雨上がりの午後

Chapter 158 聖夜のハーモニー−3−

written by Moonstone


 ステージ脇に下がる晶子が前を横切り、キーボードに向かう潤子さんと入れ替わる形で俺が前に出る。
「PAPILLON」は「UNITED SOUL」と同じくギターが大部分を占める曲。そう時間は経っていない筈だが、前に出るのは何だか久しぶりのような気がするな。
 客の賑わいが沈静化したのを受けて、バスドラムとスネアによる3拍のフィルが入る。これは俺が付け足したもの。続いて原曲のイントロが始まる。
この曲は主に6/4で構成されている、変拍子の曲だ。
聞き慣れない拍子で戸惑っているのか、客の手拍子がばらつく。
マスターが両手を高く上げて−高校時代の耕次を思い出す−2拍3拍で手拍子をすると、次第に足並みが揃ってくる。
 手拍子がどうにか纏まったところでタイミング良く−狙って出来るものじゃないが−俺がメロディを奏でる。
ちなみにデータを作ったのは俺だったりする。ギターがメインだというのもあるし、変拍子故の一風変わった雰囲気が結構気に入っているからだ。
 タムが混じるドラムを−この時点で変則的だ−はじめとする楽器を背景に、オーバードライブを効かせた音色でメロディを綴る。
アルペジオの変形みたいなメロディは、ふわふわ漂っているような印象を与える。
マスターは手拍子を続けている。この「案内」がないと、普段4/4拍子に馴染んでいる人には難しいだろう。
この曲が今までお蔵入りになっていたのも止むを得まい。
 Aメロ→A'→Aメロと移り、Bメロで雰囲気が変わる。
ドラムはデータ作りをさせまいとしているようにしか思えない動きを−PCのシーケンサソフトでコピー&ペーストさせておしまいと出来ない−する一方、
自分のギターはそれほど動かない。ここはCメロへの繋ぎという意味合いが濃いからな。
 ロータムとスネアの重い連打に続いてCメロ。ここで拍子が6/4から2/3に変わる。
数式だと約分しただけだが、拍子は聞いた感じ、速いテンポの4/4に聞こえるほどがらりと変わる。
それまで6/4がようやく馴染んできたところにこれだから、混乱するだろう。
一方、ギターの動きは此処でもあまりなかったりする。オーバードライブによる音の伸びを重視した格好か。
 そしてDメロ。ここでまた6/4に戻る。此処でもドラムがプログラマー泣かせの動きをする一方、ギターはあまり動かない。
音色が音色だけに歌っている感じだ。Aメロに戻る直前のギター単独となる部分のフレーズで、歌う感じを強調する。
簡単だが、ギターだけになるからその分インパクトは強い。
 Aメロに戻り、スネアのティンバレス(註:甲高い音成分を加える打楽器の奏法の一つ。サザエさんのED曲の最後にある「コン!」という感じの音がそれ)を
加えたフィルが入って、この曲最大の見せ場、ギターソロに入る。

