Saint Guardians

Scene 13 Act1-3 打開-Breakthrough- 雪残る頂を超える旅(後編)

written by Moonstone

 アレン達パーティーを不意に足止めした季節外れの吹雪は、結局丸1日で止んだ。雲1つない晴天は、ちょっとした気まぐれで簡単に行程を翻弄される人間を自然が小馬鹿にしているようにも思える。
 雪に窓縁まで埋もれた山小屋の外は、一面の銀世界。見た目には美しいが、雪の性質を考えれば煉瓦の塊より質が悪い。身体に刻み込まれた生活リズムで早起きしたアレンとルイは、朝食前に山小屋の周辺を除雪して可能な限りタンクに放り込んだ。山小屋での水には当面不自由しない程の量だから、小屋に戻った頃には2人とも汗だくだ。

「除雪終わりました。」
「おう、ありがとう。食事は準備しておくから、先に風呂に入っておきなさい。」
「ありがとうございます。ルイさん、先に入って。」
「はい。お先に失礼します。」
「一緒に入っても良いんだぞ?」
「!そ、それは…。」

 主に茶化されてアレンとルイは揃って頬を赤く染める。ルイは足早に部屋へ着替えを取りに行く。
 アレンは落ち着かない気分を覆い隠そうとテーブルの席の1つに腰を下ろすが、元々隠し事が苦手なタイプ。しかも昨夜も一線は越えないまでも熱い時間を過ごしたのだ。照れ隠しであることは一目見れば分かる。

「おはよう。」

 アレンが風呂から上がり、ルイと揃って朝食を食べ始めた頃、まだ眠気が意識を包んでいる様子のリーナが食堂に入って来る。

「おはよう。」
「おはようございます。」
「あんた達は朝から元気ね。」

 リーナはルイの向かいに座り、ボツボツと朝食を摂り始める。
 薬剤師の勉強と実験で夜型生活が身体に染み込んで久しいリーナは、朝昼の食事を兼ねることも珍しくなかった。山越えの旅の途中だからある程度アレンとルイに生活リズムを合わせているが、リーナにとっては高地の空気の薄さや季節と地域にそぐわない低温よりも、朝早く起きることの方が苦痛に感じられる。

「今日出発よね?」
「うん。天候が良いうちに出来るだけ進んでおきたいし。」
「あまり寝てない様子ですね。」
「そうね。イアソンとの通信がちょっと長引いてね。」

 リーナが寝不足なのはアレンとルイに生活リズムを近づけているのもあるが、最大の原因はイアソンのアプローチを受けたことだ。リーナは考えに考えた末に「考えさせて」という言葉を絞り出して保留したが、ベッドに入ってからも延々と考え続けてなかなか寝付けなかった。考え疲れで寝たと言っても過言ではなかった。
 イアソンのアプローチに心を動かされている、否、受け入れる方向へ確実に引き寄せられているのが分かっている。だが、プライドが最後の防衛線とばかりに強固に心の行く手を阻んでいる。
 一時は蛇蝎のごとく毛嫌いしていたイアソンのアプローチを受け入れるのは重大な敗北と感じる自分と、アレンには自分しか居ないと高を括ってルイに完敗したフィリアの二の舞になりたくないと思う自分の激しいせめぎ合いに、リーナは翻弄され続けている。
 一方隣には、好印象の初対面から順調に心理的距離を縮め、当人以外には両想いが明らかな情勢を経て交際を始め、今では最後の一線を越えるのが時間の問題と目されるまでに至ったカップルの片割れであるルイが居る。アレンに心を完全に委ねられる安心感とそれに基づく余裕と全開の幸せオーラに当てられ、リーナは自分が惨めにも思える。
 リーナは一応、アレンとルイにイアソンとの通信内容、すなわちタリア=クスカ王国の動向を話す。
 マタラ元内相の事実上のクーデター策謀とその発覚による失脚と身柄拘束、そして国王のパーティーとの和解の模索は、今のアレン達には手の出しようがないことばかりだ。今も王城内に潜伏して、マタラ元内相の復権を目論む若手将校の動向を監視するイアソンと、王国側からの和解申し出に応対するドルフィンに一任するしかないし、それが最善だとアレンとルイは思う。
 直線ではあと10キームに満たない距離で、アレン達パーティーはタリア=クスカ王国とジグーリ王国の国境を超える。天然の巨大な障壁であるハブル山脈に検問などはない。ただし、それを超えて来る者は途絶え、超えて行く者も殆ど居なくなり、超えて行った者の消息は知れない状況は、検問など不要というジグーリ王国側の暗喩と思っておいて損はない。タリア=クスカ王国の動向はドルフィンとイアソンに任せ、ラクシャスを拠点にファイア・クリスタルの入手に向けて模索し、行動することに専念すべきだ。

