雨上がりの午後

Chapter 235 臨時親子の旅日記(4)−金閣寺見物(3)−

written by Moonstone

「建物の中では静かにしような。」
「うん。」

 建物に入る前にめぐみちゃんに言っておく。建物の中では外より音がよく響く。特に高音と低音の響きが増す。響きが増すというと聞こえが良いが、高い音は
より頭の中を引っ掻き回す性質を強め、低音は身体の芯を揺さぶるものになる。
 同じ音でも聞く側によって感想は様々だ。良い音と言う人も居れば煩いと言う人も居る。音楽でもそうだし、人の声や物音でも同じだ。自分が良い音と思う
若しくは気にならない音が、別の人には全然聞こえないか騒々しくて苛立ちを募らせるものだったりする。建物内だと良い音と騒音を分けるハードルが低く
なる傾向がある。静かであることが前提の場所だと低くなる度合いが強まる。俺と晶子は当然自制出来るが、めぐみちゃんは驚きや興奮のあまり自制の効きが
甘くなりやすい。加えてめぐみちゃんの声は高音成分を多く含む幼児ならではのものだ。建物でめぐみちゃんが大声を出せば、「騒音」と受け止められる
可能性が高い。無用な混乱を防ぐには不安材料は事前に回避するなり対処を施しておくのが賢明だし、保護者の責任でもある。
 建物に入る。人は多いが喧騒の度合いはやはり低い。デジカメか携帯かの違いはあるが、カメラを向ける人が多いのはお約束だ。物珍しそうにきょろきょろ
見回すめぐみちゃんにペースを合わせて、歩く速度をより緩める。
 混雑の度合いは外より少ない。代表的な建物であるこの金閣の外観を眺めて次の場所へ、という人が多いからだろう。俺も金閣の中に入るのはこれが
初めてだから、ゆっくり歩きながら目に映るものをじっくり脳裏に焼き付ける。

「大きな神様だー。」

 中央部に来て上がっためぐみちゃんの声は控えめだが、驚きや興奮の強さは十分感じられる。巨大な仏像が鎮座し、その左隣に歴史の教科書か参考
資料で見たような人物像が据え置かれている。

「えっと・・・。中央の仏像は宝冠釈迦如来像、左は足利義満ですね。」
「ほ、ほうかん・・・?」
「正面の大きな神様は仏教の神様の1人。『ほうかんしゃかにょらい』って言うの。」

 すかさず晶子がフォローを入れる。仏像の名前をゆっくり言う辺りにも気遣いの細かさが良く分かる。

「神様はいっぱい居るの?」
「仏教ではね。」
「隣のお坊さんは?」
「あの人はこの金閣寺を造った人で、『あしかがよしみつ』っていう名前。お坊さんの格好をしてるのは、途中でお坊さんになったからよ。」

 後に室町幕府と呼ばれるようになる、足利家第3代の義満。将軍家では何故か初代と3代で大きな出来事が起こっている。初代は政権を樹立したから
当然のこととして、3代で安定したり滅んだりといった激変が起こっている。鎌倉幕府の源氏もそうだし、その後を乗っ取った北条氏もそうだ。源氏は3代で
滅亡して北条氏の初代時政が実験を掌握し、3代の泰時(やすとき)が御成敗式目を制定して政権を確固たるものにした。足利家も初代は言わずもがなで、
3代の義満で安定期に入った。徳川家も初代家康が樹立した政権を3代の家光が武家諸法度の改定で安定期を迎えた。2代が初代と3代の陰に隠れやすい
のと併せて、不思議な共通項だと思ったもんだ。
 暫く像を眺めた後、2階に向かう。寺らしい縁側から見える華美な装飾のない庭園は穏やかな雰囲気をかもし出している。新京市には知る限り、少なくとも
胡桃が丘にはこんな場所はないから、今別の世界に来ているんだと実感出来る。

