雨上がりの午後

Chapter 260 親代わりを終えて

written by Moonstone

 俺と晶子は高島さんとめぐみちゃんの見送りを受けて高島さんの家を出る。両親は早速事務所のスタッフ−めぐみちゃんの面倒を見ていた女性−に
連れられて自宅に向かった。引っ越し業者にも連絡して転居の準備を進めるそうだ。善は急げというやつだ。
 引っ越しで懸念されるのはめぐみちゃんの通う学校や交友関係だが、幸いめぐみちゃんの自宅と高島さんの自宅は同じ学区内だから、間もなく入学の
小学校を転校したりする必要はないそうだ。親は兎も角引っ越しに伴う子どもの交友関係の断絶や新規構築はかなり大変だという。めぐみちゃんのように
家庭に問題があるといじめの標的になりやすい。その点今回はめぐみちゃんに極力負担がかからないように進んでいる。

「本当にこのたびはお世話になりました。娘夫婦は元より、めぐみを大変可愛がっていただいて…。」
「いえ。それより、めぐみちゃんをよろしくお願いします。」
「分かりました。めぐみは娘夫婦共々私が責任を持って保護します。」

 道が分からないだろうからと高島さんはタクシーの手配を考えてくれたが、俺と晶子は断った。それ以上世話になるのは良くないと思ったからだ。最寄りの
バス停を教えてもらったから、そこまで歩いて宿に帰るつもりでいる。多少距離はあるらしいが、普段歩くことが多いから不自由はしない。

「お父さん、お母さん。ありがとう。」

 キリンのぬいぐるみを抱っこしためぐみちゃんが前に進み出る。動物園でプレゼントしたキリンのぬいぐるみは随分気に入ったようで、めぐみちゃんは
事務所のスタッフが面倒を見ていた時も片時も離さなかったそうだ。気に入ってもらえて嬉しいが、今まで両親にこうしたプレゼントをされる機会がなかった
のかと思うと不安がある。
…信じるしかない。此処から先は高島さんとめぐみちゃんの両親が取り組むことだ。

「めぐみちゃん。お父さんとお母さんと、それからおばあちゃんと一緒に暮らせるね。もう安心だからね。」
「うん。」

 屈み込んだ晶子は、めぐみちゃんの明るい表情を見て微笑む。どこか寂しげなその横顔は、本当の子どものように接してきためぐみちゃんとの別れを
惜しんでいるのが分かる。情が移っていたとしても晶子を咎めるのは憚られる。子ども好きや子どもが欲しいことを明言していた矢先に、めぐみちゃんで母親を
模擬体験出来たんだからな。

「めぐみに色々買っていただいて、私からも改めて御礼申し上げます。」
「気になさらないでください。」
「こんなことをお願いするのは気が引けるんですが…、御旅行の最後にでも、一度お立ち寄り願えないでしょうか?きっとめぐみも喜ぶと思います。」
「分かりました。御挨拶に伺います。」

 めぐみちゃんと話をする晶子を見ていると、これで完結さようならとは出来ない。京都を離れる前に挨拶に来ることで、めぐみちゃんの様子を見ることも
出来る。

「めぐみちゃん。また来るから…元気でね。」
「うん。お父さんとお母さんも元気でね。また来てね。」

 晶子が名残惜しげに膝を伸ばすと、めぐみちゃんはキリンのぬいぐるみを抱っこしながら手を振る。めぐみちゃんに手を振り返す晶子のもう片方の手を取り、
俺は高島さんの家を後にする。高島さんと一緒に門から出ためぐみちゃんは、見えなくなるまで手を振っている。晶子も頻りに後ろを振り返って見えなくなる
まで手を振る。
 姿が見えなくなったところで、晶子は肩を落として視線を下に落とす。やっぱり情が移っていたか…。元々子ども好きで子どもを欲しがっていたところに、
可愛い盛りの年代のめぐみちゃんの世話をしたら情も移って当然だが、俺達はめぐみちゃんの親代わりは出来ても親にはなれない。厳しくても悲しくてもこの
ことは認識しないといけない。

「晶子。俺達は親代わりは出来ても親にはなれないんだ。」
「はい…。」

 晶子は顔を上げて俺を見る。瞳が微かに潤んでいる。親になりたくてもなれない辛さを懸命に堪えているのが分かる。

「めぐみちゃんは…きっとこれから幸せになれますよね?」
「ああ、なるさ。必ず。」

 幸せにならなかったら、両親を監獄に叩きこむべきだ。高島さんの保護と監督の下で生活すれば、めぐみちゃんがないがしろにされたり理不尽な仕打ちを
されることはなくなる。今は…そう信じるしかない。どれだけ不安が浮き上がってきても。

