Saint Guardians

Scene 9 Act 4-3 一歩-First step- 未知に向けての胎動

written by Moonstone

 ライラの町を出て更にシェンデラルド王国との国境が近づいて来る。人影は兵士を含めてぷっつり途絶えている。あるとすれば、町村の外に転がる死体だ。
五体満足ならまだ良い方で、身体の一部或いは殆どを喪失しているもの、白骨化しているものの方が多い。武器や鎧を持った兵士らしい死体より民間人の
死体の方が多い。
 ランディブルド王国の正規軍である国軍は志願制で、任務は町村の治安維持と侵入を試みる魔物などからの領土の防衛であるから、これまで他国や
他民族の侵略に晒されたことがないし、侵略に打って出たこともない。そのため概して実戦経験は多い方ではない。そこに攻撃力も防御力も高く、更には
概念の浸透が浅く薄い力魔術をも使用してくる悪魔崇拝者の集団が大挙して雪崩れ込んで来たのだ。軍勢が元々小さい村などでは国軍の迎撃も
ままならない中で全滅か撤退に追い込まれるし、一般市民は逃げるか殺害されるしか選択肢がなくなる。
 悪魔崇拝者は領土を占拠してそこを自らの生活圏内とするのではなく、専ら破壊活動のみ行う。悪魔崇拝者に陥落させられた町村や耕作地には、火が
放たれ毒が撒かれ、ひたすら廃墟への末路を歩む。フィリアとイアソンが野宿をするためテントを張った場所は本来草原の筈だが、悪魔崇拝者に蹂躙されて
赤茶けた地肌を露出させていて、小さな毒の沼が彼方此方に出来ている。葬るものが居ない死体の腐臭と毒の浸透による化学変化で生じる臭いは、お世辞
にも良い匂いとは言えない。

「こんな風景じゃ、食事って気分になれないわね・・・。」
「食事は摂れる時に摂っておかないと後悔するぞ。無理矢理でも胃袋に入れておいた方が良い。」

 襲撃に備えて結界を張ったフィリアは、渋い顔をしながらイアソンの作った食事を食べ始める。故郷に居た頃アレンの手ほどきを受けてフィリアの料理の
腕はかなり上達したものの、有り合わせの材料で思い描いた料理と味を作れるほどではない。一方のイアソンは野外活動に従事した経験が長く豊富だから
手持ちの材料で料理を作るなど手馴れたものだし、皿に盛り付けられた状態で食事が出来るだけでもまだ安全圏だと思うくらいだ。
 東側の防衛ライン最善となっているライラの町を出てから3日。フィリアとイアソンは既に悪魔崇拝者の軍勢と遭遇している。人間と見るや否や魔物の
ような唸り声を上げて襲い掛かってきたから、フィリアとイアソンは殺害当然視で応戦した。悪魔崇拝者の力魔術の威力は、中の上の称号であるPhantasmistに
達しているフィリアであれば結界で余裕で防げる程度のもので、懸念された防御力も普通の剣が通用するほどだったから、フィリアとイアソンは難なく
返り討ちにした。
 幼い頃から力魔術に接する魔法文明の中で育ち、フィリアはそれを専門とする魔術師だ。力魔術を神の教えに反すると忌み嫌う魔法文明の支配下にある
ランディブルド王国では集団であることも相俟って悪魔崇拝者は相当な脅威に映るが、フィリアとイアソンには「多少手を焼かせる魔物」くらいの認識で通用
する。
 しかし、その認識は「今のところ」である可能性もある。末端を道具として東西奔走させ、権力のある者は深部に座するという図式はよく見られる。悪魔
崇拝者の力は源泉とする悪魔の階級によって異なると聞いている。悪魔は階級によって力と立場が大きく異なる強力な縦社会だ。より強い悪魔の力を源泉と
する者が中枢に座し、その力でより弱い者をこき使っている可能性は十分ある。末端を倒して天狗になっていると、中枢に足を踏み入れた時点で悪魔崇拝の
儀式の生贄に転落しかねない。十分な配慮と注意が必要だ。

