Saint Guardians

Scene 10 Act 1-1 旅路-Journey- 穏やかなる帰郷

written by Moonstone

 5ジム前。夏の熱気は一時静まり、空は東の方が白んで来ているが大半は深い藍色で塗り潰されている。シルバーカーニバル真っ只中のフィルの町も
人波が干潮時を迎えていて、当直警備で巡回中の国軍兵士と開店準備に忙しい商店の従業員以外は人気がない。ライトボールなしでの目視で遠くの人の
姿がどうにか確認出来る程度の明るさしかないこの時間に、フィルの町中心部に位置するリルバン家本館邸宅の正面入り口のドアが開く。
 邸宅から出て来たのはアレン、クリス、そしてルイの3人。アレンは真新しいハーフプレートを着用しているが、ルイとクリスはフィルの町を訪れた時と同じ、
防刃効果がある厚手の服に大きめのリュックという長距離旅行者の出で立ちそのものだ。3人の後ろにはドルフィンとシーナ、そしてリルバン家当主
フォンと筆頭執事ロムノが居る。事実上次期リルバン家当主後継者であるルイを含む3名で構成される若々しいパーティーを見送る一等貴族邸宅としては
随分寂しいが、これはルイの要望によるものだ。
 アレン達のパーティーは、ルイとクリスの生まれ故郷であるヘブル村へ向かう。一村の中央教会祭祀部長のルイが実はフォンの唯一人の実子であることが
明るみに出て久しい。フォンとて周囲に言われるまでもなくルイの安全を保障するため万全の警備をつけたいところだが、ようやくフォンとの和解に向けた
プロセスに踏み出したルイは、リルバン家に拘束されることを強く警戒している。警備をつけることでルイに恩を売るつもりはフォンには毛頭ないが、15年の
歳月と辛辣な日々で固く培われたルイの警戒を解くには至らない。

「では・・・、行って参ります。」

 アレン達は外に出たところで振り向き、見送りに来たドルフィンとシーナ、フォンとロムノに一礼する。挨拶したルイの表情は硬い。

「道中・・・十分注意して欲しい。」
「・・・はい。」

 慎重に言葉を選んだフォンとそれに応じたルイは、かなりぎこちない。
和解に向けて踏み出したとは言え、親と子としての時間を満足に取れないまま今日に至る。15年の断絶とそれぞれが置かれた境遇が生み出した行き違いを
修復するのは決して容易ではない。
 ドルフィンとシーナはあえて何も言わない。今後の職務をどうするかを村の中央教会総長と話し合うルイは言うに及ばず、同行するアレンとクリスも
それぞれの役割を十分認識していると知っているからだ。ルイがリルバン家を出たことを極力知られないようにとドルフィンが早朝の出発を進言したくらいで
ある。
 挨拶もそこそこに、アレン達はリルバン家を後にする。次第に見えなくなっていく3人の背中を見つめるフォンの表情には心配と苦悩が溢れている。
存在を知って対面を心待ちにしていた唯一人の娘が、隠密に警備をつけているとは言えかなり無防備な状況で生まれ故郷に一旦戻ることだけでも、親と
しては十分心配と苦悩の原因になる。
 更に今回は、偶然知り合ってそのまま相思相愛の関係になった娘と同年代の男性も同行している。娘の親友も同行しているが、まさかその親友に娘と
男性の仲を引き裂くよう依頼するわけにはいかない。危険を百も承知で娘を護った義理堅さを有する親友は拒否するだろうし、その依頼が娘の知るところと
なれば今後娘との関係修復は一切望めなくなる。今は娘の心情を害しないことが肝要だとは言え、相思相愛の関係にある年頃の男性が娘の長旅に同行する
ことは、父親の心配や苦悩の材料となるには余りある。
 フォンの心配と苦悩を他所に人気のない大通りをアレン達は進んでいく。これまでの生活で早い時間の起床が身体に染み込んでいるアレンとルイは眠気の
欠片もないが、クリスは若干眠そうだ。無論両手には愛用のグローブを装着しているし、不意打ちにも十分即応出来る身体能力を備えているから、隣に居る
ルイは気に留めない。
 アレン達は警備の兵士の敬礼を受けながら−アレン達の素性は既にフィル駐留の国軍全員の知るところだ−正門を出たアレン達は、アレンが召還した
ドルゴにアレン1人、ルイが召還したドルゴにルイとクリスが搭乗する。召還魔術として使用するドルゴにも、召還魔術の基本中の基本である「召還した人物の
命令にのみ従う」ことが適用される。クリスがルイの召還したドルゴを操縦しようとするとたちまち制御不能になってしまうし、アレンの召還したドルゴに
乗るのはルイに悪いと思うからだ。

