泰水寺は平地にある。駐車場もそこそこの広さがあって、巡礼ツアー向けの大型バスも2台入れる。空きスペースに駐車して、早速境内に向かう。別のスペースには大小の車が2台と、見慣れないエンブレムのセダンが止まっている。ナンバーはE県か。
『よろしくない先客がいるようです。』
シャルのダイレクト通話でにわかに緊張が高まる。特にシャルは別人と言えるほど変貌しているから、仮に僕とシャルに目をつけていても分からないだろうけど。境内は、10段ほどの階段を上ってから入る。入って正面向かって左に、数人が囲んでいるポイントがある。「あそこにあるのが、地蔵の御杖です。」
「屋外にあるんだ。」
『予想どおりです。ヒヒイロカネのスペクトルが検出されました。』
『ナカモト科学大学が地蔵の御杖を狙っているのが確実になったね。』
『短絡的なんですよ。自分のため、自分が忠誠を誓う組織のために目的を遂行する。この手の人間に共通する思考です。』
『その短絡的な思考で自分の給料をギャンブルにつぎ込むならどうでも良いけど、無関係の人を巻き込んで犠牲にすることも躊躇わないから…。』
『他人の生命なんて、この手の人間にとっては虫けら同然です。邪魔なら潰せば良い。そういう考え方です。』
『ひとまず参拝しましょう。』
地蔵の御杖を除いても88ヵ所巡礼の札所の1つ。折角来た機会だから、参拝はしておく。境内はこじんまりしている。僕とシャルが立つ本堂、天鵬上人を祀る上人堂、鐘楼、そして住職の住まいでもある本坊。地蔵の御杖は南大門から本堂を結ぶ直線から逸れて、上人堂と鐘楼の近くにある。地蔵の御杖の周辺には、まだ人がいる。寺の中枢は本尊を安置する本堂だけど、地蔵の御杖が本堂みたいな位置づけになっているようだ。人はいるけど一部が移動したことで、ある程度見えるようになった。周囲を策で囲まれてはいるけど、地面に斜めに突き刺さった、それでも僕の身長を超える金属製の杖だ。
『ヒヒイロカネには見えないね。全体が黒ずんでるし、錆も出てる。』
『鉄に偽装しています。アクセスを試みたところ反応がありました。プレーンや記憶媒体といった、受動的な状態ではありません。』
『人格を持ってる?』
『人格はない代わりに、自律行動が可能な制御構造を有しているようです。』
この世界に持ち込まれたヒヒイロカネは、プレーンや記憶媒体から低レベル~高レベルの人格を持つものまで様々だ。手配犯が逃げ込んだ世界の技術水準や企業、政権への食い込みの度合いで「完成度」が違うようだ。天伏寺の宝物のように、敢えて記憶媒体として後にアーカイブとして取り出せるようにしてあるものもあるから、一概には言えないけど。
『触ると危険?』
『いえ。普通に触れる分には何ら害を及ぼすことはありません。詳細な解析は難しいですが、ある種の起動コマンドを投じることで、何らかの機能を発動すると見られます。』
観光客を装うため、スマートフォンを取り出す。シャルと並んで地蔵の御杖を背景に撮影。その上で地蔵の御杖を撫でる。不規則にざらついた感触は錆そのものだ。こんなところまで偽装できるなんて、それだけでも凄い。そういえば、ヒヒイロカネそのものに触れるのは、シャルを除くと初めてかな。
シャルも地蔵の御杖を撫でる。起動コマンドを送らないと錆のある金属の杖に偽装し続けるらしいから、ヒヒイロカネそのもののシャルでも危険はないと判断したようだ。実際、地蔵の御杖は何の反応もない。起動コマンドが触れることだったら、僕とシャル以外に居る人達にも何らかの影響が出ている筈。
観光客そのものの行動での観察と現地調査は完了。階段があるけどシャル本体なら上り下りできる高さだし、回収作業はさほど困難じゃないだろう。問題はナカモト科学大学の動向だ。今も高級車で乗り付けて本坊にいるみたいだし、何をしているのか気がかりだ。
『要請とは言いつつも、住職がまったく応じないことに苛立っている口調ですね。』
『住職は1人で応対してるの?』