 2小節だけだがいきなり転調する。オーバードライブとギター故のアームダウンによる急速且つ滑らかな音程降下を混ぜてやると、面白みが増す。
フレーズもやや複雑になるが、俺にとってはさほど難度は高くない。「聞かせる」ことに集中出来る。
 早いフレーズがゆっくり降下していき、今度は上昇に転じる。ふわふわと気紛れに漂う感じだ。
そして2小節だけの転調。今度はフレーズが細かい。
シンバルワーク中心のドラムを背景に、ライトハンド(註:通常弦を弾く右手をフレットに移して行うギターの奏法の一つ。早弾きによく使われる)で
細かく徐々に下降していくフレーズを弾く。
錐(きり)揉みしながら降下していく感じのこの部分は、一部俺のアレンジを加えている。原曲では後半落ち着きを取り戻すところをあえて細かくした。
この方が面白いと思ったからだ。
 降下して落ち着きを取り戻したと思わせておいて、1小節分、俺がアレンジした細かいフレーズを爪弾く。
そして今度こそ落ち着きを取り戻す。ロータムとスネアを同時に叩く重みのある音が鳴り響き、ギターソロの終焉を告げる。
 Bメロに戻る。1回目よりシンバルワークの比重を増したドラム−ドラマー泣かせだと思うしプログラマー泣かせでもある−を背景に、軽やかに「歌う」。
以降のフレーズは1回目と同じだ。アームを効かせて音の揺らぎを増すと、1回目のコピー&ペーストじゃないとよく分かる。
 Aメロに戻ると、ギターからサックスに移る。
ここでもドラムはコピー&ペーストを許してくれない。俺はたまに合いの手のようにフレーズを入れる程度で、複雑なドラムとサックスの絡みが見せ場だ。
サックスソロは16小節で終わり、ドラムもクラッシュシンバルであっさり終わる。

 客から拍手が起こる中、マスターがサックスをソプラノに、俺はギターのエフェクトをオーバードライブからディストーションに換える。
マスターと俺の準備が整ったところで、ドラムが頭1つくらい出る。
バスドラムとスネアそれぞれ一発だけの簡単なものだが、これが次の曲「PRIME」の開始を告げる。
 ハーフオープンのハイハットを交えた典型的なロック調のリズムと共に、ギターを演奏する。
「PAPILLON」が非常にテクニカルな曲なのに対し−それがお蔵入りの原因になったんだが−、「PRIME」は分かりやすいロック調のナンバーだ。
客の手拍子も「案内」なしで直ぐ揃う。ちなみに、これも「PAPILLON」と作曲者は同じだったりする。
 ドラムの細かいフィルを挟んで、メロディが入る。原曲ではLyricon(註:EWIと同じウィンドシンセサイザー。メーカーはAKAI Professionalではない(筈))
なんだが、此処ではマスターがサックスプレイヤーということで−EWIを持ってないというのもある−ソプラノサックスでの演奏だ。
途中シンセブラスが入るが、これは潤子さんによるもの。
 ドラムのハイハットがライドシンバルに代わり、曲はじわじわと盛り上がってくる。
そしてキメの部分。全体的にコードが徐々に下降していく感じのところに、ストリングスに似た倍音成分の多いシンセブラスの細かいフレーズが入る。
これも潤子さんの手によるものだ。
シーケンサに頼りたくなるところをいともあっさり弾いてのけたことに驚かされた覚えがある。シーケンサはドラムとベースでしか使っていない。
 そしてサビ。ドラムのライドシンバルがハーフオープンのハイハットになり、分かりやすいメロディが高らかに奏でられる。
バッキングを担っている俺は、高校時代のライブ演奏を思い出す。
 サビが終わると、曲の雰囲気が沈静化する。全体的に白玉中心で、ハイハットが4分音符でテンポをキープする。
ソプラノサックスが緩やかなメロディを奏でる。そして1小節単位の下降コードを2小節挟んで、ソプラノサックス以外の全ての楽器−勿論俺も含む−が
一斉に16分音符でのフレーズを突っ込む。短いが、この曲で最も難度が高いところだ。

