雨上がりの午後

Chapter 15 初めての衝突、疲労する心

written by Moonstone


 翌日、俺は何時もの電車に乗って何時もの駅で降りて学校へ向かう。
表面上は普段と変わりないが、内心は昨日の出来事一色に染まっている。
昨日の出来事とは勿論、演出効果たっぷりの中で井上から直球的な想いの言葉を受けたことだ。
朝起きてから今までずっと、告白の言葉とその時の井上の表情が頭の中にちらついている。
 あれから井上と次に歌う曲を選んで紅茶を一杯飲んでから帰ったが、井上が選んだ曲は案の定というか、演出に使われた「THE GATES OF LOVE」だし、
紅茶の時も、聞いて覚えたいという井上の主張でそれがリピートで延々と流された。何かの宗教じゃあるまいし・・・。
 何時か返事をする、と言っては見たものの、未だに俺の気持ちは不定形のままだ。
もう騙されるのは御免だと頑なな壁を作って拒否する気持ちともうあの事に拘らなくても良いんじゃないかと新しい可能性に向かう気持ちが、
攪拌されてでたらめな模様を描いている。
それに加えて井上の気持ちは本気なのかとか、OKした場合と断った場合の井上の反応はそれぞれどうかとか
様々なベクトルが複雑怪奇に加わって、余計に心模様を複雑にしている。

もし俺が今まで誰とも付き合った事がなかったらどうするだろう?

 色々考えを巡らせていた俺はふと思う。
考えてみれば、俺の気持ちが定まらないのは一月前のあの出来事から心に芽生えた負の感情が存在するからであって、それがなかったらどうしているだろう?
 客観的に見て、潤子さんとは違うタイプだが井上が美人の部類に入ることは間違いない。
決して性格も悪くない。
料理も美味いし、音楽という共通の趣味嗜好がある。
派手好みじゃなくて一緒に居て話が出来れば良いという、表現は悪いが「安上がり」な女だ。
もっとも男の側にしてみれば、少なくとも俺はその方が絶対良い。
俺自身がブランドとかに興味がない方だし、あったとしても俺の生活状況で対応できる筈がない。
・・・そう考えていくと・・・何もなければOKしているんだろうか?・・・何となくそんな気がする。

「祐司!!」

 後ろから声がする。智一の声には違いないが、聞いたこともないような勢い、否、感情を感じる。
後ろを振り返ると、明らかに怒りそのものの表情を見せる智一が猛然と突っ込んで来る。
思わずたじろいた俺に智一は走り寄ると、いきなり胸座を掴み上げる。まさに有無を言わさず、だ。

「この大嘘野郎!!お前がそんな卑怯な奴とは思わんかったぞ!!」
「・・・な、何だよいきなり。」
「何だよ、じゃねえ!!そりゃこっちの台詞だ!!昨日のあれは一体何だ!!」

 ・・・昨日のことか。思い当たる節といえばそれしかない。
ちなみに此処は大学の敷地内だ。当然のことながら大学に来る他の奴等がぞろぞろと歩いているし、何事かとこっちを見ている−見るだけだが−。
なのに智一がそれを気にせずにこうも感情を剥き出しにするとは・・・。

「腕まで組みやがって!!興味ないとか言いながら抜け駆けするっていう、その根性が気に入らねえ!!」
「抜け駆けじゃない!離せ!!」

 俺は智一の腕を振り払う。智一は怒りで、俺はもやもやした気分で肩で息をして睨み合う。
こんなこと、智一と知り合って以来初めてだ。
本当に恋愛は何もかも狂わせる。・・・やっぱり恋愛なんてもう御免だ。

「・・・もう一回聞くぞ。」
「・・・何だよ・・・。」
「お前、晶子ちゃんには興味ないんだよな?」
「・・・ああ。」

 まただ。またあのもやもや感が心の奥底で蠢き始める。
その動きが描く軌跡は「それで良いのか?」と見えるような気がする・・・。どうして・・・否、やっぱり、か・・・。

「じゃあ、俺が晶子ちゃんを誘っても文句はないよな?」
「・・・好きにしろ。」

 心の蠢きがますます激しさを増す中、半ば無理に−意地を張って、と言うべきか−答えると、
それまで怒りが噴き出すような顔をしていた智一が、急ににやにやと笑い出す。何なんだ?一体・・・。

