謎町紀行 第128章

囚われた前宮司の救出劇

written by Moonstone

 翌日、すっかり元気になったシャルに起こしてもらって、朝ご飯。サンドイッチは予想外だけど-今までシャルと食べた記憶がない-軽くトーストされていてサクッとした食感が加わって美味しい。ストレートのハーブティーのアクセントも良好。こういう味とセンスの両立は僕じゃ不可能。シャルの料理の腕が更に上がっているように思う。

「矢別さんの父親の所在が判明しました。予想どおりと言いましょうか、Ao県の自衛隊駐屯地です。」

 サンドイッチを平らげてハーブティーをもう1杯飲みつつ、映像付きでシャルの報告を聞く。Ao県モリサキ市にある自衛隊駐屯地。その奥まったところにある、懲罰対象者を収容する独房に、矢別さんの父親が監禁されている。食事はきちんと与えられているようで、衰弱はしていないものの、先の見えない監禁で精神が疲弊している様子が見られる。
 駐屯地はやや郊外にあるが、住宅や工場が点在する地域にある。駐屯地への突入と交戦は住宅や工場に影響が出る恐れがある。駐屯地の警備は通常の範疇。出入りはゲートを通らないといけないし、関係者と許可を得た業者以外は基本的に敷地に入れない。

「-こんな状況です。対象者の位置、警備の厚さ、兵力を総合して、駐屯地の制圧と対象者の救出は十分可能です。」
「…SMSAを展開して矢別さんの父親の救出に専念して、完了後は関係者の記憶を消す方向で進めよう。」
「SMSAを最初から展開、ですか?勿論、制圧と救出完了後には展開しますが。」
「もうXが僕とシャルの存在を知っていると見て間違いない以上、交戦や破壊の痕跡が残るのは避けた方が良い。」

 シャルの能力なら、駐屯地1つ制圧するのは造作もないだろう。だけど、Xが僕とシャルの存在を把握しているのがほぼ確実となった現状、交戦や破壊の痕跡を残すと、それがセキュリティーホールになって、Xやその配下にあると見て良い警察や自衛隊、政権党など政治家や大企業が排撃に使う口実にされる恐れがある。SMSAは万能じゃない。関係者の記憶を消したり操作したりは出来ても、破壊されたものまで修復できないし、そんな権限もないだろう。
 それに、少なくともXが食い込んでいる政権党と癒着している神社本庁という全国規模の巨大宗教団体は、僕とシャルの存在を把握して、全国の傘下の神社に警戒や通報を通達している。そのさなかに七輪神社がオオジン村と共に灰燼に帰した。被害が増えるのを避けるため、どこかに何らかの形でスパイを送り込んで、動向を調べていても何ら不思議じゃない。

「シャルの能力を信用してないってことじゃない。ただ、戦争することが目的じゃないから、救出だけして放置しようってこと。」
「方向性や理由は十分理解できます。敵を殲滅して安全を確保したうえで救出して撤退、という流れしか考えていなかったので、最初は疑問でしたが、本来の目的に立ち返ると適切かつ敵に攻撃の口実を与え難い方法だと分かりました。ヒロキさんの提案を採用します。」
「ありがとう。実際の手順とかはシャルに任せるよ。」

 SMSAを展開して救出に絞ることは、もう1つの影響も見込んでいる。独房からいつの間にか脱出していたら、駐屯地の警備問題になる。絶対表沙汰にはできないから、内通者や手引きした者がいたのかとか疑心暗鬼が先行すると思う。そこから内紛が始まるかもしれない。希望的観測だけど、内部からの破壊工作の一端になれば良いと思っている。

「SMSAを最初から展開するなら、ヒロキさんと私が現地に移動する必要はありません。救出後、検査と必要なら治療をして、健康が確認できたら宮司に身柄を引き渡します。」
「それで良いと思う。1つ気を付けるとすれば、矢別さんの父親を現地からこの村へ移送する時かな。救出した後だと、埒から監禁までの事実の発覚を恐れて、自衛隊が周辺に検問を敷くことも考えられる。」
「SMSAを暫く三岳神社周辺に待機させますか?」
「可能ならそうして欲しい。行方不明になっていた矢別さんの父親が戻ったら、その事実はすぐに集落全体、ひいては村全体に広まる。それをどこかに潜伏しているスパイが聞きつけたら、今度は…暗殺の対象になり得る。」
「!」

