TV健康ライフ

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第2章

 ある日の夕食に出揃ったメニューを目にして、家族は唖然とする。鰯(いわし)の煮付け、鰯の天ぷら。この時点で既にタイムサービスで買い込んだものを
一気に料理したものだと分かる。野菜サラダをよく見ると、明るい黄色の千切りが混じっている。否、混じっていると言うより黄色が眩しいくらいだ。
とどめとばかりに鎮座するのは、500mlはあろう、大型のコップに入った黄色い液体。少し近付けば、鋭い柑橘系の匂いが鼻に突き刺さる。

「ちょっと、お母さん。これって・・・。」
「そう!鰯をふんだんに使ったおかずに、レモンをたっぷり盛り込んだ野菜サラダとレモン100%のジュースよ!」

 誇らしげに言う母親に、家族は顔を顰(しか)める。勿論、嫌悪感から来るものだ。
煮付けと果汁100%のジュースという組み合わせだけでも十分ミスマッチだが、レモンの千切りを混ぜた野菜サラダまで加わっているのだ。台所には醤油の
香りとレモンの匂いが混濁した、何とも形容し難い匂いが立ち込めていて、これだけでも食欲を奪われてしまう。

「現代の日本人はカルシウムが足りないの!鰯はカルシウムの宝庫!それを丸ごと食べられるように、お母さんは工夫したのよ!」
「・・・じゃあ、このレモンの匂いがきつい野菜サラダとレモンジュースは?」
「ビタミンC!これを補うにはレモンが一番!レモンの皮も千切りにすればキャベツと一緒に食べられるでしょ?ゴミを出さないのが主婦の知恵よ!」

 母親はやはり誇らしげに言う。千切りにすれば良いってもんじゃない、と言いたくなるが、言っても無駄だと分かっているから子ども達は言わない。
改めて見ると、やはりキャベツの緑よりレモンの黄色の方が多い。キャベツの代わりにレモンの皮を使ったと言った方が正解だ。

「母さん。レモン100%のジュースってどうやって作ったんだ?」
「ミキサーに決まってるでしょ?果汁のビタミンを100%生かすには、ミキサーにかけるのが一番!」
「ミキサーなんて、家にあったか?」
「この日のために買ったのよ。特売セールやっててね。1台1000円だったのよ。特売を生かすのも主婦の知恵ですからね!」

 レモン100%のジュースのためにわざわざミキサーを買ったのだ。この先使われるかどうかも分からないのに。

「そりゃ、カルシウムやビタミンCは大切だろうけどさぁ。何も二つ同時にメニューにしなくても良いじゃない。」
「何言ってるの!2日に分けたらその分栄養が取れないじゃないの!栄養はね、毎食きっちり摂らないといけないのよ!」

 家族の健康を気遣ってのこと、とばかりに胸を張る母親。家族は緩慢な動作で席に着く。
思えば今朝はご飯に梅干だった。「昨日の夕食で台所のもの殆ど使っちゃったからね」というのがその理由だった。昼食の弁当は、言わなくても昨日の夕食の
残り物と分かるものだった。ちなみに昨日の夕食は、「良質のたんぱく質を摂らなきゃ駄目」とのことでヒレ肉。
 ヒレ肉は高い牛肉の中でも取れる部分が少ないから、必然的に値段が吊り上がる。「日本の給料は高い」と言われるが、購買力平価、すなわち同じ品物を
どの程度の価格で買えるか、という実生活に近い値で見ると、日本は低い部類に入る。そんな給与所得の中で値段が高いヒレ肉を大量に使えば家系は
どうなるか、家計簿を見ずとも容易に分かる。
 その上、今日は鰯とレモンの大量購入。いかに鰯は安価とは言え、これだけ買えば額は相当なものになる。連日「○(まる)得テレビ」の健康問題を取り扱う
コーナー、家族の側に立てば「その日の夕食の料理番組」に振り回される家庭は数多い。「○(まる)得テレビ」の中核的視聴者は専業主婦。家計はどうしても
夫だけのものになる。先にも触れたが、日本の給与所得は購買力平価から見ると低い。そんな所得で連日こうも食費に多大な投資をしていては、当然
何処かに皺寄せが及ぶ。