 無事乗り切って、イントロに戻る。8小節の最後でスネアだけのフィルが入る。
これに続くはギターソロ。俺は音量を上げてステージ前方に出る。
「ギターのくせに大人し過ぎる」と高校時代よく言われたことを思い出し、客にアピールする目的もある。
 前半8小節は、2小節単位で2つのコードが交代する。フレーズは細かいしテンポは早いが、特別トリッキーな部分はない。
曲調も踏まえて客へのアピールを重視する。
最初はギターを水平にして、後半8小節の最初に駆け上がるフレーズでギターを垂直に近付けたり、その次の下降フレーズでは水平に傾けていったり、と。
フレーズに合わせた動きを組み入れることで、「見せる」要素が増す。練習でもこちらを優先した。
 ピアノの下降グリス(註:鍵盤の音程の高い方から低い方へ素早く手を滑らせる奏法)を合図に、ロック調のこの曲の雰囲気が最高潮に達する。
ドラムが複雑なフレーズを叩く中、ギターはアームを派手に動かす。音程に合わせてギターを水平にしたり垂直に近づけるということも忘れない。
 ドラムの音には例外なくパン(註:音の左右どちらから鳴るか(定位(じょうい)の設定。手持ちのCDなどをヘッドフォンで聞くと、ギターは右側から、
シンバルは左側からなど、大抵は楽器(或いは音色)毎に聞こえる位置が違う筈)を設定しているが、タムは4つある音程が高い方から低い方へ一番左から
一番右で割り振ってある。だからステージからではあまりよく分からないが、客、特に中央より後ろの方だと迫力が増す筈だ。
最後はアームを派手に効かせて締める。客から大きな拍手と歓声が起こる。
 Aメロに戻るに併せて、俺は音量を下げてマスターに主役を譲る。
Bメロに入って曲が徐々に盛り上がって来るのは最初と同じだが、キメの部分で入るシンセブラスのフレーズは何と6連符。勿論潤子さんの手によるものだ。
R 俺がアレンジした時に書いた走り書きレベルの楽譜を渡したんだが、潤子さんはいともあっさりと弾いてみせた。このテンポで6連符は相当厳しい筈だけどな・・・。
 キメに続いてサビ。今度はソプラノサックスと先程絶妙なキメを見せたシンセブラスがユニゾンする。これは原曲にはない俺のアレンジだ。
良い感じで盛り上がりを続けて、イントロのフレーズに戻る。ギターは少し音量を上げて、嫌味にならない程度に存在感を高める。
 此処からソプラノサックスのソロだ。
ビブラートを存分に効かせてスフォルツァンドを取り入れたソロは、原曲とはまた違った雰囲気だ。
20小節は原曲と同じ流れ、最後の4小節はイントロからAメロへの繋ぎと同じ形で進める。ソプラノサックスはギターとユニゾンする。
 最後はBmの白玉を背景に、ソプラノサックスとドラムがロックっぽく派手に動き回って−此処のソプラノサックスはマスターにお任せしている−締める。
客から大きな拍手と歓声が起こる。本当に高校時代のライブを思い出すなぁ。

 マスターがステージ脇に下がる。次の曲「NAVIGATORS」は、ピアノではなくキーボードを弾く潤子さんと俺とのセッションという、マスター曰く
「開店以来初めての試み」で演奏する。
俺自身今までT-SQUAREの曲は幾つもレパートリーに加えて来たが、T-SQUAREと並んで日本のフュージョンの大御所であるCASIOPEAの曲を加えたのは初めてだ。
 きっかけは、レパートリーに加えるついでに自宅でのBGMにするCDを生協で探していた時だった。
偶々目に入った、否、今までも見ていただろうが気に留めなかった「CASIOPEA」の文字。名前は前から知っていたが、CDを買ったことはなかった。
 この店でバイトを始めてジャズやフュージョンに触れたきっかけがT-SQUAREの曲だったということもあって、それ以来CDを買ったりレパートリーに
加えたりする対象は、専らT-SQUAREの曲だった。
晶子が入って初めて倉木麻衣を知ったくらいだ。
元々趣味の手を広げる気がないから、そういう意味では視野が狭くなっていたように思う。
 何気なしに「聞いてみようかな」と思って買った、初めてのCASIOPEAのCDは「FULL COLORS」。
聞いてみて「これも凄い」と思った。T-SQUAREとはまた違うフュージョン、また違う音楽の世界があった。
 中でも一番気に入ったのが、今回曲目に加わった「NAVIGATORS」だ。
どうしてもキーボードが必要ということで、喜び勇んでレパートリーに加えたは良いものの、潤子さんが対象に加わる日曜限定になってしまった。
日曜に来るフュージョン好きな常連客がリクエスト権を得て、「前からCASIOPEAの曲が此処で聞きたかった」という理由もつけてリクエストされた。
 初めてのキーボードを弾く潤子さんとのステージ。潤子さんには予め教えておいたが、潤子さんはこれまたあっさりと弾きこなしてくれた。
今まで店ではピアノのイメージが先行していた潤子さんがキーボードを担当するということで、当然満員の−最近は毎日だが−店内は驚いたが、
それは直ぐに盛況へと変わった。
 そういう流れもあって、今回「NAVIGATORS」が曲目に加わった。
潤子さんがリクエスト対象に加わるのは日曜のみ。更にキーボードを弾くとなるとかなり限定されてくるし−幾ら気に入っても現状がレパートリーの
増加をそう簡単に許してくれない−、今日来た客の中には人伝に聞いて来た、という客も少なからず居る筈。
だとするとこれが、キーボードの潤子さんと俺とのステージを初めて見る機会になる可能性も十分ある。さて、聞いてもらうとするか。