「御免なー、アレン君。ルイと2人乗りしてもうてー。」

 リルバン家からの出発で幾分重くなっていた雰囲気を、ルイの後ろに乗ったクリスの軽口が一気に打ち破る。こういう行動を無意識にとれるところがクリス
らしい。

「別に2人乗りくらい・・・。ルイさんと此処に来た時はずっとそうだったんだろ?」
「そん時はルイはフリーやったでな。今はアレン君が居るで悪戯もなかなか出来へん。」
「悪戯?」
「ルイの後ろ取ってすること言うたら、決まっとるやん。」
「!ちょっとクリス!しないでよ?!」

 クリスの言葉に含まれた悪戯の真意を感じ取ったルイは、クリスの悪戯、すなわち後ろから手を回して胸を揉むのを防ぐため、手綱を持ったまま両脇を硬く
閉める。やや背中を丸めた姿勢のルイとその後ろでニヤリと笑うクリスの位置関係から、アレンもクリスの言う悪戯の意味を悟って苦笑いする。

「大丈夫、大丈夫。操縦中はせぇへん1)から。」
「もう・・・。」

 これまで何度もクリスに胸を揉まれて来たルイは慎重に警戒態勢を解く。ドルゴの操縦中に胸を揉まれればパニックに陥り、大事故の危険性が強まる。
クリスもドルゴの速度を知っているから操縦中に悪戯はしないだろうが、この分だと何時両脇から胸を掴まれて揉まれるか分からない状況に変わりはないと
察して、ルイは溜息を吐く。苦笑いを続けるアレンはクリスを内心羨ましく思う。
 女性同士だからこそ許されることは色々あるが、胸を揉むことも気心知れた間柄ではスキンシップの1つとして成立し得る。アレンはルイと相思相愛の
カップルになったがまだそれほど日数が経過していないし、蜜月になる時間をあまり経験していない。そんな中でクリスがアレンの男性としての性的関心を
刺激したこととアレンの恋愛経験のなさが相俟って、ルイとの仲をより親密にしてルイの胸に触れたいと思う。年頃の男性としてごく正常な思考だが、性的
関心が理性を容易に突破するようではルイとの仲を親密にするどころか破綻の結末を迎えることくらいアレンも推測出来るから、今はクリスを羨む程度に
留まっている。