「ねえ、お母さん。今度、友達と遊びに行くんだけど・・・。」
「小遣い値上げはないわよ!今月は厳しいんだから。」
「そんなこと言ったってさぁ、携帯代だけでいっぱいいっぱいなのよ?」
「だったら、携帯使わなけりゃ良いだけでしょう。大体ね、お母さんがあんたくらいの頃に、電話で月何千円も使うなんて考えられなかったんだから。」

 じゃあ、月に何万も食費につぎ込む分をどうにかしたらどうだ、とは給与所得者である父親は言えない。
奇妙なことに、日本では夫のみ給与所得者で妻は専業主婦、という場合、妻が出費一切を取り仕切っていることが多い。買い物も専ら妻の嗜好が優先され、
子どもは兎も角、給与所得者である夫でさえ「小遣い」という形でなけなしの金しか使えない有様だ。妻がブランドや「ご近所付き合い」と称した遊びで出費を
する一方で、夫は毎日のビール1本の晩酌が楽しみ、という極端な例もある。そのくせジェンダーフリー論者の主張そのままに、「男性も家事をしろ」
「女性を家庭に押し込めている」などと言うのだから、おかしな話だ。

「遊びより食事!栄養をきちんと摂らないと大人になってから大変なことになるんだから。お母さんはね、家族皆の健康を考えてるんのよ。携帯とかどうとか
言う前に、きちんと三食毎食食べて、しっかり栄養を摂ることを考えなさい。」

 じゃあ、今朝のご飯に梅干、っていう食事は良いのか、と家族は心の中で叫ぶが、口には出さない。言っても無駄だと分かっているからだ。
「○(まる)得テレビ」の中核的視聴者が専業主婦、しかもどういうわけか出費一切を取り仕切っていさえする。そんな存在は、専ら「○(まる)得テレビ」の
健康問題を取り扱うコーナーでその日の夕食を決める、否、決めさせられる。「○○は健康に良い!」と、月曜から金曜まで日替わりで、そういった存在の
カリスマ的存在であるかさごろうが、ゲストのタレントを巻き込んで熱いトークを繰り広げ、その内容を受けて大型小売店が特売品を決める。そこに主婦層が
殺到する。その繰り返しだ。
 では、土日はどうなるのか。一言で言ってしまえば「適当」だ。
朝昼兼用で−主婦層に言わせれば「ブランチ」−トーストとインスタントコーヒー、夕食はインスタントラーメンか大型小売店で売られる惣菜かレトルト食品が
大半で、自家製の天ぷらやから揚げが出て来れば万々歳と言ったところだ。食感や旨みを引き出す一工夫−例えばから揚げの味付けにりんごの
擂り下ろしを入れるといったこと−をしなければ、天ぷらやから揚げは極端な話、衣を作ってそれに鶏肉なり芋なり野菜なりを通して、油で揚げれば
出来上がり、という料理の中ではお手軽な部類に入る。
 油を取り替えているならまだしも、油の色が変わるまで平気で使い込んでいる例もある。変色するまで使い込んだ油は、栄養や健康といった面からすれば
論外だ。料理を生業とする者なら、それを使うことは失格と言わなければならない。だが、食材をどうとか言う一方でその過程、すなわち天ぷらやから揚げで
使う油はいい加減、という例は意外に多い。米を炊くにしても、米の銘柄をああだこうだ言う一方で、水は水道水そのまま、研いだら直ぐ炊く、というのと
同じだ。ちなみに今日多くの家庭で出された鰯の天ぷらに使われた油の色は・・・、言うまでもなかろう。
 「○(まる)得テレビ」で夕食の献立を決める、否、決めさせられる主婦層にとっては、そのコーナーで取り上げられる食材が重要なのであって、それ以外の
ことはどうでも良いのだ。翌朝の食事がご飯に梅干だけでも、昼の弁当が昨夜の食事の残り物でも、土日の食事がインスタントでも大型小売店で特売の
惣菜やレトルト食品でも、使い古しの油で揚げた天ぷらやから揚げでも一向に構わないのだ。
その日取り上げられた食材、もっと厳密に言うなら、そのコーナーで紹介されたメニューを全部出すことを続ければ栄養満点の生活が送れる。
「○(まる)得テレビ」の視聴者である主婦層はそう考えている。だから、見た目や取り合わせなど、知ったことではないのだ。

