Saint Guardians

Scene 10 Act4-2 -転機-Turning point- 軌跡を辿り、未来を語らう

written by Moonstone

 ヘブル村の西端、町並が遠くに見える位置に墓標が立ち並んでいる。監視する人間と言えば他の墓参者か定期的に清掃に訪れる墓守くらいだが、どんな
人間も無意識に神妙になるのは墓地に漂う厳粛な印象の成せる業だろうか。
 朝日が墓標を照らす中、クリスの家で朝食を済ませたアレンとルイが墓地を訪れる。2人の服装は至って普通のものだが、礼服や正装、作業着のような
明るい灰色の普段着など教会での服装が殆どルイの私服姿は、散見される村人にとっては非常に目新しい。2人が向かうのは墓地の片隅にあるルイの母
ローズの墓。氏名と没年月日と追悼の言葉が刻まれた墓標が佇むだけの墓は、全国的にも著名な若き聖職者の実母のものとしては質素に映る。

「此処が母の眠る場所です。」

 ルイは墓標の前で両膝を突き、両手を胸の前で組んで目を閉じる。アレンはその横でルイに倣って祈りを捧げる。

「墓参りに他の人が居るのは、今日が初めてです。」
「それはキャミール教の教え?」
「いえ。他の人に居られたくないと言うか…、独りになりたかったんです…。」

 アレンは漠然とだがルイの心情が理解出来る。
ローズが死去したのはルイが司教補昇格と中央教会祭祀部長就任を果たした数日後のことだ。聖職者としてキャミール教を信仰する者としてあるべき姿を
見せた母の急逝は、大成した自分を見せて安心させられると思ったルイに多大なショックを与えた。以前のクリスの話では、居室を訪ねた時にルイはベッドに
蹲って声を殺して泣いていたと言う。
 中央教会祭祀部長という要職にある者として職責を全うし、他の聖職者の模範となるべきところで身内の死に翻弄される様子を見せたくなかったのだろう。
母の死から1年余りが経ち、母の背中を追って歩き続けた聖職者の道から離脱することを選ぶことが出来た今、ルイはようやく母の死に向きあう自分を他人に
見せられる心構えが出来たのだろう。

「俺の母さんは俺を産んですぐに死んだし、母さんが居ない暮らしが普通だったから、墓参りは毎月の定例行事みたいな感覚だった。」
「…。」
「だけど、墓参りは基本的に1人でしてた。何て言うか…、母さんと話をしてるところを見られたり聞かれたりしたくなかったんだ。他の人から見れば、独り言を
言ってるか、誰にも聞かれたくない秘密を暗唱してるように見えるからね。」
「私が今まで1人で墓参りをしてきたのも、そんな思いからです。今日は…アレンさんを母に見てもらいたくて…。」

 それまで神妙だったルイの表情に光が射す。話からして恐らくクリスも同行したことがない母の墓参にルイが自分を伴ったのは、母に自分を引き合わせる
ためだと察したアレンは、緊張が神妙さを上回る。
 目の前にあるのは単なる墓標だ。しかし、ローズの決意なくしてルイはこの世に生を受けず、真摯さなくして聖職者のルイは存在し得なかった。この世に
居ないとは言えルイと自分を引き合わせた偉大な人物であるローズの墓標は、アレンにとってもローズ本人に置き換わるものと映る。

「お母さん…。隣に居る男性(ひと)がお付き合いしているアレン・クリストリアさんです…。」
「はじめまして・・・。アレン・クリストリアです。」
「私は…アレンさんと出逢って…、初めて聖職者以外にも生きる道があることを知りました…。」

