謎町紀行 第142章

山寺の奥に潜む天鵬の痕跡、出没する公安警察(後編)

written by Moonstone

 シャルの説明を聞く。今いるコウノ市から西に行ったところ、O県との県境に近いセキウ市に大出神社はある。この大出神社の祭神は秦河勝(はたのかわかつ)。桓武天皇の平安京遷都では、当時の山背国葛野郡(現在の京都府右京区太秦)に拠点の1つを設け、土木技術や鉄や銅の採掘や精錬、蚕による絹や織物、薬草などの技術とそれによる富を有していた秦氏を頼ることで、南都仏教の影響から脱したと見られる。
 秦河勝は桓武天皇より前、用明天皇から推古天皇、その皇子である聖徳太子の時代に生きた人物。特に聖徳太子の時代、当時の秦氏の族長的存在として、聖徳太子や朝廷にも大きな影響力を持った。しかし、仏教を推進する蘇我氏の勢力増大は、崇峻天皇の暗殺、推古天皇への葛城県割譲要求など天皇家への干渉の拡大へとつながり、ついには秦河勝が仕えた聖徳太子の実子、山背大兄王の襲撃と一族自害への追い込みに発展したことで、蘇我氏の追討から逃れるため、秦河勝は摂津国から海路でセキウ市に入り、そこで千曲(ちくま)川の開拓など土木治水を行ない、その地で没した。土木治水の功績を称えた地元民によって大出神社が創建され、その祭神として祀られたと言われている。
 権勢を振るった蘇我蝦夷・入鹿親子が乙巳の変で滅亡し、この政変を主導した中大兄皇子が後の天智天皇となったが、後継争いとなった壬申の乱で実弟の大海人皇子が勝利して天武天皇となり、以降、天武天皇系が称徳天皇まで続き、光仁天皇から天智天皇系に戻った。光仁天皇の後継が桓武天皇であり、この代で長岡京、そして平安京への遷都が行なわれたのは史実のとおりで、その際に前述のとおり、桓武天皇が山背国を拠点の1つとする秦氏を頼った。時代は隔てても技術に裏付けられた財力で天皇家や朝廷に秦氏が深く関与したわけだ。
 これだけなら天鵬上人やヒヒイロカネとの関連性は薄い。しかし、大出神社や周辺の環境には不可思議な点が多い。まず、大出神社の立地。大出神社の南東に浮かぶ幾島(いくしま)は、秦河勝の墓があり、島全体が聖域かつ国の天然記念物でもあるので立ち入り禁止だが、大出神社とこの島を結んだ直線状に、竜光寺や逆鉾山とも結ばれる伊弉諾神宮がある。更に、元々大出神社の神宮寺(註:神仏習合の時代に神社と同一境内に建立された寺)だった妙興(みょうこう)寺は、竜光寺と同じく如意輪観世音菩薩を本尊として、竜光寺の本尊を彫った行基が妙興寺を開き、中興の祖として天鵬上人が挙げられている。現在の所属宗派も天鵬上人が開祖である天道宗だ。

『偶然とは言い難いものがあるね。』
『はい。更に、大出神社には他にも不可思議な謎があります。12という数値に纏わるものが多いことです。』

 シャルが説明する。大出神社は前述の妙興寺が神宮寺だったことから分かるように、神仏習合の時代が長く、寺の仁王門そのものの神門があったりする。神門自体は神仏習合の時代を経ている歴史の長い神社ではよく見られることだけど、この神門から拝殿に登る階段が12段。境内にはヤスライの井戸と呼ばれる井戸があるけど、これは秦氏の拠点の1つ、太秦にもある。太秦には聖徳太子ゆかりの広隆寺とその東隣に鎮座する大手(おおで)神社があり、どちらも秦河勝が創建に深く関与したと言われているが、この大手神社の境内にもヤスライの井戸があり、どちらも12本の石柱で囲まれている。
 そして、この大出神社で行なわれる非常に有名な大出船祭りで、最寄りの港から秦河勝の墓がある幾島までの往復に使われる和船の数は12。大出船祭りの各船に乗船する社家(註:特定の神社の奉祀を世襲で担当する家系)の数も12。12に纏わる事象が目立つ。

