Saint Guardians

Scene 11 Act1-1 決戦V-Decisive battleV- 2つの動きの序曲

written by Moonstone

 物事はそうそう思うように進むものではない。様々な利害や思惑が絡み合う場合では尚更だ。
聖職者辞職に向けて関係者と調整を続けていたルイは、国家中央教会総長から緊急の招聘を受けたことが村の中央教会総長から明らかにされたことで、
辞職のための後継者選定や引き継ぎを中断せざるを得なくなった。
 前述したように国家中央教会総長は国王の宗教顧問や王国議会議員を務め、全国の聖職者の勤務状況や待遇の把握など全国的視野に基づく職務を
抱える立場であり、謁見の申し出は受理されれば御の字と言われる。知名度と人望は国王と肩を並べる、国王の人物像によっては国王を凌駕する国家中央
教会総長が直々に指名して招聘するのは希有なことだ。辞職してからでも謁見は不可能ではないが、「出来る限り早急に来るように」とある以上、辞職に
向けた手続きを優先するわけにはいかないのがルイではなく村の聖職者の事情だ。
 ルイは不承不承ながらも関係者の進言を受け入れ、護衛を担当するヴィクトスが部隊編成を完了次第村を発つことにした。ヴィクトスには国家中央教会
総長から国軍幹部会を通じてルイ護衛の命令が下っているから、部隊編成は早々に完了している。ルイの申し出を受けて、ヴィクトスは明日に村を出るべく
編成した部隊に出発準備を命令し、国軍幹部会に伝令を送った。

「気ぃ進まんみたいやな。」

 夕食と入浴を済ませ、部屋に入ったクリスはルイに言う。ルイは無言で小さく頷く。その表情は今までになく硬い。ルイが聖職者関連の職務に不満を露わに
することは初めてのことだ。
 未確認だが自分を慰留するために国家中央教会総長自ら乗り出してきた可能性が高いこと、そのために辞職に向けた動きを中断せざるを得なくなった
ことが、ルイには不満でならない。そこまでして自分を辞めさせたくないのか、そしてリルバン家と鎖で繋いでおきたいのか、と不満がフォンへの怒りを
生みつつある。フォンが手を回しているかどうかも未確認だが、自分が聖職者を辞職してアレンに同行して出国するとなれば最も立場が危うくなるのは
フォンだ。どうしてもフォンが黒幕と考えざるを得ない。

「聖職者が辞職するんは最終的には本人の意思なんやろ?」
「それはそうだけど…。」
「その意思を貫徹すりゃええやん。そうせな1)この先、聖職者を盾に自分の意志に沿わんことを強いられることにもなりかねへんで。」

 クリスの口調は相変わらず飄々としているが、内容は核心を鋭く突いている。慰留されようが将来を渇望されようが、辞職は最終的に聖職者個人の意志を
優先することが教会人事服務規則で定められている。国家中央教会総長に慰留されても、ルイが辞職する意志を覆さなければ辞職出来るし、村の中央教会
祭祀部長の後継者選定と引き継ぎは村の聖職者幹部が自らのためにも行うべきことだ。だから、ルイは自分の辞職後の村の教会運営を考える必要はない。
極端な物言いをすれば「自分の代わりは何人も居る」と自分の存在を割り切れば良いのだ。
 しかし、慰留されて辞職を撤回した場合、前例が出来てしまう。単なる聖職者ならそれでも「人間の意志も変わり行くもの」など言い訳出来るし、そういう
ものだと思われて終わりだが、ルイの場合一等貴族リルバン家現当主フォンの一人娘という巨大で重厚な看板がある。
 明言こそしていないものの、フォンが今後側室を迎えるつもりはない以上、ルイをリルバン家次期当主に据える意志を有していることは確実。ルイとの関係
改善が遅々として進まないことを焦ったフォンか、そのことに業を煮やした国王や他の一等貴族か、或いは王国議会議員などの研鑽を経てフォンの後継と
なることを想定する首都フィルの教会関係者かは分からないが、ルイの辞職と連動する出国により「損害」を被る関係者がルイの引き留めに動いたと考え
られる。そんな状況下で慰留されて辞職を撤回したとなれば、辞職したいと言い出したら慰留すれば良いと認識され、以後フォンの後継としてリルバン家に
入るなどルイの意志に反することも教会と絡めて押し付けられる可能性もある。
 ルイは5歳から正規の聖職者として働いて来て聖職者の世界しか知らない時代が長く続いた。一方クリスはルイとその母ローズと家族ぐるみで交流してきた
ことで同年代には村八分にされ、親戚とも疎遠になるなど、人間関係の負の部分につぶさに接触して来た。聖職者としての姿勢を日夜叩き込まれたことで
純朴さや誠実さが色濃いルイに対してクリスは擦れていると言えるが、だからこそ見える利害関係が絡む人間の思惑というものがある。

