雨上がりの午後

Chapter 150 明らかになる一つの人間関係

written by Moonstone


 翌日。昼休みの時間だが俺はまだ実験室に居る。実験の途中だからだ。
電動機に限ったことじゃないが、特性の測定は大抵一度開始したら中断は出来ない。
中断前後で測定条件が変化することで特性も変化する可能性がある、というのが理由だ。
実験前後でその時の室温、湿度も測定して−部屋に温度計と湿度計がある−大幅な変化があったらやり直す必要がある。
 それに加えて、測定は出来るだけ速やかにしないといけない。
余計に時間がかかるとそこで室温や湿度といった測定条件が変化して、これまた実験やり直し、ということもあるからだ。
智一から聞いた話では、俺が居る学科はまだましな方で、化学実験がある分子工学科は実験が徹夜になることもあるそうだ。
実験で気楽さを求めることそのものが間違ってると言えなくもないが。

「祐司。データ取ったぞ。」
「ようやく区切りがついたか。」

 智一の声で俺は電動機のスイッチを切る。慣性で回転を続ける大きな電動機の前で、俺は手の甲で額の汗を拭う。
実験室には暖房は入っていないが、あれこれしていると嫌でも汗が出て来る。

「今日は順調だな。」
「今のところは、な。問題はこれからだ。」

 そう、問題はここからだ。
これから先を進めるにはどうしても人手が足りない。
今までは二本しかない手と智一を指示することでどうにか乗り切って来れたが、今回はそういうわけにいかない。最低でも1人必要なんだが・・・。

「奴ら、何処へ行きやがった?」

 俺は実験室を見回すが目標、すなわちグループの残り2人の姿が見えない。
・・・何時ものことと言ってしまえばそれまでだが、今日は首根っこを掴んで引き摺り戻しでもしないといけない。

「今昼休みだから、飯食いに行ってるんじゃないか?」
「あいつら・・・!」
「今は食堂も混み合ってる時間帯だし、食堂に乗り込んで探すのは骨が折れるぞ?」
「じゃあ、このまま指咥えて待ってろって言うのか?」
「奴らと特に仲が良いグループが居ないから、そいつらが帰って来るのを待って、携帯の番号を聞き出すのが一番手っ取り早いと思うぜ?」
「教えると思うか?」
「教えなきゃ実験が進まない、とでも泣きつくしかないか。」
「冗談じゃない。そんなこと出来るか。」

 思わず吐き捨ててしまう。
どうして俺が手伝いすらろくにしないで、レポートのクローンだけ作る奴らを引っ掴むために他人に泣きつかなきゃならないんだ。
こんな理不尽な話、到底容認出来ない。そんなことするくらいなら、今から食堂に乗り込む方を選ぶ。

「奴らの携帯の番号は俺が聞き出すから、祐司は気にするな。」
「智一。」
「俺がこんなこと言っても説得力がないだろうけどさ。祐司の気持ちは分かるつもりだぜ?そのくらいの泥は俺が被るから、祐司は引き続き実験を
リードしてくれりゃ良い。」
「智一・・・。」

 何だか急に自分が大人気なく思えて来た。
どのみち奴らは答えられる筈もない徹底的な質問攻めに遭って、その後説教を食らう。
先週教官が内密の話と前置きしてこっそり教えてくれたが、実験の様子は全て仮配属されている研究室の教官に報告されていて、就職の際の教官推薦に
悪影響を及ぼすと言う。当然と言えば当然だが不真面目にしている分の報いは必ず受けるわけだから、目くじらを立てるもんじゃないのかもしれない。
 だが、奴らが捕まらないことには実験再開の目処が立たない。
居たところで実験がスムーズに進むわけじゃないことは分かりきってるが、今回は兎に角人が居ないことには話が進まないから、何としても捕まえないと
いけないことには変わりない。

「今は食堂も混んでるし、奴らを捕まえる手がかりもないから、休憩がてら此処で待つか?」
「そうだな。行き違いになったら馬鹿馬鹿しいし。」

 とりあえず今後の方針が固まったから、食堂のピークが過ぎるまで待つとするか。
俺は椅子に座ってセーターの首元に手を突っ込み、携帯を取り出して広げる。まずすることはメール確認。・・・ないな。実験中にも振動がなかったし。
その次にすることは、携帯の着信音の仕上げ。今は楽譜がないから、ベタ打ちが終わっている部分から少しずつ調整するわけだが。

