い。しかし、大出神社や周辺の環境には不可思議な点が多い。まず、大出神社の立地。大出神社の南東に浮かぶ幾島(いくしま)は、秦河勝の墓があり、島全体が聖域かつ国の天然記念物でもあるので立ち入り禁止だが、大出神社とこの島を結んだ直線状に、竜光寺や逆鉾山とも結ばれる伊弉諾神宮がある。更に、元々大出神社の神宮寺(註:神仏習合の時代に神社と同一境内に建立された寺)だった妙興(みょうこう)寺は、竜光寺と同じく如意輪観世音菩薩を本尊として、竜光寺の本尊を彫った行基が妙興寺を開き、中興の祖として天鵬上人が挙げられている。現在の所属宗派も天鵬上人が開祖である天道宗だ。
『偶然とは言い難いものがあるね。』
『はい。更に、大出神社には他にも不可思議な謎があります。12という数値に纏わるものが多いことです。』
そして、この大出神社で行なわれる非常に有名な大出船祭りで、最寄りの港から秦河勝の墓がある幾島までの往復に使われる和船の数は12。大出船祭りの各船に乗船する社家(註:特定の神社の奉祀を世襲で担当する家系)の数も12。12に纏わる事象が目立つ。
『秦河勝や秦氏との関係性も踏まえると、確かに作為的に12を含めたように思えるね。でも、ヒヒイロカネの候補地とするには少し弱いようにも思える。』
『流石ですね。12に纏わる事象が多いだけなら候補地にする理由としては脆弱です。もう1つ、聖書に関する事象が加わると意図的であることがより濃厚になります。』
『?!』
新約聖書では、イエスが選んだ使徒は12人であり、「あなたがたも私に従ってきたのだから、12の座に座ってイスラエルの12部族を治めることになる」(マタイ19:28)と語る。新約聖書の最後を飾る黙示録で、天から降りて来る新しいエルサレムの門は12で、そこには12人の御使いがいて、12使徒の名が刻まれている。また、都の城壁には12の土台石があり、そこには子羊の12使徒の12の名が書かれている(黙示録21:11-14)。
これは、聖書における数値の捉え方が影響している。聖書において「3」は三位一体の神であり、神の世界を表す。「4」は神が創られた全世界を表すとされる。この「3」と「4」の積が12であり、「3」と「4」の和である7が、神の世界と自然の世界が融合した完成、完全を意味するように、12が重要視されたと考えられる。逆に7に1つ足りない「6」は不完全を表し、黙示録で獣の数字とされる666(黙示録13-18)は、不完全が3つ並ぶことで神の敵を指すとされる。
天鵬上人は唐への渡航の際に景教ことキリスト教ネストリウス派に接し、キリスト教や新約旧約の聖書、ひいてはヘブライ語を取得したと見られる。中国語を通訳なしで話せ、梵語も習得したマルチリンガルの先駆けといえるほど語学に長けた天鵬上人が妙興寺もまた、前述のとおり天鵬上人が開祖である天道宗の所属であり、妙興寺と竜光寺は行基と天鵬上人、そして本尊で繋がる。作為的なものがある確率は高い。
『少しでも手掛かりがありそうなら、行ってみた方がいいね。ヒヒイロカネそのものじゃなくても何か重要な手がかりが得られるかもしれない。』
『はい。ルートに大出神社と妙興寺を加えました。少し距離があるので高速道路を使いましょう。』
ダイレクト通話で説明を聞いたりルートやポイントを調べたりする間、所々で普通の会話を挟んでいる。こちらは折角洋菓子で有名なコウノ市に来たから、此処からほど近い三丸町に行きたいとか、有名な白姫城も行けそうだからそこに行こう、とか観光先を探すカップルそのもの。時間と金銭は問題ないから、どちらも順に行くことにする。1日だとゆっくり回れないから、白姫城があるシロキ市に宿を取る。そこからコウノ市方面に移動して、淡路島経由でヨクニ地方に入る計画。