 前例がないわけじゃない。ハルイチ市のナカモト科学大学ハルイチキャンパスで、医学部長兼医学部付属病院長がノカナ原子力発電所で秘密裏に展開していたヒヒイロカネの研究が、僕とシャルの手でノカナ原子力発電所ごと破滅した際、入院で警察の捜査やマスコミの追及を免れていた医学部長兼医学部付属病院長などが、病院で飛び降り自殺した。確証はないけど、Xが送り込んだ刺客か病院内部にいたXの手の者が飛び降り自殺を装って口封じを図ったと見るのが自然だ。
 あの時は政権に間接的にでも関係がある大規模私立大学と電力会社の幹部だったから口封じがなされたけど、今回は取るに足らないと見ることもできる。だけど、見方を変えれば、今回の方が政権にとって危険因子と見ることが出来る。自衛隊に直接拉致監禁されたというのは、少なくとも公式に残る記録では前例がない。それがSNS隆盛のこの現代で一度明かされたら、もう歯止めが効かない。名誉棄損などで裁判に引っぱり出したら余計に悪化する。ならば過疎地の神社の宮司が将来を悲観して、という筋書きになるように暗殺する方が楽だ。
 考えすぎかもしれない。だけど、警察や軍隊が人権の尊重意識が希薄で、特に「身内」の不祥事を隠蔽したがる組織だというのは、様々な不祥事で露呈している。今回はそれらの不祥事とは一線を画している。自衛隊としては矢別さんの父親を絶対に外に出したくない筈。厳重な身辺警護が必要だと思う。

「…SMSAはその性質上、個人がこの世界に滞在できる期間が限られています。警備が長期間に及ぶ場合、一定期間で交代することになります。」
「それは、引継ぎがきちんとされるなら全く問題ないよ。担当の交代は何も珍しくないし、不自然でもないから。」
「分かりました。SMSAに宮司の父親救出と移送、その後の身辺警備を要請します。」
「ついでと言ったらなんだけど、こういうことって出来る?」

 僕はシャルに1つ提案をする。シャルは何度も頷く。

「何ら問題ありません。SMSAの救出と移送が完了した時点で実行します。」
「頼むよ。」

 表と裏の工作は恐らく万全。最初からSMSAを展開して実行まで依頼するのは初めてのケースだけど、前例に固執する必要はないし、そうしている場合じゃない。救出した後も水面下の戦いが続くだろうけど、こちらもSMSAの協力を仰いで対処するだけだ…。

「SMSAが宮司の父親の救出に成功しました。これからSMSA所属の医師が検査を行います。」

 その日の夜、早速計画が実行された。このスピード感は凄い。昼間でも構わないが、夜の方が僕の提案がより効果的になるとシャルが判断して、SMSAに夜救出を実行するよう指示を出した結果だ。流石というか、SMSAと自衛隊は死傷者ゼロ。SMSAが自身に死傷者が出ないように絶妙な立ち回りで、速攻で駐屯地を制圧して矢別さんの父親を救出。駐屯地から脱出したらすぐに関係者の記憶と痕跡を消すという早業をやってのけた。

「検査には1日ほど要します。時間が時間ですので保護施設に収容して安静にさせ、栄養補給をしながら外傷や疾病罹患の検査を先行して実施します。」
「無事救出できたなら、矢別さんの元に戻すのは体調が万全になったのを確認できてからで良いよ。それにしても、SMSAの能力は凄いね。夜間の急襲とはいえ、相手は訓練された軍隊なのに。」
「SMSAはその職務の性質上、厳しい選抜を通過した者が様々な訓練を受けています。急襲による制圧や対象者の救出は基本中の基本とされています。加えて銃火器など各種装備はこの世界のものより高性能で、光学迷彩も標準装備です。」
「ヒヒイロカネがなくても、この世界の文明レベルでは太刀打ちできないのが分かるよ。」

