Saint Guardians

Scene 10 Act 2-2 胎動-Movement- 緊迫の瞬間

written by Moonstone

 パーティーを統括するドルフィンとシーナがリルバン家当主フォンと会談している頃、リーナは専用食堂で茶菓子を嗜んでいた。
薬品生成の実験がひと段落して休憩する際のお決まりの行動だが、そのリーナの表情が何処か愁いを帯びていて今までと雰囲気が違う、と男性使用人の
間で関心や人気が上昇している。
 リルバン家で働く使用人やメイドの間で、シルバーローズ・オーディション本選終了−中止後から滞在している外国人のパーティーと地方出身者が話題に
上ることが多い。元々娯楽が少なく、休日−リルバン家では週1回ある−も出掛ける範囲は日帰りで移動出来る市内に限られる20)から外部の人間との接点が
少ない。そこに海を隔てた遠い異国からはるばる訪れた外国人と、国は同じだが北部辺境の村人が期限のない滞在をするようになったのだから、日頃業務
以外の刺激が殆どない使用人やメイドが話題にするには格好の対象だ。
 女性の使用人やメイドの間では、アレンが絶大な人気を誇る。ドルフィンは高い身長と厳つい体格故どうしても威圧感が先行して話しかけ難い−だが
逞しさを好む者からは強い人気を得ている−。イアソンは可もなく不可もなしといったところ。アレンは少女的な顔立ちと自己鍛錬のためにトレーニングに
打ち込むひたむきさが母性本能をくすぐり、アレンに話しかけられて舞い上がったり、トレーニングを終えて上気した頬に滴る汗を拭う様子に悶絶しそうになる
者も多い。
 一方、男性の使用人−性質上メイドは居ない−の人気は比較的拮抗している。王国で社会的地位が高い正規の聖職者らしい気品と伝説の存在に近い
母譲りの美貌を併せ持ち、次期リルバン家当主の期待が高いルイ。北部訛り−訛りは都市部に出た地方出身者のコンプレックスになりやすい−を隠さず
気さくで陽気なクリス。眼鏡が似合う知的美人と言うに相応しいシーナ。何時も不機嫌そうで近付き難いフィリアを除く面々は、いずれも男性使用人の関心の
対象となりやすい容姿や性格である。
 中でも意外に人気が高いのは実はリーナだ。非常に珍しい黒髪と黒い瞳、滞在中の女性陣の中で群を抜く小柄も手伝う愛らしさ、ルイとはやや方向性が
異なるが所謂「お嬢様」らしい振る舞い、そして使用人としての生活をしていると顔を合わせる機会が他の女性よりぐんと少ないことが人気の理由だ。
リルバン家に滞在を始めてからもリーナは朝が遅く、起きていてもイアソンの交渉で供与された実験室に閉じこもる時間が長いため、朝起きて夜寝る生活が
当然の使用人やメイドが顔を合わせる機会は自ずと少なくなる。見る機会の少なさが神秘性となって人気や存在感を際立たせているのだが、そのリーナが
今までとは違う雰囲気を醸し出しているとなれば、時間や仕事をやりくりしてでも見に行こうと思うし、雰囲気が異なる原因に想像を巡らせたくなるものだ。

 男性使用人が仕事の振りをして頻繁に出入りして注目する中、リーナはチーズケーキと紅茶を少量ずつ口の中でブレンドして喉を通して小さい溜息を
吐く。頬杖を突いて再び溜息。なるほど、確かに表情が殆ど変わらないことでも有名なリーナにしては様子がおかしい。物陰から男性使用人が入れ替わり
立ち代り送る視線をまったく意に介さず、リーナは物思いに耽る。
 何かと自分に話しかけ、アプローチをしていたイアソンがフィリアを伴ってシェンデラルド王国に向かってかなり経つ。アプローチは悉くあしらい、時折
齎されるプレゼント−何処で好みを知ったのか好物のケーキかチョコレート−も礼を言って終わりとしていたイアソンが不在になって以降、どうも物足りなさのような違和感を覚えている。調子が良くてお喋りで、カルーダ王国で下着を選んでいたところを後ろから覗き見るようなデリカシーのなさは気に入らない。
しかし、フィリアと張り合って出場したシルバーローズ・オーディションでの本選出場に駒を進める一助となったセンスの良さ、パーティーの進路に大きく
関与し、時に危機から救った幅広い知識や洞察力、決して諦めずに自分にアプローチを続ける粘り強さを併せ持つのは確かだ。
 イアソンが不在となったことでリーナは会話の機会が大きく減った。1日の大半を実験室で過ごす生活をしていれば自ずと人と接する機会は減るが、その
存在が居なくなると会話の機会が大きく減ると分かるほどイアソンが自分の意識に頻繁に足跡を残していたことを証明している。

