雨上がりの午後

Chapter 249 臨時親子の旅日記(17)−子ども心に感じる純粋な疑問−

written by Moonstone

「あの高い建物はどうやって造ったの?」

 めぐみちゃんの関心は鐘の向かい側にある塔に移る。何の前置きもなく突然切り替わるから、対応が一瞬遅れてしまう。

「三重塔ね。」
「今だとクレーンっていう高いところまでものを運べる大きな車や機械があるけど、あの塔が建てられた時代だと、足場を組んで下から順に建てていくしか
なかっただろうな。」
「『足場』って?」
「建物の周りに組み立てる、大工さんや職人さん専用の通路のことだ。今でも建物を建てる時に使われてる。」

 一からの建設現場でなくとも、アパートやマンションの外壁塗装修繕や増改築時に足場は普通に使われている。無論、鉄やアルミのものはなくて木製だった
だろうが、建設職人にとっては足場が作業の主体で、クレーンはあくまで鉄骨など重量物を運搬するための道具だ。

「めぐみちゃんに身近なものだと・・・、ジャングルジムは知ってるか?」
「うん、知ってる。」
「それを建物の周りに、大工さんや職人さんが自分達で組み立てて、そこで建物を建てたり歩いたりするのを想像すれば良い。」
「分かった分かった。」

 最初はいまいちイメージが把握し辛かった様子だったが、やはり身近なものにたとえたことですんなりイメージ出来たようだ。単語や言い回しの水準を
相手に合わせるのはなかなか難しい。

「大工さんって凄いんだねー。」
「万が一の対策はしているけど、危険と隣り合わせの大変な仕事なんだ。そういう職業の人が居るから、今めぐみちゃんも見ている立派な建物が建てられたん
だぞ。」

 建築作業の現場は重量物や硬いものが彼方此方にあり、転落すれば骨折どころか死ぬ危険性すらある。作業中の建築物を急変した天候から急いで保護
する必要がある。
 政治家や官僚と結託して税金の還流や接待にどっぷり浸かっているゼネコンや幹部は軽蔑されても、建設現場で働く人達を軽蔑するのは大きな
間違いだ。俺のアパート付近でも偶に建設現場を見るが、何が建つんだろうとかどんな工事をしてるんだろうとか思うことはあっても、土方だとか後ろ指を
さしたり白眼視したことはない。そんなこともあって、バイトの接客や大学構内或いは街角で、幼い子どもを連れた母親が作業着姿の人を引き合いに出して
「勉強しないと将来は土方」などと脅したり蔑視したりするのは解せない。髪を染めていたりタバコを吸っていたりと素行不良が目に付きやすいためだろうが、
そう言う人間はどれだけ崇高な仕事に就き、模範的な素行なんだろうか。
 俺に言わせれば、子どもに職業差別を吹き込む親の方が害悪だ。髪を染めたりタバコを吸ったりといった素行は、見え方が違うだけでその手の人間も
似通っている、髪は当たり前のように茶色に染めて時にタバコを吹かしているのは「似た者同士」だし、身の丈に合わないブランド品で飾り立て、下賎な
浮世話やその場に居ない人の陰口で盛り上がる様は、何らの生産性もないし見苦しいことこの上ない。
 そんな連中より、重い荷物を持ち運んだり服や手が汚れる作業も厭わずにこなす現場の作業員の人達の方が、ずっと立派だ。土方だ底辺だと蔑む仕事は、
誰かがしないと家も建たなければ道路はガタガタになる、生活の基盤や社会インフラを構築・整備する必要悪ではない重要な仕事だ。献金という名の賄賂や
税金の還流、自然破壊や無駄な公共事業とは分けて見ないといけない。

「こういう高い建物って、何のために造るの?」
「寺としての目的って意味だと・・・、あまり知らないけど、寺の宝物を置くためかな。昔はセンサーやカメラで24時間監視されてる金庫なんてなかったから。」
「宝物ってどんなの?」
「めぐみちゃんも金閣寺の中で見たような仏様を象った像とか、壁画−仏教を題材にした大きな絵とか、そういうものかな。」