「根本的なこと聞くけどさ。」

 味覚に神経を注ぐことで不快な臭いを感じないようにしていたフィリアが、徐に口を開く。

「シェンデラルド王国に潜入して、悪魔崇拝者を根絶やしに出来るの?」
「分からない。」

 イアソンの回答は素っ気無いことこの上ない。だが、イアソンの真剣な表情を見たフィリアは反抗しない。

「何分事前の情報が少な過ぎる。悪魔崇拝者のシェンデラルド王国での勢力範囲はどのくらいなのか、中心勢力の力量はどの程度なのか、掴みどころとなる
情報が皆無に等しい。本来なら偵察要員を派遣して概要を探らせるところなんだが、侵略されて押されるままに居たからそこまで頭も手も回らなかったん
だろう。」
「情報を探りながらの隠密行動、ってことかぁ・・・。」
「そういうことだ。だが、これまでの様子からして、奴等を殺さず生かさずにして吐かせるのはかなり難しそうだからな・・・。」

 イアソンは溜息を吐く。イアソンは迎撃にのめり込むことなく悪魔崇拝者から直近の情報を少しでも聞き出そうと試みていたが、悉く失敗に終わっている。
理由は簡単。悪魔崇拝者が攻撃するか死ぬかの選択肢しか持ち合わせていないからだ。
 イアソンが攻撃の手を緩めたり、フィリアに指示して魔法の威力を死なない程度に弱めさせても、悪魔崇拝者はまったく怯まず立ち上がる限り攻撃を
続ける。立ち上がらなくなって初めて攻撃しなくなる。立ち上がれる、言い換えれば立ち上がる意思さえあれば、悪魔崇拝者は攻撃の手を止めない。爪や
牙或いは手にした短剣による物理攻撃が出来なければ魔法攻撃という手段がある。絶命しない限り攻撃を始めたら止めない上に、話を聞こうという姿勢を
微塵も見せないから、言葉が通じているのかどうかも怪しいところだ。
 悪魔崇拝者の攻撃力と防御力の高さは聞いているし体験もしたが、知能や知性に関しては未知の部分が多い。魔法を使う際に言葉を発している47)ことから
言葉を使える程度の知能はあることは間違いないが、自我などは完全に喪失しているようだ。行使する力の源泉である悪魔に肉体ばかりか精神まで支配
されているとは皮肉なものだが、良心の呵責など破壊活動に邪魔でしかない思考を剥奪するため、悪魔や権力者があえてそうしている可能性もある。
 自我を喪失した人間は獣と大差ない。破壊活動を専らとするようになると何らの生産性がないから獣以上に始末が悪い。逆に、破壊活動に専念させるには
自我などない方が良い。軍隊や体育会系クラブ活動で体罰やしごきなど理不尽な暴力がまかり通るのは、「上の命令は絶対」「上の命令に従わなければ懲罰
される」という概念を意識の根底に植えつける、言い換えれば程度の差はあれど自我を剥奪する方が、個々の能力や思考に応じた指導ではなく画一的な
指導を行うのに好都合だからだ。「鍛える」ことを名目に軍隊式訓練を奨励する発言には、分野が国政だろうとフェミニズム運動であろうと厳しい批判を向ける
必要がある。

「ランディブルド王国には放火したり毒を撒いたりしてるだけみたいだけど、本拠地のシェンデラルド王国ではどうしてるのかしら?」
「推測だが、ランディブルド王国に送り込まれるのは破壊活動専門に特化された集団で、国内では農業を含む生産活動に従事している可能性がある。悪魔
崇拝者は悪魔の力を利用しているようで実際は悪魔に支配されてるようなもんだが、物理攻撃がヒットするんだから肉体は存在しているし、肉体維持の
ために食事は欠かせない。となれば、活動を継続させるために生産活動に従事する集団が存在すると考えるのが普通だ。」
「あっちの方は農業とか牧畜とか出来そうな空じゃないんだけどね・・・。」

 フィリアは東の空を見て表情を曇らせる。東の空は昼夜で明るさの変化はあるものの、濃い灰色の雲が広く低く垂れ込めて晴れ間が全くと言って良いほど
見えない。農業には天候の循環が必要だ。晴天ばかりでは干ばつとなるが曇天ばかりでは植物が生息しない。何時から続いているかにもよるが、曇天続きの
下で農業の生産効率は期待出来ない。