『はい。相手は2人。何を勘違いしているのか、ヤクザまがいの風貌と刺青で威圧感を醸し出していますが、此処の住職は動じていません。』
『風貌は兎も角、刺青って…。』
『肯定派が何を言おうが、刺青が威圧や威嚇の道具で、刺青を入れる側もそれを意図しているのは事実。今もそれが証明されています。』
住職が動じていないが救いだ。天鵬上人ゆかりの寺と宝を預かる者として軍門に下るわけにはいかないと気を張っているんだろうか。住職が1人で応対しているそうだけど、人目につかないことをいいことに、大学側がより威圧を強めたり、実力行使に乗り出さないか心配になる。
『住職近くと本坊周囲に特殊部隊を配備しました。不測の事態が発生すれば、即座に鎮圧できます。』
『流石に早いね。』
『多少歴史はあっても、所詮建設ヤクザがトップのマフィア大学ですね。刺青を威圧に使うのもその点では合理的です。』
『反論の材料がないよ。』
『連中、捨て台詞を吐いて退室しました。』
『住職が屈しなかったか。流石と言うか、お疲れ様と言うか。』
『出てきました。無関心でいてください。絡んで来たら指切りできなくなるだけですが。』
「チッ!強情な奴だ!」
本坊から、見るからに暴力団という風貌の男が2人出てくる。シャルの指示どおり、無関心を装う。と言っても、地蔵の御杖を観察するふりをするだけだけど。荒っぽい足音が遠ざかっていく。どうやら僕とシャルには関心を持たなかったようだ。仮に僕とシャルの風貌が情報として通達されていても、今は特にシャルが同一人物だとは思えないだろう。『連中は車で出ていきました。警戒態勢を解除します。』
『僕とシャルの方を見たりしてなかった?』
『一瞥しただけです。知らなかったか気付かなかったか分かりませんが、運が良いですね。』
『確かに。』
『例のヤクザの高級車は、航空部隊が追跡しています。最寄りのナカモト科学大学に向かっているようです。』
『状況報告かな。でも、誰に?』
『本部の理事長か、ナカモトキャンパスを牛耳る医学部長か、両方かでしょう。下っ端ヤクザが幹部に不手際を報告して恫喝される流れでしょう。』
『ひとまず住職と地蔵の御杖の危機は去ったけど、これが慢性的に続くのは住職には厳しいね…。』
「…地蔵の御杖がヒヒイロカネで出来ていることは確定として、回収の際の危険性は高い方?」
シャル本体に戻ってシステムを起動したところで、シャルに尋ねる。「起動コマンドが不明なので不確定要素はありますが、回収の際の危険性はかなり低いと推定できます。」
「こういう作戦はどうかな?」
「それは思いつきませんでした。勿論、十分実行可能です。」
「じゃあ早速だけど、今日の夕食後に実行しよう。そして明日、住職に会って話をしよう。」
「分かりました。」
翌日、泰水寺の住職に電話をして、泰水寺や地蔵の御杖、そして88ヵ所巡礼について聞きたいとコンタクトを取って了承された。昨日ナカモト科学大学から要請と言う名の圧力を受けたばかりだからどうかと思ったけど、天鵬上人や88ヵ所巡礼の不思議な点を調査研究していると言ったら、思った以上にすんなり聞き入れてもらった。
昨日も通った経路で泰水寺の駐車場に到着。シャル本体を置いて、本坊へ向かう。本坊は、ごく普通の平屋の一戸建てという面持ち。引き戸脇のインターホンを鳴らすと、少しして応答が来る。やや警戒している感が窺える。断続的に続く協力の要請という体の圧力に晒されていれば無理からぬことではある。
「おはようございます。少し前にお電話した富原と申します。」
「ああ、富原さんですか。少々お待ちください。」
「さ、どうぞ。」
「お邪魔します。」
「地蔵の御杖は由緒ある宝物だと思いますが、屋外に晒しておくと雨風で錆びたりすると思うんですが、今も屋外にある理由は?」
「『この地に挿し置く杖は、地蔵菩薩のご加護により、年月と風雪に晒されても朽ち果てることはない。この地に留め置き、衆生を見届けさせよ。』-天鵬上人のお言葉を守ってのことです。」
