Saint Guardians

Scene 12 Act1-3 叫喚-Screaming- 常夏の国で街に繰り出す(後編)

written by Moonstone

 店舗の規模も品揃えも大小様々なバシンゲンの街で、人目が集中する一点がある。アレン、リーナ、シーナ、ルイの4人だ。艶のある赤毛と端正な顔立ち、
非常に珍しい黒目黒髪と小柄さが醸し出す愛らしさ、長身でスタイルが良く眼鏡が漂わせる知的な雰囲気、上品さと清楚さを併せ持つ佇まい、とそれぞれ
個性のある美しさを持つ4人が固まって歩いていれば、嫌でも人目を引く。アレンは自分が女性と思われていると敏感に察知してげんなりしている。リーナは
素知らぬ顔。シーナは意に介さない様子で、ルイはやや当惑気味だ。
 地図を持つアレンは最寄りの教会までの道のりを確認しつつ、周囲への警戒を続ける。美人3人に加わる唯一の男性、そして隣で不安げな様子を見せる
ルイの彼氏としての責任感は、数えきれないほどの性別誤認に落ち込んでばかりではいられないとアレンを奮い立たせる。

「えっと…、この通りを左折か。」

 アレンが先導して通りを曲がる。教会は人と店で賑わう中心部から少し離れ、住宅街の中にあるようだ。住宅はどれも平屋で白いごつごつした壁に囲まれて
いる。アレン達は家の敷地の境界線や壁と言えば基本は木造、高級なものだと煉瓦という文化で生きて来たから、木でも煉瓦でもない材質の壁は色も
相俟って新鮮に映る。

「この壁って何なのかな?」
「恐らく珊瑚ね。」
「珊瑚って…、海にあるあの?」
「そうよ。珊瑚が生息する地域だと壁を珊瑚にすることが多いわね。建築材として入手しやすいし、木材より堅牢だからこの地域ならではの気象現象−
アダール7)の激しい雨や風を凌ぎやすいから。」

 アレンの疑問にシーナが答える。
常に一定以上の海水温度が保たれる綺麗な海に生息する珊瑚は、熱帯・亜熱帯地方においては建築材としての意味合いが強い。特に島嶼(とうしょ)は元々
サンゴ礁が隆起して陸地になったことから植物が育ち難く、建築材にするほど木材が潤沢ではなく、木材自体が建築材とするにはあまり適さない。建築
技術が向上した我々の世界ではまだしも、2階建の自宅が富裕層と位置付けられるこの世界の建築技術では、アダールが齎す風雨に晒されればかなりの
確率で倒壊する。そうでなくても建築物の補修は高額になりやすく、庶民には負担が重い。
 その点珊瑚は自然のコンクリートブロックのようなものだ。珊瑚が生育しない地域では宝飾品として珍重されるものでも、身近に多数存在する地域では
実用に耐えればそちらに回される。それに高温多湿は思いの外植物の生育には好ましくない。木材=建築材という文化からすれば珊瑚を壁などの使うのは
イレギュラーだが、タリア=クスカ王国など珊瑚がふんだんに採れる地域では木材を壁などに使う方がありえないことであり、文化の違いの一端である。

「壁が建物に対してかなり高いのも、アダールとかいう気象現象対策ですか?」
「そうよ。高い建物は風に煽られやすいから、アダールがある地域では余程の対策が出来ないと危険物みたいなものね。倒壊して吹き飛ばされたら周囲に
大きな塊を無差別に投げ散らかすようなものだから。壁を高くして家の高さを抑えるのは、自分の生活を守るだけじゃなくて周囲の生活を脅かさないためでも
あるのよ。」
「生活の知恵というか、近所付合いの一環なんですね。」
「気象条件や環境が厳しいところは尚更助け合わないと生きていけないから、良くも悪くも極端な違いは生じ難いのよ。」

