雨上がりの午後

Chapter 109 浮上する疑惑、慈しみの時間

written by Moonstone


「今日はこのくらいにしましょうか?」
「そうだな。結構疲れたし。」
「今日も実験で帰りが遅かったですものね。」
「役立たずが三人も揃ってりゃ、早く出来るものも遅くなるさ。はあ・・・。せめてサポートくらいしっかりやってくれりゃなぁ・・・。」

 俺はギターのストラップから身体を抜きながらぼやく。
今日の実験はマイコンのプログラミングという、情報ではかなり簡単で早く終われる部類に入るものだった。
ところが智一はまるで見当違いのことを言って実験の進行を混乱させるし、残る二人は完全に傍観を決め込む有様。
俺の気苦労は学年が変わっても少しも減りそうにない。
 腹が減るのを我慢して、晶子に夕食の準備をしてもらうように頼んだのは正解だった。
腹立たしくてどうしようもなかった気分が、晶子の料理を食べて晶子に今日の苦労を話しているうちにかなり軽くなった。
愚痴を聞かされる晶子はたまったもんじゃないだろうが、嫌な顔一つせずに話を聞いてくれるのはありがたい。

「俺の話って・・・聞いててつまらなくないか?」
「いいえ、ちっとも。それより私の知らない時間に祐司さんがどんな様子で過ごしているのか分かるから、話してくれた方が嬉しいですよ。」
「そんなもんか?」
「祐司さんと私じゃ、大学生活の大変さのレベルが違うってことくらい分かるつもりですよ。それに祐司さんは孤軍奮闘。本当なら弱音の一つでも吐いて良いと
思うんです。でも祐司さんはぼやくけど弱音は吐かない。むしろそれが無理してるんじゃないかな、って心配になるんです。」
「今の大学生活が大変だ、って思ったことはある。だけどそれは自分で知ってて選んだ道だし、もう何を言っても無駄だ、っていう部分もあることが分かってるから
口から出るのは愚痴かぼやきくらいのもんだよ。それを聞いてくれる晶子が嫌な気分になってないか、っていう方が気がかりなんだ。」
「それはさっき言ったとおりですよ。私の知らない時間に祐司さんがどんな様子で過ごしているのか分かるから、話してくれる方が嬉しいんです。
私で良かったら遠慮なく話してくださいね。」
「・・・ありがとう。」

 今はそれしか言えない。それがもどかしい。
だけど晶子との間に余計な装飾は不要だ。思ったことをそのまま言えば良い。
それが衝突に発展することになったとしても、本音を隠して上っ面の付き合いをするよりずっと互いの心をぶつけ合えて良いと思う。
もっとも言うだけ言うんじゃなくて、前に潤子さんに言われたように言う前に10数える必要はあるだろうが。

「エアコン、入れましょうか?」
「良いよ。汗を流せばすっきりするさ。」
「お風呂の準備してきますから、ちょっと待っててくださいね。」

 晶子は部屋を出て行き、少しして戻って来る。風呂の準備と言ってもボタンを押すだけだから簡単なもんだ。
俺はギターとアンプを片付ける。電源プラグを抜き、ギターとアンプの結線を外し、ギターをソフトケースに入れてアンプと一緒に部屋の隅に置けば片付け完了。
俺は滲んでくる額の汗を拭ってベッドに腰を下ろす。
 果てさて、風呂の準備が出来るまでの時間、どう過ごそう?黙ったままってのも何だしな・・・。
かと言って俺の口から出るものと言えば左右に忙しなく揺れ動く将来の天秤の具合か、大学生活のぼやきや愚痴くらいのもんだしな・・・。
こういう時、話下手なのが恨めしく思う。まあ、これで晶子が退屈しないから、言い方を替えれば一緒に居るだけで良いっていうタイプだからその点安心なんだが。
 暫くぼんやりしていると、風呂の準備が出来たことを知らせる電子音が聞こえて来る。
頭の中に立ち込めて来た霞みを取り払うべく一度欠伸をする。

