雨上がりの午後

Chapter 262 語らいながら歩く春の世界

written by Moonstone

 シャワーを浴びて浴衣を着て晶子と食事を摂る。シャワーも一緒に浴びようかと思ったが、まだ気だるさが残っている晶子を今日1日横にさせることに
なりかねないし、仲居も入り難いだろうと思って止めた。晶子に続いて俺が浴びて浴衣を着終えたところでドアがノックされたから、かなりギリギリだったと
言える。

「この機会に話しておこうかな。」

 食事をおおむね終えたところで、ふと思いついた話を切り出す。晶子は箸を止めて俺を見る。…少し不安そうだな。先に概要を言っておくか。

「何も悪い話じゃない。携帯の着信音の新作のことだ。」
「着信音の新作って…、作ってたんですか?」
「大学の休み時間とかに少しずつ、な。」

 現在も設定されて使用中の「Fly me to the moon−ギターソロバージョン」と「明日に架ける橋」は、作っている最中からある程度形になったところで晶子の
携帯に転送して聞かせていた。今作っている新作は晶子に内緒で始めたし、晶子が俺の家を出た影響で元々遅かった進捗が停滞している。携帯を操作して
データフォルダを開き、新作の着信音「Stay by my side−ギターソロバージョン」を聞かせる。

「…『Stay by my side』のギターソロですか。」
「今の電話着信音がギターソロにアレンジしたもので、メールの着信音が倉木麻衣の曲だから、新作は両方の要素を合わせたものってことで選んでみた。」
「凄く綺麗で雰囲気の良い着信音になりますね。」

 俺が求めるより先に晶子から絶賛が寄せられる。まだ1コーラス分の体裁が何とか整ったところだから判断を保留するかと思ったんだが、このまま継続して
製作して良いな。

「今の着信音、長く使ってきましたよね。着信音を配信している携帯サイトでもこんな良い曲とアレンジはない、って今でも評判なんですよ。」
「CDに入ってる曲をそのまま再現したんじゃオリジナリティがないと思ってアレンジしたのが、ロングセラーの要因かな。」
「アレンジ版そのものが少なくて、こんな良質なアレンジがなされている曲となると探す方が難しいそうです。」

 着信音も積極的に公開している晶子と違って、俺は特に実験中に音が鳴ると集中が切れるからマナーモードにしていることが多い−意外と他では平気で
鳴らされていた−からそれほど著名じゃない。だが、知っている人は知っていて、特に「Fly me to the moon」の方が落ち着いていて品が良いと高評価を得て
いる。
 携帯サイトを良く知る−俺が知らなさすぎるんだが−人が言うには、携帯の着信音はどういうわけか良く言えば賑やか、悪く言えば騒々しいものが殆ど
だそうだ。それに更新で新旧が入れ替わる頻度も早い。売れている曲や有名な曲が制作や公開の対象にされやすい−ダウンロードで課金される制度の
ため−から当然の傾向だが、頻繁に入れ替わる無数の曲から良い曲を選ぶのはなかなか大変という。
 オリジナリティを求めて入力の手間を覚悟で作った現在使用中の2曲は、どれも携帯サイトで公開するには対象にされにくいか既に過去のものだ。それが
アレンジしたことで高いオリジナリティと品質を得て好評を得ているのは不思議なもんだと思う。

「『Stay by my side』は電話とメールの共通の着信音ですか?」
「否、どちらにするとも共通にするとも特に決めてない。」

 自分で1音1音入力して作った馴染みも愛着も深い曲とは言えそろそろ新作が欲しいかと思って作ってはいたが、使用方法については何も考えて
なかった。とは言え晶子の疑問ももっともではある。電話が「Fly me to the moon」でメールが「明日に架ける橋」とそれぞれ固有設定だから、新作候補の
「Stay by my side」と対になるもう1曲はあるのかどうか気になるだろう。

「リクエストだけしても良いですか?」
「ああ。出来上がり時期には期待しないなら。」
「作ってもらう立場ですから作るかどうかも祐司さんの判断にお任せします。その上でのリクエストですけど…、『I'M IN YOU』が良いです。」
「『I'M IN YOU』…ああ、あれか。」

