雨上がりの午後

Chapter 239 臨時親子の旅日記(8)−金閣寺境内巡り(4)−

written by Moonstone

 めぐみちゃんが鐘に興味を示すのを聞きながら、俺と晶子は先へ進む。やはり人の数が多くなってくる。周囲と比べて身長が違うめぐみちゃんを歩かせる
のは危険を伴う。デパートとかの開店セールのように一斉に人が動くことはないと思うが、そんな中で転ぶと後続の人に踏まれて大怪我を追う恐れがあるし、
後続の人が躓いて将棋倒しを起こす危険性もある。人の多いところを子ども連れで移動するのはなかなか大変だ。
 総門が見えてきた。金閣寺周辺と同じくらい人が居る。ざっと見たところ年配の人が殆どだから、幼児連れの俺と晶子はかなり目立つ。他の観光客は進む
のが待ち遠しい様子で前を見たり、総門の両脇に並ぶ紅葉を見物していたりしている。携帯のカメラを構えている人は見当たらない。
 携帯を持たない方が珍しい今−俺と晶子も1年ほど前まで珍しい部類だったが−、携帯は日常の様々な部分に入り込んでいる。電話は勿論、アラーム、
アドレス帳、メモ帳、メール送受信、果ては料金支払い機能、ワンセグ、GPSまである始末。携帯を1台持てば日常で使うものが大半手に入ると言っても過言
じゃない。音響通信の研究室を志望している俺が驚異に感じるのは、あの小さい筐体にGPSがあることだ。GPSはれっきとした人工衛星との通信。俺と晶子が
住むアパートでも衛星放送用のアンテナを見るが、それと同等の電波受信と処理機能が内蔵されている。
 携帯の電話機能がむしろ付属の印象すら感じさせるが、カメラもその1つだ。数百万画素のカメラだから、家電量販店で安価に出回っているデジカメと
同等以上の機能が内蔵されていることになる。観光地だけでなく芸能人のファン感謝イベントやコンサートなどでも主役が出て来た途端に携帯のカメラが
向けられることもある。肖像権云々は別としても、携帯にカメラがついていることでどんな時に自分の写真が撮られているか分からないというのは不気味だし、
時には身の危険に繋がることもある。
 晶子が吉弘さんに目の敵にされたのは、晶子が俺の代わりに生協の店舗に定期購読の雑誌を引き取りに来たところに人が殺到したのが発端だ。晶子が
どういう人となりかがあれほど早く伝播したかは、今考えれば携帯のカメラによるところが大きい。実際、晶子も携帯のカメラが自分に向けられているのを
見たそうだ。何処でどんな瞬間が撮影されているか分からないし文字どおり携帯されるほど小さいカメラだから、監視カメラや防犯カメラより隠匿の度合いは
高い。
 晶子は幸い露出が低いし好まないが、それでも何かの瞬間を狙っている奴は結構居る。晶子が気づいているかどうかは分からないが、通学で電車に乗って
いる時やバイトで偶に接客に出る時に明らかにぎらついた目が晶子に向けられる時がある。夏だと流石に晶子も服が薄くなるし、晶子は割とスカートを好む
から、服の隙間から下着が見える瞬間を狙っていると感じる。男だから分かる。
 店で晶子に携帯のカメラを向ける奴は今のところ見ていないが、俺が気づかないだけで既に向けられている可能性もある。携帯のカメラ機能は犯罪とまでは
いかないにしても「何時自分が許可した憶えもない写真が撮られているか分からない」恐怖を増徴させているような気がしてならない。携帯のカメラ機能は
若年層ほど多用するから−年配層はあの複雑な機能を十分使いこなせない−、抑止力に乏しい若年層が持つと結構怖い。

「この辺は、紅葉の時期も人気がありそうですね。」
「そうだな。春の桜の秋の紅葉は観光シーズンに呼び物になるから。」
「紅葉はめぐみがよく行くお寺にもあるよ。秋は赤と黄色でいっぱいになる。」