「そう…ですよね。幸せにならなかったらおかしいですよね。」

 晶子はそう言うことで自分を納得させ、めぐみちゃんと別れる辛さや寂しさを抑え込もうとしている。晶子の気持ちは痛いほど分かるから、「いい加減諦めろ」
とか「現実を見ろ」などと乱暴に突き放す言い方は出来ない。

「俺達に子どもが出来たら、めぐみちゃんに引き合わせないといけないな。」
「あ…、そうですね。」

 思い付きで言った言葉で、晶子の表情が晴れていく。めぐみちゃんとの関係は今回で終わったわけじゃない。この旅行の最後に会いに行くと約束したし、
子どもが出来たら義理の姉として引き合わせるのもありだろう。晶子の子ども好きを生かすきっかけになれば良い。

「祐司さんも子どもに関心が高まったみたいですね。」
「意外と親って良いのかも、とは思う。」
「祐司さんならきっと良いお父さんになれますよ。お願いしますね。」
「何をだよ。」

 笑顔が戻った晶子は、俺の左腕に腕を絡めて密着してくる。立ち直りや気分の切り替えの早さは晶子らしいな。さて、宿に帰ってゆっくりするか。子どもの
相手をするのはやっぱり結構なエネルギーを使うもんだと身を以って知った。親になることへの不安や疑問は幾分か払拭出来たが、やっぱりまだ先の話
だな。俺が親になるなんて実感が掴めないし…。
 宿に戻った頃にはすっかり夜。ほどなく食事が運ばれてきた。食事はご丁寧にも昨日とメニューが異なっていた。一昨日宿に着いて初めて食事を摂った
時と同じ2人きりなんだが、どうもぽっかり穴が開いたような、何かが足りないような気がしてならなかった。めぐみちゃんの存在感が大きかったと改めて実感
させられながらの夕飯は、どうもしんみりしがちだった。
 夜景を見るのも良いかと思ったが、余計にしんみりしそうな気がして取り止め。食事が終わって仲居が片付けに来た際、酒の代わりに茶を頼んだ。少しして
運ばれてきた京都市に隣接する宇治市の茶を、俺は晶子と飲むことにした。揃って浴衣に着替えてから少し変わった体勢で。

「こうやってお茶を飲むなんて…。」

 俺が淹れた茶が入った湯のみを両手で持った晶子は、まだ少し驚きが残っているが明らかに喜んでいる。俺は茶を一口飲んで、晶子の身体に腕を回す。
 晶子は俺の胸を背もたれにする形で座っている。俺は晶子が座れる程度に足を開いて前に投げ出している。上半身だけ見れば晶子を後ろから抱き
すくめる時と同じだ。今回は座っていて晶子のウエストあたりに腕を回して抱き寄せているから、密着度やエロチックさが増している。

「こういうのもなかなか良いだろ?」
「はい。何だか…、凄く安心出来ます…。」

 めぐみちゃんの存在感を思い返してしんみりしがちなところで、今日までの思い出を語り合うのは悪化させるばかりだろう。必要なことは気分転換と思って、
京都に来た俺と晶子の状況である新婚旅行を意識し直すことを考えた結果だ。

「今…、私は祐司さんと新婚旅行で京都に来てるんでしたよね。」

 茶を啜った晶子は俺に預ける体重の比率を増やし、肩口に後頭部をつけて俺を見上げる。すっかり気分を立て直したようで、視界を埋める表情は幸福感に
溢れている。

「引っ張ってちゃいけませんよね。」
「忘れろとは言わない。親になる貴重な予行演習だったし、色々良い経験や思い出も出来た。でも、それが目的じゃない。新婚旅行の中で出来た経験や
思い出だからな。」
「やっぱり、祐司さんがいてこその自分ですね。私だけじゃ足りないことばかりです。」
「俺も足りないことや及ばないことはたくさんあるさ。それを補い合うことが出来るって今回分かったのは良かったんじゃないか?」
「はい。」