「出来れば1日で超えたいけど、高さがあるからね…。」
「場所が確保できるところで野宿するのを前提とした方が良いね。」
「あんた達は2人で寝られれば何処でも良いだろうけど、あたしはそうでもないから。」
「な…。」
「え…。」
「この際だから言っとくけど、以降あたしが寝られなくなるからテントではしないで頂戴。したら最中でも問答無用で叩き出すから、そのつもりで。」

 唐突なリーナの一撃に、アレンとルイは固まる。
 当初はアレンが衝動を抑えられないとの懸念から、ルイと一緒に寝ることに及び腰だった。場所がないのと期間限定とはいえ夫婦関係という2点を掲げたルイに押し負けて一緒に寝たのが初日。それが今では一緒に寝るのが当たり前で、寝る前と起きた際で着衣の数が違うとリーナが確信するほどの熱い夜を展開している。自分はイアソンのアプローチにどう応えるか、そもそも応えるべきかという段階で右往左往している横で、さっさと結婚しろと言いたくなるような熱愛を展開する2人に、1本や2本釘を刺したところで罰は当たらないだろうとリーナは思う…。
 朝食後、荷物を確認してアレン達パーティーは、主の見送りを受けて山小屋を後にした。
 食料は多いに越したことはない、と主がぶつ切りの冷凍ラム肉を無償で提供した。除雪に加えてタンクへの投入を2日連続で行った報酬だと言った。
 代わりにアレン達は宿代として2000ビジュを主に半ば押しつけるように渡した。2000ビジュあれば大抵の物資は大量購入できる。もし山小屋がなかったら吹雪に埋もれていたかもしれない。ルイは軽い高山病を罹患していたし、その結末の推測は的外れとは言えない。山越えの重要拠点を利用した対価として払うべきものは払う。アレン達はその方針で素早く合意に達し、行動に出た。
 昨日までの吹雪が嘘のように晴れ上がった山道を、2匹のドルゴに分乗してアレン達パーティーは進む。
 天候が良くても一度高地に降り積もった雪が解けるのはかなり先の話。地面全体が日差しを乱反射して目を眩ませる。主が言ったとおり雪道用のゴーグルを着けていないと目を開けるのも難しい。視界をも遮る雪は、山道を簡単に覆い隠している。「斜面の間にある平坦な部分」くらいの認識を基に道を推測して進むしかない。こんな条件でも徒歩でないだけずっとましと思った方が良い。
 次第に薄い空気が更に薄くなって来るのを感じる。山脈の頂はじれったいほど接近が遅いのに、高度に比例して空気が薄くなるのは変わらない。朝食後にリーナが配給した予防薬を服用したが、それでも息苦しさまでは防げない。高地への順応は難しいものだとアレン達パーティーは改めて痛感する。
 リーナの判断で断続的に休憩を挟み、都度屈伸運動や深呼吸の繰り返しをする。まだまだ空気が薄くなる状況で高山病を罹患すると、最悪下山するしかなくなる確率が高い。生命が最優先ではあるが、此処まで来て下山して海上ルートを再選択しても確実に行けるとは限らないし、時間の大幅なロスは避けられない。国境越えは少しずつだが着実に近づいている今、地道に高山病を予防するしかない。
 空は雲の欠片もない一面の青空が続いている。気まぐれな山の天候の機嫌が良いうちに、夜を徹しても国境である山の頂を超えたいところ。傍目には不安を感じさせる要素が複数ある若年パーティーは、図らずも一致団結して目標に向かって邁進する。