 今だと金庫に入れるものは現金や預金通帳と届出印の組み合わせといった、文字どおり金に絡むものが大半だから、建物に宝物を置いておくというのは
あまりイメージし難い。防犯カメラがあっても万引きという名の窃盗や強盗が発生するくらいだからな。
 かつて奉納や象徴として創られた品々は、今では国宝や重要文化財として金に換算するのが困難な逸品になっている。盗み出せないように監視や警備は
厳重にしているだろうが、天災や放火による損失の可能性はゼロにはならない。めぐみちゃんには言っていないが、金閣寺も割と最近焼失している。
 建物、特に塔に宝物というとゲームを連想する。俺はゲーム機を持ってないし、今でも欲しいと思わないが、バイトで接客をしていると中高生から時々その
手の話を聞く。宿題と塾に追い立てられる生活の息抜きにプレイしているようだ。晶子を「独占」していることで男子中高生から直接話を聞く機会は少ないが、
ロールプレイングに熱を上げているらしく、ゲームの進捗状況の他レアアイテムの獲得具合も話題の焦点になっている。ゲームの進行に欠かせない
アイテムや宝箱があるダンジョンや塔には、大抵トラップがある。ゲームだと落とし穴だったり手強いモンスターだったりする。
 これはゲームに限ったことじゃなくて、映画や小説や漫画など架空の冒険話には頻繁に使われている。他にはない若しくは誰も持っていない珍しい宝物を
所有することが一種の自慢になることは、今も昔も変わらない。仏像や壁画に価値が見出せなくて意味が分からないなら、初回限定特典付きのCDやDVD、
切手やコインに置き換えてみれば良い。

「盗もうとする人とか、居るのかな?」
「居るだろうなぁ。でも、今はセンサーやカメラで24時間見張ってるだろうし、仮にそういった監視の網を潜って盗み出しても、運び出すところで見つかって
しまうんじゃないかな。此処だと、来るまでの道が凄く狭いから尚更。」
「人のものを盗んだら処罰を受けるもの。特にお寺や神社の宝物を盗んだら、神様や仏様の罰が当たるわよ。」

 外国の宝物−大昔の遺跡にある遺物や宝飾品、有名な画家が描いた絵画は割と盗み盗まれが頻繁に行われている。だが、日本では寺社仏閣や古墳から
宝物が盗まれたという話はあまり聞かない。その理由が「日本人が特に善良だから」とは思えない。戦乱では寺社仏閣が焼き討ちされたし、今でも「依存症」と
称して万引きを繰り返す不届き者が居る。晶子が言ったように寺社仏閣の宝物を盗み出すことは神仏の罰が当たるという意識が存在するからだろう。
 あと、日本人は死者の持ち物や墓を暴くことを敬遠する傾向が強いことも理由だと思う。旱魃(かんばつ)や伝染病の原因が外国では神の罰や信仰の不足と
なるところが、日本では死者の祟りにされる時代が長く続いた。死者の持ち物である遺物を墓を暴いてまで持ち出せば死者の祟りが襲うという抑止効果が
期待出来る。
 日本で遺物が期待できる墓は古墳だ。だが、古墳は天皇の墓であり、学術調査でさえなかなか進められない。天皇は神社が祭る神道における日本
建国者の子孫、すなわち神の子孫だ。その法的、特に憲法的な視点からの見解や立場はともかく、そうした認識を持つ人達や官庁が存在して古墳を祭って
いるのは事実だ。
 日本人にとって死や墓は祟りや穢れ−割と最近まで葬式で塩を配布していた−として忌避すると共に、聖域の一種でもある。死者の言動に関する論評を
避けたり、討ち死にした武将を祭る寺や神社を建てたり、古墳のようにはいかずとも墓を暴くことが日本でほとんど聞かないのは、そのためだと思う。

「あの建物の中は見れないの?」
「普通は無理だけど、場所やものによっては何年に1回とかの割合で一般公開されたりするよ。」

 下調べを殆どせずに−こういった場当たり的な行動でも口論になったりしないのが俺と晶子の関係−足を運んだから、どの施設でどんなイベントをして
いるかなんてまったく把握していない。開帳と呼ばれる寺社仏閣の宝物や普段非公開の部分の公開は尚更知る由もない。清水寺でも開帳はあるだろうが、
今のところそんな様子はない。人の多さは、コートが必要とはいえかなり暖かくなってきたこと、本格的な観光シーズンである桜の開花前に見物出来る
ところをゆっくり周ろうという先行意識が故だろう。

「今回はそのタイミングじゃないみたいだな。これはどうしようもない。」
「そうだね。」

 めぐみちゃんはすんなり諦める。この年代でこの物分りの良さはかなり特異だ。親の代理として面倒を見る分には助かるが、溢れるエネルギーを常に
持て余すようなこの年代の1人としては、この先めぐみちゃんが自分を常に強く抑圧することになるんじゃないかと気がかりだ。

