謎町紀行

第17章 露呈する監視の町の弱点と暗部

written by Moonstone

 翌朝、目覚めた時に僕の左手がシャルのお腹の上に乗っていて、寝る前のことが夢や勘違いじゃなかったことを噛み締めて、少し後で目覚めたシャルと一緒に併設のレストランへ。朝食は定番のビュッフェ方式。メニューが多彩で思わず目移りしてしまう。天気も良いから外の席で食べることにした。相変わらずシャルに集まる視線が凄い。

「夜通しの宝探しの結果、一部は原因が判明したようです。」

 シャルが僕のスマートフォンを操作してニュース速報を見せる。「タカオ市のネットワークダウン、ハブに原因か」という見出しで、ハブの1個に異常が見つかったことが明らかになったという記事だ。ハブの1台を外して検証したところ、全く機能しないことが明らかになって、それをタカオ市の広報室が公表した形だ。
 緊急対策本部の−一応昨日の午前の段階で設置されたようだ−本部長という立ち位置である市長は、広報室を通じて「原因の一端が判明した。担当者に全てのハブの点検と異常筐体の交換を指示した」「早急な復旧を目指して全力を挙げる」とコメントしている。
 広報室を介してのコメントだけで、市長は2日目の今も記者会見を開いていない。サイバーパソナ社も同じだ。よくあるネットワークの不調の大規模なものとして幕引きを図りたいのでは、と穿った見方をしてしまうけど、無きにしも非ずだろう。表舞台に出たら非難の集中砲火を食らうのは目に見えてるし。
 不審者として情報をアップして「注意喚起」しようにも、サーバへのアクセスがそもそも出来ない状況だ。民間監視員は情報の提供や共有が出来ないから、個別に監視や尾行をするしかない。それも市のサイトが使えない状況だと、対象者に気づかれて詰め寄られるなどトラブルになっても後ろ盾がない。

「民間監視員も機能しなくなっているようです。トラブルも続々表に出てきています。」

 シャルが見せた別のウィンドウには、「タカオ市の民間監視員、トラブル続出」「相互監視社会、ネットワークダウンで弊害露呈」などの見出しで、タカオ市のもう1つの混乱の報道が表示される。旅行者が執拗な尾行や監視に気づき、民間監視員を捕まえて激しく詰め寄ったり、条例を背景にした相互監視社会の弊害を弁護士などが告発している。
 条例反対派の市議や市民団体などは千載一遇のチャンスと市選出の県議や国会議員にも働き掛け、条例の廃止撤廃に向けて精力的に動いているようだ。条例推進派の市議も、やはり市選出の県議や国会議員に「一時の不具合で治安維持のシステムを崩すのは良くない」などと働きかけてはいるが、SNSをはじめ全国に広がる報道を前に、こちらの反応はかなり消極的だ。
 議員が最も恐れるのは、次の選挙での落選。議員の時は数々の特権があるけど、落選したら最悪無職。だからクレジットカードの審査でも、議員は国会議員でも思ったより評価は高くないそうだ。「自治体版治安維持法」など酷評と共に一気に広がったタカオ市の条例に与するのは危険だと判断したんだろう。
 そんな動きもあってか、推進派の市議は取材に対して「調査中」や「ノーコメント」を連発している。市役所には、監視対象にされた、或いはされていた人達が市の内外から押しかけ、市長を出せと詰め寄っている。当然ながら窓口は全く機能していないから、市役所は開庁前から大混乱している。

「全部ハブを入れ換えるのかな。」
「1台のハブに異常があったとなれば、ハブを総入れ替えするのが速度面の効率は最高ですね。」
「ハブって安いものだと数千円くらいであるけど、台数が多いから出費は無視できない額だね。」
「それも全部税金からですからね。それで復旧すればまだしも、それで済む訳がありません。」