「カッコつけちゃって…。」

 悪態をついてみるが、感じ続ける物足りなさや空白は消えない。

「悪魔崇拝者が跋扈する王国への潜入捜査なんて…。」

 批判めいた懸念を口にするが、それでも心の不思議な穴は埋まらない。ふとイアソンの存在感に対する疑問が浮かぶと、リーナは強い否定にかかる。
婚約者のシーナが失われていた記憶を取り戻してドルフィンの傍らに復帰したとは言え、ドルフィンへの強い想いは消えては居ない。圧倒的な強さと鍛錬
された肉体が証明する逞しさ、そして困難に見舞われても信じてついて行けるリーダーシップは、他の男性にはない強く大きな魅力だ。
 イアソンはどれをとってもドルフィンのそれらには敵わない。だが、ドルフィンが保有する男性的な魅力とはまた異なる何かが、下着選びを除き見たことも
戯事(ざれごと)と何時の間にか流すに至る何かをイアソンが持っているような気がしてならない。それが好意、ましてや恋愛感情だとは思いたくないが、
心の中で否定を続けても否定しきれない。
 考え続けると深みに嵌りそうな気がして、リーナは考えるのを止めて溜息を吐く。一連の思い悩む様子が見物に訪れていた男性使用人の好感や興奮を
一気に高めたのだが、リーナは知る由もない。知ったところで意に介さないだろうが。

「フィリアの奴が足手纏いになってなきゃ良いけどね…。」

 漏らした呟きは言葉を選んでのものだったと思いたくはない。ある意味そうして誤魔化すことでしかリーナは今の自分の感情を決められないのだから…。
 リーナの心を惑わし揺さぶるイアソンは、黒いローブを纏った悪魔崇拝者に両腕を抱えられて薄暗い回廊を引き摺られていた。
武器と防具をはじめとする所持品は奪われ、手酷い拷問を受けたことで服は彼方此方引き裂かれるように破れ、その裂け目からは血が滲み出ている。
辛うじて意識はあるものの、抵抗出来る余地はない。
 その前方からはフィリアの叫び声が響いてくる。同じく全ての所持品を奪われ、黒い布を巻きつけただけのような服に無理やり着替えさせられたフィリアは、
イアソンのように拷問は受けなかったものの本能的に強い身の危険を感じ、両脇を固める悪魔崇拝者が手を焼く激しい抵抗を続けている。
 フィリアとイアソンは、ワイト率いる悪魔の軍勢に敗れて身柄を拘束され、最寄の大規模なアジトに移送されていた。フィリアが使用した魔法ファイア・
イクスプロージョンはワイトにかなりのダメージを与えたものの倒すには至らず、大量に出現したダークナイトには殆どダメージを与えられなかった。
フィリアとイアソンは手持ちの魔法と武器で懸命に応戦したものの多勢に無勢。フィリアの魔力が尽きたところでダークナイトに取り押さえられてしまったのだ。
 フィリアとイアソンの前方から不気味な響きの詠唱が聞こえてくる。次第に開ける前方の視界は、太陽の光とはまったく異なり鮮血を懐中電灯で照らした
ような赤色だ。悪魔崇拝者に連行されたフィリアとイアソンが開けた場所に姿を現すと、そこに犇(ひしめ)く悪魔崇拝者が歓声を上げる。歓声といっても
歓喜など明るいイメージとはかけ離れた、獣の咆哮と言うべき身を恐怖で震わせるものだ。
 悪魔崇拝の場ではサバトと称される集会に使用される広間は、壁に地獄から運んできたような赤く揺らめく炎が照らし、中央に人間の頭蓋骨も使用した
禍々しい装飾を施した祭壇に巨大な彫像が鎮座している。彫像は頭に2本の角を生やし、開いた口には鋭い牙が並び、何かを抱える形で両手を広げている
悪魔を象ったものだ。どうみても来訪者を歓迎するのではなく、捉えた獲物を生贄に捧げる儀式の中心としか思えない。
 それを見てフィリアはより激しく抵抗するが、頭には魔法を使用不能にする茨の冠を被せられ、手を焼いていても腕力はフィリアに勝る悪魔崇拝者に抑え
られているから脱出は不可能だ。