 めぐみちゃんは身振り手振りも交えて会話に参加する。普段身の回りのことや自分が見聞きしたことを話す機会がないから、無条件に話を聞く俺と晶子に
話しているんだろう。それだけ、俺と晶子が自分の話を無条件に聞くとめぐみちゃんが認識している証拠とも言える。最初はかなり遠慮していて年齢に
あるまじき気の遣い方をしていためぐみちゃんが、ようやく自分の拘束を解けたのは何よりだ。
 総門をゆっくりしたペースでくぐる。方丈の敷地は人が多い。金閣寺を見終えた観光客でスケジュールに束縛されない人はかなりの割合で此処に流れて
いるようだ。俺と晶子とめぐみちゃんはぐるっと敷地を一周してきたから人が少なくなったように思えただけらしい。
客の年齢層が年配に大きく偏っているのは変わらない。修学旅行とかでないと若年層は京都に観光に来ないんだろう。仏閣や神社の見学が好きでないと
京都には来ないか。

「人だかりが彼方此方に出来てますね。」
「大っきな木があるー。」
「近いところから順に見て行こう。」

 観光案内を持っている俺が一応先導する。順路はないようだし、人の動きは金閣寺周辺よりはスムーズとは言えかなり緩慢だから慌てる必要はない。
最初の人だかりに向かう。少しずつ人垣の中を進行して−押し合いになるとトラブルになりやすい−前に出る。ボートのような横に長い石が鎮座している。

「舟形石っていうものだそうだ。」
「ボートみたーい。」
「何処かで見た覚えがあるような気がします。」

 俺も何処かで見たような気がするが思い出せない。うろ覚えの範囲だから教科書や資料集で見かけた程度のものだろう。観光案内の写真を見て小さな
もんだろうと思っていたが、傍にある紅葉の木と比較すると優に大人1人くらい、否、2人くらいの長さがある。石から何かを作る時には釘は使えないし
接着剤は当時存在しなかったから、舟に似た1つの岩から切り出して整形したんだろう。
 少し見物した後、舟形石と道を挟んで反対側にある鐘楼(しょうろう)に向かう。こちらは目立って巨大というほどでもないし、目を引く造りをしている
わけでもない、何処にでもありそうな鐘楼だ。寺の鐘は本来時刻を知らせたりするためにあるもんだから、奇怪な造りをしても無意味だ。金閣寺は主だった
外装を全面金箔で覆っている豪勢さだが、それを敷地全ての建物に適用していたら財政が破綻する。

「此処も紅葉の見所になりそうですね。」
「周囲を紅葉に囲まれてるからな。紅葉の季節はごった返すだろう。」
「此処の鐘も大晦日に108回鳴るの?」
「そうよ。京都はお寺が沢山あるから彼方此方から聞こえてくるんでしょうね。」

 京都には寺という単語のつく建物は此処金閣寺の他にも沢山ある。他の都市でも大抵1つの町には1つくらい宗派は別として寺そのものはあるが、京都や
奈良の多さは別格だ。
 一方で京都は人口も多い。区が市町村に近い行政レベルを持つ政令指定都市の1つで五大都市の1つでもある、100万以上の人口を抱える巨大都市だ。
騒音問題が出たりしないんだろうか。まあ、除夜の鐘は1年に1回だし年越しの恒例行事という共通認識があるから、一斉に鳴っても「京都の風景」で
やり過ごせるんだろう。

「えっと・・・、この鐘楼−鐘がある目の前の建物のことだけど、それは西園寺家に由来するものだそうだ。」
「西園寺家ですか。京都は公家やその後継である華族が集中しているんでしょうね。」
「え、えっと・・・、『さいふぉんじ』『くげ』・・・。」
「あ、御免ね。もう1回順に言うね。」

 晶子はついていけなくて聞き間違えためぐみちゃんのフォローに回る。放ったらかしにしないのは晶子の性格が成せる業だが、少し意外でもある。
俺との旅行だから俺との話につい夢中になって、という展開が頻発すると思ってたんだが、子どもが居るとそうでもなくなるんだろうか。

「西園寺っていうのは苗字の1つ。日本の歴史では明治時代っていう100年ほど前の時代までは、苗字を持つ人が少数だったの。その中で西園寺は昔から
ある有名な苗字なのよ。」
「どうしてその『さいおんじ』っていう人があの鐘に関係してるの?」
「んーと・・・。ちょっと待ってな・・・。」

 分からないことは出来るだけ知ろうとするめぐみちゃんの知的好奇心を挫いてはいけない。少し猶予を貰って観光案内の金閣寺のページに目を通す。
観光案内は図や写真が豊富だが、解説も豊富だ。全てをじっくり読むのは後にして、金閣寺と西園寺家の関連を探す。・・・あ、これだな。