 四季の違いを感じられる地域とせいぜい雨の量が違うくらいの常時夏の気候である地域では、食事も違えば家や建築材も違う。文化の違いに接すると
此処が遠い異国であると強く実感する。
 ランディブルド王国もレクス王国から見れば遠い異国だが、キャミール教のシステムが事実上の国家公務員として確立・浸透していることを除けば、目を引く
違いは見当たらなかった。レクス王国−ランディブルド王国間とランディブルド王国−タリア=クスカ王国間は地図上の直線距離は似たようなものだが、これ
ほど文化の違いが明確なのは赤道の北半分か南半分かの違いではない。
 シーナの言うとおり時期を問わずアダールの脅威に晒される厳しい気象・環境条件の他、宗教が文化の相違に大きな影響を及ぼす。アレン達は一度大きな
文化の違いに接している。記憶を失ったシーナが居たマリスの町を含むカルーダ王国の西側では、食事を摂る場所はテーブルと椅子ではなく、床に敷いた
敷物の上に正座して各自の食膳に一時待機させるものだった。宗教は戒律が厳しいことで知られるメリア教で、女性は顔以外の肌を露出することが禁じ
られているためペレーを常用しなければならず、髪を束ねていないと売春婦と見なされるため、フィリアとリーナはかなり窮屈に感じた。
 タリア=クスカ王国と共通するのは気象・環境が厳しいことだ。そこで生きるためには団結や協力が必要不可欠だし、団結を他人の介在が及ばない唯一
絶対の存在−唯一神による教義として集約した宗教が成立する。これは我々の世界でも随所に見られることだ。
 様々な戒律が存在するユダヤ教は民族興亡に翻弄され、時に流浪や離散を強いられたユダヤ民族が「今は苦しくとも唯一神の信仰で我々のみ救われる」と
したことが成立の要因である。同じく様々な戒律が存在するイスラム教も、砂漠という極度に厳しい環境とそのために食料生産が非常に制限されることが
背景にある。
 ユダヤ教の「救済」範囲の拡大と見なせるキリスト教は、当初激しい迫害を受けて多くの殉教者を生んだが、その中で自分が目撃者となって生々しい光景を
綴る黙示文学が発生した。ドラゴンの基本イメージ−「口から様々なブレスを吐く巨大な爬虫類」を確立した「赤い竜」など構成に大きな影響を及ぼした
「ヨハネの黙示録」も黙示文学の1つである。
 「無宗教」と言われる日本でも、かつては宗教が国営若しくは国の保護を受けた時代が長く続いた。現在も全国に残る寺社仏閣はその時々の仏教の宗派を
色濃く反映している建築様式である。
 移動手段が非常に限定され、それすらも使えない割合が多いと、人間はその環境で生きざるを得ない。ある環境に置かれた人間が団結・協力することで
宗教が生まれ、環境に対応する食生活や建築が考案され、それらが融合することで文化が生じる。神を頂点とする宗教が明確でなくとも、移動手段が非常に
限定され、それすら使える条件がごく限られる状況では、宗教の代わりに不文律の協定が生まれる。宗教自体が団結の裏付けとして生じたことを考えれば、
神の存在があるかないかくらいの違いと言える。
 宗教の代替えとしての地域コミュニティーは、農耕社会である日本には宗教より馴染みがある。日本は四季が明確だから−昨今は「暑い」と「寒い」の
二極化の傾向があるが−地域コミュニティーと融合することで、合掌造りなど独特の建築様式が生まれるし、面積の割に山が多く気象条件も幅広いことから
多様な食文化が生まれた。移動手段の発達と情報が豊富になり入手も容易になったことで、地域コミュニティーに依拠する日本の文化が衰退するのは
自然な流れである。
 日本の文化の継承や繁栄を考えるなら、個人を地域に束縛するより文化を産業として位置付けて安定的な雇用を伴う環境を整備する方が賢明だ。何しろ
若年層を中心に都会への移動が顕著なのは、安定的な収入、自らが生活出来るだけでなく家族を扶養出来るだけの収入を得られる雇用が非常に限られて
いるために他ならないのだから。
 文化の違いを改めて感じたアレン達は、教会に向けての移動を再開する。教会はやはり平屋で周囲を珊瑚の高い壁で囲んでいる。屋根の頂点と正面
入り口上部の十字架がなければ、多少大きいくらいで周辺民家との区別が出来ない。

「この国のキャミール教は、ランディブルド王国みたいにシステムとして確立されてるか知ってる?」
「聞いた話では、ランディブルド王国のように国家体制の一環ではないものの、主に医療拠点としての存在感は確立されているそうです。」