「ルイの未来を決めるんはルイ、あんたやで。ルイが初心貫徹するんが大事や。」
「…そうね。」
「そうとなったら、今日もアレン君とこに行きぃ。」
「ど、どうしてそうなるのよ?!」

 ルイが動揺し始めるより早く、クリスはルイの背中を押して部屋から押し出す。腕力のあるクリスがルイを廊下に押し出すにはさほど時間はかからない。

「明日からは父ちゃんが国軍幹部会の命令で部隊引き連れて護衛するんや。流石にアレン君と一緒の部屋で寝泊まりさせるわけにはいかへんやろう。今日が
ひとまず最後のチャンスやて思てええ。」
「最後のチャンスって何が…。」
「大司教昇進をアレン君にたっぷり祝ってもらっといで。」
「それとこれとどういう関係が…。」
「さあさあ、無駄口叩いとらんと行っといで。おやすみぃ。」

 クリスはさっさとドアを閉める。続いてドア付近で固めの物音がする。ルイは開けようとするがどうにも開かない。前回同様衝立か何かをしたらしい。こうなると
ルイにはアレンの部屋に向かうしかない。ルイはクリスの強引さに呆れと感謝と当惑が混濁した複雑な感情を抱きつつ、アレンの部屋へ向かう。
 アレンの部屋の前まで来たルイは、ドアをノックする手前で固まっている。クリスの部屋を追い出された以上寝る場所はアレンの部屋しかないことは十分
分かっているが、アレンと2人きりで、しかも同じベッドで寝ることに緊張や不安を感じてしまう。アレンと一緒に寝ることそのものは嫌ではないどころか、むしろ
そうしたいと思っている。だが、アレンが行動に出て来ない保証はない。
 前回一緒に寝た時はアレンと初めてのキスをした後でもあるが、その時アレンはもっと自分に触れたい、感じたいと思ったが、その欲求に任せて突き進むと
結婚しかなくなること、それ自体はアレンも想定しているが、何時終わるか分からないアレンの旅に同行するとなると、結婚までセックスだけで繋がる関係に
なってしまうかもしれない、そうなると自分との関係そのものが惰性になって破綻するかもしれない、そうなりたくないからここまでにしたい、と率直に語った。
 アレンが自分との関係を行きずりのものではなく、将来を見据えた真剣なものと位置づけていることにルイは勿論感銘したし、だからこそ安心してアレンの
隣で眠りに落ちた。しかし、アレンにその意志があることが分かっている今、アレンにそれを抑えきることを求めるのは厳しいような気がする。
 ルイが自分の女性としての魅力を自覚し始めたのは、ごくごく最近のことだ。それまでは聖職者としての意識が常に前面にあったし、苦しく厳しかった
生い立ちもあって、女性として意識されることを嫌悪さえしてきた。アレンと出逢い、交際に至ったことで初めて個人を異性として意識し、その異性のために
どうすれば良いかを考えるようになった。クリスの入れ知恵が知識だけの範疇を脱し、それらが悉くアレンを強く惹き付けるものだったと分かったことで、自分が
女性としての魅力を備えていると自覚するようになった。
 薄手の服は身体に密着するものでなくても性的な特徴が出やすい。パジャマ1枚のルイもその例に漏れない。特に寝苦しくないように開かれた胸元から覗く
豊かな2つの膨らみとそれが作り出す深い谷間は、明瞭に女性と女性の魅力を醸し出している。性的意志を持っているアレンにそれらを「誇示」して同じ
ベッドに入るのは、アレンに多大な努力を強いることになるのでは、とルイは考えている。
 そうこうしているうちに、ルイは全身に冷えを感じる。明日は混乱を避けるため早い時間に出発の予定になっている。当事者の自分が寝坊したり体調を
崩して出発出来なくなったら、護衛を担うヴィクトスとアレンに申し訳ない。ルイは意を決してドアをノックする。だが、暫く待っても応答はない。もう一度ノック
してみるがやはり応答はない。