「元々このあたりの土地、金閣寺も含むこの辺の土地は西園寺家のもので、それを足利義満が気に入って西園寺家から譲り受けたそうだ。鐘がある建物が
西園寺家に由来するのはその名残だろうな。」
「へー。こんな広い場所を持ってたんだー。」
「さっきの説明の補足だけど、昔に苗字を持っていた人はお金持ちで偉い人に限られていたの。お金持ちだと土地を持っているからね。」

 貴族や開墾の事情については簡単な説明に留める。これも説明し始めるときりがないし、昔は苗字を持つ人が少数派でそれは名家と呼ばれる貴族に限定
されていたという概要が把握出来れば十分だ。土地所有や経済制度の変遷やその時の問題点を政治情勢と共に把握するのが歴史の学習であって、年号を
暗記することじゃない。そのことにめぐみちゃんが大きくなってからでも良いから気づいてくれると良いんだが。

「あの大っきな木が見たい。」
「近くで見ると、もっと凄いだろうな。行こう。」

 めぐみちゃんの関心が少し先に聳える木に映る。鐘楼が特別な作りじゃなかったから、最初に目に入ったあの木の印象を弱めるには至らなかったようだ。
昔の邸宅らしく大きくてもある程度の高さで揃っている庭の木々の中で、1本だけ際立って見える大きさだ。人垣もこれまでのものより多い。俺と晶子は
めぐみちゃんと共に垂直に高く伸びる木へ向かう。

「凄ーい!大っきーい!高ーい!」

 めぐみちゃんは目を見開いて歓声を上げる。身を乗り出した拍子に晶子が少しバランスを崩す。俺は慌てて晶子をフォローしてめぐみちゃんの転落を防ぐ。
晶子もうろたえなかったことで転落は防げた。気を抜いているとどうなるか分からない。子育ては本当に危険とハプニングと常に隣り合わせだな。

「めぐみちゃん、落っこちちゃうから気をつけてね。」
「御免なさい。」
「気をつければ良いよ。さ、見よう。」

 晶子に注意されて−語気を荒らげないのは流石だ−我に返り、しゅんとなっためぐみちゃんをフォローして木に向かわせる。バイトの接客以上に気を遣う。
怒鳴りつけて黙らせればその時は収められるし簡単だが、萎縮させてしまう。その連続でめぐみちゃんが怯え続けるようになったんだから、そのリハビリも
兼ねている今はめぐみちゃんの接し方に注意が必要だ。
 木は周囲の木々と比べて明らかに高い。天辺は首を最大限上に向けてどうにか見える程度だ。真っ直ぐ伸びる木というと杉が真っ先に思い浮かぶが、葉は
杉のものとは違う。めぐみちゃんから質問が来る前に予習として観光案内に目を向ける。

「この木は櫟樫(いちいがし)。樫の木だ。」
「『かし』・・・。お菓子の木?」
「あー、そっちの『かし』じゃない。難しい漢字を書くんだ。こんなの。」

 説明が難しいから観光案内の該当部分を見せる。めぐみちゃんは視力が低くないがあまり遠いと身を乗り出して落ちる可能性があるから、肘を曲げて持てる
程度の距離まで近づける。観光案内を見ためぐみちゃんは首を傾げる。かなり難しい漢字だから無理もない。

「樫の木にはお菓子はならないよ。秋になっても葉っぱが赤や黄色にならない木の1つよ。」
「花粉症の元になる木とは違うの?」
「それは杉っていう木。この木は別の種類よ。」

 言われてみれば、今は花粉症の季節だな。
2月の初頭あたりから花粉症対策をとっている人も居る。ドラッグストアには花粉症対策の品が並び、ニュースで花粉の飛散量が報じられる。暖かくなって
安心する人も居ればそうでない人も居る。花粉症の人にはこの時期相当辛い筈だ。
 俺も晶子も花粉症じゃない。だが、店では花粉症という客が結構居る。中高生の客でもマスクは最低限の装備で普段はかけない眼鏡も、という人も居る。
待ち時間でも目薬を使ったり鼻を擦って鼻水を拭ったりとしんどい様子が窺える。同じ環境で育っても花粉症になる人とならない人が居るのは個人差とは
言え、なった人にとっては嫌味に映るかもしれない。
 花粉症がこれほど問題になったのは此処10年ほどの話。原因はスギ花粉の大量飛散が1つではあるが全てではない。杉が大量植樹された森の傍に住んで
いても花粉症にならない人も居るし、杉の姿すらまともに見られない都心部でも花粉症に悩まされる人は居る。自動車の排ガス増加、過ぎるほどの潔癖など
他にも要因は考えられる。
 ざっと見たところ、花粉症らしい人は居ない。年配層で花粉症は割と少ない。逆に若年層ほど多いのも傾向の1つ。年配層が多いことが改めて分かる。
花粉症になるとこの時期外に出たくないと思うらしい。仕事や学校で出なければならない場合は仕方ないが、花粉症の主要因が大量に浮遊している中に
飛び込む気にはなれないだろう。