「悪魔崇拝者がシェンデラルド王国を事実上占拠するまで勢力を拡大した背景は、前にイアソンが推測したよね?」
「民族意識につけこむ形で勢力増長を図ったってやつか。」
「そうそう。悪魔の力を行使するって言っても今のところそれほど強い奴じゃないし、何でその程度の力しかない勢力に一国が陥落したのかしらね。」
「意思統一した集団の力は権力の座を呆気なく覆す力を持つ。国家転覆は別に不思議なことじゃない。」

 イアソンの推測を伴わない回答にフィリアは怪訝な表情をする。しかし、イアソンの言うことは決して間違いではない。
日本を見ても加賀一向一揆で豪族と結託した本願寺門徒が時の守護大名である富樫政親を打倒して、約100年もの期間大名の統治ではない−戦国時代
にも重なる時期だ−市民統治を続けたことは有名だ。
 世界史をざっと見ても、アメリカのイギリスからの独立をはじめ、中南米諸国のスペインやポルトガルからの独立、アフリカ諸国の欧州諸国からの独立は、
各国の市民が決起したことで従来の支配勢力を排除して自治を始めた典型的な例だ。ロマノフ朝帝政ロシアを打倒したロシア革命、アメリカの傀儡政権
だったバディスタ政権を打倒したキューバ革命−世界的な世論を無視してまでアメリカがキューバに強硬措置を執り続けるのはこの名残−、インドシナ
戦争の混乱に乗じたアメリカの支配を打破したベトナム戦争など、軍の勢力を単純比較すると想像出来ないほど、一致団結した市民勢力によって強大な
政権が転覆される事例は多数存在する。
 この世界でも、勢力構図転換の速度は一騎当千のドルフィンの参入による部分が大きかったものの、フィリアもイアソンも関与したレクス王国での王政
転覆は市民勢力の結集によって成されたものだ。その過程に以前から当事者として加わっていたイアソンは、団結の強さを十分把握している。その経験や
知識から考えて、シェンデラルド王国における悪魔崇拝者勢力の隆盛と王政転覆は断絶した出来事ではないと確信出来る。

「悪魔崇拝者を束ねてシェンデラルド王国を陥落させたのが本当だとして、ザギとかガルシアとかクルーシァを支配してるセイント・ガーディアンの一味が
シェンデラルド王国を陥落させて支配する理由が、あたしには分かんないのよ。ランディブルド王国の地下神殿が欲しいなら、シェンデラルド王国から攻撃
なんて面倒なことしないで、直接攻め込んだ方が手っ取り早くない?」
「そうしないのは何らかの策略があってのことだろう。陽動作戦とも考えられる。ザギが絡んでいる可能性が高いから尚更な。」

 ドルフィンが最終的に踏み潰したザギの配下は、ザギが自分に命令してシェンデラルド王国に向かったと証言した。彼方此方を転々として複数の目的を
同時遂行させる様子からそのままシェンデラルド王国に留まり続ける可能性は比較的低いが、シェンデラルド王国の事実上の体制転覆に関与していることは
間違いないと見て良いから、フィリアが思いつくような分かりやすい手法を執らないのは何らかの理由や作戦があると考えるのが自然だ。
 それが何を目的とするのか、現時点では推測する以外にない。だが、全ての事象が何らかの形で1本の幹にリンクしていると考えるべきだ。
レクス王国に強権的な治安維持体制を吹き込み、古代文明の遺跡を探索させると同時に、首都ナルビアで生物改造実験を進め、アレンの剣を奪おうとして
いたように。
ランディブルド王国で大きな権力も持つ一等貴族の後継候補に取り入り、優先順位の高い当主の実子を抹殺する見返りに恒久的な資金提供を得ようと
企むと同時に、王家の城にある地下神殿に目星をつけていたらしいように。

それらの背後に、古代に隆盛した文明のテクノロジーを復活させようとする影がちらついているように。

「ご馳走様ー。美味しかったー。」
「棒読みだな。」
「だってこの臭いじゃ・・・。」
「そりゃそうだな。食器を拭いて先に休んでおけ。その間俺が番をするから。」
「そうさせてもらうわ。うーん、寝られるかな・・・。」