「うわー・・・。」

 2階に上がって見た光景に、めぐみちゃんは言葉を失ってしまう。1階と同じく仏像が置かれているんだが、その迫力は凄い。中央に座った仏像があり、その
四方を気迫さえ感じさせる仏像が囲んでいるからだ。

「神様の周りを・・・鬼みたいな人達が囲んでるー・・・。」
「鬼じゃなくて、神様よ。」
「そうなの?」
「そう。四天王、『してんのう』って言ってね。仏教に居るたくさんの神様の中で、東西南北の4つの方角を護っている神様。」

 晶子は豊富な知識を予備知識のないめぐみちゃんにも分かりやすいようによく噛み砕いて伝える。詳細を話し出すとこれまたきりがない。今は4つの方角を
護る神様と理解出来れば十分だろう。

「真ん中に座っているのは観音様。やっぱり仏教に居るたくさんの神様の1人よ。」
「神様を神様が護ってるの?」
「うん。仏教の神様は色々な役割があるのよ。」

 八百万(やおよろず)という表現があるほどたくさんの神が居る神道と同じように、仏教にはたくさんの神−仏様や観音様が居る。有名どころだけでも、俺達が
今見ている四天王、弥勒観音、不動明王など色々ある。

「ちょっと待ってね。」

 晶子は持っている観光案内を広げてページを捲る。俺はめぐみちゃんを両腕で抱っこしているから、晶子にやってもらうしかない。流石の晶子も中央の
観音像や四天王の個別の名称までは把握してなかったか。

「えっとね・・・。中央に座ってる神様は岩屋観音っていう名前。『いわやかんのん』ね。四天王は護っている東西南北の順に、持国天、増長天、広目天、多聞天って言うの。『じこくてん』『ぞうちょうてん』『こうもくてん』『たもんてん』よ。」
「難しい名前ばっかりだね。」
「めぐみちゃんは平仮名やカタカナを使ってるかもしれないし、知ってると思うけど、それらは昔は全部漢字だったところを必要に応じて日本語の発音に合わせて造られた当て字なのよ。」
「昔はひらがなやカタカナってなかったの?」
「ずーっと昔のことだけどね。」

 漢字で書くと分かりやすいが、平仮名や片仮名(カタカナ)は字のとおり「仮の名前」だ。平仮名やカタカナがあるから、日本語は外来語をとりあえずカタカナに
すれば読めるようになるという利点がある。無論、利点は欠点にもなりうる。仏教も漢字も舶来ものだし、今みたいにTVや新聞、果てはインターネットなんて
なかったから、普及には範囲や限度があったと考えるのが自然だ。

「今使われている漢字も、5、60年ほど前までは画数って言って線を引いたりする回数が多かったんだけど、徐々に変化していって今のものになったのよ。」
「日本語って変化するんだ。」
「言葉は道具だからね。時代の流れで使い方や意味が変わってくるものよ。」

 晶子の言葉は何処かしみじみしていて、実感が篭っている。英語でもある単語の意味が時の流れの中で変遷したり、スペルが替わったりしたことが
あるんだろうか。専門分野の英語はそこそこ読めてどうにか書けるが、遣う単語や文法は現代英語−と言うのかどうか分からないが−の範囲を脱しないから
分からない。
 現代英語でも、ある表現に色々な表現がある。例えば「船」を表す代表的な単語の1つは「ship」だが、他にも「boat」「yacht」「cruiser」などがある。機械的に
1つ1つ憶えようとすると嫌になるから、どれがどういう種類を指すかを合わせて憶えていくと効率が良いし、表現の幅も広がる。広い範囲の「船」は「ship」、
小型で人力−オールなど−駆動するのは「boat」、帆船の類は「yacht」、長距離航海可能な船は「cruiser」って具合だ。軍艦に絞ると「戦艦」全般は「warship」、
空母こと航空母艦は「(aircraft )carrier」−文字どおり「飛行機を運ぶもの」−、戦闘機やらを多数輸送出来る代わりに無防備に近い航空母艦の護衛を特に
担当するイージズ艦−「軍事知識はこう使うもんだ」とは耕次の弁−は「AEGIS cruiser」、と範囲が広がるし深まる。
 日本語でも同じようなことを言うのに表現は色々ある。「始める(始まる)」だと「開始する」「起動する」あたりがぱっと思いつくが、会議とかを「起動する」と
言うのは変だし、逆に機械だと「開始する」は違和感がある。語彙は表現の範囲を広げるために増やすという感覚は、言語の種類が違っても同じようなもの
らしい。

