謎町紀行

第33章 続くデートと執拗な追跡

written by Moonstone

 翌日。朝食を済ませた僕とシャルは、ココヨ市の主要スポットにヒヒイロカネがなかったことを受けて、シャル本体で移動しての捜索に切り替えることにした。都市部はコンクリートジャングルと言われるほど建物が密集して入り組んでいる。ヒヒイロカネを隠すなら意外な穴場かもしれない。
 待っていて出て来てくれるものじゃないから、こちらから探し当てるしかない。それはこの旅ではむしろ当然のこと。幸いにして水素スタンドはかなり潤沢だから、充填の場所探しで苦労はしない。シャル本体に乗り込んで出発。シャルがルートを編成してココヨ市を含む近隣自治体を順に回る。制御は無論シャルで、僕はお飾りの運転担当。

「最初は…ココヨ港水族館?」
「不特定多数が多数居るという点で、ココヨ城址などと性質が類似しています。」

 言われてみれば確かに。ココヨ市に水族館があるなんて知らなかった。場所としては先日行ったココヨ埠頭から少し東にある。高速のインターだと1つ東側になるようだ。相変わらず車が猛スピードで突っ走り、クラクションが彼方此方で金切り声を上げているけど、シャル本体はスムーズに合流や車線変更をする。
 高速を降りて一本道を走ると、大きな駐車場が見えて来る。此処でも横断歩道には歩行者用信号があって、「徐行」や「速度注意」の標識が彼方此方にある。だけど、それを護っている車を探すのは困難なほどだ。シャル本体は信号を守って時に停車するけど、それすらも車に乗っていると我慢できないらしい。
 シャル本体は、実にスムーズに空きスペースに車体を収めて停車。地上3階地下2階の大型駐車場で、停車したのは地上3階。それもかなり埋まっている。かなり人気のスポットなんだろうか。エスカレーターで1階に降りて、そこから歩道を歩くと、正門に辿り着く。両脇にボールを鼻先に乗せたイルカが居る、大きな白いゲートが印象的だ。
 親子連れも多いけどカップルも多い。カップルが多いとどうしても反射的に尻込みしてしまう。何だか自分が場違いな気がするからだ。今は逆に周囲、特に女性が警戒している。「比べられたら敵わない」と言わんばかりに距離を取ったり、顔を背けたりする。逆に男性からは視線がシャルに集約される。ある意味興味深い傾向だ。

「手を繋ぐ他にアピールする手段が欲しいところですね。」
「それは、あっても人前では止めた方が良いよ。」
「仲が良いところを見て、自分もそうなりたいと思わないんでしょうか。」
「そういう人ばかりじゃないんだよ。ナチウラ市でその手の連中は結構居たよね。」
「あー。確かに居ましたねー。」

 シャルの声のトーンが俄かに下がる。シャルはナチウラ市で僕を殴打した連中に激怒して、一度目はヒヒイロカネで操って同志討ちさせて警察送り、二度目はめった切りにしてめった刺しにして集中治療室送りにした。例としては適切だったけど、シャルの怒りを再燃させたのはマイナスだな。
 チケットを買って入場ゲートを通る。チケットはICカード式。ゲートは駅の自動改札と同じ要領で、所定の場所にタッチすると開く形式。通勤は車だったから、ちょっと新鮮に感じる。ゲートを通ってすぐのところにあるのは、「海」のエリア。マグロやアジといった有名どころの魚が群れを成して泳いでいる。

「整然と群れで行動するんですね。」
「小さい魚は群れることで大きく見せるんだ。」
「マグロもですか?」
「サメに比べれば小さいし、群れで行動する方が餌を取るのに効率が良いんだ。」