「んじゃ、行こぉや。」

 クリスの音頭で、アレンとルイがドルゴの手綱を叩く。走り始めたドルゴは徐々にスピードを上げていく。
町や村を囲む高い壁を越えれば大自然が広がるこの世界。見える景色は草原や山、海や川など様々だが、魔物を含む他の種族との生存競争に晒されて
いるため人間の生活範囲が我々の世界より大幅に少ないから、人間の生活領域を出ればそこは手付かずの自然だ。魔物やそれに勝るとも劣らぬ脅威である
盗賊に狙われる危険性は常に付き纏うが、生活範囲と比較してこの世界における人間の活動範囲が広いのは、ドルゴの普及によるところが大きい。
 ドルゴは竜族の亜種だが決して攻撃的ではないし攻撃力や防御力も低いから野生の段階でも捕獲して召還魔術の対象にする2)のは容易だし、牛馬など
家畜の一種として多数飼育されているから戦闘経験がなくとも魔術が使用出来る、すなわち賢者の石を手に埋め込んであれば即使用出来る。操縦の取得も
容易だから、自動車どころか蒸気機関もないこの世界において、ドルゴは容易に入手して使用出来る強力な移動手段となる。
 隊列はルイが操縦するドルゴがやや先を走り、アレンが操縦するドルゴがそれに続く形だ。ドルフィンにかけられた強力な呪詛を解除するために
ランディブルド王国を訪れたアレンは王国の地理関係に疎いから、先導することは不可能だ。防御の面は、移動を開始して直ぐにルイが結界を張ったことで
ほぼ問題ない。不穏な動きがあれば、アレンとクリスが即迎撃する構えで居る。
 目的はフォンとやや異なるものの、何としてもルイを護るという決意の強さは2人に共通している。ルイも2人の決意を感じているから、警備を伴わせないよう
フォンに依頼しても自分の安全を不安視する必要はないし、最大限結界で防ぐつもりで居る。人を助け護ることが魔力の大きな源泉となる聖職者のルイが
そう決意することで結界の防御力は非常に高まっている。
 アレン達は遠くに山や森が見える緑の絨毯をドルゴで疾走する。往路は魔物以外にルイを狙うホークの魔の手が執拗に襲い掛かる緊張の連続だったが、
今回は今のところいたって平穏な行程だ。危険はむしろルイの姿形を認識出来る人間が多い町や村の方が高いかもしれない・・・。
 太陽が南天に上り詰めたところで、アレン達を乗せた2匹のドルゴが停止する。昼食のためだ。
最寄の町であるラムザへはこのまま順調に走ればあと2ジム程度で到着する。昼食はラムザに到着してからでも良いし、一統貴族の事実上の当主後継者を
含むパーティーが屋外で手作りの食事を食する光景は身分不相応ではある。だが、ルイ当人に貴族の子女という認識は殆どないし、上等な服を着て豪華な
食事を食するよりこうして屋外で気心知れた人達との食事が自分に合っていると思っている。
 親友のクリスも交際相手のアレンもルイを貴族の子女として見ていないから、ルイを接待するという意識はない。アレンとルイが手分けして食事の準備を
する。行程で立ち寄る町村で買出しをしたり宿泊したりすることを考慮して、日持ちする期間が比較的短い生野菜なども持参しているから、その分作れる
料理の幅は広がる。料理を得意とするアレンとルイの手にかかれば、手持ちの食材を美味しい食事に変貌させることは容易い。

「んー。美味い!やっぱルイとアレン君の料理は美味いわ!」

 出来た料理を最初に口にしたクリスの第一声は、アレンとルイの表情を綻ばさせる。料理が出来ないクリスは食べるのが第一の仕事だ。アレンとルイが
万が一の過失を除いて食べられない食事を作らないと確信出来るから、クリスは出された料理を安心して食べられる。結果は期待を裏切らないから満足感が
生まれ、感情をストレートに表情や言葉に反映させるタイプだから率直な賞賛を発するし、受け取る側も額面どおりに受け止められる。
 アレンとルイも料理を食べ始める。座り位置は3人が三角形の頂点に位置して揃って中点を向くような形だ。藁を編んだ大きめの携帯用絨毯の上で青空の
下で囲む食事は、貴族生活に違和感を感じずにはいられなかった3人、特にルイの心と身体の緊張を解す。

「至れり尽くせりは何もせんでええから楽やけど、こういう方が気楽でええわ。」
「クリスはお父さんの出張についていく時、高級な宿に泊まらなかったのか?」
「安めの宿ばっかやったよ。父ちゃんは叩き上げなせいか、立派な宿は性に合わんらしいわ。」

 クリスの父ヴィクトスは今でこそ中佐の地位にあるが、元々一兵卒だ。非番の時以外常に上官からの召集命令に備えていなければならない立場だし、全国を
転々としていたから宿に泊まるより途中でテントを張って野営する方がずっと多かっただろう。一村の駐留国軍指揮官に就任して地元の女性と結婚し、
子どもであるクリスを儲けてようやく根を下ろしたが、長い兵卒の時代に培われた雑草魂は今尚健在らしい。クリスが村八分をものともせずにルイを護り続けた
のは父ヴィクトスの影響が大きいことが、此処からも推察出来る。
 士官学校を卒業して最初から上官として部下を使う立場にあると、現場で実際に行動する兵士の心情や気苦労などと縁遠くなる。出世が順調であれば
あるほどその傾向は強まるし、履歴に傷をつける可能性があることを必要であっても回避したり責任を部下に擦り付けたりといった保身に走ることにも
なりやすい。日本の国家公務員T種試験を突破したキャリア官僚によく見られることだが、長い下積み生活で保身より正義や道理を優先する思考を身に
つけたヴィクトスは、自分の地位に影響を及ぼしかねない娘の行動を咎めるどころか支援したのだろうし、娘であるクリスは自分の行動に疑問や迷いを抱くこと
なくルイを攻撃する村人や自分を襲う孤独とも戦い続けることが出来たのだろう。