「お先にどうぞ。ゆっくりしてきてくださいね。」
「ああ。ありがとう。」

 俺はベッドから立ち上がると、鞄からパジャマと下着を取り出して部屋を出て風呂場へ向かう。
バスタオルは1枚晶子の家に置いてあるし、身体を洗うスポンジも俺専用のものがある。だから着替えだけ持って来れば良い。
何だか日を重ねる毎に此処が俺の第二の家みたいな気分になってくる。実際そうなっていると言われれば反論出来ないが。
 俺は服を脱いで風呂場に入り、ドアを閉めてジャワーの蛇口を捻る。適度な熱さの湯が一日の汗を流していく。
髪と身体を洗って湯船に浸かる。この時点で自然に深い溜息が出る。一日の疲れや不満の残りが噴出した感じだ。
実験で心身共に疲れ果てた日は、こうして晶子の家で寛ぐに限るな。本当に晶子が居なかったらどうなっていたやら・・・。
 のんびり湯に身体を浸した後、俺は湯船から出てそのまま風呂場から出る。
用意されていたバスタオルを取って身体を拭こうとしたところで、ドアの向こうから微かに声が聞こえて来る。・・・電話か?こんな時間に?
 妙に気になった俺は、手早く髪と身体を拭いて下着とパジャマを着ると、小走りでリビングに入る。
その頃、晶子はデスクの上にある電話を置いたところだった。
俺に向かって背を向けている格好だから表情は分からない。誰からだったんだろう?俄かに心がざわめき始める。

「晶子。お先に。」
「ゆっくり出来ましたか?」

 振り向いてそう言った晶子の表情は微笑んではいるもののやや暗い。何か変な電話だったんだろうか?

「電話・・・誰からだったんだ?」
「・・・兄からです。」

 晶子の兄さんからか・・・。
そう言えば晶子、兄さんと凄く仲が良かったんだったっけ。それを両親に引き裂かれたもんだから両親と半ば絶縁状態になってる、って。
でも、そんなに仲が良い兄さんからの電話だったら、もっと嬉しそうにしても良さそうなもんだが・・・。

「それにしちゃ、表情が暗いな。」
「そう・・・見えますか?」
「ああ。」
「兄からの電話は嬉しいのは勿論ですけど、時間が短かったですから大した話が出来なかったんです。兄は仕事で疲れてるでしょうから仕方ないんですけど・・・。」
「晶子の兄さんって、社会人なのか?」
「ええ。言ってませんでしたか?」
「社会人か・・・。だとすると、俺よりずっと大変なんだろうな。そんな兄さんからの電話だったら、俺に構わないで話してて良かったのに。」
「兄の方から、今日はこれまで、って切り出されましたから文句は言えませんよ。」

 晶子はしんみりとした表情と口調だ。まさに名残惜しそうな・・・。
晶子と兄さんとの兄弟仲は、俺が想像出来ないほど良かったんだろうな。しょっちゅう喧嘩していた俺と弟じゃ比較のしようがない。
でも、そんな仲だったら俺に構わず電話を続けていても良さそうなものなのに。
 兄さんの方も、俺が言うのも何だが、時間を気にする必要はなかったと思う。
ろくに会話も出来ないほど疲れていると考えることも出来るが、俺が、否、俺でなくても想像出来ないほど仲の良かった妹との電話なら、会話しているうちに
疲れも取れてくるってもんじゃないだろうか?少なくとも俺は晶子と会話していてそう感じる。

「折角の機会だったのにな。・・・もしかして、俺が入って来たのが邪魔だったか?」
「そんなことはないです。兄の方にも事情はあるでしょうし、学生身分の私が引き止めるなんて出来ないですよ。」
「ゆっくり電話出来る機会があると良いな。電話じゃなくて実際に会うのも・・・」
「それは駄目です!」