「あっちの建物って何?」

 めぐみちゃんはこれ以上立ち入った見物が出来ないと悟るや否や、すぐさま別の対象に関心の向きを変える。聞き分けが良過ぎる分、知識欲はかなり旺盛
なのが特徴的だな。説明する側としてはかなり噛み砕かないといけないが、今後の練習と思って出来るだけ対応していこう。
 少しずつ濃くなってきた夕闇に浮かぶ白壁の建物周辺は、不思議と俺と晶子と同じか若い人達で賑わっている。しかも、その多数が女性だ。これまでの
客層と違うし、女性の高い声で会話が途切れることなく続いているせいか、その部分だけ清水寺の境内から切り離されているようにも見える。

「女の人が多いね。」
「それもその筈。あの建物は随求堂(ずいぐどう)って言って、縁結びで有名なのよ。」

 晶子の解説で謎が一気に解明される。縁結び、すなわち恋愛成就に関する話は女性の好物だ。あの建物の周辺だけ客層が違って賑わいが異質なのも
当然だろう。
 建物に近づく。あれは・・・神社で目にする鐘か?紅白の螺旋状の結わえは間違いなく神社で見るもの。女性客が特に集まっているのはその鐘周辺と、
あれは・・・御神籤を結びつける場所か?人垣であまりよく見えないが、同じく神社で目にするものと同じような形状だ。此処の一角だけ清水寺の境内じゃ
なくて縁結びの神社になっていると言っても過言じゃないな。

「お父さんとお母さんも、此処でお願いしたの?」

 いきなり小細工なしのストレートな質問をぶつけてくる。めぐみちゃんの素朴な好奇心や興味は、ある種のびっくり箱だな。

「此処じゃないけど、お父さんに連れて行ってもらった場所でお願いしたわよ。」

 言葉を選んでいた俺に先立ち、晶子が待ってましたとばかりに質問に答える。俺との馴れ初めを語るのは晶子の好物だ。相手がめぐみちゃんで、今が母親
代わりでも、その好物への食い付きを自粛するつもりはまったくないようだ。こういった疑問や質問の答えは晶子に任せておこう。
 その年の正月以来と、今と比較すればご無沙汰にも過ぎる空白を破り、更に無意識に構築していた壁をも突破した一夜を過ごしたあの日。思えばあの場所
での願掛けが引き金の一つになったのかもしれない。晶子は俺と付き合う前の口喧嘩の原因ともなった智一とのデートでもあの願掛けの場所に行った。
だが、晶子と智一の話から、晶子は初めて知ったその場所での願掛けを避けて、俺と行くことを決めていたようだ。その後、俺と付き合うようになってあの
場所に関する情報を仕入れていくうちに、あの場所への交通手段が車以外ないこと、俺が車を持ってなければ持つ気もないことから、レンタカーを思い
ついたようだ。
 あの場所へ行くことは、晶子にとって大きな賭けだったんだろう。免許は取ったものの使う機会がないままだったペーパードライバーまっしぐらの俺に、
保険は各種完備されているとはいえレンタカーを運転して指定の場所に行かせるなんて、それだけでも相当の勇気が必要だ。それこそ、運転中は俺に命を
預けるくらいの覚悟も。だからこそ、あの場所での願掛けという目的が達成された後の夜の営みで、俺が思いついたあらゆることを受け入れ、実行に移して
くれたんだろう。それ以来夜の頻度は増したが、あの一夜は今でも鮮明に思い出せるほど印象強い。

「じゃあ、此処はお父さんとお母さんにはもう必要ないんだね。」
「お母さんは何度でもしておきたいよ。お母さんは何度も言い聞かせないと分からない駄目な人だから。」

 めぐみちゃんへの答えは、俺への謝罪であり、自分に言い聞かせるものでもあるように感じる。俺が抱っこしている幼女と同じ名前−漢字は聞いてないが
同じ読みの名前を持つ女性の台頭で混乱し、逃避さえした自分を改めて強く戒めたい。そんな意志も感じる。