 自然界ではサイズも重要だけど、攻撃手段を持つかどうかも食物連鎖の位置を決める要素だ。マグロはサイズこそ大きいけど攻撃手段を持たない。サメとか捕食者に対抗できる手段がないから、群れを成して大きく見せることが捕食の確率を少しでも減らすことに繋がる。
 マグロは身体の構造上、ずっと泳ぎ続けていないといけない。泳ぎを止めた途端窒息する。それは言い換えれば、危険が迫った時に身を隠してやり過ごすという手段が使えないことでもある。その上攻撃手段がないから、それを極力回避するには群れるのが一番だ。餌を取るにも集団で追いつめればより多く食べられる確率が上がる。
 シャルの質問は、マグロやアジを初めて見るものだ。考えてみれば、旅に出てからずっとホテル暮らしをしているし、それまでは駐車場で僕を待つ状態だったから当然か。魚が生きている状態で食事には出て来ないし。情報の収集や分析で知ってそうだけど、あえてそういった予備知識なしで居るんだろうか。

『そうですよ。折角のデートなのに、そんなことをしたらヒロキさんが興醒めですし、最初から来る必要もないってことになります。』
『確かに。あと、デートって言わなかった?』
『言いましたよ。これがデートでなかったら何ですか?』
『えっと、ヒヒイロカネの捜索ってものがあって…。』
『勿論早期警戒機を中心とする捜索システムは常時稼働中ですよ。相当近づかないと反応しないタイプもあるんですから、隅から隅まで回りましょう。』

 デートを兼ねているのかヒヒイロカネの捜索を兼ねているのか、どちらが主なのか分からない。シャルとのデートを嫌がる理由は何1つないけど、これで良いんだろうか?シャルは楽しそうだし、必要以上にヒヒイロカネを持ち出すのはそれこそ興醒めさせるものでしかない。デートしながらの捜索を続けるか。
 エリアは「海」から「サンゴ礁」、「湿地」、「深海」と移り変わっていく。魚の色や形状が明らかに変わって行く。「サンゴ礁」は一番カラフル。「湿地」は触れるコーナーがあって、小さい子どもが恐る恐る、或いは嬉々として触っている。蟹は割と触りやすいけど、ハゼは素早いし直ぐ逃げるからなかなか触れない。
 「深海」はお化け屋敷みたいな雰囲気だ。元々光が届かない暗黒の世界に生きているんだから当然ではある。団子虫を一気に巨大化させたような生物が、微動だにせずに鎮座していたり、口だけが巨大化した魚らしいものが泳いでいたり、音声次第で十分お化け屋敷になりそうだ。

「こういう形状になったのは、環境への適応の結果ですね。」
「少ない餌を効率的に捕るためとか、より安全に生きるためとか色々だけどね。」

 シャルはしげしげと観察する。環境への適応は、違う世界から来たシャルには一大テーマと言える。過酷な環境に適応している深海魚は、シャルが参考にしたいところかもしれない。とは言え、こちらの世界はシャルが創られた世界と比較してかなり温い。手加減する方に適応するのも大変だとは思う。
 アイドル顔負けの美女と奇怪な形状の深海魚という奇妙な組み合わせが暫く続き、「極地」のエリアへ移動。名前とは裏腹にこれまでより人口密度が高い。それもその筈。「極地」とは北極や南極のこと。こういう場所に居るのはお馴染みのホッキョクグマやペンギン。特にペンギンはスペースが格段に広い。様々な種類のペンギンが佇んだり泳いだり。これだけで客は集まる。

「ペンギンが人気ですね。」
「シャルはあまり関心がなさそうだね。」
「愛らしい容貌だとは思いますが、もっと近くで見たいと思うほどではないですね。…変ですか?」
「人の趣味嗜好は色々だから、シャルはこういう考えなんだ、って思うくらいだよ。」
「良かった…。」