「おっ、早速晶子ちゃんとのラブラブ通信か?」
「今は違う。着信音の調整だ。」
「ああ、祐司と晶子ちゃんの携帯の着信音は祐司が作ってるんだったな。どのくらいまで出来た?」
「今のところはここまで。」

 俺は調整していた「Fly me to the moon」のギターソロバージョンを智一に聞かせる。こういう場合は言うより聞かせた方が手っ取り早い。

「前聞いた時よりまたギターっぽくなってるな。」
「そうか?自分で聞いてると聞き慣れてるせいもあるのかもしれないけど、どうかな、って思う時があるんだが。」
「否、前に聞いた時よりギターらしくなってる。それにしても本当にまめだな。晶子ちゃん、喜んでるだろ?」
「ああ。それが一番嬉しい。」
「おーおー、惚気てくれるねぇ。」

 智一は片を肘で軽く何度も小突いてくる。俺は照れ隠しに笑いながら着信音の調整を再開する。
着信音は本当に少しずつだが完成形に近付いている。
たまにMIDI版と比較すると何か機械的な印象を感じる時もあるが、ベロシティの可変領域が違うから−MIDIも生の音と比較すれば機械的だ−仕方ない。
物理的に出来ないことに何時までもこだわっていても何も進まないから、これはこれ、と割り切るのも大事だと思う。

「あ、帰って来たな。」

 俺が携帯から顔を上げると、実験室のドアの一つから−俺が居る実験室は広い−わらわらと人が入って来る。
昼食を終えて帰って来たグループか。と思ったら智一が走っていく。早速奴らの携帯の番号を聞きに行ったようだ。フットワークが軽いな。
自分が言い出した手前もあるんだろうが。少しして智一が戻って来た。その手には携帯が握られている。

「聞き出したぞ。やっぱり知ってた。事情を説明したらすんなり教えてくれた。で、今から電話かけるか?」
「当然。」
「じゃ、早速。」

 智一は携帯を操作して耳に当てる。

「・・・ああ、同じ実験グループの伊東だ。・・・え?何で知ってるか?お前さんと仲の良い奴等から聞き出したんだ。今回は場合が場合だからな。
・・・どういう意味か?それは実験の主導権保持者から直々に説明してもらう。」

 智一は俺に携帯を差し出す。自分が説明するより俺にさせた方が説得力があるということだろう。
俺は智一から携帯を受け取って耳に当てる。

「電話代わった。安藤だ。今回の実験はどう足掻いても人手が足りない。言い換えれば2つの頭と4つの手じゃ足りない、ってことだ。終われなかったら
帰れないのは俺だけじゃない。今何してる?」
『せ、生協を出たところだけど・・・。』
「じゃあ、今直ぐ実験室に戻って来い。実験の段取りを説明する。勿論二人揃ってだ。居るんだろ?もう一人も。」
『い、居る・・・。』
「走って来れば5分もかからない筈だ。とっとと戻って来い。俺からは以上だ。智一に代わる。」

 腹立たしさが再び増してきたのを感じつつ、俺は智一に携帯を手渡す。智一は再び携帯を耳に当てる。

「というわけで、主導権保持者は甚(いた)くご立腹だ。早急に戻って来ないと後でどうなっても知らないぞ?じゃ、実験室で。」

 智一は携帯を切る。脅しをかけたから間もなく戻って来るだろう。
脅しと言うより警告か。実際戻って来なかったら本当にぶん殴るかもしれない。

「こういう時携帯は便利だな。何処に居ても直ぐ捕まえられる。相手が電源切ってたり無視したりすればそれまでだがな。」
「便利になるのは良いけど、何か肝心なことがいい加減になってるような気がしてならないな、俺は。」