「同胞達よ!久々に新鮮な生贄を得たことにより、サバトはより栄えあるものになる!」

 広間を埋め尽くす悪魔崇拝者達は大きな歓声を上げる。それぞれ逆さ十字架や犬の尾など、キャミール教では神への反逆の証であり悪魔崇拝では
悪魔への忠誠の証である品々を手に持ち天に突き上げる姿は、恐怖心を呼び起こすに余りある異様さだ。生贄という単語が出たことでフィリアはより抵抗を
強める。このままでは生贄に捧げられるのは不可避だが、魔法を封じられている今悪魔崇拝者の拘束を振り解くのはフィリアの腕力では不可能だ。
 フィリアとイアソンは悪魔崇拝者に引き摺られて中央の通路を進む。若い女性であるフィリアの出現に、悪魔崇拝者の喜びや興奮を大きく増幅する。
悪魔崇拝の生贄には男性より女性、年長者より若年者が好まれる。生贄に好まれる条件を兼ね備え、しかも大規模なアジトでの生贄に供されるに値する
処女性を有しているとなれば、悪魔から褒賞として強い力が与えられる。悪魔崇拝者がフィリアの登場に歓喜するのは当然だ。
 必死の抵抗を続けるフィリアは恐怖から叫び声に涙声が混じり始める。イアソンも助けたいのは山々だが、同じく魔法を封じられている上に酷い拷問で
抵抗力を殆ど奪われているからなす術がない。

「離してよ!!このー!!」
「…。」
「こんなところで殺されるなんて真っ平よ!!」

 祭壇の前では儀式を遂行する神官が、眼前の悪魔の彫像に神を罵り悪魔を奉る祈祷を続けている。悪魔の彫像の目が赤く輝き始める。祈祷によって
悪魔が彫像に降臨したことを示す変化に、悪魔崇拝者は興奮のボルテージを更に高める。
 激しく暴れるフィリアと身動きしないイアソンが祭壇の上に仰向けにされて両手足を金属の金具で固定される。神官が祈祷を続けながら短剣ほどの刀身を
持つナイフを鞘から抜く。これから生贄の心臓を抉り出し、悪魔の彫像に捧げるのだ。脈打ち血が滴る心臓、特に処女のそれは悪魔への最高の奉納品の
1つだ。