 何も知らない他人に違いないめぐみちゃんを寝食含めてスムーズに面倒を見られたのは、晶子の役割が大きい。一方の俺も短い時間で最適な判断を要求
されることがあっても無難にこなせた−と思う。どれも1人じゃ出来なかっただろう。2人居て協力して−協力の仕方や立ち位置はそれこそそれぞれのライフ
スタイルだ−夫婦だってことが実感出来て、俺と晶子はそれが可能と確認出来たのは大きな収穫だ。
 懸案だっためぐみちゃんと両親も、社会的地位と収入が高い水準で確立している祖母−そんな雰囲気じゃないが血縁上間違いない−の高島さんが保護
監督の方向でさっそく動いてくれた。早速めぐみちゃんの自宅から引っ越しの手配が始まったし、めぐみちゃんは今日から高島さんの家で暮らすことに
なった。
 引っ越しは何かと忙しい。必要な全ての荷物の梱包は勿論、不要なものの選別、廃棄も必要だし、電気ガス水道電話の手配も欠かせない。
今まで高島さんの資金援助に依存していてめぐみちゃんの前であれだけ口論を展開した両親が、それらを2人でこなせるとは考えにくい。それだけでも
生活が不便になって大変だが、めぐみちゃんがそのあおりを食ってより小さくなって過ごさなきゃならなくなる危険さえある。
 これも、幸い高島さんが事務所のスタッフに陣頭指揮をさせることで解決するだろう。見た感じ、あのスタッフの女性は有能そうだし、高島さんから相応の
権限を与えられているだろうから両親を動かすのも容易だろう。めぐみちゃんは今までも可愛がってくれた高島さんの庇護で、新しい生活を始めることに
なった。これで安心して生活を送れるようになるだろう。
 俺と晶子は偶然置き去りにされためぐみちゃんと出くわし、そのまま1日親代わりとして保護した。その結果、両親は警察でこってり絞られ、真の保護者と言う
べき祖母が両親共々引き取ってめぐみちゃんを安心して暮らせるように動き始めてくれた。ここからはめぐみちゃんと両親、そして高島さんが決めることだ。

「今回のことで、祐司さんが凄く頼もしくて素敵な男性だと改めて分かりました。」
「そうか?」
「はい。子どもの疑問に懇切丁寧に答えたり、一緒に絵本を読んであげたり、予定や行動を合理的に判断して実行したり、一緒に居て凄く安心しました。
こんな素敵な男性を夫に出来た私は、凄く幸せだということも再認識しました。」

 晶子の笑顔に浮かぶ幸福感による輝きが増す。俺にすっかり身体を委ねて安心しきっている。めぐみちゃんの親代わりとしてボヤボヤしてられないという
プレッシャーもあるにはあったが、今はこういう状態だから何をすべきか考えて、最適の答えを出して率先して行動しようという意気込みの方が大きかった
ように思う。
 俺が決めたとしても、晶子が不満を言ったり自分の意志を押し通そうとしたら決めたとおりにすんなり進まなかっただろう。それどころか、めぐみちゃんに
とっては少しの間安心出来ると思ったところで同じように口論が始まって、生きた心地がしなかっただろう。俺と晶子にとっても最悪の展開だ。
 晶子は意見や提案を言うには言ったが最終的な決断や行動は俺に委ねた。晶子は高島さんの家で「夫婦や家庭には色々な形があって機械的に平等を
適用するのはおかしい」と言ったが、一言で言えば「夫唱婦随」に属する形に徹した。俺が夫や父親としてリーダーシップを発揮するには、妻の自分がサポート
役に徹する必要があるとも言っていたが、そのとおりに実践して自分の立ち位置を確認出来たんだろう。

「新婚旅行では、この相手と結婚して良かったと再認識する機会で居たいからな。」
「私もそう思います。それが今回強く実感出来て幸せです。」

 晶子は後頭部を俺の肩に乗せたまま、頭を俺の首の方に傾ける。肩に寄りかかるところが首に寄りかかってる構図だ。今晶子のウエストに腕を回している
のもあって密着感が更に強まる。自分で始めたことながら、この体勢は結構刺激的だな…。ふと視線を下に向けると、浴衣に全体像は隠されても形が浮き
出ている胸が見えるし…。
 緊張だか興奮だか分からない気分で茶を飲もうと湯のみを口に近付ける。…試してみるか。俺は湯のみを自分の口じゃなく、晶子の口に近付ける。晶子は
湯のみの接近に気付いて視線を向ける。形の良い唇に湯のみの端が触れると、晶子は少し口を開く。…飲むつもりだな。
 俺は少しだけ湯のみを傾けて、晶子の口に茶を静かに注ぎ込む。晶子は眼を閉じて茶を受け入れる。俺が一口分くらいの茶を注いで湯のみを口から
離すと、晶子は眼を閉じたまま口を閉じて顎を少ししゃくりあげる。ごくっと喉が鳴り、晶子は少し恍惚とした顔で目を開けて小さい溜息を吐く。