 今は携帯を持っていて当たり前だ。インターネットを通じてまったく知らない世界に触れることも出来るし、図書館を駆けずり回らなくても
公開中の研究論文から一部失敬することも、その気になれば容易い。
 だが、何か何処かの歯車が狂っているように思えてならない。
通学で使う電車の車内で、時と場所も考えずに大声で携帯を使っている光景を目にすることはそんなに珍しいことじゃない。
バイトしている店に来る客のマナーは、年を追う毎に悪くなっているような気がする。
強面(こわもて)のマスターが回る時は大人しくなるが、俺だと態度を一変させる中高生の客も居る。
自分が見下ろす立場になれれば良い、自分さえ良ければ良い、という輩がやたら目に付くようになっているのは気のせいじゃないと思う。
 今持っている携帯。晶子とのコミュニケーションの道具が増えたことそのものは嬉しい。
だが、これを持つきっかけとなったのは、自分を常に高みに置いている高慢ちきな女が、自分の地位が脅かされると判断するや否や、取り巻きを
侍(はべ)らせて物陰で謝罪を強要して来たことへの報復を未然に防ぐためだ。被害者が身銭を切ってまで自分を護らなきゃならないというのも、
何かの歯車が歪んでいることの表れじゃないだろうか。
 俺は一音を調整し終えたところで携帯を畳んで仕舞う。
間もなく奴等が戻って来るだろう。そうしたら次の実験の段取りを教えないといけない。
連携が不可欠な実験だし、特性測定の例に漏れず、一度でも失敗したら最初からやり直しだ。
同じグループになって以来、同じ実験のテーブルに居る時間を探す方が大変な輩のために自分が余分な時間を割かなきゃならない・・・。
やっぱり何かが違うような気がしてならない。

 必死の形相で戻って来た奴らに実験の段取りを教え、戻って来るまで間違いがないように復習しておけ、と念押ししてから、俺は智一と一緒に
食堂へ向かった。ピークを過ぎた食堂は広々している。
流れ作業そのままのパターンを辿って料理が乗った皿や箸、コップをトレイに乗せて、コップに茶を汲んで手近な席に智一と向かい合う形で腰を下ろす。

「それにしても祐司。お前、携帯で晶子ちゃんとやり取りするのは専らメールだな。」

 食べ始めたところで智一が言う。
言われてみれば確かにそうだ。今は・・・12時40分を過ぎたところ。その気になれば今此処で携帯で晶子に電話することは可能だ。
恐らく晶子は昼飯を済ませているだろうから、電話をしても問題はないだろう。
 だが、電話をする気にはなれない。
晶子とのやり取りは「今から迎えに行く」とか「今此処に居ます」とかそんなものだから、メールで事足りるというのもあるが、それを差し引いても、
電話を使おうとは思わない。

「特に電話じゃなければいけない、ってこともないからな。」
「今声を聞きたいとか思わないのか?」
「遠くに居るわけじゃないし、事前の連絡もなしに携帯に電話をかけると不安になるだろうから、必要時以外は使わない。別に電話代ケチってる
わけじゃないが。」
「携帯って、何時でも何処でも電話出来るから『携帯』っていう略称で通ってるようなもんだぞ。晶子ちゃんだって、お前から電話がかかってくれば
喜ぶと思うけどな。」
「話は大学との行き帰りでも出来るから、それこそ緊急のことでもなければ、その時すれば良いだろ?」
「まあ、そういう考えもあるか。」

 智一はちょっと呆れたような表情を見せる。
智一の言うことは分からないでもない。そもそも携帯を持っていて電話番号やメールアドレスの交換とかをしない−晶子とは交換してるから正確には
「1人限定でしている」だが−というのは、「常識」から考えれば異常だろう。
だが、俺と晶子の場合、携帯は言わば非常連絡手段として持ったから、その相手と以外交換する必要はない。
 晶子以外で携帯を使う時間や手間を、着信音作成に注ぎ込んでいると言っても過言じゃない。
普通は逆なんだろうが、こう使わなきゃならないっていう決まりはないんだから、周囲の迷惑になる使い方をしなければ−電車の車内、特に混雑している
時の会話は勘弁して欲しい−どう使おうが構わないはずだ。
 晶子が今どうしているか気にならないというわけじゃない。むしろ気にしている方だ。
「便りがないのは良い便り」と言うが、携帯と言う何時でも何処でも繋がる手段を持ってしまうと、便りがないと不安に思う。
それが増幅して、何かあったんじゃないか、何をしてるんだ、といった疑念に変わることがないとは言えない。
 だが、以前田畑助教授の件で俺が一方的に絶縁を宣告した時に仲介してくれた潤子さんに諭されたように、信じることが肝要だ。
晶子は同じゼミの連中に、旦那とお揃いであの会社のプランだから旦那と以外は使わないだろうと、端的に言えば仲間外れにされていると言っていた。
それを信じるしかない。信じなかったら・・・待っているのは破局だ。それだけは絶対御免だ。今の幸せは絶対手放したくない。

