雨上がりの午後

Chapter 315 寒い睦月の熱い睦み

written by Moonstone

 俺は目を覚ます。若干意識が身体から離れていそうな錯覚を覚えつつ隣を見る。晶子は仰向けで顔をこちらに向けて気絶したように見える寝方をしている。一頻り毛布に包まって温め合った後、ベッドへ場所を移した。することは決まっているが、1つ晶子から提案された。
 それは、「相手が寝ていてもしたければする」というもの。言いたいことは分かったが何故そんなことを、と尋ねたら、「時間や来客を気にする必要がないから、ひたすら貪るように愛したい」と答えた。無論休憩は挟んで良いし寝るのも寝たふりをするのもあり。終了は2日の朝とだけ決めてある。
 まずは普通に激しく営んだ。終盤で晶子の腰が立たなくなって、俺が晶子を思うがままにした。晶子が身体を仰け反らせて叫び硬直した後、失神するついでに寝たのを確認して俺も眠りに就いたが、こういう時だけ俺の方が早く目を覚ます。
 時刻は…朝の5時。季節柄この時間帯はまだ暗い。更にカーテンを閉め切っているから室内は真っ暗。目が暗闇に慣れたことで至近距離ならある程度見える。唇が少し開いた晶子は、全く目覚める気配がない。
 俺は引き寄せられるように晶子の上に乗りかかる。俺の重みで晶子の身体が撓(たわ)む。尚も起きる気配がない晶子の身体を気ままに堪能する。汗が乾いた肌はほんの少し塩の味を伴うが滑らかさはそのまま。先の営みで前後に上下に揺れた胸は俺の手を吸い込むような柔らかさ。下半身は適度に肉がついて引き締まっている。
 感じ慣れた、指や唇や舌に十分馴染ませた感触の数々の筈だが、晶子が寝入ったまま俺の好きに出来ることが欲情を燃やす。営みの終盤で見られる光景と重なるからだ。双方合意の状況が目の前にある。寝る前に念のため2人がかりで施錠を確認して、更にインターホンの電源も切ってある。使わない手はない。

「…んっ。」
「…ん。」

 俺が晶子を貫くと、晶子が少し反応して一瞬身体を少しだけ反らす。俺が動いても晶子は目を覚まさない。だが、目の前で胸が前後に揺れ、俺の前であられもない肢体を晒す様子は変わらない。それらに触発されて俺は動きを加速させる。無抵抗の晶子の身体が俺のなすがままに動く。
 動きながら晶子の胸を掴んだり、脚を抱えたりするが、晶子は目を覚まさない。夢にでも影響が及んでいるのか、顔が時折左右に揺れるくらいだ。絶頂が近いと感じた俺は、晶子のウエストを抱えるように掴み、動きを加速させる。
 俺は絶頂に達する。全身が硬直すると同時に晶子の中に絶頂の証を迸らせる。何度か断続的な脈動を経て硬直が解ける。眠り続けている晶子は俺の下で無防備な姿を晒している。顔から順に晶子を見詰めていると欲情が再燃してくる。途中まで離した身体を再び限界まで晶子に沈め、晶子の両脇に手を突いて更に深い密着を図る。

「んあ…。」

 晶子が身体を少し逸らしながら吐息を洩らす。身体はそこそこ反応しているが目は覚まさない。どれだけ深く眠っているんだろう。もしかしたら夢でも俺とセックスしているかもしれない。そうだとすると、俺の動きや行為が夢をリアルなものにしているんだろうか。
 俺は動き始める。1回目より間近に見える晶子は、距離を詰めた分顔と鎖骨周辺くらいしか見えないが、欲情をそそる無防備さはそのままだ。俺は動きながら断続的に晶子の唇や頬、首筋に唇を落とす。晶子の口から動きにシンクロした短い吐息が出ているのを感じて、俺は動きを加速させる。
 晶子に全身を密着させたところで2回目の絶頂に達する。晶子を抱きしめながらその中に迸らせる。硬直が解けた後、俺は晶子と繋がったまま晶子の唇を唇で塞ぐ。全身に疲労感が漂うのを感じながら唇を離し、晶子の耳元で「愛してる」と囁く。これも晶子の夢に影響があると良いんだが。
 十分余韻を味わった後、晶子からゆっくり身体を離し、掛け布団を被りながら始める前と同じ位置に横たえる。続いて晶子を抱き寄せる。次に目を覚ますのは晶子だと思うが、晶子はどうするんだろう?言い出したくらいだから、俺で満たすんだろうか?出来れば…途中で目を覚まして寝たふりをしたいところだな…。

Fade out...