「よおっし。それじゃあ早速晶子ちゃんをデートに誘うかな。もうコースは用意してあることだし。」
「コースって・・・何だそりゃ?」
「デートコースに決まってんだろ。確実に落とせるようなコースを用意したからな。早速今度の日曜にでも・・・。」

 今までの怒り溢れる様子とは打って変わった浮かれた様子の智一を見ていると、ますますもやもやした気分になって来る。
蠢きの軌跡が描く「それで良いのか?」という文字が、ますます深く濃く、鮮明になって来るように思える。
 智一は「落とす」と言った・・・。
智一が井上に熱を上げているのは分かりきったことだし−同じバイトだとは今も言ってない−、遅かれ早かれ本格的なアタックを仕掛けると言っていた。
智一に言わせれば、「あれは下準備みたいなものさ」ということだ。その下準備も上手く行っているとは思えないんだが・・・。
それは別として、智一が本気になれば、大抵の女はそれこそ簡単に「落ちる」だろう。
ルックスも経済力もある。性格も多少お調子者的だが悪い方ではない。少なくとも俺よりはましだろう。

・・・本当に良いのか?
まただ。また問い掛けて来る・・・。
・・・本当に良いのか?
俺には・・・関係のないことだ!

井上が誰とくっ付こうと、俺の知ったことじゃない!

・・・本当に、それで良いのか・・・?

・・・分からない・・・。

 その日の夕方、俺は何時ものようにバイト先の「Dandelion Hill」へ向かう。
服装も何時ものように普段着で出掛ける時間も変わりはない。
だが、心の中は相変わらずもやもやしたままだ。智一が井上に興味はないんだな、と念を押した時から感じているものだ。
 そのもやもやに乗って心の蠢きの軌跡が揺れている。「それで良いのか?」と・・・。
そんな事、俺自身分かりゃしない。・・・否、分からないと思い込もうと自分で仕向けているのかもしれない。
 夕暮れが日を追うごとにますます早まり、「Dandelion Hill」に着いた頃にはもう夕暮れは残像すら空に残っていない。
空を支配しようとする限りなく黒に近い蒼色に最後の抵抗を試みようというのか、西の空に僅かに明るさが残る程度だ。
・・・何だかその空が、今の俺の心を象徴しているような気がする。
何が蒼色で何が明るさかは分からない、否、分かろうとしていない。

「・・・こんにちは。」
「もう、こんばんはでも良いぞ。」

 ドアを開けて正面に居たのは熊さんことマスターだ。慣れたつもりでも正面に居ると思わずたじろいてしまう。
客の中には最初に出迎えるのがマスターか潤子さんかで明日の運勢を占っている輩も居るらしい。

「・・・安藤さん。」

 中に入った俺を次に迎えたのは、エプロン姿の井上だった。
今や潤子さんに迫る男性客の人気を集める朗らかな笑顔−営業スマイルとは本質的に違う−ではなく、暗いというか不安の影が見える。

「何だよ、深刻な顔して。」
「・・・いえ、何でもないです。」
「なら良いけど。」

 そうは言ってみたが、異常に気になる。井上があんな態度を見せるのは初めてと言って良い。
今までなら話さなくても良さそうな事まで俺に話して来たことが、何時の間にか当たり前に思うようになっていたことに気付く。
井上は水の入ったポットを手に取ると客席に走っていく。
何か俺を避けているようにも見える。・・・俺が何をしたって言うんだ?
 ますますもやもや感が強まる中、俺はコートを脱ぐと、夕食を食べる為にカウンターの何時もの席に着く。
程なく潤子さんが客席の方からやって来た。

「こんばんは。」
「こんばんは。夕食、直ぐ出来るからちょっと待っててね。」

 潤子さんは小走りでキッチンに入ると、夕食の準備に掛かる。
何時もなら何時出来るか潤子さんを見ながら待っているところだが、今日はそんな気分になれない。
・・・あのもやもや感と井上の態度が気になって仕方がない・・・。

「はい、お待たせ。」

 潤子さんが差し出した夕食の乗ったトレイを受け取る。
俺は割り箸を割って食べ始めるが、やっぱりもやもや感と井上の態度が気になって、潤子さんの料理を味わうどころじゃない。勿体無い話だが・・・。

