謎町紀行

第23章 町の昔話に刻まれたヒヒイロカネ

written by Moonstone

 ん…。何だか外が騒がしいような…?!シャ、シャル?!シャルが僕の布団の中に居て、僕はシャルを横向きになって抱きしめる格好で寝てた?!い、何時の間に?否、それ以前に僕は何とかしないと!で、でも、シャルは僕の左腕を枕にしてぐっすり寝てるみたいだし…。

「ん…。あ、おはようございます。」
「な、何で僕の布団の中に…?!」
「こうしたかったからです。」

 しれっとシャルは言うけど、僕には朝から刺激が強過ぎる。…外が騒がしいのは聞き間違いじゃないようだ。あっちに意識を向けよう。そうしないと僕の理性が持ちそうにない。ちょっと強引に左腕を引き抜いて身体を起こす。この音は…サイレン?幾つも聞こえるな。何があったんだろう?

「警察が多数、救急も来ています。」
「どうして分かるの?」
「昨夜から戦闘ヘリを数機飛ばしていました。その戦闘ヘリからの映像を出します。」

 戦闘ヘリって夜中に何のために飛ばしてたんだ?僕が寝てる間に何があったんだろう?TVの電源が入り、何処の番組でもない映像が映し出される。浜辺の周辺がブルーシートで大きく囲まれている。何台ものパトカーが浜辺に隣接する道路の浜辺側に並び、警官が規制を敷いている。その周囲を野次馬が囲んでいる。
 この浜辺って…一昨日シャルとバーベキューをしたバーベキュー施設じゃないか?あの屋根は間違いない。ブルーシートの内側では、鑑識らしい警官が何かを調べている。あれは…人の脚?!救急隊員が駆け寄って来て、クーラーボックスらしい大形の箱に人の脚を慎重に収納する様子がつぶさに映される。一体何が…。

「昨夜、ヒヒイロカネが関係する事件が勃発したようです。」
「!知ってたの?!」
「いえ、私が戦闘ヘリを飛ばしていたのは、私の本体や周辺の警備防衛のためです。ヒヒイロカネの関与は、私の本体にあるACSのログと戦闘ヘリのフライトレコーダのスペクトル解析の結果、判明したことです。」
「昨夜、僕とシャルが寝てから何があったの?」
「順にお話します。」

 深夜に戦闘ヘリを飛ばしていたということは、何か危険が迫っていたんだろう。シャルが書く仕事や嘘偽りをしているとは思えないし思いたくない。早合点は禁物とは昨日シャルが言った。唐突な事態だからこそ冷静に情報を収集する必要がある。

 昨夜、僕とシャルは一頻り抱き合った後、それぞれの布団に潜った。暫くしてシャルは僕の脳波を調べた。結果は睡眠を示すもの。僕がシャルを抱きしめる前に感じ取った思考が、物凄く混沌としていたのを思い出す。突進しようとする思考と強烈なブレーキをかける思考が激しく錯綜し、思い悩んだ結果があの強い抱擁だったとシャルは推測する。

「もう少しシンプルに考えて良いのに…。」

 過去の記憶が思い切った行動を阻害しているのか、元々僕の思考が慎重過ぎるきらいがあるのか、シャルには断定できるだけの要因が不足している。だけど、結果として強く抱き締められた時に感じた、思った以上の力強さと包み込まれるような温かさは、今の僕が表現できる精一杯の感情表現だと受け止めている。
 元々は必要性から使用を決定した人体創製機能。その効果は予想外の方向で大きく広がった。これまで駐車場止まりだった自分の行動範囲が、建物の中、更には浜辺や公園、海の中へと格段に広がった。そして同時に僕と行動できる時間も格段に増えた。僕の良い記憶作りも、人体創製機能だからこそ出来たと言っても過言ではない。
 シャルも便乗する形で良い記憶を作った。敢えて露出が多い服装も選んだことで、これまで以上に周囲の視線が集中するのを感じたが、見るだけなら好きにすれば良い。僕は強い関心を示していたし、過去の記憶をシャルの様々な服装とそれに伴う記憶で潰して埋め固められれば良い。
 同時に、シャルはもっと良い記憶が欲しいという気持ちが湧きあがって来る。この2日間、僕のために立案して行動したけど、それはシャルのためでもあった。2日間はどれも楽しかった。それは、もっと僕に触れたいという気持ちがあったからだと思う。車だけの時は運転席に乗せることしか出来なかった僕と存分に触れられることが、高揚感すら生じさせる。
 思い立ったが吉日。シャルは慎重に僕を少しばかり右方向にずらし、出来た1人分のスペースに潜りこむ。これでも良いが、枕がないとちょっと落ち着かない。折角だから、腕枕をさせてもらうことにする。慎重に僕の左腕を枕と水平にして、出来るだけ付け根の方に頭を置く。
 枕としては程良い弾力。掛け布団を介して伝わる温もり。身体を横に向ければ、僕の身体が直ぐ目の前にある。タガミ市での滞在時に過去の記憶が呼び起こした悪夢に魘された僕が心配で添い寝した時より密着の度合いは強い。それが不思議とシャルに安心感や満足感を齎す。

