雨上がりの午後

Chapter 119 夏の楽祭−3−

written by Moonstone


 さあ、再び俺もステージで演奏だ。俺は淡いブルーの照明が照らすステージに駆け出し、素早くアコギのストラップに身体を通す。
潤子さんはステージ上段のシンセサイザーのある場所に移動し、ピアノの前には国府さんが座る。
向かい側からは、手ぶらの桜井さん、スティックを持った青山さん、これまた手ぶらのマスターと勝田さんが出て来てそれぞれの楽器を手にする。
マスターはソプラノサックス、勝田さんはEWIだ。
 次の曲、「NO END RUN」は俺の演奏から始まる。
本当はエレキを使うところなんだが、ギターが出来る人間は俺しか居ないから、アコギで代用するしかない。
音程をふわっと上げるようにスライドさせると、アコギの代わりをするシンセ音のバッキングとストリングス、ベース、弱めのバスドラムとコンガが入ってくる。
俺は甘い感じのメロディを演奏する。エレキとアコギじゃ音色も響きも全然違うが仕方ない。俺は「本体」に繋げるための演奏を8小節続ける。
 ハーフビート(註:2拍目と4拍目で叩くスネアをあえて4拍目しか叩かないこと)のドラムと輪郭がはっきりしたベース、そして俺のストロークによるバッキングと
シンセ音を背景にして、EWIがメロディを奏でる。管楽器であるとアピールするように、ダイナミクスやボリュームは緻密に変化する。
ドラムがノーマルになった後も、勝田さんのEWIは甘くちょっと切ないメロディを演奏する。流石にマルチプレイヤーと言うだけあって、見事なもんだ。
 2回目はストリングスを加えた16小節×2、計32小節の演奏の最後で、曲は一気に盛り上がる気配を匂わせる。
EWIの音量が増す。ここぞとばかりに存在感を前面に押し出すようだ。
それまでのダイナミクスやボリュームの変化を多用した演奏から、一転して力強いウィンドシンセサイザーの音で、タイトルどおり「終わりなき走り」を
髣髴とさせるメロディを演奏する。俺はストロークによるバッキングに専念だ。
 16小節に及ぶEWIの演奏が終わると、曲は一転して静かな雰囲気になる。
俺がアルペジオをする中、国府さんのピアノが寂寥感を多分に感じさせる旋律を入れる。
この部分のためだけにピアノはあるんだが、これがないと曲が成立しない。
短いフレーズでも、曲という複雑なジグソーパズルの1ピースなんだと実感させられる部分だ。
 俺がストロークによるバッキングに切り替えた頃、EWIに代わってソプラノサックスが入ってくる。
ベースはテヌート(註:音の切れ目を無くし、滑らかに演奏すること)で、ドラムは弱いバスドラムだけだ。
ソプラノサックスは何処か寂しげで、夕日を浴びながらひたすら走り続けるランナーの姿をイメージさせる。
潤子さんと同じく、同じ楽器なのにまったく違う表情を見せる。こういうところは貪欲に自分のものにするべきだろう。

 曲は前半のようにハーフビートを背景にした、ソプラノサックスのソロに移る。
ソプラノサックスはダイナミクスやボリューム、そして音が伸びる部分ではビブラートを、それぞれ控えめに効かせて寂寥感を演出する。
「PACIFIC OCEAN PARADICE」の時とは表情がまったく違う。
あの時は原曲のハーモニカ演奏を模倣した、言ってみれば表情豊かなものだったが、ここでは何処となく寂しげな表情で走り続ける走者をじっと見詰める様だ。
 ソロは間奏部分を含めれば40小節にも及ぶ。後半に進むに連れて高音部へ全体が移行していく。
ソプラノサックスの高音部は元々何処か切ない感じがする。そこにマスターの演奏が加わってより切なさや寂寥感が増すというわけだ。
これも楽器の特性を知り尽くした上での作曲とアレンジの賜物だろう。
俺も一応曲が書けるが、こういう楽器の特性を把握したものにはなっていないと思う。もっともっと修練が必要だろう。
 ソプラノサックスが寂寥感を残して消えていくのに代わって、曲は前半部分に戻りメロディ担当は再びEWIになる。
最初同様、ダイナミクスやボリュームを微妙に制御した、管楽器だとアピールするような演奏だ。
 曲は最初と違って同じ構成を2度繰り返さず、1回目の最後で盛り上がる気配を滲ませ、EWIがウィンドシンセサイザーであることを前面に押し出したサビに突入する。
サビの構成が2回繰り返されるのは前半と同じだ。しかし、最後が異なる。
 EWIの音が伸びつつ消えていく中、再びソプラノサックスが入ってくる。
今度は最初のソロの時よりやや強めのアクセントで、ダイナミクスもやや強調されている。
金管楽器の特徴である、リードを強く噛むことによって音程を下げる効果や、息が途切れていく過程でボリュームが下がっていく効果といったものを
ごく自然な形で利用した演奏だ。走り行く走者の力強さや逞しさを感じさせる。
 演奏の仕方一つで本当に曲の雰囲気が変わるものだ。
俺がメロディを担当した「THE SUMMER OF '68」や「CHATCHER IN THE RYE」は、客にそれぞれの曲の雰囲気を十分伝えるものになっていただろうか、と一瞬思い直す。
・・・今は兎に角自分のやるべきこと、即ちストロークを使ったバッキングに専念すること。反省は後で嫌と言うほど出来るからな。