セキウ市に入るなら、もう少し西に移動してO県、以前にも訪れたアヤマ市に入ってそこからヨクニ地方に入る方法もあるけど、公安警察の尾行があるから、分かりやすいルートと世俗的な場所を転々とすることでそれを攪乱することも狙っている。三丸町や白姫城は観光客が多いところだから、尾行を攪乱するには良い。もっとも、攪乱したところで応援や交代要員が来るだろうけど、素直に尾行だけされるのは気に障る。
パンケーキはフルーツソースも含めてトップクラス。メニューを見たらテイクアウトもあるそうだ。移動の途中で食べるのも良いだろうということで、2セット注文。これにも飲み物が付く。フルーツソースは蜂蜜レモンと葡萄を選んで、飲み物は今回も紅茶。精算時にテイクアウト分を受け取って店を出る。
「途中のおやつタイムが楽しみです。」
ラゲッジルームのクーラーボックスに、テイクアウトしたパンケーキセットを入れるシャルはご満悦な様子。蓋とストロー付きのコップに入った紅茶は、移動途中で飲むからそれぞれの手にある。次に立ち寄る三丸町でも、めぼしい洋菓子店を見つけているそうだから、おやつタイムを充実させたいんだろう。移動は時に10時間を超えることもあるし、高速道路はSAやPAに入る必要があるけど、駐車場に難があることがある。これは一般道に並ぶ飲食店でも似たような傾向がある。予め買えるならその方が良い。システムを起動すると、三丸町~白姫城のルートがナビに表示される。これだけ見ると完全に観光ルートそのもの。ナビとHUDの案内に従って運転していく。それにしても、まさかコウノ市に観光で来るとは思わなかったな。コウノ市は洋菓子や洋館といった異国情緒溢れるお洒落な街として有名。僕には縁のない場所だと思っていた。ところが、誰もが注目する美人の奥さんと一緒に今から洋菓子を買いに行く。
「冷蔵保存も任せてくださいね。」
「シャルが選ぶものだから期待してるよ。」
三丸町の有名(らしい)洋菓子店巡りと白姫城見物を終えて、本来の目的地である大出神社へ移動中。高速道路を使うと思ったより早く移動できるものだと改めて思う。今はタツミSAに入って、三丸町で買った洋菓子の1つ、チョコレートを食べながらテラスの一席で休憩中。初めて見る白姫城は雄大で優美で、観光客を多く集め続ける理由が良く分かった。団体客も多くて結構な混雑だったけど、シャルと一緒に並んだり移動したり、最上階から市街地を一望したりするのは格別だった。
「美味しいですね。」
「うん。ついつい幾つも食べてしまいそうだから、注意しないと。」
「毎回そうだけど、シャルが選ぶ店や食べ物には外れがないね。」
「情報収集と分析は私に任せてください。期待は裏切りませんよ。」
『相変わらずこそこそ尾行して撮影や盗聴を試みる連中よりは、能力が高いつもりです。』
『駐車場で待機していましたからね。ヒロキさんと私が戻ってきたら尾行再開。その間私本体の写真を撮ったり、盗聴器やGPSユニットを接続していました。』
『写真を撮られるのもそうだけど、盗聴器やGPSは穏やかじゃないね。』
『写真や動画は即座に改竄していますし、盗聴器やGPSは即刻でたらめな通信をするようにプログラムを改竄しています。すべては徒労に終わっています。もっとも連中はそのことに気づいていませんが。』
『流石だね。』
『私に汚い手で触れるなんて論外です。私に触れて良いのはヒロキさんだけです。』
「ヒロキさん、はい、あーん。」
シャルがチョコレートの1個を手に取って、僕に差し出してくる。唐突に目の前の現実に引き戻されて面くらう。体温で溶けると手が汚れるし勿体ない。僕は口を開けてそのチョコレートを受け取る。受け取る時、どうしても指先を僅かに口に入れてしまう。シャルがこうしたら、当然僕も同じことをするよう求めるだろう。「次は私ですね。あーん。」
パンケーキを食べたカフェの時と同じように、両手を組んでそこに顎を乗せて口を開ける。全身が一気に火照るのを感じながら、チョコレートの1個を取ってシャルの口に入れる。同じく指先がシャルの口に僅かに入る。わざとじゃないけど、唇の感触がダイレクトに指に伝わると、全身の火照りが強まる。気のせいか周囲からの視線が痛い。「こういう食べ方が出来るのは良いですね。」