 俺は目を覚ます。意識がはっきりしてくるにつれて全身に重みと布団とは違う柔らかさと温もりを感じる。それらの正体は晶子。俺の上に覆い被さっている。肩口に落ちた顔からは、規則的な呼吸音が発せられている。今回も眠っているようだが、前回目覚めた時とは確実に体勢が異なる。
 下半身の感触からして…晶子が俺の上で動いて絶頂に達したのは間違いない。なるほど…。どうりで二度寝の目覚めにしては全身の倦怠感が強い筈だ。今回の肉欲に浸りきる1日を言い出したのは晶子。目を覚ましたら俺が寝ていて、しかも目覚めたときには主に下半身の感触が違うから、今度は自分の番とばかりに勇んでも不思議じゃない。
 さて…、ここからどうしようか。少々喉が渇いたから台所に行って水でも飲みたいが、晶子が乗っかってるから下手に動くと起こしかねない。正直なところ…、水を飲んで休憩したら攻守交代といきたいところ。身体は倦怠感と疲労がこびりついていても欲情が湧きあがってくるあたり、若さだろうか。
 俺は身体を少しずつスライドさせつつ、晶子を抱きながら体勢を慎重に横にひねる。晶子を横に寝かせると、丁度俺が起き上がれるようになる。晶子は寝入ったままだ。起きたら早速求めて来るような気がしてならないから、今はまず喉の渇きと疲れを癒したい俺はちょっと安心。
 ベッドから出て下着とパジャマを着る。どうも晶子が俺を好き放題にしてからさほど時間が経っていないようだ。この分だとシーツは相当凄いことになっていそうだ。腰が少々ガクガクする。ついでに自分のジャンパーを羽織って寝室を出る。
 この家を一時的な24時間体制の夜に変えているカーテンは、その四辺から光を漏らしている。壁掛け時計の時刻は9時半を超えたところを指している。薄明かりが溶け込むリビングは何だか白夜みたいだ。24時間体制の夜を破らないためカーテンはそのままにして台所へ向かう。
 台所の電灯を点ける。リビングに面しているが此処まで光は届かない。カーテンを閉め切ると電灯を点けないと真っ暗だ。流しと向かい合う位置にある食器棚からコップを取り出し、水を汲んで飲む。1杯ではどうも足りないからもう1杯。ようやく喉の渇きを癒せた気がする。
 コップは軽く洗って濯いでから洗い桶に入れる。台所の電灯を消してリビングを通り、寝室に戻る。晶子は俺が退けた姿勢のまま眠っている。俺はベッドに入ってからパジャマと下着を脱いでベッドの外に出す。そして晶子の寝顔を至近距離で見つめる。前髪が汗で少し付着した寝顔には、多少の疲労感とたくさんの幸福感と満足感が浮かんでいる。
 普段の様子からだと、俺が寝ている最中に晶子が俺を思うがままにするのは想像し辛い。だが、前髪を巻き込んだ頬や俺の下半身の湿り具合からして、晶子がことに及んでからそれほど時間は経っていないのは間違いないだろう。有言実行だし休憩なども含めて合意済み、その上夫婦だから何の問題もないが、凄い豹変ぶりだ。
 本当の夫婦になって本当の新居で初めて迎える年末年始のひと時。カーテンを閉め切って全ての窓やドアを施錠してインターホンも電源を切ってある。外界から遮断されたこの空間で、ひたすら貪り合い、肉欲に溺れたい。そう考えてのことだろうとは分かる。条件が揃ったところで欲求を全開にしているってところか。
 女性には性欲がない、あっても無視出来る程度のものと見る向きもあるが、そうでもない。セックスが好きで性風俗に従事する女性も居るし、浮気や不倫はあれこれ理由をつけても、つまるところ「セックスがしたいから」だ。快楽以外に連帯感を味わうためにセックスを求める人も居る。決して性欲は男性だけのものじゃない。
 普段下着や胸元が見えないように頑強にガードして、ベッドと風呂場以外で脱がされるのを今尚かなり恥ずかしがるくらいなのに、逆にベッドと風呂場ではそれこそ娼婦か風俗嬢と化す。万が一にも見せることはしないが、夜の一部始終を録画して見せれば「まさか」と思うだろう。それくらいの変貌ぶりだ。
 今度は俺の番と思っていたが、気だるさが眠気に替わってきている。勿体ない気もするが…良いか。寝込みを好き放題するのも、寝るのも自由なんだし…。たまにはこんな身体の欲求に任せた生活も悪くないだろう…。