『秦河勝や秦氏との関係性も踏まえると、確かに作為的に12を含めたように思えるね。でも、ヒヒイロカネの候補地とするには少し弱いようにも思える。』
『流石ですね。12に纏わる事象が多いだけなら候補地にする理由としては脆弱です。もう1つ、聖書に関する事象が加わると意図的であることがより濃厚になります。』
『?!』

 こんなところで、ヘブライ語や聖書に纏わる事象があるとは思わなかった。再びシャルの説明を聞く。12は聖書の要所で登場する数値で、7と同等に重要視されている。旧約聖書では、アブラハムの孫にあたるヤコブが、神との契約でイスラエルと改名し、ヤコブ、すなわちイスラエルの子孫がイスラエル人と呼ばれることになった(創世記32:29,35:10)。ヤコブは12人の男子と数人の女子をもうけ、12人の男子がイスラエル12支族の長とされている(創世記29-30)。モーセは12の石の柱をイスラエルの12部族のために建てたし(出エジプト記24:4)、祭祀の制服の胸当てには12の宝石が付けられた(同28:15-21)。また、時代が下って、イスラエル人を先導してエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指したモーセに後継とされたヨシュアは、ヨルダン川を渡る際に12の石を記念に立てた(ヨシュア記4:1-8)。
 新約聖書では、イエスが選んだ使徒は12人であり、「あなたがたも私に従ってきたのだから、12の座に座ってイスラエルの12部族を治めることになる」(マタイ19:28)と語る。新約聖書の最後を飾る黙示録で、天から降りて来る新しいエルサレムの門は12で、そこには12人の御使いがいて、12使徒の名が刻まれている。また、都の城壁には12の土台石があり、そこには子羊の12使徒の12の名が書かれている(黙示録21:11-14)。
 これは、聖書における数値の捉え方が影響している。聖書において「3」は三位一体の神であり、神の世界を表す。「4」は神が創られた全世界を表すとされる。この「3」と「4」の積が12であり、「3」と「4」の和である7が、神の世界と自然の世界が融合した完成、完全を意味するように、12が重要視されたと考えられる。逆に7に1つ足りない「6」は不完全を表し、黙示録で獣の数字とされる666(黙示録13-18)は、不完全が3つ並ぶことで神の敵を指すとされる。
 天鵬上人は唐への渡航の際に景教ことキリスト教ネストリウス派に接し、キリスト教や新約旧約の聖書、ひいてはヘブライ語を取得したと見られる。中国語を通訳なしで話せ、梵語も習得したマルチリンガルの先駆けといえるほど語学に長けた天鵬上人が妙興寺もまた、前述のとおり天鵬上人が開祖である天道宗の所属であり、妙興寺と竜光寺は行基と天鵬上人、そして本尊で繋がる。作為的なものがある確率は高い。

『少しでも手掛かりがありそうなら、行ってみた方がいいね。ヒヒイロカネそのものじゃなくても何か重要な手がかりが得られるかもしれない。』
『はい。ルートに大出神社と妙興寺を加えました。少し距離があるので高速道路を使いましょう。』