 晶子のいきなりな、しかも強い口調の否定に俺は思わずたじろく。な、何だ一体・・・。
親が引き裂いてそれがきっかけで親と半ば絶縁状態にまでなった程の仲の良い兄さんとなら、電話だけじゃなくて会いたいと思うのが自然だと思うんだが・・・。
 それに駄目、っていうのはどういうことだ?会うと何かまずいことでもあるのか?
・・・もしかして、晶子の両親が晶子と兄さんを引き裂いたのは、そこに原因があるからなのか?実の兄妹を引き裂かなければならないほどの理由が・・・。
俺は気を取り直して晶子に歩み寄り、その両肩を掴んで俺の方を向かせる。突然のことのせいか、晶子の表情には戸惑いが見える。

「何で・・・駄目、にまで発展するんだ?会うと何かまずいことでもあるのか?」
「・・・会うと・・・今の幸せが壊れてしまうかもしれないから・・・。」

 晶子はそう言って横を向く。その瞳から一筋の涙が頬を伝い、床に音もなく落ちる。

「私は・・・兄とは会っちゃいけないんです。どれだけ会いたくても・・・。もし会ってしまったら・・・私と兄が会ったところを見たら・・・祐司さんはきっと
私を嫌いになってしまう・・・。」

 ど、どういうことだ?仲の良い兄妹の再会を見て、そりゃあ多少はやきもちを妬くかもしれないが、見ていて決して気分が悪くなるもんじゃない。
ましてや晶子を嫌いになる要素なんて見当たらない。なのにどうして・・・。
そこに晶子の両親が晶子と兄さんを引き裂いた要因があるんじゃ・・・。
 否、今はそんなことにあれこれ邪推を巡らせる状況じゃない。
俺は・・・晶子の彼氏なんだ。探偵でも警察でもない。晶子を調査したり尋問したりして暗部を−こんな表現は使いたくないが−引きずり出す立場じゃない。
俺は晶子を抱き寄せ、その茶色がかった髪と、力を入れたら折れそうな背中を優しく撫でる。

「俺は・・・晶子が俺を捨てない限り、晶子を嫌いになったりはしない・・・。」
「祐司さん・・・。」

 俺の背に晶子の両腕が回ったのを感じる。俺という存在を確かめるように、両手が俺の背中を擦り続ける。
そうだ。晶子は今、拠り所が必要なんだ。だったら尚のこと、俺がでんと構えて受け止めなきゃ駄目だ。

「悪かったな。嫌な聞き方したりして。」

 俺が言うと、晶子は無言で首を横に振る。その両手は変わらず俺の背中を擦り続けている。
俺は晶子を抱き続ける。不器用な俺が今晶子に出来ることはこれが精一杯だ。
晶子にありったけの愛情を注ぐこと。俺にはそれしか出来ないし、それ以外のことは不要だろう。
 晶子の肩の細かい震えが止んでいく。どうやら落ち着きを取り戻しつつあるようだ。俺は晶子の髪と背中を撫で続ける。
晶子が俺の胸から顔を離したところで、俺は晶子をそっと離す。
涙の跡が二つ、頬に残っている。目は真っ赤に充血していて痛々しい。俺は晶子の頬にある痛苦の痕跡を拭う。

「晶子の家や家族関係にも色々事情はあるよな。なのにそれを尋問するようなことをして・・・悪かったな。」
「いいえ・・・。祐司さんが私を嫌いにならないで居てくれるなら良いんです・・・。御免なさい。取り乱してしまって・・・。」
「もう晶子の家族のことは聞かない。晶子が言うまでは。」
「祐司さん・・・。」
「言いたくなったら言ってくれよな。俺は・・・さっきも言ったけど、晶子が俺を捨てない限り、晶子を嫌いになったりしないから。」
「私は祐司さんを捨てたりなんかしません。絶対、何があっても・・・。」

 晶子ははっきり言い切る。
それだけ言われると嬉しいし、同時に何があっても受け止めるだけの「土台」であり続けなきゃ、という意気込みみたいなものが沸いてくる。
「土台」がぐらついてちゃ、晶子は安心して立っていられない。頼りないと思われがちな俺だからこそ、しっかりしないとな。