 女の子だからペンギンとかを見て「可愛い」と歓声を上げたりしなきゃならないってことはない。余程合わないなら別だけど、趣味趣向が多数や主流と違っても気にならないつもりだ。ペンギンに視線が集中する筈が、ふと見たのが契機になったらしく、シャルに向けられる比率が上昇している。大人にはペンギンよりシャルの方が関心があるか。
 「極地」エリアの先は「観覧」エリア。此処はオープンの時間帯が決まっている。シャチとイルカのショーがあるからだ。次の開催まで待つのも良いし、此処を一旦飛ばして次のエリア「記念」に行くのもアリ。ちなみに「記念」はショップ。このネーミングは誰が考えたか知らないけど、ちょっと面白い。
 シャルに聞いてみると、見てみたいという。少し前に終わったばかりだから時間は1時間以上ある。こういう時、時間を気にしなくて良い立場だと、「何をしたいか」で考えれば良い。急ぐ用事もないから−厳密に言えば「ある」と言うべきなんだろうけど−見ていくことにする。
 席に座る前に、「記念」エリアを覗いてみる。人気があるペンギンやシャチ、イルカあたりがプリントされたクッキーやラスク、Tシャツ、水晶みたいな置物、大小様々なぬいぐるみなど色々。外は屋根があると言っても結構暑いから、飲み物を買っておく。飲み物はペットボトルでもコップでも、ペンギンとかがプリントされている。その分ちょっと割高。
 シャルに選んでもらうと、意外なことにノーマルな水。てっきり紅茶を選ぶかと思ったけど、紅茶は部屋でゆったり飲みたいものらしい。イラストタッチのイルカがプリントされた水のペットボトルを2本買う。合わせて、シャルが足を止めた水晶みたいな置物を買う。水晶のようにカットされた掌サイズの樹脂の中央に、ボールを鼻先に乗せたイルカが居る。

「え?良いんですか?」
「シャルがこれの前で足を止めたから、気に入ったんだろうと思って。」
「ありがとうございます。」

 僕は一応プレゼントってことで、ラッピングしてもらった置物をシャルに手渡す。シャルは置物を両手で持って表情を崩す。プレゼントした置物は価格で言えばこのショップの中では中程度。だけど、ただヒヒイロカネを虱潰しに探すだけの関係じゃないんだから、要所要所でこういうことがあって良い。シャルもそんなことを言っていたし。
 この旅をしていると、色々と感覚が曖昧になって来るところがある。曜日の感覚はカレンダーを見ても「今日は○曜日」と思う程度でしかなくなって久しい。時間の感覚は、シャルのおかげか割と朝に起床して夜に寝る生活リズムを保っているけど、何時までどうとか、時間を区切る感覚は怪しくなっている。
 仕事をしていた時は必須の感覚だろうけど、これらは今は不要だから消えていったんだろう。だけど、シャルが今僕の隣に居ること、僕の彼女であることは、時間の感覚とは無関係の筈だし、それを維持するよう心がけていきたい。プレゼントはその1つ。あまり大きいと運搬が難しいし、高価過ぎるとシャルが恐縮してしまう。
 シャルは大切そうに持っていた置物を、僕が渡した小さな手提げ袋に入れる。シャルの服装だと置物を入れる場所がない。ラッピングしてもらった際、僕は手提げ袋も貰った。全体が白で、両側の側面に正面ゲートにもあった、置物にも適用されている、鼻先にボールを乗せたイルカが2匹と「ココヨ港水族館」のロゴが明るい青で描かれたシンプルなものだ。
 ブランド店の手提げ袋は、その店での買い物を済ませた後でもファッション感覚で使う人が居る。こういうシンプルなデザインは飽きが来にくくて、服装に合わせやすい。シャルが使うかどうかは別にして、安心して持ち歩けるのは良い。シャルは手提げ袋も気に入った様子だ。
 ショップから戻っても、客席はまだ十分余裕がある。当初予定していた中央やや奥は先客が居たけど、少し脇に逸れれば席を選べる。僕はシャルと並んで座る。開演まで30分余り。退屈でもあり、ゆったりした時間を感じる贅沢な感覚もある。