「神様なのに、四天王の顔って何だか怖い。」
「外敵から護る仕事をしているから、威嚇−戦いになる前に相手を怖がらせるためにそんな顔つきになったんだろうな。」
「外敵って、鬼とかそういうの?」
「そうだな。」
「鬼から護るために、怖い顔になっていったのかぁ・・・。」

 めぐみちゃんは「怖い」と言った四天王をじっと見詰める。観音と四天王の顔つきは明らかに違う。同じ宗教の神様なのに顔つきだけでこうも違うのかと
不思議がってるんだろうか。
 仏教には色んな種類の神が居るが、大まかに温和な顔の菩薩(ぼさつ)や観音、険しい形相の守護神に分けられる。菩薩や観音が慈悲や救済を前面に
出し、四天王も含める守護神が邪悪−仏敵と言うらしい−と対峙する面を前面に出しているようだ。
 宗教の二面性。耕次はこう表現した。宗教には信じる者を護る側面と自らを侵害する外敵を徹底的に攻撃する側面がある、というものだ。少し調べると−
高校の図書室にある本のレベルでは少々きついから別途求める必要はある−宗教の二面性が見えてくる。一神教のキリスト教やイスラム教には、「信じる者は
必ず救われる」とする「終末論」が明確にある。キリスト教で終末論が大きく取り沙汰されるようになるのは「黙示録」の単語で真っ先に浮上する「ヨハネの
黙示録」が広まってからだが(筆者註:「黙示録」はヨハネのものだけではない。キリスト教文学である黙示文学の1形態)、旧約聖書を見ると、神は自分が創造
した人間が堕落したとして世界中を洪水で覆ったり、高層建築物を破壊して人間の意思疎通を制限するなど、結構荒っぽいことをしていることが分かる。
 それが「ヨハネの黙示録」のメジャー化や悪魔学−悪魔の頂点にサタン(ルシファー)が君臨していてその配下にこれこれこういう堕天使が居るとかいうもの−
の発展で、キリスト教信者を救うのは神が専門になり、キリスト教や信者を攻撃する敵や不心得者を懲らしめるのは悪魔が専門、と二分化していった歴史や、
キリスト教の二面性は時の流れで担当は変遷しているが健在だと分かる。
 仏教はキリスト教やイスラム教と違って多神教で偶像崇拝が容認されているから、信仰の対象である神を模して色々な絵や彫刻が作られた。今俺達が見て
いる観音像と四天王像もその中で作り出されたものだ。これを作った人は何を思いながら作ったのか、想像を膨らませる余地はたくさんある。

「・・・もっと・・・見てて良い?」

 観音像と四天王像に見入っていためぐみちゃんが、はっと何かに気づいたような顔をしたと思ったら、恐る恐る俺に聞く。・・・無理もないよな。今まで絶えず
あの両親の視線と何時降り注ぐか分からない八つ当たりに怯えてたんだから。

「ああ、好きなだけ見てて良いぞ。」
「そうよ。」

 すかさず晶子が同意する。両親の顔色を窺いながら行動する必要はないんだとめぐみちゃんが理解出来るまでには、まだ時間がかかりそうだ。今までが
今までだっただけに仕方ないし、変えるよう急かしたら逆効果だ。俺と晶子が両親をしている今を感じながら、少しずつでも実感していけば良い。

