謎町紀行

第26章 野望の牙城に轟く魔物の咆哮

written by Moonstone

 翌日。シャルと、強い刺激が続いてやや寝不足気味の僕は、朝食を運んできた旅館の人から深夜の喧騒について聞いた。別の民宿に泊まっていて、一昨日の国道での乱闘騒ぎで警察に連行された若い男性6人が、シャル本体である僕の車の周辺で血まみれになって倒れていると通報があって、警察と救急が駆け付けた。
 男性は病院に運ばれたが、全身を鋭利な刃物らしいもので切られ、同じく鋭利な千枚通しのようなもので全身を刺されていて、生命に別条はないが出血多量で意識不明。現場には刃物らしいものは落ちていなかったが、男性が小型のナイフを持っていたことから、銃刀法違反と傷害の疑いで回復次第事情を聴く方針だという。

『旅館の人も、警察発表以外のことは知らないみたいだね。』
『連中を切り刻んだ時も、私本体に血が付着したり、私本体を囲む形にならないようにしましたから、今度は刃傷沙汰かと思われるだけですよ。』

 こういう話は、念のためダイレクト通信で話す。シャルは怒りの報復を繰り出す際も、きっちり痕跡を残さないように対処していた。切り方による血飛沫の飛び散り具合とかも計算の上なんだろうか。そこまで緻密に分析した理由は、連中の血が1滴たりとも自分に付かないようにという思いだろうけど、その気持ちは十分理解できる。

「そういえば、昨日シャルは僕に1つ話したいことがあるって言ってたけど、それって何?」
「連中は全員、ヒョウシ理工科大学の学生です。」
「学生がこの時期大学の外に居るのって、そんなの別に…!」
「思い出しましたか?ヒョウシ理工科大学の学生は、指定時間以外外出禁止です。なのに何故、大学から数十km離れたこの町に屯していたか。」

 数々の蛮行により、ヒョウシ理工科大学には様々な綱紀粛正が対策されている。指定時間以外の外出禁止はその1つ。しかも、ナチウラ市と大学があるヒョウシ市は、50kmくらいは離れている。にもかかわらず、その学生がナチウラ市に滞在していた理由は?

「連中の素性は、ヒョウシ理工科大学関連のSNSを検索した結果判明しました。」
「サークルやクラブならあっても不思議じゃないけど、他の大学と試合とか出来るのかな?」
「必ず大学当局に許可を取り、専用のバスで移動することになっています。これらの記録は全て保管と公開を義務とすることが、綱紀粛正策の1つです。」
「一体そうなる前に何があったのか、考えたくないね…。」
「連中はサークルやクラブの所属ではなく、大学の研究室の学生です。」
「研究室の学生…。研究室の旅行とかなら分かるけど、それも大学の許可が必要だろうし。」
「そのとおりです。しかし、大学当局が保管している外出記録には、連中の名前はありません。連中がナチウラ市に来たのは1週間前。大学当局が学生の外出記録を怠れば、周辺住民や市議会からの強い批判は避けられません。」
「…あまり考えたくないけど、研究室の教授が秘密裏に学生を外に出したとか?」
「状況からして、その確率が高いと考えられます。」

 どんなに綱紀粛正策を打ち出しても、「破ったところで抗議や要請を聞き流せば良い」とか「これくらいならばれても大したことはない」とか傲慢な考え方が根底にある限り、遅かれ早かれ同じことが繰り返される。沖縄の米軍犯罪もそうだし、政財界の汚職もそうだ。ヒョウシ理工科大学にもそういう考えがあっても不思議じゃない。
 そちらは別問題として、もし教授が秘密裏に学生を外出させたなら、何の目的で?しかも1週間とか、ばれたらシャルの言うとおり大事になりかねない長期間。何かある。これまでのヒヒイロカネに纏わる人間の薄汚い部分の露呈から、そう感じざるを得ないものがある。