「こんなことになるんなら、アレンを襲って既成事実を作っておくんだったー!!」
「…随分余裕だな。」

 出血と鈍痛が合わさって朦朧とする意識の中、イアソンはフィリアの執念に呆れ混じりに呟く。
イアソンもランディブルド王国で想いを寄せるリーナと離れた身だ。このまま二度と会えなくなるのは痛恨の極みだが、もはや打つ手がない以上最期の瞬間
まで脳裏に面影を思い描くしかない。祭壇に拘束されても尚観念した様子を見せないフィリアに活きの良さを見たのか、祈祷を続ける神官はフィリアの前に
立ちナイフを掲げる。
 次の瞬間、ナイフが神官の腕ごと地面に落下する。吹き出す鮮血と間を置いて襲ってきた激痛に神官はのた打ち回る。儀式を直前に控えて興奮の絶頂に
あった広間に混乱が広がる中、悪魔崇拝者が次から次へと縦に横に両断されていく。悪魔崇拝者達は応戦しようとするが、元からの混雑と広がる混乱の中で
ままならず、有無を言わさぬ鋭い一閃の前に絶命して崩れ落ちるしかない。
 瞬く間に広場を埋め尽くしていた悪魔崇拝者は神官や異常を察知して駆けつけた兵士も含めて全滅に追い込まれた。唯1人、黒いローブを纏った者が
鮮血を滴り落とす長剣を手に佇んでいる。
 何時まで経っても殺されないどころか歓声が悲鳴になってそれも途絶えた事態に混乱するフィリアと、もはやこれまでと覚悟を決めていたイアソンは状況を
把握しようとするが、祭壇に拘束されたままな故に視界は極度に限定されたままで不可能だ。
 黒いローブを纏った者はフィリアとイアソンに歩み寄り、剣を振りかざす。その直後フィリアとイアソンの鳩尾に強い痛みが走り、2人の意識は暗転する…。
 一方、夕暮れを迎えたランディブルド王国へブル村には歓喜と懸念が交錯していた。駐留国軍に厳重に護衛されて村に入ったのが、村の若きシンボルで
ありアイドルでもあり、更には一等貴族リルバン家当主フォンのただ一人の実子であることも判明した−人の噂は千里を駆けるとは良く言ったものだ−ルイと
その友人クリス、そして見覚えのない赤毛の剣士だという情報が口伝に村中に広まったからだ。
 ルイは村から輩出された全国区の知名度と実力と将来性を誇る正規の聖職者であり、今回は定数1のオーディション予選を史上最多の得票数と得票率で
圧勝して本選会場である首都フィルに赴いたことを知らぬ者は居ない。クリスは予選終了直後の会場でルイの護衛として名乗りを上げ、ルイと共に村を出た
ことも周知の事実だ。しかし、赤毛の剣士−アレンを伴う話は誰も聞いていない。アレンの素性は曳航してきた駐留国軍第1師団第1大隊所属の兵士に
尋ねても、首都で知り合った外国人ということしか話されない。非常に少女的な外見から性別も不明瞭だから、村人の間ではアレンについて様々な推測や
噂が乱れ飛ぶ。
 そのアレンは、クリスとルイと共にクリスの自宅に入っていた。曳航を先導したジェバージ大尉から、村の中央教会総長からの伝言として護衛を命じた
クリスの父ヴィクトス・キャリエール中佐に最初に会うよう言われたからだ。応対に出たメイドに応接間に通されたアレン、クリス、ルイはヴィクトスと座って向かい
合う。短く刈り込んだ濃い緑色の髪、叩き上げの軍人らしい屈強な体格とそれを包む軍服。どれもヘブル村の治安を守り外敵を排除する駐留国軍を束ねる
存在感と威圧感をひしひしと感じさせる。

「父ちゃん。どうしてあたし達に護衛を差し向けたんや?」
「父との再会を喜ぶことなく早々に疑問を突きつけるとは…。そんな可愛げのない娘を持って父は悲しいぞ。」
「茶化さんといてよ。村から尾行させとったみたいやし…。」

 厳格な印象とは裏腹に涙を拭う素振りを見せたヴィクトスは、メイドに出されたティンルーを一口啜って表情を引き締める。

「クリス。お前も薄々は感じてはいただろう。ルイちゃんに恐らく本人も知らない何らかの事情があるんじゃないかと。」
「…うん。」
「それは俺も同じだ。」

 ヴィクトスは一呼吸挟んで一連の経緯を話す。

「お前とルイちゃんに尾行を付けたのは俺だ。それは国軍幹部会や教会からの命令や要請ではない。俺の独断だ。それゆえに規模は極力小さくせざるを
得ず、お前とルイちゃんへの襲撃を阻むのは不可能だった。尾行を付けるに至ったのは最初に言ったとおり、ルイちゃんに何か事情があると踏んだからだ。
これは大胆な推測が的中したと自画自賛するほどのものじゃないと俺は思っている。」
「「「…。」」」
「ルイちゃんは日増しに名声を強める将来有望な聖職者とは言え、一村の役職者の域を出ようとしなかった。束になって押し寄せる全国からの異動要請を
頑なに断り続けている以上、教会輩出の王国議会議員や宗教顧問として国の政治体制に影響を与えるには至らない。オーディション予選直前に、仮に
予選を突破したら本選に出場するとルイちゃんが急に態度を翻したのは、クリスあたりから話に聞く大都会を一度は見ておきたいという自然な好奇心
だろうし、そうでなくても権力や地位への欲に関するものではないと思っていた。」
「「「…。」」」
「だが、ルイちゃんにその意思はなくとも、オーディション本選や首都フィルへの上洛、或いはルイちゃんが聖職者として名を馳せる過程を経由して
ルイちゃんの存在が明らかになることで、自分の地位や富や権力を剥奪される恐怖が現実のものになる者が居るとすればどうか?それがオーディション予選
終了後にこの家に宿泊したその夜早速の襲撃になって露呈したとすればどうか?ルイちゃんへの脅威を探るために、俺は尾行を命ずるにあたって首都
フィルの動向を逐次報告するよう命令した。」
「それで…、ルイの背後関係が分かったことで、ルイがもう危険な目に遭わんで済むように、あたしやルイも顔を知っとるジェバージ大尉以下第1師団第1
大隊を迎えに行かせたんやな?」
「そういうことだ。不安を抱かせるような護衛なら、ない方がましだという話になる。」

