Saint Guardians

Scene 8 Act 4-2 帰結-Conclusion- 過去と経緯と名の由来

written by Moonstone

「私とローズの交際は秘密裏に行われた。在任中だった先代は、肌の色の違い、民族の違いを理由に排他的言動を取る強硬派の代表格だった。そして
先代と思考を同じくし、先代の威光を背景にしたホークが我が物顔でリルバン家を席巻していた。そんな中で、バライ族の使用人であるローズが、
曲がりなりにも次期当主継承候補者の資格を有していた私と交際していることが耳に入れば、ローズはただ事では済まないと思ったからだ。」
「ローズ殿が居られた頃には既に、リルバン家の次期当主継承候補者はフォン様とホーク様しか居られませんでした。フォン様が次期当主継承権を返上
すれば、先代の意向どおりホーク様が次期当主に就任することが確定してしまいます。」
「次期当主継承権を返上することは可能なのですか?」
「はい。当主に申し出て国王の承認を得れば可能です。しかし、王国議会議員ともなる教会幹部諸氏や他の一等貴族当主は、ホーク様が次期当主に就任
されることを大変懸念しておられました。この国の方向性を事実上決定する一等貴族当主としての執務遂行能力はフォン様の方が間違いなく優れて
おられるというのは、思想の相違はあっても理性ある王国議会議員関係者の共通の認識でした。そのため、私からもフォン様にはリルバン家の次期当主
継承権を返上されませんよう、度々お願いしておりました。」
「フォン当主とローズ様の関係は、リルバン家以外に知られていたのですか?」
「いえ。秘密を貫いておりました。教会幹部諸氏や他の一等貴族当主の方々は、リルバン家の次期当主継承候補者がフォン様とホーク様しか居られない
ことで、フォン様の次期当主継承権返上を懸念事項として居られたのです。」

 イアソンの問いに対するロムノの回答から、先代在位中のリルバン家の内部事情と外部の懸念が分かる。
一等貴族の当主継承順位は法律で明記されているものの、最終的にはその時の当主が選定する。フォンとホークしか後継候補者が居らず、フォンが
ローズとの関係を優先するあまり次期当主継承権を返上すれば、ホークの次期当主就任が確定する。
 早々に見限ったロムノは勿論、教会幹部や他の一等貴族など王国議会の重鎮は、思想の違いを脇に置けば次期当主にはフォンが相応しいと思っていた。
しかし、次期当主を決定するのはその時の当主であり、外部からの干渉は許されない。先代はホークを次期当主に据える意向であり、ホークはそのことを
知って勉学や研鑽を放り出して権威の微温湯(ぬるまゆ)に浸っていた。フォンが次期当主継承権を返上すれば、リルバン家次期当主に就任出来るのは
問題のホークしか居なくなる。最悪の事態を避けるためには、フォンにはリルバン家に残ってもらわなければならない。フォンの顧問として当時からフォンに
影響力を持っていたロムノは、そのことを踏まえてフォンを慰留していたのだ。

「次期当主継承権を返上しないならしないで、お見合いとかで表面上正妻を娶っておけば良かったんじゃないのか?」

 眉間に深い皺を刻んだアレンが、考えられる妥協策を言う。
この世界でも男女の出逢いの1つの形として見合いは存在する。貴族など上流階級では特に相手方の門地や身分を重要視するから、見合いの方が主流だ。
次期当主就任の可能性の濃淡は別として、一等貴族の1家系であるリルバン家直系の男性であれば、見合い相手に不自由することはないだろう。その中から
正妻を迎えておいてローズと交際を続けることは不可能ではない。倫理面の問題はあるが、リルバン家の行方とローズとの交際を両立したいなら、そういった
妥協策を採ることも十分考えられた筈だ。

交流会40)で二等貴族や三等貴族の令嬢と出逢う機会は十分あった。しかし、ローズを差し置いて別の女性を正妻として迎えることは心情的に
出来なかった。交流会に出席する二等貴族や三等貴族の令嬢は、どれも一等貴族直系男子との結婚を目論んだ欲を豪華絢爛な衣装で飾り立てていた。
私にはそれは嫌悪感を呼ぶものでしかなかった・・・。」
「先んじてホーク様が、当時三等貴族だった貿易商の家庭からナイキ殿を正妻として迎えられました。そのため、先代からフォン様に早期に正妻を迎えるよう
指示が度々発せられるようになりましたが、フォン様はナイキ殿のリルバン家への御入家(「にゅうけ」と読む)41)以後の傲慢な言動を見聞きしておられたことも
あり、成り上がり者が多数を占める二等貴族や三等貴族から正妻を迎えることには尚更躊躇されるようになられたのです。」