 高温多湿の環境はジャングルを生むが、ジャングルは人間にとって最悪の環境の1つである。隙間なく木々が生い茂ることで地表に日光が届き辛く、その
ため地表は常にじめじめしており、昼でも薄暗い。そのような場所では少しの油断や不注意で容易に怪我をするし、その怪我が化膿や破傷風など悪い
方向に発展する恐れもある。治癒や解毒の魔法を含む衛魔術と、それを使える聖職者は、タリア=クスカ王国において一定の社会的地位を確立することに
成功しているようだ。
 アレン達は門戸を開けて敷地に入り、ルイがドアをノックする。少ししてドアが開き、ランディブルド王国の聖職者と似た服装の男性が顔を出す。初めて見る
顔ぶれ、しかも揃って若い女性−此処でもアレンに対する性別誤認が発生した−ということで、男性は訝しげだ。

「私はルイ・セルフェスと申します。…ランディブルド王国教会全権大使として幾つか伺いたいことがありますが、お時間はよろしいでしょうか?」

 ルイは懐から書状を出して提示する。王国教会総長自らしたためた書状には、ルイがランディブルド王国教会の全権大使であること、全権大使はランディ
ブルド王国教会の代表としてハルガンの状況把握と可能であれば事態解決のためにあらゆる調査・行動を行うことを委任されていること、各地の教会
関係者は可能な限りルイへの協力を要請することが明記されている。
 権力を誇示するようなこと、権力を背景に他人に命令するようなことは忌避すべきとルイは考えているが、全権大使という職責との兼ね合いから相手に逃げ
道を用意した要請をする。

「ランディブルド王国教会の全権大使?では、聖地ハルガンについて…?」
「はい。」
「ど、どうぞお入りください。」

 どうやらハルガンの異変について何か知っているか影響を受けているかしているらしく、聖職者の態度が急変する。
アレン達はルイを先頭にして教会の中に入る。教会の中の光景にアレン達は愕然とする。教会は入口直ぐのところに長椅子が並ぶ礼拝堂があるが、
長椅子がすべて撤去されて代わりに多くの敷物が並べられ、そこに多くの病人が寝かされている。皆高熱を出しているようで赤い顔で魘(うな)されていて、
聖職者が聖水や煎じた薬草片手に奔走している。衛魔術を使える聖職者の職場である教会には怪我人や一部の病人が運び込まれてくるものだが、
これだけの数の病人を収容しているところは初めて見る。明らかに異常事態であり、ハルガンからの応答途絶との関連性を考えたくなる心境は自然なことだ。

「これは一体…?」
「最近急増している病人です。こちらへどうぞ。」

 応対の聖職者はアレン達を奥に案内する。病人が所狭しと横たえられている礼拝堂は情報収集の場には相応しくない。アレン達は会議室に通される。
応対の聖職者が退室して程なく、初老の男性を伴って戻ってくる。

「全権大使のルイ殿。遠路はるばるようこそ。私はバシンゲン町港地域教会総長のバンハム・ダラ・ヒンジュンと申します。」
「ルイ・セルフェスです。お忙しい中お時間をいただいてありがとうございます。早速ですが、お話を伺いたいと思います。」
「私達としても状況を把握したかったところです。国王陛下をはじめとする皆様も事態を大変憂慮しておられます。」

 どうやらランディブルド王国への悪魔崇拝者侵攻と同様、国を徐々に浸食している異常事態を極力隠蔽しつつ事態解決を急いでいるようだ。それ自体は
一概に悪とは言えない。通常では起こり得ない異常事態で状況を把握しないまま公表すれば、あらぬ憶測や出鱈目な情報の発信や錯綜を呼び、事態の
混乱を誘発する。その分早急な原因の究明と正確な対策の立案が必要とされる。
 「公開しなければ分からない」と隠蔽に虚構を重ねても、隠蔽したものは必ず何処からか漏れだし、虚構は事実に圧し潰され、隠蔽した側は勿論、時には
隠蔽された側にも重大な事態となって露呈する。福島原発のメルトダウンはその最たるものだが、「有事」を殊更叫ぶ割には制御不能が即核兵器に変貌する
原子力発電を「安全には万全の対策を講じていると業者が言っている」と繰り返し、碌な対策も検証もなさずに重大な事故を引き起こした自民(その分派で
ある日本維新の会=自民党橋下派やみんなの党=自民党渡辺派を含む)や民主の「有事」感覚の重大な欠陥も見逃せない。
 原発事故が起こったのは民主党政権時であり、情報収集で立ち遅れたばかりか対策を取らなかったのも民主党政権時であるが、それまで半世紀近くもの
間、政官財一体で原発を進めて来たのは他ならぬ自民党であり、民主党から政権を奪還した後も事態から乖離した収束宣言を出したり、あろうことか原発の
輸出を性懲りもなく政官財一体で推進しているのも他ならぬ自民党であることを都合よく忘れている自称「愛国者」が跋扈しているのが、現在の日本である。