「シャル。問題の学生が所属する研究室とその教授について調べてくれる?」
「勿論です。経歴から全て洗い出します。1日あれば十分出来ます。」
「頼むよ。」

 政財界の癒着によるヒョウシ市の負の遺産、ヒョウシ理工科大学。刑務所周辺でもないような厳しい外出制限が学生に課せられていて、それでも尚外に出たら暴力沙汰を起こす品性の欠片もない学生。その学生を秘密裏に外に出す教授。何かあるとしか思えない。もしかしたらヒヒイロカネ、つまりクロヌシとも関連があるかもしれない。
 今のところ、ヒョウシ理工科大学とクロヌシの関連性は見えない。ヒョウシ理工科大学の設置は、これまでの経緯からして長くてもせいぜい20年あるかないか。一方、クロヌシは宝玉とされて安置されていた記録媒体のログから350年は前から存在するらしいから、時間スケールでは到底接点がないように見える。だけど、ないとは言い切れない。
 タカオ市の例では、旧シシド町の住民かつ市民病院の勤務医として潜伏していた手配犯が、市長を抱き込んでいた。クロヌシを使ってこの地を支配していたらしい別の手配犯と同時期にこちらの世界にヒヒイロカネを持ち込んだんだから、350年前からこちらの世界で生きていた。物凄い長寿だし、手配犯の時間スケールなら今も何らかの形でクロヌシと繋がりがあるかもしれない。
 教授の経歴を見ないと断定は出来ないけど、タカオ市の例と同様に手配犯が背乗りをしていることも考えられる。手配犯は間違ってもシャルが創られた世界に戻れないし、ヒヒイロカネを隠すか使うか、使うなら利用できそうな人間を抱き込んで、こちらの世界で生き延びようとしている。逆に、手配犯が利用されてヒヒイロカネを悪用されているかもしれない。
 この世界とヒヒイロカネは絶対に相容れないと痛感している。欲望を前面に出して、人を踏み台にしてでも実現した者が勝ちとされるこの世界では、到底ヒヒイロカネを正しく扱えない。オクシラブ町では3つの集落がほぼ全滅。タカオ市では死者は出ていないけど例の相互監視条例で多くの被害者が出ている。このナチウラ市でも恐らく相当数の犠牲者が…。
 夜、色々な情報が一斉にシャルに集約されて来た。部屋で料理を食べながらシャルの説明を聞く。1つは、クロヌシ=ヒヒイロカネの存在が発覚するきっかけとなった事件で残された、被害者の脚に関する情報。司法解剖の結果、極めて鋭利な刃物のようなもので寸断されたと断定された。他の部位が見つからないことから、警察は傷害と銃刀法違反、そして逮捕監禁の容疑で捜査を開始している。
 シャルが僕を殴打した連中に繰り出した「乱れ斬り」を思えば、クロヌシが食べ損ねた脚が綺麗に切り落とされた形になったことは十分理解できる。クロヌシは言い伝えどおり、海鳴りがする夜に現れて海岸を不用意に歩く人間を食らっているんだろうか。シャルが創造した戦闘ヘリが偶然捉えた映像からも、そういう推測が現実味を帯びて来る。
 もう1つは、僕を殴打した連中の詳細。全員がヒョウシ理工科大学の学生で、非常時行動工学研究室という実存の研究室の院生だと分かった。あんなヤクザな言動で院生とは驚きだけど、1人も研究の実態がない。院生なら何らかの研究活動で実績を出すことが、特に理工系では就職には必須。なのにその実態がない。
 連中が所属する非常時行動工学研究室というのも胡散臭さ満載だ。「国家への武力攻撃や領土侵略における国民の動向を科学的に解明し、安全保障政策に貢献する」とあるけど、それを裏付ける研究実績がない。主宰教授の元陸上自衛隊三佐、右翼団体所属などの経歴がいかにもという感じで、それに関連する行動が研究実績とされている。
 研究室のWebページはあるにはあるけど、主催教授に同行して右翼団体の集会や関連議員のパーティーに参加した際の悪ふざけとしか見えない写真や、それに関する威勢の良い文言が並ぶだけ。到底研究と言える内容じゃない。SNSのレベルだ。SNSはそういう性質も持つけど、大学の研究室が研究実績として出すような内容じゃない。
 やはり、大学当局に連中の外出申請は出されていない。事件は報道こそされていないけど、ヒョウシ理工科大学の学生だと発覚したら、地元地域からの激しい非難は避けられない。ヒョウシ理工科大学を経営する学校法人をグループ企業とする衆議院議員の首も怪しくなる。そんな危険を冒してまでも何故学生を外出させたのか。これは調査を継続中だ。