「寝てるのかしら…?」

 ルイはノブに手をかけ、慎重に捻ってドアを開ける。顔が入る程度だけ開けて中を窺うと、奥のベッドには1つの盛り上がりがある。ルイは自分が入れる分
だけドアを開けて中に入り、開けた時以上に慎重にドアを閉めて足音を立てずにベッドに近付く。
 アレンは仰向けで規則的な寝息を立てている。ルイがベッド脇まで近付いても目覚める気配はない。安堵9割脱力1割の心情のルイは、アレンを起こさない
ように慎重に慎重を重ねて掛け布団を捲り、アレンの左隣に身体を横たえて掛け布団を掛け直す。布団に蓄えられていたアレンの温もりに包まれて安らぎを
感じつつ、ルイは10セムにも満たない至近距離に居るアレンを見つめる。

『ぐっすり寝てる…。疲れてたのね…。』

 教会の臨時職を満了してから明日の出発が決まるまで僅か3日。満了明けの翌日は首都フィルのホテル滞在中以来2回目の終日のデートを楽しんだが、
それ以外はルイは教会の職務に出て、アレンは教会付属の慈善施設に出向いて子ども達の面倒を見ていた。美味しい料理と楽しい遊び時間を齎した
アレンを気に入っていた子ども達と、故郷のテルサ村でギマ王国からの難民の子ども達に菓子を配った記憶と慈善施設の子ども達が重なったアレンの
思惑が一致したためだ。慈善施設も慢性的な人手不足だし、料理の腕が高く子ども達に馴染めるアレンの参入は一時的であっても歓迎されるものだった。
 アレンはクリスの両親に食材と小遣いを貰って慈善施設に赴き、料理と菓子、そして遊び時間と遊び相手としての自分を振る舞った。エネルギーが有り余る
子ども達を複数相手にするのは、慣れた職員でもかなりの体力を必要とする。アレンが臨時職の時と同等以上に体力を消耗したことは想像に難くない。

『こんな良い男性と付き合えて幸せね、私…。』

 眠り続けるアレンの寝顔からは邪気らしきものは全く感じられない。それは起きている時でも変わらない。ひたむきに何かに取り組んでいる時も、優しく
真剣に自分に向き合う時も、表情は違うが感じるものは真っ直ぐで純粋だ。
 聖職者として知名度が高まるにつれて近付いて来るようになった村の男性からは、必ず自身の地位向上や収入増加を目論む欲と自分の身体に向ける
露骨な性的関心の2種類の邪気を感じた。聖職者だからか余計に敏感に感じ取れたその邪気を溢れさせる村の男性達に共通した概念は、「バライ族の
私生児でも成長すれば使いものになる」といった民族差別に基づく見下した意識だ。
 アレンからは一度もそんな基盤意識を感じたことはない。遠い異国の出身だからこそなのかもしれないが、物心つく前から民族差別と私生児差別の
二重苦に晒され、懸命に生き抜いてきたルイには、アレンの意識や態度は新鮮であると同時に嬉しくありがたいものだった。心の距離を縮めていく中でも、
アレンから村の男性と同じ邪気が地金を出すことはなかったし、今でもそうだ。自分に対する性的関心も、人間として自然な欲求の1つであり、それが自分
だけに向けられるのなら構わないと思う。
 国家中央教会総長が直々に乗り出してまで自分を慰留する可能性が高い。だが、クリスの言うとおり此処で自分の意志を貫徹出来なければ、「慰留すれば
言うことを聞く」という悪しき前例が出来てしまう。そのままリルバン家に入ってフォンの後継に据えられることも、ひいては一等貴族の由緒ある血統を守る
ためとしてアレンと引き裂かれることも、自分が取る態度次第で道が開かれてしまう危険性がある。
 一等貴族の後継争いに巻き込まれて地獄の苦しみを味わわされた母と同じ轍を踏まないためにも、初めて自分を1人の人間として、1人の女性として認め
受け入れてくれたアレンに報いるためにも、聖職者とフォンの唯一の実子の2つの足枷を躊躇なく切り離す決断力が求められる。
 ルイはアレンに更に身体を寄せ、アレンの右耳に触れる寸前まで唇を近付けて、溢れんばかりの想いを込めた言葉を流し込む。