「・・・お風呂、行って来ますね。」
「ああ。待ってるから。」

 俺はそう言って、晶子の頬に軽くキスをする。
何だか妖しいシーンになってしまったかもしれないが、そうせずには居られない。そんな気分だったから滅多にしないようなことをした。それだけだ。
晶子は嬉しそうな笑みを浮かべて、ありがとう、と言って小走りに部屋を出て行く。
ちょっとは効果があったみたいだな。・・・何だかこっちの方が恥ずかしくなってきた。
 俺はベッドに腰を下ろす。すると頭の中にさっきの疑念が浮かんでくる。
打ち消そうと思っても、頭の隅にこびり付いて取れそうにない。
こんなこと幾ら考えたって何の得にもなりゃしないのに。
それどころか、晶子に対する自分の気持ちそのものを疑うようなことになってしまいかねない。
 だけど、どうしても気になってしまう。考えてしまう。
晶子が何処か話しにくそうにしていたこと。会ったところを見られたら俺が晶子を嫌いになってしまうということ。
一体、晶子と兄さん、そして両親との間に何があったんだ?
普通じゃありえないことがあったんだろうか?
普通じゃありえないこと・・・。親が引き裂くほど仲の良かった兄妹・・・。

もしかして・・・。

 駄目だ!これ以上考えちゃ駄目だ!
俺は今の晶子が、帰りが遅くなっても電話さえすれば、温かい食事を作って待っていてくれる、心底疲れた俺の愚痴を嫌な顔一つせずに聞いてくれる、
そして何より、俺にこれとない愛情を向けてくれる今の晶子が好きなんだ。
そんな1年以上も育んできた大切な気持ちを自分で崩すようなことをして何が面白い?!いい加減にしろ、祐司!
 俺は深い溜息を吐く。自分のねちっこさに呆れを通り越して怒りすら湧き上がってくる。
俺は今の晶子が好きなんだ。それで良いじゃないか。
晶子だって、俺の過去を知っても、その残像が俺を追いかけてきていることを知っても、俺を好きで居てくれたじゃないか。
そんなありがたい気持ちを無にするようなことをしてどうするつもりなんだ。それこそ晶子を足蹴にするようなもんだ。
こんな性格、早いとこ矯正しないといけないな。
 もう一度深い溜息を吐いた後、俺は改めて部屋を一望する。必要最小限のものがさっぱりと、機能的に配置されたこの部屋・・・。
ある人の持ち物や部屋なんかはその人の性格を反映するっていうけど、この部屋は本当に晶子の性格を反映してるよな
。俺みたいにウジウジしない、何事もそつなくこなす晶子らしい。
 毎週月曜日の夜、この部屋で寝泊りするようになってから久しいが、何時来ても乱れたところがなく、整理整頓されている。デスクなんてその典型だ。
俺のデスクの上なんて、楽譜やレポートやノートが乱雑に乗っかっているのに、晶子のデスクはノートや本が本棚に整然と並べられていて、
あるのはノートパソコンくらい・・・。
 そう言えば、あのノートパソコンには、晶子の家計簿や自作の小説が入ってるんだよな。家計簿は別として、小説は進んでいるんだろうか?
前に見せてもらった時は、半分私小説みたいなものだ、っていう、恥ずかしそうな晶子の説明を受けたんだっけ。
自分を主人公にした日記風味の小説、か。俺じゃ3日続くかどうかも怪しいな。
 あれから小説は進んだのかな?晶子のことだからしっかり書いていて、相当な長編になってるんだろうな。
また何時か見せてもらおう。出会って以来の俺と晶子の触れ合いと衝突の日々が、晶子の視点でどんな風に書かれてるのか興味あるし。
 ドアが開いて、髪をポニーテールにしたピンクのパジャマ姿の晶子が入ってくる。
ここ最近、具体的に言えば桜が咲く季節になって以来、風呂上りは専らポニーテールにしている。
以前、俺と二人きりの時はポニーテールにする、って約束したのもあるだろうが、俺はさらさらのロングヘアーに対する憧れもあるし、風呂上りが寒い時は
髪を下ろしていた。
ポニーテールじゃなきゃ駄目だ、なんて思っちゃいないから晶子がしたいときにすれば良い。
でも、何時見てもロングヘアーのポニーテールは様になるなぁ。