 バスドラムとスネアによる1拍半のシンプルなフィルに続いて、ギター、シンセ、ベースが一斉に駆け出す。
この曲は弱起(註:曲の開始が1小節1拍目からはみ出すこと)だから、ドラムのフィルを追加して1小節になる。
それに加えてこの曲もサビから始まるから、潤子さんと呼吸を合わせないといけない。
 手拍子の中、Aメロに入る。ギターがメロディを担当し、シンセブラスが合いの手的に入るという形式だ。
この形式は俺が聞いた範囲での限りでは、CASIOPEAの曲ではよくあるものだ。
潤子さんがシンセを担当するということで、俺がデータを作ったのはドラムとベースだけ。
何分今までデータ作りで時間と手間を食われてきただけに、呆気なさすら感じた。
 シンプルということは、それだけ登場している音が良く目立つということ。
メロディを担当するギターは、バッキングでも目立つのに楽器が少ないこの曲では尚のこと目立つ。
Bメロに入ってもギターがメロディを担う。
前半8小節はAメロと同じくギターのメロディにシンセブラスが合いの手的に入る形式、後半8小節はふわふわした感じのパッドを背景にギターのメロディと
ピアノが絡むという形式だ。音色が少ないとは言えキーボードはかなり忙しいんだが、潤子さんに任せておけば安心だ。
 サビに戻る。オーバードライブを効かせたギターのメロディに、シンセブラスが華やかさを加える。
音色作りは俺がしたが−これもデータ作りと共に重要な仕事だ−、本物のブラスに近づけるために、キーボードのタッチでアタックが変わるようにしてある。
ピアノもそういう性質があるが、ピアノとキーボードではタッチが全然違う。違和感を感じると思うんだが、潤子さんは曲の軽快さを崩さない。
 そしていよいよシンセソロ。口笛に似た音色でのっけから細かいフレーズだが、潤子さんはそれこそ口笛を吹くようにすらすらと弾きこなしていく。
右手でソロ、左手はバッキング、しかもバッキングはベロシティでパッドとシンセブラスが切り替わるようにしてある。
 シンセ関係は一切合財潤子さんに任せる、ということを前提に音色をプログラムしたんだが、そういう音色を使いこなすには相当修練が必要な筈だ。
現に高校時代、キーボード担当の勝平が苦心していた。
潤子さんはステージに立つ回数が他の3人より圧倒的に少ない、しかもステージに立つ場合はピアノの方の比重が圧倒的に高いから条件的にはかなり不利。
なのに、どんな曲でもステージで披露する時はすらすらと弾きこなす。ただ上手いだけじゃなくて、曲に応じた情感をプラスすることも出来る。
何時練習しているのかは勿論、どういう経緯でお嬢様の「経歴」を捨ててマスターと結婚してこの店を開いたのか、是非とも知りたい。