「おやすみなさい、アレンさん。…大好き。」

 こそばゆい感覚に身悶えしそうになりながら、ルイはアレンの胸に左腕を乗せて抱きつくような姿勢になり、そのまま眠りへと意識を吸いこませる…。
 翌朝、目を覚ましたアレンは左側を向いたまま硬直していた。
昨日寝床に着いた時には間違いなくこのベッドには自分1人だった。なのに目覚めてふと隣を見たら、ルイが眠っている。視界の殆どを占拠する距離まで
迫っている寝顔、それを少し覆い隠す銀色の髪、左腕に感じる豊かな弾力は、間違いなくルイのものだと確認して、アレンは更に固まってしまう。
 アレンが固まったままルイを凝視していると、ルイが目を覚ます。何度かの瞬きで目からまどろみが抜けたルイは、アレンとは対照的に落ち着いた様子で
第一声を発する。

「おはようございます。」
「…お、おはよう。えっと…何時来たの?」
「入浴してからですから…、19ジムくらいかと。アレンさんはぐっすり眠ってました。」
「どうして…此処に?」
「この前と同じで、クリスに部屋を追い出されて…。やっぱり衝立か何かをしたらしくて入れなくて、此処に…。」

 これからどうしたものかと狼狽するが身体は縛り付けられたように動かない、まさに金縛り状態のアレンに対し、ルイはやけに落ち着いている。微笑んで
いさえする。今更じたばたしても始まらないし、アレンと一緒に寝られたことは幸せだからだろう。
 ルイは両手を布団に突いてうつ伏せの状態から上半身だけ起こして、アレンの方を向く。両肩を通して布団に流れ落ちる髪と、服の重心移動で前が垂れ
下がったことで覗かせる面積を増した胸と谷間が作る強烈な女性の魅力の演出は、ようやく狼狽が収束しつつあったアレンの身体を視線を改めて硬直
させるに余りある。

「み…、見えてる…。」

 悲しいかな視線は外せないアレンの両脇に手を突いて、ルイは上半身をアレンの上に移動させる。正面に移動したことで先ほどまでよりずっと色と形を
鮮明にした胸と谷間、更に姿勢の関係で胸の奥に微かに腹部までが見えるようになり、アレンは視線も意識も完全にルイに釘付けになる。
 アレンに乗りかかった格好のルイは、アレンとは対照的に落ち着いた様子でアレンを見詰めている。アレンという獲物を完全に確保してどう賞味しようかと
思案する雌豹という表現がぴったりだ。

「ど…、どうしたの?ルイさん。ね…、寝ぼけてる?」
「いえ。ちゃんと目は覚めていますよ。アレンさんと同じで朝は強い方ですから。」
「じゃあ、どうして…。」
「アレンさんが好きだから…。してみたかったから…。私のアレンさんに対する行動原理は、至って単純なものですよ。」