「頂上…!」

 日がかなり西に傾いた頃、不規則に上下する地平線が間近に近づいて来た。声を発するのも惜しいと思うほどの薄い空気の中、アレンが思わず声を上げる。
 3人を乗せた2匹のドルゴは、ついにハブル山脈の頂上に到達する。
 ドルゴを消しても3人が何とか並んで立てる程度の足場は、剥き出しの岩石を積雪が覆うだけ。「西 タリア=クスカ王国 東 ジグーリ王国」と書かれた標識は、過酷な環境で色褪せて辛うじて読める程度。しかし、360度に広がるトナル大陸南部の展望は、高山病のリスクと雪と低温が付き纏う山道を踏破した達成感と充実感と共にアレン達パーティーの心をこれまでにない感動に浸らせる。

「凄い…。」
「こんな景色、初めて見ました…。」
「大パノラマって、このことね…。」

 自らが踏み締めるハブル山脈の頂上をはじめ、斜面に刻まれた蛇行する山道。両国側斜面に点のように見える山小屋。景色の半分近くを占める原生林。タリア=クスカ王国側のはるか遠くに見える、パーティーの拠点となっているバシンゲンがある台地。ジグーリ王国側の相対的に近くに見える街並み。両国側の陸と海を切り分ける海岸線。それらを覆い尽くす青空と光を散布する太陽。この世界に散在する冒険家が「山越えは苦労と危険が多いが、得られるものは格別だ」と言う理由が、今のアレン達パーティーにはよく理解できる。
 世界を一望し、新たな世界に足を踏み入れる瞬間。これは国境線が山脈に沿っているからこそ見て感じられる貴重な体験だ。呼吸をするのも一苦労するような空気を、アレン達は限界まで吸い込み、万感の思いを込めてゆっくり吐き出す。
 微かな期待をしていたタリア=クスカ王国側の2件目の山小屋は、「当面休業」の立て看板と共に雪に半分ほど埋もれていた。窓は全て雨戸が閉められ、玄関と勝手口と共に全て材木が打ちつけられていた。やはり往来の客が減って経営と自身の生活が危うくなり、山を下りたのだろう。この先も存在が確実なラクシャスを除いて休憩・補給のポイントは期待しない方が良い。
 太陽の傾き具合からして、これから全力でジグーリ王国側の斜面を下っても、ラクシャスに到着するまでに最低1回は野宿をする必要があるだろう。物理的にも険しい道のりだが、ラクシャスは視認できる距離まで近づいている。確実に歩みを進めてラクシャスに入ることがアレン達パーティーの次の身近な目標だ。
 一頻り360度の世界を脳裏に焼き付けた後、アレンとリーナは再びドルゴを召喚し、ルイがアレンのドルゴに便乗して行程を再開する。山の天候は何時変わるか分からない。頂上に何時到着できるか分からなかった上りに比べれば、目標が明確に見えて環境も楽になる下りの方が楽だ。アレン達パーティーは、位置エネルギーを利用して一気にジグーリ王国側の山道を下る。

 ジグーリ王国入国後初めての夜が訪れた。ライト・ボールで視界を確保しながら先を行くアレンは、十分な平地が確保できる場所でドルゴを止める。位置エネルギーと体力に任せて一気にハブル山脈を下ったアレン達がテントを張った時間は19ジム過ぎ。青空から夜空に遷移して久しい。
 夜が遅いということで、食事は軽めにする。保存食から削ぎ落した香辛料に干したジャガイモや人参を刻んだものを混ぜてひと煮立ちさせたものを広めに切った乾パンに塗り、フライパンで焼くことを両面でする。フレンチトーストの派生品のようなものだが、ルイが手早く作ったこの料理は、就寝前に食料を欲する胃袋を満足させるには十分な量と味だ。

「あんた達が居れば、野宿でもまともな料理が食べられるから助かるわ。」

 乾パンを3切れ食したリーナが、口に残る辛みの余韻を水で鎮めて言う。
 一工夫加えることで、単調な保存食の組み合わせも野宿では十分な料理に出来る。長年料理を手掛けて来たアレンとルイならではの技術と勘は、無味乾燥になりやすい野宿での食事を豊かなものにする。この点でも、アレンとルイがペアを組むのは正解だったとリーナは思う。
 相互尊重と協力を基本とする2人の関係においては、片方が料理をする間に就寝の準備をし、協力して後片付けをする。これがどちらから指示するまでもなく普通に行われる。ルイの立ち位置がフィリアやクリス、ひいては自分だったらこうはならないだろう。