「一気にきな臭くなってきたね。」
「全く同感です。」

 これまでの例と重なる部分がある。それは「行政や議員などの権力や、それを強く志向する人に取り入っている」こと。オクラシブ町では町長に、タカオ市では市長に接近して町全体を実験場にしたり、現代版治安維持法を敷いてもの言えぬ社会にした。ナチウラ市とヒョウシ市も、元財務相の衆議院議員とそのお抱え企業グループ、その企業が運営する、ヒョウシ市にとって負の遺産となっている大学。共通点は多い。
 そこから考えられることは2つ。あの院生達は、クロヌシの動向を探るため教授の命を受けてナチウラ市に送り込まれたんじゃないかということ。そして、教授はクロヌシを残した手配犯の末裔或いは本人じゃないかということ。オクシラブ町は消息不明だけど、タカオ市では市民病院の勤務医として潜伏していた。可能性は十分ある。
 問題は、どう攻めるかだ。単純にシャルが分離創製で力押しすれば、教授を締めあげて実情を吐かせることは出来るだろう。だけど、ヒヒイロカネの存在を世に知らしめる危険がある。この世界にあってはならないとして僕が捜索と回収の度に出たんだから、ヒヒイロカネの周知は本末転倒でしかない。
 情報収集はシャルが続けてくれているけど、かなり情報が限られている。特定の条件でしか出現しないと見られるクロヌシもそうだけど、問題の院生達が所属する研究室やその主宰教授、そしてヒョウシ理工科大学の情報も限定されている。だから大学として、研究室としての体を成していないんだけど、出されていない情報を探るのは相応に時間がかかる。
 明日から天候が下り坂という予報が出ている。海鳴りは沖の天候が崩れる時に生じる現象でもあるから、クロヌシが出現する可能性もある。クロヌシの動向を探るために送り込まれたとしたら、残念ながら院生達はシャルの激しい制裁で全員病院送りで意識不明。次の犠牲者が出る前に何とかクロヌシを抑え込んで、黒幕を捕縛したい。

「大学や研究室から情報を引き出す必要がありますね。」
「出来る?」
「出さないなら出させるだけです。」

 シャルの強硬な発言に、内心冷や汗が出る。院生達への制裁からも、シャルはヒョウシ理工科大学の関係者に相当立腹している。それは僕に危害を加えられたためだと思うと複雑な心境だけど、シャルの能力からして人を切り刻むなんて造作もないから、怒りに任せて大量惨殺なんてことにならないように気を付けないといけない。
 課題はもう1つ。どうやってクロヌシを出現させるかだ。海鳴りがする気象条件は揃いつつある。だけど、クロヌシは海鳴りがする深夜に海岸を歩く人間を食らう。クロヌシをおびき出すためでも他人を囮にするわけにはいかない。シャルは言うまでもない。かと言って、誰かが居ないとクロヌシは現れないかもしれない。
 単純に天候が下り坂だと海鳴りがするわけじゃない。今度海鳴りがする時は何時になるか分からないから、海鳴りの時に確実にクロヌシを出現させて無力化する必要がある。無力化は同じヒヒイロカネであるシャルでないと不可能だろう。そこまでの方法くらいは僕が考えないといけない。
 ポイントは、クロヌシがどうやって海岸に人がいると分かるかどうか。映像を見た限り、クロヌシは口こそ巨大だけど、目らしいものは一応あって、耳は分からない。ヒヒイロカネだから全身がセンサみたいなものと考えれば、水中に居ても海岸に人がいると分かれば浜辺に急接近して来るんだろうか…!

