謎町紀行

第12章 町に漂う狂気

written by Moonstone

 第1のルートを回って、道の駅に到着。此処はかなり大きくて、物産の販売と食堂は勿論、会議や習い事も可能な多目的スペースや旧シシド町の特産の1つらしい陶芸の体験コーナー、そしてシャルが調査済みの温泉入浴施設がある。どうやら道の駅でもあるし、地域のコミュニティスペースも兼ねているらしい。
 割と最近作られたか改装されたか、建物はどれも綺麗だし、駐車場も潤沢だ。まずは入浴。タオルは現地でも買えるけど持ち込みできるから、僕とシャルはそれぞれ持っていく。入浴施設は建物に入って奥にもう1つある入り口から入る形だ。入浴料を払うとロッカーの鍵を貸してもらう。
 このロッカーの鍵はバンドが付いたカードで、これを男湯と女湯それぞれの出入り口で翳すことで入れる。受付でそう説明される。これで混雑の度合いがロビーで分かる仕組みでもある。考えられたもんだと思いつつ、シャルと一旦分かれて温泉へ。
 温泉は全体が木組みを基調にした内装以外は、目新しいものはない。ドライヤー完備の洗面台やヘルスメータ、給水設備といったものは揃っている。服を脱いでロッカーに入れて、鍵をかけて浴場へ。流石に広い。ホテルの人工温泉の倍はあるかな。
 人はそれほど多くない。洗い場も空きは十分ある。平日なのが幸いしたかな。髪と身体を洗ってから湯船に身体を浸す。広い湯船とたっぷりの湯は、自然とリラックスできる環境だ。長い山道を運転してちょっと疲れ気味の上に、早速怪しいワゴン車に付き纏われて、余分な疲労が加わってたし。
 僕の脳神経系にシャルが直接アクセスできる腕時計は、念のため今も身につけている。防水や耐衝撃はまったく問題ないそうだし、いざという時に直ぐに連絡を取れる。今もシャルに話しかけることは出来るだろうけど止めておく。

『大丈夫ですよ。』
『!シャル。唐突にアクセスするのは心臓に悪いよ。』
『そうは言っても、ヒロキさんからは話しかけてくれないじゃないですか。』
『話しかけるタイミングが分からないんだよ。髪を洗っていて邪魔になるんじゃないか、とかさ…。』
『直接話す時と同じ感覚で良いですよ。』

 僕はどうも電話やメールが苦手で、SNSは論外。どれも結局は「相手の顔が見えない」ことから生じる「裏で別の顔と声がある」ことへの恐怖や疑惑、嫌悪感が拭えない。働いていた時は仕事だから電話やメールはこなしていたけど、仕事そのものよりストレスになることがあった。
 今まで良い感じになりそうだった女性に突然冷たくされたり、嫌悪されたりしたのは、女性のメールやSNSに付き合いきれなかったことが原因だと思う。マメに気の利いたメールやメッセージを送ったりできないことで、つまらない男、つまり最低ランクの男の烙印を押されたんだろう。女性って、一度評価が最低ランクに達した男性を人間扱いしないことが普通だから。

『メールやメッセージを思いどおりに送られないと評価を下げるなんて、受身と同時に高慢ですね。この世界の女性は王侯貴族か何かなんですか?』
『…そういう態度でも問題ないんだよ。僕を突き放して拒絶しても、他の男性に少し気があるような素振りをすれば、交代要員は直ぐ出来るからね。あと、今の日本はなんだかんだで女性の言い分が通りやすいし、過去の女性保護の観念はそのままだから、受身と高慢が同居しやすいんだと思う。』
『つまらないのはヒロキさんじゃなくて、そういう女性だと思いますね。だって、ヒロキさんがもっとメールを送りたい、もっとお話ししたい、我慢ならないから直接会いたいという心境に持っていけなかったのは、女性の方がつまらないからでしょう?』
『…そんな視点は初めてだよ。だけど、核心を突いてるかもしれない。』