 タイトルだけでは直ぐに思い浮かばなかったが、レパートリーに加えて間もない曲の1つである「I'M IN YOU」はT-SQUAREの曲だ。ミディアムテンポの
ピアノが印象的な落ち着いた雰囲気の曲で、ピアノ部分をギターに置き換えたイメージでアレンジしたギターソロ版もある。中高生が多い店でこの手のしっとり
した曲は好まれないかと思いきや、初公開時から好評だ。
 ギターソロ版は晶子所属のゼミの学生居室に出向いた即席ミニライブでも演奏した。ミディアムテンポだが明るく軽快な曲調のせいか、聴衆の反応は上々
だったと記憶している。俺は割と気に入っているがメジャーとは言えない曲を挙げるあたり、晶子もなかなか目ざといな。

「電話でもメールでも、着信音は落ち着いた感じの曲が良いと思うんです。その中でギターがメインの曲となると祐司さんのアレンジ版がある『I'M IN YOU』が
一番良いと思って。」
「俺も賑やかな着信音はあまり好みじゃないから、新作候補もそれを重視して選んだんだが、『I'M IN YOU』は良いな。他に考えてなかったし、候補にして
おく。」
「ありがとうございます。」

 「Stay by my side」を此処まで作るのに…だいたい3ヶ月くらいかかっただろうか。こんなテンポだと卒研が加わる4月以降1フレーズどころか1小節の骨格を
作るだけでもどのくらい時間がかかるか全く見えない。だが、締め切りや納期があるわけでもないし、意外に評判が良いことで結構満足している携帯の
オリジナル着信音の新作。1日1音でも入力して形にしていくか。
 俺と晶子はバスに揺られている。食事を済ませて今日は何処へ行くかという話になり、思いつく有名な場所を路線に沿って巡ってみることでほぼ即決した。
昨日までの2日間でバス路線が市内全域に張り巡らされていることが分かっているから、使わない手はない。
 宿を出る前、見送りに来てくれた仲居にその話をしたら、京都観光乗車券を買うことを勧められた。1回買えば1日若しくは2日間バスも地下鉄もほぼ
すべての路線が乗り降り自由という便利なもので、バスの営業所や案内所など切符を扱う場所ならまず買えること、最寄りの地下鉄駅である丸田町駅が一番
分かりやすいと教わった。
 散策がてら宿から丸田町駅まで歩き、券売機で京都観光乗車券の存在を確認。1日だと1200円、2日で2000円と手頃な値段だし、明日以降も何処へ行くか
全然決めてないし何回乗り降りするかなんて予測も難しいから2日間のものを買った。めぐみちゃんを連れて彼方此方移動した昨日知っていたら便利だった
だろうと思うが、「それは残念」で済ませることだ。仲居もまさか俺と晶子が見ず知らずの子どもを1日預かって彼方此方巡るなんて予想出来ないし、そうで
なくても俺と晶子が何処へ行くとかどんな移動手段を使うかなんて把握してないんだから。
 期限限定だが万能に近い移動手段を入手したら、次に決めるのは目的地。一昨日金閣寺に行ったからという単純な思いつきで銀閣寺に行くことにした。
観光案内で場所を確認した際、丸田町を起点とした銀閣寺までのバス路線沿いに平安神宮があると分かったから、まず平安神宮に行くことにした。こういった
アバウトさは俺と晶子が共通している便利な一面だ。

「平安神宮から銀閣寺って、豪華なコースですよね。」

 隣に立つ晶子が言う。通勤通学時間帯から外れているがバスの車内は割と混み合っている。バスを待つ列でも俺と晶子が行く平安神宮や清水寺といった
有名どころの名前を耳にしたから、バスで観光地に行く人は結構居るようだ。

「祐司さんは銀閣寺に行ったことありますか?」
「否、ないな。金閣寺は修学旅行でも行ったし一昨日にも行ったけど、銀閣寺は本の写真とかで見たくらいだな。」
「私も行ったことがないんです。有名なところなのに修学旅行ではコースに入らないんですよね。」
「金閣寺と比べるとどうか、ってことなんだろうな。」