「シャチやイルカのショーを見るのは…何時以来かな。」
「元カノとですかー?」
「!違う!」

 唐突にシャルの声のトーンが下がってびっくりする。ココヨ港水族館は僕が中学生くらいの時に出来て、夏に家族旅行で来たことがある。その時のことは殆ど覚えてない。確か…新幹線で来たんだったかな。その頃のことを覚えていたら、ココヨ市の現状の謎、ひいてはヒヒイロカネが見えて来たかもしれない。
 徐々に人が集まって来る。家族連れとカップルの比率はこれまでと変わらない感じ。客席が詰まって来るに従って、シャルへの視線の集中が強まる。主役である筈のシャチやイルカがそっちのけにされてしまうんじゃないかと錯覚してしまう。根元まで完全な金髪がやっぱり珍しいのもあるけど、容貌のレベルが違い過ぎる。
 ふと気付いたことがある。シャルが視線を集めるのは、ハイレベルな容貌も勿論あるけど、姿勢が凄く良いのもある。ガチガチの硬いものじゃなくて、自然な感じで背筋が伸びている。これだとスタイルの良さが際立つ。シャルはそういうところも考えて今の姿を維持してるんだろうか。

「猫背だと陰鬱な雰囲気が出ます。姿勢を良くするだけでも見栄えはかなり変わってきます。」
「考えてるんだね。」
「ヒロキさんだって、隣の彼女が猫背で俯いていたら、良い気分はしないでしょう?」
「そうだね。」

 どうもデート=女性をもてなすという図式があるけど、本来は相性を確かめたり、2人の時間を楽しむためのもの。俯いていると何かあったのかとか、デートが嫌なのかとか気になる。楽しもうにも心から楽しめないし、相性が合わないと分かってもその場は取り繕って「御免なさい」すれば良いことだ。
 客席が埋め尽くされて間もなく、ショーが始まる。唐突にイルカが何匹か同時にジャンプして、それと交差する形でシャチが大きくジャンプする。水飛沫が激しく飛散する。前の方の席にはレインコートが配布されていたのはそのせいか。ちょっと濡れる程度じゃ済まない。それを承知で前の方に陣取ってるんだろうけど…。
 ショーが終わって客席から大移動が始まる。この客席は総入替制だとショーの終了後に説明があった。だから僕とシャルが到着した時に閑散としてたのか。ショーはイルカとシャチが微妙なタイミングと高さで交錯したり、ボールや輪でシンクロした曲芸をしたりで、頻繁に大歓声が上がる大盛況だった。
 ショーの観客をざっと観察した限り、公道の無法地帯ぶりとは無縁に見えた。車に乗ると人格が一変する人が多いんだろうか?ココヨ市に限ってそういう人が多いとなれば、そこに何らかの背景があると考えられる。ヒヒイロカネが絡んでいる可能性もあるけど、人間の感情まで操作できるんだろうか?

『ヒヒイロカネは人格OS搭載という条件付きで人間の感情を表現することは出来ますが、他者の感情の操作は出来ません。ヒロキさんと私がそうであるように。』
『車に乗って車道に出たら戦場と思え、って意識が定着してるのかな。』
『これまでのところ、ヒヒイロカネのスペクトルは検出されていません。ヒロキさんの推測が妥当な線かと。』
『地域性、か。車に限らなければ変わった風習とか法律無視のローカルルールとかあるのは事実だから、そうなのかな。』

 一歩外へ出たら戦場。実際の紛争地帯じゃなくて、日本有数の大都市でそんな表現がしっくり当てはまる現状。ホーデン社を頂点とする歪な階層社会の形成が、この地域の人々の意識に深く根を下ろした結果なんだろうか。本来なら警察が厳しく取り締まるべきところだけど、ホーデン社相手だと腰砕けになる体たらくじゃ、望むべくもないか。
 肝心のヒヒイロカネは未だに見つからない。歪な階層社会と序列意識が根付いた町というだけなら、早々に次の候補地に向かった方が良い。シャルが制御しているとはいえ、この町の道路事情は精神的にきつい。シャルも人格OSを持つから精神的なストレスは感じる筈。シャルの精神衛生の観点からも、不必要にココヨ市に滞在する理由はない。