 シャルの言葉は物凄く斬新だけど、振り返るとそうだと思うことばかりだ。女性から送られてくるメールは、僕が心がけていたように相手を知りたいとか相手と時間を共有したいというものじゃなくて、自分はこういうことをした、自分はこう思うしこうしたいけど、と兎に角自分自分のオンパレードだった。
 愚痴には理解できる部分もあったけど、明らかに我儘や自分勝手と思う分には、こうした方が良いんじゃないかくらいの提案をした。それがどうも女性には気に食わないどころか逆鱗に触れることもあるらしく、それ以降メールが途絶えて拒絶された。
 それを回避して愚痴や自分アピールのメールを読んで返事をしようにも、次第に言葉が思いつかなくなってくる。相手を傷つけないようにとは分かるけど、建設的にしようとすれば怒るし、僕も自分の状況を掻い摘んで話してみると自分語りはつまらないと言われるし、訳が分からなくなる。

『私はヒロキさんと出逢ってからこうして一緒に居ますけど、ヒロキさんとお話ししていて楽しいとは思っても、つまらないと思ったことは一度もないです。ヒロキさんはどうですか?』
『凄く楽しいよ。幾らでも話をしたいと思うくらい。』
『私は、この世界のことは元からあるデータベースとそこに加えていった情報くらいしか知らないですけど、その私でもヒロキさんにそう思ってもらえるんですから、今までの女性は余程底が浅かったんでしょうね。底が浅いのがばれるのを恐れて、自分を精いっぱい語って凄い存在だとアピールしてたんですよ。』

 シャルは今までの女性とは一線を画してる。これまでの会話でも、ある命題に対してシャルと考えや意見を出し合って、1つの推論結論や行動の指針にしてきた。間違いがあったら都度修正すれば良いし、シャルとはそういう話が出来る。
 シャルが人格OSだから出来ることとは思わない。OSや人工知能という枕詞はあるが、自我があるれっきとした人格だ。1つの人格と討論したり、助け合ったり出来るのは、シャルがそういう人格だからだ。現にヒヒイロカネじゃなくて蛋白質で出来ている人間では、それが出来なかった。
 シャルは、自分が受身の状態で僕が機嫌を取ってくるのを待って評価する、シャルの表現を借りれば王侯貴族か何かのようなことはしない。きちんと僕を1人の人格として認めてくれている。これだけでも、これまでの全てを捨ててヒヒイロカネを探して回収する旅に出た意義はあったと思う。

『何だか、温泉に浸かってゆっくりする筈が僕のカウンセリングになってるね。』
『これまでの環境から隔絶されてゆっくり過去を振り返ることで、ヒロキさんの心に溜まっていた毒を取り出して心を綺麗に出来れば、過去をちょっと苦い思い出に昇華できると思います。時間はかかるかもしれませんけど、私はお付き合いしますよ。』
『…ありがとう。シャル。』

 どれだけ僕が頑張っても何も変わらなくて、何も与えてくれなかった会社も同僚も両親も兄弟も親族も、これまでの環境も全て捨てた筈なのに、心にまだ過去の記憶が棘になって刺さっている。それを取り除くのは確かに時間がかかるかもしれない。だけど、取り除かないといけない。
 捨てた筈の過去に翻弄され続けたんじゃ、変わりたかった、変えたかった僕自身と僕を取り巻く環境は変わらない。シャルと一緒なら完全に過去を振り切れる。そして、シャルと一緒に未知の世界を見ながら、ヒヒイロカネを回収しよう…。
 その日の夜。僕とシャルは昼に立ち寄った道の駅の駐車場に入る。施設は全て営業終了してるから、自動販売機とトイレしか機能していない。駐車場を照らすLEDライトが、佇んでいる妖怪か何かに思える。
 昼間の第1のルートよりこの第2ルートはかなり時間がかかった。出発が遅れたのが最大の要因。食事を済ませて出発しようかと思った時、国道がにわかに騒がしくなった。シャルが偵察機に通信の傍受や追跡をさせた結果、例のワゴン車の搬出と乗員の救助のためと分かった。
 例のワゴン車は、シャルがHUDに転送した偽の情報と映像を信じ込んで、行き止まりの道をひた走り、挙句森に勢い良く突っこんだ。ナビやHUDの表示で少しも疑問に思わなかったのか甚だ疑問だが、突っ込んだ勢いでフロントが大破。後部座席の連中が前の座席に叩きつけられたばかりか、4人のうち中央の座席に座っていた2人がフロントガラスを突き破って外に放り出された。どれだけスピードを出していたんだろう。
 後部座席でもシートベルトが義務化されて久しいんだけど、どうも連中はしてなかったらしい。大破したワゴン車の外も中も血塗れの地獄絵図。森の中は携帯も圏外だったらしく、運転手がどうにか道路に出て警察と救急車とロードサービスを呼んだ。そして国道が一時大騒ぎになった。
 あの県道は一時通行止めになって、夕暮までにようやく車が搬出された。第2のルートとは直接は関係なかったけど、片側1車線の蛇行が多い道路で事故が起こるとどれだけ大変か、よく分かる騒ぎだった。同時に、シャルの怒りを買った連中の末路を改めて知って戦慄した。