 そう言ったルイの頬がじわじわと紅潮してくる。行動の背景をアレンへの感情に重ねて明らかにしたことで、一気に現状を意識したようだ。感情が顔色に
出やすい方のルイが今まで顔色に表さなかったことがむしろ驚異的と言うべきだろう。
 ルイはアレンの顔にかかった髪を片方ずつかきあげる。それでも背中に乗せられる量が限られているから幾らかは再び流れ落ちてしまうが、長い髪が映える
若い女性ならではの仕草はアレンの関心や意識を逸らさずにより高めて集中させる。アレンは今尚狼狽を続ける心中を反映しておずおずと、だが引き寄せ
られるように右手をルイの頬に伸ばす。アレンの手が添えられると、ルイは目を閉じてゆっくり頬擦りする。その愛しげで心地良さげな様子を見て、アレンの
狼狽は収束していき、代わりにルイへの愛おしさともっと触れたい感じたいという欲求が膨らんでくる。それを見越したかのように、ルイはゆっくり身体を沈めて
アレンに覆いかぶさるように密着し、アレンの両肩に引っ掛けるように両手を置く。
 ルイは右側の髪を再びかき上げて、アレンを見詰める。首都フィルのホテル滞在中、ルイと出逢って間もなくルイを狙ったホークの刺客を撃退した後の
語らいを髣髴とさせるシチュエーションに、アレンはルイに合わせて動かした右手を頬から後頭部に移し、引き寄せたい衝動に駆られる。

「村を出たら、流石に小父様も一緒の部屋に居させることは出来ないと思います。」

 行動に出ようかどうか迷っていたアレンに、ルイが一瞬たりとも視線をアレンから逸らさずに言う。

「国軍幹部会の命令で私を護衛する任務を負っておられる以上、私の心身が清廉潔白としてフィルへ送り届けることが要求される筈です。…完全に私と
リルバン家の縁が切れていない以上、リルバン家現当主の唯一の実子という立場の私を最優先せざるを得ないでしょうから。」

 ルイにその意思は皆無とは言え、ルイがフォンの唯一の実子であり唯一の後継候補であることは事実だ。一等貴族では養子縁組は禁止されているし、
フォンが今後側室を設けるつもりはないと明言している−側室と言うこと自体ローズを正室と認識している証拠でもある−。状況が非常に微妙で予断を
許さないことを除けば、ルイとフォンが血縁関係で親子であることは否定しようがない。その証拠としてフォンがローズに贈った特注品の指輪が存在し、ローズ
から2人の娘であるルイに託され、紆余曲折を経てローズの遺言どおりフォンの元に戻ったのだ。
 一等貴族では婚姻相手の女性に心身が清廉潔白、すなわち処女であることが求められる。妊娠すればひとまず自分の子どもと認識出来る女性に対して、
男性は自分の子どもである確証を持つのが困難なのもあるし、養子縁組が禁止されている中で一等貴族の血統でない子どもを養育し、ひいては次期当主に
座する可能性があることは一等貴族の血統を絶やすことにもなりかねない。
 ルイがアレンと恋仲になったことだけでも、ルイとフォンの親子関係と唯一の一等貴族後継候補の観点からすれば看過し難い事態だが、まかり間違って
処女性が失われてしまえば重大問題だ。少なくとも国軍幹部会の命令を受けて首都フィルまで曳航する最中にそうなってしまったと発覚したら、命令を
受けたヴィクトスは処刑の可能性すらある。クリスが昨夜部屋を追い出したのは、ルイの推測どおり村を出たらヴィクトスの立場から見ればアレンと同室になる
のは不可能だからその前にしたいことをしておけと促すためだ。昨夜は色々躊躇したルイだが、隣でアレンの寝顔を見て幸せに浸り、目覚めて改めて昨夜の
クリスの言葉を思い返すと、アレンの愛情を最大限感じられるのは当面今が最後のチャンスになると思い、行動に打って出たのだ。