「ん…。」

 少しして、不意に僕が身体を90度シャルの方に向ける。右腕がシャルの身体の上に乗る。丁度僕に抱かれる形になって、シャルは動揺する。僕が目を覚ましてシャルが隣に居ることに気づいて行動を起こしたのか?拒否するつもりはないとしても、どう対処すれば良いのか分からない。

『…寝てる。寝がえりなのね。』

 急いで僕の脳波を調べたところ、睡眠の状態は続いている。寝がえりが偶然シャルを抱く形になったと分かり、シャルは溜息を吐く。安心したような、脱力したような、複雑な感情。

「シャル…。」

 シャルは確かに聞いた。僕が寝言でシャルの名を呼んだことを。夢の中までは伺い知れないが、この体勢で自分の名を呼ばれたシャルは、これまでにない強い満足感や安心感を覚える。そしてこれは幸福という概念だろうと思う。シャルはより僕に身を寄せ、僕の脇に自分の腕を通して抱き返す。

「はーい。」

 僕の呼びかけに返事をしてみる。無論睡眠中の僕が更に呼びかけたりすることはないが、返事をすること自体が満足感や安心感、ひいては幸福感を心地良く膨らませる。これだけでも人体創製機能を使い続けている価値はあると断言できる。車のままでは絶対不可能なこの体勢で過ごせるのだから。
 鼻先を介して僕の心音が聞こえる。眠りの最中であることを示す、落ち着いた一定の周期。シャルも再現できるが制御しなければ一定だ。心臓という内蔵が血液を全身に循環させる際の振動が限定的に音として聞こえる理屈は分かるが、この幸福感や心地良さといったものはその理屈では説明できない。

『ACS Alert Level 2。不審者接近中。』

 温もりと幸福感に浸りながらディープスリープモードに入ろうとした矢先、本体からACS割り込みが入る。何事かと思って本体とリンクする。人体創製機能で行動する間、本体に搭載されている人格OSはシャルにメイン処理が移管されている。この間本体はスレーブとなり、ACSや分離創製機能で創造した戦闘機などが何らかの異常やその接近を察知した際に発生する割り込みや緊急事態以外は、シャルからの指示で本体が実行する形になっている。
 本体とリンクして直ぐに、本体に近づいて来る数人の男の存在を知る。連中に見覚えがある。照合した結果、一昨日に国道沿いのカフェに入った際、僕とシャルを下品な言葉で囃し立てたり挑発した連中だと分かる。本体は旅館の駐車場に駐車されている。当然ながら宿泊者以外は使用できないし、近づく理由もない筈だ。

『何?こいつら。』

 嫌悪感を覚えながら観察していると、やはり連中はシャル本体に近づいて来る。駐車場は全部で10台分だが、駐車しているのは3台分。他の2台は大型のワゴン車と高級感のあるセダン。見た目普通のコンパクトカーのシャル本体はやや目立つかもしれないが、連中が近づく理由は分からない。

「なー。あの女、この辺に泊まってんじゃね?この車なんかそれっぽくね?」
「凄ぇ良い女だったよなー。アイドル顔負けの激マブにあの胸と尻だ。ツレの女達が全部雑魚に見えた。」
「此処って、この辺じゃ相当高い旅館の駐車場だぜ?何でそんな旅館にあんな男と泊まってられんの?」
「あいつ、ムカつくよなー。良い女連れてるからって見せつけやがって。おかげでBBQも滅茶苦茶にされちまうしよ。」