 イアソンと情報交換をしていてナイキの横暴ぶりを聞いたり、クリスやルイからルイの周辺の話を聞いたりしたアレンも、フォンの気持ちは分からないでも
ない。
 自分そのものより自分の身分や社会的地位、財産を愛されるのは恋愛とは思えない。単なる他人の利用であり、利用するものがなくなったら切り捨てる
だろう。渦中の人物の1人であるルイも、かつて地獄の境遇を味わったが、将来の村の教会の総長候補と広く認識されるだけの地位と名声を勝ち取って
からは、それまで自分を人間扱いしなかった連中が態度を一変させ、二等三等貴族などは自分若しくは自分の息子をルイと政略結婚させることで狭小な
土地から脱却しようと目論んでいると聞いていた。不快感を露にしたクリスは元より、表にあまり出さなかったルイも決して良い思いはしなかった筈だ。
 フォンは深刻な確執があった先代当主の実父から結婚を指示されていたが、目にする二等三等貴族令嬢の低俗ぶりやローズへの愛情、そして仮面夫婦と
なって裏でローズとの関係を続けることへの倫理面の問題から従わず、ローズと秘密裏に関係を続けていたことは分かった。では何故将来の結婚を誓う
指輪を贈るなどしたローズを、正妻に迎えるどころか奈落の底に突き落としたのか。
少し回り道をしたが、アレン達の疑問の核心にフォンは言及を始める。

「ローズとの関係を・・・掴まれてしまったのだ。ナイキめに。」

 フォンから出された重要人物の名は、先代の威光を笠にしたホークの正妻としてリルバン家に陣取ったことで傲慢さを増したと容易に想像出来る人物の
ものだ。

「元々ナイキめは、ローズを初めとするバライ族の使用人を塵屑以下に扱っていた。それに耐えられず、使用人を辞める者が後を絶たなかった。そんな中で
ほぼ唯一使用人を続けるローズに、ナイキめはより激しく当たった。しかし尚もローズが使用人を辞めないことで、ナイキめはローズが辞めざるを得ない材料を
掴もうとしていたのだろう。自身でローズを、そして私を監視していた。」
「何故監視されていると分かったのですか?」
「ローズ殿の周辺で制服が紛失するなど不審な出来事が頻発するようになったのを知った私が、別の使用人に命じてホーク様とナイキ殿の身辺を探らせると
同時に、活動資金の使途目的を記載する帳簿である資産管理簿を精査いたしました。その結果、ナイキ殿がホーク様に支給されていた活動資金を一部流用
してごく一部の使用人に与え、フォン様とローズ殿を対象にした諜報活動が行われていることが判明したのです。」

 回答を受けたイアソンだけでなく、アレン達は悪寒を感じる。
義兄と自分達の執拗な嫌がらせ−当人は嫌がらせと認識していない−にも関わらずリルバン家から去らなかった使用人に、本来リルバン家の人間として
政策立案やそのための調査などに使われるべき資金を諜報活動に充てていたというのだ。いかにナイキがローズを疎ましく思っていたか、そしてローズが
フォンと関係を持っていることを知った時の衝撃と、その反動たる憎悪の凄まじさを推し量るのは容易だ。
 民族差別、人種差別の典型を具現化したナイキにとって憎悪と侮蔑の対象でしかないバライ族の、しかも使用人が義兄と関係を持ち、将来の結婚を約束
していると知れば、由緒ある家系に汚らわしい血が加わると馬鹿げた、しかし当人にとっては切実な危機感が生じるのは自明の理と言うもの。その後ナイキが
取った行動もこれまた容易に予想出来る。

「ナイキめは私とローズの交際を即座に先代に伝えた。強硬派の先代が、リルバン家の後継候補者と使用人の交際、しかもバライ族の女性との交際を認める
筈がない。先代は私を執務室に呼び出し、即ローズと離別し、交流会で正妻を娶るよう命じた。しかし、私はその命令を拒否した。先代と私が対峙するように
なって直ぐ、ローズに対するホークとナイキめの態度は殺害を予告するものへと変貌していった。」
「「「「「・・・。」」」」」
「殺害、ですか。」
「リルバン家にバライ族の者が居ること自体、ナイキ殿は激しく嫌悪されておられました。憎悪対象の1人であるローズ殿が夫の実兄であるフォン様と婚姻
すれば、ローズ殿はナイキ殿の義姉になります。リルバン家の一員となられていたナイキ殿にとってそれは耐え難い恥辱であり、ローズ殿の存在そのものを
抹殺する方向に向かわせることになったのでしょう。」

