雨上がりの午後

Chapter 168 友人達と振り返る出逢いの記憶

written by Moonstone


 俺と晶子が部屋に戻って程なく、ドアがノックされる。立とうとした晶子をやんわり制して、俺が出る。不審者は居ないと思うが、念には念を、というやつだ。
ドアを開けると、耕次他面子全員が顔を出す。

「よっ。もう風呂入ったのか。」
「ああ。そっちはもう飲み会終わったのか?」
「終わり終わり。せいぜい飲んで食って来た。」

 耕次の口調は何となく、飲み会で楽しんだ、というより、ようやく終わった、という解放感や脱力感の方が強いように思う。

「俺達はこれから風呂に行って来る。その後、差し障りなければ部屋に寄らせてもらう。」
「そうか。俺と晶子はまだ起きてるから、温泉でゆっくりして来いよ。」
「じゃ、また後で。」

 耕次を先頭に面子は向かう。その後姿を見送ってからドアを閉めて戻る。

「皆さん、これからお風呂ですか。」
「そうらしい。それから此処に来るつもりらしいけど、良いか?」
「ええ。」

 晶子は入れたての茶を差し出す。俺は礼を言ってから一口啜る。
女達の言葉に気分を害した、と明確に言っていた渉は兎も角、耕次に勝平、そして飲み会をお膳立てした宏一は結構楽しんでいたようだったが・・・。
 静かな時間がゆっくり流れていく。TVはあるが点けていない。
元々見る週間があまりないし、大学が忙しくなって来た2年以降だと、電源を入れた回数は指折り数えられるかどうかだ−いちいち憶えてないし−。
家ではレポートかMIDIのデータ作りかアレンジかギターの練習かで大半を過ごし、残るは寝てる。隙間を縫うように辛うじて洗濯をしている有様だ。
 かと言って間が持たないわけじゃない。晶子と過ごす時は大体こんな感じだ。
二人で居る時間をどう過ごすか考えることなく、その時話すことや話したいことがあれば話して、後は二人で居る時間を過ごす。これで十分だ。
普段何かと慌しいから、こういう時を待っていたとも言える。

「・・・祐司さん。」
「何?」
「隣・・・良いですか?」
「良いよ。」

 晶子は湯飲みを持って立ち上がり、俺の左隣に座る。湯飲みを机に置いて、俺の肩に頭を乗せる。
晶子の家に居る時は並べたクッションに座っているし、俺の家に居る時も食事は向かい合ってするけどその後は隣り合って座るから、断らなくても良いのに・・・。
 ふと左手の甲に滑らかな感触を感じる。左手を反転させると、重なっていた晶子の手が重なり、俺の指の間に指が入り込んで来る。
軽く握られた手を握り返す。目を閉じて微笑を浮かべる晶子は、眠っているようにも見える。
 俺はその晶子の頭に寄りかかるように頭を傾けて、目を閉じる。
ゆるりと流れ行く時間と共に漂う空間。気が付いたらもうこんな時間、という日々からは完全に隔絶された今が心地良い。

コンコン

 ドアがノックされる音で目を開ける、否、覚ます。心地良さに浸るあまり殆ど寝ていたように思う。
晶子は俺の肩からゆっくり頭を上げる。晶子も寝ていたのかな。
俺は晶子と手を離し、ドアへ向かう。ドアを開けると・・・あれ?誰も居ない。

「あ、祐司だ。」

 耕次の声が聞こえる。俺がドアから顔を出して左右を見ると、浴衣姿の面子が二手に分かれて部屋に入ろうとしているところだった。

「起きてたのか。」
「ああ。どうしてだ?」
「何回ノックしても出て来ないから、寝てるかと思った。」
「何回も?さっきのノックが初めてかと。」

 面子が近寄って来るが、俺が脇に退いても中に入ろうとはしない。

「どうしたんだ?入れよ。」
「いや・・・、嫁さん、良いのか?」
「晶子?起きてるぞ。」
「起きてるのはまだしも、服は着てるのか?」

 少し躊躇いがちな耕次の問いで、俺は質問の意味を悟る。起きてたのにあまりにも出るのが遅れたことで、俺と晶子が「真っ最中」だったと思ったんだな。

「ちゃんと着てる。良いから入れ。」

 照れ隠しにちょっとぶっきらぼうに言うと、耕次が中を窺ってから−信用出来ないのか−中に入る。それに渉、勝平、宏一が続く。
ドアを閉めて晶子を見ると、髪をおろしている。それを見て少し安心して戻る。
 面子は晶子の向かい、最初晶子が座っていたところに押し込むように座っている。俺はさっきまで居た場所である晶子の隣に腰を下ろす。
面子の座り具合はかなり狭苦しく感じる。二人部屋ということからか机はあまり大きくないが、それでも俺と晶子が座っている側を除く3辺に分散すれば、
結構ゆとりがある筈だ。

「横に広がれば良いのに。」
「晶子さんを正面から見たくてな。」
「それに晶子さんに近づくと、祐司が怖いし。」

 宏一に続く勝平の回答で、俺は苦笑いする。
自分で言うのも何だが、俺はやきもち妬きと言うか独占欲が強い。俺が宮城と付き合っていた時代を知っている面子は、そのことを憶えている筈だ。