 曲はいよいよラスト。ドラムが止み、ベースがボリュームを落としてテヌートになる。
ソプラノサックスのメロディと、俺のアルペジオとストリングスなどのシンセ音によるバッキングが主体になる格好だ。
それも長く続くものじゃない。走者が走り去りその後姿が小さくなっていく様子を表現している、と言えば良いだろうか。
 ソプラノサックスが寂寥感を多分に残して消えていった後、音は俺のストローク演奏のみになる。会場の広さが自然で心地良い残響を生み出す。
俺はストローク演奏を続け、最後の音を弦を掻き鳴らすことで会場に放つ。
アコギの響きは直ぐに会場の暗闇の中に消えていく。走者の姿が見えなくなった時のように・・・。
 静まり返っていた会場からパラパラと拍手が起こり、直ぐにそれは大きな、やはり温かいものに変わる。
ドラムを交えたミディアムテンポの曲だったが、雰囲気的には「THE SUMMER OF '68」や「CHATCHER IN THE RYE」、そして潤子さんが演奏した「put you hands up」と
いったバラードに属する曲と言っても良いだろう。だから客の拍手も自然と同じようなものになるんだと思う。
 さて、じっとしちゃ居られない。次は再び潤子さんのピアノソロ「鉄道員」が控えているからだ。
俺はアコギのストラップから身体を引き抜くと、スタンドにアコギを立てかけて駆け足で国府さんと共にステージ脇に退散する。
潤子さんがステージ上段から降りてきてピアノの前に座る。その過程で早々と拍手が起こる。
「put you hands up」を聞いた後だから、期待も自然と膨らむんだろう。さて、またゆったり聞かせてもらうとしましょうか。
 ステージ全体の照明が落とされ、ピアノにスポットライトが当てられる。それを合図にするかのように潤子さんの演奏が始まる。
高音部と低音部を中心にした、寂寥感たっぷりのフレーズが紡がれていく。
ダイナミクスは控え気味でピアノが持つ響きをそのまま生かす演奏が続けられる。
タメは「put you hands up」より強めだが、それほど目立つと言うほどのものじゃない。

 しんしんと雪が降る光景を髣髴とさせる演奏が続く。
曲そのものもさることながら、自然なタメやツブの揃った、それでいて機械的ではないクイの演奏が実に見事だ。
曲は進むに連れて寂寥感を増してくる。聞いていて思わず溜息が漏れる。
練習やリハーサルで何度も聞いたが、何度聞いても飽きの来ない演奏だ。
 曲はテンポを落としてタメを強めた、何とも言えない切なさと寂寥感を含んだフレーズを挟んで、基本フレーズのメロディをクイにしたものになる。
高音部を中心に鳴り響くツブの揃ったクイが耳に心地良い。
ダイナミクスはあくまで控えめ。ピアノのそれぞれの音が持つ響きを新鮮な状態で生かした演奏は続く。
 綺麗にツブの揃ったクイを主体にしたフレーズに少し明るさが顔を覗かせる。雪雲の裂け目から太陽が光の筋を差し入れる光景、とでも言おうか。
しかしその雰囲気は比較的低音域でのシンプルなフレーズを挟んで、再び寂寥感漂う雪国の風景のそれに戻る。
ややダイナミクスが強まるが、前面に出ることはなく、あくまで曲の隠し味的な位置付けだ。
 「put you hands up」と同じくダイナミクスが控えめなのに、こうも雰囲気が違うのはどういうことだろう、と聞き比べる度に思う。
勿論曲調が違うせいもあるが、抑揚をあえて控えめにすることが逆に曲の表情を鮮明にしているのだろう。
ダイナミクスをつけるばかりが演奏じゃないということを痛感させられる。
 曲は中低音域の重厚な響きを生かしたものに変化していく。それがダイナミクスが控えめでも曲調の変化を齎しているのだろう。
ツブの揃ったクイの演奏は崩れる気配がない。崩れてもそれは決してミスじゃなく、自然な、言うならば屋根に降り積もった雪の一部がトサッと落ちるような
感じだろうか。あくまでも自然体で、ピアノの持ち味を引き出す演奏だ。
 クイを主体にしたフレーズが雰囲気を少しずつ明るいものにしていく。
とはいっても抜けるような青空が広がるというようなものじゃなく、雪雲が薄くなって太陽光が透けて見える神秘的な光景とでも言えば良いんだろうか。
 中低域に主体を移した旋律は、蝋燭の火のような仄かな明るさを感じさせつつラストへと向かう。
しんしんと降り続いていた雪が止み、薄日が差し始めた雰囲気をツブの揃ったクイを使った演奏で醸し出し、ゆったりとした音の駆け上がりを最後に
中低域の響きを使っての曲の締めは静かに終わりを告げる。
 スポットライトが消え、ステージが淡いブルーの照明で照らされると、客席からパラパラと拍手が起こり始め、やはり大きな、そして温かいものになる。
潤子さんは席を立って客席に向かって一礼し、拍手している俺と晶子、そして国府さんが居るこちら側にゆっくりとした足取りで歩み寄って来る。
それと入れ替わる形でスポットライトに照らされながらマイクを持ったマスターと桜井さんが向かい側のステージ脇から出て来る。