「少し順番待ちみたいだが、しておくか。」
「はい。」

 順番待ちといっても、前に数名ずつ固まったグループが2、3だ。女性の集団は男性のそれ以上に統率が取れている。リーダー格の誰かの動きに他の
面々が忠実に連動するから、一見多いように見えても少し待っていれば数人ずつごっそり抜けていく。
 晶子は俺と一緒に居ることを求める分、他とは疎遠だ。女性の比率が高い文学部のゼミの1つに所属しても、その傾向は変わっていない。女性の集団で
行動するには今の生活、すなわち俺と同じ店で同じように週1回月曜休みで夜6時から10時までの4時間のバイトを続けることがまず大きなネックになる。
サークルや合コンは平日の夜の開催が基本だから、俺との時間を共有することを選ぶなら女性の集団に属することは難しい。
 店での自分の役割、すなわち店の看板である美味い手料理を作る双翼の1枚であることを晶子は十分分かっている。だから、生活費を補填する−今は
かなり潤沢な貯蓄が出来ているが何が起こるか分からない−俺と違ってバイトの曜日や時間を減らすことも可能だが、晶子はバイトを続けている。更に、
俺との時間をより共有する方向にシフトすれば、女性の集団に属することはより困難になる。だが、晶子はそれで不自由や孤独感、疎外感を感じている
様子はない。むしろ女性の集団に属することから遠ざかるために俺との時間の共有を強めているように思う。
 女性の行動は二極化しやすいことは、集団の行動からも分かる。リーダー格となる存在の統率に厳粛に従い、集団への新規加入はリーダー格の承認を
必要とする。リーダー格の意に沿わない意見や存在は容赦ない排斥の対象とされる。一方で、集団への取り込みを意に介さない意見や存在からは極端に
距離を置く。陰口−本人に聞こえるか聞こえないかは問わない−は叩くものの、距離を置いたままだ。安全な防空壕から手榴弾を投げ続けているような
もんだ。取り込みに応じず、挑発にも乗らない意見や存在はその集団を破壊する、特にリーダー格の存在や地位を脅かすものと判断されるようだ。

 小学校高学年あたりから見られる女性の集団化や序列化は、インドのカースト制度になぞらえて「スクールカースト」や「ママカースト」と呼ばれる。
スクールカーストは男性にも中学高校あたりで見られることだが、女性は集団行動が勧められる高校までの感覚や意識が延々と続く。晶子がそういった
女性間の階層化や序列化から距離を置き、俺との時間を共有することへの比重を強めるのは、晶子のこれまでの経験から察し取れる。今でも多くは
語らないし、古傷をえぐることになると分かっているから聞くこともしないが、生まれもった茶色がかった髪が目をつけられる要因となり、日陰の存在となる
ことを強いられた。
 俺と付き合うようになるまで大学で頻繁に声をかけられたという容姿も相俟って、晶子は女性の集団、特にリーダー格の嫉妬や敵意を買いやすい。自分が
好意を向ける異性を取られるという危機感や、自分の地位を脅かされるという自意識過剰から生じるものだが、その手の迫害を受ける当人の被害は深刻だ。
 学校で国を問わずに発生する−欧州を絶対の理想と位置づける神話に囚われる女性団体などは目を向けない−「いじめ」と称されるその手の迫害は、
スクールカーストと共に存在する。逆に、学校を出ればその階層や序列は意味を成さなくなる。大学では学部が違えば一般教養以外で顔を合わせる機会は
相当減る。サークルやクラブに入っていなければよりその傾向は強まる。集団行動が常だった場合は個人単位が基本の大学で戸惑うこともあるが、個人
行動を好んだり集団から疎外されていた場合、関わらなければ意見も存在も無視出来る。
 晶子は過去の経験から、女性の集団に馴染むことに警戒感を感じずには居られないだろう。だが、集団に属することでどうしても生じる階層化や序列化と
縁を切れるなら、集団から距離を置かれ、また距離を置くのは好都合だ。集団行動から自由になり、階層化や序列化に付きまとわれることもない晶子は、
案内や引率もなく見事に統率されて行動する女性の集団を見て、どんな心境なんだろう。少なくとも今の時間を脱したいという意志は欠片もないことは、
俺のコートの左腕の裾が掴まれたままだということから感じ取れる。

「お寺なのに、神社みたいだね。」

 予想どおり数人ずつ固まって抜けたことで、列は一気に前へ進む。目標がはっきり見える位置に来てめぐみちゃんが漏らした感想は、改めて見た俺も
同じだ。螺旋状に結わえられた紅白の紐は、何処からどう見ても神社のそれだ。