 今回の作戦全体からすると、一部のハブのダウンによるネットワークダウンは前哨戦。この先更なる攻撃が控えている。ハブの調達にも1週間はかかるだろうし、全面入れ換えが完了しても次の攻撃が襲う。そうなると、ネットワークダウンは1週間どころじゃ済まない。サイバーパソナ社と市長は更に厳しい立場に追い込まれる。
 勿論、今回の作戦はそれが狙いだ。ネットワークが前提の市のサービスを1日でも完全にダウンさせたら大変なことなのに、それが1週間も2週間も続いたら、市の業務全体が滞る。ネットワークの管理を全面委託されているサイバーパソナ社は何をやっているのかとなるのは当然だし、癒着している市長に厳しい目が向けられるのもやはり当然。
 ここまでで露呈した驚くべき事実の1つが、サイバーパソナ社の社員が10名、しかもそれだけでタカオ市のネットワーク関連の業務を全て担うということ。中小企業なら珍しい数じゃないけど、曲がりなりにもそこそこの規模の自治体のネットワーク全般を預かる企業としては、下請なり人材派遣なりで保守メンテナンスや万が一のバックアップを固めておくくらいはしておくべきだろう。だがそれが全くなかった。
 恐らく、相互監視社会を形成してネットワークを不可侵領域にしたことで、10名でも適当にしてれば問題ないと高を括っていたんだろう。それがこんな一大事になったことで、復旧体制の驚くべきほどの脆弱さが露呈した。これもノガナ新報社を中心に報道されている。どんどん市長とサイバーパソナ社の包囲網が狭まっている。

「ハブを全部取り換えて使えるようになっても、次が待ってますからねー。何時寝られるんでしょうねー。」
「もしかして…、他に考えてる?」
「さあ。」

 絶対シャルはサーバダウン以外に何か考えてる。それも市長とサイバーパソナ社の立場がより悪くなることを。それこそ、サイバーパソナ社の社員は何時寝られるか、否、事態を解決できるのが先か疲労と睡魔でダウンするのが先かを強いられるのは確実。まさに地獄の制裁だ。

「そんなことより、今日は此処へ行きたいです。」

 シャルがスマートフォンで表示したマップには、N県北東部にあるサワノ温泉にマーカーが立てられている。何時の間に調べたんだろう?僕も名前は知っている有名温泉郷の1つだけど、此処から車で高速を使っても2時間はかかる。タカオ市の騒動の間、タカオ市には近づかないつもりらしい。
 もっとも、タカオ市に戻ったところでタカオ市でなければ出来ないことは、今の僕にはない。次の攻撃はシャルがしっかり準備しているだろうし、大混乱中のタカオ市には、県警も出動して暴徒化を警戒しているという報道がある。殺気立ったタカオ市に不用意に踏み込むと、部外者の僕とシャルが標的にされる恐れがある。

「宿は確保できる?」
「既に確保してあります。次の攻撃から更なる混乱を見越して5泊分です。」
「タカオ市のホテルより滞在が長くなるかもね。朝ご飯を済ませたら出発しよう。」
「はい。此処の温泉、色々興味深い施設があるですよ。」

 シャルは少し身を乗り出してサワノ温泉の施設をスマートフォンの画面と共に解説する。N県はかなり温泉が多い地域だから、人体創製で本体の車とは別に行動できるようになったことで特徴的な行動である飲食と入浴を楽しめる場所をつぶさに探しているようだ。タカオ市の負の渦にわざわざ飛び込みに行く必要も義理もないから、シャルの興味と探索に任せて観光する方が良い。
 車はシャル本体だし、高速料金や宿泊代は全く気にしなくて良い。騒動を傍観しながら温泉街で寛ぐってのは、これまで考えもしなかったことだ。どちらかと言うと、騒動に巻き込まれて不要な尻拭いをさせられることの方が僕の役割みたいなところもあったくらいだし…。

「色々な形態があって面白いですね。」

 昼過ぎにサワノ温泉町に到着して、町営の駐車場にシャル本体を止めて昼食をして温泉巡り。この町は彼方此方に公衆浴場として温泉が点在していて、入浴料を払うと誰でも入ることが出来る。同じ場所だから温泉の泉質は変わらないけど、平原や山の麓にあったり、町中にあったりする。
 まだチェックインの時間には少し早いから、こうして温泉巡りをしているけど、シャルは本当に目立つ。温泉街は若年層の比率が低めだし、そんな中で長い金髪に際立つ容貌とスタイルの若い女性が湯上りで出歩けば、目立たない方がおかしいか。湯上りだからか今は髪をおろしているのが余計に目立つ要因になっている。

「リボンはどうしたの?」
「簡単に仕舞えますよ。」
『リボンを髪に同化させることくらい、プログラムソースにコメントを加える程度のものです。』
「言われてみれば、そんなかさばるものでもなかったね。リボンをしている方を見慣れてるから新鮮に見える。」
「髪型を変えると印象が変わるものなんですね。私本人であることは変わらないのに。」
「男性だと髪型のバリエーションは大してないけど、女性は特に髪が長いと色んな髪型が出来て、それだけで違った印象になるんだよ。」
「不思議なものですね。」