「それは兎も角、どうして早く帰って来たんだ?てっきり施錠時間ギリギリまで飲んでるかと。」
「向こうが先に引き上げたんだ。宿の門限に遅れるから、ってな。」

 耕次が答える。その口調はやっぱり少し投げやりだ。

「『これ食べると太るよね』とか言いつつ、出て来たものを手当たり次第にバクバク食って飲んで、『ご馳走様』でおしまいだ。落とす落とせない以前の問題だった。」
「そ、そんな目で見るなよな。ベイビィ。」

 渉を除く面子の冷たい視線を受けて、宏一がうろたえる。確かに、責任はあの場を作った宏一にあるから、多少の批判はやむを得まい。

「腕が落ちたな、宏一。」
「否、宏一の腕が落ちたというより、底引き網漁の後の選び方が拙かったと言うべきだろう。取れた魚が何でも食べられるわけじゃない。」

 勝平の批判に対する耕次のフォローは、フォローになってないような気がする。最も乗り気だった宏一は肩透かしを食った分だけダメージが大きいだろうに。
・・・あ、やっぱりしょげている。

「俺が思うに、あの場でまともな出会いを期待する方が間違いだったんだ。人の結婚指輪に宝石がないことや、人の将来設計を批判するどころか別れろとまで
仄めかすような常識知らずの連中に期待するだけ無駄ってもんだ。」
「渉が宏一を援護するなんて珍しいな。」
「遅刻するくらいなら、底引き網漁で得た魚を選ぶ目を持て、ってことだ。」

 渉の補足の一言は、宏一にとどめを刺すには十分過ぎる。・・・あ、一旦持ち直したと思ったら、宏一の奴、またしょげてしまった。
渉は女達の言葉に気分を害して早々に席を立ったくらいだから別に今回引っ掛けられなくても良かったんだろうが、狙っていた宏一のダメージは相当なものだろう。
あの場を作った責任はあるが、もう十分だと思う。

「まあ、そのくらいにしておけよ。妙な魚の毒にやられるより、あの場限りで済んだんだからさ。」
「オー!マイブラザー!心温まること言ってくれるじゃないか!」
「おーおー、随分余裕の発言だな、祐司。流石に早々と結婚指輪填めさせただけのことはある。」

 宏一が両腕を差し出してのオーバーアクションを示したのに対し、頬杖を付いた耕次がからかい調子で言う。
勝平も渉も同感を示す頷きを見せながら俺と晶子の方を見ている。
・・・うっ、この視線。かつての時代を思い出す。渉はあの時我関せず、という様子だったが、今回は勝手が違うようだ。

「俺に話を振るなよ。」
「生憎そういうわけにはいかない。さあ、出演者が揃ったことだし、じっくり事情聴取と参りましょうか。」

 勝平が口の先端を少し吊り上げる。
・・・そう言えば行きの新幹線の車中で此処の観光案内のプリントを貰った時、礼は後でさせてもらう、とか言ってたな・・・。
こいつ、そのために面子と口裏合わせてこの部屋に乗り込んで来たのか?
・・・あり得る。何せ悪戯好きの面々だ。そう考えるのがむしろ自然だろう。

「勝平のMCもあったことだし、早速リーダーの俺が事情聴取を始めるとするか。」
「始めなくて良い。」
「これも法律家が備えるべき、コミュニケーション能力と相手の心理探究の実践の場だ。しかも、こういうケースはなかなかお目にかかれない。」
「耕次、お前なぁ・・・。」
「さあ、祐司。此処まで来た以上逃げられると思うなよ?さて・・・、まずは出逢った状況から詳細に説明してもらおうとするか。晶子さんは憶えてるでしょう?」
「はい。」
「当事者且つ証人も居る。妙な弁解や言い逃れは、後々お前の損になるだけだぞ?」
「耕次・・・。」

 駄目だ。完全に追い詰められてしまった。事情聴取とやらは耕次がメインになるようだ。
耕次の推察や突っ込みは鋭いし的を外さない。俺だけならはぐらかしたり出来るかもしれないが、隣に晶子が居るから曖昧な言い方は出来ない。
変に誤魔化したりすると、晶子との絆の証の一つ、左手薬指に填まる指輪の意味と俺の気持ちを根本から問われることになる。覚悟を決めるしかない。

「祐司にとっちゃ、聴取の内容はちょっと古傷を抉られることになるだろうが、それがあったからこそ今の関係があるんだからな。」

 耕次の言葉が俺の心に大きな残響を生む。
あの時俺は宮城から一方的に関係断絶を通告されて、絶望と悲しみと、愛情が裏返った憎しみに塗り潰されていた。
二度と女なんか信じるもんか、二度と恋愛なんてするもんか、と思っていた。見るもの全てがどす黒く見えた。
 買い漁ったビールを煽りながら宮城との思い出の品を悉く破り、壊し、潰して、自分も酔い潰れた。翌日は大学もバイトもサボった。
重い気分で遅い夕食を買いにコンビニに出向いたら、隣のレジに並んでいた晶子と目が合った。そこから俺と晶子の関係が始まった。
2年ほど前のことだが、懐かしくもあり、つい昨日のことのようにも思える。
 ・・・って、回想に浸ってる場合じゃない。何処まで突っ込んだ事情聴取になるか分からないんだ。
しかも相手は耕次。隣には証人でもあり当事者でもある晶子が居る。こういうシチュエーションは、俺が最も苦手とするものの一つなんだよな。