 大きな予定変更だけど、逆鉾山での発掘作業には時間を要するし、僕とシャルの判断と行動が優先される。手がかりが何処にあるか分からないのは今までの旅で十二分に分かっているから、少しでも可能性があるところに足を運んで調査すべきだろう。
 ダイレクト通話で説明を聞いたりルートやポイントを調べたりする間、所々で普通の会話を挟んでいる。こちらは折角洋菓子で有名なコウノ市に来たから、此処からほど近い三丸町に行きたいとか、有名な白姫城も行けそうだからそこに行こう、とか観光先を探すカップルそのもの。時間と金銭は問題ないから、どちらも順に行くことにする。1日だとゆっくり回れないから、白姫城があるシロキ市に宿を取る。そこからコウノ市方面に移動して、淡路島経由でヨクニ地方に入る計画。
 セキウ市に入るなら、もう少し西に移動してO県、以前にも訪れたアヤマ市に入ってそこからヨクニ地方に入る方法もあるけど、公安警察の尾行があるから、分かりやすいルートと世俗的な場所を転々とすることでそれを攪乱することも狙っている。三丸町や白姫城は観光客が多いところだから、尾行を攪乱するには良い。もっとも、攪乱したところで応援や交代要員が来るだろうけど、素直に尾行だけされるのは気に障る。
 パンケーキはフルーツソースも含めてトップクラス。メニューを見たらテイクアウトもあるそうだ。移動の途中で食べるのも良いだろうということで、2セット注文。これにも飲み物が付く。フルーツソースは蜂蜜レモンと葡萄を選んで、飲み物は今回も紅茶。精算時にテイクアウト分を受け取って店を出る。

「途中のおやつタイムが楽しみです。」

 ラゲッジルームのクーラーボックスに、テイクアウトしたパンケーキセットを入れるシャルはご満悦な様子。蓋とストロー付きのコップに入った紅茶は、移動途中で飲むからそれぞれの手にある。次に立ち寄る三丸町でも、めぼしい洋菓子店を見つけているそうだから、おやつタイムを充実させたいんだろう。移動は時に10時間を超えることもあるし、高速道路はSAやPAに入る必要があるけど、駐車場に難があることがある。これは一般道に並ぶ飲食店でも似たような傾向がある。予め買えるならその方が良い。
 システムを起動すると、三丸町~白姫城のルートがナビに表示される。これだけ見ると完全に観光ルートそのもの。ナビとHUDの案内に従って運転していく。それにしても、まさかコウノ市に観光で来るとは思わなかったな。コウノ市は洋菓子や洋館といった異国情緒溢れるお洒落な街として有名。僕には縁のない場所だと思っていた。ところが、誰もが注目する美人の奥さんと一緒に今から洋菓子を買いに行く。

「冷蔵保存も任せてくださいね。」
「シャルが選ぶものだから期待してるよ。」

 不穏な動きはあるけど、今は三丸町の洋菓子と、それをシャルと一緒に買いに行くことを楽しむことにする。下りの山道はスピードが出やすい。蛇行は当然変わらないから、登りよりも転落や対向車との衝突の危険が大きい。後ろの車より前のカーブだ…。
 三丸町の有名(らしい)洋菓子店巡りと白姫城見物を終えて、本来の目的地である大出神社へ移動中。高速道路を使うと思ったより早く移動できるものだと改めて思う。今はタツミSAに入って、三丸町で買った洋菓子の1つ、チョコレートを食べながらテラスの一席で休憩中。初めて見る白姫城は雄大で優美で、観光客を多く集め続ける理由が良く分かった。団体客も多くて結構な混雑だったけど、シャルと一緒に並んだり移動したり、最上階から市街地を一望したりするのは格別だった。

「美味しいですね。」
「うん。ついつい幾つも食べてしまいそうだから、注意しないと。」

 有名店らしくて買うだけで1時間並んだし、価格も想像以上だったけど、シャルにせがまれて全メニューを2個ずつ買った。金の心配をしなくて良いのは、こういう時にもありがたい。有名店は広報が先走って価格だけの見掛け倒しというリスクもあるけど、シャルが選んだ店だから味は間違いない。甘すぎず苦すぎず、ほろ苦さとシンプルな甘さが丁度良い具合に混じっていて、そこにメニューごとのアレンジが加わって、多彩な味を創り出している。

「毎回そうだけど、シャルが選ぶ店や食べ物には外れがないね。」
「情報収集と分析は私に任せてください。期待は裏切りませんよ。」
『相変わらずこそこそ尾行して撮影や盗聴を試みる連中よりは、能力が高いつもりです。』