「お待たせしました。」
「すっきりした?」
「ええ。」

 晶子は俺の隣に座ると、不意に頬に唇を触れさせてきた。さっきのお返しか?
柔らかいものが触れた感触が残る部分に思わず手をやりながら晶子を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべている。俺は苦笑いしながら晶子の額を軽く指で弾く。

「この悪戯娘め。」
「さっきのお返しですよ。」
「それじゃ・・・これならどうだ?」
「?!」

 俺は晶子を力いっぱい抱き締め、そのままベッドに押し倒す。きゃっ、という小さい悲鳴が聞こえるが、そんなことはこの際無視だ。
俺は晶子の肩口から顔を上げると、驚いたような表情の晶子の唇に自分の唇を押し付ける。そして間髪入れずに舌を差し込む。
晶子の口は抵抗なく開いて俺の舌を受け入れる。
 晶子の両手が俺の背中に回ったのを感じる。
俺は晶子の口の中で晶子の舌に絡ませ、口の中を斑なく引っ掻き回し、入れた時とは正反対にゆっくりと舌を自分の口の中に戻す。
俺と晶子は口を全開にして重ね合わせたままだ。
 すると今度は俺の口の中に柔らかくて温かいものが入って来る。
するり、という感じで入ってきたかと思うと、俺がやったように俺の口の中を這いずり回り、俺の舌に絡みつく。
ゆっくり、しかし濃厚な舌のダンスは、入って来た時と同じようにゆっくりと終わって遠ざかっていく。
 俺はゆっくりと顔を上げる。それに伴って俺と晶子の口の間に一筋の糸の橋が出来る。
晶子の目は半開きで、同じく半開きの口と相俟って、もの凄い色気を発散している。
一言で言うなら、とろんとしている、というやつだが、その色気は今まで見たこともないくらいだ。
こんな表情を間近で見せられると、むらむらと何かが込み上げて来るじゃないか。
俺は晶子に軽くキスして、口と口を繋いでいた糸の橋を切る。だが、晶子の表情は変わらない。

「もっと・・・してくれないんですか?」
「もっと、って・・・。」
「今は・・・二人きりなんですよ・・・。」

 二人きりって・・・。そりゃそうだけど、此処は女性専用マンションだぞ?そんな場所で声や音を出すわけには・・・。否、そういう問題じゃなくて・・・。
今は晶子を抱きたいとは思うけど、何か心に引っ掛かるものがある・・・。
そう思っていると、晶子がにっと笑って俺を抱き寄せる。
そして身体を反転させて俺が晶子に覆い被さられる格好になる。晶子は顔を上げて悪戯っぽい笑顔を浮かべる。

「やーい、ひっかかった、ひっかかった。」
「!だ、騙したな?!」
「祐司さんったら、凄く困ったような顔するんですもの。」

 くっそー、晶子の色気に惑わされたって訳か。俺は苦笑いするしかない。
女ってやつは魔物だな。否、蜘蛛か?俺を当惑させるに余りある色気を発散させて、俺の頭を混乱させて、不意をついて体勢を逆転させるとは・・・。
しかし、晶子は何時の間にあんな自然にもの凄い色気を発散する技を身につけたんだ?
 そんなことを思っていると、晶子の表情が俄かに真剣みを帯びてくる。今度は何だっていうんだ?
晶子は普段は素直で誠実なんだが、時々悪戯をしたり、息を飲む真剣さを見せたりするからな・・・。