「バラードが連続すると、普通のコンサートじゃ客の熱気が退いちゃってつまらなくなるからそういうのは避けるんだけど、今回の曲順は成功だったんじゃ
ないかな?」
「どうだろう?お客さん。如何でしたか?」

 桜井さんの問いかけに、客は大きな拍手と声援で応える。十分満足出来る内容だったようだ。
拍手と声援を耳にして、前半2曲でメロディを担当した俺は安堵感に包まれて思わず溜息を吐く。

「どうやら喜んでもらえたようだね。ピアノソロ2曲が効いたかな?」
「雰囲気の違う曲だったけど、それぞれで曲の雰囲気に浸ってもらえたなら、演奏者も満足だろうね。」

 マスターの言葉に花を添えるように、客席から再び大きな拍手と声援が贈られる。
潤子さんを見てみると、特に表情の変化はない。
ソロという孤独な環境下で自分の役割を演じ切ったという満足感などは、見た目からは感じられない。
満足感を前面に出すのは全てが終わってから、と思っているんだろうか。

「さて、ここらで雰囲気をがらっと変えちゃいましょうか。」
「そうだね。バラードの連続で落ち着いた心を再び熱く燃やしてもらいましょうかね。」
「えっと、何を演奏(や)るんだっけ?」
「おいおい。MCやってるならそれくらい覚えておいてよ。」

 マスターと桜井さんの掛け合いに客席から笑いが起こる。
本当にマスターと桜井さんはステージ慣れしてるな。小心者の俺にも少し分けて欲しい。

「今は夏真っ盛りだからってことで選んだじゃない。『WIND LOVES US』と『Feel fine!』の2曲をさぁ。」
「そうだった、そうだった。夏をイメージさせるこの2曲を続けてお送りしましょう!ご存知かもしれませんが、『Feel fine!』ではヴォーカルが登場しますよ!
お楽しみに!」

 客席からの大きな拍手と声援の中、スポットライトを浴びながらマスターと桜井さんが退場し、ステージは再び淡いブルーの照明だけになる。
すると、俺と晶子が居る側からは潤子さんと国府さんが、向かい側からは手ぶらの桜井さん、スティックを持った青山さん、手ぶらのマスター、
そしてEWIをぶら下げた勝田さんがステージに出てそれぞれの位置に着く。
マスターはテナーサックスのストラップに身体を通してスタンバイする。桜井さんも同様にエレキベースのストラップに身体を通す。
 この曲では俺の出番はない。トランペット、トロンボーン、そしてホーンセクション(註:トランペット、サックス、トロンボーンのユニゾンのこと)が
メロディを主に担当する。潤子さんはストリングス、国府さんは言うまでもなくピアノだ。
この曲は難度がかなり高い。しかし実力者揃いだから心配は無用だ。トランペットを勝田さんがEWIで模倣するのが興味深いところだ。
 コンガとツブの立ったシンセ音が軽快なリズムを奏で始める。それに呼応して客席から大きな手拍子が起こり始める。
そこにトリル(註:隣り合った2音を細かく繰り返し演奏すること)のストリングスが加わり、更にピアノのグリス(註:鍵盤上を左或いは右にスライドさせて
音を上昇或いは下降させる演奏方法)とドラムが入ってくる。いよいよ始まりだ。
 ゆったりしたストリングスと基本的な16ビートのドラム、そしてピアノを背景にマスターと勝田さんがメロディをユニゾンする。
勝田さんのEWIは今まで以上に金属的な音になっている。フットスイッチで切り替えてトランペットに近い音色にしている。
ベースは割とゆったりした旋律をなぞる。
 最初と同じようにコンガとシンセ音だけになったかと思ったら、ドラムが再び入り、やはりゆったりした旋律をなぞるベース、弱めのストリングス、
そして力強いクイと白玉のピアノを背景に、勝田さん単独でメロディを奏でる。
トランペット単独ということを意識してか、ダイナミクスや息遣いを重視した演奏になっている。
 勝田さんが10小節演奏したところで、それまで弱かったストリングスが急にボリュームを増し、階段を駆け下りるようなストリングスらしいフレーズを
演奏してかなり前面に出て来る。
勝田さんが同じフレーズを繰り返す中、ストリングスだけが1回目と違ってかなり激しい動きとボリュームの変化を見せる。