「もっと近くで見るか?」
「良いの?」
「ああ。」
「・・・見たい。」
「よぉし。どれを一番見たい?」

 まだ遠慮が消えないめぐみちゃんに、俺から選択肢を提示する。めぐみちゃんは何度か首を横に振って見回す。中央に鎮座する観音像か、迫力のある
四天王像のどれかか、めぐみちゃんに100%の選択の余地を与える。今までがなさ過ぎたんだが、そんな環境を齎した両親は今頃警察でじっくり絞られている
だろうから、めぐみちゃんには今を十分に楽しんでもらいたい。

「んー・・・。」

 めぐみちゃんはゆっくりしたペースで首を左右に振って、最初に近くで見る像を選んでいる。真剣な眼差しが微笑ましい。こうやって自分がしたいことを
選べる機会はなかったんだろう。

「えっとね・・・。あれが見たい。」

 めぐみちゃんは、向かって右の四天王像の1体を指差す。指の向きを視線で追ってみる。めぐみちゃんが選んだのは前にある、矛を地面に突き立てたような
ポーズをとっている四天王像だ。

「手前のか?」
「うん。」
「じゃあ、近づいて見ような。」
「うん。」

 希望が叶ったことで、落ち着いていためぐみちゃんの目の輝きが再び強まる。人はそこそこ居るが、金箔で覆われた外観を一頻り眺めたら満足するのか、
内部をじっくり見て回る人は少ない。京都だからあちこちに寺や神社があるし、限られた日数や時間であそこも此処も回ろうとなれば、金閣寺にそう長く
留まっていられないだろう。
 流石に触ることは出来ないが、ギリギリまで近づいてみる四天王像は迫力満点だ。めぐみちゃんは大きく目を見開いて、像の頭のてっぺんから足先まで
じっくり見詰める。解説は挟まない。めぐみちゃんの疑問に答える形式を原則とする。その方がめぐみちゃんの興味や関心にプラスに働くだろう。

「凄く大きいなぁー。」

 何度目かの首の上下運動の中で、めぐみちゃんは感嘆の声を漏らす。幼稚園の遠足だと、集合場所から目的地近くまではバスで移動して、最寄の駐車場
辺りから歩く程度だろうから、その途中での見学はバスの中からくらいだろう。目的地も大きな公園とかだろうから、仏像をこんな近くで見るのは恐らく
初めてだろう。

「本物の神様も、このくらい大きかったのかな?」
「本物はもっと大きいんだ。」

 こんな時に「居ない」と言うのは、めぐみちゃんの関心や興味をぶち壊しにする。サンタクロースは実在しないと宣告するのと同じようなもんだろう。
あの両親の下でクリスマスやサンタクロースに縁があったのかどうかは知らないが、此処ではめぐみちゃんに話を合わせる。

「どのくらい?」
「んー。この建物を見下ろすくらい、かな。」

 仏教の世界はどういうわけかスケールが非常に大きい。時間の長さもそうだし、空間の広がりもそうだ。仏教の世界観は無限の概念に通じるものがあると
思う。現在主流の近代科学の主たる発祥地は欧州だが、仏教の世界観の元で生じたら案外日本を含むアジアが発祥地になっていたかもしれない。

「大きな神様は何処に住んでるの?」

 厄介な性質の質問がついに来た。想像上のものを現実世界に当てはめて説明していくと、必ず何処かで無理が生じる。だが、質問を発した当人にとっては
重大な関心ごとだ。こういう立場になって親の難しさが分かるとは思っていたが、こんなに早く迎えるとはな・・・。

「えーっと・・・、人間の目には見えない別世界に住んでるんだ。」
「どうして、人間の目に見えないのに人形に出来るの?」
「ん・・・と。」

 めぐみちゃんは容赦なしに突っ込んでくる。本人に悪気や悪意はないのは無論承知だが、質問される側になるとどうやり過ごせば良いか分からない。
「黙ってろ」で片付けるのは簡単だがそれじゃあの両親と同じだし、両親を殴った手で自分をぶん殴らないといけない。困ったな・・・。自分で墓穴を掘った
ようなものとは言え、どう答えれば良いものか・・・。