Fade out...

 …ん…。何だ…?凄く…気持ち良い…。下から積み重なるような快感が連続してる…。
 …え?もしかして…これって…本物…?
 急速に意識が明瞭になる。それと同時に目が開く。視界を少し下方向にずらすと、晶子が上を向いて激しく動いている。声を出さないようにか右手の人差し指を口に押し当てている。動きの周期が短くなってきている。恐らく絶頂に達しようとしているんだろう。それを目の当たりにした俺も絶頂への到達を意識する。
 俺は絶頂に達する。晶子も声にならない絶頂の叫びを上げる。晶子は上を向いたまま暫く固まった後、断続的に身体を震わせる。身体の脈動が収まると、口に押し当てていた右手から一気に力を抜いてだらんとさせる。上を向いたまま荒い呼吸を始め、やがて俺の両脇に手を突く。呼吸は荒いままだ。

「…晶子。」
「…!ゆ、祐司さん?!」

 髪を俺の顔から胸にかけて垂らし、両手を突いたまま荒い呼吸を続けていた晶子は、俺が呼びかけると驚いた様子で顔を上げる。途中で目を覚ましたことには全く気付かなかったようだ。

「…起きてたんですか?」
「ついさっき。正確には…いく寸前。」
「み、見られてたんですね…。恥ずかしい…。」

 晶子は両手を突いたまま顔を伏して、首を頻りに横に振る。目覚めるとは思ってなかったんだろうが、俺の上で動くのは今日が初めてじゃないんだし、今も俺の眼前で全裸を晒してるんだから、恥ずかしがることもないだろうに…。

「相手が寝てようが寝たふりをしてようが、したければする。そう合意した上でのことなんだから、恥ずかしがらなくても。」
「…でも…。はしたないって思われたんじゃ…。」
「何で?俺以外としたら問答無用でそう断定するけど、俺の前でだけなんだし、合意した上でしたいからしたんだから、はしたないって思う理由はない。」
「…良かった…。」

 晶子はようやく安堵する。はしたないと言うなら、目の前で全裸で俺と繋がったまま跨っている今の体勢がそもそもはしたない。だが、相手のはしたない様子を見ることで幸福感や征服感が増幅し、快感が高まって絶頂に至るのがセックスだ。ましてや相手の寝込みを利用するのもOKと合意済みなんだから、はしたないのは全く問題ない。
 室内は相変わらず殆ど真っ暗。カーテンを閉じたままでリビングとの仕切りである襖を閉めてるから、リビングでも入り難い光が漏れ込む余地は殆どない。その中でどちらかが起きていると高い確率で発生する情事。双方合意の上で行われているとは言え、客観的に見れば凄い光景だろう。
 初回の情事=通常の営みを終えてから、どちらかが起きたことを発端とする情事は恐らく3回発生した。合計4回+αだけでも凄い話だが、1回ごとに複数回絶頂に達している。俺の何処にそんな精力があるのか不思議でならない。身体がどうも気だるいのが、まだ普通の身体に近いことを感じさせるくらいだ。