「えっと、この木の由来や特徴とかは・・・。」

 頭を花粉症から巨大な樫の木に切り替える。ガイドみたいに何も読まなくてもスラスラ説明出来れば便利なんだが、生憎知らないから観光案内に頼るしか
ない。これも写真付で詳しく説明されているが、難しい表現が多い。読む人をある程度以上の年齢に絞って構成しているんだろうが、そのまま読むと
めぐみちゃんが理解出来ないだろう。その辺は適当に省略するか。

「この木は、金閣寺の敷地が江戸時代に整備された時に植えられたものか、それ以前からあったものかのどちらかと言われてる。この種類の樫の木は日本の
四国や九州にあるけど京都付近にはあまり見られない。京都に残る貴重な櫟樫の巨木ということで、昭和58年6月1日に京都市の指定天然記念物に指定
されたそうだ。」
「『えどじだい』って何?」
「今から150年位前、お侍さんの偉い人が今の東京で政治をしていた時代のことを言うの。」
「150年も前からこの木はあるのかぁ・・・。木って長生きなんだね。」
「木は人間よりずっと長生きするよ。100年200年とか、何百年も生きる。火事で焼けたり人が切ったりしない限り、生えた場所でずっとね。」

 晶子の言葉に深みを感じる。じっと佇む木から悠久の歴史を感じ取っているようだ。
この木は人間に換算すると大体3世代か4世代以上の時間この場所に佇んで来た。どれだけの人が見つめ、通り過ぎたか。俺と晶子とめぐみちゃんもその1人
なんだと思うと、150年という時間が途方もなく長い時間のように感じる。木に意識があったらどんなことを考えているのか知りたい。言葉が話せれば何を
言うのか聞いてみたい。

「木の傍に行けないのが残念ですね。」
「悪戯とかされて枯れるようなことになったら一大事だからな。仕方ない。」

 もっと近くで見たいところなんだが、周囲を柵で囲まれていて傍には近づけない。観光地や遺跡で落書きをしたり物を壊したり傷つけたりといった破壊
行為が日本だけでなく世界で起こっている。消せる落書き程度ならまだ良いが−消せるだけましという意味−彫刻刀やカッターで刻み込まれると塗り潰すか
丸ごと取り替えるしか修復方法がない。レンガや石垣でも部分交換は困難だし木や建物だと致命的だ。そんな危険を避けるためには近寄れないようにして
おくしかない。悲しい現実だ。

「めぐみが遊びに行く神社でも、鳥居に落書きされることがあるって神社のお姉さんが言ってた。」
「鳥居に落書きって、罰当たりなことする人も居るのね。」
「見つけると消すようにしてるけど、消せない時があるからそんな時は色を塗らないと消せなくて、乾くまで近づけないよ。」
「ペンキは乾くまで時間がかかるし、手や服につくと落ちないからそうしてるんだ。」
「めぐみちゃんはそんなことしてないよね?」
「うん。してない。幼稚園でも皆で遊びに行くところだから悪戯とかしちゃ駄目って先生が言ってる。」