「んじゃまず、晶子さんと出逢った時の状況から詳述してもらうか。」
「そりゃあ良い。出逢いの瞬間は忘れられないものだからな。」
「オー!祐司が晶子さんを引っ掛けた場面がいよいよ明らかになるのか!」
「お前に引っ掛けた、って言われたくない。」
「まだ余裕はあるようだな。時々晶子さんの証言と照合するから、覚悟は良いな?」
「一応。」
「じゃ、語ってもらおうか。」

 面子と晶子が注視する中、俺は覚悟を決めて当時の状況を話す。
宮城との電話で最後通牒を突きつけられて、自棄酒を煽った勢いで酔い潰れて1日大学へ行けず、時間的に無理だったからバイトもサボることにして、
近くのコンビニに遅い夕食を買いに向かった。
レジに向かうと先客が居て、もう一方のレジに並んで丁度隣り合わせになったところで、先客、つまり晶子が驚きの声を挙げた。
 他人の空似か何かだろうと思って金を払ってその足で本屋に向かい、何時も買っている雑誌−今は大学の生協で買っている−を見つけてレジで支払いを済ませて
店を出たところで、また晶子と出くわした。
一度ならず二度も顔を見て驚かれたことに立腹して、俺が怒鳴りつけてその場を後にした。
これが出逢いの記憶。お世辞にも美しいとは言えない状況だが、今の晶子との関係はそこから始まったことには違いない。

「−出逢った日はこんなところ。」
「・・・それが晶子さんとの出逢いなのか?」
「嘘は言ってないぞ。」
「念のため聞きますけど、晶子さん、本当ですか?」
「はい。祐司さんが言ったとおりです。」
「普通なら、それっきりで終わっても不思議じゃないな。」
「まったくだ。」
「同感。」
「レディに対する接し方がなってないぞ?祐司。」

 まあ、そう言われても無理はない。智一にも言われたっけ。あれだけの美人を袖にするとは勿体無い、って。
今思うと、本当にあの頃は心がささくれ立っていたと思う。だからと言って、あんな突き飛ばすような接し方は良くなかったとも思う。
耕次の台詞じゃないが、あれでそれっきりにならなかったのは不思議だ。晶子の執念−勿論良い意味で−の成せる業と言うべきか。

「あの頃祐司さんは、優子さんにいきなり一方的に最後通牒を突きつけられた直後だったんですから、仕方ないですよ。」
「運が良かったな、祐司。」
「俺もそう思う。」
「そんな味も素っ気もない出逢いが、結婚指輪を填めさせるまでに至ったのが不思議でならない。ちなみにその指輪、何か特徴はあるのか?」
「裏側に刻印がある。俺のは『from Masako to Yuhji』で、晶子のは『from Yuhji to Masako』ってな。」
「論より証拠。見せてもらおうか。」

 耕次の言うとおりかな。俺は指輪を外して、晶子が外したそれと併せて差し出す。まず耕次から見て、勝平、渉、宏一が確認する。

「ふむふむ。確かに刻印があるな。記念の品にはピッタリだ。」
「綺麗なイタリック体だな。味わい深くて良い。」
「光り方が随分柔らかいな。貴金属って感じがしない。」
「オウ。ファッションセンス皆無で有名だった祐司が贈ったとは思えないナイスな代物じゃねえか。」

 それぞれの評価が終わり、指輪が返される。俺と晶子は元の位置、言うまでもなく左手薬指に戻す。
居酒屋での女4人組と違って宝石がどうこう言わずに好評だったのは嬉しい。

「その指輪は晶子さんの誕生日に贈った、って聞いてるが、どうしてまた指輪にしたんだ?」
「付き合い始めて初めて迎える晶子の誕生日、ってことで何を贈ろうか、って色々考えた。服とかだとサイズ知らないし、俺のファッションセンスじゃ
ろくなものにならないだろう、ってことでパス。バッグとかそういうものもよく知らないしな。それに、甲斐性のないこと言うけど、俺の経済状況じゃ
何万もするプレゼントは贈れないし、無理に買って贈ったとしても晶子は喜ばないと思ったんだ。」
「「「「「・・・。」」」」」
「残る選択肢は指輪とかのアクセサリーになったんだけど、何か心に残るものを、って思ってペアリングにしたんだ。俺が填めるやつには『晶子から祐司へ』ってことで
『from Masako to Yuhji』、晶子に填めてもらうやつには俺から晶子へってことで『from Yuhji to Masako』って刻印してもらった。俺もだけど晶子は利き手が右だから、
包丁使ったりするのに邪魔になると思って左手中指を想定して買った。・・・こんなところ。」
「ほう。でも、結局は結婚指輪として晶子さんの左手薬指に填めて、自分も填めた、というわけか。」
「ああ。」
「じゃあ指輪を贈られた晶子さんに伺います。指輪をプレゼントされるってことは知ってましたか?そういう予兆とかも含めて。」
「いえ、全然知りませんでした。私の誕生日の前に、祐司さんが連日何か真剣に考え事をしてるな、とは思ってましたけど。」
「指輪だと分かってから、左手薬指に填めてもらおう、って思ったわけですか。」
「はい。」
「指輪の値段とかは知ってますか?」
「いえ、全然。聞くつもりもありませんし、聞くべき性質のものでもないとも思いますから。手入れの方法だけは指輪と併せて教えてもらいました。」
「良いこと言いますねー。」