「車外に放り出された2人は全身打撲と複雑骨折で全治3カ月の重傷。後部座席の2名も骨折で全治1、2カ月。運転席と助手席の各1名はエアバッグとシートベルトで軽傷。−警察発表による事故状況は以上です。」
「免許更新時の講習ビデオみたいな結果になったね。せめてスピードを出さなかったら此処まで酷くはならなかったのに。」
「私の映像が細い道に入り込んだことで、一気に追いつめるつもりだったんでしょう。それが偽物で森に突っこんだ時、状況が理解できなかったでしょう。獲物に執着しすぎて、HUDやナビから総合的に状況を把握できなかった愚かな連中にはお似合いの結末です。」
「これから現場検証や事情聴取もあるだろうし、何より同乗者が大怪我してるから、賠償とかが大変だろうね。」
「任意保険に入っていれば金銭面はまだましでしょうけど、今回の事態で生じた相互の遺恨はまず消えないでしょう。これから先、縁が切れた者同士でせいぜい仲間割れに勤しめば良いです。」
「シャルを敵に回したのが最大の失敗だと良く分かるよ。」

 シャルが予想した通りの結末になった上に、今後は運転者と同乗者の間で別の意味で血で血を洗う争いが展開されるだろう。現場検証や事情聴取で「HUDで目の前の車を追っていたら、気付いたら森に突っこんでいた」なんて言っても、ナビでは明らかに行き止まりになってるから、警察も馬鹿を言うなと思うだろう。
 骨折から復帰するには結構時間がかかるそうだし、当然入院だからその間行動不能。本人がそうだと親族が出て来て余計に拗れる確率が高まる。親族の中で、お前のせいで重傷を負ったから金を払えとか言い出す輩は多い。親族だから適切に代理をするかと思えば、非常時に恩を売りつつ金をかすめ取ろうとする輩も実は多い。そうじゃなかったら、親族で相続争いが起こったり、挙句それが原因で刃傷沙汰になったりしない。
 実のところ、僕自身そういう現場を見たことがある。これまでの交遊なんて何処かに吹っ飛んで、どちらがどれだけ取ろうかしのぎを削り、挙句口を極めて相手を悪く言うことも憚らない。こんな親族が僕に結婚して身を固めろとか言うなんて、性質が悪い冗談としか思えない。

「ベッドと比べると寝心地が悪いのは否めませんが、目を瞑ってください。」
「これだけ座席が平行になれば十分だよ。」

 駐車場の一角に停車したシャルは、2つの座席をリクライニングさせる。シャルが言うには、車として必要な部分が完結する処理がなされているので、自己修復機能はあっても形や色を大きく変えることは基本的に出来ないそうだ。それは内装も同じ。でも、車中泊にしては十分な寝床の平衡性が確保された。シャルが限界まで頑張った結果だろう。