「美味しいです…。」

 やっておいて何だが・・・淫靡な光景だな。見ていて興奮が強まってしまった。試しにもう1回。今度はさっきより少し多めに飲ませてみる。湯のみが唇に
触れると晶子は少し口を開き、目を閉じて注がれる茶を受け入れる。湯のみが唇から離れると、目を閉じたまま口を閉じて飲み干し、目を開けると同時に恍惚と
した表情で小さい溜め息を吐く。

「もっとください・・・。」

 上目遣いに頼む晶子を見て、俺も唾を飲み込んで喉を鳴らしてしまう。何時の間にか晶子のウエストに回している腕は被せるように掴まれているし・・・、
晶子も分かってて言ってるんだな。俺が晶子に茶を飲ませて想像することを。・・・遠慮は要らないな。
 俺は三たび同じことをする。晶子も同じく目を閉じて茶を口で受け止め、飲み込んでから目を開けて満足げな溜息を吐く。表情は勿論だが、今回は
注がれる際か飲み込む際に僅かに溢れた茶が口元から雫になって滴り落ちているのが淫靡さを増している。

「祐司さんに飲ませてもらって嬉しいです・・・。」
「・・・分かってて言ってるだろ?」
「祐司さんもでしょう?」

 俺と晶子は顔を見合わせて苦笑いのような笑みを浮かべる。
茶を飲ませることで模した夜の営みの1つは、「別れずの展望台」でのデートを終えた夜から始まった。主に晶子の事情で晶子の中で絶頂に達せない時に
してもらうが、晶子にされることの幸福感と通常のセックスとは異なる快感に我慢しきれるわけがない。果てた後の余韻が全身を漂う中で、晶子は口に含んだ
俺の愛の証を見せてから目を閉じて飲み込み、満足感溢れる恍惚とした表情で小さい溜息を吐く。そう、茶を飲ませた時と同じ動作と表情だ。
 その艶っぽさと胸を締め付ける仕草で興奮が再燃する中、晶子はもう1度してくれる。あまりの快感と幸福感で、俺は魂を吸い取られるような錯覚を覚える。
快感と幸福感の中でこのまま吸い取られても良いと思いながら再び果てる。それを俺が望むだけしてくれる。
 「別れずの展望台」でのデートの夜までに、俺は晶子と何度か寝た。その間考えたしして欲しいと思ったが、言い出せないままだった。理由は単純。晶子が
嫌がるんじゃないかと思ったからだ。だが、俺が切り出した時、晶子は上手く出来るか不安がったものの嫌がることはなかった。初めてしてもらった時の感動、
そして幸福感と満足感は今でも鮮明に憶えている。

「何も遠慮しないでください。私と祐司さんは夫婦。私は祐司さんの妻。夫婦の愛情の確認の1つとして今のようなスキンシップがあって、夜の営みがあるん
ですから。」
「…そんなこと言って良いのか?」
「もう臆したり躊躇ったりする材料はありませんよ…。この新婚旅行だけでも一昨日昨日と、祐司さんは私の全てを見て、触れて、感じて、味わって、侵略して、
支配したんですから…。」

 茶を飲ませることで、晶子の気持ちのスイッチは完全に切り替わったようだ。俺は湯のみの茶を軽く口に含む。湯のみを床に置いて晶子の肩を掴み、目を
閉じて待っていた晶子の唇を唇で塞ぐ。舌先を唇の間に差し込み、含んだ茶を少しずつ流し込む。一定の周期で晶子の喉が鳴る。すべて流し込んで晶子の
喉が鳴らなくなってから唇を離す。晶子はうっすらと目を開ける。酔ったように頬を赤らめて表情がとろんとしている。

「私もしたい…。」

 晶子は湯のみを置いて俺に体重をかけてくる。背もたれがないから支えきれない俺は仰向けになる。晶子は俺に上半身を乗せたまま、湯のみを取って茶を
口に含む。そして、俺の唇を唇で塞いで俺がしたように舌先を指し込んで茶を少しずつ流し込んでくる。口に流れ込んでくる茶を溜まったところで飲み込む
ことを繰り返す。頭が快感と幸福感で白んでいく。
 茶の口移しが終わる。唇に続いて舌先が離れていく。俺が目を開けると、俺に乗りかかった晶子の顔が視界を埋める。晶子が頬を赤くしてとろんとしていた
理由が分かった。多分、今の俺もそうなってるだろう。