 定番の1つでもある金閣寺でも一昨日のように中に入ってまで見ることはあまりない。外観だけ見ながらガイドの説明を聞いて次へという流れを凝縮する修学
旅行や団体旅行だと、行先はどうしても有名かつインパクトのありそうな場所に絞らざるを得ない。銀閣寺は名前に銀とあるが金閣寺と違って銀箔は貼られて
いない。その点で金閣寺より見た目の華やかさやインパクトに劣る。他にも有名どころは多数あるし日数も時間も限られているから、金閣寺や他の場所と
比べたら銀閣寺は外さざるを得ないだろう。
 金閣寺も銀閣寺も中学の歴史で当時の幕府である室町の将軍と共に登場する。室町と同じく長く続いた幕府−と言っても該当するのは2つだけだが−で
ある江戸幕府の同じ代の将軍と比較してみると、似通った部分がある。金閣寺の足利義満は室町幕府第3代、対する江戸幕府の第3代は徳川家光。どちらも
幕府が最も財政的にも隆盛を極めた時代だ。古建築には関係する権力者の財政力が反映されることが多い。金閣寺は言うに及ばずだし、徳川家光の
時代に出来た日光東照宮を見れば財政力は明らかだ。
 一方、銀閣寺の足利義政は室町幕府第8代、対する江戸幕府の第8代は徳川吉宗。今度はどちらも飢饉や戦乱による内政不安と幕府の財政力低下が
顕著になって来た時代だ。足利義政は側近である守護大名たちに介入されたのもあって政治を疎んじて内政不安の拡大を招いた。応仁の乱に代表される
騒乱、幕府の形骸化と守護大名の覇権争いである戦国時代へと繋がる。一方、徳川吉宗は享保の改革を通じて政治体制を引き締めて一時的に幕府の
財政を立て直した。
 幕府と言っても守護大名による一種の連立政権である室町幕府と、徳川家と親藩・譜代大名による強力な一族支配の江戸幕府とでは運営手法に違いは
生じるが、政権トップの姿勢が権威失墜を加速させるか一時的にでも権威を回復させるか大きく変わる例として共通項を見出すことは可能だし、大型
建築物の建立が後の政権の財政に重大な支障をきたす教訓を見出すことも可能だ。また、世襲制による権力継承はやがて側近が主体となりやすく、結果と
して政治が混乱する要因になることも分かる。

「銀閣寺に銀箔が貼られていたら、金閣寺と対になる建物にならなかったと思うんです。」

 俺が開いていた観光案内を見ながら晶子は言う。

「銀閣寺を含む東山文化は、金閣寺を含む北山文化の華やかさと対になるわびさびの文化ですから、その中で銀色に輝く建物が鎮座していたら似合わない
ですよ。」
「銀箔が貼られなかったことで周囲の文化と調和することになったってのは、幸運なのか皮肉なのか分からないところだな。」

 銀閣の名に沿うように銀箔が貼られなかったことには、幕府の財政状況が悪化していたことや、竣工前に主である義政が死去したため貼る必要がなくなった
ことが良く言われる。義政在位時から以降の内政を鑑みると、幕府の権威失墜と戦国時代寸前の戦乱続きだから、財政的にも人的にも銀箔を貼るどころじゃ
なかったんだろう。
 過去の建造物が失われる要因は3つに大別される。1つは住む者が居なくなったことによる衰退と忘却による消滅。もう1つは災害、特に建物では火災。もう
1つは戦争だ。今に残る歴史的建造物の殆どは災害か戦争で一度は失われている。一昨日にめぐみちゃんを連れて見た金閣寺が放火による火災で焼失
しているのもそうだ。
 戦乱では焼き打ちや略奪がつきものだ。敵の痕跡を残さず消すためであったり、欲望やストレスの発散であったり、まさに火事場泥棒として混乱に乗じて
金目の物を奪うためだったり様々だが、金目のものは目につきやすい。戦争状態に順法精神を期待するのは無駄な話だ。応仁の乱を挟む飢饉や戦乱で、
京都は荒れ放題になったという。芥川龍之介の「羅生門」の舞台も荒れ果てた羅城門すなわち京都だが、飢えと戦乱が重なった京都を想像する生々しい
材料だ。そんな中で銀箔で覆われた建物は格好の獲物にしかなりえない。質素さで表現されるわびさび文化の中に銀色に輝く建物があるのは想像する
だけでかなり違和感があるが、質素だから略奪の対象にならずに生きながらえたのかもしれない。

「祐司さんは、歴史もかなり詳しそうですね。」
「どうかな…。高校で履修したけど受験科目にしなかったから、それほど幅広く熱心に勉強してないし。」
「京都に来てから祐司さんと話をしたり話を聞いたりしていて、考えが広くて深いなぁって思うんです。」
「頭に詰め込んでいたものが何かの拍子でこぼれ出てくるようなもんだ。」
「昨日の様子を見ていると、それは謙遜にしか思えないですよ。」