 シャル1人でもこの世界の警察と軍隊を殲滅できるだろうし、SMSAの能力の高さは群を抜いている。シャルが創られた世界の法律で「その世界のことはその世界で」とされて、基本的に不干渉なのは、この文明レベルの格差を悪用した侵略が容易に起こるからだろう。

「勿論、ヒロキさんの提案も忘れてはいません。確実に実行しました。」
「これが多少でも効果があって、矢別さんの父親に危害が及ばなければ良いんだけど。」
「早くも効果が出てきています。監禁していた人物がいつの間にか脱出していたこと、そして何者かが脱出を手引きしたと匂わせる痕跡があることから、駐屯地の混乱の度合いが急速に高まっています。」

 僕の提案というのは、SMSAが矢別さんの父親を救出して、敢えて脱出に誰かが関与したと思わせる痕跡を残すこと。人の出入りに乏しいところで、いつの間にか本来あり得ない脱出劇があり、所々に何者かが手を貸したとみられる痕跡-たとえば独房の鍵が本来の場所になかったり、監視カメラに不審な人影が映っていたりすれば、内部に手引きした者がいたのでは、という疑いが内部で急速に強まる。
 脱出した矢別さんの父親の行方を追うのと、内部での犯人捜しの両立は相当困難だ。何しろ絶対に事実が「外部」に知られてはいけない事態で、早々に脱出者の居場所を掴んで確保しないと、マスコミやSNSが知ったら破滅しかない。マスコミはまだ政権を通じて抑え込むことが出来るけど、SNSはまず不可能。しかも一度漏れたら瞬く間に拡散され、消去はほぼ不可能。SNSの運営は基本的に外資だから、政権からの圧力はほぼ通用しない。
 一方で、内通者を炙り出して内々に処分しないと、再び同じようなことが起こる恐れがある。一般市民を襲撃して監禁していただけじゃなく、本来表沙汰になったら困る事実-たとえば駐屯地内部のハラスメントや隊員の自殺などが、いつ何時漏らされるか分からない。いわば次に炸裂する機会を窺う遠隔操作付きの爆弾を抱え込むようなものだ。
 矢別さんの追手がなくなる可能性は残念ながら低い。だけど、手を少なくさせたり鈍らせたりすることは出来る。そう考えて、シャルに内部攪乱を依頼した。今のところはうまくいっているようだ。矢別さんの父親の健康状態に問題がなければ、三岳神社に戻す。矢別さんの父親が今回で懲りてくれれば良いんだけど。

「駐屯地の司令部から、情報保全隊に対して宮司の父親の行方を追うよう指令が出されました。」
「情報保全隊って確か…。」
「自衛隊のスパイ組織ですね。行方を追うことイコール口封じと見て間違いないでしょう。」
「部下が間違って拉致したなら、部下を処罰するかトップが責任を取って辞職すべきなのに。」
「身内第一で秘密主義、命令に盲従するだけの警察や自衛隊が、そんな殊勝なことが出来る筈がありません。それが出来るくらいなら、市民運動や労働運動の監視や弾圧に手を出したりしませんし、身内の不祥事を通常より厳しく処罰しますよ。」

 自衛隊も所詮は現在の国家体制を維持するための軍事組織。しかも警察以上に秘密主義。身内、特に上層部の不祥事は全力で守る=隠蔽する。一方で、現在の国家体制に反抗する動きは、正当な市民運動や労働運動も監視や弾圧の対象にする。政権党が市民運動や労働運動を敵視する側だから、その体制を維持する組織である警察や自衛隊が監視や弾圧に走るのは当然ではある。
 少なくとも、自衛隊が矢別さんの父親を暗殺する方針であると見て間違いない。矢別さんの元に戻されても、暫くの間、否、もしかするとかなり長い間、命を狙われ続けるだろう。一市民の立場で警察や自衛隊と戦うのは非常に厳しい。ましてや公安警察や情報保全隊のように、一般では知る人が少ない組織や部署が相手だと、戦うのはまず不可能。何時の間にか姿が見えなくなったり、不自然な死に方をして自殺と片づけられるかの、最悪の二者択一を迫られかねない。