「祐司君、具合でも悪いの?」

 潤子さんが不意に問い掛けて来る。
表面上は何事もないような振りをしているつもりなんだが、やっぱり外から見ればバレバレなんだろう。

「いえ、何でもないです。」
「そう・・・?晶子ちゃんもちょっと様子がおかしいし・・・。何かあったの?」

 俺は思わず箸を停めてしまう。
潤子さんはおっとりしているようで実のところかなり鋭い。恐らくマスターが浮気したら−するとは思えないが−直ぐに勘付くだろう。
しかし、こういう状況で井上を出されると関連付けられかねない。場合によっては俺が何かした、と疑われてしまう。
こういう時は男の方が絶対不利なんだ。

「喧嘩でもしたのか?」

 ・・・早速か。
マスターめ、少し離れたところでコーヒーを沸かして聞こえてないような振りをしていながら、しっかり会話を聞いているなんて趣味が悪いぞ。

「してませんよ・・・。俺は何も・・・。」
「何か意味深な言い方だなぁ。井上さんは君に何か言いたそうな感じだぞ。」
「!」

 マスターの一言で俺の身体の内側がびくん、と震動する。
思い当たる節はなくもない。恐らく関係者は俺の心の底に低く垂れ込めるもやもや感を生み出した人物と同一だろう。
今考えられる可能性は、それしか思いつかない。

「ここは一つ、君の方から井上さんの気持ちを察してやってだな・・・」
「あなた、茶化すような言い方しないで。」

 恋愛講釈を始めそうなマスターに潤子さんが釘をさす。
俺は内心ほっとする。こういうフォローは有り難い。

「でも、晶子ちゃんが何か言いたい事がありそうなのは本当みたいよ。話し掛けられたら、まずは黙って聞いてあげて。」
「・・・分かりました。」
「踏ん切りがつかなくて迷っている時に、聞き上手に徹することが出来るっていうのは、ポイント高いわよ。」
「な、何のポイントですか?」
「それは・・・祐司君自身本当は分かってるんじゃない?」

 潤子さんの問いがもやもや感の向こうに隠れていた、否、隠していたものに突き刺さり、引っ張り出して来る。
・・・認めたがらないあの感情を・・・。
「それで良いのか?」と問い掛けてきたのは、これだったんだ・・・。

 その日のバイトは重苦しいものだった。
忙しさはそこそこだったものの、井上とまともに話す事がなかった。
顔を合わせてもどちらかが何か言おうとして躊躇い−客の目やマスターの目が気になったのもあるが−、
結局互いに視線を逸らして別々のことをする・・・その繰り返しだった。
 最初の一言はとっくに決まっている。「何かあったのか?」それだけだ。
だが、それを言った瞬間、俺は潤子さんの問いかけによってもやもや感の中から引っ張り出されたものを認めなければならないだろう。
何故なら、井上の言いたいことは大凡察しが付いているからだ。智一が帰り道で、朝の剣幕が嘘のような調子で俺に「結果」を報告したから・・・。
 「仕事の後の一杯」も井上が来て以来−否、俺がバイトするようになって以来−初めてとも言える重苦しい空気で、
マスターすらも一言二言話し掛けるのが精一杯だった。
そりゃあ、何時もなら自分の歌の出来具合や他の曲についてあれこれ興奮気味に語る井上が黙々とコーヒーを飲んでいたら、
流石のマスターも迂闊に声をかけられまい。

 俺と井上は一言も話さずに帰路に着く。
俺がストーカーの如く付け狙う井上を訝り、井上が俺に話し掛ける機会を窺っていた最初の頃を思い出す。
だが、あの時とは全く空気が違う。話そうと思っても話せない、相手の出方を窺うしかないような、酷く嫌な空気だ。
・・・あの女が最初に別れ話を持ち掛けてきた時とよく似てるから、余計に嫌に思う。

「あの・・・。」

 井上が切り出す。俺の顔色を慎重に窺うような、神経質をそのまま声にしたような響きだ。
最初の頃でもこんな感じじゃなかったのに・・・。
もやもや感がますます深まる。それに粘性が加わる。
言いたいことは察しが付いているんだ。早く言ってくれ!
苛立ちともいえる感情がもやもや感の中から噴き出して来る。

「・・・何だ?」
「・・・。」
「・・・取り敢えず、最後まで黙って聞くから。」

 潤子さんのアドバイスの受け売りだ。実のところ、俺の方から問い質したいという衝動が激しく突き上げて来ている。
だが、そんな事をすれば井上はますます話そうとしないだろう。そして、何も話さないまま、俺が既に知っている行動に踏み切るだろう。
・・・ますますもやもや感が深くなり、粘性が強まる。