 ヴィクトスは突発的な思いつきではなく、深い思慮に基づき可能な限りの対策を講じたのだ。
駐留国軍は国軍幹部会の命令なしに管轄する町村から出ることは原則禁止されている。命令系統の衝突による混乱を防ぐためであるが、それを指揮官が
命じたとなれば処罰は必至。更にルイの実父が一等貴族でなく国軍幹部の可能性も否定出来ない場合、ルイの尾行に国軍兵士が関与していることが
伝われば、オーディション本選に紛れて国家的な騒乱を企てているなどとそれらしい口実を持ち出して、公的かつ大々的にルイ抹殺に乗り出す恐れも
あった。国軍幹部会にも知られることなくルイに迫る魔の手の根幹を把握するには、尾行の人数は最小限に絞らざるを得ないし、ドルフィンのような戦力でも
ない限りその人数でルイへの襲撃を阻めというのは無理な話だ。
 一方、ルイの背後関係が明らかになり、しかも国軍幹部より上位の存在である一等貴族当主の一人娘となれば、管轄する村在住の正規の聖職者が安全に
帰郷出来るためなどと堂々と部下に護衛させる理由が出来る。国軍幹部会はルイの安全に万全を期すためにヘブル村までのルート沿線の町村を管轄する
駐留国軍に捕捉次第ルイとフォンの微妙な関係に配慮して目立たないよう護衛することを命じたのだし、それより先手を打って直属の部下の一団を馳せ
参じさせても、一等貴族当主の一人娘でもあるルイを自分の管轄場所でもある故郷ヘブル村まで護衛するためだと主張すれば−そのとおりでもある−、
国軍はヴィクトスを称賛することは出来ても咎めることは出来ない。伊達にエリートである士官学校卒業の幹部候補生を差し置いて中佐に昇進して、連続
3期にわたって一村の駐留国軍指揮官を務めているわけではないことが分かる。

「無論、小さい頃から成長を見守って来て実の娘以上に娘らしくて女らしいルイちゃんを放ってはおけないという思いもあったが。」
「酷いわ父ちゃん。こんな可憐な乙女が自分の娘やっちゅうのに。」
「熟練の国軍兵士も素手で倒せるような力自慢のお前に、可憐な乙女という表現は相応しくない。」

 冒頭とは逆にクリスがしおらしく泣き真似をして、ヴィクトスが軽くあしらう。ジェバージ大尉の一団と邂逅した際にクリスはヴィクトスを「陽気な酒飲み親父」と
評したが、困難な中でも明るく前向きに振る舞い、沈みがちな気分を高揚させるクリスの性格は父とのやり取りで培われたようだ。

「小父様…。」
「よく帰って来たね、ルイちゃん。」

 やや躊躇しながら切り出したルイに、ヴィクトスは温かい微笑みを向ける。それは父が娘に向ける微笑みそのものだ。

「少なくともこの家では、ルイちゃんは今までと変わらず私の娘同然だ。これからどうするかは、じっくり考えて決めなさい。」
「はい。ありがとうございます。」

 自分の意志とは裏腹に次期リルバン家当主との認識が着々と広がっていることは、ルイ自身強く感じている。駐留国軍指揮官という立場上絶対的な上官で
ある国軍幹部の他、王家や一等貴族など上流階級や国家体制に強大な影響力を持つ教会の重鎮から、ヴィクトスにはルイを一村の聖職者ではなく次期一等
貴族当主としてもてなすよう指示や圧力があっても不思議ではない。
 だが、毎週必ず教会−此処ではキャミール教の教えを説く個人宅での催し−で自分を指名し、その後は食事を囲みながらの温かい団欒に加えてくれた
この家での安心感は変わらない。望まない期待とそれに伴う欲望の強まりを感じるルイには、ヴィクトスの変わらぬ父代わりとしての歓迎は緊張で固まる心を
柔らかく解すものだ。

「時に…、アレン君だったか?」
「…はい。」

 ヴィクトスがいよいよアレンに向く。
これまでのやり取りからヴィクトスがルイを実の娘同然に思っていることが分かったから、ルイとの交際を始めて間もないアレンは未だわだかまりが消えない
フォンより交際相手の父という印象と、その存在を前にした緊張を感じる。クリスとルイも、アレンとヴィクトスの間に特別な緊張感が走っているのが分かる。