 僕は、男性で長い髪が似合う或いは違和感がないのは所謂二次元だけだと思う。はっきり言って様にならない。女性は髪や服を変えると印象が大きく変わる。女性ものの方が衣料品店が多く、ショッピングモールでも大抵出入り口に近いところや低層階にあるのは、服次第で印象が変わることを女性が知っているからだと思う。
 町営の駐車場は、温泉街の近くにある。だから町の近郊に住んでいる人が日帰りで温泉巡りをすることもあるそうだ。それもあってか、町営の駐車場は広いし料金も安い。温泉街は、特に中心部は車が一応通れる程度の広さしかない道で、しかも入り組んでいる。駐車場に車を置いて歩いた方が都合が良い。
 温泉巡りの客を対象にしているらしい飲食店が豊富だ。足湯に入りながら飲食できる店もあったりする。僕とシャルは、手近なカフェに入る。温泉街の建物に合わせた黒の柱と白の壁を基本にした落ち着いた雰囲気の店だ。揃ってアイスティーを頼んで、スマートフォンをテーブルに置いてタカオ市の騒動を垣間見る。
 一言で言えば、暴動寸前。市長がハブの全交換を指示したは良いが、正常異常含めて何百とあるハブを入れ換えるには、当然ながら新品が必要。幾ら市販製品でも何百という数は言われてすぐに用意できるものじゃない。家電量販店はタカオ市に複数あるけど、それを全部買占めても到底足りない。
 急いで手配しても商社に在庫がないとどうしようもない。1週間はかかる。それから10名の社員で交換だからネットワーク復旧は10日はかかるだろう。そんな見通しが報道されたことで、詰めかけた市民の怒りは募る一方。色々な届もまったく受け付けられないから、市民はたまったもんじゃない。
 市民の怒りに油を注いだのは、何と市長。ついに記者会見を開く羽目になったが、その席上、ネットワーク復旧の時期について問われた際、「ネットワークがなくても仕事は出来る」「市民は冷静になって欲しい」「たかがネットワークの不具合で治安が乱れるようなことはあってはならない」と言い放った。
 2つ目はまだしも、他はまさに「お前が言うな」だ。住民票や婚姻届といった各種届け出の受理や登録、住民税や固定資産税の徴収や管理、果ては部署や個人間の連絡もすべてネットワークに立脚して成立しているのに、「ネットワークがなくても仕事が出来る」とはどの口が言うか、だ。
 治安の乱れも何も、届け出も受理されなければ各種交付金の支出も停止して市民が困っていると言うのに、治安がどうとか言うのは押しかけた市民を犯罪者予備軍と言っているようなもんだ。この発言で記者会見は紛糾し、市長は秘書や広報室の職員に守られてそそくさと退室したが、一連の動画が報道されたからさあ大変。
 「治安維持と称して市民運動を抑え込んでおいて、ネットワークは脆弱そのもの」「ネットワークがなければ仕事が出来ない実情を知らないのか」「市民がこれだけ怒っているのは誰のせいだと思っているのか」など、SNSでは怒りが大爆発。近隣の市民も大挙して押し寄せ、「市長を出せ」「市長は辞職しろ」と激しく詰め寄っている。
 サイバーパソナ社の社長は完全に雲隠れ。社員は全員駆り出されているけど、肝心の社長は全く姿を現さない。どうやら秘書か広報担当者がいるようだが、その人物は「全力で対応にあたっている」「状況の分析と対策を昼夜分かたず行っている」と繰り返すだけ。市民はサイバーパソナ社前にも押しかけ、記者会見を開けと激しく詰め寄っている。

「事態はますます悪化してるね。」
「ハブの全交換が直ぐに出来ると思ったんでしょうけど、そうはいきませんよ。」

 ハブの全交換は始まったばかり。交換しても通信の確認が必要だけど、それに前後してシャルの攻撃第2弾が始まる。サーバへの攻撃だろうけど、それだけじゃ済まないだろう。時々シャルが明らかに怒っている様子を垣間見せるから、徹底的に攻撃してこれまでの報復とする考えなのは間違いない。