 質問した耕次のみならず、面子は感心しきった様子だ。
しかし、耕次は晶子に対しては完全に丁寧語になってるな。とてもタメ口叩ける相手じゃないと思ったんだろうか。

「じゃあ祐司に戻すか。期間限定で晶子さんと同居してるって言ってたが、入籍に向けた下準備か?」
「そんなところだ。」
「食事とか洗濯とかは普段どうしてるんだ?」
「普段は俺が自分で土日にやってる。実験の都合で夜遅い月曜は最近、夕飯作って待っててくれてる。」
「昼飯は作ってもらってないのか?」
「晶子だって講義とかレポートとかがあるんだ。余計な負担かけさせられない。」
「と祐司は言ってますが、晶子さんとしてはどうですか?」
「私も講義やレポートがありますけど、祐司さんと比べれば圧倒的に楽ですし、言ってくれれば即実行するつもりです。」

 晶子の言葉や表情に、躊躇いとか誇張とかそんなものは一切ない。
それこそ例えば俺がバイトの帰りにでも「明日から弁当作ってくれないか」と頼んだら、翌日から俺は昼飯のために生協の食堂の長い列に並ばなくても良くなるんだろう。

「俺からも質問。居酒屋で宏一が引っ掛けた女性4人組が晶子さんの将来設計を聞いて、主体性がないとかジェンダー思想そのものの発想とか色々言ってましたが、
祐司の食事を作ったりすることに抵抗感はないんですか?」
「全然ありません。それより、難しいレポートに毎日取り組んで、バイトで使う曲のデータを私の分まで作ってくれているんですから、祐司さんが苦手な
食事の用意とかそういうのを私がしたいです。」
「世間一般では夫婦の家事分担がある意味強制されつつありますが、それも踏まえて祐司との生活に臨む見解をどうぞ。」
「共働きでも色々な生活パターンがありますし、夫婦だからといって必ずしも家事を分担する必要はないと思います。一見共働きのように見えて実は夫の収入で
豪遊する女性だって居ますし、妻も一般の男性のように働いていて、子どもは実家の両親に預けているという夫婦もあります。こういう例は挙げれば切りがありませんが、
何れにせよ、私と祐司さんとの生活においては私が得意な家事に比重を高めて、祐司さんが安心して働けるようにしたいと思っています。その過程なりで
祐司さんが料理を覚えたりするのであれば、勿論私は教えます。相互補完して共同生活をするのが夫婦だと私は思います。」
「非常に明快な回答、ありがとうございます。」

 質問した渉は小さく頭を下げる。耕次も勝平も宏一も感心しきっている様子だ。
隣で聞いていた俺も思わず納得する。出来ることをして助け合って生活する。簡単なようで意外に難しくて、同時に大切なことだ。
 晶子はしっかりした考えを持っている。その考えを基盤にした将来設計と夢を伴った気持ちを受け止めた俺は、尚のことしっかりしないといけない。
気持ちを重荷に感じたり、間違っても負けて押し潰されるようなことはあってはならない。それが耕次も以前言っていたとおり、晶子に対する俺の責任だ。

「話は変わりますが、バイトではどういう仕事をしてるんですか?」
「最初は料理を担当しているマスターの奥さんのお手伝いをしつつ接客、という状態でしたが、最近は料理を任される割合が多くなっていますね。」
「男性客から言い寄られた経験はありますか?」
「表立っては殆どありませんけど、祐司さんと私とで態度が違うお客さんは少し居ます。」
「祐司にその結婚指輪を填めてもらって以来、どうですか?」
「私と同じ指輪を填めているっていうことで、祐司さんに対する視線が鋭いものに変わったお客さんは居ます。」
「あ、やっぱり。」

 質問した耕次が納得するまでもない。
俺が晶子に指輪を填めた日の翌日、店によく来る男子中高生が接客に来た晶子の指輪を目ざとく見つけて、晶子がそいつらの正直に答えたもんだから、
その直後から同じ指輪を填めている俺に対する視線が急激に殺気立ったものに変貌した。今でもそれは続いていたりするから、俺はかなりやり辛い。
 晶子に責任はないのは百も承知だし、中高生にしてみれば、目をつけていた女性と同じバイトの男が左手薬指に指輪を填めさせたんだから、こいつよくも、という
気持ちはあるだろう。智一だって、俺と晶子が指輪を左手薬指に填めたと知って半ば錯乱したし。