「ねえ、祐司さん。」
「何だ?」
「此処が私の家じゃなくて祐司さんの家だったら・・・どうしてました?」

 そんなこといきなり聞かれてもなぁ・・・。俺は真剣な表情の晶子と向き合いながら考える。
此処が俺の家だったら・・・。
今まで晶子と寝たのは全て俺の家だった。そして晶子が見せたあのとてつもない色気・・・。場所と雰囲気が出揃ったら・・・俺は・・・。

「晶子を抱いてたかもしれない・・・。」
「・・・。」
「でも、立ち往生して何も出来なかったかもしれない・・・。あの時の晶子から感じた色気は、俺の性欲を高揚させるには十分だった。十分過ぎるくらいだった。
それでも俺は晶子を抱くには至らなかった。場所が晶子の家だから、ってこともあったと思う。だけど、それだけじゃないような気がするんだ・・・。」
「・・・。」
「俺だって普通の男だ。ベッドの上で色気を充満させてる自分の彼女が横になっているのを間近で見たら、抱きたいと思うのが普通だと思う。
だけど、晶子を抱くには・・・何て言うか・・・ただ誘われるがまま、とか、その場の欲求に任せて、とかじゃ・・・上手く言えないけど・・・条件が揃わないような
気がするんだ。」
「・・・。」
「さっきのだって、晶子が俺の頬にキスをしたのをきっかけに俺が押し倒してキスしたのが発端だっただろ?そんな、勢いや成り行きで晶子を抱くっていうのは、
どうも・・・心の何かが許さないんだ。さっきだってそうだった。場所が晶子の家だってことよりも、心の何かが引っ掛かって二の足を踏んだ、ていうか・・・
そんな感じだった。だから、場所が俺の家だったとしても、何も出来なかったかもしれない、って思うんだ・・・。」

 俺が独白のように言うと、晶子は微笑みを浮かべる。女神を思わせる優しくて慈愛溢れる微笑みだ。
それを見ていると、心が不思議と安らいでいくのが分かる。

「私は・・・この場で祐司さんに抱かれても良いと思ってました・・・。場所が何処だろうが、隣の人に聞かれようが構わない、って・・・。だけど、心の何処かで、
このまま祐司さんに抱かれて良いんだろうか、っていう思いがありました。こんな抱かれ方されるのって、何だか自分が売春婦みたいにも思えて・・・。」
「・・・。」
「だから、祐司さんが困ったような表情で自分自身と葛藤していた、って分かって、凄く嬉しい・・・。祐司さんが私を抱くことを特別なこととして
意識しているんだ、ってことが分かって・・・。」

 晶子はゆっくりを身を沈めて俺の頬に自分の頬をそっと擦り合せる。滑らかな感触がとても心地良い。
俺は自然に目を閉じて晶子を優しく抱き締める。薄手のパジャマを通して伝わってくる独特の柔らかい感触も、妙に精神を興奮させることなく、
逆に晶子と触れ合っているんだ、っていう安心感のようなものを感じさせる。
 俺と晶子は頬擦りを続ける。
風呂上りで服も薄い、おまけにとびきりの美人とベッドの上で抱き合っていて服を脱いだり脱がしにかかったりしないのは、どうかしているのかもしれない。
でも、俺はそれで良い。俺にとって大切な晶子とこうして触れ合っているだけでも十分幸せだ・・・。
晶子を抱くのは心に引っ掛かりを感じないように「条件」を全て満たした時で構わない。
何も焦る必要はない。俺と晶子は自分達のスタイルで気持ちを深めて絡め合わせていけば良い。そういう関係もあって良い筈だ。
 晶子が愛しい。誰よりも、何よりも・・・。この気持ち、何時までも大切にしたい。
一度肉体関係を持ったからって、二人きりになったら即ベッドイン、なんてことはしたくない。
そんな発情期の動物みたいな−人間は万年発情期の動物だとも言うが−ことはしたくない。
俺は晶子を大事にしたい。晶子との時間を大切にしたい。それだけだ・・・。

Fade out・・・


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