「このまま荷物だけタカオ市に置いて、周辺を回る?」
「そうしたいです。タカオ市に居なくても十分出来ますから。」

 水素は念のため途中のスタンドで充填したし−ハブの書き換えを幾つもしたせいか思ったより減っていた−、金についてはカードがあるから全く心配ない。念のため現金も追加で引き出してある。物置代わりになっているタカオ市のホテルには、僕の着替えが入ったバッグくらいしかない。
 サワノ温泉は勿論温泉がメインではあるけど、冬はスキー場になる高原があるし、木彫りやガラス工芸の体験場所もある。タカオ市の騒乱を尻目に寛ぎながら見たり体験したりする場所には事欠かない。町の随所にある公衆浴場を回るだけでも結構かかりそうだ。

「そのとおりだね。シャルは何処か行きたいところはある?」
「まずはこれですね。」

 シャルはスマートフォンに新規のウィンドウを表示する。木彫り体験所だ。僕とシャルが滞在する旅館から徒歩数分のところにある。木彫りで彫刻や器づくりが体験できて、職人が製造した製品の即売所も兼ねている。手先の器用さには自信がないけど、今は臆せず体験してみれば良い。失敗しても周囲から責められたりすることはないんだし…。
 チョップド・ストリング作戦開始から丁度1週間。サワノ温泉を全部回ってスマートフォンで次の目的地を探す僕とシャルとは対照的に、タカオ市の事態は益々悪化している。ハブの全交換に重大な遅れが生じたのが発端だ。これはたった10人で外部委託もしていないサイバーパソナ社の人的脆弱性が最大の要因。
 ハブを全交換することにしたのは良いけど、交換するハブが揃わないと手の出しようがない。厄介なことに、そのハブは2年前にメーカーが製造終了していて、その製品では必要な分を揃えることが出来ないと来た。こうなると商品の選定からやり直さないといけない。
 シャルが攻撃1弾として内部回路を書き換えたという特殊な事情はあるけど、定期的に保守作業をしていれば、もう少し機敏に対応できていただろう。だけど、サイバーパソナ社はネット湧く関係の委託料として高額な金銭を得ておきながら、保守作業など碌に実施してなかったことが、ついに内部資料で暴露されるに至った。
 市議会で条例に一貫して反対する政党の機関紙に掲載されたのが発端で、2,3日後に全国紙にも波及したんだけど、契約書はタカオ市のネットワークとサーバ管理業務で、金額は年1億円。タカオ市の1年間の収入からすると1%にも満たないけど、金額は十分高額な部類。しかも、管理業務と言いながら接続状況確認だけで終わっているという杜撰さと比較してどう見えるか。
 接続状況の確認といっても、単にノートPCやタブレットで適当な情報コンセントに繋いで、Webブラウザが使えればOKという安直なもの。ハブなどの点検や交換は一度も行われていないという。これが5月と11月の年2回。これで年1億円はどう考えてもおかしい。
 更に内部資料で、サイバーパソナ社との業務委託契約では競争入札はなく、市長の一声でサイバーパソナ社に決まったことが暴露された。官公庁の物品発注は一定額以上になると入札が必要になる。1億なら当然入札になるところだ。それが市長の独断でサイバーパソナ社に決まったとなれば、癒着と言われても仕方ない。
 市のネットワークが全面ダウンして、市民を相互監視させていたシステムも機能停止したことで、これまでの不満や怒りが市役所内部からも噴出してきたようだ。市長はこれらの事実が報道されても、「復旧には全力で取り組んでいる」と広報室を通して繰り返すだけ。1週間経っても復旧しないんだから、市役所の職員もたまったもんじゃない。
 サイバーパソナ社についても同様。報道陣が押し掛け、記者会見で謝罪と事情の説明をするよう再三求めているけど、秘書が「全力で対策にあたっている」と繰り返すだけ。市長とまったく同じ体たらくに、同じく詰めかけた市民が激しく詰め寄って、ついに秘書も現れなくなって、サイバーパソナ社の出入り口に鍵をかけてしまった。

「徹底的な逃げの姿勢だね。」
「逃げるしかないようですね。対策は10名の社員任せですし、それもおぼつかないのでは説明のしようがありませんから。」

 サイバーパソナ社の社長の正体は不明だけど、ヒヒイロカネと目される市長は自分の手で何とか出来そうな気がするんだけど、権力を背景にした傲慢さに浸るがあまり、並列処理やネットワークなどへの自由な介入など超文明的な能力を忘れてしまったんだろうか。回収には好都合ではあるけど。
 シャルの説明では、機能停止させたハブを含めてネットワークに自分以外の介入があった形跡はないそうだ。ということは、市長はヒヒイロカネじゃない?だけど、元助役の証言からしてヒヒイロカネとしか考えられないし…。