「小父様。」
「安心して良い。ルイちゃんの意思を尊重することは変わりないよ。」

 父代わりとして自分を案じるあまり交際を止めるようアレンに迫るのではと危機感を抱いたルイに、ヴィクトスは前置きする。

「フィル入りした部下の情報から、君が今回のルイちゃんの帰省に護衛として同行すると聞いていたが、こうして見ると…。」
「「「…。」」」
「凄い女顔だな。」

 予想していた人物評価ではなく顔立ちの感想だったことでクリスとルイは少々脱力する、強いコンプレックスの原因をストレートに突かれたアレンは当然
気分を害する。だが、場合が場合だけに強く出られない。

「父ちゃん。真面目にしぃや。」
「いや、オーディション本選会場でルイちゃんを狙った刺客相手に大立ち回りを演じたという剣士のイメージから、あまりにかけ離れているのでな。」

 ヴィクトスの元にはアレンの活躍や風貌が伝わっている。空からの急襲がなければルイを護り通したであろう果敢な戦いぶりと、後ろ髪が肩に届くほど
長ければ誰もが少女と信じて疑わない風貌がアンバランスで、どちらが真実なのかヴィクトスも測りかねていた。

「クリスに何か吹き込まれているかもしれないが、俺は君の門地や身分を詮索する意思は全くないし、ルイちゃんとの関係を査問するつもりもない。むしろ
ルイちゃんが村の外に出て君と出逢ったのは良かったと思っている。この村も人間も、特に男連中はルイちゃんにとって良いことより良くないことの方が
多いからね。」

 交通機関が未発達で盗賊や魔物など危険が多いこの世界でアレン達のように明確な目的地を定めない−神出鬼没のザギのおかげで定めようも
ないのだが−旅をする者や、観光などで在住する町村や国を出る者は少ない。オーディション本選の中止というアクシデントはあったものの今も開催されて
いるランディブルド王国のシルバーカーニバルなど世界的に著名な催事や、魔術と医学薬学の総本山であるカルーダ王国での修学でも、費用の関係も
あって赴く者は同一地域や同一国内が多い。人の流動性が低い都市や集落は世代を跨ぐ強固な連帯意識を形成するが、それは閉鎖性という諸刃の剣にも
なる。
 そのような都市や集落が自給自足を基本とする共同体を構築するために最適な産業であると同時に、機械化や自動化が困難であったり設備投資に多額の
費用が必要な第一次産業では、食料が得られる土地に根付く家族を基本としてその家族が複数連携する必要があるのは事実だが、外部の人間に対して
プライバシーを無視して隣組まがいの人間関係を強要したり、意に沿わない人間や家族を集団で排斥する村八分のような習慣が当然のものとなると、往々に
して安寧より刺激を求める若年層や外部との交流を阻害し、その都市や集落は高年齢化と過疎の道を歩む。日本における地方農村の高齢化や過疎化は
国策も混じる第一次産業の衰退もさることながら、情報量の急速な増大とそれに伴う主に意識変化を伝統や歴史の名で拒み、その中心である若年層が
閉鎖性に嫌気がさして離脱することも考慮しなければ抜本的な改善は不可能である。
 広大な国土を有するランディブルド王国の北部辺境に位置するヘブル村も、主力産業は第一次産業である農林業と牧畜だ。教会による町村単位の聖職者
育成管理体制と貴族制による国土管理、そして常駐軍と派遣軍の混在という流動性を含む国軍制度により、ランディブルド王国の人の流動性は比較的高い
ものの、好んでヘブル村に移住する者は少ない。それはかつてルイと母ローズを忌み嫌い疎んじ、状況の変化で態度を180度転換するような村の閉鎖性と
決して無関係ではない。