 シャルがテーブル中央に置いたスマートフォンに、テラスと周辺の見取り図を表示する。僕から見て左斜め後ろに赤いマーカーがあって、そこには竜光寺近くのカフェで見た男女ペア、公安警察の諜報員がいる。白姫城の混雑では見失わなかったようだ。なかなかしつこい。

『駐車場で待機していましたからね。ヒロキさんと私が戻ってきたら尾行再開。その間私本体の写真を撮ったり、盗聴器やGPSユニットを接続していました。』
『写真を撮られるのもそうだけど、盗聴器やGPSは穏やかじゃないね。』
『写真や動画は即座に改竄していますし、盗聴器やGPSは即刻でたらめな通信をするようにプログラムを改竄しています。すべては徒労に終わっています。もっとも連中はそのことに気づいていませんが。』
『流石だね。』
『私に汚い手で触れるなんて論外です。私に触れて良いのはヒロキさんだけです。』

 シャルの情報防衛対策は非常に高度で完璧だけど、連中は僕とシャルに関する何かを掴むまで執拗に尾行を続けるだろう。恐らく、ヒヒイロカネの捜索と回収のために全国を巡っているという確証、ひいてはヒヒイロカネそのもの。あわよくばヒヒイロカネを奪おうとしているかもしれない。今後は公安警察をはじめ、Xの支配下にある国家権力との対峙が本格化するだろう。今まで経験したことがないことが続く。

「ヒロキさん、はい、あーん。」

 シャルがチョコレートの1個を手に取って、僕に差し出してくる。唐突に目の前の現実に引き戻されて面くらう。体温で溶けると手が汚れるし勿体ない。僕は口を開けてそのチョコレートを受け取る。受け取る時、どうしても指先を僅かに口に入れてしまう。シャルがこうしたら、当然僕も同じことをするよう求めるだろう。

「次は私ですね。あーん。」

 パンケーキを食べたカフェの時と同じように、両手を組んでそこに顎を乗せて口を開ける。全身が一気に火照るのを感じながら、チョコレートの1個を取ってシャルの口に入れる。同じく指先がシャルの口に僅かに入る。わざとじゃないけど、唇の感触がダイレクトに指に伝わると、全身の火照りが強まる。気のせいか周囲からの視線が痛い。

「こういう食べ方が出来るのは良いですね。」
「そ、そうだね…。」
「まだたくさんありますから、ホテルでもしましょう。」
「う、うん。」

 僕は動揺を取り繕うのに必死。僕がシャルの口にチョコレートを入れた時、シャルの口に僅かに指先が入ったのはシャルが僕の口にチョコレートを入れた時と同じ。これは不可抗力の範疇だろう。だけど、シャルがチョコレートを受け取る際に、シャルの舌先が僕の人前指の腹を軽くなぞるように動いた。これはシャル独自。あの舌の動きは…夜の時と同じ。偶然だと思うけど…。

「そろそろ行きましょうよ。」
「そ、そうだね。長居してられない。」

 シャルはチョコレートが入った箱の蓋を閉じて、席から立って大切に抱える。ホテルでも食後に楽しみたいんだろう。そのためにも、まずは今日の重要な目的、大出神社に出向いての調査を実行しないと。尾行が気になるけど、構ってられない。僕とシャルに手を出したら、行方不明か再起不能にされるだろう。今までがそうであったように。
 大出神社への道のりはシンプル。陽光自動車道に乗って西に走り、セキウICで降りて国道225号線で少し東に走る。かなり大きい川-千草川を渡れば直ぐだ。短いトンネルを抜けると眼前に海が広がる。神社が海に近いのは少々意外だ。HUDの案内に従って、海沿いにある観光駐車場に入る。此処にシャル本体を止めて、潮の香りを嗅ぎながら100mほど歩けば、大出神社に到着。巨大な石灯篭の向こうに寺と同じ形状の門が見える。