『絡んで来たら痛い目に遭ってもらうだけです。』
『過激なことはしないでね。』

 シャルの報復や制裁は本当に容赦がない。シャルから見れば、人間の身体なんて物凄く柔な、吹けば飛ぶようなものでしかないだろう。その気になればミサイルを撃ち込むなんて序の口。乗員ごと車をスライスチーズみたいにすることすら造作もないだろう。シャルが心配なのは勿論だけど、シャルに絡んで来る輩はまさに生死がかかるんだよな。

「お昼ご飯にしましょう。店は予約しておきました。」
「手際が良いね。」
「ヒヒイロカネ捜索には、栄養補給が欠かせませんよ。」

 それはもっともだけど、シャルの大きな目的はデートにあるような気がする。かと言って、シャルとデートってのは僕自身悪い気はしない、否、むしろ嬉しい。シャルが常時捜索体制を継続してくれているし、少しはそれに甘えるのも良いかな。
 ショップを通り過ぎると出口。此処も自動改札と同じでカードをかざす。これでカードに出場が記録されて再入場できなくなる仕組みだ。カードはゲートを出たところにある透明なボックスに投入すれば良い。シャルは、水族館から徒歩で行ける場所にあるイタリア料理店を押さえたという。
 シャルの案内で異国情緒漂う通りに出る。シャルの説明では、水族館があるこの一帯はココヨ埠頭公園といって、水族館の他、科学館やかつての南極観測船があって、野球場やサッカーグラウンド、テニスコートもあるそうだ。そこへ来た人を主な対象にした飲食店街が此処だという。
 シャルはその中ほどにある、小さいイタリアの国旗が掲げられた店を指し示す。何となくだけど高級感がある。土地柄、気軽に入れることを重視する=ファミレスに近い店だと思ってたけど、この店は小学生未満やタトゥー刺青の入場を断ることが明記されている。他の店と一線を画すためだろうか。
 誰でも入れるってことは、ともすれば店内がカオスになるリスクもある。ゆったりした雰囲気の店内は、そのリスクを回避した結果だろうか。シャルが予約の旨を告げると、応対に出た店員が奥の席に案内してくれる。2人用のテーブル席で向かい合って座る。

「ピザが気に入ったみたいだったから、イタリア料理店を選んだの?」
「それもありますけど、他にも食べたいものがあって。」

 シャルはメニューを広げてあるものを指差す。リゾットか。ランチメニューにも含まれている。シャルにそれを教えて、ランチメニューにする。ディナーメニューもあって、こちらは本格的なコース料理のようだ。思ったより本格志向の店らしい。シャルはこういうところのセンスも良い。
 ランチメニューで飲み物をソフトドリンクにする。僕は車を運転する体だから、間違っても飲酒運転になることは出来ない。僕が助手席に座ってもシャルが制御してくれるだろうけど、ココヨ市だと女性が運転するとより危険が増すという碌でもない道路事情。シャルを危険に晒すことはしたくない。

「良い店を探したね。」
「食事はゆったり落ち着いて食べたいので、騒々しさの要因が少ない店を選びました。」
「こういうところだと、客を多く入れる方を選びそうなものだけど。」
「店の雰囲気を重視する場合、客層を絞り込むことも重要な選択肢の1つのようです。」

 賑やかも度を過ぎれば喧騒になる。ファミレスタイプの店ならそれでも良いだろうけど、ゆっくり食事をしたいとか、気心知れた相手と歓談しながらの食事には不向きだ。客層を絞り込むと悪評を流されるリスクはあるけど、店が志向する雰囲気や客層が良いという客が固定化するメリットの方が大きいと見る場合もある。
 少ししてランチが運ばれて来る。きのこのリゾットとベジタブルピザ、野菜サラダとブイヨンベースのスープ、更にドリンクという立派なメニュー。サンプルやメニューの写真に負ける例は多々あるけど、これはサンプルや写真を反映したものだ。価格は割高だけど、店の雰囲気と食事の内容を見れば十分だ。