 よく観察すると、昨日バーベキューをした際、少し離れたところに陣取っていた男女混合のグループの男達でもあると分かる。シャルが来るまで散々僕をネタにして嘲笑していたが、シャルの登場と同時に嘲笑はピッタリ停止。バーベキューが進行するにつれて女側から文句が口々に上がり、混乱している様子だった。
 僕に優越感を感じてもらうため、敢えて露出度の高い服装にしたが、ソフトの修正機能や化粧を使わないと顔立ちも肌の色も誤魔化せないレベルの女達を多数侍らせて、僕を嘲笑さえしていた男達は眼中にない。ましてや、そんな低レベルの女達を制御できない男達に文句を言われる筋合いはない。
 バーベキューの場が混乱したのは、自分で何もしない姫気取りの馬鹿女が、2人で楽しくバーベキューを楽しんでいる様子を茫然と眺めていた男達に文句を言ったことと、それを押さえられなかった男達の仲間割れの結果でしかない。僕はシャルを見せびらかしてはいないし、行動資金はマスター直々の提供。言いがかりも良いところだ。
 こんな時間に−深夜1時を過ぎている−大声を出し、しかも宿泊者以外は用がない駐車場に立ち入って車を囲むあたり、まともではない。連中は僕を見下していたところに、シャルを伴っていたことを妬んでいるが、妬む程度の女を連れていた自分を恨めば良いこと。逆恨みも甚だしいが、この連中に忠告など無駄。力でねじ伏せる以外にない。野生の動物と同じ感覚で臨むだけだ。
 シャルはACSを最高レベルにする。更に分離創製で光学迷彩付きの戦闘ヘリを数機飛ばす。誰かの指先でも本体に触れた瞬間、全員が本体からの強烈な電撃と戦闘ヘリからの機銃照射の洗礼を受けることになる。腕や脚の1本や2本は軽く消し飛ぶだろうが、そんなことは知ったことじゃない。

「何か…、異様な雰囲気じゃね?」

 少しの睨み合いの後、連中の1人が言う。

「これ以上近づいたら殺す的な雰囲気がしなくね?」
「ああ。何となくだが、ヤバい雰囲気は感じる。」

 野生の動物と同じ知能レベルだからか、危険な気配などを察知できる勘はあるようだ。別に足蹴にするなり窓ガラスを叩くなりすれば良い。1人でもそうした瞬間、全員が手痛い思いをするだけだ。

『さあ、どうする?妬みからの八つ当たりで、手足をもがれて血みどろになって悶絶する?』
「…止めとこうぜ。何かヤバそうだ。」
「今度見かけた時で良いさ。」

 幸か不幸か、連中は踵を返してシャル本体から離れる。だが、この連中がこのまま大人しく宿に帰るとは思えない。別の獲物を探して彷徨うだろう。まさに野生の獣そのものだが、多少躾けておいた方が僕のためでもある。シャルは戦闘ヘリの3/4に連中を尾行させ、不穏な行動をしたら攻撃するよう指示する。
 残りの戦闘ヘリは念のため本体上空に待機するよう指示を出す。…何やら地響きのような音がする。海の方向からだ。これが海鳴りと言うものか。初めて接する現象だ。風が少し強くなってきた。海の波が少し高くなっている。もっとも人間では暗くて視認できないが、暗視カメラを搭載する戦闘ヘリには何の障害にもならない。
 連中は海に向かっている。照明がなく、暗視カメラもない中で夜間の海に近づくなど危険極まりない。陸と海の境界が識別できない状態で少し高い波が来れば、簡単に脚を掬われる。人間など数cmの水深でも溺死する。危険が分かっていない、危険を臆病などせせら笑って無謀な行動をする連中らしい行動だ。
 他人に危害を加えず、夜の海で溺れ死ぬ分には勝手にすれば良い。浜辺には他に人の存在はないから、ひとまずは安心だ。念のため夜明けまで尾行を継続させ、ACSレベルを1レベル下げて、シャルは改めて僕の温もりを感じながらディープスリープモードに移行する。
 今朝目覚めた際、本体からACSのログが、戦闘ヘリからフライトレコーダの映像が転送されて来た。これはシャルがディープスリープモードにある間に起こった出来事を記録し、分析できるようにするため自動化されている。それらを俯瞰した結果、深夜2時頃に異常な出来事があったことが分かった。
 その時間帯に、ACSが一時的に最高レベルに移行していた。ACSがシャルからの指示なしに最高レベルに移行するのは、本体に差し迫った異常があった時か、ヒヒイロカネの接近を察知した時。フライトレコーダの映像には、連中を尾行した部隊と本体上空で待機していた部隊の両方が、海から漆黒の物体が急浮上して、連中を一瞬で飲み込む一部始終が映されていた。
 スペクトル解析を行うと、その漆黒の物体は間違いなくヒヒイロカネのスペクトルを有していた。あの海鳴りが漆黒の物体によるものなのかは関連性が今のところ見つからないが、この町の最初の調査で入手した情報−海鳴りがする夜に海岸に出ると、行方不明になるというのは事実であり、それはヒヒイロカネが関与していることが明らかになった。