「ヘブル村のあるこの国の北部って、どんなところ?」
「アレン君は北の方には行っとらへんの?」
「バン・・・だったっけ。カルーダからの船でそんな名前の港町に入ってから、フィルの町までずっと一直線で来たから行ってないんだ。」
「そうなんや。」

 クリスは相槌を打って豚肉と野菜の炒め物をかきこみ、咀嚼(そしゃく)して飲み込む過程を挟むことで一呼吸置く。

「話し言葉が、あたしみたいな感じになってくるな。北へ行くほど強まってくるよ。」
「食べ物とか風習とかは?」
「フィルと殆ど変わらへんよ。まあ、内陸部やで海鮮関係の料理は期待せん方が無難やな。」

 港湾都市でもあるフィルでは海産物が豊富だが、物流や冷蔵技術が未発達なこの世界では新鮮な海鮮物を港町以外で得られる距離は限られる。特に
傷み易い所謂「青魚」や貝類は港町以外で新鮮なものを食するのは不可能だ。地理的な制約で新鮮な魚介類と疎遠になる一方、内陸部では耕作の他、
牧畜や林業が繁栄する。まだ畜舎に収容しての畜産業が発生していない−畜舎での畜産業は大量消費の需要に応えて発生したもの−この世界において、
牧畜には広大な敷地が必要とされる。林業は言わずもかな。主たる生産・収穫場所が海か耕作地・牧草地などかの違いであって、一次産業の優劣を決める
ものではない。

「クリスはお父さんの出張に同行して、何度かこの国の南北を行き来してるんだよな?」
「そうやな。」
「ルイさんは出張とかで他の町村に出向いたことはない?」
「私、ですか?」

 ランディブルド王国に来訪した旅行者であるアレンと親友のクリスの会話を食事をしながら聞いていたルイは、アレンに突然話を振られて一瞬戸惑う。

「聖職者の出張は、各町村の中央教会総長で年に2回あるくらいです。」
「じゃあ、変な表現かもしれないけど、ずっと住んでる町村に篭って仕事するの?」
「そうです。異動要請を受けるか特任職で一定期間出向する時以外、聖職者は在住する町村で職務に専念するのが基本なんです。」
「総長じゃなくても、ルイさんみたいに祭祀部長になると打ち合わせとかで出張が多いと思ってた。」
「教会の人事は教会人事監査委員会の承認を得て自律精神の元で行われるものですし、職務は町村や地区が違っても『神の教えを実践する』という基本
精神に基づくものですから、あえて打ち合わせを頻繁に行う必要はないんです。」

 一村の中央教会祭祀部長なる要職に就いたルイは出張が多いのではと思うと共に出張や異動の回数が出世速度を左右する要因になると思っていた
アレンは、ルイの回答を意外に思うと同時に興味深く思う。
 我々の世界、特に日本に限定すると、所謂エリートや高級官僚の出世速度は異動や出張の回数に比例する。出張は企業での幹部育成教育の一環で
あったり、各種技能や知識の取得の機会であったりする。異動は幹部職或いは候補生として経験を蓄積させるためのものだ。異動が頻繁だと転居のための
費用もかさむが、国家公務員では官舎を、企業では社宅を用意することで新居に費やす時間やコストを削減している。
 ランディブルド王国の聖職者も引き抜きである上級職への異動要請の際には教会における個室の他に住居の斡旋があるし、既婚であれば相手の職業など
収入源まで用意されることもある。だが、ランディブルド王国の聖職者にはより高い地位に就こうなどという上昇志向は時に称号上昇の障害となるし、異動は
その聖職者の能力や将来性に相応しいと各町村の教会が見極めて要請を出し、当人が受けることのみで実現する。異動や出張の数で出世速度が
変わったり、上級職になるほど打ち合わせや教育などで出張の回数が増えるという概念は成立しないのだ。