「…チーズ味の雑炊といった感じです。」
「率直だね。美味しい?」
「はい。チーズと米の組み合わせには慎重でしたが、人気メニューとされるだけのことはあると思います。」

 膨大な情報の収集と分析を得意とするシャルだけど、味覚や嗅覚といった五感はそれらで一律に決まるものじゃない。此処にも個人差や好みが出るのは人格OSのレベルの高さ、否、次元の違いを感じるけど、シャルが初めて食べるものは、これまで食べた味と好みから美味しいかどうか判断するようだ。本当に人間そのものだ。
 シャルが人型を取るようになって一番楽しんでいるのは、食事の時だと思う。特に今回のように初めて食べるものには好奇心旺盛なところを存分に発揮する。人格OSのままだったら水素しか取り込めなかったものが、様々な色や形や味の食事を取り込めるんだから、楽しみなのも理解できる。

「店を選ぶのは前提として、美味しいものが多いですね。」
「食事の系統−和食とかイタリア料理とかには、特にこだわりはない?」
「美味しいことと、全体のバランスが取れていれば特にこだわる点はないですね。バランスというのは明らかにミスマッチな食材や料理の組み合わせのことです。リゾットのような例もあるので、組合せだけでの判断は難しいようですが。」
「食は奥が深いっていうから、訪れた先の食事を意識的に食べるようにすると、その土地の事情とか歴史とかが分かるかもしれないね。」

 旅行の醍醐味は現地の料理を食べることだという。これまで旅行らしい旅行をしなかった僕は、せいぜい出張先でつまらない飲み会に付き合わされて、偶に出くわした美味しい料理も満足に食べる機会が殆どなかった。シャルと出逢ってからこの旅に出るまでの方が、むしろ彼方此方に出かけて地元の食事に接する機会が増えたくらいだ。
 シャルとこの旅に出て、その土地にはその土地ならではの料理や味が息づいていると感じる。チェーン店の隆盛で料理や味が均一化しているのは確かだ。それでもその土地の料理や味付けはメニューに紛れて生き延びていたり、立ち寄った店が良い店で美味しい料理と出くわすこともある。
 この店のように、他の店とは一線を画して雰囲気や味を大切にする店もある。そういう店を探してひと時をゆったり過ごすのも良いだろう。シャルも発端は僕の治療と看護のためとはいえ、人型を取ったことで食事という新しい世界に触れることが出来た。シャルが1つでも多く楽しい経験が出来るように、僕も出来ることをしたい。
 話をしながらゆったり食べて、アイスティーを飲んでいた時、シャルの眉間に深い皺が出来る。

「どうしたの?」
「…例のSUVです。」

 シャルがスマートフォンを操作して映像を表示する。これは…駐車場の映像か。前に停まっているのは…あのSUV!あの男はこっちを−つまりはシャル本体を忌々しげに睨みつけている。偶然見つけたのか?まさか、此処まで追って来たのか?どちらにせよ、何かしてやりたそうな顔には違いない。

「私を特定したのは間違いないようですね。」
「何がしたいんだ?」
「狂人の思考を理解しようと思わない方が良いです。ヒロキさんの思考も染まってしまいます。」

 辛辣な言葉だけど、間違っているとは言えない。歩道を歩いていた僕とシャルを、車線を超えてまで接近して恫喝したと思ったら、今度は多くの車が犇めく駐車場でシャル本体を特定して待ち伏せている様子。煽っても動じなかった−そもそもスピードは十分過ぎるほど出ていた−のがそんなに気に入らないのか?