「この国では一体何が起こっているんですか?」
「…原因不明の病の蔓延です。」

 バンハム総長の回答に、アレン達は驚愕する。同時にこの国にもザギの影を感じずにはいられない。

「聖地ハルガンとの航路に我が国、そしてこの町があることで聖職者同士の交流や改良された衛魔術の供与といったことが行われてきました。それらが今から
1年ほど前の寄港途絶以来なくなりました。それだけでなく、原因不明の病が蔓延し始めて…。情報が何も得られず状況は悪化する一方で途方に暮れて
います。」
「寄港が途絶する前後で何か異変や兆候らしいものはありましたか?」
「まったくありません。1年ほど前突然寄港がなくなりました。寄港先を変えたのかとも思いましたが、航路を考えるとその可能性はまずありません。ランディ
ブルド王国に使節を送って航路変更の事実を問い合わせましたが、やはりそのような事実はなく、ランディブルド王国自体も聖地ハルガンからの応答が
途絶えていることを非常に憂慮しているとの回答がありました。」

 ハルガンからの応答途絶がまったく予期せぬものだったことが裏付けられた。
原因は未だ不明だが、やはりハルガンが重大な事態に置かれていると考えられること、そしてその背景にクルーシァがあると考えるべきであることも裏付け
られたと言って良い。その原因を解明し、可能なら解決するのがルイの任務であり同行するアレン達の使命だが、それと無関係とは思えないバシンゲンに
おける原因不明の病についても対策を視野に入れるべきだ。何しろクルーシァにより近く、あのザギがまたしても背後に潜んでいる可能性が考えられるの
だから。

「その病の症状、潜伏期間、伝染性、死亡率など分かる範囲で教えてください。」

 それまで黙っていたシーナが急に会話に躍り出る。少し早口で単刀直入にデータの項目を並べる様に、バンハム総長らはたおやかな外見のギャップに
圧される。

「し、失礼ですが、貴女は…?」
「申し遅れました。私はシーナ・フィラネスと申します。ルイ全権大使からご依頼を賜り同行している者です。僭越ながら医師と薬剤師の免許を保有して
います。」
「!医師!しかも薬剤師でもあると?!」
「証明です。」

 シーナは医師と薬剤師の免許状を提示する。医師免許には蛇が、薬剤師免許には亀がそれぞれ免許状を縁取るように描かれている8)。シーナと世界
医師会会長か世界薬剤師会会長の自著署名が並ぶ免許状は、この世界では何処でも通用する卓越した知識と技術を証明するものだ。

「間違いなく本物…。神が遣わされたのか…。」
「病に関する情報をお伝えいただけますか?」
「勿論です!いえ、何とぞ我らにお力をお貸しください!」

 バンハム総長らが一斉に起立して深々と頭を下げる。
礼拝堂に設けられた仮設病床を目の当たりにしたアレン達は、見なかったことにすることは選択肢に浮上しない。特に、免許状を提示してまで身分を
明らかにしたシーナは、医師兼薬剤師の職能とプライドにかけて事態を解決線と使命感に燃えている。普段おっとりしていてサポート役を好むシーナが、自ら
前面に出ようとするのは珍しいことだ。

「了解しました。では改めて病に関する情報を分かる範囲で教えてください。」

 シーナの眼鏡の奥の瞳が何時になく鋭くなる。普段の「料理が上手で穏やかな美人のお姉さん」ではなく、「人々を苦しめる病の根絶を目指す医師兼
薬剤師」そのものだ…。

「−以上です。」
「ありがとうございます。病の概要がよく分かりました。」

 バンハム総長らの説明が終わる。
 病の感染源と潜伏期間は不明であること。
 発症すると高熱が続くこと。
 最初は胸部に強い痛みが起こり1週間ほどで全身に拡散すること。
 死亡率は抵抗力が弱い老人などは50%くらいだが健康な人だと10%未満と見られること。
 伝染性はないらしいこと。
 現在は解熱剤と鎮痛剤を調合したり聖水を服用させることで対処していること。
伝染性がないらしいことが濃厚であると知って、シーナは安堵する。
病の特性の中で伝染性があることは迅速な対策、特に隔離と消毒が必須である。それはその場を通り過ぎたアレン達も例外ではない。何も知らないまま宿に
戻れば、その経路に居る人々は勿論、別行動を取っているドルフィン達をも巻き込むことになる。更に自らが患者となってしまっては、治療や根絶どころの話
ではなくなる。