 ルイの言葉は、聖職者を辞職することを仄めかすものだ。詳しい状況は知らないが、昨夜の話も含めると辞職に向けて進展していると考えるのが自然だ。

「アレンさんについて行くことを決めた私を…、これからも天国から見守っていてください…。」
「よろしくお願いします。」

 アレンは緊張した面持ちで頭を下げる。母が眠る土地を離れるのはやはり後ろ髪を引かれる面があるであろうルイを伴う以上、より一層の責任感と行動が
求められる。アレンの挨拶はローズに向けたものであると同時に、15年間培った地位も名誉も人間関係も全て投げ打って遠い異国から来た将来不定の
自分について行くことを選んだルイに向けたものでもある。
 アレンとルイは先んじて花屋で購入したファリュークの花を墓標に手向け、もう一度祈りを捧げる。そして墓を後にする。墓参が信仰とは位置付けられて
いないキャミール教において、墓の掃除をしたり飲食物を供えることはない。家系が途絶えるなどして墓参者が居なくなった墓はやがて草に埋もれ、墓標は
大地と同化して、墓そのものの存在が忘れ去られる。身内がルイしか居ないローズの墓は、ルイがこのままランディブルド王国を出て二度と戻らなければ、
大地に還る運命を辿る。だが、ローズがこの世に存在した事実は、確かにアレンとルイの心に刻まれた。2人がローズを忘れない限りローズは2人の心の中に
在り続ける…。
 墓参りを終えたアレンとルイは、村の中心街に出る。複数の店舗を集約する大規模小売店がまだ存在しないこの世界において、日常生活で用いる物資の
購入は町村にある商店街が基本だ。個人経営の商店が軒を連ねる商店街は他の店から買い物を継続する客や、教会での礼拝や役所での手続きの
ついでに立ち寄る客を見込んで、大抵の場合は教会や役所がある町村の中心部に形成される。大きな町だと同様の店が複数並んで売り上げを競うことも
生じるが、人口が少なく、店の絶対数も少ないヘブル村では軒先に出る店主やその家族の呼び込みは長閑(のどか)なものだ。村中を高揚させたシルバー・
カーニバルも終焉が近付いているし、劇団や大道芸人の足が向くことが非常に少ないヘブル村では、今まで続いてきた日常がほぼ姿を取り戻している。

「おや、ルイちゃん。」

 最初にルイを見た青果店の店主がルイに声をかける。

「おはようございます。」
「おはよう。今日は休みなん?」
「はい。」
「で、そっちの可愛い顔した兄ちゃんが、噂の彼氏なんやね?」

 彼氏という単語でアレンは驚く。ヘブル村に入ってから直ぐ教会の臨時職に就いたから、村を巡るのは今日が初めての自分とルイとの関係に加えて自分の
風貌も伝わっているとは思わなかったからだ。
 だが、アレンが臨時職に就いている間、頻繁に私的制裁の機会を窺っていた若い男達や、アレンとクリスとルイを村まで護衛した駐留国軍の兵士、更には
アレンを受け入れたキャリエール家のメイドなど、情報源は複数ある。人口が少なく人の新陳代謝が鈍いヘブル村では、数人が情報源になれば3日も
経たずに村中の共通情報になり得る。だから、アレンが知らなかっただけと言っても過言ではない。ルイは15年間村で暮らしてきたから、情報の伝達の速さは
体感してもいるし、アレンとの関係を村人に話した情報源の1人でもあるから、今更驚く要素はない。

「はい。アレン・クリストリアさんです。」
「ほう…。」

 店主はアレンをしげしげと観察する。閉鎖社会で顕著に出る初対面の人物を舐めまわすように観察する視線は、決して気分の良いものではない。村は勿論
一等貴族リルバン家当主の1人娘という情報が急速に拡散しているであろう今は、最早全国的にも著名な存在と言えるルイと交際する以上、このような好奇の
視線が増えることは止むをえないとアレンは諦観する域に入っている。

「剣を持っとるけど、あんたは剣士なんか?」
「はい。」
「剣士て言えば、この前オークの大群が北門に突っ込んできた時、見たことない飛び入りの剣士が派手に立ちまわって追い散らしたっちゅう話を聞いたな。
あれって、もしかしてあんたのことか?」
「はい。本当は自分の仕事があったんですが、この村を襲う魔物が最近増えて大変なことになっていると聞いたことがあって、居ても経ってもいられなくて…。」
「そうやったんかぁ!」