「−このような流れです。」
「確証はないとしても、海鳴りとヒヒイロカネの出没に関連性があると見て良さそうだね。」

 前半は何だかシャルの「幸せだった夜の時間の回想」だった気がするけど、シャルが飛ばしていた戦闘ヘリが偶然一部始終を捉えたことで、ヒヒイロカネの存在が発覚した。行方不明の原因が深夜に海から出没する謎の物体だと、目撃される確率は大きく下がる。しかも漆黒だから暗視カメラでもないとまともに視認できない。
 TVの映像が変わる。真っ暗な中で海岸沿いを移動する例の連中。突然、何の前触れもなく、海から漆黒の物体が出現する。そして次の瞬間、その場に居た人間を取り込む。脚の1本だけ取りこぼしたが、漆黒の物体は海に消える。残されたのは脚1本だけ。それがさっき救急隊に回収されたものだろう。
 物体は本当に漆黒だ。戦闘ヘリ搭載の暗視カメラでようやく全体像が視認できるくらいだ。しかも、音もなく浮上して動作も俊敏だ。人間じゃ到底対応できない。戦闘ヘリは連中から離れていたから難を逃れたと言える。接近していたら連中ごと取り込まれていたかもしれない。

「そのヒヒイロカネの知能レベルとか、攻撃力とかは、どの程度分かる?」
「現段階では推察しか出来ませんが、待ち伏せや獲物に気配を察知されないように狩りを行うことから、擬態や潜伏を行う程度の知能はあると考えられます。」
「これまでよりかなり大きいみたいだから−5mありそうだけど、無力化に相当エネルギーを消耗しそうだね。」
「!確かに。」
「ヒヒイロカネが現れる条件が、今のところ海鳴りと関連性があると見て良さそうだけど、もう少し条件を絞りたいね。人目に付き難いという点からは夜行性の方がありがたいけど。」

 オクラシブ町は両手で持てるサイズの宝玉の形、タカオ市は少し小柄な成人男性サイズだった。シャルが知能や人格を持つヒヒイロカネを無力化する際の消費エネルギーは、概ね対象のヒヒイロカネのサイズに比例するようだ。今度のサイズだと、シャルの消費エネルギーや損傷度合いが大規模になるのは避けられないと見て良い。
 ヒヒイロカネの無力化作業は大きな音と閃光を伴う。今までは人が居ないか人里から遠く離れた場所だったけど、今回のヒヒイロカネの出没地点は民家から国道を挟んだ浜辺だから、100mあるかどうか。しかも国道を挟んだ浜辺側にもカフェやらがある。そんな場所での無力化作業は人目につくつかないの話じゃない。
 無力化作業にしても、ヒヒイロカネの存在が広く知られることは避けないといけない。シャルにSMSAを呼んでもらって隔離することも考えられるけど、どの程度の範囲まで可能なのか分からない。昼間はどうしても人目に付きやすいし、車の流入という外乱要因もあるから、出来るなら深夜の方が良い。

「過去の同様の事件から条件を絞れるかな…。シャル。出来る?」
「警察や行政の資料を分析すれば可能だと思います。どの程度記録として残っているかで、分析精度は変わりますが。」
「出来ることから進めて行こう。あと、ヘリはまだ飛ばせる?」
「戦闘ヘリは、現状の飛行と録画録音の継続が十分可能です。」
「1機か2機は、遺体を回収した救急を尾行させて。検死で得られる情報が何か手掛かりになるかもしれない。」
「分かりました。」