 昨日と言うと、めぐみちゃんの質問に答えたことか。率直で分かっていそうで分かってないようなところを鋭く突く質問の連続だったから、子どもの視点はある
意味恐ろしいと思いながら答えていた。それとは別に、俺が考えていることが高い確率で想像出来るんだろうか。俺は頭をフル回転させると蓄えている知識が
凄いスピードで次から次へと整理されながら湧き出してくることがある。これを文章化出来たらレポートくらい楽勝なんだが、レポートでは俺の知識が足りない
から叩いても出てきやしないから、何時まで経っても叶わぬ願いでしかない。

「祐司さんは、高校までの勉強が充実してたんじゃないですか?」
「そうだな。バンド仲間が妙にこだわりを持つ、ひと癖ふた癖あるメンツだったから。」

 放課後や週末に集まって練習するのは勿論だったが、勉強会の側面も大きかった。バンド活動していることを弱点や急所にしないため、という耕次の
方針で結成直後から開始した。宏一が当初面倒がっていたが、勉強会の側面があったことで知識の補完や充実が出来たし、授業についていけない生徒は
置いていかれる進学校らしい選別の中で上位の成績を維持出来たし、バンド活動を卒業まで継続させることにもつながったと思う。

「晶子は…1人でじっくり図書館あたりで知識を蓄えていたイメージがあるな。」
「そう…ですね、はい。その方が集中出来ましたから。」

 晶子は少し驚き、戸惑った様子を見せたが、吹き切った顔で言う。俺の意図、すなわち過去に触れられることをタブーにしないで話せる範囲で話せという
ことを感じ取ったようだ。
 晶子がその髪の色と人目を惹きやすい容姿が重なって、学校生活では疎んじられる方だったことは分かっている。だが、もうその生活に戻ることはあり
得ないし、今は俺を完全確保して婚姻届の提出を待つだけの幸せの最中に居る。自分を疎んだ連中と仮に顔を合わせたとしても、今の自分の幸せを誇って
見せて、別の意味で疎んじられてそれを喜ぶだろう。俺は今までの付き合いの中でかなり自分の過去に触れたし、話すこともあった。もう隠し事はなしに
したい。

「私が卒業した高校は、図書室がかなり大きかったんです。別建ての建物とまではいかなかったですけど。」
「本好きはそこで熟成されたんだな。」
「はい。」

 今でも服の数より本の数の方が多いという、他の一般的な女性からすると奇妙に映るほどの趣味を読書と言えるレベルの本好きは簡単に到達出来るレベル
じゃない。読書のような地味なことは、かなり以前から習慣づけていないと三日坊主や付け焼刃で終わる。高校時代の環境が図書室に居る時間を長くして、
その結果本好きになったのは自然な流れだ。
 熊野神社前のバス停で降りて、改めて観光案内の地図を見る。滞在している宿から東に大通り1本分進んだあたりだから、宿から歩いてでも来られる
距離だ。今居る東大路通という南北に走る大通りの北を行くと京都大学、南に行くと最初の目的地平安神宮に近付くのか。

「このまま川が見えてくるまで南に進んで、川沿いに東に進むと敷地直ぐ。バス通りに沿う形で少し大回りすると大鳥居から入れるようだな。」
「折角ですから、大鳥居から入りませんか?」
「急ぐ必要はないからそうするか。」

 平安神宮は修学旅行で見た憶えが微かにある程度だ。1日にどれだけ多く回るかを競うわけでもないし、神社に参拝するなら鳥居を潜って参道を進むのが
定石だろう。バス通り沿いに移動して大鳥居へ向かう進路を選ぶ。

「平安神宮って水平方向にかなり広い建物だな。」

 東大路通を南下しながら観光案内を2人でのぞき見る。広げている平安神宮の最初のページは、本殿らしい建物と青空のコントラストが綺麗な写真が扉を
飾り、続いて1ページをほぼ全部使った平面図で建物の配置が示されている。配置図に張り付けられているその場所や建物の写真から、建物は水平方向に
伸びていて空白部分が多い。神社は森の中に本殿や社務所があるイメージが強いし−御神体が神社のある山や森だからだろう−、大都市の1つである京都
市外で水平方向に広いのは、贅沢な土地の使い方だ。