「じゃあ、祐司に戻るか。祐司は晶子さんに結婚指輪を填めさせたってことを、大学で言ってるのか?」
「つい最近までは表立って言ってなかった。」
「その理由は?」
「他人の恋愛話を聞かされることが嫌な人も居るだろうし、そうでなくてもその手の話はプライベートに属することだから、尋ねられない限り話すつもりはない。
念のため言っておくけど、晶子と付き合ってるのが恥ずかしいとか後ろめたいとか、そういう気持ちは一切ない。」
「なるほど。さっき『つい最近までは』って言ったが、どうして公言したんだ?」
「月曜は実験なんだけど、その日晶子に、俺が生協で購読してる雑誌が発売日だから代わりに引き取ってくれ、って頼んだんだ。俺と晶子が通う新京大学は
文系学部と理系学部の各エリアに生協の建物があって、誰かの代わりに品物を受け取る時は、依頼をした人が居る学部学科のエリアの生協の店舗で組合員証を
提示する、っていう決まりがあるんだ。晶子は文学部で俺は工学部だから、晶子には理系学部エリアの生協に来てもらうことになるんだが、その日の朝、
組合員証を貸した。」
「「「「「・・・。」」」」」
「その時俺は実験の真っ最中だったから居合わせなかったんだけど、晶子が生協の店舗に来たのは丁度昼休みで、生協の店舗はひと騒動になったらしいんだ。
化学とか情報とかは割と女の比率が高いけど、全体から見れば少数派には違いないし、見てのとおり人目を惹くには十分だからそうなったんだろうけど。」
「「「「「・・・。」」」」」
「その場に俺と同じ実験グループの友人が居たからやり取りが始まって、別の奴が俺の彼女かって尋ねて、晶子が『彼女でもありますけど妻でもあります』って
答えてから証拠として指輪を見せたんだ。その直後実験室に居た俺のところに確認しに殺到したから、指輪と皆に送った俺と晶子の写真を見せて−定期入れに
入れてるんだけど、晶子の答えを裏付けた。こんな流れだ。」
「自分から積極的に話すつもりはないが、言う時は言う、ってわけか。良い心構えだ。」

 耕次は小さい笑みを浮かべる。俺自身良く出来たと思える立ち居振る舞いを知って、その心意気やよし、と思ったんだろう。

「芸能記者−記者と表現すべきかどうかは兎も角、そういう連中のように他人の色恋話を聞きたがる奴も居れば、毛嫌いする奴も居るから、普段自分から
積極的に話さないのは賢明だ。後者は言うまでもないが、前者は敏感な好奇心を煽り立ててしまうだけだ。一方で必要に迫られたら言うってのは、自分の気持ちを
明確に表現することでもあるし、自分の気持ちを確認することでもある。その姿勢を堅持することだな。」

 耕次の言葉の裏にもう一つの意味を感じる。晶子の回答を裏付けることを言った以上は最後まで責任を持て、と。
俺もあの時そのつもりで言った。その前の写真披露会では自慢話になると思って適当にはぐらかしていたが、あの時は言うべきときだと思った。
自分の行く末に気をとられて、自らを追い込んでまでの切実な晶子の気持ちを無にしないよう自分を叱咤するためにも。

「話はころっと変わるが、携帯を見せてもらおうか。同じ会社のやつだろ?」
「ああ。ちょっと待ってくれ。」

 俺は席を立って、箪笥の中に仕舞っておいたコートに入れておいた携帯を取り出す。
晶子も自分のコートから携帯を取り出し、揃って元の席に戻って携帯を机の上に並べる。改めて見ると、本当にどちらが誰のものか区別が出来ないな。
 耕次が俺の携帯を手にとって広げる。
待ち受け画面は子犬の写真なんだが、吹き出すこともなく、しげしげと観察する。横から犇(ひしめ)くように面子が覗き込んでいるが、こちらも笑ったりすることはない。

「PAC910ASか。かなり最近なんだな、買ったのは。」
「実験が無闇に遅くなって来たし、公衆電話は大学の中でも限られたところにしかないのもある。」

 ここで、携帯を買った大きな原因は話さない。
もう智一の従妹でもある吉弘とは和解出来たし、そうでなくても「実はこういう事情があってさぁ」という愚痴めいた接頭語をつけて話したくない。

「これを売ってるところって、ファミリープランで有名だよな。」
「知ってるのか?勝平。」
「俺の携帯もここのやつでな。買った時に隣で、婚約したっていうカップルがサービスの紹介受けてたんだ。何でも契約するには、入籍してなくても後で
戸籍謄本の写しとかを提出すれば良いし、金融機関が夫婦別でも一向に構わないとか、聞いててかなり柔軟なサービスだと思った記憶がある。」
「そのとおり。おかげで携帯の料金は随分安く上がってる。まあ、毎日何時間も電話するわけじゃないし、『今から迎えに行く』とか『今から帰る』とかいう
業務連絡みたいなものはメールを使ってるのもあるだろうけど。」

 買ってまだ3ヶ月も経ってないが、携帯の毎月の使用料は今のところずっと契約した時の基本料金で収まっている。
携帯を買う頃から一緒に大学を行き来してることもあって、通話に使うことはあまりない。
メールのやり取りにしても業務連絡的な、しかもテンプレートにでも出来そうな短いものが殆どだから、携帯の料金でネックになるパケット量があまり
かさまないからだろう。増えたバイト代の大半は手付かずのままだったりする。