 晶子の確認にめぐみちゃんはきっぱり否定する。友達と一緒に遊びに行くところでも問題を起こせば叱られることになるが、幼稚園全体で遊びに行く
ところとなると出入り禁止になる可能性もある。連帯責任の是非は兎も角、誰かの迷惑行為で遊び場が封じられたら迷惑でしかない。
 幼稚園に無理難題を言う親は居ないんだろうか。ふと気になる。週末に晶子と買い物に行くスーパーでも、幼児を走り回らせて放置している親が目に付く。
ぐずったり泣いたり駄々をこねるくらいは良いが、結構人が居るし品物が高く積まれている場所で走り回れば、怪我や品物の破損の危険性がある。前者は
本人が損だし後者は店が損だ。
 子ども好きの晶子でも見かねて、かくれんぼをしていた様子の子ども達を注意した。注意と言ってもめぐみちゃんにする時と同じように、目線の高さを
合わせてやんわり言って聞かせるものだった。ところが、子ども達が注意されているのを目ざとく見つけた−それまで通路を陣取って世間話をしていた−
親連中が駆け寄ってきて、子どもを引き寄せると凄い形相で睨み付けて去っていった。中にはあからさまに嫌な顔をする親も居た。親子集団が去って行った
後姿を見送った晶子が、小さく溜息を吐いた悲しそうな顔は今でも憶えている。
 俺と晶子と京都御苑管理事務所の人の前で、何の落ち度もないばかりか自分達の育児放棄をめぐみちゃんの責任にして怒鳴りつけ、あまつさえ殴打した
あの両親が幼稚園に妙なクレームをつけたりしていないだろうか。子どもであるめぐみちゃんに関心がなさ過ぎて何も言わないのは、良いような悪いような・・・。

「神社やお寺は神様や仏様が住んでいるところだし、公園やこういう場所は皆のものだから大切にしようね。」
「うん。お母さん、幼稚園の先生みたいだね。言うこともよく似てる。」
「そう?お母さんは幼稚園の先生になりたいって思った時もあったから、嬉しいな。」

 幼稚園の先生になるにも教員免許が必要だったな。晶子が居る文学部では幼稚園の教員免許は取れないと思うが、子ども好きな晶子は保育士や
幼稚園の先生が適職な気がする。贔屓目もあるだろうが親切で人当たりも良いから、接客業にも向いているように思う。
 俺は高校までの家の手伝いで接客の基本は自然と身についたし今までもどうにかなってきたが、基本接客はあまり得意じゃない。人当たりも良い方じゃ
ないし、頼まれれば手伝うが自分から進んで手伝うことはあまりない。なのに店では接客専門なのは人手不足の副産物だ。店が連日大盛況で客のことを
いちいち細かく考えている暇がないのもあるが、接客が嫌だと思ったことはない。思ってるようだったら生計を補うためとは言えバイトを続けていられない。
だが、俺より晶子が接客に向いているんじゃないかと思うことはある。
 だが、俺は料理を担当出来ない。晶子が家を出ていた時に試しに作ってそれなりに出来たが、店に出してましてや誰かに食べさせて金を受け取れる
レベルじゃない。店は喫茶店という名前だが塾通いの中高生が昼夜の食事をすることが多い−昼はマスターと潤子さんから聞いた−こともあって、定食ものも
充実させている。
 元々「食事も十分出来る店」というコンセプトでメニューを揃えた結果、塾通いの中高生が食事場所とするようになった。鶏が先か卵が先かの話かも
しれないが、メニューにある食事を客に食べさせるだけのレベルで全て作れないとキッチンは務まらない。潤子さん1人ではキツイだろうと思っていたところに
料理が出来るということで晶子が加わり、そのままレギュラーポジションを獲得して現在に至る。
 晶子と潤子さんの料理は客に出される段階ではどちらが作ったものか分からない。俺も食べ比べたことがないから分からないが、客の食はとても進む。
今の盛況ぶりは口コミによるところが大きい。この店は生演奏を聞きながら料理も出来て、その料理も絶品となれば、多少交通の便が悪くても客は来る。
飲食店の肝はやはり料理。料理が美味ければ立地条件の不利はある程度カバー出来る。
 晶子がキッチンのレギュラーポジションを得た一方で、当初兼任していた接客からは撤退せざるを得なくなった。料理は1品だけじゃないし、中高生向けは
量が多い。料理を作るたびに料理器具も洗うから、料理を多く作るとなるとキッチンから出られななくなるのは必然的だ。晶子が客席に出るのは今じゃ
リクエストタイムの時くらいになった。晶子は料理を作ることが好きだし楽しんでいるが、接客もしたいんじゃないだろうか。

「お父さんは園長先生に似てる。」
「俺・・・お父さんが?」

 突然話を振られて思わず一人称を普段のもので言ってしまう。どうにか取り繕ったが、自分のことを「お父さん」って呼ぶ時がこんなに早く来るとは
思わなかったから、油断していると「俺」を使ってしまう。でも、俺の何処が園長先生に似てるんだ?自分で言うのも何だが威厳も何もないし・・・。