 しかし、高価なのは兎も角、一頭の牛や豚から取れる肉の割合からすると圧倒的に少ないヒレ肉が大量に仕入れられるのか?
実は、「良質のたんぱく質」としてヒレ肉が「○(まる)得テレビ」で取り上げられるまでには、こんな流れがある。

「日本は何時までBSE(牛海綿状脳症)の全頭検査などという、非常識なことをしているのか。これではコストがかさむばかりだ。」
「日本はBSEを恐れず、牛肉輸入枠を大幅に拡大すべきだ。」

 日本を訪れたアメリカ大統領の、首相との首脳会談で出た言葉だ。
BSEで発生する異常プリオンが脳髄や目といった「危険特定部位」に集中するのはよく知られているが、アメリカのBSE対策は極めて杜撰(ずさん)だ。
トレーサビリティーという、この牛肉が何時何処で生まれたなどの「履歴」を残したり検証したり、というシステムが、アメリカではまったくと言って良いほど
確立していないという事実がある。その上BSE検査をするのは全体の1%にも満たないごく一部で、それも極めて杜撰という体たらくだったりする。
「危険特定部位」の除去すらまともに行われていない牛肉が輸出されている、とアメリカの公務員労働組合の幹部が告発している。
 日本の焼肉店などで「今日の個体識別番号」と表示されているのを見た方も居られるだろうが、それはトレーサビリティーがあるからだ。言い換えれば、
「履歴」が不明な怪しい牛肉は出さない、ということであり、それはBSE発生で大きく揺らいだ日本国内の食肉業界が苦心と努力で築いた賜物であるし、
消費者を第一にする消費者行政を実施した良い例だ。
 しかし、日本はアメリカの圧力に屈して、全頭検査を止めてアメリカからの牛肉輸入再開に踏み切った。「生後20ヶ月という基準は科学的根拠に欠ける」と
いうのが、アメリカとその意向を忠実に反映する日本政府の主張だ。しかし、生後20ヶ月未満の牛からもBSE発生牛が出ており、検査技術の向上で今後
それらを精肉処理前に発見出来ることは十分ありうる。そうでなくても、「この肉が何処から来たものか」という、BSEで膨れ上がった消費者の疑問に応える、
という消費者行政に逆行するものだ。
 牛丼愛好者を中心にアメリカからの牛肉輸入再開を歓迎する声が報道されたが、先に挙げたアメリカのBSE対策の実情を考えれば、自分で自分の首を
絞める行為に他ならない。異常プリオンが混在している危険性が非常に高い牛肉をわざわざ食べたい、と言うのだから。日本人は欧米人より変異型
クロイツフェルトヤコフ病にかかりやすい、という結果が出ている。変異型クロイツフェルトヤコフ病は、異常プリオンの摂取で発症するという説が有力だ。
つまり、異常プリオンが混在している危険性が非常に高いアメリカからの牛肉輸入再開は、自殺行為どころではない。当のアメリカはどうかと言うと、BSE
発生を理由にして、未だに日本からの牛肉輸入を禁止していたりする。

 食料は戦略物資の一つである。極端な話、PCや半導体はそれを使える−善し悪しは兎も角−技術者が居なければ単なるガラクタだ。しかし、食料は国民
全体の死活問題に直結する。外交関係の悪化などで相手国からの輸出を止められたり、価格を吊り上げられたりすればアウトだ。
 それに、食糧を輸入すれば何れはその分、国内生産力は低下するという末路を辿る。食料を自前で確保出来なくなったところで、食料と引き換えに無茶な
要求を出されたら従うしかないから、必然的に輸出側が優越的立場に立つ。世界各国が食料自給率向上に血道を上げ、アメリカなど食料輸出国からの輸入
圧力にとりわけ発展途上国が神経質になっているのは、そういう理由がある。
 日本の政治家や有識者なるものは「国益」や「自衛」を勇ましく口にするが、食料買取を迫られて、はい買います、とすんなり応じる時点で、彼らが声高に
主張する「国益」を損ない、先に挙げた食料が戦略物資という観点から見れば、「自衛」どころか「侵略」を受け入れる以外の何物でもない。「戦略」を「自衛」
論議の一環としてああだこうだ言う一方で、食料という国民生活に直結する問題ではその認識が見事に欠落していて、当の本人達はそれにまったく気付いて
いない、アメリカという国に胃袋も首根っこも掴まれているのにそれに気付いていない、あるいは無視しているという皮肉。
机上の空論、とはまさにこのことだろう。何ら「戦略」の意味を知らないのだから。