「トラブルになると厄介だな…。このSUVもホーデン社のだと、警察もあてにならないし…。」
「ヒロキさんは何も心配しなくて良いです。私の隣で傍観していてください。」
「難しいと思うけど、大事にならないようにね。」
「はい。」

 わざわざ空くのを待っていたのか知らないけど、シャル本体の前に陣取って僕とシャルの帰りを待つなんて、余程暇なんだろうか。暇でも構わないけど、僕とシャルに付き纏っても無意味だし、何よりシャルを悪戯に刺激すると激しい制裁が待っている。味方する気はないけど、命が惜しかったら早々に退散したほうが良いんだけど…。
 昼ご飯を食べ終えて、商店街を回って駐車場へ向かう。直前に確認したところ、残念ながらまだ陣取っていた。嫌な予感がしてならないけど、隣のシャルは水族館でプレゼントした置物が入った手提げ袋を持って上機嫌。置き場所は兎も角、シャルが嬉しそうなのを見ると僕も嬉しい。
 シャル本体があるエリアに入る。と同時に激しくクラクションが鳴らされる。方向は間違いない。あのSUVだ。「俺が此処に居るぞ」というアピールだろう。けたたましい音量に僕は思わず足が止まる。だけど、手を繋いでいるシャルに引っ張られる形でシャル本体に近づく。

「五月蠅い猿が居るので、ヒロキさんの聴力を保護します。」

 耳に一瞬軽い異物感が生じた後、クラクションの音量が大幅に絞られる。ちょっと鬱陶しいノイズ程度だ。あのSUVの位置は、正確にはシャル本体のフロントに向かって斜め右。正面より1台分ずれたところ。僕とシャルがシャル本体に近づくにつれて、クラクションの間隔が短くなる。「こっちを見ろ」という意味か。

「さ、次の目的地に向かいましょう。」
「それは良いけど、あのSUVはどうする?」
「追って来たければそうすれば良いです。ちょっとでも危害を加えたら、ご自慢の車と一緒に消えてもらうだけです。」

 シャルはまったく意に介さずに本体のロックを解除する。僕が運転する体だから僕が乗り込まないと話にならないし、第一怪しい。本体に乗り込むと遮音性能の高さでクラクションは全く聞こえなくなる。システムが起動してナビに目的地の経路、HUDに周囲の状況が表示される。あのSUVが縁で囲まれて吹き出しに何か記載されている。

「『HORNET S Grade 20xx年製』…ホーデン社の車?」
「ご存知でしたか。新機能を追加しました。標的のごく簡単な情報をHUDに表示します。」
「車に詳しくないから良く分かるよ。後ろだとどうなる?」
「HUDの上部に、私との距離を含めて表示できます。」

 凄い機能がまた1つ追加されたな。自分自身で必要な機能を考えて追加・強化できるなんて、この世界の文明レベルじゃ到底できないことだ。さて、あのSUVがどう動くか…。シートベルトを締めるとドアロックが作動して、シャル本体がゆっくり動き始める。
 SUVが出て来るかと思いきや、SUVは動かない。シャル本体が通路に出て本格的に移動を始めても尚、SUVは追ってこない。此処まで執念深く探して待ち伏せまでしていたのに、いざ僕とシャルが乗り込んで移動を始めても追いかけて来ないなんて…!

「制御系に干渉して、エンジンをかからなくしました。ちなみにロックも解除できないようにしました。勿論、時間制限つきですから生命の危険はありません。」
「そういうことが出来るんだったね…。」

 シャルは車を問わず機器を自由に操作できる。電子制御が主体の車は特に操作しやすいそうだ。これまでも煽ってきた車を交差点の真ん中や携帯も圏外になる山道で立ち往生させたりしてきた。これでもまだシャルのキレ方は大人しい方。本当にキレたら洒落にならない報復を躊躇しない。あの男にとってはこの程度で済んで幸いだと思った方が良い。

「時間制限はどのくらい?」
「8時間です。」
「え?今から8時間だと閉園時間に間に合わないんじゃ。」
「そうでしょうね。せいぜい御立派なSUVの中から、水族館の職員に怒鳴ることです。それが通用するかどうかは別として。」

 今更気づいたことがある。8時間ロックも解除できないとなると、トイレにも行けないってことじゃないか?あの男がSUVから出ない事情は分からないけど、愛車に相当入れ込んでいると考えられる。その愛車で失禁したとなったらあの男にとっては発狂ものだろう。地味だけど強烈な報復だ。