 あの連中は僕とは決して相容れないタイプだし、数日前の出来事もあるから良い感情はない。だけど、犠牲者が出たことには違いないし、その原因がヒヒイロカネと確定した以上、ヒヒイロカネを回収してこれ以上犠牲者が出ないようにしないといけない。そのためには、今回のヒヒイロカネ−以降「漆黒の海獣」とする−の出現条件を絞り込むのが良いだろう。
 今回の条件だけだと、海鳴りの他は天候や気温や風向きといった気象環境条件くらいしかない。ヒヒイロカネの行動が気象環境条件で制限されたり左右されるとは考え難いから、何かほかの条件があるとみた方が良い。それには過去の事件の情報がどうしても必要だ。
 警察や救急が、対外的には旅行者でしかない僕とシャルに今回の事件を含めて関連情報を開示するとは思えない。それならシャルの能力で情報を抽出して分析するしかない。出来ること、考えられることから着手して、断片的でも情報を集めて分析し、目的に近づけるよう次の策を考える。これに尽きる。
 僕はその間、地道な聞き込みをする。シャル本体があれば広範囲に移動できる。国道の浜辺側は若者向けの店が殆どだけど、その向かい側は昔からの住居や旅館などが並ぶ。昔からの伝承に何かヒントが潜んでいるかもしれない。ネットに転がっている情報は、実は同じものも多い。現地での聞き込みは情報収集の基本だ…。
 2日間聞き込みと情報収集・分析をした結果、1つの推論が浮上した。まず「海鳴りがする夜に海岸に出ると、行方不明になる」というナチウラ市での現象は、100年ほど前から存在することが分かった。当初、市の図書館で調べた分は、閲覧できる数の問題で数年程度だったけど、ナチウラ市では幼少期に躾の1つとして口伝で語られる現象のようだ。
 行方不明になる原因としては、海には真っ黒なお化け−ナチウラ市では「クロヌシ」と呼ばれているけど、そんなお化けが居て、その咆哮が海鳴りと言われている。クロヌシが近づいて来るから海に近づくな、という躾は、人間は数cmの水深でも溺死するという説明より幼少期には分かりやすい。
 海辺の町では、海は生活の糧を得る場所であると同時に、隣近所の人命を奪う魔の場所でもある。津波が来たら町ごと壊滅することすらある。だから海の様子には気を配るし、海が荒れるようなら外出も控える。だけど、やはり過疎化と、シーサイドとか聞こえの良い言葉での不動産の開拓で、新たな住人の比率が高くなって伝承の影響が衰退していった。
 特に、ナチウラ市が広大な砂浜と、基本的に波が穏やかで水深も極端に深くならない海辺を持つことで、海水浴場として人を集めるようになったことが、皮肉なことにクロヌシの被害を増やすことになった。今回犠牲になった連中のように、飲酒して深夜の海辺に出るという危険行為を平気でする輩が増えたのが大きな要因だ。
 海水浴場に飲酒とバーベキューが重なると、タトゥーを誇示して跋扈する連中を呼び込むのが、彼方此方で見られる定番の図式だ。そこから他の海水浴の客に絡んだり、深夜に大声で騒いだり−漁師とか海辺の仕事は朝が早い−、暴力沙汰を起こしたりするのも定番。業を煮やした近隣住民は、市に直談判して海水浴場を遠くに分離して、元の海水浴場をバーベキュー施設にした。
 この結果、クロヌシに食われる犠牲者は幾分減ったが、バーベキューに飲酒とタトゥーが関わる以上、一定の犠牲者は出る。どちらかと言うと自殺者と言えなくもないけど、その手の連中は町の言い伝えとか住民の忠告とかは聞くに値しないものとしているから、犠牲者が絶えることはない。
 警察が「クロヌシに食われた」なんて信じる筈がないし、そもそも住民もクロヌシを見たことはない。海鳴りがする夜は尚更海に近づかないんだから当然だけど、目撃してもいないのに道の生物による被害を言うのはでっち上げでしかない。警察にでっち上げが通じるのは、警察がそれを使う時と女が性的被害を作り上げる時くらいのもんだ。
 クロヌシの姿は、やっぱり伝承だから具体的な資料は見当たらない。昔の文献でも真っ黒な胴体に巨大な口が付いているだけの姿が、想像図として描かれているくらいだ。だけど、昨日シャルが偶然捉えた映像と結構似ている。真っ暗な闇の中、突然真っ黒な物体が出て来たら、シャルのように暗視カメラでも内蔵してないと見えない。
 これらのことから、この地に潜んでいるヒヒイロカネであるクロヌシは、100年ほど前から存在するらしいし、幾ばくかの知能を持っているらしいと推測できる。ヒヒイロカネがこの世界に持ち込まれてかなりの時間が経過していることが分かる。形態や知能レベルが大きく違うのは、手配犯が散り散りになったままだと考えられる。