「着メロとかはどうしてる?」
「俺が直接入力して作った。」

 耕次の問いに答えると、面子は揃って驚いた様子で目を見開く。

「携帯サイトとかでダウンロードしなかったのか?」
「俺と晶子の連絡手段として買ったものだから、ってことで作ったんだ。晶子も欲しがってたし。」
「おうおう、さり気なく惚気てくれるな。」

 ニヤッと笑った耕次に続いて、面子が冷やかしの歓声を向ける。
しまった・・・。俺は着信音を自作することにした経緯そのものを話しただけのつもりだったんだが、他人には惚気に取られたらしい。
こういうのがあるから自分から晶子との付き合いを積極的に話さない。自分と他人の感覚は違うと考えるのがむしろ普通だ。

「さて、祐司自作の着メロを実際聞かせてもらうか。」

 耕次が差し出した携帯を受け取り、キーを操作して着信音再生のメニューから、まず電話の着信音を選択して再生する。
俺がアレンジした「Fly me to the moon」のギターソロバージョンに全員が聞き入る。ワンフレーズ鳴らしたところで再生を止める。

「ギターソロか。祐司らしいといえばらしいな。」
「曲は・・・何だ?聞いたことないな。」
「『Fly me to the moon』っていう、ジャズのスタンダードナンバーの1つだ。それをギターソロにアレンジして作った。」

 耕次の感想に続く渉の問いに俺が答える。

「着メロとしては大人しい感じもするが、普通に聞いてても耳障りにならないから、丁度良いかもな。」
「電話のコール音で驚きたくないしな。」
「その点からすると、的確な選択と言えるな。晶子さんはどうです?」
「凄く気に入ってます。この携帯の着信音がきっかけで、原曲のCDを買った娘(こ)も居るんですよ。綺麗でお洒落な着信音だ、って評判なんです。」
「着メロとしては異色だが、十分合格点だな。次はメールの着メロを聞かせてもらおうか。」

 俺はキーを操作して、メールの着信音を鳴らす。原曲をほぼそのまま再現した「明日に架ける橋」。これもワンフレーズ流したところで再生を止める。

「これは・・・『明日に架ける橋』か。これも着メロとしては控えめだが、雰囲気も出来栄えも合格点だな。」
「しかし、さっきの『Fly me to the moon』もそうだし『明日に架ける橋』もそうだが、自作とは思えないほど凝ってるな。その分愛着は沸くだろうが、かなり時間が
かかったんじゃないか?携帯だとキーが圧倒的に少ないし、キーボードをパラパラ弾いて後でシーケンサソフトでエディトするっていう手段が通用しないし。」
「確かに入力は面倒だったけど、完成して晶子に気に入ってもらえたから何よりだ。携帯サイトからダウンロードすれば直ぐだけど、二人共通の連絡手段として、
何か特徴が欲しかったっていうのもある。」
「オリジナリティを追求する姿勢は十分評価に値する。大事にしろよ?」

 耕次の評価に続く勝平の質問に答え、耕次から改めて高評価を受ける。
完成まで随分時間がかかったし携帯の機能故の苦労も多々あったが、こうして自慢出来るアイテムの一つになったんだから、それらも良き思い出になっている。
 最後の念押しには、もう一つの意味が篭っていると思う。
見た目本当に区別かつかない携帯のもう1人の持ち主を大事にしろ、という意味。どちらにも了承したつもりで俺は首を縦に振る。

「ストラップもお揃いか。これだとシャッフルしたらどっちが誰のものか分からなくなるな。」
「そうなっても別に困ることはないと思う。アドレス帳には晶子関係とバイト関係と、念のため実家の番号を登録してあるだけだし。あ、今日のやり取りで
渉の分が増えたけど。」
「晶子さんもですか?」
「はい。私もアドレス帳に登録してあるのは祐司さんの番号とバイト関係だけですし、取り違えても祐司さんの自宅の電話も携帯も番号を憶えてますから、
支障はありません。」
「完全に2人のコミュニケーションツールになってるな。まあ、携帯の使用方式に義務規定なんてないし、迷惑にならない限りどう使おうが自由だから、
それはそれで良いか。」
「購入目的が2人の連絡手段なんだから、利用対象限定なのはむしろ良いことなんじゃないか?」
「それは言えてる。」

 渉の言葉に耕次は納得したような様子だ。
このやり取りで、晶子がアドレス帳に俺とバイト関係以外は登録していないことが分かった。
晶子は嘘を吐くような人間じゃないし、改めて俺とのコミュニケーションの道具として使っていることが分かってほっとする。