 シンセソロのフレーズは、バッキングと呼吸を合わせつつ、ソロらしい細かいものから音の伸びを効かせたものまで様々だ。
シンセソロの音色はアフタータッチ(註:キーボードの鍵盤を押した(弾いた)後で鍵盤を押し込むこと)で音程が上がるようにプログラムしてあって、
それを使用する部分も難なく−聞いた限りだが−紡がれていく。
左手はベロシティに注意しないといけないし、右手はフレーズが細かかったり下手に鍵盤を押し込めないと来るから難しい筈なんだが・・・。
普段キーボード関係のプログラミングで何かと梃子摺ることが多い俺からすると、凄いと思うと同時に妬ましさのようなものも感じる。
 シンセブラスを従えた細かい駆け上がりフレーズでシンセソロは終わり、Bメロに戻る。
メロディは此処でもギター。大きな拍手が手拍子に戻り、良い雰囲気の中ギターを爪弾く。
基本的には最初と同じだが、後半で4小節の短いソロに繋げる。
ソロはBメロの最後のコードと盛り上がりを引き継いで次にバトンタッチする重要な繋ぎの位置を占める。
音のツブをはっきりさせてシンセブラスとのユニゾンで締める。・・・決まった。ピアノの下降グリスが大胆に流れ落ちる中、サビに戻る。
 此処からはラストまでサビの形式で進む。
まず2回サビのフレーズを辿る。そしてギターソロに入る。
キーボードはそのままだから、聞いている分にはサビを背景にしつつギターソロが流れる、という感じになる。
 ギターソロはそんなべらぼうに難度が高いわけじゃない。音のツブを際立たせることに重点を置いた演奏を心がける。
CASIOPEAの曲は、これも俺が聞いた範囲に限ってだが、オーバーダブ(註:オーバーダビングの略称。複数の楽器を別々に録音すること)をあまり使っていない。
言い換えれば、出来るだけ少ない楽器音での構成、というのがCASIOPEAの曲における基本形だ。
この曲もその基本形を踏まえているから尚のこと一つ一つの音が目立つ。
シンセブラスを背景に、軽快さを損なわないよう気をつけながら、楽しく演奏する。
 ギターソロを終えて、ギターもサビのフレーズに戻る。いよいよラストだ。
ただ同じことを繰り返すわけじゃない。最後の部分を1オクターブ上げる。
伸びる音の中細かいドラムのフィルが入り、最後のフレーズを高らかに奏でる。音を十分伸ばしてから消す。
続いていた手拍子が大きな拍手と歓声に変わる。

「お楽しみいただけましたでしょうか?」

 アルトサックスをぶら下げたマスターと晶子がステージに上がって来る。客はより一層大きな拍手と歓声で応える。

「この店で定番とも言える『energy flow』を今年はあえて組み入れず、曲目を刷新しました。中には今日初めて聞いた、という方もいらっしゃるでしょう。
興味を持たれましたら、次回ご来店の際にプレイメニューにありますCDの番号などをお控えいただき、量販店などでお買い求めいただきたいと思います。」

 マスターが言った「プレイメニュー」というのは、この店で演奏するレパートリーの一覧だ。
一覧だから「メニュー」と言っているものの、そこには作詞者、作曲者、出典CD名と番号、レコード会社名も付記してある。
此処で初めてJ-POP以外の曲を聞いて興味が湧いてCDを買った、という客もかなり居る。
勿論「NAVIGATORS」のように、前から知っていてプレイメニューに登場するのを待っていた、という客も居る。
 今年はあまり俺と晶子の分を新規追加出来なかったが、プレイメニューの総曲数は相当なものだ。
マスターと潤子さんが二人三脚で増やして来たものから、俺や晶子が加わって増やしたものまで様々だが、プレイメニューは俺のこの店での歴史とも言える。