 辺りに立ち込める臭いがどうにも我慢ならないらしく、フィリアはさっさと食器を片付けて顔を顰めながらテントに入り、寝袋に潜り込む。
イアソンは日が暮れるより前に焚き火を開始する。悪魔崇拝者は火を極端に恐れる。魔法防御力も高いが、火系には非常に弱いことも判明している。
たった2人の軍勢ながらフィリアとイアソンが今まで容易に進行出来ているのは、悪魔崇拝者の弱点とフィリアの得意とする魔法系統が一致したことが大きい。
フィリアはこの先も悪魔崇拝者との戦闘で大きな戦力となるから、イアソンはフィリアの休息を優先させている。
 イアソンは自分の分の食器と料理器具を片付けて、火を絶やさないようにしながら周囲に目を配る。やがて訪れ深まる闇は、悪魔崇拝者の活動の舞台と
なるのだ。悪魔崇拝者の巣窟と化したらしいシェンデラルド王国は、フィリアとイアソンの目と鼻の位置まで迫っている・・・。
 所変わって、お祭りムード一色の首都フィル。その中心部に座する広大なリルバン家邸宅本館には、2つの動きがある。

「なかなか・・・、骨が折れるわね。」

 本館3階のドルフィンとシーナの居室では、シーナが分厚い書籍から顔を上げて溜息を吐く。向かいの席にはドルフィンが座っている、こちらも分厚い
書籍を手にしている。
 シーナがリルバン家の図書室と王国図書館から借り受けて呼んでいる書籍は、キャミール教の教えを綴った「教書」とその外典、並びにランディブルド
王国の建国神話と他の主要宗教の経典や関連神話一式だ。眼鏡をかけているシーナはまだしも、見るからに肉体派のドルフィンが眩暈のするような量の
文書を読み続けているのは、出発前のイアソンからの依頼による。
 自身が不在の間、「教書」やその外典とランディブルド王国の建国神話から、王家の城の地下にある地下神殿に関する共通事項を探しておいてほしいとの
イアソンの依頼は、シェンデラルド王国への諜報活動を行う間にザギやザギを配下とするクルーシァを制圧しているガルシア一派が何を目的に各国で暗躍
しているのかを文献から調査することを意味する。イアソンの諜報能力に一目置いているドルフィンは二つ返事で受託し、シーナが参入した。
 シーナは2階の専用実験室で昼夜薬剤合成実験に取り組むリーナを助言・指導する傍ら、ドルフィンと共に「教書」や建国神話に隠されていると思われる
謎を探っている。だが、何せ文書の量が半端ではない。「教書」本体も大判の辞書ほどあるが、キャミール教の教えから逸脱するなどの理由で「教書」本体から
除外された外典はその何十倍もある。そこにこれまた何十冊とある建国神話や他の主要宗教の書籍が加われば、読書好きのシーナでも読むのは骨が
折れる。

「ドルフィンはどう?」
「そう簡単に見つけられそうにないことは分かる。構成を把握するのも一苦労だ。『教書』自体これほど本格的に読むのは何時以来かだしな。」

 ドルフィンも書面から顔を上げて溜息を吐く。これが休憩の合図となり、シーナが淹れたティンルーを口にする。

「地下神殿の直接的な記述はなかなか出て来ないわね。『教書』本体はキャミール教の教えに特化されてるし。」
「謎を詳細に書いたら謎じゃなくなる。それに、今回の対象はレクス王国で日の目を見そうになった古代の想像を絶する文明についてだ。彼方此方に分散
させたり抽象的な表現に置き換えたりするのが自然だろうな。」
「最初から書かなければ良いのにね。」
「今後発掘された場合に備えると、何も伝えないより暗号めいた形でも言及しておいた方が良い。人間の思考は手軽な方や悪い方向に向きやすいもんだ。
何も知らずに古代文明に触れたら、それこそ『大戦』の二の舞になるのは目に見える。」
「作ったものの痕跡を残してしまった辺り、古代人の文明は何処か抜けているところを感じるわ。」
「兵器や支配の道具に使う分には、後始末など考える必要がないからな。『教書』外典の『マデン書』からもそんな流れが見える48)。」
「人間って、進歩しているようで進歩していないわね。」