「ありがとうございます。」
「旦那はドルゴの操縦と先導で疲れてるだろうから、あんたがしっかり癒してあげなさい。」
「は、はい。」
「リーナは先に見張りで良い?」
「星の位置具合からして、そろそろイアソンから通信がある頃だし、丁度良いわ。あたしのことは放っておいて構わないから、さっさと嫁と寝なさい。」

 リーナは焚き火に薪をくべながら言う。相変わらず他人事そのものの口ぶりだが、何処となくその後ろ姿が悩みを抱えたものに感じるのは気のせいではない、とルイは思う。だが、リーナの性格を踏まえて敢えて問い詰めたりすることはせず、アレンと共にテントに入る。
 少しの間毛布などが擦れる音がするが、それも直ぐに止む。釘を刺しておいて正解だったかと思うリーナは、思い詰めた表情で溜息を吐く。
 昨夜、イアソンからアプローチされたリーナは、初めて回答を保留した。これまでなら「寝言は寝て言え」とでも軽く一蹴するか、イアソンの護衛をさせているダークシルフに命じて死なない程度に窒息させるかしたところだ。しかし、アレンとルイの仲睦まじい、それでいて不思議と嫌みを感じさせない間柄を目の当たりにして、羨望というどうにも抑えられない感情が浮上して来た。
 相互に思いやり、自然と協力や分担が出来る関係。これまで長く差別や偏見、更には邪な上昇志向や性的欲求に晒され続けたルイが、それらから自分をガードする手段でもあった聖職者という鎧を全て外した状態でも受け入れられ、弱れば無条件に保護される環境。何れも自分にはないものだし、自分が心の奥底で求めて来たものだ。
 これまでであれば、ドルフィンへの恋が終わった以上、もはや自分には無縁だし、必要ないものだと思っていた、否、思うようにしていた。しかし、あれほど無碍にし続けても尚アプローチして来たイアソンの手を取れば、求めて来たものが手に入るかもしれない状況がある。一方で、それを受け入れることはプライドを自爆させるものであり、あれほど邪険にしていた相手に屈服するような気がする。激しいジレンマからリーナは未だに脱する術が見当たらない。
 暫くすればイアソンから定例の通信が入るだろう。状況の報告が終わったところで、イアソンから回答を求められるかもしれない。その回答が用意できない中、イアソンとどう向き合えば良いのか、リーナには分からない。それがリーナをより苦悩させる。
 リーナは静かに立ち上がり、テントの出入り口を捲って中を除く。ルイがアレンの左肩口を枕にして、アレンがルイを軽く抱く形で眠っている。この旅に出てから何度か見た構図だが、アレンの胸の中で眠るルイがこれ以上なく幸せで輝いて見える。リーナは直視に耐えられず、視線を逸らして出入り口を閉じる。

「人の気も知らずに、仲のよろしいことで…。」

 リーナは呆れとも不満とも分からない独りごとを吐き出し、続けて重い溜息を吐き、項垂れるように俯く。

「リーナ。聞こえるか?」

 不意に耳に流れ込んでいたイアソンの声に、リーナは大きく身体を脈動させる。通信機を取り外そうとするが、慌てるあまり上手く取れず、それが更にリーナをパニックに陥れる。パニック極まるリーナは、通信機を取ろうにも指が滑って縺れてしまう。

「リーナ?…寝てるのか?」
「待って、待って…。」

 リーナは止むを得ず通信機を耳から強引に引っ張って取り外す。イヤリングの形状とはいえ、落ちないように耳たぶを挟みこんでいるものだ。強引に引っ張って取ったことで相応の痛みが代償としてリーナを襲う。皮肉にもリーナはその痛みでパニックから脱し、心臓の鼓動に連動する痛みの源泉となる右の耳たぶを押さえながら通信機を口元に移す。

「ご、御免。遅くなった…。」
「大丈夫か?寝てたなら悪いことしたな…。」
「ち、違う。違うから。単にうつらうつらしててちょっとパニックになっただけだから。」

 リーナらしからぬ取り繕う様や慌てぶりに、イアソンは疑問が消えない。リーナはまだ痛みを周期的に発生する右耳に敢えて意識を向け、乱れる心を強引に鎮める。

「ご、御免…。ほ、本当に大丈夫だから…。」
「リーナがそんなに言うなら。今日は短めにしておくか。」
「う、ううん。報告とかは必要な分して良いから。ね、眠気は吹っ飛んだし。」
「心の準備が出来たら言ってくれ。」