 それまで訝った様子でアレンを見ていた店主の表情と声色が一転する。

「兵隊さんから話聞いたんやが、オークの大群をものともせん働きやったそうやな。」
「そう…だったんでしょうか。」
「国軍は魔物の大群にえらい苦しめられとるでな。この村救った剣士がルイちゃんの彼氏やったんかぁ。ええ男見つけたもんやなぁ。ルイちゃん。」
「はい…。」

 ルイは頬を少し赤らめ、照れくさそうに同意する。
交際相手のアレンを身内同然のキャリエール一家以外から称賛されるのは初めてだ。これまで驚かれたり「どうして」と疑問を呈されるばかりだったのは、
自分の境遇とアレンの立ち位置を考えれば仕方ないと思っていた。村人にアレンを称賛されたのは当然嬉しいが、それより、自分も小耳に挟んでいた先日の
魔物の撃退に大きな役割を果たした飛び入りの剣士がアレンで、アレンが戦闘のプロである国軍を梃子摺らせる魔物の大群を蹴散らす立役者となるだけの
強さと数にものを言わせて攻めて来る魔物に臆せず立ち向かう勇気を示したことが誇らしい。
アレンがリルバン家邸宅でクリスやイアソン、時にフィリアを巻き込んで連日激しい訓練を積んでいたことを知っているだけに、強くなることに真摯に取り組み、
強さを他人を護るために発揮したアレンの努力が報われたことは我がことのように嬉しい。

「で、今日は何の用や?」
「サルシアの実とパンカの実36)を10個ずつください。」
「はいよ!ちょいと待ってぇな!」

 ようやく青果店での本題に入る。サルシアもパンカもこの時期よく採れる。果実はかなり大きいから、10個ずつだと優に一抱えはある分量になる。

「何に使うの?」
「切って食べる分とパイに使う分が半分ずつです。慈善施設に持って行こうと思って。」
「慈善施設って、ルイさんが生まれ育った…。」
「はい。お休みの日は決まって何かを差し入れに行くんです。今は果実が美味しい時期ですから、今回はそれを使おうと思って。」

 戸籍上死んだことになっていたローズの下に生まれたルイは、5歳まで慈善施設で育ったと以前聞いた。慈善施設には親を亡くしたり食い扶持を減らす
ために預けられた子どもが居て、ルイは休日のたびにそこを訪れているとも聞いた。今日は豊富で美味な果実を手に慈善施設に向かうつもりなのだ。
 アレンは少しも咎めようとは思わない。ルイにとって慈善施設は生家でもある。聖職者を辞職して自分の旅に同行すると、今度は何時来られるか
分からない。せめてもの餞別として差し入れを買って慈善施設に向かうことくらい、むしろ協力すべきところだ。

「はい、お待たせ!」
「ありがとうございます。」
「俺が持つよ。ルイさんは代金を払って。」
「あ、はい。」

 アレンが果実の詰まった革袋を受け取り、ルイが代金を支払う。店主がサービスとして半額にしたことで、50ペニーで済んだ。
出発前にヴィクトスから小遣いとして3000ペニーずつ貰っているが、出費が少なくて済むのはありがたい。ルイは自分の給与を全額慈善施設に寄付して
いるし、アレンはフォンから受け取った金銭に手を付けるつもりはない。そのため、2人の資金はヴィクトスからの小遣い3000ペニーとアレンが臨時職で得た
給与の残額200ペニーのみだ。