「何時もはあまり喋らないけど、めぐみやお母さんをちゃんと見てる。何かあったら助けてくれる。そういうところが似てる。」
「そうかな・・・?」
「お母さんは園長先生のこと知らないけど、めぐみちゃんが言ったことはお母さんも思ってるよ。」

 弾んだ晶子の口調は同士発見と言いたげだ。俺が褒められたり高い評価を受けたりする時は喜び、低評価だと眉間に深い皺を寄せる。分かりやすいが
それほど自分を大層なもんだと思ってない俺は、持ち上げられることに多少違和感を覚える。もっとも晶子自身は俺を持ち上げたりおだてたりしているんじゃ
ないようだが。
 櫟樫を後にして、通路を挟んで向かい側にある建物へ向かう。寺の本堂のような建物だ。この敷地、すなわち鹿苑寺自体が禅宗の寺だから、寺の様式で
あってもおかしくはない。むしろ寺の様式でない方が後付けと言うべきものだろう。

「此処は庫裏(こり)っていう建物。金閣寺も含まれる仏教の1つの建物で、金閣寺より後に造られたものらしい。」

 観光案内には「禅宗の様式で・・・」「明応・文亀・・・」とか書かれているが、そこは噛み砕いて説明。建物の目的については言及されていない。後付けの建物、
言い換えれば昔からある建物じゃないと観光案内での扱いも違うのは仕方ないのか。
 めぐみちゃんもさほど強い関心は抱かないらしく、質問は影を潜める。一望すれば良いと判断した俺は、観光の場所を次に移す。観光案内の地図でも
大きく描かれている方丈だ。これも寺の本堂のような様式だが、縁側の通路−というものかどうか分からないが−が横一直線に伸びていて、昔ながらの
豪勢な土地の使い方を感じさせる。

「大っきーい。広ーい。」
「沢山お部屋が取れそうね。」
「地図を見ると奥行きも相当ありそうだから、6畳を一間(ひとま)とすると何部屋も取れるだろうな。」

 8畳のリビングと4畳半程度のキッチン+ダイニングを基礎に暮らしている身としては、広々した間取りはやっぱり羨ましい。8畳そのものは割と広い方だが、
そこにベッドや箪笥や机やシンセサイザを置いていれば狭くもなる。でもどれも必要だから捨てるわけにはいかないし、引っ越すにも先立つものがない。
 晶子は俺と暮らすことに一言も不満や愚痴を言わない。俺と暮らすようになって服の置き場所も満足にないのに−1週間分を床に置いている−、キッチンに
立ったり洗濯物をしまったりする時の横顔は嬉々としてさえいる。俺を名実共に独占出来ている環境がよほど満足で幸せらしい。
 間取りが多いと何処に何を置くか逆に迷ってしまいそうな気がする。俺と晶子の場合、持ち物は多くないし料理器具を共用するから不要なものは処分して、
食器や服のようにスペースを共用出来るものを集約すると、そこそこ減らせる。2DKあたりでも十分何とかなりそうだ。見込みでしかないが、それでもある程度
将来の構想が固められるのは、晶子の「燃費の良さ」によるところが大きい。