「布団は無理ですが、毛布くらいは出来ます。」

 座席の脇の方から板のようなものが出て来て覆い被さる。感触は明らかに毛布だ。山の中だからか、夜は若干冷える。毛布1枚あれば結構違う。

「暖かいね。これだけ立派な毛布があれば御の字だよ。」
「窓を遮蔽して防音機能を強化します。これで寝られる環境は揃ったと思います。」
「これだけ揃えば十分だよ。シャルはどう?」
「私はこの車そのものですから、静止できる状況であれば全く平気です。」
「そういえばそうだったね。」
「寝るまでの時間、ちょっと気の利いたことをしてみます。上を見ていてください。」

 何が起こるのかと思って見ていると、天井が透き通って上が見えるようになった。LED照明がキャンセルされる画像処理がなされているのか、星がくっきり見える。天然のプラネタリウムだ。

「こんなことも出来るんだね。」
「天井部分の透過処理、光学迷彩の応用とも言えますが、それを使ってみました。この旅に出る前、ヒロキさんが星の見える場所に連れて行ってくれたのを思い出して。」
「良く憶えてるね。」

 この世界を見たいというシャルの希望と、ストレスしかない現実からの逃避を兼ねて、週末に彼方此方出かけていた時期。その行き先の1つに、「星が見える町」と知られるアケチ町に行った。奇しくもアケチ町は今居る旧シシド町から南に行ったところにある。
 星を見るのは天候次第だけど、その日は運良く雲1つなくて月も出ていない日で、こんなに夜空に星があったのかと思うくらいの数多の星が空を彩っていた。シャルは凄く感動したらしく、運転疲れもあって途中から座席で寝た僕を余所に明け方まで星を眺めていた。
 今見える範囲はそれほど広くないけど、やっぱり星の多さに驚く夜空が視線の先にある。こんな夜空をシャルと一緒に眺めながら寝るなんて、凄い贅沢で幸せな時間だ。あの生活をしていた頃には考えられなかった時間が、今此処にある。現実から逃避した結果、別の現実が現れた。どうしても嫌なら、どうしても変えたいなら、今置かれている現実から逃げて良いと思う。生きている限り何かしら現実に直面するんだし、「代わりは幾らでもいる」なら慰留する必要もない筈だ。

「凄く綺麗ですね。」
「そうだね。同じタカオ市とは思えないくらい空が違う。」

 こういう時、ベタな流れだと「君はもっと綺麗だよ」とか言うんだろうけど、どうも気後れしてしまう。ベタな流れって言うけど、それだけ長い年月、多くの作品に使われて来たシチュエーションということ。そんなシチュエーションになっても、どうしても一歩踏み出すのを躊躇してしまう。
 30cmも離れていない距離の向こうに、僕の理想が立体化したようなシャルが居る。手を伸ばせば十分肩にも届く距離なのに、今は凄く遠く感じられる。僕の意識は上の星より隣のシャルに集中して久しい。だけど、星よりずっと近くに居るのに、星よりずっと簡単に手が届く距離に居るのに、今の僕には何も出来ない。
 過去がトラウマになってるから?それもあるけど、それだけじゃない。シャルに手を届かせるのが怖い?ちょっと…違う。シャルに手を届かせたら何か重大な一線を越えると思ってる?それは…ないとは言えない。そうなりそうだと分かってるから…、最後のブレーキを無意識に、必死にかけてるのかな…。

Fade out...
「私は受け身ではいませんよ?」 え…?

 朝…か。遮光処理がなされた窓ガラスがうっすら光っている。すっきり爽やかとはいかないけど、1日山道を走りまわった疲れは取れたかな。…ん?左手が何か…!シャルと手を繋いでる!しっかり毛布から手が出て、シフトレバーのあたりで繋いでいる。

「ん…。あ、おはようございます。」
「お、おはよう…。何時の間に…。」
「ヒロキさんの手が毛布から出ていて、ヒロキさんは寝ていたので、こうしてみました。」
「そ、そう…なんだ。」

 この毛布、何処から見てもどう触っても毛布そのもの。僕の右側はドアだから逃げ場がないけど、左手は毛布から出ても不思議じゃない。だけど、この毛布も全部ヒヒイロカネ。言い換えればシャルの一部であって…。あれは夢じゃなかった?シャルが僕に何か言った。…何て言ったっけ?