 2回目はストリングスのフレーズ2小節を挟まず、メロディは勝田さんからマスターにバトンタッチする。
ここは本来トロンボーンなんだが、マスターはテナーサックスをブロウを効かせずに吹くことで、柔らかいサックス本来とも言える音を出す。
ここでも勝田さん同様息遣いを重視した演奏になっている。ベースの動きが激しくなったのも特徴的だ。
 そしてメロディはマスターと勝田さんのユニゾンになる。
本来はホーンセクションであることをイメージして、金属的な響きを前面に出した音になっている。
雲から燦々と輝く太陽が顔を出すようなイメージのフレーズをユニゾンし終わると、タムが駆け下り、ストリングスが駆け上がる。サビに入る合図だ。
 マスターと勝田さんのユニゾンが明るいイメージのメロディをユニゾンで奏でる背景で、ピアノが細かいバッキングを刻む。
これまでの国府さんのピアノと比較すると、かなり違いが明瞭で印象的だ。
ストリングスもメロディの隙間で細かいフレーズを演奏する。こちらも駆け下りたり駆け上がったりと、ストリングスらしさがよく出ている。
対照的にベースはゆったりしたフレーズで、ドラムも基本的な16ビートだ。
本来のリズム隊であるドラムとベースは基礎部分を成し、それをピアノとストリングスが補強するという格好か。
 スネアのフィルを挟んで再びピアノとストリングスが大人しくなり、勝田さんがソロを奏でる。やはりダイナミクスやボリューム、息遣いを重視した演奏だ。
演奏しているのはEWIだが、聞こえてくる音はトランペットそのものと断言出来る。それだけメリハリの効いた演奏ということだ。
 そして主役は、ストリングスへとバトンタッチする。初めて聞いたときはかなり意外で驚いたものだ。
ストリングスらしさを含みつつも、ツブの立ったシンセ音に負けじとかなり細かいフレーズを奏でる。
ダイナミクスがはっきりしたフレーズは、まさに爽やかな夏の風だ。

 主役はストリングスからマスターと勝田さんのユニゾンに移る。曲そのものはサビ前の部分だ。
EWIとテナーサックスのユニゾンが終わると、タムが駆け下りストリングスが駆け上がり、サビに入ることを宣言する。
 最初と同じ16小節のサビを演奏し終えると、それまで比較的大人しかったドラムが急に忙しくなる。
マスターと勝田さんがサビのフレーズをユニゾンする中、ドラムソロが入るという部分だ。
テンポキープもあるからかなり難しいと思うが、そこは青山さん。しっかりテンポを維持しつつ複雑なフレーズを淡々とこなしていく。
8小節分のソロが終わりに入るところでピアノとストリングスが細かいバッキングを再開し、再び元の形に戻ってサビを締める、というわけだ。
 もう一度最初と同じ16小節のサビを演奏して、最後は青山さんのタムの連打+ダブルクラッシュで締める。
全ての楽器が音を出すのを止め、残響が消えると客席から大きな拍手と歓声が沸き起こる。爽やかなノリの曲に客はすっかりリゾート気分に浸ったようだ。
 さあ、次は俺と晶子の出番だ。マスターと勝田さんは楽器をぶら下げたままステージ左脇へ、国府さんはピアノから離れてステージ右脇へ退散する。
俺はエレキのストラップに身体を通し、演奏準備を整える。晶子はステージ中央のマイクスタンドからマイクを取り出す。
 「Feel fine!」の始まりは俺のギターだ。
とはいっても複雑なフレーズを弾くわけじゃなく、明るめのディストーションを効かせたコードを鳴らすだけなんだが。
俺が左手でフレットを押さえている間に、SEとボイスが入ってくる。
徐々に競り上がってくるようなSEは勿論シンセだが、ボイスは何とステージ脇に退散しているマスターだ。
英語のボイスだが原曲を研究したそうで、しっかり再現されている。声質は流石に違うが、こればかりは止むを得まい。
 SEが頂点に上りきったところで楽器が一斉に出揃う。
ここで誰かがフライングしたり出遅れたりしたら曲が台無しになるので、リハーサルや練習でもここは念入りにタイミングを揃えるようにした。
その甲斐あってきっちり出揃った。後は突っ走るのみ。
 晶子のヴォーカルが入る。原曲とは違ってスネアのフィルも入る。
これはリハーサルの時にはなかったから青山さんの即興だろう。でも不自然さが全然ないのは、プロの成せる業だと実感させられる。
 俺はコードをストロークで演奏する。ディストーションを効かせてストロークするのは珍しいが、この曲では丁度良い感じになる。
晶子のヴォーカルが比較的高音部で構成されているせいもあるんだろう。サビから始まった曲は快調に進む。
客席を見ると総立ちになって手拍子をしているのが分かる。