「アレン君の実家は何やってんの?」
「何の変哲もない農業だよ。小さいけど自分の土地を持ってて、そこで出来た作物を売って生計を立ててた。」
「この国で農業っちゅうと小作人やけど、そうでもないんやな。」
「レクス王国−俺が居た国は首都に近い町村や大きな産業がある町はかなり税金が重かったらしいけど、俺が暮らしていた村はのんびりした生活だったよ。」
「ふーん。えらい違うもんやなぁ。」

 話を聞く側に立つクリスとルイの2人と同じく、出身国の状況を語るアレンは統治の度合いが大きく異なることに深い関心を抱く。
これまでの展開で主にレクス王国、カルーダ王国、そしてランディブルド王国の国情について言及する部分があったが、国家によって統治状況は大きく
異なる。ランディブルド王国は国土全体に統治が浸透しているという点でこの世界では少数派に属する。その背景にはキャミール教という宗教とそれを司る
聖職者の社会的地位と職階の確立、そして何処に誰が住んでいるかを容易に知ることが出来る戸籍の存在がある。宗教だけ見ても、王家の宗教対立で分離
独立した歴史を持つレクス王国ではキャミール教は冠婚葬祭業者という位置づけであるのに対して、ランディブルド王国では国家運営に深く関与するなど
高い社会的地位を有し、信仰によって地域住民の集約を果たしている側面もある。
 宗教はしばしば統治に関係する。欧米ではキリスト教、中東ではイスラム教が人々の生活に広く深く浸透しているのは周知の事実だし、出身地の宗教を
元に独自のコミュニティを形成している移民の存在もよく知られている。日本でも古来は仏教が宗派が入れ替わって国政に深く関与したし、大日本帝国
時代は国家神道が天皇を頂点とする中央集権体制の精神的支柱となっていたことは有名だ。
 支配層が宗教を利用することで国民の反政府的団結を未然に阻止する場合も多数見受けられる。奈良時代における仏教の隆盛は時の朝廷、すなわち
支配層が度重なる疫病など国民生活の危機とその無策による国民の不満を「信じるものは救われる」と仏教に逸らしたためだし、大日本帝国時代は「天皇は
神聖にして侵すべからず」の精神を国家神道を通じて浸透させることで、国民の不満を抑圧していた。天皇制政府が治安維持法の制定などで特に日本
共産党を不倶戴天の敵としていたのは、日本共産党が天皇制の背景にある国家神道が描く、天照大神を始祖とする天皇家による万世一系の統治体制を
誤りとしたためだ。国家神道の精神は今なお脈々と日本人の意識に息づき、支配層に抗する言動を「アカ」「共産党だから駄目」と一律に否定する原動力と
なっている。

「途中の町で演劇見るんもええやろな。」
「この国は演劇が盛んなんだよね。」
「そうや。今はシルバーカーニバル真っ盛りやから、彼方此方でやっとる。」
「どんな話を上演してるんだ?」
「恋愛ものが多いな。他は冒険ものとか子ども向けの民話とか色々や。」
「面白そうだね。」

 アレンは出身地で見たことがない演劇の幅広さに興味を抱く。日々の生活は魔物の襲撃を除いて平穏そのものだったが、平穏な時ほど刺激を求めるのは
人間の性というもの。旅行者や難民から断片的に聞く村以外の世界、特に異国の状況はアレンの好奇心や冒険心をくすぐって来た。裕福でない上、町村や
国を行き来する商工業者や長期の旅行者でなければ自分が生まれ育った土地を離れる理由はないからアレンは村を出る欲求を抑えていたが、父ジルムを
探す旅に出て偶然訪れたランディブルド王国の活気溢れる文化を感じてみたいという欲求は抑えきれない。

「ラムザも結構でかい町やし今日はええ天気やで、外でも演劇やっとる筈や。ルイと2人で観に行って来(き)ぃや。」
「ルイさんは演劇観たことある?」
「教会のお休みと重なった時に偶に行くくらいです。嫌いではないんですが普段そこまで気が回らなくて・・・。」
「町に着いたら、観に行かない?」
「はい。行きたいです。」