 そう言えば、京都の地価ってどのくらいなんだろう?観光地だが大都市でもあるし、家が隙間なく詰まっている。東京ほどではないだろうが結構するんじゃ
ないだろうか。俺と晶子が住む新京市でも、市役所や繁華街がある中心部の地価は高い。生協が斡旋している賃貸住宅情報でも、中心部にある物件は
総じて面積に対して家賃が高い。便利なのをとるか家賃が安いのをとるかの二者択一だろう。
 同じ新京市でも胡桃が丘は総じて物件が安い。多分大学生目当ての価格競争だろう。新京市には新京大学の他に中美林大学など大小織り交ぜて複数の
大学がある。中美林大学は幼稚園からエスカレータ式に進級・進学出来るし−幼稚園に入るのが大変らしいが−ボンボンが通う大学と半ば揶揄されている
くらいだから学費や生活費の心配をする必要のある家庭の子どもはまず来ないだろうが、新京大学は私立に比べて学費が安い国公立の1つだし、所謂有名
大学の1つだから全国から学生が来る。大学の規模も大きいから学生は1つの学部で軽く1000人の桁に達する。
 学年で1000人は居る学生の中で自宅通学出来る人は限定される。となると当然アパートやマンションに下宿することになるが、仮に1学年で1000人だと
してその半数くらいが自宅通学圏外だとしても学年あたり500人。修士博士を加えると−理系学科は修士博士進学者が多い−7、800人は行く。となれば、
アパートやマンションの需要は相当なもんだ。
 需要があれば供給もある。それに、条件が良いところに人が集まるのは賃貸でも同じ。俺が晶子と住むアパートも急行が止まる駅が一応徒歩圏内だから
人気が高いらしく、俺の前には同じ新京大学の学生が住んでいて部屋の回転も速いと不動産屋の担当者が言っていた。需要があるからといって胡坐を
かいていると人は寄り付き難くなる。アパートやマンションも人が住まないと金にならない。
 アパートやマンションで空き家−正確には空室だが、そうなると管理者若しくは所有者にとっては負担でしかなくなる。不動産には固定資産税というものが
ついて回るからだ。賃貸収入があれば当然そこから賄えるが、空室だと当然その分は管理者若しくは所有者の持ち出しになる。固定資産税は物件の
評価額によって決まるそうだし、それは物件の状況−新しいとか広いとかによって変わるそうだが、アパートやマンションとなればそれなりの額になる。
それが持ち出しだけとなれば管理者若しくは所有者の懐を圧迫する。となれば、価格競争に加わるしかなくなる。
 修士博士に進学するとしても、そのまま大学に就職するのはごく少数だ。難易度や競争率は別として割と王道といえる理系の博士→その大学の助教という
「地元就職」でも年に数人。圧倒的多数は大学卒業・修了と共に新京大学から離れる。その大半は引越しも重なるからアパートやマンションはほぼ毎年
入れ替わる分が生じる。最低4年、長くて9年で新たに敷金・礼金が入るし、入ればその間家賃や共益費が入るから、学生を招き入れない手はない。
 新京大学では生協が賃貸物件を斡旋しているのもあって、入退去でまごつく学生が出たとは聞かない。それより、一人暮らしを始めていざ大学生活となる
べきところが、カルト宗教や過激派団体−後者はあまり聞かない−に取り込まれて音信不通になる方が多い。一人暮らしを始めたばかりで何かと心細い
ところに甘い手を差し伸べてくるやり口は巧妙且つ狡猾だ。
 京都は神社仏閣の数も多いが文京都市でもある。国公立私立4年制大学短大がひしめき合っている。新京市だけでも相当数の賃貸物件があるから、
大学数が新京市よりはるかに多い京都だと、賃貸物件の需要は相当なものだろう。日本はルームシェアの概念がまだあまり定着してないから、学生が個別に
賃貸物件と契約して入居するだろう。3月4月あたり、大学によっては推薦入試の結果が出る年明けくらいから、学生の動きが起こるんだろう。
 大都市の1つでもある京都での暮らしには憧れめいたものがある。とは言え、実際に生活するとなると憧れだけではやっていけない部分もある。先立つ
ものがないことには生活どころじゃない。晶子との生活も自分達で得ているバイトの収入があるとは言え、基本は実家からの仕送りだ。それを切り離して
完全に2人で生計を立てて暮らしていく・・・。夢物語を現実へと繋げる関門は高い。

「あそこに大っきな木がある。」

 めぐみちゃんが指差した方を見る。櫟樫には遠く及ばないが大きめなことには違いない木が近くにある。めぐみちゃんの関心は方丈からその木に移った
ようだ。今目の前にある関心ごとより興味や関心が上回れば直ぐにそちらに移動する。移り気と言うのは大袈裟かもしれないが、ちょっと忙しない。

「あの木を見に行きたい?」
「うん。」
「よし、行こう。」

 子ども、しかも幼稚園児の興味や関心の変遷に振り回されていては、代役とは言え親は務まらない。晶子がしているように、子どもの目線に立ってみたり
考えたりする。無論自分や他人に迷惑や危害を加えるようなことに手を近づける場合は何としても咎めなければならないが、色々な意味での力が圧倒的に
違う子どもにそのまま接すると威圧感を醸し出し、子どもは抑圧される。その典型的な例を目の当たりにしてまだ間もない。好ましくはないが反面教師を
生かすべきだ。
 木に近づく。人垣はそれほど多くない。大きいとは言え櫟樫のように目立つほどじゃないから、こんなもんだろう。解説と質問に備えて観光案内のページを
捲る。説明はあるかな・・・あ、あるな。