「あら、奇遇ね。」

 昼食をほぼ食べ終わったところで背後から声がかかる。
この高飛車な物言い・・・。もしやと思って振り返るとあの女、吉弘とかいう女が取り巻き連中を後ろに従えて立っていた。
向こうにとっては奇遇かもしれないが、こっちにとっては偶然且つ迷惑以外の何物でもない。

「電子工学科は今日実験だそうだから、今は遅めの昼食ってところかしら?」
「そういうこと。じゃ。」
「ちょっと!こっちから話しかけてるのにそんな態度はないでしょ?!」

 俺が食事に向き直った途端にヒステリックな声が飛んで来る。・・・それはこっちの台詞だよ。
出くわしたのは偶然だし、声をかけてきたのは向こうだ。
関わり合いになりたくないと思っている俺の態度が気に食わないからと言って八つ当たりするのは勘弁して欲しい。

「大体ね、貴方何様のつもり?彼女呼び寄せて私のファンを掠め取らせたら、次は無視。馬鹿にするのも程々にしてもらわないと困るのよね。
こちらとしては。・・・。」
「・・・。」
「ちょっと!まだ無視するつもり?!」

 こういうタイプには関わるだけ損だ。俺はヒステリックな声を背に受けながら食事を進める。
昼飯が不味く感じるが我慢するしかない。・・・こういうところでも何か理不尽さを感じる。

「・・・。」
「とことん無視を決め込むつもり?信じられないわね、その女を見下す態度。彼女に対してもそんな態度なのかしら?」
「・・・やめろ、順子。」

 ?智一が制した・・・?しかも名前で。
智一はこの吉弘って女を少なくとも俺よりはよく知っているが、知り合いなのか?

「だ、大学内で名前で呼ばないって約束でしょ?智一。話があるのは貴方じゃなくて安藤君の方なんだから。」
「祐司は俺の親友だ。俺としても、これ以上お前が親友に妙なちょっかい出すのを傍観出来ないんでな。」

 やっぱり智一と吉弘というこの女は知り合いのようだ。それに口ぶりからするに、単なる顔見知りというレベルのものじゃない。
智一はこの女に関する情報を教えてくれたが、それは既存のルートじゃなくて智一独自のものだったんだろうか?

「智一。お前、知り合いなのか?」
「・・・ああ。大学では秘密にしておくつもりだったんだが、ここまで来た以上、被害者の祐司に黙っておくわけにはいかないから、説明する。」
「智一。貴方・・・。」
「黙ってろ、順子。元はと言えば、お前が女王面して俺の親友にまで因縁つけてきたのが原因だろう。」

 智一が吉弘という女を黙らせると、何時になく神妙な表情で俺に向き直る。

「お前の後ろの女、吉弘順子は俺の従妹だ。」
「え?!」

 思わず聞き返してしまった。この女が智一の従妹だったとは・・・。

「驚くのも無理はない。大学では他人の振りを決め込んでたからな。だが、ここまで付き纏われたんじゃお前もたまらんだろうからな。」
「付き纏うだなんて人聞きの悪い・・・。」
「黙ってろ。」