「伊勢神宮や熱田神宮のような大規模な神社だと境内で開催される神事も大規模ですから、広大な場所が必要なんですよ。」
「なるほどな。」

 平安神宮は源平時代の一方の主役である平氏の祖先であり、平安遷都をした桓武天皇を祭る神社だ。祭神が有名どころの神社は初詣で数万数十万の
参拝客を迎えられる広大な敷地を有する。神道の頂点に位置する天皇を祭神とする神社なら、神事も相当大規模なものになる筈だ。広大な敷地はその開催
場所になる。神事の詳細は知らないが屋外で行うものだと観客−拝観する人達も収容出来るレベルの広さは必要だ。

「これだけ大きな神社だと、結婚式も多いんだろうな。」
「多いでしょうね。今日も良い天気ですから現場に出くわすかもしれないですよ。」

 応える晶子は心なしか口調が弾んでいる。結婚式は兎も角、ウェディングドレスへの憧れを時々晶子は口にする。神道では白無垢だが白無垢も検討範囲内
だろう。その現場を目撃出来るなら見ておきたいと思うのは自然だ。

「この道って…、昨日も歩きましたよね。」
「そう言えば…そうだな。動物園に行く道だよな。」

 平安神宮への道のりを把握することで頭がいっぱいで気づかなかったが、この道は昨日も歩いた。めぐみちゃんのリクエストでそれまで京都にあると
知らなかった動物園に行く時に宿から歩いた道だ。昨日は宿から鴨川沿いに南下して、丸田町通りからこの東大路通へと入ったな。丸田町通りを地下鉄の
駅からバスに乗って移動したことも、すぐに気付くに至らなかった理由の1つだろうか。

「近いんですね。平安神宮と動物園って。」
「昨日は平安神宮のことは全然頭になかったからな。」
「子どものことでいっぱいいっぱいでしたからね。」

 一見手慣れた様子だった晶子も、めぐみちゃんの面倒を見るのに相当神経を使っていたようだ。いかに子ども好きといっても保育園や幼稚園で実習や
体験をしていない。それに自分の子どものように思っていても一時保護している他人の子ども。目を離して迷子になったり、万が一事故に巻き込まれたらと
考えると気が休まらなかっただろう。

「近いところに色々な建物や施設があるのは、住宅地が多い新京市と違うところですね。」
「ああ。何だかワープでもしたみたいだ。」

 動物園が出たことでめぐみちゃんとの思い出が出て晶子は気落ちするかと思ったが、そうでもない。勿論綺麗さっぱり忘れたわけじゃない筈だが、昨日も
言っていたように今は俺との新婚旅行。めぐみちゃんは祖母の高島さんが主導して保護されることが決まったから案ずる必要はないし、引きずってちゃ
いけない。気分の切り替えも問題なく出来てるな。
 東山二条の交差点で東に折れて直進する。ああ…、確かに昨日通った道そのものだ。左手に巨大な鳥居が見えてくる。これだけ大きくて目立つのに昨日は
全然気付かなかったんだよな。京都を良く知る人でなくても笑い話だな。
 大鳥居の正面に立つ。随分巨大だな…。まっすぐ南に延びる参道の向こうに緑色の瓦と朱色の柱が組み合わさった建物が見える。大鳥居を潜る人はかなり
多い。有名どころの一つであり、全国有数の規模の神社らしい賑わいだ。
 大通りと言っても遜色ない表参道を歩く。東側には車が列を作っている場所がある。公園の地下にある駐車場に入ろうとする車のようだ。車で参拝する客は
多いが地上に駐車場を作る場所はないに等しい。地下に造るのが最善の策だろう。遺跡を掘り当てると中断しなければならないそうだが。
 参道を抜けると朱色の柱と緑の屋根のコントラストが映える巨大な門−応天門と言うらしい−が立ちはだかる。柱の奥に同じく緑と朱色の建物が見える。左手
には手水をする場所−手水舎がある。神社に参拝する以上、手水舎で手くらいは清めるべきだろう。同じ考えらしく手水舎には人だかりが出来ている。少し
待って空いたところで手を清めて応天門を潜る。
 広大な敷地が広がる。多くの参拝客を吸い込んでいる筈なのに随分空いているように見える。応天門の柱の奥に見えていた建物−大極殿と言うらしい−が
少しせり上がった敷地の奥に鎮座していて、それを中心にして左右対称の配置で同じ建物が据えられている。左右対称は様式美の1つだが、これだけ大きな
スケールで見ると迫力すら感じる。