 一旦ヴォーカルが消えて楽器音だけになる。ここではギターが前面に出る。高校時代に戻った気分でディストーションの効いた音でフレーズを奏でる。
その背景でバイクのエンジンのSEが、加速にしたがって左から右へと移っていく。同時に男声コーラスも入る。これは桜井さんによるものだ。
これらがあるとないとではやはり違う。むやみやたらと使われている曲は鬱陶しく感じるが、使い方次第で曲を引き立たせたり出来るものだ。
 再びヴォーカルが入る。それと入れ替わるように俺はボリュームをかなり絞ってバッキングを続ける。
ここでのバッキングはシンセ音がメインだ。シンプルな16ビートが軽快にヴォーカルを引き立てる。
途中ヴォーカルが休んだところで、俺はボリュームを上げて合いの手的にフレーズを差し込む。ちょっとしたアクセントになる。
晶子はマイクをスタンドからはずしていることを利用して、ちょこちょことステージ上を動きながら身体を揺らしている。
 Aメロを1回繰り返した後、俺はボリュームを上げてコードを掻き鳴らす。
ドラムは原曲にはないタムを交えたフィルを挟んで4つ打ち(註:通常2拍目と4拍目で叩くスネアを1拍目と3拍目でも叩くこと)になる。
原曲同様スネアのみのシンプルなフィルを合図にサビに突入する。
 サビを2回演奏した後、再び楽器音だけになる。ここでも俺が前面に出てフレーズを演奏する。サビで16ビートに戻ったドラムはここでも4つ打ちになる。
波の音がSEとして入る。この曲自体が夏を強烈にイメージさせるものだけに、このSEは効果的だと思う。
 曲はタムを交えたフィルを挟んでAメロに戻る。俺がボリュームをかなり絞るのは変わらない。今度は繰り返さずにBメロに入る。
基本的に楽器演奏で前回と変わる部分はない。サビに入る前のフィルがタムを加えた少々複雑なものに変わっている−これも青山さんの即興だ−くらいだ。
 晶子が声を張り上げる。だが耳障りじゃなくて爽やかな夏を満喫している姿をイメージさせる声だ。
昨年の夏、マスターと潤子さんに連れられて海に行った時、二人で浜辺で水遊びに興じたことを思い出す。演奏していて気分が良い。曲のタイトルどおりだ。