 これまでのリーナを考えればあり得ないもの言いがイアソンには引っ掛かって仕方ないが、追及の手を引っ込めるのはイアソンらしい。本人は心配しているつもりでも執拗に追及し、結果相手の心情を害することは往々にしてある。話術や心理戦を基礎とする交渉が得意なイアソンが、そんな初歩的な失敗をする筈がない。

「…もう大丈夫。本当に御免。」
「否、リーナがパニックになるなんて重大な事態に直面してるのかと思ったんだが、そうじゃないならそれで良い。じゃあ、本題に入るか。」

 イアソンは改めて一呼吸置く。リーナにとってもワンクッションになる。

「バシンゲンに派遣されたタリア=クスカ王国の使者の伝令が、夕方に首都に帰還した。やはりと言うか、王国側が提示した条件での和解交渉をドルフィン殿は受け入れない様子だ。」
「王国側の条件って、どういう内容?」
「全文は把握してないが、条項としては『1.喪失した船舶に換えて、タリア=クスカ王国所有の貨物船を無償・無期限で提供する。』『2.1で無償提供する貨物船に積載する物資は、タリア=クスカ王国が無償で提供する。』『3.一連の狼藉を企図並びに首謀したマタラ元内相を厳重に処罰する。実行した兵士は厳重注意する。』『4.一連の狼藉による皆様方への被害について、ランディブルド王国への報告は控えていただく。』−この4項目だ。ドルフィン殿は1と2は兎も角、3と4は受け入れないとして、国王と直接交渉させるよう使者に条件を突き付け、使者が国王に伝令を送ったそうだ。」
「3は、前にイアソンが言ったように、マタラの処分を交渉材料にしていることがドルフィンの感に障ったんでしょうね。4は、自分の臣下の不始末を庇うような内容が受け入れられないってところか。」
「聡いな。そのとおりだ。伝令だけが帰還したところからも、ドルフィン殿はパーティーに責任を負わせるかのような条件は到底受け入れられないし、最低限直接交渉を受け入れないならマタラに先んじて使者を始末すると暗に迫る構えと見ている。かなりの強硬姿勢だが、国王側も場合が場合だけに受け入れざるを得ないだろう。」

 首都キリカへの帰還を使者全員ではなく伝令に絞らせたのは、ドルフィンの迫力に気圧された使者代表のブランゴ外相だが、それはドルフィンの戦略も含んでいる。
 ドルフィンが交渉の席で言ったように、使者全員が帰還すれば交渉の決裂若しくは不調と直ぐに分かり、マタラ元内相にかなりの部分を牛耳られていた内政の奪還と失地回復を目指す国王にとって、大きな痛手になる恐れがある。マタラ元内相の失脚に伴い、自分達の立場も危ういと危機感を募らせる若手将校がクーデターを起こす危険も孕んでいるだけに−ドルフィンはこの事実を知らないが独自の分析で危険性はあると見ている−、国王のリーダーシップや交渉力の欠如を印象付けるのは、内乱を呼ぶ危険を高めるだけでパーティーにメリットはない。
 一方、伝令だけの帰還になればその間ブランゴ外相などは事実上人質になる。国王の顔を潰さず、同時に国王に直接交渉の受け入れを迫るのは、圧倒的有利な状況と戦力があるからこそ出来る交渉術だ。

「ドルフィンなら万一軍隊に囲まれても蹴散らせるだろうし、国王と直接交渉した方が早いわね。バシンゲンにはシーナさんが居るし。」
「そう。攻防両方が万全だから、ドルフィン殿は単身首都に乗り込んでも問題ない。交渉はドルフィン殿が有利な状況で進むと見て良いだろう。」
「前に言ってた、若手将校の動向はどうなの?ドルフィンならクーデターに巻き込まれても纏めてその場で処刑できるだろうけど。」
「軍上層部からの要望という形で、直接会談の場を持つよう国王周辺に情報を流した。国王もマタラ元内相の強い影響下にあった軍との意思疎通の必要性を認識していて、早々に若手将校を含めた軍上層部をはじめ、各地に駐留する師団の長などとも会談する意向らしい。国王はこれをドルフィン殿との交渉条件にする構えかもしれない。」
「どういうこと?」
「マタラ元内相によって混乱・疲弊した王国の内政回復の必要性を前面に出して、マタラ元内相を厳重に処罰する代わりにある程度俺達パーティーに目を瞑れるところは瞑って欲しいと要求することだ。ランディブルド王国教会全権大使という肩書を持つルイさんの同行者という、俺達パーティーの立場をある意味利用する形だ。」
「それって、あたし達がある程度泥を被るってことにならない?」
「ドルフィン殿は対外的にそういう印象を与えないよう、和解条件の条文変更は当然求めるだろうが、和解交渉自体を決裂させるつもりはない筈だ。今回の事態はあくまでパーティーに損害を与えた内政トップのマタラ元内相の責任だから、国王側がマタラ元内相の処罰を交渉の条件にしないで、船と物資を原状復帰してもらえば十分だ。そこは勘違いしちゃいけない。」