「あれ…、桜ですね。」

 晶子が指さした方向に建物の柱の朱色とは明らかに違うピンク色が散見される。あれは…桜だ。新京市では開花宣言こそあったものの−バイト先で
聞いた−まだ見頃の時期には程遠い。新京市と京都市はそれほど遠くないし、気候に大きな差があるとは思えない。

「ここ数日で急に暖かくなったわけでもないし…。」
「違う種類の桜じゃないでしょうか?」
「それならありうるな。」

 開花宣言や前線で取り上げられる桜はソメイヨシノ。桜と言えばソメイヨシノという公式か固定概念が成立しているが、ソメイヨシノ以外にも色々種類がある。
よく見るとあの桜はソメイヨシノより色が濃い。多分違う種類なんだろう。

「向かって左手、大極殿の西から神社が所有する庭園−神苑(しんえん)って言うらしいが、そこへの入り口があるな。」
「かなり広いみたいですね。」

 神苑は大極殿と本殿の奥、俺と晶子が今居る境内を東から西まで扇形に包み込むように広がっている。こちらは建物のように左右対称ではないが、南北の
長さが境内と同じくらいある池が東に広がっている。この神苑を回るだけでも十分半日は使いそうだ。

「境内を回って、結婚式の行列に出くわすのを期待するか?」
「それも良いですけど…、神苑を見て回りたいです。」
「じゃあ、神苑に行くか。」
「はい。」

 白無垢姿の花嫁を見て未来の自分と重ね合わせたいという欲求はあるようだが、これだけ観光客がカメラも持って多数居る中で表を歩くとは限らない。
芸能人なら結婚式も宣伝の一環だから見られるのを好むだろうが−簡単に離婚するのも宣伝だろうか−、一般人はホテルの広間を借りたりして招待客以外
には原則非公開にすることが多い。見世物じゃないからその方が普通かもしれないが、それだと花嫁姿にあやかることは期待できない。
 参拝客若しくは観光客の流れは不定だ。左右対称に配置された色新しさがまだ鮮明な建物を見たり、小さなピンクの粒が散見される桜の下に集ったり、
集合写真を撮影したりと様々だ。その中の一部が俺と晶子の向かう神苑への入り口に向かっている。観光案内を見ると、桜は勿論四季折々の花が見られる
ようだ。桜ことソメイヨシノの見頃の時期だとカメラを持った人でごった返しそうだ。
 神苑に入るには拝観料が必要なようだ。観光案内を右手に持ち替えて−財布はズボンの左ポケットに入れることが多い−財布を出そうとすると、晶子が
先に財布を出してチケットを買いに走る。

「昨日は動物園で祐司さんにお金を使ってもらいましたから、せめてものお返しです。」
「ありがとう。」

 晶子は自分が支払うことを少しも躊躇しない。昨日の動物園での支払いは大した額じゃないし−めぐみちゃんに至っては無料だった−、神苑の拝観料も
1人600円だから財布は殆ど痛まない。だが、払えば感謝して払わせるばかりに徹しない晶子の主義は今も徹底されている。
 どういうわけか、日頃男女平等だと喧しくても支払いは男性がするものという認識が、マナーの名で強制されている。晶子のゼミで購読している女性誌でも、
デートの心構えや男性へのチェック事項として男性の支払い態度−割り勘か全額支払いかといったもの−や金額が挙げられている。女性がもてなされるべき
とする場面では、男女平等が都合良くレディファーストに置換される。レディファーストの定義は女性をもてなす男性の取るべき態度や行動として、やはり
マナーの名での強制が進んでいる。男性は女性をもてなすために時にドアボーイとなり、時に執事にならなければいけないと煽り、耳触りの良い扇動に
乗せられて意に沿わない男性を「器が小さい」などと攻撃する図式に、「強制はない」や「男性の理解や協力を得る」という弁明や建前は通用しない。
 入口直ぐのところでやや流れが滞っている。その原因は入ってすぐ上に広がるやや濃いピンクの花粒。空を覆うように伸びる枝ぶりから、満開時の大盛況は
容易に想像できる。

「しだれ桜ですね。」
「まだ咲き始めたばかりだな。」

 てんで花には疎いから、観光案内を見る。しだれ桜の見頃はソメイヨシノより少し早く、4月上旬から中旬とある。咲いているものもちらほら見受けられるから
十分見頃と言える。カメラや携帯を向ける人が多いのも頷ける。このままだと身動きが取れないから、晶子の手を取って人垣をかいくぐるように移動する。