「この村に居る間、どうするのかね?」
「まず、ルイさんに同行して教会で働く許可を得るつもりです。」
「教会で働く?」
「はい。…指輪の購入資金を作るためです。」

 外国人が国家体制に深く関与する教会で働くと言い出すことも驚きだが、指輪の購入が理由というのも驚きだ。話が飛躍し過ぎて頭が混乱しかけた
ヴィクトスは、此処でアレンとルイの右手薬指に銀色の輝きがあることに気づく。派遣軍の一員若しくは統率者として国内各地を転々とした経歴が長い
ヴィクトスも生まれ育ちはランディブルド王国だから、指輪を填める指の意味は熟知している。交際相手が居ることを示す指に2人揃って指輪を填めている
ことは、混乱を収束させる足がかりとなる。
 アレンはヴィクトスにラムザの町の宝飾店でペアの指輪を購入したこと、購入には出発に際してフォンから渡された資金を使ったこと、それは自分が働いて
得た資金ではないためプレゼントや記念の品の購入資金には相応しくないと思い、ルイにヘブル村教会での一時的な就労を相談したことを話す。国軍
幹部会を出し抜いたヴィクトスも、外国人である自分の口から出た教会での労働と指輪に関連性を見付るのは難しいと思ったためだ。

「−こんな流れです。」
「言われるまで指輪に気付かなかった私が言うのもなんだが…、大した決意だね。」

 ヴィクトスの賞賛に、アレンとルイは表情を緩める。

「ルイちゃんから聞いていると思うが、教会は慢性人手不足だ。非正規職以外にも臨時職21)というものがあって、そこは常時募集中と言っても過言じゃない。
問題はその仕事内容だ。何かと忙しい上に教会のイメージと違って雑務の連続だからね…。」
「故郷に居た頃は家事一切を手掛けていたので、大丈夫です。」
「君が?」
「はい。父と2人暮らしだったので。」
「アレン君、凄い料理上手なんよ。豪華ディナーから野宿の食事まで何でもござれやで。」
「ほう…。」

 ヴィクトスは感心した様子だ。
電子レンジもないし冷蔵庫も未発達で竈の火はこまめな手動調整が必要なこの世界での料理は、竈の火に注意しながら必要な食材を下ごしらえから効率
良く調理する必要がある。料理が終わっても食器洗浄機などないから後片付けは必須だ。下ごしらえから後片付けまですべてこなす料理は雑用の塊と
言って良い。ヴィクトスは労苦を惜しまないアレンに感服すると同時に、少女的な顔立ちから生じる印象にとらわれている自分を戒める。

「料理が出来る者は特に歓迎される。臨時職の仕事の多くは料理に関わるものだからね。薪割りや運搬、竈の火起こしといった肉体労働や面倒なものも
多い。」
「それらは故郷に居た頃ずっと自分でしていました。」
「父ちゃん。アレン君は箔付けしたさにルイに擦り寄る村の男達とは格が違うで。」

 クリスがアレンを援護射撃する。
幼少時代からたった1人の友人としてルイを護り続け、村人のルイへの態度が忌避や嫌悪に始まり欲望や媚びへと変貌した過程を知り尽くしている。その
急激な模様替えは女性より男性で著しい。同性である女性は自分より格下の人間に対しては聞こえるような陰口や嫌がらせなど精神面でのダメージを与える
攻撃を仕掛けるが、自分より格上の相手には遠ざかるか聞こえない陰口へとより見え難い形での攻撃に切り替える。一方異性の男性は自分より格下の
相手には罵詈雑言や暴力を伴う嫌がらせなど肉体面でのダメージを与える攻撃を行うが、自分より格上の相手には畏怖を感じてへりくだるか逆玉を狙って
媚びるという反対の行動に出る。
 何れにせよルイには何の得にもならないが、深く潜伏して実質的に無効な攻撃に徹する同性より、交際や結婚を目論んで擦り寄る異性の方にルイは
拒否感や警戒感を覚えるし、かつての所業を知っているクリスは怒りを燃やす。ルイが初対面しかも外国人のアレンと何の抵抗もなく接し、急速かつ順調に
距離を縮めて交際を始めるに至ったのは、アレンとの出逢いが男性を意識させないものだったのもあるが、アレンがルイの社会的地位や将来性に色気を
出さなかったことが大きい。
 クリスはアレンとルイの出逢いから接近までつぶさに見て来たが、アレンには村の男性やルイの素性が流布し始めてからの立ち寄る町村の男性とは
明らかに違うと確信している。アレンとルイの交際を全面支持する立場から、アレンがフォン以上に身構える父ヴィクトスを前にしてアレンへの援護射撃を
惜しまない。

「お前がルイちゃんに近付く男を推し出すとはな…。」
「あたしかて、ルイに近付く男を無差別に蹴散らしとるわけやない。ええもんはええって認められる頭くらい持っとるよ。」
「クリスも認めるくらいだから、俺があれこれ思索懸念する必要はないようだな。」