「どちらかの実家に相手を連れて行ったことはあるのか?」

 耕次はいきなり深く突っ込んだ質問を投げかけて来た。食べ物か飲み物を口にしていたら、間違いなく噴出していたところだ。

「いや・・・、まだない。1年の年越しは俺の自宅だったし、去年は俺が帰省したけど、その時晶子は連れて行かなかったからな。で、今年はこうして此処に居る、と。」
「親には言ってあるのか?晶子さんのこと。」
「帰省した時に話した。晶子から毎日決まった時間に電話がかかって来ることになってたから、予め話しておかないと、妙な勧誘電話とか怪しまれたりする可能性が、
あるし後ろめたい付き合いじゃないからな。」
「じゃあ、祐司の親は知ってるわけか。印象とかは?」
「好感度は凄く高い。晶子からの電話は殆ど親が取り次いだんだけど、父さんは今度は連れて来い、って言ってたし、父さんも母さんも連れて来れば
良かったのに、とか言ってた。」
「それの鸚鵡(おうむ)返しになるが、晶子さんを連れて行けば良かったんじゃないか?」
「去年帰省したのは皆との約束を守るためで、実家に帰ったのはそのついでだったからな。」
「晶子さんは一緒に行きたかったんじゃないですか?」
「祐司さんと、お父様とお母様のやり取りは少しですけど聞こえたので、歓迎されると分かっていたら連れて行ってもらえば良かった、とは思います。
でも、先のことなんて分かりませんし、祐司さんのご両親も、帰省した子どもがいきなり見ず知らずの女性を連れて来たら凄くびっくりされたでしょうし、
祐司さんが説明したり、ご両親が話を飲み込まれるのが大変でしたでしょうから。」
「俺達は高校時代にバンド組んでたこともあって相手の家や親の顔は大体知ってるんですけど、祐司の親はかなり厳しいんですよ。祐司が事前に説明してあったとは
言っても電話が初対面で好印象を持たれた、ってのは相当なもんだと思いますね。」

 俺の両親は勉強とかにはあまり口喧しくないが、挨拶とかそういうことに関してはそこまで必要ないだろう、と思うほどやたらと厳しい。
耕次達を最初に家に呼んだ時、宏一が「はじめまして」の挨拶を怠ったことで、俺は後でこっぴどく怒られたし、宏一が俺の両親の信頼というかそういうものを
得るまでにかなりの時間を要した。宮城が母さんに快く思われてなかったのも同じような流れだ。
 その点で言えば、晶子は合格点どころか満点だ。
父さんも母さんも、俺が晶子と付き合っていると話した時は幾分訝っていたが、晶子との電話の後で株価が急上昇した。
特に母さんがこの年末年始に帰省を迫ったのは、俺の進路を話し合うことは勿論だが、一度晶子と会いたい、という気持ちもあるようだ。
電話口で今でも晶子と付き合ってることを確認することも何度かあったし、一度連れて来なさい、と直球を投げつけられたこともある。

「対する晶子さんは、祐司と付き合ってるってことを親に言ってあるんですか?」
「はい。伝えています。」
「祐司みたいに、連れて来いとか言われたことはありますか?」
「言われてことはあります。今のところ実家に戻るつもりはありませんから、それを理由に断っています。」

 やっぱり晶子は余程のことがない限りは実家に帰るつもりはないようだ。
俺があれこれ言う性質のものじゃないが、前に実家からの電話で激怒して電話を叩ききったことを思うと、ちょっと気になる。

「双方やましいと思うこともなく、順調に付き合っているってことか。去年祐司が帰省したのが俺達との約束を守るためで、その間に電話をしたいって理由が
あったとは言え、祐司が親にもきちんと話してあるのは良いことだな。後ろめたいと思ってると相手の前でも態度や言葉の端々に出たりするもんだから。」
「指輪も携帯もこの目で見たことだし、俺達がすることと言えば、2人が入籍して一緒に暮らすのを待つくらいか。」
「そうだな。」
「否!肝心なことを聞いてないぜ。」

 耕次、勝平、渉の順でこの尋問が終結の様相を呈したところで、いきなり宏一が異議を唱える。

「何だ?宏一。肝心なことって。」
「週何回・・・」

 宏一の質問は言い終わる前に耕次に遮断される。後頭部を力いっぱいひっぱたく形で。

「痛いぜ・・・。」
「馬鹿か、お前は。それは今回の尋問の性質にそぐわない。祐司単独ならまだしも、レディが居ることを忘れるな。」
「へーい。了解ー。」

 そうは言うものの、宏一は不承不承という様子だ。
まあ、気持は分からなくもない。俺自身、大学で晶子と撮った写真のお披露目となった時、その手の質問を結構受けたからな。
しかし、宏一を捻じ伏せた耕次の言葉もちょっと気になる。祐司単独なら、ってことは後で俺を何処かに呼び寄せて聞き出す腹積もりなんだろうか。
・・・深読みしすぎか?

「これにて終了。良い話を聞かせてもらった。」

 耕次が終了を宣言して立ち上がると、面子が続いて席を立ってドアへ向かう。俺と晶子も立って面子を見送る。

「長居したな。朝飯は7時から9時までだし、俺達とは別行動だから、ゆっくりでも良いぞ。」
「チェックアウトは何時だ?」
「確か10時だ。」

 俺の問いに、宿を手配した勝平が答える。
大抵の宿は昼食がないし、チェックアウトの時間より長く居ると仲居さんに迷惑がかかるから、最低限その時間は守らないといけない。

「分かった。」
「じゃあ、また明日。」
「お休み。」
「お休みなさい。」

 俺と晶子が見送る中、面子は二手に分かれて部屋に入る。
俺はドアを閉めて鍵をかけ、念のためにドアチェーンをかけて部屋に戻る。一時の賑やかさが過ぎた部屋には、当然だが俺と晶子しか居ない。
 年季が入った部屋の柱時計を見ると午後11時過ぎ。普段の生活からすれば早い時間だが、バイトが休みの時期はこのくらいの時間に寝る。昨日もそうだった。
此処での生活では、普段の多忙さとは勿論ギターとも隔絶される。静かな時間だけが緩やかに流れていく。