「座席や窓ガラスを通常状態に戻しますね。」

 シャルがそう言った直後、座席のリクライニングが戻って、窓ガラスが遮光処理から透明になる。まだ朝靄が残ってはいるけど、太陽の光が周りを満たしている。LEDが幾ら高効率になっても、たった1個で周囲を全て光で満たす太陽には及ばない。

「ACSは起動しませんでしたし、ログでも不審な動きはなかったことが分かります。」
「あのワゴン車が自爆事故を起こしたから、市の不審者情報サイトでも一時的に見失ったかな。」
「そのようです。リアルタイムで情報を更新していたのが突然途絶えて、当人達は軽重様々な負傷で病院送りですから、情報は途絶えるでしょうね。」

 さらっとシャルは言うけど、凄まじい制裁だと改めて思う。今でも恐らく何が起こったか信じられないだろう。目の前を走っていた車が森の中に消えて、当人達は森に勢いよく突っ込む羽目になるなんて、人影を追っていて気付いたら断崖絶壁だったという怪談まがいの話が現実になったんだから。
 ワゴン車を欺いた後、かなりの範囲を移動したし途中に集落も幾つかあったけど、監視や尾行のようなものはなかった。シャルも検出できなかったし、寺社仏閣は範囲外で、郊外は条例に無関心か知らないか。何れにせよ、後ろや周囲を気にせずにヒヒイロカネの探索に専念できるのは嬉しい。これが本来の形なんだけど。

「情報を晒されるばかりでは癪なので、こちらも情報戦を仕掛けました。」
「どういうこと?」
「昨夜この駐車場に入る前に、タカオ市の不審者情報サイトに、ヒロキさんと私に関する偽の情報を断続的に登録しておきました。」

 シャルの説明によると、市が外部委託しているサーバにアクセスして、過去に不審者情報を登録した人から無作為に抽出して、そのデータとアクセス情報を使って僕とシャルが○○方面を走行しているなど嘘の情報を登録したという。情報を基に尾行されるなら、偽の情報で明後日の方向に行かせることも可能ではある。
 偵察機からの報告によると、実際にその情報を基にして僕とシャルを探しているらしい車が複数台居るが、全く見当違いな、しかも道が非常に狭かったり、カーブが急過ぎて迂闊にスピードを出すと曲がり切れなかったりする道を走らされているから、立ち往生している車も居るらしい。

「街灯もない道路が結構あったから、そんなところに何時もの感覚で突っ込んだら、後戻りできなくなる場所に入ってしまうかもしれないってことか…。」
「併せて、偵察機から尾行している車に対して携帯端末の周波数帯域にジャミングをしています。丸1日くらい圏外にするので、三度の食事よりも好きな携帯端末が使えない苦悩も味わってもらっています。」
「本当に徹底的だね…。」

 偵察機や早期警戒機はレーダーにジャミングを仕掛けて敵の目を塞ぐこともするそうだけど、シャルもそれが可能なわけか。土地勘のない山奥の細道、しかも頼みの携帯端末は圏外となれば、まさに立ち往生。森に突っ込んだりして動けなくなってない分、温情たっぷりと言うべきか。
 シャルは、このために昨夜からジャミング機を複数飛ばしているそうだ。市のサイトに登録される情報は偽物。しかも行く先々で携帯端末が圏外。僕とシャルを尾行する連中は踏んだり蹴ったりだろう。ヒヒイロカネ捜索の邪魔にならないからありがたいけど、本当に遭難するんじゃないだろうか?
 さて、僕とシャルの方は、今日は第3のルートと第4のルートを走って捜索する予定。どちらもかなりの移動距離がある。しかも、昨日のルートより蛇行している道が多い。旧シシド町も東側は更に山奥らしい。オクラシブ町へのルートを何度も行き来するような感覚だ。

「昨日の第1、第2ルートより蛇行が多いですが、私がサポートしますから安心してください。」
「シャルが居るから運転は大丈夫だね。それにしても、かなりの山奥なのに候補地が結構あるね。」
「旧シシド町は山岳信仰の名残で寺社仏閣が多い地域だそうです。」
「なるほどね。じゃあ、出発しよう。」