「ありがとうございます。重くないですか?」
「臨時職で運搬した薪用の木材より軽いし、持ち手があるから楽だよ。」

 青果店を後にしたアレンとルイは、並んで大通りを歩く。人口が少ないとは言え人どおりはそれなりにある中で、人目を惹く美形の著名人が並んで歩けば
当然目立つ。だが、ルイが生きた軌跡を辿る2人は、これからのことを考えてはいるが他人の好奇の視線を意に介さない。2人が妙に臆したり遠慮したりせずに
堂々と歩くことで、村人はチラチラと視線を向けるかお似合いのカップルかもと考えを変えようとするかのどちらかになる。
 他の商店で小麦粉や卵や砂糖など不可欠な製菓材料を買い込み、アレンとルイは慈善施設へ向かう。慈善施設は大通りを抜けた先、中心部から少し
離れたところにある。施設と言っても特別な建物ではなく、菜園を兼ねた少し広めの庭を持つ大きな2階建ての民家という風貌だ。信仰を集め信者が集う
場所である教会も民家を少し頑丈に改築した程度のものだから、キャミール教第2の聖地と称されるランディブルド王国では宗教が権威を優先して堕落して
いないことが感じられる。
 新興宗教と呼ばれる宗教を見回すと、総本山だけでなく支部相当の建築物も巨大で豪華なものが多い。集会場や研修所など様々な用途が挙げられて
いるが、一度認可されればまず取り消しにならない宗教法人の資格を得れば宗教の事業とすれば収入は全て非課税であり、土地所有者にとってしばしば
悩みの種となる固定資産税など不動産関係の税金も悉く非課税になる条件で、宗教、否、教祖やその後継者の権威を誇示するために豪華絢爛な建造物と
広大な土地を所有するのは至極容易だ。その維持管理や教祖幹部の優雅な生活のために、信者から寄付やお布施をかき集め、信者は職を辞したり親類
縁者に無心したり、布教活動と称して先祖の祟りを持ち出して商品を売り付けたり、人間関係や他人の安寧を破壊してでも教祖の意向に沿う活動に勤しむ
事例が多数存在する。
 寄付やお布施を渋ったり警戒する人に「金を出し惜しみして先祖の祟りが鎮まると思うか」「金の問題ではない」などと脅迫する事例も多いが、金を献上
しなければ子孫を苦しめ続ける強欲な先祖など絶縁した方が得策だし、金の問題でないならまずは子孫を苦しめる先祖を説得して鎮めれば良い。挙句、
選挙となれば特定政党や候補者の支援に信者を動員するなど、宗教のすることではない。人の弱みや無知に付け込んで人を酷使し、金銭を毟り取るのは、
信仰ではなく詐欺と言う。
 オウム真理教事件では「宗教の自由」を理由に警察や行政が一貫して及び腰だったことが被害を大きく深刻にした原因の1つだが、宗教法人の動向を
厳正に監督して宗教法人格を文字どおり免罪符にする宗教団体が信仰に名を借りた集金活動に没頭するなら即座に法人格を取り消し、免除された税金を
追徴金を含めて徴収するなど、宗教の名を借りた無制限の集金活動を是正しなければならない。

「此処が慈善施設です。」
「こういう施設があると、逃げて来たりして住む場所がない人も安心出来るだろうね。」
「アレンさんの故郷ってレクス王国でしたよね。レクス王国には教会運営の慈善施設はないんですか?」
「うん。俺の故郷ではギマ王国−南隣りの国なんだけど、そこで内戦が起こって国境を越えて逃げて来た難民が増えてて、家の間の隙間みたいな場所や
空き地とかで野宿してたんだ。町の人が時々食料を分けたりしてたけど、そんなに人口は多くないし、町自体それほど裕福じゃないから全員に行き渡らな
かったと思う。子どもがお腹を空かせて泣いてたり、片言のフリシェ語で食べ物をくださいって町の人にお願いしたりする光景はよく見たよ。」
「慈善施設はキャミール教の『貧者に施しをせよ』という教えを基に、各町村の福利部が建物を手配して運営しているんです。ですから、キャミール教があれば
慈善施設があるというものではないんです。」
「この国独自の制度なんだね…。」