「身体の一部だけを置き換えている、義手のような状態と考えられます。」

 旅館をチェックアウトしてシャル本体の車に乗り込んだところで、シャルが言う。

「そういうことって可能なの?ヒヒイロカネと人体を融合すると、ヒヒイロカネに乗っ取られる印象が強いんだけど。」
「ヒヒイロカネに水準を問わず人格が存在すると何れは乗っ取られるか、元助役の方のように肉体を変質されたりしますけど、特定条件に処理されたヒヒイロカネは、同化した人間などの意志で自在に操れますし、乗っ取られることもありません。ヒロキさんの腕時計がその典型例です。」
「なるほど。人格を持つかどうかでヒヒイロカネの性質は変わるんだね。」
「そうです。ですから、人格OSの搭載や重大事態での修正は、管理区域内でしか行えないことになっているんです。人格OSの人格レベルも非常に厳密に審査されます。」

 シャルのような自分で考え創造できて、明確な意思を持つ人格OSの搭載はごく限られた条件でのみ可能なのか。ヒヒイロカネを持ち出した手配犯は、ヒヒイロカネしか持ち出せていないという。幾らシャルが創られた世界が高度な文明を持っていても、そこから外れて設備も道具もない環境でシャルと同等の人格OSを搭載する機械を作るのは相当な困難だ。
 これまでの推測では、手配犯が人格OSを搭載できる機械を作り出している確率が考えられるとしていた。それは恐らく外れてはいないけど、高度な人格OSを搭載できるほどじゃないと考えられる。手配犯はバラバラに行動しているのが確実だし、戦略を練って進めれば十分勝算はある。
 僕はシャル本体を動かし始める。駐車場を出て県道から国道、そして高速道路に入る。移動先はN県の東部、タガミ市やその近傍。此処もシャルが先に5泊分確保済み。やっぱりというか、市街地から少し離れたところにある温泉街の旅館。入浴、特に温泉が殊更気に行っているシャルらしい選択だ。
 サワノ温泉からタガミ市までは高速でも3時間はかかる。途中タカオ市最寄りのタカオインターもある。深刻を通り越して非常事態に陥ったタカオ市を悠然と通過することになるけど、市長とサイバーパソナ社の社長が雲隠れを続ける限り、事態の円満解決はない。表舞台に引きずり出されるまで高みの見物で良い。
 観光と間違えそうなここ暫くの動向だけど、地域のヒヒイロカネ探索も忘れてはいない。今のところヒヒイロカネは影も形もない。町も至って平穏。異様な状況にある町はヒヒイロカネが持ち込まれたものだと考えると、探索しやすくなるかもしれない。意外とひっそり隠されているかもしれないから過信は禁物だけど。

 その日の夜、旅館にチェックインして天然温泉の風呂に行く準備をしていた時、シャルが唐突にダイレクト通話をしてきた。

『タカオ市で大きな動きがありました。詰めかけていた市民と一部市役所職員が、市長室とサイバーパソナ社のオフィスに強行突破を図りました。』

 強行突破?!大きな動きがまさか市長やサイバーパソナ社からじゃなくて、市民や市役所職員から起こるとは…。ブラック企業だの生活苦だの言いながら、労働組合や市民運動を軽蔑・敵視さえする根っからの奴隷気質の日本で、暴徒と揶揄されることも承知で強硬手段に出るとは予想外だ。
 僕がスマートフォンを出そうとすると、TVがひとりでにONになって、そこに中継画面が2つ並んで表示される。左側は…市役所の市長室前らしいか。右側はサイバーパソナ社のオフィス前か。市民がドアにパイプ椅子や金属バットを叩きつけている。警察も居るには居るけど、他の市民が作るバリゲートで阻まれているし、止めようともしない。
 市役所やサイバーパソナ社には、既に多くの市民と市外から来た市民団体が詰めかけている。これまで不満を抱えながらも民間監視員の対象になるのを恐れていた人も多数いるだろう。報道では詰めかけた人の数は10万人を超えるという。警察とは数が違い過ぎる。
 本気で群衆になった市民の勢いは強い。市の警察程度じゃ抑えられないし、下手に実力行使したら、「自治体版治安維持法に味方する市長や癒着企業の犬」などと謗られ、信頼は地の底に堕ちる。TV中継は勿論だけど、SNSで過程も含めて中継されている。政党助成金や企業献金でネット工作をする某政党の工作員は別として、誤魔化しは効かない。
 それにしても、激しい攻撃だ。ドアにガラスがないのが幸いと言うべきだろうか。ドアは彼方此方凹んで、元々薄いらしいサイバーパソナ社の出入り口は、凹んだ結果隙間が出来始めている。こちらはこのままだと突き破られるのは時間の問題のようだ。