 智一は再び吉弘という女を黙らせる。

「もっと厳密に言うと、俺の親父の弟の娘、つまり父方の従妹だ。俺の親父が会社経営してるのは知ってるだろうが、俺の親父が代表取締役会長兼社長で、
親父の弟、つまり叔父が取締役副社長だ。親父の会社は俺の親父と叔父が手を組んで今の規模に育て上げたっていう経緯もあるんだが。」
「・・・。」
「親が兄弟で、しかも二人三脚で会社を大きくしてきたっていう関係もあって、後ろの女、吉弘順子とはガキの頃から家族ぐるみの付き合いなんだ。
住んでる地域も一緒だったから小中高と同じで、しかも大学まで同じときたもんだ。俺は一年浪人した関係で学年が同じになっちまったんだが、
同じ大学、しかも学部まで同じだって知った時には驚いたぜ。」
「智一。お前の父さんの方の従姉妹なら、彼女・・・吉弘さんの姓はお前と同じ伊東になるんじゃないのか?」
「俺の叔父が順子の家、つまり吉弘家の婿養子になったんだ。吉弘家は俺の地域じゃ名の知れた旧家で、俺のお袋はそこの出なんだ。だが、跡取りが
なかったのとさっき言ったように俺のお袋が吉弘家の出ってこともあって、叔父が家族ごと吉弘家を継いだんだ。」
「そうか・・・。」
「大学が同じ、しかも昔から家族ぐるみの付き合いしてきたってこともあって、俺が此処に引っ越す時のマンションも同じにされたんだ。だが、大学の
中では学科も違うし、親族関係が出るとややこしくなるから、親族関係を引き合いに出して双方干渉しない、って約束で今まで来たんだ。だからお前が
順子に付き纏われるようになってからも他人を装ってきたんだが・・・。」
「そ、そんな目で見ないでよ、智一。」

 明らかに動揺した声の方を見ると、吉弘という女がそういう表情をしている視線も俺の方から逸らしている。
今の今まで他人の振りを決め込んでいて安心していたところで、智一に家族関係の詳細まで明かされたことで動揺しているんだろう。
 それにしても驚いたな・・・。まさか智一とこの女が従兄妹同士、しかも幼い頃からの付き合いってことには・・・。
そう言えば、智一が自分の家が大きな会社を経営していることを明かしたのは、智一と何度目かの飲みに行った時だったな。
それ以外では自分が大会社の社長の息子だってことを言っていない。親の威光を借りるな、と教育されているんだろうか。

「智一だって、今まで何も言わなかったじゃないの。それを今になって・・・。」
「大学内でのことには相互干渉しない、って約束だったよな?」
「それが分かってるなら・・・」
「今のお前はそれをやってるだろう。お前が付き纏ってる男、安藤祐司は俺の親友だ。親友が迷惑を被ってるのをこれ以上見て見ぬ振りするわけには
いかないんでな。」

 智一の口調は、何時にない厳しさを含んでいる。表情も口調に比例して厳しい。
何時もの飄々とした、いい加減とも言える様子からは俄かに想像し難い。やる時はやる、というタイプってことか。

「・・・分かったわよ。」

 とは言うものの、吉弘という女の視線は俺と智一の方を向いていないし、表情も謝罪のそれではなくてふてぶてしささえ感じさせるものだ。
心からのものじゃないってことが嫌でも分かる。

「またね、智一。」

 吉弘という女が吐き捨てるように言って顎をしゃくって歩き出すと、後ろに居た取り巻き連中はいそいそとその後をついて行く。
女と取り巻き連中が食堂から出て行ったのを−奴等が行った先には売店がある−確認してから、智一に向き直る。
智一はさっきまでの様子から一転して神妙な表情をしている。

「すまなかったな、祐司。」
「いや・・・。それより智一が彼女と従兄妹同士だったなんて、驚いた。」
「さっきのやり取りでもあったように、順子とは親族関係を出して相互干渉しない、って約束をしてるんだ。幾らガキの頃からの付き合いだからって
大学の中でまで馴れ馴れしくされたくないし、親父の会社の子会社が経営してるマンションだから、ってことで今住んでるマンションに入れられたもんだから、
尚のこと大学の中くらいは静かに過ごさせて欲しくてな。」
「大学の中くらいは静かに、って彼女、智一の家に来るのか?」
「しょっちゅうだ。ああ見えても料理は出来るから、週末とかに押しかけてきて飯作るもんだから、一緒に食ってる。俺が言うのも何だが腕は確かだ。」