 一国を代表する立場にあるのはルイも国王も同じだ。しかも両国は外交関係を有する間柄でもある。紛争となれば確かに政情がかなり安定していて軍の統率がとれているランディブルド王国が圧倒的に有利なのは間違いないが、遺恨は少なからず残るだろう。「大戦」以降ようやく国家間紛争が齎す重大な禍根に気付き、相容れない国家は無視或いは疎遠にするという暗黙の世界秩序に穴を開け、そこから連鎖的に世界各地で国家間紛争が勃発する恐れがある。
 パーティーはルイを護衛して応答が途絶えた聖地ハルガンに赴いて状況を把握し、可能なら事態の解決を図るのが目的であって、国家間の不和を煽ることが目的ではない。一見強硬姿勢に徹するドルフィンとて、自身の提示した条件以外受け入れないとはしていない。あくまでパーティーにテロリストの濡れ衣を着せて追放した挙句、渡航・運搬手段を破壊したマタラ元内相の処罰内容が不明瞭であることや、臣下の重大な暴走の責任をランディブルド王国に対して隠蔽するよう求めることが承服できないとしているのであり、和解交渉を決裂させる意向はない。
 また、直接交渉により国王がマタラ元内相の事実上のクーデターを清算し、長らく内戦が続いた先住民との和平をはじめ内政刷新の姿勢やリーダーシップを印象付けることも出来る。
 交渉とは一方的に自分の要求を飲ませることではないし、外交もそれは同じだ。所謂不平等条約が齎す不利益を被る国民や住民の強い反発、それを解消することの困難さは日本も過去にも現在にも直面していることだが、政権批判=反日とする政権御用達のオンライン支持者であるネット右翼が跋扈する現在では、200年程度の近現代史を直視することすら反日との誹りを受けかねないこともまた現実だ。

「うーん…。交渉って一口に言っても色々な思惑が絡むのね…。あたしじゃ無理ね。」
「その辺は俺やドルフィン殿が得意とするところだから、リーナは例の新婚夫妻に同行して、ファイア・クリスタルを入手することに専念すれば良い。」
「そうする。どちらもあたしは完全に部外者って感じだけどね…。」

 物理的距離があるタリア=クスカ王国の件は、ドルフィンとイアソンに任せれば良いしそうするしかない。しかし、ジグーリ王国に赴いてアレンの剣を復活させるファイア・クリスタルを入手する旅は、リーナ自身が同行者或いは監視者として加わっている。
 アレンとルイは決してリーナを邪険にしないし、イアソンからの情報を聞き取ったり行程の検討に加えたりときちんとパーティーの一員として扱っているが、仲睦まじい様子を様々な形で見せつけられて、どうしても疎外感を感じてしまう。アレンとルイに期間限定で夫婦になるよう嗾(けしか)けたのは他ならぬリーナ自身だし、ある意味自業自得と言えるから、リーナは現状を不満としてアレンとルイにぶつけることも出来ない。

「アレンとルイがリーナを排除しようとしてるのか?」
「それはない。あたし自身があの2人にそんな意図は欠片もないことも十分分かってる。だけど…、今のパーティーじゃあたしは余り者なのよ。言ってみれば。」

 溜息混じりのリーナの言葉で、イアソンはリーナの心境を理解する。
 アレンとルイが期間限定ながら夫婦として確実に絆を強めているが、リーナはその絆に入る余地も理由もない。アレンとルイの関係において、リーナは完全に部外者だ。リーナが強い疎外感を覚えるのは無理もない。