 アレンの誘いをルイは快諾する。
オーディション本選が終わってリルバン家に移動してからはルイの事実上の公務以外で外出したことがなかった。ルイの立場を考えれば当然ではあるが、
アレンとカップル関係が成立してから本格的にデートをしたいという意志は常にあったし、アレンも同じだ。
 アレンとルイの仲がなかなか進展しないことにやきもきしていた1人として、クリスは2人を応援したいと思う。その中に進展の様子を見物したいという野次馬
根性も含まれるのだが、それは言わぬが花というものだ・・・。
 日がかなり西に傾いた12ジム頃、アレン達は直近の町ラムザに到着した。町に入って最初にすることは宿の確保。野宿だと町村を取り囲む壁の外に居る
時と大差ないし、難民や浮浪者などと間違われたりする。間違われるくらいなら人目を気にしないだけの図太い神経があればやり過ごせるが、えてして
弱者はより弱者を狙うものだ。難民や浮浪者のなけなしの所持金を狙うゴロツキなどの標的にされても文句は言えない。町村の治安維持のために軍隊が
居るがシルバーカーニバル真っ最中だからそちらの警備−お祭り騒ぎのドサクサに紛れて窃盗や置き引きを働く輩が居る−が優先だし、戸籍制度が確立
しているランディブルド王国において路上で寝泊りする者は保護の対象となり得ない。旅行者と言えどもそれは同じだから宿の確保が最優先事項となる。
 アレン達は正門を入って直ぐ傍にあるプラカード・インフォメーションを見て手頃な宿を探し、繁華街から少し離れたところにある宿を選ぶ。繁華街に
近い方が物資の調達には便利だが、人が多く集まる場所はどうしても犯罪の危険が高まる。更にシルバーカーニバルの最中ではドサクサ紛れの窃盗や
置き引きに遭う危険性が高い。
 アレン達は出発に際してフォンから金銭には不自由しないようにとかなりの額を渡されている。堅実そのものの生活観念が確立しているアレンとルイは
勿論、家はかなり裕福な部類に入るが質実剛健を信条とする父と放蕩を悪徳とするキャミール教の熱心な信者である母の影響でやはり浪費癖がないクリスが
使い果たすことはまず出来ない金額だが、それは逆に窃盗や置き引きに向けた豪華な餌でもある。危険に遭う可能性を極力排することは、法治制度が十分
確立していないこの世界では常識の1つとして人々の間に浸透している。
 賑わう繁華街を抜けると比較的閑静な住宅街が広がっている。アレン達は目的の宿を探して入る。

「1泊したいので部屋をお願いします。」
「3人一緒でええわ。」
「え?それって・・・」
「承知しました。」

 男女で部屋割りを依頼しようと思っていたところにクリスが3人相部屋を申し出る。当然驚いたアレンはしかしクリスに手で口を塞がれる。

「安全のためには3人一緒に居った方がええって。」

 クリスがアレンに耳打ちする。アレンも頭では分かるがルイとカップル関係となり、クリスの刺激を受けて性的好奇心が覚醒したことを自覚しているから、
相部屋で理性を保っていられるか不安に思う。性的好奇心に任せて暴走すればルイとの関係進展の致命傷になりかねないし、ルイが嫌がるところを強引に
推し進めればクリスが黙っていないだろうが、以前の自分でないとの自覚があるからアレンはルイと相部屋になることを躊躇せずには居られない。
 一方のルイは異性と相部屋で宿泊することに不安がないわけではないが、前回キス寸前まで行きながら怖がっていたとアレンに誤解されて未遂に終わった
教訓から、アレンが迫って来たら強引に性交渉に突入しない限り応じようと思うし−キャミール教では淫乱は罪との認識−、ホテル滞在中に何度も事実上
2人きりになることがありながらもアレンが極めて紳士的だったことやアレンに対する強い恋慕の情が不安をかき消している。
 従業員がやって来たところでアレンは観念する。部屋に案内されるところまで来て相部屋は嫌だとごねれば宿屋の従業員の疑念を呼ぶし、ルイが
「嫌われている」などと心情を害しかねない。従業員に案内されてアレン達は2階の4人部屋の1つに案内される。宿が緩やかな斜面に建てられているため、
窓からは賑わう繁華街が一望出来る。