「さ、あんな馬鹿猿のことは放っておいて、次の目的地はたくさん遊び所がありますよ。」
「えっと、目的地が大浜ワンダーランドってなってるんだけど、此処って確か大きな遊園地じゃ…。」
「そうですよ。ハンドルは握っておいてくださいね。」

 完全にデートになってる。…ヒヒイロカネ捜索システムは稼働中だし、あの男やSUVのことを忘れるには丁度良いか。遊園地に行くなんて子どもの時以来かな。大人になって行く遊園地は見えるものも感じるものも違うんだろうか…。
 日は落ちて空は真っ暗。港の夜景が見えるレストランで夕食。この大浜ワンダーランド、名前だけは知ってたけど、物凄い急角度のジェットコースターをはじめとする大小様々な乗り物はあるし、広大なプールもあるし、今僕とシャルが居るレストランやフードコートもある。夏場は夜9時まで営業している理由が良く分かる。
 レストランは遊園地に来るような小さい子どもが居る家族連れじゃなくてカップルや男女のグループを対象としたものらしい。店内は至って静か。シャルはこういう店でゆったり食べるのが好きらしい。遊園地の乗り物がどれもダイナミックな動きをするものだったから、食べる時は落ち着きたかった僕としてもありがたい。
 シャルは本当に楽しんでいた。こういう遊園地は知ってはいたが、乗り物を実際に乗れるとあって−車のままじゃ絶対無理−、シャルは順番待ちも厭わずに乗れるだけ乗った。僕はジェットコースターが苦手で必死に握り棒にしがみついていたけど、シャルは凄く楽しそうな笑顔で歓声を上げていた。
 ジェットコースターなど動きの激しい乗り物は、この時期午後6時で終わる。日が落ちると安全面で問題があるからだろう。観覧車とかは閉園時間まで動いている。LEDのカラフルな光を伴いながらゆっくり回転している様子が窓から見える。遠くに見えるココヨ港の夜景もなかなか綺麗だ。

「凄く楽しかったです。」
「本当に楽しそうだったね。」
「候補地検索で此処が浮上して、調べてみたら凄く興味が湧いて。水族館から移動して十分遊べると思ったんです。」
「高速道路が少し混んでたけど、スムーズに来れて良かったね。」

 大人気らしいこの遊園地への出入りは、主に2系統ある。1つは高速道路の大浜インターチェンジで降りてパーキングエリア経由で入る方法。もう1つは国道11号線から県道44号経由で入る方法。遠距離からだと高速道路の方が便利だけど、休日や年末年始とかだとインターチェンジ付近が渋滞を起こすらしい。
 今日は高速道路が多少混雑していたけど、インターチェンジからはスムーズに駐車場に入れた。駐車場も混雑はしていたけど、誘導に従えばスムーズに駐車できた。この大浜ワンダーランドはA県じゃなくて隣のM県だけど、高速道路こそ追越車線を何かあったのかと思うほどのスピードで走っている車はいるけど、車間を詰めてクラクションを鳴らしながら追い越していく車は居なかった。県を隔てるとこうも違うんだろうか。

「明日はプールに行きましょうね。」
「プールって、此処の?」
「はい。此処に隣接するホテルを確保しましたから、明日はゆっくり出かけましょうね。」

 うん、完全にデートだ。あと、あのSUVの男に対する嫌がらせに近い挑発も兼ねてると思う。8時間SUVに監禁されて、ようやく移動できたと思ったらココヨ駅近くのホテルには戻ってこなくて、丸1日以上待ちぼうけを食らわされる。自業自得とは言えなかなか酷い挑発だ。
 それを見越していたのかどうかは分からないけど、ホテルを確保して水着も持ってきているという。シャルの水着姿を見たいのは勿論だけど…、これで良いんだろうか?シャルが楽しんでるし、ヒヒイロカネ捜索は常時続いているから、明日のプールを楽しんだ方が良いな…。
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