「シャルに出来るかどうか聞きたいんだけど。」

 これもシャルの機能に依存するけど、シャルや他人に危害や犠牲が出ない手段に加えて、クロヌシの出現条件を推測した結果から、僕はこれが最適だと思う。

「それは考えもしませんでした。勿論可能です。」

 シャルが賛成してくれたなら、次のクロヌシ出現時が大きな山場になる。この世界にクロヌシとして留まって350年余りのヒヒイロカネを無力化して回収するには、次のチャンスを確実に生かす必要がある。思惑どおりに海鳴りがしてクロヌシが出現するとは限らないけど、確率があるなら行動しないことには始まらない…。
 2日後。昼間に海鳴りの音が聞こえた。曇天の空の下、獣の咆哮のような、何か巨大なものが崩落するような音が、海辺に近づくと確かに聞こえた。昼間にはやはりクロヌシは出現しなかった。もし出現したら前回の事件以上の騒ぎになることは間違いないし、無力化や回収も難しくなる。クロヌシの出現条件が絞れたのも幸いだ。
 海鳴りの音は、今も海に近づくと断続的に聞こえて来る大きさだ。このナチウラ市が「海鳴りの町」と言われるのは、この海鳴りの音を聞きやすいことから広まった通称だそうだ。それが町に伝わるクロヌシの出現の予兆でもあり、つい最近その事態が被害者を伴う形で起こったから、町の人は複雑だろう。
 既に一昨日の段階から、シャルによるクロヌシのおびき寄せは始まっている。今のところ不発だけど、夜になった今も海鳴りが続く今日は、クロヌシの出現条件が1つを除いて揃っている。「人が海岸沿いに居る」こと以外。海岸沿いに確かに人が居るこの条件で、もしクロヌシが出現しないなら、また作戦を練り直せば良い。

「今のところ、海岸線や近海にヒヒイロカネの反応はありません。」

 入浴まで済ませた僕とシャルは、部屋で待機している。クロヌシに対抗できるのはシャルだけだし、迂闊に海に近づいたらクロヌシに食われる危険もある。こうして部屋で待機しているのが賢明だ。TVには早期警戒機からの海岸の様子が映し出されている。その中央付近を歩く人影。これがクロヌシをおびき寄せる「餌」だ。
 海鳴りの音は、確かに聞こえている。海鳴りと夜、海岸を無防備に歩く人。これまでクロヌシが出現したという条件はすべて揃っている。あとはクロヌシの出現を待つだけなんだけど、今も反応はないという。物凄い高速で接近して来るんだろうか?大きさからは想像も出来ないんだけど、こちらの世界のものじゃないからこちらの世界の常識で測ると理解できないのか。

「来るとすれば…沖の方からだよね。」
「筐体サイズから推定して、水深5mはないと水上に出てしまいます。」
「5mっていうと相当深いね。そこから凄いスピードで突進してくるのか…。」
「前回出現時の映像では接近時のスピードは計測できませんが、水上への出現速度は100ノット、時速で言うと約185kmに相当します。」
「あの巨体で時速185kmか…。」

 185kmなんて普通の車じゃ出せない。そんなスピードで海中を疾走できるんだから、腐ってもヒヒイロカネと言うべきか。…あれ?直径5mはある巨体が、水深がどんどん浅くなる浜辺に近づいて来るなら…、あの映像は矛盾があるんじゃないか?