「それではいよいよ最後となりました。4人揃っての演奏で『always』をお送りします。どうぞお聞きください!」

 2年連続で最後を飾って来た−厳密には去年は「fantasy」で締めたが−「COME AND GO WITH ME」に代わるのは「always」。
何かと先行き不透明な今のご時世、じっくり聞けて元気の出る曲を、ということで晶子が推した。
前からプレイメニューにあるが、今回はサックスも加わる言わば「豪華版」。
アレンジとプログラミングのベースは俺の手によるものだが−晶子のレパートリーだし−、今回の「豪華版」にするにあたってはマスターが手がけてくれた。
 そのマスターは勿論サックス。最初「always」にサックスをどう加えるんだ、と訝ってさえ居たんだが、実際に音合わせをして、ああなるほど、と思った。
目から鱗、と言うべきか。
「NAVIGATORS」をはじめとするCASIOPEAの件でもそうだが、どうも俺は視野が狭くなる、否、狭くする傾向にあるようだ。
 タムを加えた2拍分のドラムのフィルが入る。
この曲も軽くスイングするから、フィルもスネアの部分でそれを暗示させるようにしてある。
そしてイントロにしてこの曲の重要な部分の一つ。ここでのコーラスは勿論晶子だが、アルトサックスがユニゾンする。
音色はよく使われるブロウさせたものじゃなくて、アルトサックス本来の音とも言うべき丸っこいもの。
ソプラノサックスに近いものがあるそれは、コーラスとユニゾンしても違和感がない。
アルトサックスはブロウさせるもの、という既成概念みたいなものが俺の頭の中に出来上がっていた、と思わされたところだ。
 Aメロでヴォーカルが入る。これは晶子単独。
俺はエフェクトを切ったギターでのバッキング、潤子さんはキーボード関係一切、マスターは両手を挙げて手拍子をしている。
「always」が前向きな曲だということを考慮して、客と一体になろうという思惑がある。客の手拍子は綺麗に揃っている。
 Bメロに入るとマスターがサックスを構える。
俺が目から鱗、と思ったアレンジの一つが此処にもある。晶子のヴォーカルの間にサックスが丸っこい音色で加わる。
原曲ではオーバーダブでヴォーカルが重なる部分を、片方は晶子のヴォーカルで、もう片方はサックスで「歌う」。これがマスターのアレンジ。
俺は、ヴォーカルなんだからキーボード関係をシーケンサに任せて潤子さんとのツインヴォーカルにする、としか頭になかったから−そうすれば客が喜ぶと
思ったのもある−、初めての音合わせでこれを聞いた時は驚きの一言だった。
 サビに入る。その直前に曲のタイトルでもある歌詞の一部が、晶子のヴォーカルと客からの声でユニゾンした。
そうなったら良いな、とは思っていたが、こうも計算どおりに進むというのは意外だ。
此処でも原曲ではオーバーダブでヴォーカルが重なるところが、晶子のヴォーカルとマスターのサックスで表現される。
そして此処でも客からの声がタイミング良く被さる。「客との一体感」という観点からすれば、この時点で成功といって差し支えないだろう。
 サビが終わってイントロに戻る。此処でも、ヴォーカルが音を伸ばす部分をマスターのサックスがカバーする。
そして「復帰」した晶子とユニゾン。サックスを加えたもう一つの「always」が、着々と完成に近づきつつある。
・・・否、まだ道半ばだな。半分も終わっちゃいないんだから。