「2人きりになることも難しくなるかもしれません。ですが、小父様を、ひいてはクリスの家庭を危機に陥れるわけにはいきません。だから…、その前に…。」
「ルイさん…。」

 互いの顔しか視界にないアレンとルイは、鼻先が触れ合う距離で見つめ合う。アレンの脳裏で突き進めと煽る派と紳士になれと静止する派が真っ向から
衝突を繰り返す。
 ルイの瞳を見ているうちにアレンの右手が次第にルイの頬から後頭部へ移動していく。アレンの右手が自分の後頭部に回ったことで、ルイは体勢を
そのままに目を閉じる。初めてのキスの時と同様にルイが待機状態に入ったと思ったアレンは、目を閉じてルイの後頭部を引き寄せる。アレンと唇が触れ
合ったことを感じたルイは、反射的にアレンの両肩に置いた手に力を込める。
 アレンとルイが目覚めのキスに浸る中、アレンの部屋のドアが静かに閉まる。ドアを背にしたクリスは珍しく頬を赤らめ、驚きで目を見開いている。クリスは自分
よりアレンとルイが遅いことを不思議に思って来室したところで、アレンとルイがキスしているところを目の当たりにした。ドアとベッドの位置関係でアレンの
右腕が核心部分を隠していたのは幸いだが、それを除いても2人がキスしていることくらい、勘の鋭いクリスには分かる。

『ま、まさか真っ最中のところを見てまうなんて…。』

 知識は豊富でも体験には乏しいし、武装した兵士を複数相手に出来る攻撃力を誇る武術家とは言えやはり思春期最中の年頃の少女。アレンとルイの仲を
緊密にしようと明に暗に動いて来たクリスだが、いざその様子を目撃するとそれなりに動揺するようだ。

『何時…どうやって…声かけたらええんやろ?自然に終わってくれるんを待つしかないんやろか…?んでも、早く出るて父ちゃん言うとったしなぁ…。わざと
音立ててドア開けて気付かせればええやろか?んでも、ええ雰囲気のとこ邪魔すんのは悪いしなぁ…。』

 何とも複雑な心境に翻弄されるクリスは、珍しく動揺を抑えられずにその場に立ち尽くす。昨夜ルイを部屋から追い出してアレンの部屋に行くよう唆したのは
他ならぬクリスだし、アレンとルイが終日デートを楽しんだ際に物陰から嫉妬の炎を燃やしていた村の男性達のような野暮な真似はしたくない。そろそろ何とか
しないと時間の面で問題が出て来ると焦る気持ちと、このまま2人の邪魔をせずに自然収束するのを待つかと達観する気持ちのせめぎ合いは、今までクリスが
経験したことのないものだ…。
 部隊をシェンデラルド王国に移す。
 悪魔の首領が鎮座し、ザギが潜伏している可能性も高いシェンデラルド王国北西部の山地に向けて、フィリア、イアソン、そしてルーシェルの3人は移動して
いた。目的地が明確になったことで、移動はルーシェルが召還したワイバーンに替わっている。空を飛べる分地形の影響を受けないし、魔物からの攻撃を
受け難くなる。ある程度の高度を飛行すればクロウバルチャーも纏わりつけない。
 クロウバルチャーは巨体なため、羽ばたくより滑空するのが得意な飛行スタイルを有する。そのため上昇下降は気流に依存する部分が大きく、3人を認識
しても思うように上昇して捕捉出来ない。もっとも仮に捕捉して来ても竜族の亜種であるワイバーンにはクロウバルチャー程度では傷一つつけられないし、
それを操るルーシェルはワイバーンを凌駕する戦闘力を持つから、撃退すれば良い。クロウバルチャーとしてもそんな危険を冒してまで上昇してワイバーンを
捕捉するより、死肉の出現を滑空しながら待つ方がずっと効率的だ。