 物心ついた頃から教会が町にあり、聖職者も居た。しかし、教会が難民の収容施設を作ったり食料の配給をしたことはなかった。寄付金を横領して贅沢な
暮しを営んだり妾を囲って肉欲に溺れたりといったことはなかったが、教会での生活を維持することに終始して一般市民に積極的に関わることもなかった。
 同じキャミール教の看板を掲げていても、世界共通の教会運営や慈善施設のようなサービス−この表現が適切かどうかは別−を展開しているわけでは
ない。移動手段も通信手段も我々の世界より格段に少なく能力も低いこの世界において、広範な地域や大規模な集団の意志統一は困難を極める。
総本山である聖地ハルガンや第2の聖地ランディブルド王国が各国の教会や聖職者を一括指導すれば事情は変わるだろうが、「大戦」後の内政不干渉の
不文律故に世界各国に信者を有する宗教も国境を越えた指導は出来ない。ハルガンやランディブルド王国で修業を積んだ聖職者が帰郷して母国の教会
運営の改善に着手しようとしても、その数はごく少数。現状維持を望む他の聖職者とは多勢に無勢で断念することが殆どだ。
 聖職者の側もキャミール教の教えを知らないわけではないから貧者救済を検討するが、寄付金頼りの運営に慈善施設の上積みは現実的ではないと断念
する事情もある。王国貴族と癒着すれば金銭的には潤沢になるが、えてして金銭的に潤沢な宗教が弱者救済や奉仕活動とは逆の方向に向かうものである
ことは、魔女狩り時期のキリスト教やカルト宗教を見れば明らかだ。ランディブルド王国は国の中央教会を頂点とする町村単位の教会運営方針の統一と、
実質的な公務員として厳格な規律と自律精神の涵養、そして国家単位での宗教精神の浸透が長い年月で確立し、その一環として教会運営の福祉事業と
して慈善施設が運営されている特異な例なのだ。

「おはようございます。」
「あー!ルイ姉ちゃんやー!」
「ルイ姉ちゃーん!」

 門を開けて施設の敷地に入ったルイが挨拶すると、庭で遊んでいた子ども達が一斉にルイに駆け寄ってくる。騒ぎを聞きつけたのか、施設の玄関が開いて
中年の女性職員が顔を出す。子ども達に囲まれるルイを見て、職員はルイに歩み寄る。

「ルイさん。おはようございます。」
「おはようございます。」
「今日も来てくださったんですね。」
「はい。休日の日課の1つですから。」
「村に戻って直ぐに中央教会の祭祀部長に復職して多忙と聞いて、難しいかと思っていたんですが…。嬉しいことです。」
「週1回お休みがありますし、この子達と会うのは私の楽しみでもあるんです。」

 ルイを囲む子ども達の歓声を聞きつけて、施設の中に居た子ども達も次々出て来て、ルイを見つけてその輪に加わる。ルイの人気や人望は此処でも垣間
見られる。
 幼少時を慈善施設で暮らして、ある程度成長してから家庭に戻される子どもはかなり多い。元々慈善施設に預けられる理由の半分近くが食い扶持を減らす
ためであり、食い扶持が増えてもそれを上回る労働力になると見込めれば家庭は引き取る方向に動く。だが、それらは所詮家族−第1次産業と第2次産業が
殆どを占める産業構造において家族は両親以外に祖父母も居ることが多い−のご都合主義によるものだ。家族の都合で幼少時に慈善施設に隔離された
子ども達は、寂しさや哀しさを他者への攻撃や窃盗をはじめとする問題行動に変換することがある。教会が運営する慈善施設は、家族の愛情から引き剥が
された子ども達にキャミール教の精神に基づいた社会性や協調性を培い、王国の共通書籍とも言える「教書」を読めるように識字教育を施し、職員が親身に
接することで他者、とりわけ大人からの愛情を与えることで、治安の悪化を未然に防ぐ役割も果たしている。
 正規の聖職者への道へと踏み出したルイは、慈善施設の子どもの中では少数派だ。慈善施設を巣立った子ども達の中で第二の家庭、むしろ本当の家庭
とも言える慈善施設を定期的に訪れる者も少数派だ。主に農業の労働力として家庭に戻されるからやむを得ない側面もあるが、社会的地位が高い聖職者と
なった出身者の訪問と交流は職員にとってもありがたい。

「そちらの方は?」
「アレン・クリストリアさん。…お付き合いしている方です。」
「え?!この方が?!」
「はじめまして。アレン・クリストリアです。」
「噂には聞いてましたが…、随分可愛らしい方ですねー。」