 ナビとHUDの表示を確認して、僕はゆっくりアクセルを踏む。他に車が居ない道の駅を暫し後にする。前半後半共に道のりは長いけど、何処かにヒヒイロカネがあるかな…。
 黄昏時という、一番運転し辛い時間帯にホテルに戻った。シャルの情報操作とジャミングの効果らしく、追跡されることはなかった。その副作用で、幾つかのルートが通行止めになっていて−立ち往生した車の救出と衰弱した乗員の搬送のためとの情報をシャルが得た−、狭い道も使って走りまわった。
 遠回り多数の上に蛇行が当たり前の道、しかもガードレールなんておまけ程度にしかない道を走るから、シャルのサポートがあってもスピードはそれほど出せない。しかも、山岳信仰の名残らしく到着後も徒歩で、しかもやけに傾斜がきついことが多い参道を使う必要があったりして、文字どおり駆け回ることになった。
 その結果、ヒヒイロカネは何処にもなかった。オクラシブ町のパターンだと神社の本殿に安置された御神体に偽装している確率があると踏んだんだけど、可能な限り近づいてもヒヒイロカネ特有のスペクトルは一切検出できなかった。隠すには最適のシチュエーションなんだけど、半ば孤立したような場所は逆に不向きなんだろうか?

「ヒヒイロカネを1つも発見できなくて御免なさい…。」
「謝る必要なんてないよ。オクラシブ町が特別な事例なんだから。」

 事前の情報がごく限られていて、それを基に分析予想して挙げた候補地にあるとは限らない。候補地として絞り込まれるだけありがたいと思っている。旧シシド町にはないと分かったなら、旧タカオ市の何処かにあるか、タカオ市にはそもそもないかのどれかなんだから、地道に回れば良い。
 面積は旧タカオ市の方がずっと狭い一方で、道路は整備されている。一方通行もあるけどそれはHUDにも注意喚起が出るし、シャルのサポートで一方通行の出口方向には間違ってもハンドルが切れない。時間はたくさんあるんだから、旧タカオ市も巡っていけばやがてヒヒイロカネの存否は分かる。今後のことはそれが確定してから考えれば良い。

「明日からは旧タカオ市に絞って探そう。その候補地の絞り込みは出来る?」
「はい。先に行った施設などを除けば、それほど多くはないと思います。」
「効率的に回れるよう、ルートを決めておいて。市街地ならシャルのサポートを少なくして走れるから。」
「分かりました。候補地の絞り込みとルートの構成をしておきます。…やっぱりヒロキさんは優しいですね。」
「そんなことは…。」

 シャルは完璧で万能じゃない。そもそも完璧で万能だったらわざわざ僕と一緒でなくても、あの老人で事足りる。候補地はあくまで確率の問題であって、必ずあるという保証じゃない。世界が断絶されて情報がごく限られている中、この世界でヒヒイロカネを探して回収するため、あの老人は僕にシャルを託し、シャルはこの世界の人間である僕と旅をしている。
 僕だって、この世界のことを何でも知ってるわけじゃない。日本という島国のごく限られた地域で生きて来ただけで、まだ見たこともない場所はたくさんある。旅行でも経験がない海外はまさに未知の世界。まだ見ぬ世界を回りながら探していけば良い。僕とシャルの旅には、人を動かして偉くなったと勘違いする管理職もそれを目指す同僚も不要だ。

「それより、今日の午後のルートを走っている時に聞いたことが気になってるんだ。」
「三笠神社に居た地元の老人のことですね?」
「そう。口ぶりからして余程危険な状況なのかなとは思うけど。」