「此処に居る仏様は願い事を直ぐに叶えてくれる仏様で、縁結び関連の仏様や神様も祭られているのよ。」
「だから神社みたいなんだ。」

 神社にあるものが寺にあることの晶子からの説明にめぐみちゃんは「そういうものか」と割とすんなり納得する。仏教や神道の良く言えばおおらか、悪く言えば
曖昧な信仰概念の背景までめぐみちゃんに分かりやすく語るには時間がいくらあっても足りない。
 「今は苦しくとも来世は救われる」という唯一神の下に集う信者の団結を最優先する思考のキリスト教やイスラム教の圏内では、目の前にあるような異なる
宗教的存在の混在はまずありえない。キリスト教信者がコーランを読んでメッカの方角に向かって礼拝をするなんてことは、キリスト教やイスラム教など唯一神
信仰の宗教では目を疑う事態だ。
 宗教に対する概念が抜本的に異なる他国の人との交流は、その思想背景を知るきっかけになる。逆に、宗教を知ることで、日本で暮らすだけでは理解
出来ない思想や行動、例えば自爆テロまで神の名を下にすれば奨励さえされる殉教に至る背景や、法の下の平等という概念が成立した歴史の背景にある
思想の変遷を知り、理解出来るようになるかもしれない。
 宗教を学ぶことは日本ではタブー視される風潮がある。それは神道を天皇絶対政治と直結させた国教とした半世紀前の歴史と結末からの転換でもあるし、
曖昧な宗教観からは禁欲的なキリスト教やイスラム教の宗教観を受け入れがたいこともあるし、手を変え品を変え人を妄信させ、教祖の走狗に変貌させる
「カルト」と称される新興宗教のイメージもある。
 ある宗教の価値観を基にした教育は、科学技術の到達点を否定して、神の名を掲げれば本来その宗教が戒めているはずの殺人まで正当化してしまう
思想を正当化することにも繋がる。だが、国内より短時間で行ける国外も珍しいことではなくなり、正常な形かどうかは兎も角国際化なるもとで多数の外国人が
入国する中、他国では当たり前になっている宗教観がどのように形成されるかを知ること、信仰とは切り離した宗教教育は他国との交流や理解を進める
上では必要なんじゃないかと思う。
 少なくとも、他国人との交流は曲がり間違ってもセックス目的に親切にしたりムードを演出して口説いたりする男性を「レディファースト」と思い込んで性的
交流を持つことではない。留学志向や欧米崇拝は女性に多いし、自分が口説かれた経験を基にレディーファーストを叫ぶ女性も多いが、何をしに安くはない
金を払って他国に渡ったのか分からないし、それこそ「お里が知れる」というものだ。

「お参りの仕方は神社と同じ?」
「それで良いと思うよ。一緒にお参りしようね。」
「うん。」

 晶子の解説−俺のコートの袖は掴まれたまま−によると神仏混在の建物への正式な参拝方式は知らない。神社でさえあやふやだ。それでも「参拝すれば
良い」で済ませられることでも、日本の曖昧な宗教観とその影響下にある自分が分かる。

「由香ー。あんた、どんな願い事したー?」
「そんなの、イケメンでお金持ちの素敵な男性との出逢いに決まってるってー。」

 参拝を終えた直後らしい、前の集団が姦しい。笑いながら言い合う願い事の内容は、行動と同じで綺麗に統率が取れている。イケメンで金持ち、か。
身長はそれほど高くないし顔は良くも悪くも目立たない、週1回休みのバイトで生活費を補填している俺とは遠くかけ離れた存在だな。

「やっぱりそうよねー。イケメン以外は要らないし。」
「それに経済力。経済力のない男ってホント終わってるよねー。」
「何で生きてるの、って感じだよねー。」

 言いたいことを言ってるな。個人の好みの問題と言ってしまえばそれまでだが、人間性を否定されているようで聞いていて良い気分はしない。
 前の集団が一斉に向きを替える。後ろに居た俺と晶子とめぐみちゃんが視界に入ると、一斉に驚いたような顔をする。・・・「鼻で笑う」を表情で表現する。
俺と晶子とめぐみちゃんをチラチラ見ながら脇を通り過ぎていく。
 集団が背後に回った途端、クスクスという笑い声とひそひそ話す声が聞こえてくる。・・・大方、「女の方は凄く美人なのにあんな男とくっつくなんて見る目が
ない」という趣旨の話をしてるんだろう。思わず溜息が出る。好みの異性の話をするのは自由だし、容姿や仕草などに妄想とも言われる思いを巡らせるのも
自由だ。男性もそうだし、所謂コスプレの話で自分好みのコスチューム−制服をコスチュームと言うのはいささか変だが−を語ったり、シチュエーションを
設定して妄想を展開するなんてお手の物だ。色々な媒体で展開されるフィクション−小説や漫画もそうだし映画もそうだが、それらは有名無名問わず
作り手の想像や妄想によって生み出されるもんだ。
 女性じゃないからどういうコスチュームや仕草が代表的な好みなのかは知らないが−男性だと看護師やキャビンアテンダントあたりが代表的−、その手の
話や想像を女性がしてはならないとは思わないし、するのはごく自然だ。自分の好みや理想と他人が違うなんてことも普通にある。だが、それに該当しない
異性やその相手に聞こえるように貶めるのはいかがなものか。今はめぐみちゃんが居てその親代わりという立場だし、めぐみちゃんが怯えやすい怒声や
喧嘩を、しかも寺の境内で展開するわけにはいかない。違和感を通り越した腹立たしさを溜息に変えて吐き出す。
 ・・・気分を切り替えて参拝、参拝。ついにと言うかやっとと言うか、俺のコートの袖から手を離した晶子が自分の財布から賽銭を取り出して投げ入れる。
俺は晶子とめぐみちゃんに声をかけ、一緒に拍手(かしわで)を打って参拝する。俺は今の体勢上完全じゃないが、拍手の音が3人分揃ったのは結構気持ち
良い。
 願い事は「晶子と平穏な暮らしが出来ますように」とする。ぱっと思いついたものは、つい最近までの出来事を背景にして生じたものだろう。外部の干渉や
影響はこれから先色々あるだろう。それらに晶子も俺も振り回されることなく、今のような「ふと落ち着ける場面で隣を見れば相手が居る」という生活を
送りたい。簡単なことも意外に実現するのは難しい。簡単な分だけ余計に困難な時の落差が大きく感じられるせいかもしれない。
 参拝を終えた俺は、隣の晶子と抱っこしているめぐみちゃんも参拝を終えたのを確認して、脇に退く。次に待ち受けていた、やはり若い女性の集団が一斉に
前に出る。皆一様に俺と晶子とめぐみちゃんを見て驚いた様子を見せ、怪訝そうに首を傾げたり俺と晶子とめぐみちゃんの後ろ側に回った途端にひそひそ
話したりする。・・・溜息を吐くことで腹立たしさを解消するしかない。