「この調子なら早く到着出来ますね。」
「目的地が明確な以上、わざわざ地表をなぞっていく必要はないからね。そのためにワイバーンを従えている。」

 イアソンに応えたルーシェルは既にセイント・ガーディアンの特徴である黄金の全身鎧に装備を切り替えている。元々目立つ色である金色で光沢があるから
非常に目立つ。戦闘で敵地に侵攻するには自分の存在を知られないことが重要なのだが、敢えて存在を誇示するようなことをするのは第一に敵の攻撃から
自身を防御するためだ。
 ワイバーンの周囲には勿論ルーシェルが強固な結界を貼りめぐらしているが、敵地に近付くにつれて遠距離攻撃の危険性が高まる。何せ敵地に陣取る
のは曲がりなりにもセイント・ガーディアンの1人であるザギと、アバドンを上回る能力を持つことが確実な悪魔の首領。ザギの存在は今のところ可能性に
留まっているが、それらが何処から遠距離攻撃を仕掛けて来るか分からない。その威力も不明である以上、結界を破られる危険性もある。セイント・
ガーディアンの鎧は主の危険を察して瞬時に出現するが、武器にも魔法にも比類なき防御力を誇る鎧を最初から装備しておいて損はない。また、遠距離
攻撃には単なる物理・魔法攻撃だけでなく、毒や催眠や麻痺、果ては石化など厄介な特殊効果を齎すものもあり得る。セイント・ガーディアンの鎧はそれらを
悉く無効化出来るから、尚更「備えあれば憂いなし」と鎧を装備しておくのが得策だ。
 フィリアとイアソンがそれらの攻撃に晒されても、ルーシェルが健在なら防御や対処、そして反撃は十分可能。しかし逆になると全滅しか選択肢はない。
フィリアとイアソンをドルフィンに代わって預かる立場と認識しているルーシェルは、目立つことを承知で装備を鎧に切り替えている。

「…ルーシェル殿。1つ伺いたいことがありますが、よろしいでしょうか?」
「回答の拒否権を私が有するのなら構わない。」
「それは勿論です。…ザギの悪魔召還の真の目的は何でしょうか?」
「真の目的?」
「ザギがこのシェンデラルド王国で悪魔を召喚したのは、隣国ランディブルド王国では少数派のバライ族に対する民族差別への不満が存在した国民を、兄弟
国でありながら同胞を苦しめるなどと民族意識の高揚と敵愾心を煽り、それに対抗する能力を与えるなどと称して悪魔崇拝に取り込むこと。それにより民族
差別問題に有効策を提示出来なかった王家や大臣を抹殺して国家を機能停止させると共に、ランディブルド王国へ進撃させることでランディブルド王国の
国力低下を齎し、ひいてはランディブルド王国国民の民族差別をより強め、ランディブルド王国のシェンデラルド王国侵攻に始まるこの地域の戦乱を想定して
いたと考えられます。」
「筋の通った推論ね。少なくとも両国間にある民族差別に対する認識の違いと、シェンデラルド王国の王家が民族差別に有効策を出さなかったという件は
正解。」
「光栄です。それらは自分の手を汚さずに、そして他人を利用するだけ利用するザギのこれまでの手口と重なる部分が多く見られます。しかし、ザギの真の
目的はそれではないのではと考えているんです。」