「お寺で修行したお坊さんの夢の中に、人間が分かる形で現れるの。それを元に絵を描いたり、今めぐみちゃんが見ているような大きい人形を作ったり
するのよ。」

 答えあぐんでいたところで晶子が助け舟を出す。語彙や表現力が豊富な晶子が居てくれてありがたい。

「神様は人間よりずっと頭が良いし、色んなことが出来るから、人間が分かるように姿を変えたり、それを分かる人に見せたり出来るのよ。」
「へぇ・・・。お坊さんは神様が見えるように『しゅぎょー』するの?」
「神様の考えを正しく理解して人々に広められるようにするのが修行よ。神様が見えるようになるのは修行の結果であって、神様が見えるようになるために
修行をするのは修行じゃないの。そういう人が言う神様は、その人が勝手に作った神様なのよ。」

 晶子は分かりやすく重要なことを言う。神が見えるようになるのは修行の結果であって目的ではない。簡単なことだし「言われなくても」と鼻で笑うようなこと
でもあるが、これが意外と出来ていなかったり分かっていなかったりする。
 カルト教団のみならず、神仏−と言うより教祖−が信者に齎した様々な奇跡を売り物にする宗教や普及者に騙され、利用される被害が後を絶たない。
名前や手口は目まぐるしく変わるが、基本は同じ。奇跡が齎されるからその宗教を信仰する、晶子の表現を借りれば「神様を見るために修行をする」ことが
共通している。奇跡欲しさに宗教を信仰するのは、個人だけに留まるなら勝手だ。好きなだけ信じて崇めれば良い。問題なのは、この手の宗教は必ず他人を
巻き込むことだ。大学でもカルト教団や宗教「普及」に没頭して音沙汰がなくなることは度々問題になるが、親は脱会させようとしてもまず効果がない。挙句の
果てに、大学のサークルや部活、若しくはバイト先の同僚を「普及」の対象にして被害が広がっていくこともある。
 高校の時点では親がその手の宗教にはまっていない限り、この手の話しは殆ど問題にならない。大学になると途端に大問題の1つになる。耕次に
言わせると「科学的思考や宗教の変遷を理解しないまま、知識だけ詰め込んだ成れの果て」だ。血液型性格判断とカルト教団や質の悪い新興宗教も、
「狭量な価値観で一方的に決め付け」「論理的な反論も一切聞かずに『こうだから』『こう言ってるから』で押し切るのは同じだ。血液型性格判断が消滅する
のと、カルト教団や質の悪い新興宗教が消滅するのは、少なくとも日本では同じくらいの時期だろうし、それは遠い話だろう。当たり前のように血液型性格
判断がメディアで堂々と話題に出るくらいだからな。

「ふーん・・・。神様ってそういうことが出来るんだ・・・。」

 今まで食い下がっていた−この言い方は変だが−めぐみちゃんは、人間に見えない筈の仏が像に出来る謎が判明して満足した様子だ。晶子が上手く
答えたおかげだな。俺1人じゃ投げ出すか抑え込むかのどちらかだっただろう。後者だったら、あの両親のことは言えない。

「この神様達がこの人形を作った人の夢に出て来たから、こういう人形が出来たんだね。」
「そうだよ。」

 ちょっとずるいが、晶子の回答で納得してきた様子のめぐみちゃんに晶子の表現を追認することで応じる。俺には他に適切且つ分かりやすい例えが思い
つかない。

「じゃあ、作る人によって見え方が違ったりするのかな?」
「色々だろうね。その人が何処まで夢をはっきり覚えていたかにもよるだろうし。だから、同じ神様を絵や形にしたものでも、少しずつ違っているのよ。」
「ふーん・・・。そうなんだ・・・。」