 サビを1回繰り返した後、これまたタムを加えた複雑なフィルを挟んで間奏に入る。
この曲の間奏はかなり長い。桜井さんのコーラスをバックに、晶子が時折ヴォーカルを入れる。
俺はひたすらコードのストロークを続ける。桜井さんのコーラスの変化を合図にして、間奏のラストで楽器音が足並みを揃える。
 曲はサビに入るが、楽器音は俺のコード音と青山さんが叩くコンガのみの、言わば「静」の状態になる。
照明もそれまでステージ全体を照らしていたものが、晶子のみを照らすスポットライトに変わる。
ここではヴォーカルとコンガと歩調をきっちり合わせることが肝要だ。俺は頭の中でテンポを計りながらストロークを繰り返す。
 そのストロークもコンガも消えて1小節分晶子のヴォーカルだけになり、スネアのみのシンプルなフィルを合図に楽器音が再び加わる。「静」から「動」に戻る瞬間だ。
照明も、晶子だけを照らすスポットライトからステージ全体を照らすものに戻る。
 サビを2回演奏するが、ラストは同じフレーズを繰り返すというパターンになる。それぞれの1拍目でシンバルが入る。
晶子のヴォーカルが終わるのと入れ替わる形で、青山さんがスネアとタムを組み合わせたシンプルなフィルを入れて曲を一旦引き締める。
 最後はヴォーカルなしで、間奏を変形させたフレーズをそれぞれの楽器が演奏する。
ヴォーカルの代わりに桜井さんがコーラスを入れることで、曲が淡白にならないようにしている。
いよいよフィニッシュ。青山さんのダブルクラッシュと俺のディストーションを効かせた音で楽器の演奏が終了する。
それに合わせて晶子がマイクを持った右手を高く掲げる。
青山さんが続いてコンガを鳴らすが、徐々に音量を絞っていく。その間、俺はフレットを押さえたままで、ギター音の響きを限界まで引き伸ばす。
 照明がコンガがフェードアウトしているに連れて、淡いブルーの照明になっていく。
全ての楽器音が消えた後、客席から大きな拍手と歓声が津波になって押し寄せてくる。
照明が暗めなのを良いことに、俺は安堵の溜息を吐く。
晶子はマイクをスタンドに差し込んでから客席に向かって一礼する。すると拍手と歓声がより一層大きくなる。客席からはしっかり見えているようだ。
 ステージを照らす照明はそのままで、スポットライトがステージ左脇を照らす。マイクを持ったマスターが出て来る。MCを挟むんだったな。
桜井さんは自分の前にあったマイクスタンドからマイクを外してマスターに歩み寄る。
さて、今度はどんな掛け合いが聞けるやら。おっと、俺はこの間にギターをアコギに切り替えておかないと・・・。

「しっとりした曲で涼んでもらった後は爽やかなアップテンポの2曲で盛り上げる。いやあ、良く出来たプログラムだね。」
「そういう評価はお客さんがするもんだよ。」

 桜井さんの突っ込みに客席から笑いが起こる。なかなか上手いな、桜井さんの突っ込み。

「さて、次はちょっと毛色の変わった曲をお送りしましょうか。今までウィンドシンセやらサックスやらをやっていた男衆二人が、さっきの『Feel fine!』で
ヴォーカルをやった娘と一緒にコーラスをやるやつ。」
「あー、はいはい。『AMANCER TROPICAL』ね。ここでは中盤以降のピアノに要注目ということで。何でシンセとピアノにそれぞれ人が張り付いているか、
良く分かる曲ですよ。」
「ん、準備は整ったようだね。それじゃ行きましょうか。『AMANCER TROPICAL』!」

 マスターと桜井さんはステージやや奥に引っ込む。そして勝田さんがステージ脇から出てきてマスターと桜井さんのところへ向かう。
晶子はマイクスタンドを俺の方に移動させて、客席正面からピアノがはっきり見えるようにする。
この曲でも晶子はコーラスを入れるが、ヴォーカルじゃなくてコーラス。あくまでも脇役だ。
 パーカッションのようなシンセ音とベースによるイントロが始まる。シンセ音はかなり忙しいが、これくらい潤子さんにはわけのないものだろう。
続いてステージの照明が明るくなり、男声コーラス−マスターと桜井さんと勝田さんによるものだ−と青山さんのパーカッションが加わる。
スペイン語のコーラスが、この場の雰囲気を一気にラテン一色にする。晶子のコーラスも加わり、華やかさが加わる。
 コーラスが止んで、ストリングスっぽいシンセ音が階段を上るように音階を上げていく。
そしてシンセ音とベース、パーカッションが息を揃えたフィルを入れる。
これはこの曲を作った松岡直也が得意とするというか、よく使用するタイプのフィルだ。これがラテン色をより一層濃くする。
この部分は演奏者の息がぴったり合っていないといけない。
しかし、流石はプロミュージシャンと3歳からピアノに親しんできたという元お嬢様。まったくリズムの城は崩れることなく見事にフィルを決める。
 2小節分パーカッションだけのフレーズに続いて、パーカッションとベースをリズムの基礎としたAメロに入る。
ここは潤子さんがフルートっぽいシンセ音でメロディを奏で、俺がバッキングをするというシンプルなものだ。
俺のバッキングは最初の8小節は音の伸びを中軸に据えたもので、次の8小節はアップダウンのストロークによる細かいものだ。
 再びパーカッションだけの2小節分のフレーズを挟んで、パーカッションに似たシンセ音と共に男女のコーラスが入る。この間俺はひと休みだ。
それが8小節分続いた後Aメロに戻るが、今度は俺と潤子さんがメロディをユニゾンする。
ここからようやくピアノが入る。だが白玉を中心にした脇役の位置付けだ。
 前半8小節はパーカッションだが、その最後の方からタムでのフィルを合図にしてドラムに切り替わる。
ドラムは簡単な、青山さんにとってはつまらないと思えるものだ。
ピアノが白玉からクイ中心に切り替わる。ちょっと存在感を増したが、まだMCで言ったような注目すべき特徴はない。