「今は…何回目だ?」

 俺は晶子の頬に右手を添える。晶子は自ら押し当てながら頬擦りする。頬に触れるとかなり汗ばんでいることが分かる。断続的に休息しているとは言え既に複数回絶頂に達していることでから俺がなかなか高まらないことで、どうしても動きは多く激しくなるだろう。この汗は晶子の努力や執念の結晶と言える。

「さっきが1回目です。」
「流石に…時間がかかるだろうからな。」
「その分、私が頑張りましたから…。」
「今度は俺が頑張るかな。」

 俺は晶子を抱き寄せ、そのまま体勢を180度入れ替える。全身が気だるいのは変わらないが、それより晶子をもっと抱きたい、もっと晶子を感じたい欲求が勝る。一旦離した右手を再び晶子の頬に沿える。今度は頬擦りせずに、替わりに俺を真っ直ぐ見詰めている。

「頑張ったところで状況が変わるわけじゃないが…。」
「その分、祐司さんを感じる時間が増えますから…。」
「良い得て妙だな。」

 晶子は微笑む。開始したいところだが、もう少し晶子を会話をしたい。この閉鎖された空間では何時始めるのも全くの自由。汗を滲ませてつつ欲求にのみ身を委ねることが出来るからこそ、全てを独占出来ることを会話でも味わいたい。

「晶子が寝ている時に俺がしたのは分かったか?」
「ええ。目が覚めたら身体に残っていた感覚が自分のものだけじゃなかったから…。」
「どんな気分だった?」
「祐司さんに思う存分愛された、と思えて…。嬉しいような恥ずかしいような…。」
「これから…じっくり存分に愛するからな。」

 俺は動き始める。晶子は一瞬大きく目を見開き、目を閉じると口を少し開けて俺の動きにシンクロした短い周期の吐息を洩らし始める。俺は晶子を見ながら上体を起こしたり、晶子の胸や腕や脚を掴んだりする。体勢を変えつつひたすら動く。本能に任せている部分がかなり大きい。
 横になって後ろから晶子を攻める体勢になる。晶子の両肩を抱きつつ動き、晶子の耳元で「愛してる」と囁く。晶子の熱い吐息の中に俺の名前が断続的に加わる。それだけで愛しさが倍増する。左手を晶子の肩から離して晶子の手を手探りで握ると、しっかり握り返させる。
 晶子をうつ伏せにしたり反らしたり反転させたりしながら、ひたすら動く。その間にも届く場所にキスをして「愛してる」と言い、届くようなら手を繋ぐ。成すがままの晶子は、俺のキスや言葉や手を繋ぐことに敏感に反応する。息も絶え絶えといった様子なのにこんなに反応するのも本能の域かもしれない。
 流石になかなか絶頂には達せない。体力的にもかなり厳しい。一旦動きを止めて小休止。だが、程なく動くのを再開する。もう少し休みたいと思うんだが、身体が勝手に動く。疲労が蓄積した身体を本能が突き動かしているんだろうか。ならば、本能に任せよう。力尽きても大学が再開する9日までに目覚めれば良い。
 肉体がぶつかり合う音だけが、時間からも隔絶された暗闇に浮かんでは消える。少しずつ気が遠くなっていくような…。本能だけ稼働していれば良いから意識を消しにかかっているんだろうか。意識がある間に…絶頂に達したい。晶子の中に…全てをぶちまけられれば…この上ない幸せだ…。

…。

 何度目かの目覚め。身体はだるいというか自分のものじゃない感覚だ。何となく重みを感じる左側を見ると、晶子が抱きつくような格好で眠っている。最後の方…、ひたすら動いていたことしか憶えてないな…。あの後どうなったんだろう?確か俺が上だったから…こういう体勢になってるってことは…無事終わったのか?
 晶子が密着しているから、あまり身体を動かせない。こういう状態で迂闊に動くと晶子が目を覚ます。気持ち良さそうに寝てるから起こすのは野暮ってもんだ。一応自由に動かせる右手を動かし、手探りでアラーム代わりの携帯を探す。確か…この辺に…!あった。
 開いて液晶画面を見る。時刻は…12時少し前。日にちは…1月2日。つまり、どちらかがしたければする1日は終わったわけだ。何時からか日時の感覚がなくなって文字どおり本能にのみ従っていたから、何時頃起きたのか、最後に意識があったのが何時頃なのか、全然分からない。