「こっちだと…、時計回りに大回りすることになるな。」
「ゆっくり見物して回りましょうよ。」

 晶子は時間に追われずにじっくり回りたいようだ。俺も急ぐ理由はないし、こういう時だからこそ出来る贅沢な時間の使い方をしたいから、晶子に全面
賛同だ。

「手はこのままで居てくださいね。」

 入口直ぐの人垣を抜ける際に晶子の手を取ったままだ。離すのは気が引けるし、仮に離そうにも俺が手を取った時は「掴む」という表現がしっくりくる形
だったが、今は俺の指と指の間に入り込んでいる。

「ああ。分かった。」

 普段はバイトの帰りくらいしか手を繋ぐ機会はない。大学の往復では視線が痛いし、週末の買い物の往路では失念している。晶子は俺との仲を積極的に
公開したい方だし、見せびらかすには至らなくとももっと手を繋ぎたいと思っていたんだろう。今は、大学とバイト先の往復から離れて夫婦候補生として幸せに
だけ浸って良い時期だ。人前でも自分達の仲を嫌みにならない程度にアピール出来る手段として、手を繋ぐことに慣れておいた方が良いな。
 手を繋いで南神苑の外周を道のりに歩いていく。しだれ桜の麓の混雑以降さえぎるものもなくスムーズに歩けている。緩やかなカーブに差し掛かると森の
中に巨大な四角の箱が埋もれている。…電車か。

「路面電車ですね。」
「京都にも昔はあったんだな。」

 車が今ほど普及してなかった時代、交通機関の主役は電車だった。都市間の移動は元より大きな街中には路面電車が走っていた。路面電車は車の
発達によって公共交通としてはバスに、私的な交通機関としては車に取って代わられ、今度は車の走行の邪魔になるということで路面から追いやられた。
 今も路面電車が走っている町は僅かながら残っているが、俺と晶子が住む新京市やその近郊では全く見ることが出来ない。新京市は人口の割に道路が
広いのもあって車での移動が便利だし、新京市に行けばわざわざ路面を走らせなくても地下鉄が走っている。京都市内に張り巡らされたバス路線を路面
電車に置き換えるという発想も出来なくはないが、電車同士の往来をどうするか、車とどう折り合いをつけるか−特に人や物資の輸送にも使われる
大動脈的な道路での立ち位置をどうするかで、町全体を大改造する必要に迫られるかもしれない。

「博物館のような建屋じゃなくて、森の中に収められていると、童話やファンタジーの舞台みたいですね。」
「確かにこういう場面はありそうだな。」

 森の一軒家は色々な童話の舞台になっている。昨日めぐみちゃんにプレゼントした絵本の1つ「赤ずきんちゃん」も森の一軒家が話の舞台になっていた。
誰も知らないような、知っていても何があるのか分からない不気味さを孕んだ神秘性は、創作話の格好の題材だろう。

「童話やファンタジーで思いついたんだが、晶子は自分でそういう話を書かないのか?」
「創作ですか?書くことは考えたことがないですね。私小説が関の山ですよ。」

 晶子の私小説は今も続いている。日記代わりなのが長続きする秘訣というが、日記の類は1週間連続させるのがやっとの俺には丸3年近く続いているだけ
でも凄い。その私小説は晶子が自分視点で日常の生活をつづったものだから、非現実的な設定や人物は存在しない。
 文学部だから本を読むのは勿論だが、創作を手掛けているのかと言えばそうでもない。本を読む、晶子が居る英文学科だと英文の書籍を各自のテーマに
−たとえば童話や民話−沿って読み、英語圏の文芸の変遷や他の文学や国、民族との関連を調べることが主体だからだ。一方で、本を読むことは語彙を
増やし維持することでもある。専門書籍の割合が多くなって他の本に触れるのは意識しないと音楽関係の雑誌くらいに終わる俺は、漢字をよく忘れる。PC
隆盛のこの時代ワープロソフトを使えればなんてことはないと思われがちだが、文字は知らないと書けない。漢字も例外じゃない。
 レポートは複写が容易になることを避けるためか、全て手書きだ。ワープロソフトなら変換を繰り返して見覚えのある漢字を使う手が使えることもあるが、
手書きではそうはいかない。おかげで今でも辞書を傍らに置いている。晶子が買う本やゼミで借りてくる本でどうにか不自由なく書けるレベルを維持出来て
いるように思う。