 これまでルイへの接近を目論む男性を時に表面化する前に鎮圧してきた、言わばお目付け役のクリスが全面支持する男性はアレンが初めてだ。滞在先の
ホテルでの出逢いや接近については不明な部分が殆どだが、ルイの愛情だけでなくクリスの信頼も得ているアレンを信用しない理由はないとヴィクトスは
確信する。

「総長様からは、明朝に来るようにとの伝言を承っている。今日は此処に泊まっていきなさい。」
「はい。ありがとうございます。」
「お世話になります。」
「やあーっ、久しぶりにベッドで寝られるなぁー。」

 緊張を孕んだ会見は終わり、寛ぎの時間へと移行する。アレンとルイに対するヴィクトスの動向に気をもんでいたクリスは入室してきたメイドに好みの
メニューを続々と上げ、厨房はクリスの胃袋を満たすべく一挙に慌ただしくなる…。
 テーブルの上を何度も総入れ替えする豪勢な夕食が終わり、クリスは両親と晩酌する。年頃の娘が親の晩酌に付き合うのではなく酒を酌み交わすのは
なかなか見られない光景だが、キャリエール家ではごく普通の光景だ。

「あー、やっぱ地酒はええなぁ。」
「その様子だと、出先でも相当飲んでルイちゃんの手を煩わせたようだな。」
「煩わせとらへんよー。潰れるまで飲まへんし、潰れたこともあらへんし。」

 クリスの酒の強さは両親譲りだ。晩酌で飲まれている酒はアルコール度数30ピセルの強い酒だが、クリスは首都フィルへの道中でも物資補給のために
立ち寄った町村で入手した酒で、アルコール度数が高いものでも何の苦もなく飲み干した。連日の襲撃が無関係の人々に及ぶのを避けて首都フィルへの
道中は野宿の連続だったが、ヘブル村の酒屋ではなかなか買えない、あっても高価で手が出ない酒が安価に買えて飲めることで不満は十分解消出来た。
むしろ、地酒や銘酒が気兼ねなく飲めるため、連続の野宿は襲撃とその警戒と悪天候を除けば満足出来るものだった。

「それにしても、ルイちゃんが連れて来たアレン君。なかなか良い男のようだな。」
「それは間違いあらへんよ。身体張ってルイを護ったんやし。」
「凄い可愛らしい男の子で驚いたわぁ。女の子の服着せたら絶対似合うやろうねぇ。」

 クリスとヴィクトスの人物評に対し、クリスの母はアレンの外見に着目した評価を出す。食事の支度や後片付けを終えたメイドも、話に聞いていたアレンを目の
当たりにして感動と興奮のただなかに居た。女性が少女的な風貌の少年に女性物の服を着せたいと思うのは珍しくないものらしい。
 久しぶりの親子水入らずの晩酌における格好の酒の肴にされているアレンは、ヴィクトスとの対面が恙(つづが)無く終了したことで旅の疲れが吹き出し、
夕食が終ってから早々に入浴を済ませてあてがわれた部屋で床に就いていた。
 ルイもアレンとは別にあてがわれた部屋で寛いでいた。アレンからプレゼントされてまだ間もない右手薬指に光る指輪を見つめるルイは、ヴィクトスとの対面
でのアレンを思い起こして温かい感慨に浸る。アレンのヴィクトスに対する有言実行の宣言に、指輪に代表される自分との付き合いを真剣に捉えていることを
つぶさに感じたからに他ならない。見てくれだけでは分からないアレンの強さは、ルイが本人以上に分かっているのだ…。

用語解説 −Explanation of terms−

20)休日−リルバン家では週1回ある−も…:ランディブルド王国の貴族が雇用する使用人やメイドの休日は、雇用する貴族の方針によって異なる。また、
使用人やメイドは貴族邸宅への住み込みが原則である。


21)臨時職:ルイもScene10 Act1-2で言及していた教会での役職の1形態。非正規聖職者の短期雇用版という位置づけで、冠婚葬祭の連続などで教会が
急激かつ深刻な人手不足に陥った場合に各教会の人事部長名で雇用する。非正規と異なるのは労働の対価として賃金が支払われることと、聖職者の
身分が期間限定であること。貴族のメイドや使用人が職務能力向上のために派遣されたり、貴族の没落で失職した際の当座しのぎとして利用されるのが
一般的。


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