 めぐみちゃんは、何度か納得した様子で首を小さく縦に振って、像に向き直る。見えない場所に居る筈の仏をどうして像に出来たのか、という疑問は解決
出来たようだ。幼児が居る親の苦労が少し分かったような気がする。
 仏像を興味深そうに見つめているめぐみちゃんを確認して、内心安堵の溜息1つ。晶子を見ると、分かっていたかのように微笑んで小さく頷く。俺でどうにも
ならなくなったらフォローするから安心して、とその顔と目が言っている。俺は感謝を込めてめぐみちゃんに気づかれないように小さく頷く。

「真ん中の神様、見たい。」
「よぉし。移動しような。」

 食い入るように四天王像の1つに見入っていためぐみちゃんは満足したのか、次を選ぶ。今度は即座に出たことからするに、最初の四天王像と観音像を見る
順番で迷っていたんだろう。今まで常に急かされ、急がないとすかさず怒声を浴びて来たんだ。時間に十分余裕がある今くらい、じっくり選んで満足するまで
見ることが出来て良い。
 少し左に移動して、観音像を正面にする。めぐみちゃんは再び凝視を始める。めぐみちゃんが見入っている間俺と晶子は待つ。仏像は見るが
めぐみちゃんのように余すところなく見るというほど見ない。俺と晶子は明日以降も来られるから、今見ておかないといけないっていう切迫感が薄いせい
だろう。
 立ちっ放しなのは気にならない。普段のバイトで慣れてるからだ。それに、バイトだと俺は殆ど動き回っている。急いで動く必要がない時間だ。日常から
脱して別世界の時間に浸って風景や食事を楽しむのが観光の醍醐味であり、基本だ。今は十分ゆったりした時間の流れに浸っていれば良い。

「この人形は、優しい顔してる。」
「そうね。」
「お父さんとお母さんに似てる。」

 今度は観音像と俺と晶子の類似性に話が及ぶ。唐突な展開に驚くが、俺と晶子を交互に見るめぐみちゃんの顔からは、冗談めいたものは感じられない。

「似てるって、何処が?」
「お父さんがお母さんの話をする時と、お母さんがお父さんの話をする時、この人形みたいに凄く優しい顔する。」

 めぐみちゃん、前にも−つい2、3時間も経たない前のことだが−言ってたな。俺と晶子が互いの話をする時に凄く優しい顔をするって。それが目の前の
観音像とダブるとは、晶子にはまあ当てはまると思うが俺には当てはまらないと思う。めぐみちゃんにはそう見えるのかもしれないな。・・・あの鬼のような
両親と比べりゃそう思えるのも無理はないが。

「そう見える?」
「うん。」
「だとすると、めぐみちゃんには今、観音様に似てるお父さんとお母さんが居るね。」
「うん。」

 晶子とのやり取りでめぐみちゃんは躊躇しない。見れば眉を吊り上げている、目の前の四天王像より恐ろしい両親と比べると、代役の俺と晶子は余程違うん
だろう。本当にあの両親は、いったい今まで何をして来たんだ?めぐみちゃんに食事らしい食事も与えず、単に喧嘩の材料か八つ当たりの対象でしか
なかったのか?もしそうなら、警察に徹底的に絞ってもらいたい。それこそ逆さに降っても血も出ないくらいに。そうでないと、また同じことを繰り返す。
否、もっと酷くなるかもしれない。「お前が余計なことを言うから」とか言って・・・。

「お父さんには、お母さんはどう見えるの?」
「え?」

 これまた唐突な質問に、思わず聞き返してしまう。無邪気は罪だし怖いと言われるが、今それを体験しているような気がする。あえて晶子を見ないで考えて
みる。対外的には勿論「彼女」だし、大学関係ではもう「妻」で通ってる。そういったものは抜きに、俺から見て井上晶子、否、安藤晶子という個人はどう
見えるか、か・・・。

「そうだなぁ・・・。色々な表現が出来るけど・・・女神、かな。」

 観音像や四天王像が目の前にあるし、仏をめぐみちゃん向けに「神」と言って来たから、その流れで「神」を使った表現としてぱっと思いついたものを
挙げる。・・・言ってから壮大な表現にも思えるが、実際そうだから良いか。