「寝ようか。」
「はい。」

 俺は部屋を照らす電灯の紐を引っ張って消す。一転して暗闇に包まれた部屋は、静けさをより演出する。
俺と晶子は、並べられた布団に入る。ちょっと薄めの布団だが、部屋は暖房が効いているからこれくらいで良い。

「明日は、地元の子ども達と雪合戦ですね。」

 隣の布団が動いて、晶子が俺の布団に入って来る。俺は身体半分ほど横にずらして受け入れる。
晶子が俺に乗りかかって見詰める。長い髪が背中や肩から溢れて、先の方が俺に乗っている。

「こういう機会ってなかなかないですから、楽しみです。」
「まさか、こんな形で雪合戦が出来ることになるとは思わなかったけど、こういうハプニングは良いよな。」
「厄除けの意味もある、って言ってましたから、この町では子ども達にとって遊びであると同時にお祭りでもあるんですよ。そういう行事に飛び入りで参加させて
もらえるなんて、そうそうないことですよ。」
「今日話した分では気の良い子達だったから、楽しめそうだな。」

 俺は晶子の頬に右手を添える。晶子は愛しげな微笑を浮かべて頬擦りをする。

「皆さん、壁に耳を当てたりしてるんでしょうか。」
「だろうな。宏一が最後に言いかけたし、誰しも少なからず興味はあると思う。俺と晶子の部屋が真ん中なのも、多分面子の策略だよ。悪戯好きが揃ってるから。」
「そういうのを聞いて、面白いんでしょうか。私はいまいち理解出来ないんですけど。」
「面白いって言うか・・・興味が沸くんだよ。男と女の性欲の方向性の違いかもしれない。」
「祐司さんは、他の女の人の裸やセックスを見たいと思いますか?」

 いきなりのストレートな質問に、俺は答えあぐむ。
改めて思い起こしてみると、宮城と付き合っていた頃は宮城のことしか頭になかった。その宮城から何となく前兆は感じていたとは言え突然の最後通牒を
突きつけられた後遺症は長く続いて、その直後出逢った晶子にも何ら関心は持てなかった。
 やがて気持ちが固まって付き合い始めてからも、無意識のうちにかなり進展を警戒していたように思う。
去年の俺の誕生日に始めて晶子を抱いたが、その時もかなり戸惑ったし迷った。
宮城との付き合いで、男がセックスにある種ロマンチックなものを抱いていても、女は必ずしもそうとは限らない、「好き」という気持ちがなくなれば
過去の「経験」の有無を問わず自ら手を引くものだと思い知らされたから、そうなることを恐れたからだ。
 それから何度か晶子を抱いたが、週何回とか定期的なものじゃない。
その間どうしているかと言えば、多忙にかまけて都合良く忘れていることもあるし、晶子を抱いた時のことを思い描いて処理したりしている。

「・・・まったく見たくない、って言えば嘘になる。」
「・・・。」
「だけど、今は晶子で十分過ぎるほど満足してる。だから晶子以外の女を見ようとは思わない。」

 流石に大学の生協の店舗には置いてないが、自宅近くの本屋には入り口程近いところにグラビアアイドルの−アイドルとは言えないのも中にはあるが−
写真集が陳列されている。今はあまり行かないし、そういうのを手に取って見たことはないが、表紙を見てつい晶子と比較してしまうことがある。
 「男と女とでは恋愛の基盤が違う」と、何処かで見たことがある。
男はより多くの子孫を残すために、女はより優秀な子孫を残すために相手を見定めるから、男は所謂グラマーな女を求めて、女は社会的地位や裕福な男を
求める、と言う。第一次欲求が恋愛という感情や結婚というイベントに関係しているから、動物より話がはるかにややこしい。
 俺は黒一色の中に現れた晶子という存在に、その時々の態度や接し方は別として、無意識のうちに集中していたから、他の女に目移りすることはなかった。
専門講義の比重が高くなり、文系エリアに行くことが減って尚更、晶子への「一極集中」が強まったように思う。
今日の飲み会にしても相手を見て、結構美人だな、とは思った。それも無意識のうちに晶子と比較して生じた推論かもしれない。

「そういう晶子は、俺以外の男を見て・・・俺と比較したりしてるか?」
「・・・自分ではしていないつもりでも、何時の間にかしているかもしれません。この男性(ひと)は祐司さんより背が高いな、とか。」
「・・・。」
「でもそれで、祐司さんへの気持ちが揺らいだとか、そういうことはないです。」
「それは俺も同じだよ。」

 納得したのか、晶子は微笑む。
男から見て女、女から見て男はこの世に俺からすれば晶子だけ、晶子からすれば俺だけじゃない。無意識のうちに比較してしまうことだってある。
でも、それで心変わりしないならそれで良い。俺はそう思う。
 晶子は身を沈めて俺に覆い被さる。俺は晶子を抱き締める。
掛け布団とは重みも感触も全く違う柔らかさを持つ、愛しいものを。抱き心地の良さに浸って目を閉じる。
呼吸が鎮まっていくのが自分でも分かる。こういうのを幸せに浸る、って言うんだろうな・・・。

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