 再びAメロ。
演奏するフレーズは基本的に変わらないし、今ではリクエストされる回数こそ減っているものの何度も演奏してきたから、気分的にかなり余裕がある。
スイングするリズムに乗せてストロークで遊んでみたりする。
潤子さんが演奏する−普段はシーケンサにお任せだ−キーボードも、ヴォーカルを邪魔しない範囲で結構遊んでいるのが分かる。
 そしてBメロ。
此処でも原曲ではヴォーカルがオーバーダブしているところが、晶子のヴォーカルとマスターのサックスで表現される。
その部分の歌詞が、綺麗に揃った手拍子に混じって客によって歌われる。狙った、否、望んでいた光景が出来上がっている。
 思えば、高校時代ずっとバンド活動を続けたのは、初めて経験したライブ会場−高校の視聴覚室だった−での客との一体感が新鮮で心地良くて、
次も味わいたい、もっと味わいたい、という「欲」が芽生えたからだ。
この夏の新京市公会堂でのサマーコンサートでも感じた、今も現に感じている、人間同士がぶつかり合うが故に出来る独特の雰囲気・・・。
自分以外のパートはシーケンサにさせておけば良い、と思い込んでいた俺の認識を一変させるには十分だった。
 授業や宿題をこなしながらというのは大変だった。どういうわけか頭の固い連中が揃う生活指導の教師と度々睨み合った。
当時付き合っていた宮城に、あたしを放ったらかしにして、と怒られたこともあった。
けれど受験ギリギリまで続けて、約束どおり成人式会場前でスクランブルライブをして、今でも続いている交流があるのを思い起こすと、続けて良かった、と思う。
 そして今、舞台はこの店のステージに移り、一緒に演奏するメンバーの顔触れは変わった。
講義とレポートをこなしながらの継続は、慣れた今でも正直しんどいと思う時がある。
けれど、1年に1回、こうして大勢の客の前で演奏して、客と一体感を味わえる機会を持てるのは、「縁」という単語に象徴される何かがあるからこそのものだろう。
 曲のタイトルでもある歌詞の一部が晶子のヴォーカルとユニゾンして、サビに入る。演奏していて心地良いステージは尚も続く。
ヴォーカルが重なる部分ではマスターのサックスと客が綺麗に晶子のヴォーカルに重なる。客も、一緒に演奏している(或いは歌っている)気分になっている
ことがよく分かる。
 再びイントロのフレーズ。此処でもマスターの遊び心と言うか視野の広さと言うか、そういうものが発揮される。
マスターのサックスがコーラスのメインフレーズを奏でて、晶子が原曲でオーバーダブされているフレーズを歌う。
コーラスは人の声かシンセのコーラス音でないといけない、という俺の既成概念が見事に打ち破られたところだ。

・・・。
ん?どうしたんだ?祐司君。まだ途中なのに。
・・・さっきの。
何だ?珍しいものでも見たみたいな顔して。
・・・え、いや、コーラスをサックスでするなんて・・・。
そう驚くほどのことでもないと思うが。
実際、驚いたんですけど・・・。
サックスでコーラスのフレーズなぞっちゃいけない、っていう規則はないだろ?
サックスがメインのフレーズを吹くなんて、フュージョンでなくてもやってることだし。
それは確かに・・・。
気楽に考えれば良いんだよ。音楽はその字が示すとおり、楽しむものなんだから。

 マスターの作った「豪華版」のデモを初めて聞いた時、呆気に取られた俺がマスターと交わした会話を思い起こす。
楽しむ・・・。俺が日常生活の中でしばしば忘れがちになることを、それを聞くまで音楽に慣れ親しんでいる筈の場でもそうなっていたことを思い出した。
真面目に取り組むのは勿論重要なことだし、それは尊重されるべきだよ。
だけど、時と場合によりけり、なんじゃないかな?
時には肩の力を抜いてみると、意外な発見があるかもしれない。そうでなくても凝り固まっていた気持ちを新たに出来ると、俺は思ってる。
発想の転換、とか難しく考えないで、こういうのはどうだろう、ってくらいの遊び心って言うのかな・・・。
そういう気持ちも持っていて損じゃないと思うよ。