 聞き飽きた称賛にアレンは内心溜息を吐く。
訓練と研鑽を重ねて太刀筋は鋭さを増し、機動性も向上したが、少女的な顔立ちはそのままだ。「カッコいい」より「可愛らしい」のイメージが強い顔立ち
だから、第一印象で向けられる言葉が変わり映えしないのは致し方ない。貶されるよりはずっとましだが、間違いなく美形に属するアレンも外見、特に
顔立ちにコンプレックスを抱くこともあるのだ。

「えー?この人って、ルイ姉ちゃんの彼氏なのー?」
「えらい美形やんかー!ルイ姉ちゃんて意外と隅に置けんなー。」

 子ども達の関心がアレンにも広がる。子どもの相手をすることはアレンにとってまったく未経験ではない。ギマ王国からの難民が増えていた故郷のテルサの
町では、子ども達に食べ物を強請られることがよくあったし、手持ちの菓子や得意の料理を生かした食事を分け与えたこともある。テルサの町も田舎と
言われる場所であり、隣近所のネットワークの方が遠方の親類縁者より密接な交流があるから、親の仕事や集会などで隣近所の子どもの面倒を見ることも
ある。アレンの卓越した料理技術は、父ジルム以外の町の人との交流の中で磨かれた部分が大きい。

「今日はサルシアとパンカを買って来たから、皆で食べようね。」
「「「はーい!!」」」

 アレンが初めて見る人物、しかもルイの交際相手と知ってヒートアップする子ども達を収束させるため、ルイが持参した果実を話題に挙げる。決して食事
事情が十分ではない子ども達は、人気が高い食べ物を耳にして一斉に関心を果実に振り向ける。
 アレンとルイは気持ち逸る子ども達に囲まれながら、職員に案内されて施設に入る。施設は元気盛りの子ども達が多く居ることを反映して少し散らかって
いるが、職員のこまめな掃除と教育のおかげで問題なく移動出来る程度に片付いている。廊下には子ども達が描いた絵や1カ月の予定表、「教書」の教えを
抜粋した張り紙が掲げられている。不揃いだが生活感が溢れる掲示物からは、貧しいながらも持ち前の元気と純粋さで楽しく懸命に生きる子ども達の日常が
感じられる。単なる労働力として使役されるより慈善施設で同じような境遇の子ども達と暮らす方が、子ども達にとってはむしろ幸せなのかもしれない。

「台所を貸してもらえますか?」
「どうぞご遠慮なく。」
「ありがとうございます。」
「一緒に作ろうよ。サルシアパイなら俺も何度か作ったことがあるし、同じ要領でいけるならパンカも使えるよ。」
「はい。お願いします。」
「兄ちゃん、料理出来るんか?」
「小さい頃、皆と同じくらいの歳から作ってるから大丈夫。」
「この男性(ひと)の料理は本当に美味しいから、期待してて良いわよ。」