「おー、やっぱよう賑おうとるわ。」
「演劇を観る人かな?」
「それもあるやろうし、買い物もあるやろうな。大抵の店はシルバー・カーニバルとかでかい祭りん時は安売りするで。」
「じゃあ早速買い物だね。」
「ああ、買い物はあたしがしとくで3)アレン君はルイと一緒に演劇観に行っといで。」

 クリスの申し出にアレンは少し驚く。

「まだフィルを出て日にち経っとらへんで、買うもんって知れとるやろ?」
「まあ、食材くらいだけど・・・。」
「んじゃ、あたし1人で十分や。買うもんの一覧だけメモくれればあたしがやっとくよ。」
「だけど、クリス1人に任せるのは・・・。」

 クリスが気を利かせてのことだと即座に分からないあたり、アレンの鈍さはまだまだ健在だ。これでは鈍感過ぎるとフィリアが不満と愚痴を垂れ流したくもなる
筈だ、とクリスは内心苦笑いする。

「ええから、さっさとメモと金頂戴。」

 優柔不断な相手に正攻法は通じないと判断したクリスは強行突破に転じる。クリスが話を聞かないと思ったアレンは、部屋備え付けの小型のデスクに
置かれているメモ用紙に必要な品物を書き連ねていく。クリスの言うとおりまだフィルを出て1日も経っていないし途中で金を消費することもなかったから、
買い足す物資の量はごく少量だ。3人揃って歩き回るほどのものではない。

「はい、これ。」
「ありがと。・・・うん、大した量やないな。」
「買い物が終わったらクリスはどうするんだ?」
「その辺適当にうろつくわ。夕食時には戻って来るで、気にせんでええよ。時間は腹の減り具合で大体分かるし。」

 動物であるかのようなクリスの適当な物言いに、今度はアレンとルイが苦笑いする。

「んじゃ、すること決まったで行ってくるわ。」

 言うが早いか、クリスはそそくさと部屋を後にする。鍵はアレンが従業員から渡されたままだから、クリスの帰りを待つ必要はない。
残されたアレンとルイはドアが閉まった後顔を見合わせる。早々と2人きりになったが、邪魔者が居なくなったとばかりにことを進めない、否、進められないのは
アレンの優柔不断と奥手ゆえだ。予定していた買い物はクリスが全て担うことになったから、アレンとルイがすることは自ずと決まる。

「演劇、観に行こうか。」
「はい。」

 とてもスマートとは言えないエスコートだが、アレンと同じく恋愛初心者のルイはアレンと一緒に居られることや行動出来ることそのものに喜びと幸福を感じる
から、エスコートの手際をチェックすることに考えが及ばない。恋愛の幸せを味わうにはその方が良い。
 妙に恋愛慣れしたりプライドが先行したりすると、相手より優位に立つことを考えて無駄な駆け引きをしたりしがちだ。駆け引き自体あらぬ誤解を呼び
やすいし、恋愛であれば自分に対する恋愛感情がなくなったと致命的な誤解を抱かせる危険さえある。相手の譲歩を引き出すことを第一に考えるのは
恋愛とは言い難いし、自分のみ対価を得るという観点からすればビジネスのそれより悪質だ。恋愛そのものより駆け引きを重要視するようなら、恋愛など
しない方が良い。
 2人は部屋を出て、アレンが鍵を閉める。アレンとルイは自然と距離を詰めて歩き始める。アレンとルイはようやく2人きりで賑わいに繰り出す時が来た・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

1)せぇへん:「しない」と同じ。方言の1つ。

2)召還魔術の対象にする:魔物や精霊などを倒して所定の手続き(詳細はScene1 Act3-1などを参照されたい)を踏めば召還魔術として使用出来るが、
召還には代償として魔力が必要である。強力な効果を伴うものほど消費する魔力は多く、Scene8 Act4-4でのアレンのように魔力が低い術者が強力な召還
魔術を使用すると、生命の危険を招く。ドルゴは賢者の石を装着しただけの術者(魔術師ではNovice Wizard、聖職者では僧侶)で終日召還していられる
ほど消費魔力は少ない。


3)しとくで:「しておくから」と同じ。方言の1つ。

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