「何時もお父さんのことを気にかけてくれて、勉強や仕事で疲れて帰っても温かく迎えてくれる。一緒に居て安心出来る。お父さんにとってお母さんはそんな
存在だから、かけがえのない存在だと思うし、大切にしたいと思う。」
「「・・・。」」
「今までめぐみちゃんと神様を見てきたから、神様繋がりで『女神』って表現した。・・・こんなところ。」

 めぐみちゃんはまじまじと俺を見ている。ふと晶子を見ると、驚いた様子で目を見開き、ほんのり頬を赤らめてもいる。・・・見ていて俺も照れくさくなってきた。
歯が浮くような台詞ってこういうのを言うんだろう。だが、言ってる時は考えなくても次から次へとスムーズに出て来たんだよな。

「お母さんはどうなの?」
「あ・・・。」

 翻ってめぐみちゃんが話を振るが、晶子は絶句したままだ。めぐみちゃんの質問への回答とは言え、俺が多数の第三者が居る場で惚気るというか相手を
持ち上げるというか、そういうことを言うとは思わなかったようだな。
 昨夜夕飯の後で出された酒を飲んでいた時は、酒が回って饒舌になっていたのもあるし、新婚初夜という雰囲気もあって、普段は夜の営みの最中くらい
しか言わないような際どいことを言った。晶子はもっと言っても良いのにとは言ったが、嫌がりはしなかった。嫌がるくらいなら新婚初夜なんて言ったりしない
だろうけど。だが、あれはああいうシチュエーションだったから言ったし言えたこと。普段は人の目が気になるし、他人の惚気話なんて聞きたくないと思う人も
居るだろうから言わないようにしている。だが、今回は連想ゲームより自然に出てきた。偶にはこういう時もあっていいだろう。

「えっとね・・・。色々表現はあるけど・・・『王子様』かな。」

 これまた似合わないというか、分不相応な表現だな。バンドの面子が聞いたら揃って耳を疑いそうだ。だが、言った晶子はまだ俺の公然の惚気に対する
動揺が消えてないとは言え、冗談を言っている様子はない。

「何時もお母さんを大事にしてくれて、お母さんを護ってくれている。」
「「・・・。」」
「だから、お母さんはお父さんに安らぎを感じられる存在になりたいと思うし、いざという時にはお母さんがお父さんを護る決意で居る。だから『王子様』って
表現したの。」

 晶子はさらりと言ってのける。俺のように少なくとも表面上は平静を保っている。晶子は俺とは正反対に自分の恋愛事情を積極的に話すし、聞かれれば
待ってましたとばかりに答えるくらいだから、これくらい言うのは何でもないのかもしれない。

「王子様のお父さんと女神のお母さんが、出会って結婚したんだ・・・。」
「そうよ。」
「だから、凄く仲良いんだね。」

 俺と晶子を交互に見ためぐみちゃんは、感動さえした様子で言う。改めて第三者のめぐみちゃんに言われると、やっぱり照れくさいな・・・。平気な顔というか、
思ったままを言ったまでといった様子の晶子と顔が火照っているのが分かる俺とは対照的だ。

「お父さんとお母さんって凄いね。」
「ん?何が?」
「大切に思える相手と出会えて結婚したから。」

 俺もそう思う。一昨年の秋にバイトをサボって夕飯を買いに向かったコンビニ。そこでの出会いが発展・深化して今に至る。最初は鬱陶しいとも思ったし、
裏があると疑ってたし、どうせ飽きればハイさよならなんだろ、と見切ってもいた。だが、会っているうちに、言葉を交わしているうちに、何時の間にか晶子は
俺の心に根を下ろし、広げていた。
 長期戦を承知の上で晶子は俺へのアプローチを始めて、続けたんだろう。そうでなかったらとっくの昔に諦められて居た筈だ。晶子の執念が俺にも共通する
1つの幸せとして結実して、新たな花を咲かせる準備を進めている。