「・・・今日、伊東さんに・・・申し込まれたんです。・・・デートしようって・・・。」
「・・・。」
「・・・断ろうと思ったんですけど、どうしても断りきれなくて・・・。それに・・・伊東さんから聴いたんです。」
「・・・何を・・・?」
「安藤さんは私の事なんかどうも思ってない、デートに誘っても構わないって言ったって・・・。」

 ほぼ智一から聞いた通りだ。
智一は『なかなかOKしてくれなかったが、お前が晶子ちゃんの事をどうも思ってない、デートに誘っても構わないんだって、と言ったら
最初驚いたような顔をして、少ししてOKしてくれた』とご丁寧に声色まで変えて説明してくれた。
井上は恐らくこんな心境だろう。
少しは意識し始めてると思っていた俺が実は何とも思ってなくて、他の男にデートに誘われても構わないとまで言ったと聴いた。
私がこのまま他の男の人とデートしても良いの?って・・・。
 そうか、井上は俺を試すつもりなのか。
智一から聴いた俺の井上に対する意識が本当なのかどうか、他の男とデートをOKしたという事で俺がどういう反応を示すのか、試そうとしているんだ。
・・・冗談じゃない。一体何様のつもりだ?!俺の中でもやもや感が激流へと変わり始める。

・・・それで良いのか?

「・・・俺にどうして欲しいんだ?」
「え?」
「俺にデートに行くなって止めて欲しいのか?お前は俺のものだとでも言って欲しいのか?!」

 口調が一言毎に激しさを増す。
激流と化したもやもや感を、こうなったのはお前の責任だと井上に向かって吐き捨てるかのように。

・・・それで良いのか?

「そんなつもりじゃ・・・。」
「じゃあ何だ!」
「・・・もう良いです。」

 井上は悲しげな顔を横に向けて街灯が照らす道を駆け出していく。
俺は止めることなく闇に溶け込んでいくその後ろ姿を見送る。
感情の激流が今度は堰に変わり、新たに沸き上がってきた別の激流を遮断する。

追わなきゃ、止めなきゃ、という衝動めいた気持ちを・・・

 俺はとっくに消えた井上の姿を掴もうとするように開いた右手をぐっと握り締め、同時に唇も噛み締める。
・・・痛い。
爪が掌に食い込むのよりも、前歯が下唇に食い込むのよりももっと、心が・・・痛い・・・。
 外へ飛びだそうと何度も体当たりを繰り返す感情の激流を、堰に変貌した感情がやけにしっかり食い止める。
「意地」という強固過ぎる堰は、俺が壊そうとと思っても壊れない。もうそれは、俺の制御をとっくに逸脱していたと今更気付く。
二度と傷付くまいと「壁」を作る術を使っているうちに、その「壁」が勝手に動作するようになっていた。

・・・それで良いのか?

「・・・知るか・・・。」

 尚も立ち塞がる「意地」という巨大で強固な堰は、俺に本音を吐かせる事すら許さない。
脳裏にこだまする問いかけに対する、心に出来た堰とは裏腹にあまりにも弱々しい俺の呟きが、白い吐息に混じって消える・・・。

 俺と井上はその日以来、まともに口を利いていない。
帰りも別々になったから−俺が先に出る−会話が無いのは勿論のこと、バイトでも事務的な事以外言葉を交わす事はない。
それすら必要最小限にしようとしている。俺も井上も、だ。
 傍目から見ても険悪な雰囲気だというのは分かるんだろう。
リクエストで『Fly me to the moon』の演奏はするが、耳の肥えた常連客の中には違和感を感じるのか首を傾げる者も居たくらいだし、
この手の話に首を突っ込むのが好きなマスターも、決して何があったのかなどと尋ねようとしない。
もし尋ねられたとしてもこんなこと言う筈もないが。