 子ども達はアレンとルイが作る料理に期待を高める。
普段の食事は決して満足出来るものはなく−味より量の問題−、量の割に単価が高くつくデザートや菓子は滅多に食卓に出ない。サルシアパイは上品な
甘さと香り、軽快な食感で人気の高い菓子であるが、慈善施設の子ども達が日頃食べられる価格ではない。それが訪問者の手によって味も保障の上で登場
すると宣言されたのだから、子ども達の期待が高まらない筈がない。
 アレンとルイは子ども達に部屋などで待つように伝えて、台所で料理に取りかかる。パンカは柑橘系の果実だが、サルシアと同様の方法でパイに適用したい
とのルイの方針にアレンは同意する。料理を得意とする2人が手を組めば、材料さえあれば出来ない料理はない。古びた料理器具も2人にかかれば美味な
料理を生み出す魔法の道具となる。テーブルに俎板やボウルを展開し、果実を5ミール程度の細かい角切りにしてパイの生地を作る。パイの生地作りは
力仕事だし子ども達全員に行き渡る数を作るのはなかなかの重労働になるが、2人で協力することで作業量は軽減出来る。
 2人の息の合った手際の良い共同作業を、子ども達と職員が物陰から見守る。職員の眼差しは、高まる一方の期待を持て余す子ども達とは違い、ルイの
これまでとは異なる成長を感慨深く見つめるものだ…。
 慈善施設の庭では、子ども達の歓声が絶え間なく響いている。元気いっぱいに駆け回る子ども達の中にはアレンが混じっている。子ども達の提案で
鬼ごっこが始まり、常人離れした敏捷性を誇るアレンが鬼になるとあっという間に終わってしまうため、アレンは両足を縛って跳んで移動するハンディを
付けられた。これで漸く子ども達と互角になるのだから、年齢の大きな違いによる体格と体力の格差を別にしてもアレンの敏捷性だけでない身体能力の
高さが分かる。
 アレンとルイが共同で作ったサルシアとパンカのパイは、パイ生地を作る過程で随所に30ミム〜1ジムの冷却時間を要するが冷蔵庫がないため水の頻繁な
交換で行う分、冷却時間が上積みされる性質上完成にかなりの時間を要したものの、待ち時間で生じた空腹を満たして溢れる期待に応える出来だった。
前回食べたのは何時だったかの記憶も曖昧なほど遠ざかっていたサルシアとパンパのパイは、冷却時間に作った昼食と共に子ども達の腹と心を十分
満たし、馴染みの顔であるルイは勿論、初対面のアレンの好感を高めるには十分だった。アレンが子ども達の鬼ごっこに誘われたのは、専門店の高価な
商品と称しても疑われないほどの出来だったパイを作ったことによる全面的な信頼を得た結果だ。
 外から少し遠くに聞こえる歓声をBGMに、ルイは職員と施設長である初老の男性と客間で懇談していた。テーブルにはアレンと共同で作ったサルシア
パイの一部とティンルーが並べられている。施設関係者との懇談は、アレンが子ども達の相手を引き受けたことによって実現出来た。今までのように
子ども達を相手に遊んだり「教書」の読み聞かせをして懇談を含めようとすると、1日をすべて使い切ってしまう可能性もある。今までならそれでも良かったし、
現にそうして来たが、今はそう出来ない事情がルイにはある。

「そうですか…。聖職者を辞職するんですか…。」
「はい。」

 ルイの聖職者辞職の意志を本人から聞いた施設関係者は、一様に残念そうに溜息を吐く。
管轄の中央教会福利部を通じて話には聞いていたが、慈善施設出身者であり、慈善施設への理解や子どもたちへの愛情が深いルイの辞職は、「身内」でも
ある貴重な存在を失うことである。だが、ルイの明確な意思表示からして、翻意を期待するのは無理だと察する。

「総長様をはじめとする幹部の皆さんが、後任者の選定を進めているところです。来週中には決定して告示されると思います。」
「後任が決まったら、村を出るんですか?」
「明確には決めていませんが、後任者の決定後出来るだけ早い時期を考えています。必要以上に長く居ると…村を出辛くなりそうですから。」

 ルイはやはり村を離れることに未練めいたものを抱いている。
アレンについて行こうと決めたことは揺るがない。聖職者を辞任することを決めたのは、アレンについて行くためには聖職者の職務も地位も足枷にしか
ならないからであり、辞意を撤回するつもりはない。しかし、生まれてから15年間住み続けて来た村を離れるのは寂しい。
 村に絡むルイの記憶や思い出は、決して良いものばかりではない。むしろ辛いことや哀しいことの方がずっと多い。だが、村には母が眠り、幼少時を
過ごしたこの慈善施設があり、自分を純粋に慕ってくれる自分と似たような境遇の子ども達が居る。村を出ることは数こそ少ないが愛着のあるものや心和んだ
ものも置いていくことでもある。聖職者辞任と村からの出奔へ動いているルイの決意を揺らがせる隙があるとすれば、それらへの未練や名残惜しさだろう。