「何せ2人が仲良くて、嫌みなことをしないし、しかもこの旅の期間は対外的にも夫婦の方が良いって言ったのはあたしだから、文句も言いようがない。この先、旅が終わるまでこういう環境が続くと思うとね…。」
「難しい問題だな。2人がリーナを邪魔者扱いしてるなら通信機を介して諌めることも出来るが、そういう状況じゃなさそうだし。」
「2人がベッタリイチャイチャするのは、寝る時みたいに別の部屋や場所に居る時だけだから、あたしもそれを小姑みたいにどうこう言うつもりはないのよ。任務を全うするなら他は勝手にどうぞって立場なのは変わらないから。だけど…、やっぱりあたしは余り者なんだな、って思えて…。」
「当初の目的どおり、監視者兼傍観者に徹するしかないな。2人が駆け落ちとかしないように目を光らせるって意識を前面に出して。」
「それしかないわよね…。」

 リーナは独りごとのように言って深い溜息を吐く。ふとテントを見る。見張りの交代の時間が来たら、アレンとルイは場所を今自分が居るところに替えて星空や夜明けを見ながら愛や未来を語り、触れ合うだろう。疎外感を覚えるようになったのは読み違いと割り切って、旅を乗り切るしかない。
 それに、もはや誰も割り込む余地がなくなったアレンとルイの仲をあれこれ考えるより、リーナには今直面している重大な問題があるのだから。

「そうだ。忘れてたけど、ラクシャス関係の情報はどう?」
「色々調べてみたが、前にリーナが出した情報に毛の生えた程度しかない。というのもタリア=クスカ王国とは−『とも』と言うべきだろうか、国交がない。だから宝石商やトレジャーハンターからの情報を集約したものしか頼れないんだが、それもごく限られている。」

 イアソンは資料庫で得た情報として、ラクシャスに関する新たな情報を伝える。
 ラクシャスは世界各地から訪れる者のために、宿泊施設が充実しているが、そこでの生活は自分で賄うのが基本とされている。つまり食事や掃除などは宿泊者自ら行うタイプの宿である。
 ラクシャスを統治するのはドワーフと何らかの繋がりがある統領と呼ばれる人物の集団で、その代表者が大統領と呼ばれる。繋がりとはドワーフと肩を並べる宝石加工技術を有していたり、貴重な宝石の鉱脈を発見したりと、ドワーフの国ジグーリ王国に何らかの貢献をしたことを意味する。
 統領は当然世襲制ではなく、人数も固定ではない。最新の情報である保証はないが、現在は4名らしい。それが各地から流入してそのまま住み着いた兵士など戦力に長けた者を警備隊として組織し、町の治安維持や外部の敵からの防衛を担わせている。
 ジグーリ王国への入国は、一旦このラクシャスを経由する必要がある。ジグーリ王国への貢献の証明である統領達の審査を受け、入国認可証を発行してもらわないと、ジグーリ王国へ入国できない仕組みになっている。
 不法に入国しようにも、戦闘力が人間を凌駕するドワーフと対峙することは死を意味すると考えた方が良い。そもそも入国認可証がないとジグーリ王国領土内にある鉱脈まで行きつけないから、大人しく入国認可証を得る方が安全だし確実だ。

「−めぼしい情報はこんなところだ。独立都市と言うが、ジグーリ王国とかなり密接な関係があるようだ。ジグーリ王国への入国前の事前審査機関という立ち位置だな。ドワーフの考え方の傾向や産出物の性質を踏まえれば当然と言えるか。」
「宿での生活を自分でどうにかしろってのが変わってるわね。出入りが激しい基本的に金目当ての連中の相手をいちいちしてられないってことかしらね。」
「それもあるだろう。あと、生活を自分で賄う分、宿泊料金がかなり安価らしい。ラクシャスからジグーリ王国を目指す者に限ったことじゃないが、パーティーは必ずしも資金的に潤沢じゃない。ドワーフから希少な宝石を購入する分の資金が最優先だから、宿泊料金を出来るだけ安価に抑えたいというパーティー側の意向もあるだろう。」
「金に纏わる需要と供給ってことか。でも、今のパーティーには好都合でもあるわね。」
「アレンとルイさんは揃って料理上手で洗濯掃除も得意だからな。むしろ下手な宿よりリーナにとっては快適な生活が出来るだろう。」
「さっきまで余り者とか言ってた口でこう言うのも何だけど、パーティーの人選は正解だったと思うわ。道中の食事とかも不自由しないし。」