『我慢の限界に達したようだね。当然と言えばそうだけど、こういう行動に出るのは正直予想外だよ。』
『私も少々意外ではありますが、市長とサイバーパソナ社をどうにかしないと行政が何も動きませんから、動かないものを動かすために実力行使に打って出たと言えます。』

 大小のカメラが向けられているのを自覚してか、警察は強引にバリゲートを突破してでも止めようとはしないし、そもそもバリゲートの前から微動だにしない。秘書や側近らしい人が警察に詰め寄っているが、「だったら市長(社長)を出せ」とバリゲートから一斉に攻められて、女性が多いせいか泣き出してしまう人もいる。
 ドアが破壊されて突入される危険が迫っているのに、市長や社長はまだ姿を現さない。危機感がないのか、或いは…何処かから逃亡したか。後者だと捜索の必要が出て来る。ヒヒイロカネを所有している、少なくとも存在を知る重要参考人だから、逃がすわけにはいかない。

『作戦に基づく攻撃第2弾を開始しました。』
『この時期に?まだ第1弾が有効なのに。』
『市長とサイバーパソナ社の責任をより重くするためです。仮に何らかの手段で逃亡したとしても、職務放棄や背任など、より強い責任追及や刑事事件としての立件は避けられません。』
『それは確かに。第2弾はサーバの破壊?』
『サーバへのネットワーク経路が出来た瞬間、ウィルスを装って監視情報をはじめとする条例関連のファイルを一斉に流出させます。』

 監視情報の流出?!そういう手段を取るか。全面ダウンしたネットワークの復旧作業で誤ってウィルスに感染、という筋書きは成り立つけど、サイバーパソナ社の信頼は底を破ってマイナスの方向に突き抜ける。曲がりなりにもIT企業を謳っておきながら、復旧は遅々として進まないわ挙句ウィルス感染で情報を流出させるわでは、話にならない。
 監視の実態が表沙汰になれば、市長の責任追及が更に強まるのは確実。これまで表で裏で市長やサイバーパソナ社を擁護して来た取り巻きの市議や、その背後に居る県議や国会議員も、最早庇い切れないとなればあっさりと切り捨てるだろう。もう市長やサイバーパソナ社に逃げ場はない。

『市役所とサイバーパソナ社オフィスに、諜報部隊を派遣しました。』
『何時の間に?』
『サワノ温泉を出る時です。そろそろ頃合いだと思って。』
『判断が早いね。』
『元凶は徹底的に追い詰めますよー。せいぜいカメラのフラッシュに晒されてマイクを突き付けられて、本性を露わにしてもらいましょうー。』

 危険だ。シャルの怒りは高まる方向に突きぬけている。僕が提案したのはサーバの破壊だから大して変わらないかもしれないけど、より事態が悪化する方向に突き抜けてる。市長やサイバーパソナ社には破滅しか残されてない。この先どうなるか、僕は当事者の1人として見届ける必要がある。

『諜報部隊は現地に到着してる?』
『はい。今TV画面に表示している映像は、諜報部隊による生中継です。』
『本当に手際が良いね。』
『市長とサイバーパソナ社の社長は、ドアの向こうに居ます。まだ本性を現していません。』
『本性?』
『サイバーパソナ社の社長は完全な人間ですが、市長からヒヒイロカネのスペクトルが検出されました。』
『!!』

 市長の正体が確定した。ヒヒイロカネは市長が持っている、否、ヒヒイロカネが市長だ。じゃあ、このまま市民が突入したら市長はどう対処する?大小多数のカメラがある下で本性を出したら、背後に居ると思われる手配犯の存在、ひいては手配犯と手を組む存在を掴まれてしまう。その前に阻止するべきか?どうやって?