 シーナは小さい溜息を吐く。
シーナも若くして頂点に上り詰めた力魔術や医学薬学で、知識や技術の利用より悪用の方が簡単だと十分認識している。力魔術は元々攻撃色が強いが
−そのためランディブルド王国では日陰の存在に甘んじている−、1つの魔法を具現化するには相応の力の制御が求められる。対象の属性を問わずに
ダメージを与えられる魔法が多い破壊系魔術では特に、複雑な力の制御を少しでも誤ると自分の爆死や消滅どころか、町1つくらい簡単に吹き飛ばす危険に
繋がる。 破壊系魔術で上級のものほど行使する場所に結界が張られ、周囲に影響を及ぼさないように限定されるメカニズムが確立しているのは、危険と
背中合わせであることを如実に物語るものだ。

 我々の世界でも、知識や技術の利用より悪用の方が簡単で後始末など考えないことやそれが具体化した事例は枚挙に暇がない。
代表例を1つ挙げるなら核分裂反応だ。ウランなど原子核が核分裂を起こす物質(核分裂物質)に中性子をぶつける(厳密には吸収させる)ことで、He(ヘリウム)
核より質量が重い1つ以上の核種と別の核種に分裂させる過程でエネルギーの高い中性子(高速中性子)が発生する。これを別の核分裂物質に衝突させると
当然核分裂が生じる。ビリヤードを連想すると分かりやすいだろうが、これら一連の過程で生じる莫大な熱を発散させれば原子爆弾であり、水に通したり
(この時の水は一般に使われる水と同じであるが同位体である「重水」に対して「軽水」と称する)中性子吸収作用を持つ制御棒を駆動させることで、発生した
中性子のエネルギーを減衰させて核分裂の頻度を一定水準に保持するものが原子炉である。
 また、原子炉で「原子の火」を灯すまでには、ウランでは核分裂を起こしやすいウラン235を天然ウランから濃縮する技術や−此処で用いられる技術の
1手法として遠心分離がある−、核分裂を一定状態に保持し続けるための制御技術、そして核分裂を起こす物質があることや、核分裂が起こる一連の
メカニズムを理解出来るだけの物理学の知識が要求される。一度核分裂物質に中性子をぶつければ核分裂物質が喪失するまで続く核分裂を常時制御する
より、爆発という形で発散させる方が「簡単」だし「後始末を考えなくて良い」から、核分裂の利用より悪用の方、すなわち核爆弾に目が行き易いことは容易に
分かるだろう。
 正しい食べ方を知らずに科学技術を齧ると消化出来ずにたちまち「嘔吐」してしまい、「嘔吐物」が周囲に与える悪影響は甚大だから、後先を考えられない
人間は科学技術に携わるべきではない。後先を考える思考を有しないまま科学技術を齧る者が世に出ることで、時に悲惨で深刻な事態を生む。オウム
真理教によるサリン事件もそうだし、核兵器もそうだ。

 イアソンがフィリアを伴ってフィルの町を出てから、ドルフィンとシーナは「教書」をはじめとする膨大な量の書籍を読み耽っているが、断片的或いは抽象的に
古代に非常に高い水準に達した文明があったこと、その1つとして現在のランディブルド王国がある地が神の怒りを買うに至る原因を生み出した場所である
ことは感じ取れる。高水準に達したために諸刃の剣となって人類の身に返り、文明そのものを崩壊させて人類を滅亡の淵に追い込んだ「大戦」や古代文明は
決して夢物語や妄想の産物ではなく、遠い昔に実際に存在した事象を神話や伝承の形で伝えようとしていることも感じ取れる。しかし、肝心要の謎、すなわち
地下神殿が何を目的に作られたのか、どのような構造をしているのかといったことは一向に姿を現さない。
 これだけの文書量から、ごく短い時間で古代文明と地下神殿との関連性を掴み挙げたイアソンの情報分析能力は非常に高いことが改めて良く分かる。
シーナは考古学も手がけていた師匠ウィーザが居ればと思うが、クルーシァの内戦勃発と同時に生き別れて以後消息が途絶えているから、自分で解決する
しかない。
 ドアがノックされる。ドルフィンが応答するとドアが開き、白衣を着用したリーナがテキストを持って入室して来る。