「シャル。クロヌシが出現した時の映像を、別ウィンドウかスマートフォンで見せて。」
「え?は、はい。スマートフォンに全体表示します。」

 テーブルのスマートフォンに、クロヌシ出現時の映像が表示される。映像プレイヤーはスマートフォンの標準アプリだから、操作は普通に出来る。クロヌシ出現の時間にマークして、そこから前後30秒をリピートさせる。表示速度を遅くしたり一時停止したり。…やっぱり。「あれ」がない。
 幾らヒヒイロカネがこちらの世界の常識を超える機能を持っているとは言え、こちらの世界に実体を伴って存在している以上、こちらの物理現象から逃れることは出来ない。シャルだって、光学迷彩で姿を隠すことは出来ても、「此処にある」という事実までは隠せないから、ぶつかれば衝撃なり対象の破損なりが発生する。
 クロヌシも巨大で俊敏とはいえ、ヒヒイロカネというこちらの世界に存在する物質。どうあがいてもこちらの物理現象から逃れる術はない。映像はシャルの暗視カメラで捉えたものだから、暗闇でも明瞭にクロヌシが現れて人を食らう瞬間が映し出されている。なのに「あれ」がない。ということは…。

「何か不審な点がありますか?」
「シャル。クロヌシは沖には居ない。戦闘機や艦船を海岸に集中させて。」
「どうしてですか?」
「説明は後でするから、早く!」
「わ、分かりました。」

 怪訝そうなシャルの表情が程なく一変する。映像に出たのは間違いなくクロヌシ!唐突に出現したクロヌシは、海岸沿いを歩いていた人を食らう…が、人は消える。クロヌシはある筈の手ごたえがないことに戸惑っているのか、その場で棒立ちになる。これまでなかったであろう、クロヌシの無防備な状態だ。

「攻撃を開始します。」

 シャルの宣言と同時に、クロヌシの身体の彼方此方で激しい爆発が生じる。戦闘機とイージス艦が一斉攻撃を開始した結果だ。ミニチュアとは言え、その気になれば人間くらい1発で粉々になる威力のミサイルや艦砲射撃を一気に食らったら、幾らクロヌシでも何らかの反応がある筈。少しでもダメージを与えればより良い。
 外から激しい海鳴りが聞こえて来る。否、海鳴りじゃない。クロヌシの咆哮だ。クロヌシはダメージを受けているか、少なくとも不快とか苦痛とか思う状態になっている。戦闘ヘリからの機銃掃射に潜水艦からの魚雷も加わる。クロヌシは爆炎に包まれ、激しい咆哮を上げる。
 クロヌシが咆哮を上げながら身体を沈めて行く。流石に耐えられなくなったようだ。此処で逃がすわけにはいかない。勿論、そのためにシャルが分離創製した一大機動部隊がある。

「GPSユニットのターゲットへの打ち込みと同化に成功しました。潜水艦と早期警戒機が先頭になって追跡します。」
「反撃には気を付けて。」
「分かりました。追跡を優先します。」

 攻撃に混入したGPSユニットの打ち込みと同化も成功。これで空と海両方から3次元的な追跡が出来る。クロヌシが何処に居るのか突き止め、シャルの機動部隊の攻撃が有効と判明したこの機会に一気に無力化・回収へと進めたい。クロヌシはかなりのスピードで海岸から遠ざかっているけど、シャルの機動部隊は問題なく追跡できている。

「どうしてクロヌシが海岸に潜っているって分かったんですか?」
「波だよ。」
「波、ですか?」
「そう。クロヌシを捉えた映像では、出現時に水飛沫が上がってた。だけど、それまで海面にクロヌシの接近に伴う波がなかった。ということは、クロヌシは沖に潜んでるんじゃなくて、海岸に潜ってる。そう考えたんだ。」