 こんなのありか、という気持ち、言い換えればある種のこだわりとも言えるものに尚も何処かでしがみついていた俺に、マスターがそれこそ楽しそうに
言った言葉が脳裏に浮かび上がって来る。
そう言ったマスターの顔は本当に爽やかで、マスターが心底音楽と真剣に向き合い、手を取り合って一緒の時間を過ごしていることが分かった。
 音楽が好きだから、高校時代二足も三足も草鞋(わらじ)を履きつつバンド活動を続けたんだし、今仮配属になっている研究室を希望している。
そして3年近くこのバイトも続けている。
だけど、何処かで事務的と言うか機械的と言うか、そういう気持ちになっていたのも事実だ。そう気付かされた瞬間だった。
 リバーブを効かせたタム1発で、曲の雰囲気ががらりと変わる。
浮遊感のあるシンセパッドを背景にした間奏。ウィスパリングが効いた晶子のヴォーカルがパッドと上手く融合する。此処でもサックスが合いの手的に入る。
ブロウを効かせていないからパッドともすんなり馴染む。演奏を休めている俺は、綺麗な声に暫し聞き入る。
 後半でベースが復帰して、ドラムのフィルを合図にしてイントロのフレーズに戻る。俺もギターで復帰する。
ヴォーカルがメインのフレーズを歌う傍らで、サックスは気ままに、でも曲の雰囲気を保ったフレーズを加える。
サックスという楽器で歌っている。そんな表現がピッタリだ。
 手拍子に歌声が混じり始める。高低入り混じったそれは、客からのものだ。明るい表情で手拍子をしながら歌っている客が、彼方此方に見える。
スイングするリズムに乗せて身体を軽く弾ませながら歌う晶子と、客が一つのフレーズを一緒に歌っている。
今年のコンサートで目指したものが、確かに目の前で展開されている。
 今年のコンサートのコンセプトは「じっくり聞かせる」ことが第一だが、「客との一体感」も言わば別枠で考慮している。
ラストに「always」を据えたのは、晶子が推したのもあるし、「客との一体感」を作りやすそうだ、という考えがあった。
分かりやすくて歌いやすい、そして前向きな内容。
例年来ている常連客は勿論、最近知った、若しくは今日誘われて初めて来たという客も、そして俺も、音楽の楽しさを知って感じて共有していると思う。
 5回、計40小節演奏したところでドラムのフィルが入り、全員がそれぞれの楽器で最後を締めくくる。
シンバルのロール(註:早く連打する打楽器の奏法の一つ)が、「always」のフィナーレを飾る。音が全て止むと同時に大きな拍手と歓声が沸き起こる。

「皆さん、ありがとうございます!」

 興奮真っ只中の客に呼びかけたのは、マスターではなくて晶子。これも今回考慮した演出の一つだ。
晶子が高く掲げた右手を大きく振ると、客の興奮が更に増す。青天井とはまさにこのことか。

「今年も残すところあと僅かとなりましたが、これからも『Dandelion Hill』をどうぞよろしくお願いいたします!」

 晶子の更なる呼びかけで、窓ガラスが割れそうなくらい拍手と歓声が大きくなる。
全てのテーブルと椅子が片付けられてオールスタンディング形式になっている店内にぎっしり詰まった客は、見渡す限りどれも綺麗に晴れ上がっている。
俺はギターをぶら下げたまま、ステージ前方に出る。その横に潤子さんが並ぶ。

「それでは皆様、ご唱和をお願いいたします!メリークリスマス!!」
「「「「「メリークリスマス!!」」」」」

 クリスマスコンサート恒例、マスターの締め言葉が店内に轟く。そして大きな拍手と歓声に変わる。
準備まで色々大変だった。色々あった。でも、今日この瞬間に、それらが全て良い思い出として昇華されたように思う。
音楽と、そして人間と触れ合うこの店での貴重な思い出が、また一つ増えた。やって良かった。心からそう思う・・・。

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