「この病は一体何なのでしょう…。」
「風土病ではないんですね?」
「はい。このような病は聖地ハルガンの航路が途絶した頃とほぼ重なる形で発生したものです。」
「新種の病と見て良さそうですね。当面は解熱剤と鎮痛剤で患者さんの苦痛を軽減しつつ、負担の少ない流動食で患者さんの栄養状態を確保しましょう。
その上で根本的な対策、すなわち感染源の特定と根絶を行いましょう。」
「薬剤はある程度国から提供がありますが、使用量が増える一方で慢性的に不足しています。買おうにも量が量だけに…。」
「一定量の薬草があれば調合できます。調合はある程度道具が揃えば大量かつ人力より効率的に出来ます。その道具は私が保有していますし、薬草は
薬屋で容易に入手できるものです。資金は私達も提供の用意がありますから、手配をお願いします。」
「わ、分かりました。」
「併せて、薬剤の調合場所を貸与願います。スペースは…私達が座るこの椅子周辺くらいあれば十分です。」
「分かりました。直ちに手配します。」
「リーナちゃん。協力してくれる?」
「も、勿論です。」
「ルイ全権大使はアレン君と一緒に薬草の購入と運搬をお願いします。購入品目の一覧はお渡しします。併せて痛覚緩和の衛魔術がありましたら、そちらの
行使や聖職者書士への教授も。」
「はい。」
「はい。分かりました。」

 シーナの指示で早速当面の対策が始まる。シーナはまず薬草リストを作ってアレンに手渡す。続いてリーナを連れて、運んできた調合用の道具類を取りに
宿へ向かう。リーナはやや当惑気味だが、当面お預けと思っていた薬剤調合、しかも即活用されるとあってやる気が上昇している。
 アレンはルイとバンハム総長の指示を受けた聖職者2名と共に薬屋へ向かう。薬草は乱用や密売を防ぐため、どの国でも薬屋しか取り扱っていない。その分
何処に行けば買えるかが直ぐ分かるから、場所は聖職者に案内してもらえば良い。

「まさかこんなことになるなんて…。」

 薬屋へ向かう途中、アレンはポツリと呟く。

「こういうことは嫌いですか?」
「否、この病の蔓延にもザギが絡んでると考えると、何処まで人を犠牲にすれば気が済むんだ、って思ってさ…。」
「病まで操れるとしたら…、悪魔の化身かもしれませんね…。ザギという者は…。」