 料理出来るのか・・・。しかも、智一の家に押しかけて作るとは・・・。
お嬢様だからてっきり外食頼みか召使−今時こんな言い方しないか−に作らせてるかと思ってたんだが、人は見かけに依らないとはこのことだな。

「根は良い奴なんだが、何せプライドが高くてな。自分の存在を脅かすと見るや、相手を追い落としにかかるんだ。どうもかなり根に持ってるらしいな。
今までだったら、暫く相手を叩くか男を取り巻きに加えるかしたら大人しくなったんだが・・・。」
「・・・前に彼女が言ってたんだけど・・・。」

 俺は以前彼女、吉弘に晶子を人質に取って俺に付き纏う理由を話した時のことを智一に話す。
智一は納得したような呆れたような、何とも表現し難い複雑な表情を浮かべる。

「あの一件が絡んでたのか・・・。あの時祐司は居なかったけど、生協の店舗はひと騒動になったんだ。晶子ちゃんが立ち去るところを携帯のカメラで
撮ってた奴も現に居た。ただでさえ女の絶対数が少ないこのエリアじゃ、晶子ちゃんクラスの美人にお目にかかれることはそうそうないからな。
美人、と思って話してみたら大抵大学の中か外に彼氏が居るし。」
「智一は彼女から聞いてなかったのか?晶子がこっちに来たこと。」
「否、全然。さっきも言ったように、大学内でのことにはお互い干渉しないって約束してるから、大学で何があったかは俺もそうだが順子も一切話さないんだ。
しかし厄介だな・・・。順子は昔から、自分の取り巻きが他の女に靡くのを凄く嫌がるんだ。自分のテリトリーを侵害された、と思ってな。」
「そうか・・・。」
「順子には俺から釘を刺しておく。だが、順子の性格からして俺の言うことをすんなり聞き入れるとは思えないから、用心しておいてくれ。・・・悪かったな。」
「智一のせいじゃないから謝らなくて良い。」

 こんな形で智一が絡んで来るとはな・・・。世の中って案外狭いもんだ。
さっきの様子からするに、吉弘と言うあの彼女は、智一には俺に見せたような傲慢極まりない態度に出られないようだ。
 小さい頃からの付き合い、それも小中高大と同じで住んでるマンションも同じ、更には週末になると飯を作りに押しかけて来るほどだから、相当仲が
良いんだろう。俺は、従兄妹とは盆や正月に親の実家の挨拶回りの時に顔を合わせる程度だ。去年帰省した時は何事かと思うくらいの歓迎ぶりだったが。
 その仲を以ってしても抑えられる見込みが少ないとなると、相当厄介な相手と考えるべきだろう。
現にさっきも智一が静止しなかったらあの態度のまま俺に詰め寄り続けて、無視されることに激昂して食いかかって来た可能性もある。
それで済めば別に良いが、晶子に飛び火する可能性さえある。そっちの方がはるかに問題だ。

「智一。変なこと聞くけど、彼女って昔からああなのか?」
「中学あたりからずっとあの調子だ。一応あのとおり見てくれが良くて成績も良かったし、妙に人の扱いが上手いところがあるからな。高校時代には
生徒会長もしてた。バレンタインデーには取り巻きの男に適当にチョコばら撒いて、ホワイトデーで菓子とかを荒稼ぎしてた。当然女には煙たがられてたが、
当人は何処吹く風って感じだった。」
「智一に対しては?」
「俺に対してはどういうわけか、お前に見せた様子からは想像出来ないくらい普通だったりするんだ。ガキの頃から一緒ってこともあるのかもしれないけどな。
従兄妹関係じゃないことを知らない奴は、彼氏彼女の関係とマジに思ってたくらいだ。」
「外と内とで顔を使い分けるタイプ、か。」
「そんなところだ。」