 パーカッションのみによる4小節のフレーズを挟んでAメロを繰り返す。
俺と潤子さんがメロディをユニゾンするのは変わらないが、ピアノのバッキングが一気に複雑なものになる。
リズムとバッキングの両方の役割と特徴を兼ね備えたラテン色の濃いフレーズだ。
潤子さんのピアノソロ曲がゆったりしたバラード曲で落ち着いたものだっただけに、国府さんのこの演奏は新鮮な印象だ。
しかし、こんな複雑なフレーズを少しの乱れもなく弾きこなし、リズムとバッキングの両方の使命を果たす国府さんは、流石プロだ。
 照明が弱くなり、パーカッションによる簡単なリズムキープを背景にしたシンセ音によるメロディだけが響く。そこにベースが高音部を使って加わりユニゾンする。
パーカッションのフィルに続いてオケヒット(註:オーケストラヒットの略。オーケストラによる短い音の一斉演奏のこと)が入り、ステージの照明がまさに
ラテンの燦々と輝く太陽のように明るくなる。いよいよBメロ、サビに突入だ。
 ドラムは簡単なフレーズだが、俺と国府さんは忙しい。
俺はアップダウンのストロークを多用し、国府さんはピアノによるリズムとバッキング両方の特徴と役割を兼ね備えた複雑なフレーズを演奏する。
そこに男声コーラスが被さる。まさしくラテンナンバーだ。俺は軽快さを重視した演奏を心がける。
 オケヒットが入ると、ピアノの相変わらずの複雑なフレーズを背景にしたパーカッションのソロに変わる。
徐々にドラムの比重が増していく。それは非常に複雑なものだが、やはり青山さんの力量はそれらを少しの乱れもなく会場に響かせる。
不謹慎だが、俺は脇役で良かったと思う。こんな演奏をこんな大きな開場で生で聞けるなんて、本来なら金を払って客席に入らないと聞けないからな。
それを同じステージの上で聞けるんだから、一人のプレイヤーとして嬉しいことこの上ない。

 曲はサビに戻る。
今度はシンセのパッドが加わり、休むことなく複雑なフレーズを演奏し続けるピアノとは対照的に映る。
晶子のコーラスがそこに被さる。男声コーラスの時よりやや落ち着いた印象を感じる。もっとも俺は休んでる暇なんてないんだが。
指が擦り切れるんじゃないかと思うくらい、アップダウンのストロークを続ける。
 今度はパーカッションをバックにした男声コーラスのみとなる。
所々でベースの装飾的なフレーズが入り、オケヒットを合図にして休んでいた俺と国府さんが演奏を再開する。
国府さんはいよいよメロディを担当する。しかし同時にバッキングもこなす。
メロディも和音によるクイ、特にオクターブを跨いだフレーズも混じるピアノらしい、しかし難しい部分だ。
だが国府さんはギターとベースとドラムを背景に、ピアノの広い音域を存分に使った演奏を繰り広げる。
やはり不謹慎だが脇役で良かった。こんな凄い演奏を間近で、しかも生で聞けるんだから。
自分の演奏がなければもっとじっくり堪能出来るんだが、こればかりは贅沢というものだろう。
 長い演奏が続いた後、男声コーラスが加わる。ピアノの演奏はより迫力を帯びてくる。
潤子さんのピアノが「静」とするなら、こちらは明らかに「動」だが、「静」の要素も含んでいる。
演奏はクールに、しかし音はホットに。そんな相反するような演奏を国府さんは聞かせてくれる。
ピアノは曲が進行するに連れて、どんどん複雑かつ広い音域を使ったものになっていく。中盤以降のピアノに注目、というMCの意味が客にも分かったことだろう。
 ドラムの演奏が止まり、ギター、ピアノ、そして男声コーラスだけになる。
ここは脇役である俺のギターも結構目立つところだから神経を使う。国府さんはそれ以上に神経を使っているんだろうか。
オクターブを跨いだクイを難なく弾きこなしていくのを聞いていると、絶対的な実力と自信に裏付けされた余裕さえ感じるんだが。
 パーカッションの細かいフィルに続いてまたオケヒットが入り、ドラムとベースが再び仲間に加わる。男声コーラスは続いている。
ピアノが静かに、しかし熱く自分の存在をアピールしている。
今まで脇役に徹していて、潤子さんのピアノソロがあってその存在を忘れられそうになる国府さんだが、ここでは国府さんがこれでもかとばかりに
その存在をアピールする。
客にもよく分かったことだろう。ピアノは潤子さんのバラードソロだけじゃないってことが。