「シーナさん。『薬剤反応論U』のテキストで質問したいことがあるんですけど・・・。」
「遠慮なくどうぞ。」
「お願いします。」

 アレン達に見せる冷徹で傲慢とも言える態度が嘘のように、リーナはしおらしい。
リーナにとってシーナは、既に「売約済み」だったとは言え兄以上に慕っていたドルフィンを奪った恋敵だ。しかし、自分が目指す薬剤師の免許を取得し、
その知識と技術をパーティーの健康管理に活躍させているシーナは、嫉妬心や敵対心を乗り越えて尊敬の対象となって久しい。
 シーナの解説は実に丁寧且つ分かりやすい。兎角理論や方策を説くことを第一とするため難読を強いられることが多い専門書を相手にする際、内容を消化
しやすいように噛み砕かれることは正確な理解の大きな助力となる。シーナはリーナの質問に1つ1つ丁寧に答えていく。リーナは併せて持参したノートに
万年筆49)で時折メモを取りながら、真剣に聞き入る。実験室でテキストと合成器具、そして大量の薬草と格闘し続けて煮詰まっていたリーナの頭に、シーナの
懇切丁寧な解説は容易に溶け込んでいく。

「なるほど・・・。こうすれば良いんですね。」
「そうそう。この反応式をヴァルツダンデムの定理50)に代入するのがミソ。このテキストだけじゃ分からないから難しいのよね。」
「ありがとうございます。これで実験が進められます。」
「どういたしまして。折角だから、リーナちゃんもティンルーを飲んでいきなさいよ。さっき淹れたばかりだから。」
「よろしいんですか?」
「遠慮は無用よ。ね?ドルフィン。」
「ああ。遠慮しなくて良い。」
「では、失礼します。」

 フィリアが見たら我が目を疑うこと間違いなしの態度で、リーナはティンルーを淹れられたカップを手にする。テーブルにはドルフィンとシーナの分以外にも
席はあるから、立ったまま飲む必要はない。
 リーナは持参した「薬剤反応論U」で不明だった箇所で実験が行き詰まり、今日起きてからの殆どの時間を解決につぎ込んでいた。それでもさっぱり埒が
明かなかったのでシーナの元を訪れた。シーナにもかなり打ち解けてはいるが、リーナは元々他人を頼ることを極端なまでに「最後の手段」と位置づける
タイプだ。シーナは分からないところがあったら遠慮なく質問しに来て良いと言ってあるが、リーナの頑強な思考は自分に「最後の手段」を選ばせることを
そう簡単に許さない。

「ドルフィンとシーナさんは、『教書』読みですか?」
「そうよ。イアソン君に頼まれて『教書』以外に外典や他の宗教の経典とか色々。古代文明と地下神殿の関連性を見つけるために、ね。」
「地下神殿って、この町の王家の城の地下にあるっていう・・・。」
「ザギが狙っているらしい地下神殿に何が隠されているか知ることは、ザギやガルシアの目的を知ることに繋がる可能性があるからな。」
「ふーん・・・。」

 リーナの相槌は適当に聞き流すものではなく、自分なりに何か考えて言うための前置きのものだ。

「・・・『頂(いただき)の墓』。」
「え?」

 少し間を置いてリーナが呟くように発したキーワードは、思わず聞き返したシーナも初めて耳にする。

「ギマ王国の中央部、オアシスが1つもない死の砂漠を越えたところに、遠い昔に人間が天を目指して造ったという遺跡群がある。そこが『頂の墓』って
呼ばれてる。」

 独り言のようなリーナの言葉を、ドルフィンとシーナは聞き漏らすまいと耳を傾ける。

「『頂の墓』には古代人が築いた巨万の財宝があるとも言われてるし、古代人が残した魔法の道具が収められているとも言われてる。それを狙う盗賊が後を
絶たない。けど、『頂の墓』に向かって帰って来た者は1人も居ない。古代人が仕掛けた罠にかかったとか、『頂の墓』に巣食う魔物に食われたとか
言われてるけど、誰1人確かめられた者は居ない。確かめようと『頂の墓』に向かった者も、決して帰って来ないから。」
「「・・・。」」
「『頂の墓』も大地から吐き出された巨大な銀の槍、ガイノアの標的にされた。無数のガイノアが飛び交い炸裂し、轟音と猛烈な熱と炎に包まれた。人間は全て
焼き尽くされて建物は全て破壊されて大地は草1本生えない砂漠と化したけど、天を目指して造られた巨大な建物はそのまま残った。それが『頂の墓』。
そこに入るには、『頂の墓』を作った者が創り出した紋章を携えて、『頂の墓』に書き込まれた呪文を正確に唱える必要がある。・・・これがギマ王国に伝わる
叙事詩『マンカ・デル・ニージャ』とギマ王国在住の一部民族の伝承で描かれている『頂の墓』の概要。」