「祐司さん…。」

 携帯を枕元に戻したところで、晶子が呼びかけて来る。

「おはようございます。」
「おはよう。…起こしちまったか?」
「いえ。さっき目が覚めたばかりです。…身体がまだ気だるいですけど…。」
「俺も同じ。」

 大抵俺が腰を立たなくする立場だから、今回だけ晶子が目覚めたらスッキリ回復とはいかないか。それに…晶子が先に目覚めた時、時刻を無視するか見なかったかしてもう1回、と始めた可能性もある。それはそれで構わない。そんなに厳密に守るような合意じゃないんだし。

「未明に一度目を覚ましたんです…。祐司さんが私に覆い被さった状態で…。」
「重かっただろ?」
「祐司さんが身体を冷やすのがずっと気がかりでしたよ…。だから、直ぐに今の体勢にして掛け布団をかけて…。」
「ありがとう。」

 俺を常に気にかけてくれる晶子が嬉しくて愛しい。その気持ちを熱い抱擁に変える。晶子は動かせる左腕を俺の背中に回して来る。最近、晶子がベッドに居る時にこんな具合に「ギュッとする」ことを求めて来る。俺の座椅子に続く晶子お気に入りの体勢として定着しつつある。
 暫く抱き合った後、揃って身体を起こす。とりあえず服を着ようとベッドの下を見る。パジャマではなく普通の服が、下着と共にきちんと畳んで置かれている。

「服…用意しておいたのか。」
「入り乱れてくちゃくちゃになってましたし、次に起きる頃にはもう朝を過ぎてると思って。」
「その読みは少しも外れてないな。」

 俺と晶子は服を着て寝室を出る。閉じられたままのカーテンを開けると、まばゆさに目が眩む。2日ぶりに見る太陽がこんなに眩しいとは…。視界がようやく元に戻ってくる。暖房は…この日差しなら日中リビングに居る限りは必要ないだろう。

「食事の用意しますから、待っててください。」

 キッチンの方から晶子の声がする。台所に足を向けると、既に晶子が皿やカップを取り出していた。どうやらサンドイッチと紅茶の組み合わせらしい。特性おせちはまだあるからそれで良いのに…。本当にベッドの上とそれ以外では行動からガラッと変貌するよな。

「おせちじゃなくて良いのか?」
「これくらいなら簡単に準備出来ますから。…手抜きっぽいもの言いですけど。」
「年末年始くらい料理とかは手を抜いて良い。そのためのおせちなんだし。」
「直ぐ出来ますから大丈夫ですよ。リビングで待っててください。」

 おせちを作ったとはいえ、大晦日には出汁を取った年越し蕎麦が出て来たし、今はサンドイッチと紅茶が出て来ようとしている。料理作りは全休じゃなくて1日に1回は台所を使うつもりなんだろうか。楽器は1日触らないと腕が落ちると言うが、料理も同じなのかもしれない。
 晶子の決意を覆すのはほぼ不可能だし、サンドイッチと紅茶が出て来ることに異論はない。リビングで待っていると、晶子がサンドイッチと紅茶が乗ったトレイを運んでくる。サンドイッチはツナとトマトをベースにレタスとチーズを挟んで、軽くトーストしてある。紅茶は普通に淹れたものだし、店に出すものと比べても遜色ない。
 目覚ましも兼ねてか、濃いめに淹れられたアールグレイは味も香りも濃厚だ。しかも淹れ立てだからゆっくり少しずつ飲まないと火傷しかねないくらいだ。紅茶を啜りながらサンドイッチを食べていると、あの寝室での時間は夢だったのかとも思えてしまう。
 あの時間の記憶は確かにある。通常の夜の営みに始まり、晶子が寝ている時に目覚めてことに及んだこと、不思議な感覚で目を覚ましたら晶子が上で動いていたこと、それに続いて(恐らく)最後の激しい営みを始めたことまで。その時の晶子の感触も温もりも身体に残っている。だけど、夢だったのかと思うのは現在進行形でなくなったからだろうか。
 紅茶が飲みやすい熱さになってきた。時間的にも朝昼兼用の食事は静かにゆったり進む。軽くトーストされたサンドイッチは、サクッとした食感と野菜の瑞々しさやチーズとツナの豊潤さに、マヨネーズと塩だけのシンプルな味付けが相俟って絶妙な美味さだ。