「あれが山門かな。」
「そうです。写真写真。」

 シャルはスマートフォンを取り出して、山門と石灯籠が写る写真を撮る。続いて、僕の腕を取ってさっきの写真の中央に僕とシャルが入る位置に移動して撮影。この時、カメラの方向を切り替えて、参道の方向も1枚撮影。

『尾行だけはしっかり出来ていますね。感心感心。』
『やっぱり尾行してるんだね。』
『何処かで事情聴取や逮捕の口実になりそうなものを出せないか探ってるんでしょう。逆に、自分達の行動も通信も筒抜けになっていることも知らずに。』

 シャルはスマートフォンで撮った写真を見せる。僕とシャルが山門を背景に写っているものが5枚、参道方向を写した、鳥居の影に人がいるのが分かる写真が5枚、そして、鳥居付近を上空から捉えた写真が5枚。上空からって…航空部隊か。

『はい。連中の尾行には戦闘ヘリが10機、上空には戦闘機が10機と早期警戒機が1機。連中が載っている車にはすでに諜報部隊が潜入済み。車内から移動中の会話から通信まで筒抜けですし、良からぬことをしたら即刻車ごと木っ端微塵か、この辺だと堤防から海にダイブしてもらいます。』
『尾行しているのに尾行されていることには気づいてないのか。』
『全然気づいてません。適当にジャミングしたりカメラの撮影にトラブルを起こしていますが、機器や通信の不調としか認識していません。その程度です。』

 やっぱりこの世界とシャルが創られた世界とでは、文明レベルが格段に違う。家屋くらいならミサイル1発で吹っ飛ばす戦闘ヘリが近くに10機も飛んでいたら、音で分かる筈。空を見ても、戦闘機らしい機影は何処にもない。既にジャミングや機器トラブルをシャルの気の向くままに実行して、やっぱり何も気づかれていない。公安警察の今後、否、生命はシャルの手中にあると言っても過言じゃない。
 さて、改めて参拝と調査。石段を登って山門を潜る。左手方向に社務所、正面には石段とその先に拝殿。石段を数えてみる。…確かに12段ある。右手方向には井戸があって、石柱に囲まれている。近づいて本数を数えてみる。…同じく12本。確かに12をキーナンバーにしているように思える。
 ひとまず参拝。その後に社務所で朱印とパンフレットをもらう。由緒にはシャルの説明どおりのことが書いてあるけど、聖書との関連性は流石に書かれていないけど、大出船祭りが9月12日に行なわれることや、秦河勝の墓がある幾島までの往復に使われる和船の数は12であることは記載されている。12と言うとまずは1年12か月や1ダースを連想するだろうから、聖書との関連性が分かっているとしても敢えて書かずに1年12か月や1ダースの方に意識を向けさせる意図があるのかもしれない。もっとも、神社本庁に属する大多数の神社が、聖書やキリスト教やユダヤ教と関連があると表立っていう筈はない。

『ヒヒイロカネの反応はある?』
『全く検出されません。此処もランドマークの1つと見た方が良いですね。』
『ランドマークという証拠は十分あるし、自分達で訪れて確認や撮影をするのは重要だと思うよ。』

 情報がどこまで正確かは、やっぱり実証や検討が必要だし、史学や地勢、考古学といった分野では自分で現地に赴いてのフィールドワークも欠かせない。文献は改竄もあるし、著者や周囲の意図で敢えて伏せられたり、別のものに置き換えられたりしていることは十分あり得る。Webには文献も含めた多くの情報があふれているけど、それが正確かどうかの保証は何処にもない。Webは正確という認識が何故か存在するけど、Webこそ改竄や意図的な隠蔽や誇張が溢れている。
 周辺の撮影も済ませて、境内を出て参道から一般道に出る。まだ時間の余裕があるということで、シャルが妙興寺への参拝もしたいと言い出す。参拝は良いけど歩くと時間がかかるんじゃないかと思ったら、石灯籠前が丁度分岐点になっていて、そこから10分ほど舗装された道を上っていけば良いらしい。参拝と調査、往路の時間を合計するとおおよそ30分~1時間。帰りは駐車場までたどり着ければ良い。折角だから参拝することにする。
 一旦境内を出て、写真を撮った石灯籠前へ。参拝時には気にしなかった左手方向に道が続いていて、そこを登っていけば良い。シャルと手を繋いで登っていく。道はコンクリートか何かで舗装されていて、雨や雪といった悪天候じゃなければ、スニーカーくらい履いていれば問題なく歩ける。この季節、暑くもなく寒くもないし、丁度良い運動にもなる。気になるのは尾行だけど、ここまでついてくるんだろうか。