 人間や大地を焼き尽くした猛烈な炎でも焼き尽くせなかった場所。入るために特別な条件が必要とされること。
リーナが語った「頂の墓」なる古代文明の遺跡らしい建造物は、ランディブルド王国の地下神殿と類似している部分が見受けられるし、何か重要なものを隠匿
していることを匂わせるものだ。
 地下神殿の存在は「教書」外典を読まないと知ることはない。「教書」外典はキャミール教の教えから逸脱すると見なされて「教書」本体から除外された記述の
集合だから、キャミール教が広く深く根付いているランディブルド王国ではタブー視されている。キャミール教が広まってはいるが冠婚葬祭を担当する存在の
域を出ないレクス王国では、存在すら殆ど知られていない書籍だ。レクス王国出身ではなく、キャミール教はやはり冠婚葬祭で使われる儀礼という認識の
ドルフィンとシーナは、「教書」をじっくり読むこと自体久しぶりのことだから、「教書」外典に手を伸ばしたことはなかった。
 これまで読んだ分で古代文明の存在は感じ取れたが、国土の殆どが砂漠で現在は一旦収束した民族同士の紛争が再び活発化して内戦状態に陥って
いるというギマ王国にも「頂の墓」なる古代文明の遺産があるのなら、それを狙っているらしいザギやガルシアなどが知っていない筈がない。ギマ王国は
シーナが町長夫妻に娘として庇護されていたカルーダ王国の西隣に位置する。マリスの町から西に暫く進めば入ることが出来る。国境を越えられるか
どうかは不明だが、越えて入る側が内戦で自国の管理もままならない状態だから、カルーダ王国側の許可を得れば越境は容易だろう。
 この旅を終えたら、ドルフィンとシーナはマリスの町の町長夫妻の後継として永住することを約束している。その約束はまだ果たせそうにないが、一時とは
言え娘夫婦が帰還するとなれば町長夫妻は歓迎はすれど嫌がりはしないだろう。それに、ギマ王国に比較的近い位置だしギマ王国と同じくメリア教の勢力
範囲にあるから、ギマ王国の事情や「頂の墓」に関して何か知っている可能性もある。
 今後の行き先を絞りかねていたパーティーの目的地の有力候補として、ギマ王国の「頂の墓」が急遽浮上した。「頂の墓」はリーナの発言がなかったら
知り得なかったかもしれない貴重な情報だ。

「・・・あたしが知ってるのはこのくらいですけど。」
「否、重要な手がかりになりそうだ。ありがたい。」
「ありがとう、リーナちゃん。」

 ドルフィンとシーナの感謝に、リーナは小さく首を横に振る。その表情は照れくささはなく、言いたくなかったことを感じさせるものだ。何故知っていたのか
聞くのは気が引ける。
 リーナは自分の過去をまったく語らない。唯一ドルフィンはリーナの養父フィーグから生い立ちを聞いているが、決して幸せと言えるものではない。
パーティーに加わったのはアレンと同じく生き別れた実父を探し出すためだ。ようやく他人とまともに会話を交わすようになって来たリーナの力になりたいと
ドルフィンとシーナは思うが、リーナのプライドの高さや傷つくことを極度に恐れることから、今手を差し伸べることは躊躇われる。リーナが今後救いの手を
求めて来た時に差し伸べれば十分だろう。