「幸せ…。」

 左肩に軽い衝撃が生じる。晶子が俺の左肩に頭を載せている。転寝をしているような穏やかで安心感に浸りきった表情だ。

「夢みたいな気分って、こういうことを言うんでしょうね…。温かい羽毛に包まれて陽だまりの中に浮かんでいるような…。」
「俺も夢みたいな気分ではあるが…、晶子とは方向性がちょっと違うかな。あの時間は本当だったのか、って不思議に思う…。」
「夢じゃないですよ…。丸1日寝室で思いのままに過ごした時間と、祐司さんが私にしたことと私が祐司さんにしたことは…。」

 俺も憶えている。全ての光景を見て全てのものに触れて感じたことは確かに憶えている。ただ、あの時と今とでは居る場所の明るさも晶子の様子も全く違うから、本当なのかと不思議に思うだけだ。だからこそ夜が未だにマンネリに陥らないんだろうとは思う。

「丸1日ってことで始めたが…、何だかそんな実感が薄い。時間の感覚が曖昧になってるのが大きいんだろうな…。」
「私も…31日の夜が明けたような気分もあります…。」
「休憩はした…よな?流石に。」
「ええ。1回目に目覚めた時は…全身がだるかったですから…。暫く休んで、お水を飲みに行って、それから…。」

 通常の営みを終えてから先に目覚めたのは俺だった。それで2回した。だが、それ以降は晶子が先手を取った。特に晶子が最初に目覚めた時のことはまったく記憶にない。体力を回復させて喉を潤してから、寝ている俺を使ってしたんだろう。2回目も晶子が先手を取って丁度俺の上で動いている最中だった。総合的な体力は晶子の方が上なのかもしれない。

「そう言えば…、どうして今回の話を持ちかけたんだ?」
「8月に、祐司さんが小宮栄に高級ホテルの一夜を用意してくれましたよね?」
「ああ。」
「あの時は祐司さんがお金と時間をやりくりして用意してくれたもの…。だから、今度は私が用意しようと…。私が安藤姓を正式に名乗れるようになって、安藤晶子として暮らせるこの家で…、時間も予定も気にしなくて良い時間と、全ての外的要因を排除出来る環境の下で…、存分に愛して愛してもらえるように…。」

 8月のことは勿論憶えている。学会発表が決まって連日通常どおり研究室に通っていた俺。大学生最後の夏休みだから晶子と旅行にでも行ければ、と思っていたが実験にスライド作りに論文執筆でとても出来る状況じゃなくなった。
 でも俺のために、まだ自分の就職活動も続いている中、毎日弁当を作って送り出してくれた晶子。その晶子に1日でも家事から解放される別世界を堪能して欲しかった。日帰りで今までにないようなことを体験出来ること。この命題で無い知恵絞って思いついたのが、小宮栄の高級ホテル宿泊だった。
 小宮栄の夜景を見渡せる高層階。ある程度の服装が求められるレストランでのディナー。勿論相応に金はかかった。だが、晶子は普段着けないイヤリングも着け、念入りに選んだ服を着て新京市駅で待っていた。元々滅多に飲まない酒、しかも高級ワインを飲みつつ高級料理を堪能し、部屋に戻って一頻り夜景を鑑賞した。
 その後…存分に愛し合った。互いの前で脱ぎ、風呂場で互いの身体を隈なく洗い、ベッドに雪崩れ込んでひたすら…。俺は別世界のような環境で食事をしたし、今のベッドの倍はある広さのベッドで心行くまで晶子を味わい尽くして満足した。晶子も満足していたが、そのお返しが今回だったわけだ。
 高級ホテルの高層階を用意した俺に対して、晶子はこの家そのものを使った。全てのドアの施錠を確認したうえでカーテンを閉めてインターホンの電源を切って常時夜の閉鎖空間を作りだし、自分も好きに出来る環境を整えた。
 晶子にとってこの家は安住の地。事前に特性おせちを作っておくことで料理や洗い物の手間を軽減する策を講じた。その上、俺に匹敵する、若しくは上回るかもしれない体力や精力を持つ。始まる前は俺だけが好き放題出来ると思っていたが、実際は晶子が存分に俺を味わい尽くすことになったようだ。