「SMSAの身辺警備があれば、遮蔽物が一切ない草原で昼寝をしても大丈夫です。」
「SMSAの能力は十分信頼してるけど、矢別さん親子に知られないように警備や迎撃をするのは大変じゃないかな。」
「そういう訓練も受けていますし、その訓練や兵装から見て、この世界の武器や潜入手段なんてチャチなものです。」

 光学迷彩も標準装備で、銃火器は詳しく知らないけど、この世界のものより強力なのは間違いない。軍事や警備には素人の僕がSMSAの警備をあれこれ気に病んだところで、取り越し苦労とか余計なお世話とかいうものか。

「矢別さん親子の身辺警備はSMSAに委任するとして、今のところ、その矢別さんの周辺はどう?」
「今に至るまで不審な動きはありませんが、暗殺指令を受けた情報保全隊が向かっていますね。無線も傍受済みです。」
「先に矢別さんを拉致しておびき出すつもりか…。」
「そうでしょうね。勿論、そうはいきません。この程度の人数と装備で何が出来るというのやら。」

 実は、矢別さんが秘密裏に神社本庁と通じている確率を考えて、シャルに依頼して、矢別さんからの依頼を受ける際に監視要員をつけてもらった。これもSMSAの所属だと思うけど、それは僕が詮索することじゃない。その監視要員も十分迎撃できるだろうし、自衛隊が思い描くようには進まないだろう。

「…この件については、実質決着したと見て良さそうだね。」
「はい。私としては情報保全隊とやらの迎撃や捕縛より、宮司が持っている神社本庁関係の情報や、自衛隊とXとの癒着に着目したいところです。」

 さらっと言ったけど、やっぱり捕縛して尋問するつもりだな。状況を考えれば当然ではある。殺したらそれまでだし、なぜ自衛隊がトライ岳の情報を知るに至ったなど、現場ならではの情報を知ることが出来なくなる。恐らく、トライ岳に関する情報も情報保全隊が握っている。シャルから見れば、網にかかりに来る魚みたいなものだろう。

「情報保全隊の処遇はシャルに任せるけど、殺すのだけはやめてね。」
「勿論です。SMSAには最大限敵の生命を奪わないよう通達済みです。」

 SMSAが殺されることはあってはならない。重要度を言うなら、間違いなくSMSAの方が上だ。だけど、殺人を当然視してほしくない。任務遂行のためと言っても、殺人が罪という価値観はこの世界と同じだから、多少なりとも抵抗感や罪悪感が生じるだろう。それも、それらはサイコパスでもない限り長く続くという。SMSAには出来る限りそういった感情に苛まれる事態を避けてほしい。

「SMSAから報告が入りました。宮司の父親はやや疲労感が強いものの健康状態は良好。疾患の罹患や外傷はなし。今夜は検査入院として、明日三岳神社に移送するとのことです。」
「良かった…。怪我とか病気をしてたら、矢別さんの心労が増すだろうし。」
「随分気にかけてるんですねー。」
「!そういうのじゃないから!」

 唐突にシャルの声のトーンが2オクターブくらい下がる。普段の声色と全然違う、物凄く圧が強い声は、恐怖を抱かせるに余りある。表情は…少しむくれた顔で、ジト目で僕を見ている。これだけだと焼きもちを妬く彼女って感じなんだけど、声が加わると緊迫感が一気に高まる。

「気にかけているのはあくまでも重要な情報を握っている依頼者だからであって、シャルの方がずっとずっと可愛いし、大切だよ。」
「じゃあ、それを態度と行動で証明してください。」
「えっと…。」

 僕はシャルの顎に軽く手を添えて、少し上向きに力を加えてキス。続いて耳元である提案を囁く。シャルはぴくっと小さく身を震わせて、僕の肩に顔を埋めて小さく頷く。矢別さんの父親の件がひと段落する見通しだから、シャルへの愛情を証明することに注力しよう。まずは一緒のお風呂から…。