「ルイさんはこのまま村に留まって、やがては中央教会総長になるものかと思っていたんですが…、残念です。」
「ですが、ルイさんにとっては村を出る方が良いのかもしれませんね。」
「施設長様。それはどうしてですか?」
「ルイさんはずっとこの村で聖職者として母上のために、村人のために生きて来ました。その結果、全国的にも有数の若手聖職者となり、村では20数年ぶりの
生え抜き司教補かつ中央教会祭祀部長にもなり、大きな足跡を残しました。これからはルイさんが自ら生きる道を選び、探し、歩んでいく時です。それは、
ルイさんの資質や働きぶりに大きく依存している村人や聖職者諸氏、ひいては私達が自立して自らを高める重要な契機でもあります。」

 施設長の言葉は、以前クリスがアレンに語ったことと重なる部分がある。
ルイの称号上昇の速度は、修業を始めたのが5歳と若いことを差し引いても非常に速い。ルイが聖職者歴丸10年余りで司教補に到達する間、村出身の
聖職者で称号を2つ以上上昇させたものは皆無。しかも、司教補輩出も20数年ぶり。そのため、ルイが司教補に到達した頃には異動経験がある幹部職・
準幹部職以外の聖職者は、ルイより長い在籍年数でありながら全員ルイより称号が下回っていた。
 そんな有様だから、ルイの職務はどうしても増える。本来なら部下の聖職者が出向いたり、地区教会の管轄であってもルイにお呼びがかかり、文字どおり
朝から晩まで村中を駆け回ってきた。ルイが元来働きものであり、増えた職務を次々こなすからそれでも教会の職務は回転していたが、ルイが不在になれば
たちどころに職務は滞ってしまう。本来なら異動要請で有能な聖職者を招聘したり、教育部が中心になって下級聖職者を徹底的に教育してルイに続く者を
確保しなければならなかったのだが、ルイの資質と働きに安住し、ルイがこのまま村に留まることを前提条件にしてしまった。
 万物は流転すると言うが、それは社会情勢や花形職業の流行り廃りだけではない。人間の心境も状況も変わり続け、何かのきっかけで180度変貌することも
ある。ルイが存在を知った実父フォンに会って遺言に従って母の形見の指輪を渡そうと村を出たことで、村で一生を送るつもりだったルイに未知の出逢い
−言うまでもなくアレンとの出逢いが生じた。滞在先のホテルで多くの時間を共有し、護り護られたことで一挙に距離を縮め、あれよあれよと言う間に交際を
始めるまでに至った。村を出る前のルイなら想像もしなかった急展開だが、ルイが村に留まることを勝手に前提条件に据えてしまったことが、ルイを村に
留まらせる理由にはならない。
 ルイが新しい道を見出し、今まで築いてきたもの全てを投げ捨ててでもその道を歩むと決めた以上、村人も聖職者も教会もこれまでの遅れを取り戻し、
甘えを捨て、ルイへの依存から脱却すべきである。それがまさに今これから村人と聖職者と教会に課せられた課題なのだ。

「同時に、私はルイさんに村を出るだけの決意をさせた彼−アレン殿の人となりにも注目しています。」

 外からは、相変わらず子ども達と大きなハンディを付けたアレンが鬼ごっこに興ずる歓声が聞こえて来る。環境のためか人見知りが強い傾向がある慈善
施設の子ども達が初対面のアレンとすっかり打ち解けたのは、ルイと共に作ったパイと昼食が美味だっただけではない。

「聞けば、村に入って早々に教会の臨時職に就き、1週間の任期を全うしたとのこと。」
「はい。」
「1週間でも臨時職はなかなか務まらないもの。ましてやアレン殿は、この国の環境や教会の事情などとは最も縁遠い異国の出身。ルイさんと彼に私達が
学ぶべきことは多いようですね。」

 ルイはほんのり頬を赤らめて頷く。今まで誰も見たことがない表情をルイにさせるアレンの存在は、見た目よりはるかに大きい…。

用語解説 −Explanation of terms−

36)パンカの実:本文中でも触れられているとおり、柑橘系の果実。春に花を咲かせて夏に実る。夏蜜柑を髣髴とさせる風貌だが、かなり甘みが強いのが
特徴。


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