「伝承どおり、海鳴りがする夜に出現するのは間違いないとみて良さそうだね。」
「はい。海鳴りと出現の因果関係は未だ不明ですが、海鳴りがクロヌシと呼ばれるヒヒイロカネの咆哮である確率は否定できません。」

 シャルが入手した警察の捜査資料も、やっぱりというか行方不明として処理されていた。目撃者は居ないしその後の消息が不明となれば、行方不明とするしかない。今回、脚1本が残されたのは初めての物証らしくて、警察で司法解剖が行われている。
 この界隈は現場検証を続ける警察と、バーベキュー施設が休業になったことに不満を募らせるグループの間で押し問答が続いている。事件が起こったのがバーベキュー施設近くで、遺体の一部が残されていたんだから、警察は現状を保存して可能な限り情報や痕跡を捜索する必要がある。だけど、市外から遊びに来たグループには、その理屈は簡単に通じない。
 マスコミもクロヌシの存在を知っているらしく、彼方此方で報道や取材をしている。これもまた軋轢を生む。僕とシャルが滞在するこの旅館がある地域は昔からの集落だけど、坂が多くて道が狭い。そんなところにワゴン車を突っ込んでカメラやマイクを担いで徘徊するから、町の人は生活に支障が出ることもあるそうだ。
 更に、マスコミの特徴として、無遠慮にカメラとマイクを向ける。町の人が知ることはクロヌシの伝承程度だし、伝承に基づいて観光客に忠告することくらいしか出来ない。なのに執拗にマイクとカメラで付け回されれば迷惑でしかない。どうもマスコミってのはカメラやマイクを持って報道を振りかざせば、何でも出来るし許されると思っている感が否めない。
 その間を縫って町の人から聞き込みや情報収集をするのは、別の切り口から臨むと意外と上手くいく。マスコミの取材に迷惑している様子の飲食店や土産物屋には、観光客を装って店に入って注文したりお勧めを聞いて買ったりする。マスコミは飲食物や燃料は買い漁るがそれ以外は無頓着だから、店の人は客の相手をするという口実が作りやすい。
 ごねるマスコミには営業妨害を盾に追い出し、ものを買いつつ歓談。マスコミの無遠慮な取材攻勢にはかなり不満を募らせているようで、色々話してくれた。得られる情報は似たり寄ったりだったけど、クロヌシの存在は昔からの住人には幼少時から聞かされていた存在なのが良く分かった。
 地域の伝承を調べていると付け加えると、市の図書館の他に歴史資料館の存在を教えてくれたり、クロヌシに纏わる昔話を聞かせてくれたりした。片や警察と押し問答を展開し、片やマイクとカメラを押しつけて来る状況に辟易した町の人達を、心情的にこちらの味方にすることが出来たと思う。今後に有利になるかは別として、長く滞在してヒヒイロカネを回収するには、町の人の心情を良くしておくに越したことはない。