『車が来るかどうかは常時早期警戒機で監視していますし、過失故意問わず突っ込んでくるようなら、そのまま崖下にダイブしてもらいます。』
『シャルを信用してないわけじゃないよ。相手がどういう手段で来るか分からないから。』
『戦車や戦闘機が複数突っ込んできても、ヒロキさんには傷1つ出来ないように防衛できます。安心して私と手を繋いでいてください。』

 シャルが車の制御系に干渉して、妨害や破壊をするのは造作もない。僕とシャルを執拗に付け回したホーデン社の渉外対策室員が、フロントガラスに偽の映像を映し出されて僕とシャルを追跡するつもりがトラックに全力で衝突して爆発炎上。両足欠損、全身火傷で再起不能に追い込まれたのは典型例。それ以外にも航空部隊が尾行中の公安警察に張り付いているし、崖下へのダイブより先にミサイルと機銃の集中砲火を食らって車ごとスクラップにされるかもしれない。その辺、シャルは容赦しない。
 車は登ってくる方も下ってくる方もなく、道路の法面寄りを歩く。少し傾斜は急だけど、歩けない程じゃない。道が舗装されているから足元に注意するストレスがないだけでも移動しやすい。森の中を進むような道だから、直射日光から守られている。その分薄暗いけどこれは致し方ない。こういうところでは街灯は期待しない方が良い。つまり、日が暮れる前に街に戻れということだ。
 ヘアピンカーブを曲がって坂を上ったところで、視界が開ける。ヘアピンカーブの外周側が広げられていて、その奥に瓦葺の屋根が見える。あそこが妙興寺か。シャルに確認してもらうと、妙興寺で間違いないという。ここまで来たなら参拝と調査をしないと無駄骨になる。
 境内にはそこそこの数の人がいる。車が寺の関係者のものらしい1台を除いて見当たらないから-そもそも境内には駐車場らしき場所がない-少し疑問だったけど、海の方向を見るとその理由が分かる。絶景だ。道を上ってきた時は意識してなかったけど、遠くに瀬戸内海を一望できる。南垂れで途中に高層ビルとかがないから、海と空とその境界線が遮られることなく見える。

「瀬戸内海を一望できる絶景スポットでもあるんだね。」
「絶景スポットとしての方が有名なようです。由緒などに関心がない人の方が多いですから。」

 寺社仏閣そのものに関心がないと、由緒とかは本尊とかはどうでも良くて、そこが「映える」かどうかが訪問の動機になる。実際、他の参拝客-便宜上こう言う-は建物などはそっちのけで海の方向の写真を撮ることに専念している。その分、僕とシャルは参拝と調査に専念できる。絶景の写真を撮るのは、その後で良い。
 由緒を読むと、確かに行基が建立して、本尊は如意輪観世音菩薩、中興の祖が天鵬上人、と事前の情報どおりのことが記載されている。そして、元々は大出神社の神宮寺で、明治維新後の神仏分離令で分離したことも書かれている。山の中腹にあるこの寺の歴史は随分長いことが分かる。

「此処も山道を登らないといけない場所だけど、そういう場所を敢えて選んだのかな。」
「それはあると思います。山岳信仰の名残とか、天道宗が身体と言葉と心を修行して高めることで、秘伝とされる教義を師から弟子に口頭で教え、伝授するという性質、とか考えられます。」
「寺に赴くまでも修行の一環、ってことか。」
「そういうことだと思います。」