 幾ら知略に長けているとはいえ流石に病まで創造出来るとは考えづらい。しかし、あのザギならやりかねないと思うだけの「実績」が過去にはあるし、世界
何処もがある意味ザギの手の中にあると考えると気が重い。
 自分達が向かう先で不特定多数をも巻き込む災厄を引き起こし、犠牲を成果とすら見て焼け野原になった場所や人は簡単に切り捨てて去っていくザギ。
父ジルムを餌に自分をおびき寄せ、災厄の渦中に叩きこんで苦しみ足掻く様を嘲笑っているかと思うと、どうしてあんな人間が「大戦」で滅亡の瀬戸際に追い
込まれた人類を救ったという7の天使の鎧を受け継いでいるのか理解できない。
 もしかしたら、ザギがセイント・ガーディアンであること自体がクルーシァの退廃を象徴しているのかもしれないという見方も出来る。その退廃がザギを配下と
するガルシア一派のクルーシァ支配として結実したとなれば、したくはないが納得できるものはある。
 「魚と組織は頭から腐る」とはよく言ったものだ。特にトップダウン型の組織はより上層部から腐敗しやすく、腐敗を戒める動きを「反乱分子」などとして粛清・
排除することでより腐敗が更に進行する。腐敗には至らなくとも旧来の手法や上層部の思考や人脈の継承に固執し、過去にはなかった形式や変化の速度に
対応出来ず、それでも尚「自分達こそ正道を行く者」という上層部を崇拝し、それに反する動きをやはり「反乱分子」「敵対分子」として粛清・排除する硬直型の
組織もやはりトップダウン型の組織で発生しやすい。
 クルーシァは「大戦」からの歴史を有するが、4000年以上という気が遠くなるような長い時間の中で、セイント・ガーディアン自らが見定めた者を育成し、
後継者とすることで、7の天使が残した武器と鎧と共に7の悪魔が復活した際に対峙できる力を伝承してきた。それ故に「力の聖地」と称されるのだが、本来の
目的である武器と鎧と力量の継承が、自らのシンパを増やし派閥を継承するために変貌していった確率は決して低くはないだろう。
 詳しく聞いていないが、ドルフィンも師匠ゼントからセイント・ガーディアンの座を継承される筈が、ゴルクスに阻害されてしまったという。ゴルクスはガルシア
一派として動いていたことも踏まえると、反ガルシア一派のゼントから弟子のドルフィンへの継承を妨害することでガルシア一派の足場を固めることが目的
だったと見ることが出来る。ゼント、ウィーザ、ルーシェルの3名のセイント・ガーディアンが反撃の機会を掴めず散り散りに脱出せざるを得ないほどだったと言う
から、クルーシァは完全にガルシア一派が掌握し、足元から崩す可能性である反乱が発生する見込みは極めて薄い。
 レクス王国ミルマの町の地下遺跡で邂逅した古代人マークスは言っていた。

「我々の文明は、人間が便利な生活を夢見て創り出しました。
しかし、一部の人間が我こそは指導者と錯覚し、世界制覇の野望と侵略の被害妄想に任せて殺戮兵器を創り出し、あろうことかそれを使ってしまったのです。
この遺跡もその殺戮兵器を敵目掛けて放つために創られました。何百年、何千年もの稼動に耐えうるように。
しかし、自らが滅びても尚機械だけを動かし、甚大な破壊しか生まない兵器を維持管理して、一体何になるというのでしょう。」

 クルーシァを支配したものの何故かガルシア本人はクルーシァに籠城している。しかし、先兵であるザギは世界各地で暗躍しているし、シーナに粉砕された
上に空間ごと異次元に叩き込まれたゴルクスもやはりガルシア一派だ。ガルシアは最高権力者として「本丸」であるクルーシァに鎮座し、先兵を動かして世界
支配の足場を固め、一気に世界の支配者として名乗り出るというシナリオを持っていると考えることも出来る。
 となれば、「大戦」の凄惨な犠牲と悪魔の軍団による支配を乗り越えた7の天使の偉業と力量を後世に伝えるという使命を忘れ、ただ力を支配と抑圧にのみ
使おうと企む組織になり果てたクルーシァは、もはや「大戦」を引き起こした愚かな自称指導者と同じであり、その野望が具現化する前に追放しなければ
ならない。そうしなければ幾らルイと逃避行をしたところで何処にも安住の地はない。何故ならアレンはザギが所有権を主張する7の武器の1つフラベラムを
持っているのだから。

「アレンさんのお父様の件を含めた様々な災厄の禍根を絶たなければ、たとえランディブルド王国を出てもアレンさんと安心して暮らせません。」
「そうだよね。待っててもクルーシァが変わるとは思えないし、待ってる間に寿命が尽きちゃう。」

 ルイの言葉には明らかにアレンとの将来を匂わせるものがあるが、アレンは気付かなかったようだ。フィリアやクリスだと「鈍い」と呆れるか怒るかの二者択一
だが、ルイはアレンの返答から自分の言葉に込めた意志を感じ取ってくれたと至って前向きに受け止める。このような「自分の考えを察しろ」と受け身なのに
攻撃的なところがないルイは、言外の意思を感じ取る能力が低いアレンとお似合いと言えよう。
 この会話を聞いて同行の聖職者は初めてアレンが男性だと分かるが、同時にアレンとルイに強い愛情と信頼関係を感じる。それは、アレンを見つめるルイの
熱い眼差しと、クリスが言うところの「アレンさん好き好き大好きオーラ」が溢れんばかりに感じられるのが大きいだろう…。
 3ジム後、礼拝堂の雰囲気が変わり始めた。シーナがリーナを伴って調合した薬剤が行き渡ったためだ。これまで高熱と全身の強い鈍痛に苛まれていた
患者、そして患者に申し訳程度の薬剤や貴重な聖水を投与することを繰り返していた聖職者は、それぞれ高熱と苦痛が大幅に緩和され、先の見えない単純
作業が大幅に減少した。
 聖職者が慢性的に人手不足なのは、医療拠点として社会的地位を確立しているタリア=クスカ王国でも同じ。本来の業務の上に患者の看護、しかも症状が
終息するまで延々と薬剤や聖水を投与する単純かつ重労働が加わっては、聖職者と言えど疲弊する。患者は患者で高熱も苦痛も大して緩和しない薬剤を
投与され、水分補給を兼ねて僅かな聖水を飲まされるだけで疲弊する一方。重く淀んでいた礼拝堂の空気が、シーナ主導で調合された薬剤によって一気に
改善に向かうのは当然のことだ。