 直径5mはある巨体が接近すれば、必ず海面に大きな波が現れる。形状を平たくしたりしても、こちらの世界に実体を伴って存在しているなら、通常とは違う波が生じる。だけど映像にはそれがまったくなかった。ということは、クロヌシは接近ではなく潜んでいる。そしてある条件を満たした時いきなり出現して人を食らっている。
 幸い、航空部隊は速度の面で容易だし、艦隊もそれほど離れていなかった。加えてミサイルや艦砲射撃という遠距離攻撃が使える。更に潜水艦も待機していたから、足元−こういう表現で良いのかは別−からの攻撃で揺さぶりをかけることも出来る。早めに気付いて良かった。
 海岸を歩いていた人は、シャルが映しだしたホログラフィだ。このホログラフィも高性能で、立体表示なのは勿論、キチンと影も出来る。光の当たる角度や強度からリアルタイム演算で影を表示する形だけど、完全同期した足音や呼吸音、更には合成して放散する匂いもあるから、触れようとしない限り映像とは分からない。
 出現時の傾向からして、クロヌシは足音で人間の接近を察知しているようだ。波音などとの比較分析から周囲に妨害や危険がなく、姿を視認される危険もないと判断した時、一気に姿を現して俊敏に獲物をしとめるという狩りのスタイルらしい。そういう生物は幾らでも居るから、クロヌシが模していても何ら不思議じゃない。

「クロヌシが潜航しました。深く潜って逃亡を図るようです。」
「追跡は大丈夫?」
「全く問題ありません。全機全艦が追跡できています。」

 巨体とは思えない高速動作のクロヌシに対して、シャル率いる機動部隊も負けてはいない。TVにはナチウラ市を含む近隣の地図が表示され、そこをクロヌシと思しき赤い三角マークと、機動部隊と思しき緑の三角マークが移動している。赤い三角マークの後ろには赤い点線で軌跡が描かれている。

「クロヌシは海底に潜りました。」
「かなり沖の方に出てるから、水深は結構あるよね。」
「現在地の水深は約50mです。とは言え、早期警戒機のレーダーと潜水艦のソナーがあります。追跡には全く問題ありません。」

 レーダーに加えてソナーもあるのか。クロヌシが海底に潜ったことでGPSやレーダーが届かなくなっても、追跡に支障はないわけか。クロヌシもまさかそんな念入りな装備を整えた機動部隊が控えていて、更に追跡までしてくるとは思わなかっただろう。
 クロヌシは不規則に蛇行しながら東に向きを変える。ひたすら潜って逃げることで追跡を回避するつもりなんだろうか?ヒヒイロカネなら分離創製でミサイルとか魚雷とかを打ったり出来そうなんだけど。…そういえば、分離創製はシャルに特別に搭載されてるんだったか。

「そのとおりです。分離創製はINAOSなど一定レベル以上の人格OSを搭載したヒヒイロカネに、特別な処理を行わないと搭載できません。」
「つまり、クロヌシはひたすら逃げるしかないわけか。」
「はい。しかもあの巨体を維持するエネルギーは膨大ですから、延々と逃走を続けることは出来ません。仮に人間を獲物としていたなら、そこから得られるエネルギーでは到底足りません。何処かに存在するエネルギー貯蔵庫などに逃げ込む筈です。」
「そこがクロヌシの本当の巣か…。もしかして…。」
「恐らくヒロキさんの推論は、私のそれと一致するでしょう。」

 これまでの経緯や状況を考えると、クロヌシが逃げ込む場所はあそこだろう。だとしたら、あそこは政財官の癒着の典型例だけじゃないってことか?だとしたら…、クロヌシを含むヒヒイロカネの無力化・回収は大きな困難を伴うものになるだろう。
 それ自体に驚きはないし、後悔もない。この推測が当たっているなら、やっぱりヒヒイロカネはこちらの世界と相容れない。欲望の露出にしのぎを削り、他人の犠牲を厭わないことを良しとするこちらの世界では、ヒヒイロカネは欲望の具体化であり、他人の犠牲を増やすだけだ。

「クロヌシがエネルギー貯蔵庫と見られるポイントに入りました。」
「やっぱり此処か…。」
「周辺を機動部隊で包囲しました。クロヌシがポイントから出たら一斉攻撃を仕掛ける体勢が整いました。」
「そうなると、あとは何処から詰めていくかだね…。シャル。このポイントを中心とした周辺の構造や状況を調べて。」
「分かりました。偵察機を早期警戒機から、揚陸艦をイージス艦からリリースして、空と陸から調査します。」