 食材と調理方法が限られる野宿でも、アレンとルイの知識と技能と勘で美味な料理が堪能できる。加えて相互協力が自然体で出来るから、料理そのもの以上に面倒な準備や後片付けもスムーズに行われる。
 掃除も手際良く行われるからテントの中は快適。洗濯もアレンがフラッドを使えるようになったことで水資源が潤沢になり、休憩や野営の時期に行われるから−下着はリーナの強い要望で男女別−清潔で居られる。戦力面は兎も角、生活面でアレンとルイが居ることはラクシャスでの滞在において非常に有利なことは間違いない。

「ラクシャスを拠点にジグーリ王国に出入りして、ドワーフと交渉の上、目当ての宝石を購入するってことね。」
「そうだ。面倒だが、ドワーフは概して他の種族に非友好的だ。多種多様な鉱山はドワーフの収入源だから、余計に慎重にならざるを得ない。」
「宝石の売却益で食糧や他の資源を買ったりするっていうドワーフの境遇を踏まえて行動するのが良さそうね。」
「良いこと言うね。その考え方はアレンとルイさんにも言っておいた方が良い。どうもドワーフに対しては妙な偏見が流布されて、それが余計にドワーフを頑なにさせている面がある。」

 ドワーフは醜い姿でねじ曲がった性格とも吹聴されるが、それは人類やエルフなどの偏見混じりの価値観でしかない。
 実際は全体に小柄ではあるが容貌は言われるほど悪くはないし、宝石のカッティング、ガラスや金属を材料とする武器防具や工芸品の生産は、手先な器用なドワーフならではの美しさや機能性を有する。体力が非常に高いため、人間やエルフでは厳しい鉱山労働や林業など第一次産業で威力を発揮するし、武器を握らせれば最前線で活躍できる。
 男性が髭面なのと目つきが全体的にきつめなこと、鉱山や作業場に籠ることが多いため、ネガティブな印象を与えるのだが、それが種族間の優越感に浸ろうとする一部の人間やエルフに悪用されて偏見が固定化されてしまった。
 自分や家族、仲間を悪く言われて好い気はしないものだ。それは自我や意志を持つドワーフでも同じだし、偏見を持ってドワーフに接しても、ドワーフが心を閉ざすのは自明の理というものだ。

「アレンとルイは偏見や妙な価値観とは縁遠い方だと思うけど、念のため言っておくわ。余計なトラブルを起こしても良いことなんて何もないし。」
「賢明だな。監視役として情報や注意事項の伝達はしておいた方が良い。」
「そうね。監視役を名乗り出たのはあたしだし、自分の発言と行動をどうするかは結局自分次第だから。」
「何時になく控えめな考え方だな。」
「そう…かしらね。」

 通信機を介した会話とはいえ、リーナが内心激しい苦悩を抱えているのではないかとイアソンは感じ取る。
 リーナの発言に、傷口にナイフを突き立てるような容赦ない刺々しさがまったく感じられない。そもそも、通信の冒頭でリーナが明らかにパニックに陥っていた。生死や危機に対して冷徹と言えるほど非常に客観的で、時にそれらは当然のことと言ってのけさえするリーナにあるまじき状態だ。その原因は何かとイアソンは推測するが、思いついた推論の1つは自意識過剰だと敢えて否定する。
 リーナは沈黙する。イアソンはじらされる気持ち半分、不安が高まる気持ち半分でリーナの出方を窺う。
 なまじ顔が見えないだけに、リーナの出方には神経を研ぎ澄ませないといけない。迂闊な言動はリーナの地雷を簡単に踏み抜き、爆発後の修復が非常に困難なことはイアソン自身がまさしく身体に叩きこまれたことだ。

「…ねえ。」

 イアソンにとって猛烈に重苦しい沈黙の時間が流れた後、おずおずとリーナが沈黙を破る。

「ど、どうした?」
「…昨日のことだけど…。」

 リーナは一字一句噛み締めるように、薄氷を踏むように紡いでいく。
 イアソンは緊張と不安、そして多めの覚悟と僅かな希望を抱きながらリーナの言葉に耳を傾ける…。
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