 そしてもう一方。アメリカからのみでなく、日本国内だけでなく世界各国からの食肉を輸入・販売する商社ではこういう動きがある。

「アメリカ産の牛肉輸入再開で、量が多く入って来たのは良いですけど、どうも利益が落ちるんですよねぇ。」
「そんなことは簡単だ。アメリカ産をオーストラリア産、とでも書き換えておけば良い。」
「ロースのブロックが多いですね。これだと市場がダブつきますよ。」
「そんなもの、ロースをヒレ肉、とでもしておけば良い。ロースよりヒレ肉の方が圧倒的に高値でさばける。」

 中学校あたりで「需要と供給」を学ぶだろうが−「ゆとり教育」世代はどうかは知らない−、需要に比重が傾くと価格が上がり、供給に傾くと価格が下がる。
こういった基本知識は、一見難しそうな市場の取引でもそれなりにきちんと成立している。
 アメリカからの牛肉輸入量は非常に多い。アメリカが日本に繰り返し牛肉輸入再開の圧力をかけたのも、それが理由の一つだ。輸入再開、しかも輸入枠
拡大にまで至ったことで、牛肉の輸入量は増えた。しかし、そのままだと価格の暴落を招く。
 それに、PCや半導体なら梱包したまま倉庫に眠らせておく、という手段も使えないこともないが、食料には日持ちという問題がある。PCや半導体でさえ、
日進月歩の技術進歩で半ば「生もの」扱いの現在でなくても、保管には思いの他コストがかかる。食料品ともなると、単純に並べてもそれらを保管するための
倉庫建設費、土地代、温度管理のための設備、その維持費・・・、とコストは膨らむ。価格の暴落を防ぐと同時に、保管コストの削減、市場での取引での
更なる利益向上、を同時に満たそうとすれば、答えは自ずと限られてくる。
「産地偽装」というのはその代表的な例だ。その上、先に挙げた事例のように「部位偽装」と言うべきものまで加わると、商社は笑いが止まらない。
 会話にもあったとおり、ロースよりヒレの方が絶対数が少ない分だけ高く売れる。元々大量に輸入出来る、言い換えれば大量に買えるということで安く
仕入れたロースをヒレと偽装して売れば、儲けは指数関数的に膨れ上がる。「安く買って高く売る」のが商売の基本、と言われるが、それが一方的に進め
られるとこういう事態になるわけだ。

 「効率優先」「コスト削減」を政府財界がマスコミを動員して繰り返すご時世だ。その最たる例が忠実に実行されているに過ぎない、とも言える。食料品と
いう、日持ちが問題になる商品を極力「コストを減らして」「効率的」にさばいているのだから。
 先導役となっているマスコミが放映する番組には必ずスポンサーがつく。5分に満たない天気予報などでもCMがあることに代表される。「○(まる)得テレビ」も
その事例に漏れない。ましてや、視聴率も高く支持層も厚い「○(まる)得テレビ」ともなれば、スポンサーは向こうから寄って来る。その番組では自社の商品の
CMが必ず流され、更にお得なことに、「健康問題を取り扱うコーナー」で特定の食材がレシピと共に紹介されるのだ。
 食料品が注文して直ぐ販売出来るものではない、ということは第1章でも紹介した。第1章では納豆が取り上げられたが、此処ではヒレ肉。その背後では、
食料貿易という国家間レベルの問題もある。

もう、お分かりだろう。ヒレ肉を巡る一連のからくりが。

 「○(まる)得テレビ」で紹介された食材を大量にさばける大型小売店は勿論、その仕入れ元である商社、更に遡れば外国の商社の利益は上がる。
その一方、「○(まる)得テレビ」に振り回される日本の多くの一般家庭は、食費でただでさえ少ない家計を自ら圧迫する。
この構図は、何時まで繰り返されるのだろうか・・・。
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