 クロヌシを追い込んで巣を見つけることは出来た。まさかこんな事態になるとは思ってなかっただろうから、強行突破も出来なくはないだろう。だけど、巻き添えで無関係の人に被害が出ることも考えられるから、基本はピンポイント攻撃だ。
 クロヌシのサイズだと、シャルが無力化処理をするには相当量のエネルギーが必要だ。タカオ市の経験からも、シャル本体を極力近づける必要がある。それに必要な出入り口、そして最寄りの水素ステーションを把握して、シャルの回復に支障が出ないようにすることも考えておくべきだ。
 シャルがポイントの構造や状況を調査する間、僕はそういった情報を調べる。敷地への出入り口はスマートフォンアプリの3Dマップで、水素ステーションは2Dマップのアプリと検索で探せる。事前にシャルの水素タンクを満タンにしておくのは前提条件として、何時どうやって詰めるか考えどころだ…。

「調査結果がまとまりました。」

 翌日の夜、夕食を食べ終えて食器が片付けられた後、シャルが話を切り出す。昼間は少し西に行って−小雨交じりの風が吹く天候だから海水浴には向かない−有名どころの踊子浜ベイブリッジを見に行ってはしゃいでいた時とは別人の雰囲気だ。
 TV画面に精巧な3Dマップが表示される。クロヌシが逃げ込んだポイント、ヒョウシ理工科大学のヨットハーバーを中心とする、ヒョウシ理工科大学のジャンパス全体だ。あの大学がヨットハーバーまで所有していることが驚きだけど、現状を考えればクロヌシの巣とされていることに説明がつく。
 ヒョウシ理工科大学は、数々の蛮行で地域住民の怒りを買い、更にヒョウシ市に重い負担を強いていた誘致時の政官財癒着の構図が暴かれたことで、事実上隔離された状況にある。周辺住民は当然近づかないし、話を聞いた市外の人も肝試し感覚でもない限り近づかない。
 こんな状況だから、大学では当たり前に行われるオープンキャンパスとか一般公開とか、外部向けのイベントが一切ない。開催しても事情を知らない外部の人か、大学法人のグループ企業の社員くらいしか来ないだろうけど、外部と隔離されて孤立している状況は、内部の活動をより隠蔽・改竄しやすくなるという副作用もある。
 ヒョウシ理工科大学にヨットハーバーがあったのは初めて知ったけど、大学の数少ない情報公開である大学パンフレットのキャンパスマップにもない。偶然なのか故意なのか、ヨットハーバーは研究棟と事務棟に海以外の三方を囲まれていて、唯一通じる県道からは見えないようになっている。
 シャルの解析による3Dマップから判明したんだけど、偶然にしては巧妙すぎる。ヒョウシ理工科大学は、最初からクロヌシの巣をヨットハーバーに偽装するためにあの場所に誘致されたのか?これまでの調査や情報からは、そこまで込み入った意図は見えないけど、ないとは言い切れない。

「ヒヒイロカネが活動に必要なエネルギーを得る手段は様々ですが、クロヌシをある意味飼うために、ヨットハーバーに偽装したエネルギー貯蔵庫を使用していることが判明しました。」
「何がヨットハーバーに偽装してるの?」
「核燃料貯蔵庫です。」
「?!」

 な、何て大学だ。そんなものをヨットハーバーに偽装してるなんて。燃料に限らず、原子力や放射線を扱う施設は様々な法律があって、常にその統制下に置かれている。勝手に核燃料貯蔵庫を設置していることが知られたら、大学閉鎖どころか大学法人への強制捜査、ひいてはグループ企業を率いる元財務相の両手に手錠がかけられる事態もあり得る。

「一応、扱いが困難で危険な物質であるという認識はあるようです。」

 TV画面の3Dマップが透過型になる。建物の内部構造が全部透けて見える。地下にある巨大な直方体は…水槽?その奥に幾つも並んでいるのが核燃料の貯蔵庫か?