「明日のバイト、お休みさせて下さい。」

 金曜も膠着状態のままバイトが終わり、重過ぎる雰囲気の中の「仕事の後の一杯」で、不意に井上が切り出す。俺はひたすら無関心を装う。

「明日・・・?」
「ええ。出掛ける用事がありますから・・・。」
「分かったわ。」
「じゃあ・・・明日の準備があるので、お先に失礼します。」

 井上は席を立って先に店を出ていく。俺はそれを見送りもせずにコーヒーを飲む振りをする。

「一体、君と井上さんとの間に何があったんだ?」
「・・・何も。」

 俺が答えると、マスターは押し黙る。恐らく切り込み方を思案しているんだろう。

「晶子ちゃん、明日デートみたいね。」

 代わって口を開いたのは潤子さんだった。俺は内心びくっとするが、どうにか平静を装う。
もしかしたら潤子さんには気付かれているかもしれないが。

「・・・そうですか。」
「祐司君は知ってるんでしょ?そのこと。」
「・・・ええ。」
「どうして止めないの?」
「どうしてって・・・関係ないですから。」

 きっぱり言い切るつもりが、最後の方は弱々しい。
如何にも無理しているという口調だ。俺は懸命にその裏に潜む感情を否定する。

「・・・それで良いの?」
「?!」
「本当に・・・祐司君はそれで良いの?」

 カップの取っ手を持つ手に力が篭る。
何度も俺の脳裏を掠めたあの問いかけそのものが潤子さんの口から出た。
現実の声になったその問いかけは、脳裏に響いていた時の何倍もの衝撃を伴って俺の胸に突き刺さる。

「・・・良いんです。」

 俺は急速に勢いを増す感情に強引に蓋をするように答える。否、強がって見せる。
蓋に重石をするように自分の心に向かって叫ぶ。
井上は「先約」が居るくせに俺に好意を持っているような素振りをしておいて、智一とデートをするような軽い女なんだ。
あんな女が落とされようとどうなろうと、俺の知った事じゃない。
智一の奴に井上が二股かけようとしている事を教えてやるべきだろう。深みに嵌まる前に・・・。
 ・・・そう思おうとしても、まったく蓋の重石にはならない。無理矢理被せた蓋を押し破ろうと、感情が暴れ狂っているのが分かる。
そう、昨夜夜道を走り去った井上の後ろ姿を見るだけだった時、解放を阻まれたあの感情だ。
あの時は堰が勝手に閉じて閉じ込めてしまったが、今は・・・ぎりぎりだ。

「晶子ちゃんは祐司君のこと好きだって言ったのよね。」

 潤子さんが念押しするように言う。俺はただ無言で頷く。
今は何か言うのも、潤子さんの顔を見ることも出来ない。もしそうすれば、俺が何を口走るか、どんな顔をするか判らない。

「じゃあ・・・、祐司君は晶子ちゃんに好きだって言った?」
「・・・。」

 俺は首を横に振る。
あの時俺は何をどう言えば良いのか分からなかった。
否、心の中で相反する感情が激しく頂点に向かってせめぎ合い、どうしても判定が出せなかっただけかもしれない。
・・・もしかしたら、もうあの時には心は決まっていたけれど、そこに強引に相反する感情を投入して争わせただけなんじゃないだろうか?

「何か一言返してあげても、良いんじゃないかな・・・。待ってばかりじゃなくて。」
「!!」

 BGMの「Dandelion Hill」をバックに、変わらぬ静かな調子で言う潤子さんの言葉が再び俺の心に深々と突き刺さる。
待ってばかり・・・か。
その「待つ」は井上のように何度邪険にされてもしつこいほどに食い下がるような積極的な意味じゃない。慎重の度が過ぎて臆病になった「待つ」だ。
 確かに俺は食い下がり、追い駆ける事に疲れていた。
もう俺の方から食い下がるまい、追うまいと決めていた節もある。
そうしても結局絆を保つ事は出来なかったという徒労感と絶望感がそうさせたんだろう。
一時は疲れを癒す為にそうするのも良いだろう。だけど・・・

それで良いのか?

「好きって言うのに、意地やプライドは要らないわ。あってもそれは自分も相手も傷付けるだけ。」
「・・・。」
「素直になったら・・・楽になれると思うけどな・・・。」
「・・・もう・・・あんな思いは・・・したくないんです。」

 嘘だ。
俺がそう言うと同時に心の奥から声が聞こえて来る。
俺はそれを振り切るようにぎゅっと眼を閉じるとコートを羽織って席を立つ。
もう疲れたくなくて、楽になろうと心に壁を作ったのに、何時の間にか壁を作って自分を守り続ける事に・・・疲れている。

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