「もう1回…。」

 再び晶子による茶の口移しを受ける。晶子のウエストを抱いたままの左腕と胸にそれぞれの温もりと柔らかさを感じながら、俺は快感と幸福感の深海に
どっぷり浸かる。酒を飲んでないのに全身が熱くてふわふわした心地良い感覚が全身を覆う。気持ち良い…。
 口移しが終わって、全身が熱い。体内の換気のために溜息を吐く。晶子は俺に乗りかかったまま肩口に顔をうずめてくる。一昨日の初夜が終わった後とほぼ
同じ体勢だ。あの時より全身が火照っているように感じるのは気のせいばかりでもない。初夜は酒が入っていて激しく営んだ後だったから火照るのは自然
だが、アルコール成分皆無のはずの茶を飲んでこれだけ火照るなんてな…。

「少しの間、このままで居て良いですか…?」
「良いよ、勿論。」

 否定の余地がない問いに答えると、右の頬に柔らかい点の感触が伝わる。俺はもう一度体内の換気をする溜息を吐く。晶子が乗りかかっていても重く
ないし、何より柔らかい感触が心地良い。俺もこのままで居て晶子の感触を堪能しよう。
 座椅子のような形になっていた流れで、晶子のウエストを抱いたままだ。少し上から少し下にかけて手を動かして稜線を手に感じさせる。耳にくぐもった声が
届くがあえて聞き流す。くびれがはっきり分かる。エステやダイエットを口にしないのに−この手のものは口にしても実行出来るとは限らない−、これだけ
理想的なスタイルを維持出来てるんだから大したもんだ。
 晶子が所属するゼミにある女性誌には、必ずと言って良いほどエステやダイエットの特集や記事がある。同時にグルメの特集や記事もほぼ間違いなくある。
俺と晶子が住む新京市はオフィス街と文教・住宅地の色彩が強いから、記事の対象になる店は小宮栄が多い。
 読んでいると大学の専門書を読むより眩暈がするからざっと流し読みするだけでも、エステやダイエットは数十分で数千円単位、万単位も珍しくない。
グルメも1食数千円単位のものが多い。これらを使ったり買ったりしていれば、金は簡単に消えていくのは想像出来る。
 俺が奇妙に思うのは、金額よりも相反するような記事が同時に掲載されることだ。グルメで紹介される店では大抵甘いものを扱っているが、これらは本体の
大きさから想像する以上に大量の砂糖を使う。晶子がクッキーやケーキを作る時にボウルに大量の砂糖が入れられるのを目にする。単体でも結構な量になる
ものを別腹としていくつも食べればカロリーは増大する。
 その分運動するなどして消費すればまだしも、運動は意外としない。その分エステやダイエットに注ぎ込む。断食まがいのことをしても身体を作る筋肉が
十分になければ身体に変調をきたしたり−女性の場合は生理不順が典型例−、リバウンドでかえって太る。時間をかけて肌を磨いても、偏った食生活や
喫煙−女性の方が目立つ−の影響が表れやすい肌を一時的に誤魔化す程度に過ぎない。
 もし、女性誌が意図してグルメ記事とエステやダイエット記事を同時に掲載しているのだとしたら、相当狡猾だと思う。食べさせて金を使わせ、その埋め
合わせにまた金を使わせることを繰り返させるんだから、商売としては効率も良いだろうが。
 晶子は、女性誌の定番記事を実践するために付きまとう集団行動から離れている。それは晶子があまり女性の集団を好まないのもあるし、俺との時間が
削られるのを避けるためでもある。結果的にそれらとは無縁に理想的なスタイルを維持して磨きをかけているし、金を浪費することもない。それに、俺と一緒に
居ることが女性の集団から距離を置く絶好の口実にもなっているから、晶子にとっては一石二鳥三鳥といったところか。

「祐司さん。」

 暫くして、晶子が顔を上げて俺の顔を真上から見下ろす形になる。乗りかかった姿勢はそのままで両手は俺の両肩に置いているから、俺が晶子に取り
押さえられたみたいだ。

「お風呂、行きませんか?」
「ああ、そんな時間かな。」

 風呂と言えば昨日は晶子とめぐみちゃんの2人と一緒に入ったんだったな。めぐみちゃんが風呂場で転んだりしないか注意していたが何事もなかったし、
広い風呂に家族で浸かるっていうのはこんな感じだったか。…一緒に風呂?…というと今日も…狙ってるな。

「背中、流してくれるか?」
「勿論です。」

 分かり切ってることだから、意思確認をすっ飛ばしても支障はない。晶子は十分その気なんだし、俺も拒む理由はない。
折角だからこの際、昨日はめぐみちゃんが居たから出来なかった背中を流してもらうことを頼む。一緒に風呂に入る、しかも今度は2人きりと改めて思うと、
大分収まっていた全身の火照りが再燃する。昨日はめぐみちゃんが強力なストッパーになってくれたが、今日は自分自身で抑えないといけない。
…何時まで持つやら。
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