「そ、そうだね…。」
「まだたくさんありますから、ホテルでもしましょう。」
「う、うん。」
「そろそろ行きましょうよ。」
「そ、そうだね。長居してられない。」
大出神社への道のりはシンプル。陽光自動車道に乗って西に走り、セキウICで降りて国道225号線で少し東に走る。かなり大きい川-千草川を渡れば直ぐだ。短いトンネルを抜けると眼前に海が広がる。神社が海に近いのは少々意外だ。HUDの案内に従って、海沿いにある観光駐車場に入る。此処にシャル本体を止めて、潮の香りを嗅ぎながら100mほど歩けば、大出神社に到着。巨大な石灯篭の向こうに寺と同じ形状の門が見える。
「あれが山門かな。」
「そうです。写真写真。」
『尾行だけはしっかり出来ていますね。感心感心。』
『やっぱり尾行してるんだね。』
『何処かで事情聴取や逮捕の口実になりそうなものを出せないか探ってるんでしょう。逆に、自分達の行動も通信も筒抜けになっていることも知らずに。』
『はい。連中の尾行には戦闘ヘリが10機、上空には戦闘機が10機と早期警戒機が1機。連中が載っている車にはすでに諜報部隊が潜入済み。車内から移動中の会話から通信まで筒抜けですし、良からぬことをしたら即刻車ごと木っ端微塵か、この辺だと堤防から海にダイブしてもらいます。』
『尾行しているのに尾行されていることには気づいてないのか。』
『全然気づいてません。適当にジャミングしたりカメラの撮影にトラブルを起こしていますが、機器や通信の不調としか認識していません。その程度です。』
さて、改めて参拝と調査。石段を登って山門を潜る。左手方向に社務所、正面には石段とその先に拝殿。石段を数えてみる。…確かに12段ある。右手方向には井戸があって、石柱に囲まれている。近づいて本数を数えてみる。…同じく12本。確かに12をキーナンバーにしているように思える。
ひとまず参拝。その後に社務所で朱印とパンフレットをもらう。由緒にはシャルの説明どおりのことが書いてあるけど、聖書との関連性は流石に書かれていないけど、大出船祭りが9月12日に行なわれることや、秦河勝の墓がある幾島までの往復に使われる和船の数は12であることは記載されている。12と言うとまずは1年12か月や1ダースを連想するだろうから、聖書との関連性が分かっているとしても敢えて書かずに1年12か月や1ダースの方に意識を向けさせる意図があるのかもしれない。もっとも、神社本庁に属する大多数の神社が、聖書やキリスト教やユダヤ教と関連があると表立っていう筈はない。
『ヒヒイロカネの反応はある?』
『全く検出されません。此処もランドマークの1つと見た方が良いですね。』
『ランドマークという証拠は十分あるし、自分達で訪れて確認や撮影をするのは重要だと思うよ。』
周辺の撮影も済ませて、境内を出て参道から一般道に出る。まだ時間の余裕があるということで、シャルが妙興寺への参拝もしたいと言い出す。参拝は良いけど歩くと時間がかかるんじゃないかと思ったら、石灯籠前が丁度分岐点になっていて、そこから10分ほど舗装された道を上っていけば良いらしい。参拝と調査、往路の時間を合計するとおおよそ30分~1時間。帰りは駐車場までたどり着ければ良い。折角だから参拝することにする。
一旦境内を出て、写真を撮った石灯籠前へ。参拝時には気にしなかった左手方向に道が続いていて、そこを登っていけば良い。シャルと手を繋いで登っていく。道はコンクリートか何かで舗装されていて、雨や雪といった悪天候じゃなければ、スニーカーくらい履いていれば問題なく歩ける。この季節、暑くもなく寒くもないし、丁度良い運動にもなる。気になるのは尾行だけど、ここまでついてくるんだろうか。