『スペクトル解析をしたところ、ヒヒイロカネは全体ではなく、両腕と胸部のみに存在することが分かりました。』
『鎧みたいな感じか。それだと市長はヒヒイロカネと一体化してるってこと?』
『はい。恐らくプレーン−人格を搭載しない状態で肉体との同化処理を施されたのでしょう。この状態ではヒヒイロカネに乗っ取られることはありません。』

 シャルの説明だと、ヒヒイロカネは事故や病気で欠損したり、機能しなくなった肉体の一部を置き換えたり代替することも出来る。それはプレーンでのみ可能で、免許を所有する医療技術者−シャルが創られた世界にある職業−のみが可能。当然、管理区域とされた専用の処置室でのみ行える。
 この世界にも義手や義足といったものがあるし、腎不全には人工透析といった代替措置がある。それがヒヒイロカネで可能になっているわけだ。脊椎損傷で首から下が麻痺した人にも適用できるし、正しい使い方をすればヒヒイロカネは事故や病気、その後遺症で苦しむ人々への福音になる。
 市長がヒヒイロカネを両腕と胸に埋め込んだのは、恐らく自分を守るため。その一端は元助役の無残な姿が証明している。市長の意志は健在なら、切羽詰まってヒヒイロカネを発動するか?やっぱり早々に戻って市長を捕縛する方向で動かないといけないんじゃ?

『市長は市長室でやり過ごすしかありません。』
『どうして分かるの?』
『攻撃第2弾の準備のためサーバに侵入したところ、市長と手配犯と思しき人物との契約書を発見しました。』

 契約書がそんなところにあったなんて。契約書とかは印刷した書面でするもんじゃないのか?IT企業を謳うから、何もかも電子化したんだろうか?電子化と言えば聞こえは良いけど、どんなに高度な暗号やセキュリティで固めても、傍受や改竄、流出の危険は付き纏う。そんなリスクを分かってなかったのか?

『その契約書には、ヒヒイロカネを発動させる場合、市長は必ず対象者のみならず目撃者全員を拘束し、手配犯と思しき人物の判断を仰ぐとあり、条項に違反した場合、市長は手配犯と思しき人物に抹殺されるものとする−このように記載されています。』
『悪魔との契約そのものだ…。』
『そんな感じですね。突入した市民に袋叩きにされて表舞台に引きずり出されるか、手配犯と思しき人物に抹殺されるか、究極の二者択一です。』

 市長がそんな契約をしていたこと自体驚きだ。万が一のことを考えなかったんだろうか?ヒヒイロカネの見たこともない能力と、条例を背景にした相互監視社会の構築、そして癒着しているサイバーパソナ社のネットワーク管理で万事安泰と思いこんだんだろうか?

『私のように全身がヒヒイロカネなら壁と同化して逃げ出すことも可能ですが、肉体の一部をヒヒイロカネに置き換えた状態では、壁抜けなどは出来ません。無理にしようとすれば死ぬだけです。』
『人間が壁にめり込むようなものだよね。』
『はい。その契約書など、ヒヒイロカネに関する内容は流出させませんが、その他の悪事は全て流出させます。』

 市長とサイバーパソナ社は、確実に破滅へと追い詰められている。市長は悪魔と契約したことを今更実感しているんだろうか?まさかの事態に狼狽してるんだろうか?何れにせよ、ドアが破壊されるかそれ以前に降伏するかの二者択一だ。どちらも大なり小なり袋叩きにされることは覚悟しないといけない。

『どちらもこのままのペースでドアを連打して、破壊は深夜から未明になる予測です。録画はしていますから、顛末は後でじっくり見られますよ。』
『中継もされてるし、何かしたら市長はそれこそ抹殺ものだよね。』
「ですから、お風呂へ行きましょう。ヒロキさんは長距離運転で疲れたでしょうし、喧騒から離れてゆっくりしましょう。」

 シャルは僕の手を取る。唐突で積極的な行動に胸が大きく脈動する。シャルも浴衣を持っている。シャルならわざわざ着なくても一瞬で着たい服に変えられるのに、敢えて浴衣を着るようだ。人型を取るようになって出来るようになった入浴を楽しんでいるのは分かるけど、浴衣まで…?

どうしてそんなこと言うんだよ。
勘違いしないで。付き合ってると思ってたのはあんただけ。
じゃあ、どうして今まで…。
試用期間ってあるでしょ?それだけ。もうメールもSNSもしないで。したらセクハラだから。
セクハラって、拒絶するための印籠じゃないぞ!
触らないで!