「天鵬上人のお言葉があるからですか…。昨日拝観した際、かなり錆びていましたが。」
「確かにかなり錆びてはいますが、崩壊などはしていません。天鵬上人のお言葉は勿論、仏教の根幹である諸行無常-物事は移り変わり永遠不変ではないこと、お釈迦様の悟りである『万物は流転する』を鑑みますと、長い長い年月の末に地蔵の御杖が朽ち果てることになっても、それは地蔵の御杖が現世での役割を終えたと考えています。」
「天鵬上人のご意向や住職のお考えであれば、部外者の私達が干渉するつもりはありません。一方、地蔵の御杖を科学的分析するため協力するよう、ナカモト科学大学医学部に執拗に要請されていると聞いています。」
僕がナカモト科学大学の圧力について言及すると、住職が表情を曇らせる。住職の心労の原因を突くのは気が引けるけど、ナカモト科学大学の野望を暴くため、つまりはヒヒイロカネを科学的分析の名の下に事実上奪って何をするかを探るためだ。「昨日、こちらを参拝した際、暴力団のような風貌の男2名と出くわしました。それと前後して、地蔵の御杖の科学的分析のために協力するよう、ナカモト科学大学医学部が執拗に要求していると聞きました。」
「…そのとおりです。毎日のように来ては、地蔵の御杖を提供しろ、と迫ってきます。要請と相手は言いますが、仰るとおり暴力団としか思えない風貌で、要請を受け入れないなら考えがある、と受け入れを迫ってきます。」
「…。」
「私だけならまだしも、家族や参拝者の方々、そして地元の皆さん方に迷惑が及ぶのは…。」
「被害は出ているんですか?」
「直接的にはまだ…。ですが、駐車場でトラブルを起こしたり、家族や参拝者が付け回されたり。警察もパトロールを強化してくれてはいますが…。」
「連中はいきなり来たりするんですか?」
それまで黙っていたシャルが尋ねる。「ええ、はい。」
「招かざる客は、どうやら今日もお出ましのようです。」
『シャル!ナカモト科学大学の連中がまた来たの?!』
『駐車場に例の高級車を乗り付けたところです。そのまま座っていれば大丈夫ですよ。』
インターホンが連打される。これだけで招かざる客だと分かる。インターホンを連打するなんて、訪問販売とか新聞販売とかJBA(註:Japan Broadway Agencyの略で、この世界における日本の公共放送会社)とか、総じてこちらにとっては有害無益の招かざる客だと判断して良いレベル。
「ど、どうすれば…。お客さんがいるというのに…。」
「そのまま座っていて大丈夫です。」
「え?」
「私が代わりに応対します。ご家族の方には、念のため物陰に隠れて外に出ないようにお伝えください。」
「ちょ、ちょっと!お嬢さん!」
「大丈夫です。ご不安でしたら住職も物陰に隠れていてください。」
「…。」
「あー?!なんだお前は!住職を出せ!」
「…。」
「なんだとこのアマ!!痛い目に遭いてぇか?!」
「…。」
「このアマぁ!!裸にひん剥いてやる!!」
「…。」
「ぎゃっ!!」「ぐえっ!!」「な、なん…うごっ!!ぐはっ!!」「ぎゃっ!!ぐげぇ!!」
「…。」
「シャル。連中は?」
「お引き取りいただきました。もう安全です。」
『相当痛めつけたみたいだけど。』
『人を裸にひん剥くとか下品なことを言い腐ったので、それなりには。』
『それも大丈夫です。奴等には傀儡となってもらいます。昨日のヒロキさんのアイデアから派生する形で、良いことを思いついたので。』
昨日僕が思いついた作戦は、無事完了した。それは相手に徒労感と肩透かしを味わわせる、ある意味内向きの作戦だ。シャルはさっきの連中を傀儡にするというから、相手のメンツや立場を破壊する作戦だろう。泰水寺の安寧を守る、否、回復するためなら、多少荒っぽくなっても仕方ない。相手の自業自得の面も大きいし。「あ、貴方達は…?」
「旅の者です。ある意味、この地方を回っていた天鵬上人と同じですね。」
「住職。拝観料に加えてあるものを用意します。設置などはすべて私達が手配した業者が行います。勿論、料金は無料です。」