「水槽と核燃料貯蔵庫は、地下50mのところにあります。クロヌシは水槽に立て籠もっていることが判明しています。」
「核燃料はクロヌシの餌ってこと?」
「現在はそうなっています。建造物の年代測定の結果から、クロヌシの巣としての機能は、クロヌシが核燃料の存在を嗅ぎつけてやって来たのを受けて、後で拡張されたものと見られます。」
「クロヌシのために造られたんじゃないってことは、核燃料貯蔵庫は別の目的であの場所にひそかに建設されたってこと?」
「そのとおりです。これを見てください。」

 シャルがスマートフォンを操作する。画面に文書の写しらしい画像が表示される。「…核兵器による自立した国家安全保障研究の先駆けとして、…」「…小型で可搬性に富む戦略核兵器の開発の拠点とすべく…」「核燃料貯蔵庫を建設し…」、どう読んでも、核兵器開発のために造られた施設だ!

「資料室の機密文書をスキャンした結果です。ヒョウシ理工科大学は、核兵器開発の拠点とするべく建設された研究・貯蔵施設と見て間違いありません。」
「スキャンダルってレベルじゃないよ、これ…。」
「また、これまで件の連中、ヒロキさんを殴って私に制裁されて集中治療室行きになったヒョウシ理工科大学の院生達が所属する研究室の立ち位置が不明瞭でしたが、今回の情報収集と解析の結果、謎が解明できました。」

 TV画面が3Dマップから人物の相関関係を示す図に切り替わる。元財務相を中心とした構図は、まさに悪の枢軸。国会議員が関係省庁に働きかけという名の圧力を加えて、地元に大学を誘致することは昔からあるけど、此処まで露骨な、しかも核兵器に手を出そうとしている例は初めてだろう。
 クロヌシの無力化と回収は勿論だけど、長閑な漁業主体の町に、密かに核燃料貯蔵庫が建設されていた事実。しかもそれは地元選出の元財務相の肝いりであり、バラ色の未来で市民を欺いて誘致した大学でカモフラージュしている事実。これらを放置しておくわけにはいかない。
 ヒョウシ理工科大学がある限り、あの場所で核燃料貯蔵庫が存在し続ける。核燃料も放射性物質であることには変わりない。事故が起これば放射能漏れに至る危険が高い。一度放射能漏れが起こったら、最悪ヒョウシ市は人が住めない町になる。そんな悲劇はもうあってはならない。
 相手が核燃料貯蔵庫を有していることが、別の危険性を孕んでいる。シャルの機能をもってすれば、ヒョウシ理工科大学を瓦礫の山に変えることは造作もないだろう。だけど、核燃料貯蔵庫を盾にされたら身動きが取れなくなる恐れがある。目的はあくまでもクロヌシ=ヒヒイロカネの無力化と回収であって、ヒョウシ理工科大学を現代の遺跡にすることじゃない。

「ヒヒイロカネと核が絡んでいることが判明したので、ヒョウシ理工科大学を壊滅させる理由は出来ました。」
「攻撃は危険だよ。相手が核燃料貯蔵庫を盾にしたら、地域の人達が最悪住めなくなる。」
「それは大丈夫です。核燃料貯蔵庫を別方向に利用します。」

 シャルは敵の本拠地を壊滅させる作戦を考案したようだ。クロヌシが立て籠っている巣であるヒョウシ理工科大学の壊滅は、クロヌシの無力化と回収には必須と言える。何しろ腐っても核燃料。得られるエネルギーは膨大だ。補給を断つことは戦争の基本だし、補給=兵站活動だから危険はないってのは詭弁でしかない。
 まさかの事態が露呈したけど、ヒヒイロカネの無力化・回収の過程で、ヒヒイロカネに纏わりつく黒い影を取り除く必要がある。ヒヒイロカネが「この世界にあってはならない」とされているのは、この世界が何れヒヒイロカネを使える倫理的条件を失うと分かっていたからなんだろうか?
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