 俺と智一は同時に溜息を吐く。
俺からすれば、何だかんだ言っても大学で数少ない、否、唯一の親友の従妹、智一からすれば、ガキの頃から実の兄弟以上に仲良くして来た従妹。
単純だがややこしい人間関係が出来上がってる。
 思えば大学生活では何かと智一と縁がある。
入学最初のコンパ以降バイト探しとバイトそのもので「孤立」していた俺に声をかけて来たのは智一だった。
バイトが休みの月曜の夜に飲みに行った相手は智一だけ。
そして、宮城と別れた直後でささくれ立っていた俺が晶子と付き合うことになったのも、智一の援助と挑発に因るところが大きい。
そして持つ気もなかった携帯を持つきっかけにも、間接的ではあるが智一が絡んでいる。・・・何とも不思議な話だ。
 少なくとも今言えることは、彼女が俺にとってまったく見ず知らずの赤の他人じゃないということだ。
智一がブレーキになれば良いんだが、智一自身がそれは望み薄と言うから、やっぱり彼女が晶子に妙な手出しをしないように「抗戦」するしかない。
晶子に気を付けるように念押しのメールを送っておくか。

送信元:安藤祐司(Yuhji Andoh)
題名:しつこいかもしれないけど
こっちは今、実験がひと段落して昼飯を食べている。晶子は何ともないか、ってふと不安になってメールを送った。監視されてるようで嫌な気分かもしれないけど・・・。講義が終わってから何時ものように連絡を頼む。

 こんなことでメールを送るのも何だか気が引けるけど、この不安はどうにも抑えられない。俺はプレビューを見てからメールを送信して携帯を仕舞う。
何時でも連絡が取れる手段を持ってはいても面と向かっていないと不安になる・・・。
これは、TV電話で24時間連絡を取り合えるようにならないと解消されないかもしれない。

「晶子ちゃんに事情説明か?」
「否、今どうしてるかって聞いただけだ。間接的とは言え智一が絡んでると分かったら、晶子は俺以上に不安がるだろうから。」
「晶子ちゃん、基本的に自分より他人、って性格だからな。順子もちょっとは見習って欲しいもんだ・・・。」

 そう溢(こぼ)して食事を再開した智一の表情は重い。
ガキの頃から兄弟動揺に育って来て互いをよく知る間柄だからこそ、今の事態が打開出来ないことを余計にもどかしく思ってるんだろう。
 重い空気の中昼飯を食べてコップに手を伸ばした時、胸に小刻みの振動を感じる。
俺はコップに向かっていた手をセーターの内側に突っ込んで、振動の主である携帯を取り出して広げる。
メール着信1件・・・!俺は携帯を広げてメールを開く。

送信元:井上晶子(Masako Inoue)
題名:心配してくれてありがとう
実験お疲れ様です。私は今ゼミの部屋に居ます。祐司さんからメールが来たことで、ゼミの皆が大騒ぎです(このメールを書いている時も私の周りには人垣が出来ています)。講義が終わったら、何時ものように待ち合わせ場所を伝えますね。

 晶子が早速返事をしてくれたことを嬉しく思うと同時に胸を撫で下ろす。
こういった不安は、相手からの応答がない限り、否、正確には自分の望んでいる応答が返って来ない限り消えないんだよな・・・。
俺は小さい安堵の溜息を吐いて携帯を仕舞う。

「おっ、早いな。」
「智一が言ったとおり、晶子は自分より他人って人間だからな。自分も不安だろうに・・・。」
「お前が何時帰って来るかも分からないのに、律儀に晩飯作って夜中まで待ってるくらいだからな、晶子ちゃんは。」
「ああ。」

 俺は晶子がメールの返信を作っている様子を思い浮かべる。
同じゼミの連中に囲まれて歓声とも冷やかしとも取れる声を浴びながら、メールを作る晶子・・・。
俺との専用道具になることを自他共に認める携帯を持っていることそのものを、晶子は喜んでいるんだと改めて実感する。
 献身的とも言える晶子の気持ちに応えるには、やっぱり俺がしっかりしないといけない。
智一の従妹を敵視したくはないが、晶子を敵視している以上は警戒態勢を解くわけにはいかない。
晶子の事実上の夫として、智一のようにやる時はやる、っていう姿勢でないとな・・・。

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