 イアソンは一呼吸置く。

「シェンデラルド王国国民を悪魔崇拝者にして混乱と憎悪を呼び起こすために、国土全域を使ったディスタニア魔法陣を用いて相当上級であろう悪魔の
首領を召還するのは、少々割に合いません。シェンデラルド王国の主力産業は生憎知りませんが、銀製品が主力産業のランディブルド王国を悪魔に対抗
し得る道具を生産する国家と位置づけるには不足です。一般に流通している銀製品は強度を増すために他金属との合金を使用しているものが大半で、
しかも殆どは指輪などの装飾品。悪魔に対抗する武器防具は非常に高価で、到底悪魔に対抗するだけの兵力に供給出来る体制にはありません。」
「ふむ。」
「また、聖職者の世界有数の輩出国家と位置づけるのも、銀製品生産国家よりは説得力がありますがやはり不足です。悪魔に十分対抗出来る浄化系魔術が
使用可能な称号を得る聖職者は少数。しかもランディブルド王国では聖職者は国家運営に組み込まれており、上級の称号を得ている聖職者ほどその
度合いは強まります。現に、シェンデラルド王国からの悪魔崇拝者の侵攻に対しても聖職者は聖水の増産が精いっぱいです。言葉は悪いですが悪魔の
下僕である悪魔崇拝者の侵攻でこの体たらくですから、悪魔にとって脅威とするには至らない、と判断するには十分でしょう。」
「良い推論ね。」
「ありがとうございます。ですので私は、今回の件もまたザギによる大掛かりな実験の1つであると考えています。」
「実験?」
「はい。今回の実験で侵攻を主目的とする悪魔崇拝者の戦闘力とそれを維持する悪魔の能力を継続的に観測し、本格的な悪魔召還に反映させること。
それが2国と2つの民族を巻き込んだ今回の件の背後にあるザギの真の目的だと考えています。」

 巻き込まれたものには迷惑極まりない、しかも恐るべき推測だが、決して絵空事と片付けられないだけの「実績」がザギにはある。
レクス王国では元々強権指向があった国王に顧問として取り入り、国家特別警察という強権組織を構成して支配欲を満たすと共にミルマの町にある鉱山
深部の古代遺跡を探索させ、首都ナルビアでは劇場を回収した大規模な実験施設で強力な再生機能を有するスライムを保有していた。そしてそれらの背後
には、テルサの村に居たアレンの父ジルムを攫い、今はアレンが持つ「7つの武器」の1つであるという剣を奪うザギの真の目的があった。
 ジルムを救うべくアレンが立ち上がり、それにフィリアとドルフィンが協力し、イアソンが在籍する「赤い狼」と共闘した結果、国王は一族と共に哀れな最期を
迎え、鉱山深部の古代遺跡は瓦礫の雨の中に消え、スライムはドルフィンに倒された。しかし、古代遺跡の探索やスライムの実験そのものは成功したと
言えるし、アレンの剣は奪えなかったものの人質としてジルムは今尚拉致されたままだ。レクス王国を実質崩壊に追い込んだザギの巧妙かつ狡猾な罠と
策略は、探索や実験の遂行という観点で見れば十分成功したと言えるし、ザギがその結果や改善点をクルーシァに陣取るガルシアに報告して、更には次の
実験、ひいては本番に向けて世界各地を暗躍していると考えられる。
 自らの目的達成のためには手段を選ばないし、どれだけ犠牲が出ようが構わない。そして利用出来るものは利用出来るだけ利用し、用が済んだら問答
無用で切り捨てる。ザギのそんな悪辣で冷血な思考がランディブルド王国とシェンデラルド王国、そしてラファラ族とバライ族をまたにかける形で具現化した。
そう考えるのは深読みでもないし、陰謀論の一言で一蹴出来るものでもない。

「ザギはクルーシァを制圧したガルシア一派では先兵に過ぎないかもしれません。しかし、先兵だからこそ野放しにしておけばガルシアにとって有利に働き
続けるでしょう。未だ不明なガルシア一派の企てを未然に阻止するためにも、ザギの居場所を突き止め、可能なら撃破することは重要です。」
「分析力と口の上手さは見事なものね。それをドルフィンに買われた?」
「はい。私の戦闘力は大したものではありません故。」

 少し皮肉ったルーシェルだが、イアソンの推論に誤りを見出す余地はない。先兵に過ぎないからこそ、先兵を潰さなければ本隊に必要な情報や戦力が
増えていき、本隊の侵攻に有利な環境が整えられていくばかりだ。もはや母国を蹂躙する悪魔だけでなく、セイント・ガーディアンも殲滅する必要がある、と
ルーシェルは考えを改める必要性を感じる。
 ワイバーンが飛行する方向に、黒い雲を頂く山地が見えて来た。3人の目的地は近付いている…。

用語解説 −Explanation of terms−

1)そうせな:「そうしないと」と同じ。方言の1つ。

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