どうして…!昨日まであんなに仲良くできてたのに…!

…ロキさん。ヒロキさん。

「!シャ、シャル。」
「かなりうなされてましたよ。」

 シャルの顔を見て思わず安堵の溜息を吐く。浴衣を着て髪を下ろしたシャルは僕の直ぐ傍に座っていて、タオルで僕の額を拭ってくれる。身体が熱い。暗い部屋に僕の、息が詰まる悪夢、否、かつて遭遇した現実の再現の余韻と言うべき荒い呼吸音が浮かんでは消える。

「偶に…夢に見るんだ。以前のこと。この旅に出る前の嫌な記憶の1つ。」
「女性に拒否されたことですね?」
「うん…。忘れたいのに、もう捨てた筈の過去なのに、まだ夢に見るなんて…。」
「納得できてないんですよ。」

 そう…なんだろう。納得できてない。どうしてあんなに簡単に態度を豹変できるのか、昨日まで馴れ馴れしいとも思えるほどだったのに、今日は忌々しいとばかりの態度を取るのか、未だに納得できてない。実はその女は彼氏と喧嘩中で、僕はその間の遊び道具だったと後で知ってからも…。
 そういうことは多少条件は違っても、何度もあった。僕は女ネットワークの間で都合の良い男と認識されていたらしい。色々理由はあったらしいけど、結局は気のある素振りをすれば簡単に好きになって言うことを聞くかららしい。見る目がなかったというのは簡単だけど、そんな策略なんてそうそう読めはしない。第一、見合い結婚を見下して盛大に恋愛から結婚したのに数年で離婚して泥沼の争いをしでかすカップルはどうなんだ。

「納得なんて、しなくて良いですよ。」

 シャルが発した言葉は、僕にとって予想外だ。思わずシャルを見る。

「理不尽な経験は特に理解も出来ませんし、納得も出来ません。事実の認識すら忌避したいと思うんですから、その方がむしろ自然です。」
「…。」
「1つ言えることは、過去は絶対に変えられないということです。私が創られた世界でもタイムマシンはありません。時を超えることは3次元世界の存在である以上、不可能です。過去を変えようとするのではなく、過去がどうでも良いと割り切れるほど良い記憶を作って、新しい良い過去で埋め固めてしまうのが良いですよ。」
「良い記憶…。」

 そうは言っても、過去に良い記憶なんてない。僕がどう働きかけても嫌な記憶ばかり蓄積されるのが嫌で、そんな現実が嫌になって、僕はシャルと旅に出ることを決めたんだ。良い記憶なんて…。

「私と一緒に居るようになってからの記憶では、足りませんか?」
「…シャル。」
「ヒロキさんが過去を生み出す現実を捨てて、私と旅に出てからの時間と記憶は、まだ過去を埋め固めるには足りないみたいですね。」
「シャルが悪いわけじゃ…!」

 シャルは徐に僕の頭を抱え上げたと思ったら、別の場所に僕の頭を置く。枕とは違う反発力と感触は、間違いなく膝枕。改めて目の前の光景に意識を戻す。浴衣姿のシャルを至近距離から見上げる位置と角度。シャルの顔の下半分を隠す隆起。凄い位置関係にこれまで頭に漂っていた悪夢の残滓が一気に無産する。

「こういうことを続けていけば、見る目がなかった女性達に無碍にされた記憶を埋め固めていくことは出来ると思いますけど、どうですか?」
「…出来ると思います。」

 過去を変えることも消すことも出来ない。だけど、それ以上に今や未来を良いものにすることは出来る。そのために僕はあの現実を全て捨てたんだ。シャルと一緒に旅に出ることで、これまで付き纏った現実を切り捨てて、新しい可能性があることを期待して。
 これまでより危険に遭遇することは増えた。実際に銃撃も受けた。だけど、シャルが何時も傍に居てくれる。僕と一緒に考え、話し合い、行動できるパートナーとして、更には人型を取るようになったことで、容貌もスタイルも抜群な妙齢の女性として、寝食も共に出来るようになったシャルが居る。これだけでも、あの現実を捨てた代償としては余りある。

「シャル。タカオ市の…」
「今は心を休めることだけ考えてください。」

 ふとタカオ市の状況が気になった僕を、シャルは遮る。シャルの左手が僕の頬を優しく撫でる。眠くなってきた…。

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