「めぐみちゃんはどんなお願いした?」
「んと・・・『皆で仲良く暮らせますように』って。」
「良いことお願いしたね。お母さんは『ずっと一緒に暮らせますように』よ。」

 めぐみちゃんは自分の置かれた境遇の改善を願い、晶子は参拝前にも言っていたことを忠実に実行した。それぞれ叶って欲しいことを願ったことがよく
分かる。晶子が「誰と」を言わないあたり、自分とめぐみちゃんの立場を弁えているな。

「お父さんは?」
「『平穏な暮らしが出来ますように』だ。お母さんと殆ど同じだな。」

 めぐみちゃんの問いに、俺も「誰と」を言わずに答える。代理とはいえ今はめぐみちゃんの親だ。「晶子と」をつけるとめぐみちゃんが蚊帳の外に置かれて
しまう。言葉だけでも今のめぐみちゃんに疎外感を覚えさせたくない。

「ねえお母さん。どうして並んでた女の人達はめぐみ達を見て驚いたりひそひそ話したりするの?」

 めぐみちゃんの「話題の矛先をいきなり変える」特技が発揮される。あれだけあからさまな反応だったら、周囲に敏感なめぐみちゃんなら容易に分かる
だろうな。

「さあ・・・。子どもを連れてお参りしてたのが珍しいんじゃないかな。」
「そう言えば、お母さんみたいにお父さんとお参りしてる人、1人も居なかった。」
「お父さんとお母さんみたいになりたいからお参りに来てるんだろうね。だけど・・・。」

 晶子は一呼吸置きながら俺を見る。

「お化粧を落としたら見せられなくなる顔で、どんな男の人と結婚出来るのかまでは、分からないね。」

 少し離すテンポを落として放った晶子の言葉で、近くの若い女性の参拝客が一斉に顔をこわばらせる。晶子も見えて聞いていたし、表に出しはせずとも
相当腹に据えかねるものがあったようだ。
 しかし、歌う練習を積んでいることで通りの良い、更に周囲の雑音とは正反対に明瞭な一撃に対し、顔を引きつらせる女性の参拝客からの反撃はない。
明らかに化粧っ気がない−つけているのはスキンケア用のクリームか乳液程度−状態で贔屓目を除いても人目を惹く綺麗な顔立ちの晶子の一撃は、化粧で
人工的に構築した「可愛さ」に反撃の余地を与えない。反撃しようにも出来ずに顔を引きつらせるだけの随求堂への女性参拝客に対し、周囲の観光客は
吹き出したり笑いをこらえたりしている。聞こえるように言った晶子の一撃は当然随求堂以外の観光客にも聞こえている。晶子と女性参拝客をぱっと比較
すれば、晶子の一撃に正攻法で反撃出来るだけの自然な綺麗さがないことは一目瞭然だ。

「さ、お参りは済んだから次に行きましょうね。」
「・・・ああ、そうだな。案内を頼む。」
「はい。」

 笑いものにしていた立場が一転して笑いものにされる立場になって、顔を引きつらせたままその場に突っ立つだけの女性参拝客にあえて追い討ちをしない
のは晶子のせめてもの情けか。晶子は一瞥すらせずに、何時の間にか俺のコートの袖を掴んだまま片手で器用に観光案内のページを捲る。