「分からないところがあったら、遠慮なく質問しに来てね。」
「はい。」

 シーナはあえて「頂の墓」の存在を語ったリーナの知識の背景に言及せず、薬剤師の先輩として指導や助言を続ける意思だけを示す。リーナの表情が
ようやく和らぎ、ドルフィンとシーナと共にティンルーを飲みながら緩やかな時の流れに浸る・・・。
 同じ頃、フォンの執務室のドアが静かに閉じられ、ルイが退室していく。見送ったフォンとロムノの顔には困惑の色が滲み出ている。
原因はルイが一旦故郷のヘブル村に帰還したいと申し入れたためだ。単なる帰省ならさほど問題にはならない。帰還にあたってルイが護衛を伴わせないよう
改めて申し出たことが唯一且つ重大な問題となってフォンとロムノに圧し掛かっている。
 フォンがドルフィンの進言で一等貴族当主としてではなく1人の父親として接するよう態度を改め、アレンとクリスに相談したルイにリーナが釘を刺したことで
ルイは態度を軟化させ、両者は和解に向けて大きく前進した。しかし、ルイはフォンを父親と認めたわけではない。フォンとの和解やフォンを父と認知する
ことでリルバン家に拘束されることを、ルイは今尚強く警戒している。初めて1人の女性として気持ちを向けた男性であるアレンとカップルになったが、
リルバン家に拘束されることがアレンとの仲を引き裂かれることに繋がると感じているからだ。
 フォンも自身も愛する者と引き裂かれた苦渋の経験を持つから、ルイの申し出の背景にある心情は分かるつもりだ。しかし、今後正室も側室も迎えるつもりは
なく、ルイにもそう明言したフォンの後継候補はルイ1人に確定した。一方でシルバーローズ・オーディションの混乱とその原因は瞬く間にフィルの町
全体に知れ渡ったから、町村を行き来する荷物運搬業者や商人などで他の町村にも話は波及していると考えられる。一等貴族当主の唯一の後継候補が
護衛を伴わずに町を出れば、たちまち話を聞きつけた賊の標的となる。国王直々の勅命を受けた一等貴族当主として、そして何より父親として、自身の
後継であり唯1人の娘であるルイの無防備な帰還はおいそれと承認出来るものではない。しかし、ルイの申し出を却下するとまだ解れ切っていないルイの
心情を害し、和解に向けたプロセスの大幅な後退は避けられないだろう。ルイの申し出を受けて検討の時間を確保したがどのような結論を出せば良いのか、
フォンには国政以上に難しい課題だ。

「・・・私設部隊の配備状況はどうなっておる?」

 長い沈黙の後、フォンが重い口を開く。

「ヘブル村までの経路となる町村全てに配備済みです。ルートを変更された場合にも即座に対応可能です。」
「そうか・・・。」

 ロムノの回答を受けて、フォンは再び押し黙る。ロムノの基本姿勢は主であるフォンに常時忠実であり補佐役だから、フォンの求めがない限りは話さない。
フォンは目を閉じて、オーディション本選での出来事を回想する。見事に映えた愛娘ルイを間近で見たことの感慨に続くオーディションの混乱とルイの拉致。
ルイの拉致を告げる手紙を持って愕然としていたところに食らったアレンの殴打。続くアレンの激しい叱責。アレンの殴打と叱責はルイとローズに代わっての
ものだったとフォンは思う。

「・・・アレン殿とクリス殿はどうだ?」
「ルイ様のヘブル村へのご帰還は既に聞き及んでおられます。お2人共、ルイ様が申し出られれば同行されるのは間違いないものと。」
「ふむ・・・。」

 再びロムノの回答を得たフォンは、一度小さい溜息を吐いて間を置き、ロムノに指示する。

「アレン殿とクリス殿を執務室に招聘してくれ。」
「承知いたしました。」

 ロムノはフォンの決断を察する。フォンをリルバン家当主に拘束してローズとの仲を引き裂いた負い目があるロムノは、フォンの決断に異議を唱えない。
表向き平穏でも裏側では様々な思惑や策略が交錯することは何ら珍しくない。ルイを別角度から守るべくフォンは動き始めた・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

47)魔法を使う際に言葉を発している:魔物が魔法を使用する場合は大抵非詠唱で使用する。それは竜族や精霊のように高い知能と魔法に関する知識に
よって人間(型種族)と同様に一定条件を満たす魔法を非詠唱で使用する場合と、本能の一部として使用出来る場合とに大別される。知能の低い魔物で
魔法を使用する場合は後者に属し、呪文の詠唱や発動部の発声はない。


48)『教書』外典の『マデン書』:詳細はPrologueを参照されたい。

49)万年筆:この世界における主要な筆記用具は羽ペンだが、一部で万年筆が使われている。無論高価であり、一般には普及していない。

50)ヴァルツダンデムの定理:薬剤合成における基礎定理の1つ。我々の世界では有機化学合成に近い。

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