 イアソンの繰り返しに補足したロムノの言葉から、ナイキのローズに対する嫌悪・憎悪の激しさが分かる。
強硬派のナイキにとって、法制度上とは言えバライ族の女と姉妹関係になるのは到底容認出来ないことだ。直系の1人の妻としてリルバン家に入ったことで、
ナイキの「自身も由緒正しいリルバン家の一員」という自覚があらぬ方向に加速し、リルバン家に汚らわしいバライ族の血が入ることを実力で阻止しようと
動き始めたことは想像に難くない。
 民族の団結や民族の純潔といった民族主義が先行すると、国家間だけでなく市民生活にも無用な軋轢を生じる。古代より国家間の戦争と民族の興亡は
不可分の関係にあることが多いことが、それを端的に証明している。自分の民族が他の民族より優れているという思想やその裏返しでもある思想、すなわち
自分の民族以外の民族は劣っているという優越感が先行すると、更に問題が混乱する。国家名+「人」でほぼ体系化される現在の民族がその優越感に支配
され、支配妄想や被害妄想が添加された結果生じたのがイラク侵略戦争であり、イスラエルとパレスチナの紛争だ。
 民族の相違を超えて1つの共同体を構成する哲学的方策が宗教であり、法学的方策が各種法律なのだが、民族主義は宗教や法律が戒めるところの生命や
人権の蹂躙、越権行為を容易に正当化する危険因子となり得る。リルバン家ではまさにその蹂躙や越権が、「一等貴族の家系」をお題目にしたことでより
正当性を加えて−無論一般に通用するものではない−実行に移されようとしていたのだ。

「使用人の仕事をしている最中には、階段を上り下りすることが多い。ローズが多数の食器や衣類を抱えて階段を上り下りしているところに、ホークとナイキ
本人、若しくは奴等の息がかかった使用人めがローズを突き飛ばした。階段から転げ落ちれば無事では済まない。その度にローズは負傷した。ローズへの
危害が深刻になり始めたのと時を同じくして、私は先代から一等貴族当主の職務の補佐を頻繁に命じられるようになったことで、尚更私はローズの身の
安全を確認したり、ホークとナイキの動きを抑えたり出来なくなった。ホークやナイキめと同じく強硬派だった先代は、ホークとナイキとは別角度から、
私とローズを別離させようとしていたのだろう。だが、ローズは度重なる危害に屈せず、私の元に居てくれた・・・。」
「じゃあ、どうしてローズさんをリルバン家から追放したんだ?しかも、戸籍上死んだことにしてまで。」

 フォンの回想を交えた当時の事情説明を半ば強引に打ち切る形で、アレンが疑問をぶつける。
身分の違いによる恋愛がどれほど困難なのかは想像の域を出ない部分があるが、強硬派を銘打っていた先代が絶大な権力を振るうリルバン家邸宅内で
そのような関係になったのなら、叱責くらいは馬耳東風、身分剥奪や追放も覚悟の上で相手を守るべきだ。なのにフォンはローズをリルバン家から出した。
戸籍上死んだことにするというおまけまでつけて。
結局ローズより次期当主継承権を選び、ローズを切り捨てたのではないか、との疑念や怒りがアレンからは消えないで居る。
 戸籍制度が頑強なランディブルド王国において、戸籍上死んだことになっているということが生きるうえでどれほどの困難を齎すか、リルバン家の直系で
あるフォンは熟知していた筈だ。愛していたというローズを、ひいてはローズが産んだルイにも強烈な辛酸を舐めさせるに至った理由を知らないことには、
幾ら当時の困難な事情を聞かされてもアレンは納得出来る要因を見い出せない。

「ローズが・・・ナイキめに・・・ナイフで胸を刺されて・・・殺されかかったのだ。」
「「「「「「!」」」」」」
「階段から突き落とすだけでも一歩間違えれば大惨事になりかねない。だが、それではローズがリルバン家から出て行かないと思ったのだろう。ローズが
深夜に私の部屋を訪れるのを待ち伏せしていたナイキが襲撃したのだ。殺害の予告が口先だけではなく本当に実行に移されたことは、ローズにも私にも
衝撃だった。ナイキ自らが手を下したのだから。」
「よく・・・命を落とさずに済みましたね・・・。」
「ローズが寝間着の胸ポケットに入れていた、私が贈った指輪にあしらわれたダイヤが刃先を防いだのだ。指輪を填めていては目に付くということで、ローズは
填めない代わりに自身が着用している服の胸ポケットに常に入れていたのだ。」
「ですが、ナイキ殿によるローズ殿の殺害未遂事件は深夜だったこともあり、大騒動になりました。ナイキ殿は、ローズ殿が日頃の恨みから犯行に及んだとの
嘘を先代に直接報告しました。激昂された先代は、フォン様にローズ様を明朝処刑するよう命じられたのです。命令に従わなければ自分が処刑する、と
付け加えられて。」