 男声コーラスが被さったまま、ピアノはこれ以上無理だと思わせるくらい複雑極まりないフレーズを演奏する。
もうメロディとバッキングの区別がつかない。パラティドルを多用している証拠だ。
高校時代に宏一が言っていたが、パラティドルは相当練習をこなさないと出来ない演奏技術だ。
それをチラッと見た限り表情を変えずに軽々と−本人は必死かもしれないが−弾きこなすのは、やはり2本の腕と10本の指で生活しているだけの技量が
あるということだろう。
これまでピアノは潤子さんの印象が強かっただけに、国府さんのこの演奏は「ピアノの国府」を客に強烈に印象付けるものになるだろう。
 サビを4回、計32小節繰り返した後、青山さんがパーカッションのフィルを入れ、続いてピアノとシンクロしたオケヒットが入って演奏はフィニッシュを迎える。
一瞬の静寂を挟んで、客席から大きな歓声と拍手が沸き起こる。
国府さんを見ると、その額に汗が滲んでいるものの表情は何の変化もない。
これが自分のピアノ演奏だ、と暗に主張しているようで、下手な政治家の演説より迫力がある。
何だかんだ言ってもやはり国府さんはピアノのプロだ、と痛感させられた。
スポットライトがステージ左に当てられ、マイクを持ったマスターの動きに合わせて前方に動いてくる。
突然シンバルが鳴り、8ビートのリズムが刻まれ始める。メンバー紹介だ。客席からの手拍子や歓声が、8ビートに合わせた手拍子に変わる。

「さあ!熱いラテンナンバーをお届けしたところでメンバー紹介といきましょう!まずは、クールに熱いビートを聞かせる、ドラム&パーカッションの青山大助!」

 スポットライトが青山さんに当てられる。青山さんはクラッシュシンバルを1発叩いて演奏を続ける。客席から拍手と歓声が飛んで来る。

「続いてはドラムと共に曲を支える縁の下の力持ち、ベースの桜井明!」

 スポットライトが桜井さんに当てられ、桜井さんはチョッパーベースのアドリブを入れる。拍手と歓声が客席から送られる。

「次は、シンセにピアノと忙しく動き回る、キーボードの渡辺潤子!」

 スポットライトが潤子さんに当てられる。潤子さんはシンセサイザーでアドリブを入れるかと思いきや、客席に向かって一礼する。
客席から拍手や歓声に混じって「潤子さーん」という掛け声が幾つも飛んで来る。

「次は、先程熱い演奏を聞かせてくれた実力派ピアニスト、国府賢一!」

 スポットライトが国府さんに当てられると、国府さんはパラティドルを使った短いアドリブを演奏する。
客席から拍手と歓声と共にどよめきが起こる。やはりさっきの演奏はインパクトが大きかったようだ。

「次は、主役に脇役、エレキにアコギと忙しい若きギタリスト、安藤祐司!」

 俺にスポットライトが当てられる。俺はアドリブを入れず、大人しく客席に向かって一礼する。拍手と歓声に混じって「安藤くーん」という掛け声が聞こえてくる。
そう言えば、店の常連のOL集団もチケットを買っていたっけ。

「次はサックスに加えてウィンドシンセサイザー、フルートも出来るマルチプレイヤー、勝田光!」

 勝田さんにスポットライトが当てられる。勝田さんはその性格を反映するように客席に向かってぺこりと頭を下げる。惜しみない拍手と歓声が送られる。

「続いては若々しい歌声を聞かせてくれる、ヴォーカル&コーラスの井上晶子!」

 晶子にスポットライトが当てられると、拍手や歓声に併せて指笛や「井上さーん」という掛け声が彼方此方から飛んで来る。晶子は客席に向かって一礼する。

「そしてサックスの私、渡辺文彦!」

 マスターにスポットライトが浴びせられる。拍手や歓声が沸き起こる。

「以上、9名のメンバーによってお届けしてきたこのサマーコンサート、続いては皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう、『energy flow』をお届けします。
座ってゆっくりお聞きください。」


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