「す、素晴らしい…。これほどの効き目を齎すとは…。」
「対症療法ではありますが、患者さんの現在の苦痛を軽減することも重要なことです。そのお役に立てて光栄です。」
「解熱剤や鎮痛剤というくくりでは同じものなのに、何故こうも違うのでしょう…?」
「旧型の薬剤だったんでしょう。種類は同じでも効力が異なることは、薬剤ではよくあることです。」

 過去、薬品は気の遠くなるような試行錯誤の果てに動物実験を行い、臨床実験へと進み、無事クリアしたものが世に出た。現在ではスーパーコンピュータを
使って合成は勿論、病原菌などへの効き方をシミュレーションして合成を行うが、過去にはなかったアレルギーや「飲み合わせ」の対策が加わり、その数が
膨大であるため、薬品1つを世に送り出す手間は減るどころかむしろ増えている。しかも、合成は成分は元より手順が異なると全く異なるものを創製することが
珍しくない。そのため、同じ種類の薬品でもメーカーによって効く効かないの差は歴然とする結果が生じる。
 スーパーコンピュータどころかCPUの概念すらないこの世界においては、専ら薬品を合成する薬剤師の力量と経験と勘が薬品の効力を決める。合成に勘が
関係するのかと訝るかもしれないが、既存の薬品を合成するだけならいざ知らず、新たな効能を持たせたり、効力の改善を目指す場合はこのタイミングでこの
材料を投入するなどの勘が重要になる。
 シーナが主導して調合した薬品は、これまで聖職者が患者に投与していたものよりはるかに効き目が高い。それはシーナの知識と経験に基づき新たに
考案された薬品であり、効き目の高さも実証済みだ。それは今のリーナと同じく合成のイロハから学び、多くの試行錯誤を行うことで培った経験と知識、そして
勘の賜物である。更に、流通も情報伝達も未発達なこの世界において、たとえ新たな薬品が発表されたとしてもそれが一般的なものになるまで多くの時間を
要する。場所によってはその恩恵が届かない場合もある。シーナにとっては暗記作業のレベルでも、流通している薬品の水準が低ければ非常に高い効力を
発揮するわけだ。

「シーナ殿。本当にありがとうございます。十分なお礼をしたいところですが、必要以上の財を持たない聖職者に出来ることは限られています。」
「費用の面は御心配無用です。それより、薬品はあくまで対症療法です。病を根絶しなければ人間側に不利な消耗戦になります。」
「お、おっしゃるとおり…。」
「改めて対策を講じましょう。患者さんから病にかかる前の行動、特に行った場所について可能な限り情報を集めてください。」
「分かりました。」

 患者の症状を緩和するのはQOL(Quality Of Life)の観点から重要であるが、それだけでは片手落ちだ。やはり病の発生源を特定し、根絶することが求め
られる。常夏の国で遭遇したアクシデントにまだザギの影は感じられないが、病まで操る術を手に入れているならもはや…

悪魔か?

用語解説 −Explanation of terms−

7)アダール:この世界における台風のこと。フリシェ語で「荒くれ」を意味する。ちなみにレクス王国やランディブルド王国では知られていない。

8)医師免許には蛇が、…:無限を思わせる再生(脱皮)を行う蛇と、長寿の象徴である亀は、この世界でも長寿や医術のシンボルとして用いられている。亀が
薬剤師会のシンボルであるのは、一部の亀の甲羅が薬品の材料として珍重されることに由来する。


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