 午後のルートは旧シシド町の奥、何とか車がすれ違える程度の県道でしか行けない場所だった。森の中に集落がポツポツとある感じの、旧シシド町でも最も奥地の場所にあった候補地の1つ、三笠神社。砂利が敷かれただけの質素な駐車場に−むしろ駐車場があったのに驚き−シャル本体を停めて、傾斜がきつい参道を登って参拝しつつヒヒイロカネを探した。
 勿論そこにはヒヒイロカネは影も形もなかったんだけど、1人の老人が先客としていた。社務所らしい小屋のような建物の前に置かれた古びた木製のベンチに座っていた老人は、もの珍しいであろう参拝客であろう僕とシャルを見て、穏やかに話しかけて来た。人の行き来が殆どないだろうし、特別特徴がない僕は兎も角、シャルは人目を引く若い美人。しかも金髪。その老人も「外人さんが三笠さんに参拝に来たのは初めてだろうねぇ」と言っていた。この世界の人間じゃないから外人という表現は間違ってはいない。
 老人からのお決まりの質問「何処から来た」には、無難に僕がかつて暮らしていた町を答え、「どうして此処に」にはこれまた無難に日本一周をしていると答え、老人は納得した様子だった。シャルからヒヒイロカネが見つからなかったという報告をダイレクト通話−適当な名称がないらしいのでこう呼ぶ−で受けて、老人に別れを告げて次の場所へ向かおうとした時、老人が徐に立ち上がり、歩み寄って来てこう囁いた。

この町からは出来るだけ早々に出て行った方が良いよ。
この辺は及んでないけど、中心の辺りは住民がカネ目当てに探り合いをしとる。
この町は狂ってしまったんよ。ボンボン市長と取り巻きのせいでな。
若くて綺麗なお嬢さんも居るんだから、尚更巻き込まれんうちに出て行った方が良い。

 僕とシャルに民間監視員が付き纏う背景にあるタカオ市の条例は、市長と一体の与党会派がごり押しで成立したものだとは、シャルの調査で判明している。それに、ホテルを1歩外に出れば民間監視員がわらわらと集まって来る状況は、一攫千金を狙える報奨金体制にあることも分かっている。
 老人が耳打ちするように僕とシャルに語ったのは、僕とシャルが考える以上にタカオ市が異常な状況だということかもしれない。だけど、タカオ市にヒヒイロカネが存在する確率が挙げられている以上、それを確認するまでタカオ市を出るわけにはいかない。ヒヒイロカネの捜索は一筋縄ではいかないことは確かだ。

「市長の周辺にヒヒイロカネがあるかもしれないね。」
「その可能性はありますね。前例がありますし。」

 オクラシブ町では、ヒヒイロカネを四色宮の御神体と入れ換えた人物と町長が繋がっていて、住民も迷い込んだ人々も犠牲にするのと引き換えに多額の金を得ていた。人物が意図したのかどうかは知らないけど、町長はヒヒイロカネの隠蔽に関与していた。その町長は更に、四色宮の集落より自身の出身集落の優位性を捏造しようとさえしていた。
 ヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだ輩は、ただ構成の宝探しに目標を提供するために来たとは思えない。恐らく何らかの邪な考えがあっただろう。何しろヒヒイロカネは製造が厳重に管理されていて、無断の持ち出しは即実刑だという。しかも何らかの形状に完結させていないと増殖するし、自己修復機能も有する。禁を破って持ち出したなら悪事を考えない方がおかしい。
 オクラシブ町の例から考えると、この世界にヒヒイロカネを持ちこんだ輩は、利己的な人間に言葉巧みに接近して、当人は正体を知らないうちにヒヒイロカネを悪用させるようにしているのかもしれない。だとすると、取り巻きの与党会派に市民を報奨金目当てに諜報員にさせる条例を作らせた市長が臭う。
 三笠神社で耳打ちして来た老人は、市長のことを「ボンボン市長」と揶揄していた。恐らく市長は二世三世政治家だろう。それだけなら対して珍しくないし、むしろ国会地方問わず二世三世議員が跋扈している。そんな中、大都市とは言えない、しかも大都市から結構離れたこの山間の地方都市にヒヒイロカネを持ち込んだ理由は何か。

「タカオ市の歴史や行政情報とかも調べてくれる?」
「お安い御用です。」

 旧タカオ市全般を隈なく探しまわるのも良いけど、効率を考えるならやっぱり多角的な情報の収集と分析から絞り込むのが良い。シャルはそういうことが得意だ。もしかしたら、その中にヒヒイロカネに繋がる情報があるかもしれない。可能性は全て探るのが、語弊があるかもしれないが宝探しの王道だ…。
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