「気になるローカルな伝承があったね。…これ。」

 その伝承は、町の老人から聞いた昔話。他のクロヌシ絡みの話が大抵、クロヌシが悪い奴を食らっておしまい、という流れなのに対して、この昔話はクロヌシがこの地に現れることになったきっかけだった。念のためシャルに録音してもらって老人の昔話に傾聴した。
 昔々の話。春夏のカツオ漁を中心に栄えていたこの町に、何処からか男が訪れた。男はこの町をもっと栄えさせると言って海に呪(まじな)いをした。直後から豊漁が続き、町は栄えたが、男は代償として自分をこの町の長とするよう要求した。やや不安ながらも町民が男を町の長にすると、男は正体を現した。天狗だったのだ。天狗は呪いで巨大な化け物を呼び出し、人々の支配に乗り出した。
 町の人は天狗を追い出そうとしたが、悉く龍のような化け物に食い殺されてしまった。天狗は、残った町の男性には奴隷のような労役を、女性には愛人となるよう命じ、逆らうものは化け物に食い殺させた。町は化け物を従えた天狗が支配する重苦しいものになった。殿様が討伐のため家来を派遣したが、誰1人として帰ってこなかった。
 ある日、町に旅の僧侶が訪れた。僧侶は天狗の存在を知り、天狗に戦いを挑んだ。海が荒れ狂い、雷が空を切り裂いた。壮絶な死闘の果てに、僧侶は天狗に勝利した。天狗は最後の力を振り絞り、化け物と一体化して海に沈んで行った。海に力が戻る時、浜辺に出る人間を食らってやる、と呪いの言葉を残して。
 町に平和が戻り、僧侶は何処へと去って行った。人々は僧侶の偉業を称え、殺された人々の魂を慰めるため、僧侶が残していった杖を宝物として寺を建立した。その寺が、僕とシャルが初日に捜索した寺社仏閣の1つ、天伏寺(てんふくじ)。天伏寺には後に描かれた僧侶と天狗の闘いの屏風画が、やはり宝物として安置されている。
 町は落ち着きを取り戻したが、海鳴りがする夜、天狗と一体になった化け物が海から現れ、浜辺に居る人間を食らうようになった。海鳴りは天狗の怒りと恨みの叫びであり、天狗は浜辺で人を食らって今も生きながらえている。だからこの町の人間は、昔からの言い伝えを守り、海鳴りがする夜には決して浜辺には出ない。

「昔話ではあるけど、この地にヒヒイロカネが出没するようになった背景が感じられるね。今風に読み替えれば、ヒヒイロカネを持ち出した手配犯の1人がヒヒイロカネを悪用してこの町を支配しようとしたけど、暴かれて追放されるなり処刑されたかで、制御を失ったヒヒイロカネだけが海に残った、と。」
「その線は十分考えられますね。」

 御伽話や伝承、神話や伝説といったものは全て真実とするのも、全て荒唐無稽なものとするのも誤りだ。色眼鏡や先入観なしに文献や資料を精査して仮説を立て、それを実証するのが歴史学や考古学だと思うんだけど、どうも政治や宗教やオカルトが絡んで意味不明な方向に走りやすい。
 クロヌシがヒヒイロカネであるのは間違いないけど、海から出ている様子がないこと、そして特定の条件の時にしか出没しないことが謎だ。これも、昔話を基に今風に推測すれば、手配犯が持ち込んだヒヒイロカネの知能レベルがさほど高くなくて、「この条件だと人が食える」と学習した条件下だけ行動するためで、海から出ないのは、重量があり過ぎて陸上での行動が無理だと分かっているからだと考えられる。
 知能レベルが高くないからと侮ることは出来ない。映像で見た限りでも、闇に紛れて音もなく姿を現し、俊敏な動作で獲物を捉える。この攻撃を避けるのは事前に知っていても難しいだろう。それに、身体はヒヒイロカネそのものだから、多少の攻撃ではびくともしない。
 こういう生物−ヒヒイロカネは金属だからこういう表現はやや違和感があるけど、生存のために必要なことは必ず実行するし、そのためには仲間に犠牲が出ようが自分の手足がもげようがお構いなしだ。突進のみの軍隊が非常に危険なことは、某国の海兵隊が証明している。
 しかも、これまでになく巨大と来ている。無力化するにはシャルも相当の損傷やエネルギー消耗は免れない。SMSAの支援は要請するとしても、最低限、確実に行動不能にしないといけない。そうじゃないとSMSA職員に犠牲が出る恐れがある。

「明日、天伏寺に行って住職に話を聞いてみよう。」
「そうですね。住職は何かヒヒイロカネに纏わる秘密や伝承を知っているかもしれません。」

 天伏寺はナチウラ市滞在初日に探索したけど、境内からヒヒイロカネの有無を探っただけだった。天伏寺がクロヌシ=ヒヒイロカネと密接な関係があって、屏風画には天狗と僧侶の戦いの様子が描かれているという。そういったものに何かヒントや情報が隠されているかもしれない。
 思わぬ形で存在が発覚したヒヒイロカネことクロヌシだけど、まだまだ謎は多い。天狗と描かれた手配犯の行方も気になるところだ。謎を解き明かすには地道な聞き込みや探索での情報収集が必要だ。新たな犠牲者が出る前にヒヒイロカネを捕えて回収するために、面倒とか言う余地はない…。
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