「舞台には、此処から目の前の建物を左手方向にして真っ直ぐ行くと着けますね。」
「仁王門からの距離とほぼ同じみたいだな。」

 晶子が広げて見せる観光案内の清水寺のページは、見開きのイラスト形式だ。建物の大まかな形状も分かるが正確な距離は分からない。迷路じゃないから
「この道を真っ直ぐ」よりもアバウトな「この方向に真っ直ぐ」でも良い。

「これから進む前に、一度抱っこを代わりましょうか。」
「否、まだ大丈夫だ。案内を続けてくれ。」
「はい。じゃあこっちへ。」

 晶子の動きに従って俺は移動を再開する。コートの袖が掴まれているが、人の大きな流れに向かうことが分かるから、引っ張られる感覚はない。
めぐみちゃんの関心は今のところ本来の目的地である舞台に向いているらしく、晶子の紹介にも動じない。このまま続くと思っているといきなり予想も
しなかった方向に関心が向いたり、強い好奇心が生まれたりするから、油断は出来ない。
 経堂を左手方向に通り過ぎ、更に真っ直ぐ進んでいくと仁王門に似た造りの巨大な門が見えてくる。両側に柵越しの巨大な仏像を置いているのは仁王門と
同じだが、色が朱色ではなく純和風というのか木目をそのままにしたもので、左右に・・・狛犬が置かれている。さっきの随求堂もそうだったが、寺と神社の
建物や色調や象徴が混在しているな。

「あの石の犬って、神社にもあるよね?」
「そうね。狛犬っていう守り神よ。」
「門の両側に立ってる仏様は、入り口の大きな門とは違うね。」
「入り口の仏様とは別に、この門を守っている仏様が居るのよ。」

 仏像の名称や役割までは言及せず、守護神であることだけ分かりやすく話す。めぐみちゃんも狛犬があることに少し驚いた様子を見せたものの、関心が
舞台から逸れることはない。

「この門を潜って少しすると、いよいよ舞台の登場ですよ。」

 それまで比較的スムーズだった人の流れが目に見えて滞り始める。その一方で空では夕闇が少しずつだが着実に広がりつつある。あるところまで広がると
一気に夜の広がる勢いが増す。この分だと景色は見えそうにない・・・?

「建物が光り始めてる。」

 気づいた異変をめぐみちゃんが口にする。まだ大半は日差しに埋もれているが、舞台の彼方此方が照らされているのが見える。

「ライトアップだな。清水寺でもしていたのか。」

 夜の帳が下りると今は日差しに埋もれている照明が活躍するのがライトアップ。夜景を演出する一環としてかどうかは知らないが、ライトアップは観光地では
ごく一般的に行われている。観光名所の1つとしてせずには居られないのか、せざるを得ないのかは分からない。

「『らいとあっぷ』って、建物とかを夜に照らすことだよね?」
「そうだ。めぐみちゃんは今まで見たことあるか?」
「うん。テレビで見たことある。」

 一瞬肩透かしを食らったような気がしたが、めぐみちゃんが幼稚園児だと思い返して納得。夜は「子どもは寝る時間」と言われる年齢だから、ライトアップの
実物を目にする時間に起きていることは少ないだろう。
 大学生活ではライトアップは無縁だが、晶子との外出でそれに近いもの−イルミネーションを目にする機会がある。特に12月に入ると大学最寄の新京市
駅前や俺と晶子の最寄り駅の胡桃町駅前で、マンションや大型のテナントビルなど大きな建物や飲食店でイルミネーションが競うように展開される。
 俺と晶子が昼間は大学、夜はバイトという生活で、バイトが休みの月曜には俺が実験で大学に缶詰になっていたからじっくり見物する機会はなかったが、
実験が終わって晶子と大学からの帰路の途中、新京市駅前のイルミネーションを眺めたことはある。随分遅い時間だったが、複数のテナントが入る駅ビルや
駅前周辺のビルやマンションの各戸で、様々な色や形や点滅パターンのイルミネーションが展開されている様は、なかなか綺麗だった。
 省エネが叫ばれる昨今だが、イルミネーションやライトアップについては対象外のようだ。何時頃から流行りだしたのか知らないが、白色LEDの普及と連動
しているように思う。電球とLEDでは消費電力が大きく違う。消費電力が小さいLEDはかつて光の三原色の1つである青色が出せなかったが、青色の工業
生産が可能になったことで3色合わせた白色のLEDも一挙に現実味を帯びた。省エネに効果があり、寿命も大幅に長くなるとなれば、照明設備の交換で初期
費用がかかっても採算が合うとの判断で普及の速度は速まる。家庭でも元々消費電力が気になる時期のイルミネーションには遠く及ばなかったものが、
低消費電力化と小型化−LEDでは電球では出来ないレベルの小型化が出来る−が両立出来るようになり、様々な点滅パターンがマイコンで小型軽量に
実現出来るようになったことで、普及が進んだんだろう。
 ライトアップは点滅より時間が長い点灯だから、イルミネーションより消費電力、すなわち電気料金が大幅に増す。だが、これもLEDが高輝度化することで
電球やランプとの置き換えが進み、夜でも観光客が呼べることで普及が進んだと思う。