「この家は…晶子が使いやすいようにカスタマイズされてるみたいだな。」
「自分が使うところは…。」
「それには、俺も含まれる…か?」
「ご想像にお任せします。」

 はぐらかすものの、笑みに悪戯っぽさが混じったのは気のせいじゃない。俺との結婚を本当のものにして、新居での2人暮らしも実現したくらいだから、俺を自分の思いどおりに動くよう誘導するくらい造作もないことか。
 そう考えると、晶子のスタイルに磨きがかかっているのも、夜の回数を重ねるにつれて淫靡さを増しているのも、昼と夜のギャップが健在なのも納得がいく。俺を自分の虜にすることで、ある意味自分の身体を餌にして俺を自分の望む方向に誘導していると言える。
 だが、誘導されているとして、それが損だ失敗だとは思わない。この家で晶子に精力を吸い尽くされるような時間を過ごしたことで、俺が何か損をしたと言えば、客観的には「何を贅沢な」と言われるだろう。目を覚ませば良い女が自分を使って全裸で快楽を求めて動いているなんて、そうそうないことだ。
 それを除いても、俺が晶子の望む方向で此処まで来たとして、俺が何か損をしたと言えば、やっぱり客観的には「ふざけるな」と糾弾されるだろう。毎朝起こしてもらって朝飯が用意され、日替わりメニューの弁当も持たせてくれる。家も服も清潔に保たれ、快適で何不自由ない家庭生活の立役者であり演出者だ。
 結婚してから豹変することもなく、就職活動を断念してからもバイトを辞めないどころか、夏休み中は就職活動を除いて全ての営業時間に出向いて働いた。贅沢とは無縁だから仕送りが停止された今も2人合わせて生活に困ったことはない。
 結婚報告パーティーなんて最たるものだ。チャペルだ披露宴だ花火だと妙な花嫁ドリームに溺れることなく、むしろ自分が率先して働かないといけない大量の手料理をメニュー考案から当日の調理まで手掛けた。あの仕込みの量を見て手抜きと言うなら、やってみろと言う他ない。
 晶子の誘導は、自分が俺の望む女になって俺の望む生活を作ることで、自分が望む方向に誘導するものだ。そこにはギブアンドテイクはあっても搾取はない。どちらも得になることはあってもどちらかが一方的に不利益をこうむることはない。理想的な方向に誘導されるなら、そのまま誘導してもらって構わない。

「今回みたいなことって…、今回だけの特別編か?」
「ご希望であれば、私は何時でも…。ただし、この家でだけ…。」

 暗にホテルとかの手配は不要と言う。これを「金のかからない便利な女」と見るか「家計や俺の負担を気遣う理想的な妻」と見るかが、晶子の見極める「良い夫」の分岐点だろう。俺は勿論…後者。結婚も夫婦生活も相手あってこそのもの。だから、俺は晶子を気遣う。晶子が俺を気遣うように。
 この家で2人で夫婦として生活を始めて2ヶ月半。夫婦としての絆や協力の具合が試されるのは、俺が就職する4月以降だろう。それまでは…こんな甘い生活に浸るのも良いだろう。いきなり本格化は大変だから、徐々に慣らしていくことも忘れずに…。
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