 学校の掃除も禅宗の「日々の生活そのものが修行」というところから来ているというし、人力で資材を運ぶだけでもひと苦労だった時代だからこそ、修行や信仰の証として資材を運び、寺を建立したんだろうか。車が当たり前の現代の感覚で考えると史実の理解に齟齬が生じるということだろう。
 観音堂に結構な数の人がいる。境内からでも瀬戸内海が一望出来て絶景だけど、本尊がある観音堂からの眺めは更に凄いという。折角だから登ることにする。ただし、展望台じゃなくて観音堂、言い換えれば本尊の住居だから、まずは参拝。本堂と大師堂を参拝してから観音堂に赴き、参拝してから靴を脱いで上がり、本尊の裏手から階段で登る。

「凄い景色ですね。」
「これほどとは…。」

 人が多く集まる理由が分かる。少し霞んでいる水平線が、視界の端から端まで空の青と海の青に境界線を引いている。大小の島、転々と浮かぶ雲、手前の方に広がる街並み。行基も天鵬上人も、この景色を見たんだろうか。天鵬上人は、この景色を見て何を思っただろうか。

「もう少しすると、夕焼けで西の方が赤く染まると思います。」
「ちょっと混雑してきたから、下に降りて見ようか。」
「それが良いですね。」

 本来が展望台じゃないし、時間帯と場所を考えると想像以上の混雑を呈してきたから、境内に出る。水平線は森にかなり近づくけど見えないことはない。展望台と化した観音堂に対して境内はかなり空いているから、撮影もしやすい。シャルはスマートフォンを取り出して、僕にくっついてスマートフォンの画面をこちらに見せる。瀬戸内海を背景にした僕とシャルが映っている。

「このままの姿勢で夕焼けになるのを待つの?」
「はい。このくらいなら大丈夫です。あと2,3分くらいで夕焼けが始まりますから。」
「もしかして、動画撮ってる?」
「そうですよ。夕焼けに変わる瞬間なんて、なかなか撮る機会がないですから。待っていられませんか?」
「否、腕が辛いなら代わるから言ってね。」
「気遣いが嬉しいです。」

 スマートフォンを持つのをシャルから僕、僕から1回ずつ交代して待っていると、少しずつ空が西から赤く染まり始める。シャルは少し西方向に背を向けるように僕に促し、撮影を続ける。一度夕焼けに染まり始めると、空の青が赤に変わる速度は早まる。空の赤と、それを受けて赤く輝く瀬戸内海を背景にした僕とシャルの動画の撮影が続く。シャルはスマートフォンの角度だけ変えて、パノラマ撮影もする。

「十分撮れました。」
「ホテルに帰ってからTVに映してみたいね。」
「問題なく出来ますよ。TVにUSB接続できるのは確認済みです。」
「丁度良い時間みたいだし、暗くなる前に戻ろう。」
「はい。」

 赤く染まった空は、短い時間で深い藍色に取って代わる。妙興寺までの道のりに街灯はない。スマートフォンのライトはあるけど、片方が崖だし車が通らない保証はない。それに寺は夕方に拝観時間が終わる。空がまだ明るいうちに山を下りた方が良い。

『景色見物と動画撮影ですっかり忘れてたけど、ヒヒイロカネはあった?』
『大丈夫です。撮影中などに境内全てを調査しましたが、ヒヒイロカネは検出されませんでした。』
『うっかりしてた。』
『此処に参拝したいとか夕焼けを背景に撮影したいとか言い出したのは私ですし、マルチタスクは任せてください。』
『ありがとう。』

 ヒヒイロカネがなかったのは残念だけど、混雑に加えて公安警察の尾行もある状況ではなくて良かったかもしれない。不可思議な地理関係が確認できたし、シャルとの旅の思い出が1つ増えたから、これはこれで十分な収穫だろう。明日はヨクニ地方に渡る。高速道路を降りてからが長くて険しいから、十分休んでおきたい。