「工学部だと、ロボットコンテストやプログラミングの大会に出る研究室もあるけど、文学部だと懸賞に応募するとかそういうのはないんだな。」
「基本的にないですね。先生方も文学の研究はされてますけど、創作を手掛けている方は居ないと思います。」
「書けそうなものだけど。」
「本を読むことと書くことは違うんですよ。書くには何て言うのか…、頭の中の世界を読み手を引き込めるような文体で描写する技術と言うのか、そういうものが
必要なんです。それは本を読むだけでは身につかないものなんです。」

 読む力と書く力は車の両輪の関係だと思っていたんだが、そうでもないのか。理解出来ないわけじゃなく、思い当たる節はある。専門課程のテキスト−という
名の専門書−を読むことは出来ても、その内容を理解しているとは断言出来ない。読むことを繰り返すことで当初は意味が分からなかったことも理解出来て
くるとは論語あたりでも言われているが、そうとばかりは言えない。
 頭での到達の認識と手足として使いこなすことの乖離は学生実験で何度も露呈した。半導体の物性測定から始まったが、温度を恒温槽で一定にすることの
意味が分からず、測定した電流や電圧が無意味なものになって測定を最初からやり直す羽目になった。電力関係も、元々レポートの連続で−担当教授が
総じてレポート攻撃を好む傾向がある−テキストと図書館の関連書籍を何度も読んでどうにか公式の使いまわしや式の変形が出来る程度の状態で、結線
ミスで逆回転することもある(註:事業所や一部大型マンション(「オール電化」を謳うマンションに多い)に敷設されている200Vでは対応するモータの接続が
決まっていて間違うと逆回転して最悪機器を破損させます)実験で失敗した時、軽いパニックを起こした。
 知識と技術は関連しているが別のもの、と講義で物性関係の教授が言ったことがある。講義で使うテキストやレポートで使うであろう−使わないと出来ない
ことも多い−専門書籍は理想的な状態を前提に構築された理論が中心で、それを実現する技術は理論のバックボーンがある上で、実際に動作するものを
作るノウハウがある、というものだった。
 中学高校で理科嫌い、特に物理が嫌いになる人が多い理由は実際にはあり得ない状態や状況が理解出来ないものが教科書やテストの問題になって突き
つけられるばかりであるためとよく言われる。それはそのとおりだが、たとえば平面上の物体を動かす力と仕事の問題で言えば、摩擦を最初から考慮して力の
方向や強さを全て矢印(註:これを力学などではベクトルと称する)で表せるだろうか?摩擦や空気抵抗を考慮していたら、それに初めて接する中学高校の
段階ではまず誰も分からない。そういったややこしい要素をすべて除去した状態から理解を始めるのが無難だ。

「俺は学生実験やこの先の卒研で、テキストや専門書籍の内容を自分の手で作ったり確認したりする機会があるけど、文学部はそれとは性質が違うんだな。」
「随分違いますよ。祐司さんと違って実験が完了しないと夜遅くなっても帰れないなんてことはないですし、英語を読み書きしているからと言って全編英語で
短い評論や創作小説を書くことを要求されないですし。」

 晶子と同じキャンパスにある同じ大学に通学しているが、大学生活は全くと言って良いほど異なると改めて実感する。大きな違いの最大の要因は、やはり
学生実験の有無だろう。実験は前後でも相当エネルギーと時間を使う。4単位でしかも必須だから嫌なら留年か退学を選択するしかない。
 だが、学生実験で実験の段取りを組んだり、結果を正しくまとめて他人に伝えられるようにしておかないと卒研で大変なことになる、と実験担当の教官や
研究室での輪講で研究室の院生や所属教官がよく口にするしそう言われたという話も聞く。研究室によっては「学生実験の成績が悪い学生は要らない」と
断言するところもあるくらいだ。テーマも目的も決まっていて手順もそこそこ明記されている学生実験が出来ないようで卒研は無理だし、修士博士など論外
だろう。

「書く機会があったら読ませてくれ。」
「はい。まず最初に読んでくださいね。」

 今は書けないと思っていても、それは経験がないだけであって書ける可能性は十分ある。ノンフィクションから推理小説、ファンタジー長編まで特定の
ジャンルにこだわらずに本を読むんだから、創作を手掛ける際の引き出しは豊富だろうし中身もたくさん詰まっているだろう。読む側から書く側になった時
どんな作品が出て来るのか、まだ見ぬ今から期待したくなる。
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