『車が来るかどうかは常時早期警戒機で監視していますし、過失故意問わず突っ込んでくるようなら、そのまま崖下にダイブしてもらいます。』
『シャルを信用してないわけじゃないよ。相手がどういう手段で来るか分からないから。』
『戦車や戦闘機が複数突っ込んできても、ヒロキさんには傷1つ出来ないように防衛できます。安心して私と手を繋いでいてください。』
車は登ってくる方も下ってくる方もなく、道路の法面寄りを歩く。少し傾斜は急だけど、歩けない程じゃない。道が舗装されているから足元に注意するストレスがないだけでも移動しやすい。森の中を進むような道だから、直射日光から守られている。その分薄暗いけどこれは致し方ない。こういうところでは街灯は期待しない方が良い。つまり、日が暮れる前に街に戻れということだ。
ヘアピンカーブを曲がって坂を上ったところで、視界が開ける。ヘアピンカーブの外周側が広げられていて、その奥に瓦葺の屋根が見える。あそこが妙興寺か。シャルに確認してもらうと、妙興寺で間違いないという。ここまで来たなら参拝と調査をしないと無駄骨になる。
境内にはそこそこの数の人がいる。車が寺の関係者のものらしい1台を除いて見当たらないから-そもそも境内には駐車場らしき場所がない-少し疑問だったけど、海の方向を見るとその理由が分かる。絶景だ。道を上ってきた時は意識してなかったけど、遠くに瀬戸内海を一望できる。南垂れで途中に高層ビルとかがないから、海と空とその境界線が遮られることなく見える。
「瀬戸内海を一望できる絶景スポットでもあるんだね。」
「絶景スポットとしての方が有名なようです。由緒などに関心がない人の方が多いですから。」
由緒を読むと、確かに行基が建立して、本尊は如意輪観世音菩薩、中興の祖が天鵬上人、と事前の情報どおりのことが記載されている。そして、元々は大出神社の神宮寺で、明治維新後の神仏分離令で分離したことも書かれている。山の中腹にあるこの寺の歴史は随分長いことが分かる。
「此処も山道を登らないといけない場所だけど、そういう場所を敢えて選んだのかな。」
「それはあると思います。山岳信仰の名残とか、天道宗が身体と言葉と心を修行して高めることで、秘伝とされる教義を師から弟子に口頭で教え、伝授するという性質、とか考えられます。」
「寺に赴くまでも修行の一環、ってことか。」
「そういうことだと思います。」
観音堂に結構な数の人がいる。境内からでも瀬戸内海が一望出来て絶景だけど、本尊がある観音堂からの眺めは更に凄いという。折角だから登ることにする。ただし、展望台じゃなくて観音堂、言い換えれば本尊の住居だから、まずは参拝。本堂と大師堂を参拝してから観音堂に赴き、参拝してから靴を脱いで上がり、本尊の裏手から階段で登る。
「凄い景色ですね。」
「これほどとは…。」
「もう少しすると、夕焼けで西の方が赤く染まると思います。」
「ちょっと混雑してきたから、下に降りて見ようか。」
「それが良いですね。」
「このままの姿勢で夕焼けになるのを待つの?」
「はい。このくらいなら大丈夫です。あと2,3分くらいで夕焼けが始まりますから。」
「もしかして、動画撮ってる?」
「そうですよ。夕焼けに変わる瞬間なんて、なかなか撮る機会がないですから。待っていられませんか?」
「否、腕が辛いなら代わるから言ってね。」
「気遣いが嬉しいです。」
「十分撮れました。」
「ホテルに帰ってからTVに映してみたいね。」
「問題なく出来ますよ。TVにUSB接続できるのは確認済みです。」
「丁度良い時間みたいだし、暗くなる前に戻ろう。」
「はい。」
『景色見物と動画撮影ですっかり忘れてたけど、ヒヒイロカネはあった?』
『大丈夫です。撮影中などに境内全てを調査しましたが、ヒヒイロカネは検出されませんでした。』
『うっかりしてた。』
『此処に参拝したいとか夕焼けを背景に撮影したいとか言い出したのは私ですし、マルチタスクは任せてください。』
『ありがとう。』