「この木は胡蝶侘助(こちょうわびすけ)。椿の木の一種だ。」
「椿で縦方向に大きい木は珍しいですね。」
「そうだな。これは1本だけだから横方向に伸ばせないのもあるだろうけど。」

 椿は垣を作る際にも用いられるが、その時は当然横方向に伸ばされる。複数の椿が連なっても1本あたりの横の伸びは抑えられるし、縦方向は横方向
以上に抑えられる。だから椿が単独でこれだけ伸びているのは珍しいし、単独だからこそこれだけ伸ばせたんだろう。

「この木は歌に出てくるもの?」
「歌?・・・ああ、あの歌で出てくるのは山茶花(さざんか)。でも山茶花と椿は同じ仲間だから、完全に間違いとは言えないかもね。」
「山茶花は冬に咲くけど、同じ仲間ってことはこの木も冬に咲くの?」
「そうよ。時期が違って、山茶花は歌にも出てくるように冬真っ最中に咲いて、椿は冬から春になる時期に咲くのよ。」
「へえ・・・。」

 めぐみちゃんと同じく、俺は晶子の博識ぶりに感心する。読書好きとは言っていたが、これだけ様々な方面の知識を得ているとはな。京都を希望したのは
知識では得ていた事柄をその目で確認したかったのもあるんだろうか。
 晶子は俺の家で過ごす時、自分のレポートや家事の他には大抵本を読んでいる。時々買い物ついでに行く本屋で買う本と大学の図書館やゼミの図書室で
借りてきた本が対象となるが、1週間で3、4冊は読んでいる。速読じゃないが読むペースはかなり速い。
 一方で新聞は読んでいない。大学の図書館やゼミの学生居室には複数の新聞があるからそれを読んでいるそうだが、購読はしていない。「どの新聞も
内容に大差はない」「広告のために買うようなものだしゴミが増える」というのが大きな理由だ。
 今のマンションに転居してから新聞の勧誘があったんじゃないかと聞いたら、やはりあった。まだ引越しのダンボールを開封しきっていない頃から、複数の
新聞の勧誘を受けたそうだ。俺もそうだったが、引越し業者の動きか管轄地域を常時監視しているんじゃないかと思ってしまいたくなるほど、新聞屋は
転入者を目ざとく見つける。晶子のマンションは宅配業者でもあらかじめ登録した人しか入れないし、入ったとしても1階ロビーのポストがある場所まで
しか入れないようになっているから、インターホンで応対すれば顔を合わさなくても済む。だが、晶子が勧誘を断るのが苦手だと踏んでか、しつこく粘着
してくる新聞屋も居たそうだ。引越しの荷物の開封もままならなくて辟易したと言っていた。
 俺の家に住み込むようになってからも、新聞の勧誘は偶に来る。インターホンを介さずにドアを開けて応対しないといけない俺の家では、常時施錠と
ドアチェーンを使うようにしているし晶子にも言っている。そうでもしないと、特に晶子1人の時を狙って侵入してくる危険性がある。その点ではチラシを入れて
いくだけの宗教の方がまだましだ。
 晶子が新聞屋に押されていたところを助けて以来、晶子には救急や警察など緊急且つやむを得ない場合以外は、外部の応対には俺が居る時に限るよう
言っている。俺が不在の時に勧誘が来ても俺が居る時に改めて来ることや、担当者と代表の携帯以外での連絡先を教えるよう言う以外相手の言うことを
聞かないようにとも言っている。今は終日ほぼ一緒に居るが、4月から卒業研究が始まると俺が不在になる時がある可能性があるから、それを踏まえての
ことだ。俺はそれほど腕っ節は強くないが、居ないよりはましだろう。
 玄関脇の表札には俺の名前しか書いてない。晶子が住み込むようになったのが実験が夜遅くなったり後期試験が迫ってきた頃だったから表札のことに頭が
回らなかったし、プロポーズから今の旅行まで一挙に進展したから表札はそのままになっている。まだ旅行中だから気が早いが、帰ったら表札を新調する
のも良いかな。晶子の名前を入れたもので。
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