「ずっと照らしてると、電気代が高くなるだろうね。」
「そうだろうな。何箇所も大きくて明るい光で照らすから。」
「お父さんは、『らいとあっぷ』を出来る機械って作れる?」
「道具と部品が揃えば、何とか出来ると思う。小さいものなら作ったことはあるし。」

 LEDの点灯は学生実験で何度かあった。1つはマイコン制御関係の実験で、マイコンをプログラミングしてプリント基板上のLEDを所定のパターンで光らせる
というものだった。もう1つは電力制御関係の実験で、インバータ制御の実験で電球サイズの白色LEDの輝度を調整するというものだった。
 光らせるLEDのサイズが大きいか小さいか、マイコンで直接光らせるか電力駆動用の回路素子を操作するかの違いで、どちらもマイコンが肝になる。
マイコンのプログラミングを変えれば電光掲示板のように文字列をスクロールさせることも出来るし、輝度を調節したり出来る。縦1cm、横5cm程度のIC1つで、
LEDを光らせることからノートPCに必須の液晶に文字や図形を描いたり、A/D変換をしたり、RAMを読み書きしたりと様々なことが出来るマイコンの力は
大きい。実験のように何をどうすれば良いかは明確でないから自分で設計したりしないといけないが、不可能なレベルではないと思う。

「点滅したり、順番に光ったりさせることも出来る?」
「ああ、出来ると思う。」
「お父さんは、お仕事でそういうことをたくさん勉強してるんだよ。」

 晶子が持ち上げる形で補足する。晶子は俺を貶めることはしないし言わないが、子ども相手でそういう態度を続けられるのは立派だ。子ども時代に言われた
ことや聞いたことはかなり強く印象に残るもんだし、今までめぐみちゃんが送っていたであろう怒声や叱責が続く日常から一時的にでも逃避させるために
重要だ。
 晶子は俺が大学で勉強している内容について聞くことは時々ある。「冷蔵庫はどうやって冷やすのか」とか「PCの液晶はどうして消費電力が少ないのか」と
いった、身近にある電化製品に関わる形で尋ねる。分かることは出来るだけ噛み砕いて−めぐみちゃんにする時より前提とする知識の水準は高い−説明
するし、分からないことや知らないことは素直に「知らない」「分からない」と言う。「知らない」「分からない」の一言で済ませないのは勿論だが、晶子の質問に
答えることで自分の知識の範囲や深さが客観的に見て取れる。携帯電話の通話やGPSなど音響・通信関係は強くて液晶など材料・物性関係はやや弱い
のが現時点の傾向だ。
 俺は晶子の助力もあって卒業に必要な単位数は必須・選択共に大きく超過した。間もなく迎える4年では卒研を中心に教員免許と国家資格関連の講義を
受ければ良い。だが、それだけだと足りないような気がする。学生実験で触れた電気電子工学の分野は幅広い。それに、音響・通信の卒研テーマを見ても、
人間の心理状態や感じ方といった心理学的な要素、ひいては音がどのように認識されるかといった生物工学・医学生理学的な要素を知っておいた方が
良さそうと感じる。
 卒研を中心とする生活がどんなものかは想像の域を出ない。久野尾研の学部生は割と楽だというが、就職活動も含めるとそれほどのんびりしては居られ
ないと考えておく方が無難だ。しかし、自分の専攻分野以外はまったく知らないし出来ないとなると、その分野以外に就職した時はまったくの素人から始める
ことになる。景気は決して良いとは言えない。その上、企業は即戦力を求める傾向にあると聞く。分野外のことに取り組む必要があっても何も知らない素人に
一から教え込む余裕があるとは考えにくい。そうならないように、学生のうちに予防線を張っておく必要がある。俺の生活や人生は、もう俺だけのものじゃ
ないんだから。
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