「めぐみも、お父さんとお母さんみたいになりたい。」
「なれるよ。今からでも十分。」
「お母さんの言うとおりだ。めぐみちゃんはこれから先いっぱい勉強していっぱい遊んでいけば、凄く幸せになれる。」

 高々20代前半で、しかも学生の身分で言えることじゃないかも知れない。だけど、今まで両親に抑圧され、自分を抑圧していためぐみちゃんには、抑圧から
解放されることで未来を作り直す余地はまだまだ十分ある。
 可能性って言葉は希望を齎す一方で、将来を曖昧にする目的で汎用的に使われたりもする。「可能性がある」と言っても十分実現可能と見込めなければ、
実行した本人に失敗や挫折を煽ることにもなる。言う本人は最初から相手を失敗や挫折に追い込むために「可能性」を持ち出している場合もある。だから
「可能性がある」という言葉を盲目的に信じるのは良くない。だが、可能性を信じないと何も進まないことだってある。俺が晶子との付き合いを始めるのも
そうだったし、めぐみちゃんもそうだ。

「他の場所は見れないの?」

 めぐみちゃんは金閣寺をもっと見たいようだ。直面した謎が解明されたことで興味が発展したんだろう。

「残念だけど、見せて良いって決められてる場所以外は入れないんだ。」
「んー・・・。そっかぁ・・・。」

 更に金閣寺の中を見られる、新しい発見があると思っていたところにストップがかかった。めぐみちゃんががっくりするのは当然だ。しかし、これは決まりごと
だからどうしようもない。出来ることと出来ないことの区切りはあると知るのは苦しいし嫌なことだが、大切なことだ。

「こういう場所では大抵、此処以外は入っちゃ駄目、って決められてるんだ。・・・めぐみちゃんは友達の家に遊びに行ったことある?」
「うん。」
「友達の家だから何処でも入って良いわけじゃなくて、この部屋は入っちゃ駄目とか、2階に上がらないで、とか友達やそのお父さんやお母さんとかに
言われたりしない?」
「あ、うん。言われる時ある。」
「そういう決まりごとは、この金閣寺−金の建物みたいに大勢の人に見てもらう場所でもあるのは分かる?」
「うんうん。」
「めぐみちゃんの友達の家で、友達やそのお父さんやお母さんが入っちゃ駄目って言ったところに入るとめぐみちゃんが怒られたり嫌な思いをさせたりする
のと同じように、何処何処に入っちゃ駄目とかいう決まりごとを守らないといけないんだ。・・・分かる?」
「うん、分かった。」

 念入りに説明したつもりだが、予想以上にすんなり分かってくれて良かった。「決まりだから」と言って更に不満を言ったり駄々をこねたりした際に怒鳴り
つけたりして抑え付けるんじゃ、あの両親と同じだ。めぐみちゃんが理解しやすい範囲から話を発展させて理解を促すのが効果的だと思って実践してみた。
成功して内心ほっと一息。子育てって難しいな。

「観光客が入れる部分は、此処までのようですね。」

 晶子が観光案内を見ながら言う。頂点で燦然と輝く鳳凰を間近に見られれば良いんだが、それは無理な話。それに、元々大人数が大挙して押し寄せること
なんて想定してないだろうから、周辺の景色を眺めようと最上階の3階に殺到したら、大事故になる恐れもある。観光出来るところは安全も考えてのことだ。
観光地に行って怪我するなんて本人が一番やり切れないだろう。何をしに此処に来たんだ、って。

「めぐみちゃんはもっと見るか?」
「ううん。もうたくさん見たから良い。」
「じゃあ、出ようか。晶子はどうする?」
「めぐみちゃんと一緒に十分見ましたよ。」
「俺も十分見たから、出るか。」
「はい。」
「うん。」

 「行き止まり」に達したし、めぐみちゃんのおかげで十分見られた。確実に普通の観光パックや学校行事の中の旅行で来る時より十分時間をかけられた。
京都は金閣だけじゃない。めぐみちゃんも他に見たいところがあるだろうし、金閣寺を出よう。
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