 あくまでローズをリルバン家から追放しようとしていたナイキは、加害者でありながら被害者であるとでっち上げることで先代を怒らせ、間接的にローズを
抹殺しようとしたのだ。
 嘘やでっち上げは近代戦争の勃発原因だ。相手国が侵略を開始する兆候は、情報化社会と称されるほど情報の伝達速度が速い社会では、幾ら機密に
していても何かのきっかけで簡単に発覚する。それより情報の伝達速度を逆手にとって、「相手が侵略しようとしている」との嘘やでっち上げを流して先制
攻撃に持ち込む方が、戦争する側としては世論を味方につけやすいからやりやすい。イラク侵略戦争もそうだし、ベトナム戦争もそうだし、満州事変もそうだ。
 情報化社会とは何もコンピュータやインターネットの普及だけでは決まるものではない。情報機関と言うと耳障りが良い諜報機関、更に言い換えればスパイ
組織の活動が活発な社会や政治体制の方がむしろ本質だ。アメリカでは、イラク侵略戦争開始時にもイラクの大量破壊兵器保有の偽情報で暗躍した、スパイ
組織の代表格であるCIA(中央情報局)の他、NSA(国家安全保障局)やFBI(連邦捜査局)による令状なしの盗聴−電話だけでなくメールの送受信も
含まれる−が常態化している。アメリカは壮大な監視国家であり、「アメリカが自由と民主主義の国」というのは、外資=アメリカの資本比率が高いことは
意外に知られていない大企業の影響下にあるマスメディアや、国家権力や警察権力の盗聴や監視が及ばない富裕層や及ばないと錯覚している階層の
おめでたい幻想に過ぎない。
 映画「007」シリーズで描かれている人物や組織は、イギリスに実存するMI6という国家情報機関と構成員をカッコ良く描いたものだし、「圧制」「独裁」と悪名
高い旧ソ連や旧東ドイツなどの東欧諸国の国家体制を支えていたのは、KGB(国家保安委員会)やシュタージなどの国家諜報機関や秘密警察だ。ビラを
配布しただけで身柄を拘束して裁判にかける日本の公安警察や公安調査庁も、反体制活動の台頭を阻止するために時の政権の肩入れで構築・温存されて
いる秘密警察であり、国家情報機関だ。軍事組織が加われば「軍事機密」「国家機密」の名目で簡単に機密事項が増やせるし、「国家の安全を損なおうとした」
との名目で国民の「知る権利」を剥奪するスパイ防止を名目とする関連法規も容易に形成出来る。日本における情報機関の認識はあまりにも稚拙で安直だ。
 しかも日本の場合、公安警察も公安調査庁も背景にする法体系が異なるとは言え、特に右翼系マスメディアが悲惨さや危険性を喧伝する北朝鮮を
丸写しにした国家体制時代、分かりやすく言い換えれば天皇絶対の時代から脈々と続く国民抑圧のための組織である。ナチスドイツで言うところの
ゲシュタボが名前だけ変えて国策として温存されているのと等価だ。遅かれ早かれ破滅への道を突き進むだけの隣国−破滅に伴う爆発が自国を含む諸国に
及ばないように外交を展開する必要はある−の様子を垂れ流す暇があるなら、隣国が体現している100年も経過していない自らの過去の時代から続く国民
抑圧の構造を糾弾した方が良い。
 リルバン家では大まかに分けて先代側とフォン側で熾烈な情報戦争が行われていたのは、これまでのフォンの証言やイアソンの内部調査から判明して
いる。国家間や国内よりはるかに狭い一家系の邸宅内であれば、嘘やでっち上げによるかく乱や情報操作は容易だ。ナイキの虚偽の報告とそれを真に
受けた先代によるローズの処刑命令はナイキの巧妙且つ狡猾な情報戦略の結果であるが、フォンは愛するローズを自らの手で殺(あや)めるか実父に殺害
させるかの二者択一を迫られることになったことも分かった。フォンの表情に沈痛さが増してきたことからも、当時のフォンの苦悩ぶりが感じられる。

「ローズを殺すことは私には出来なかった。出来る筈がなかった。だが、このままではナイキめの報告を鵜呑みにした先代にローズが殺されてしまう。
私はローズを伴ってリルバン家から出ようとも思った。しかし・・・、先代の後継者がホークと確定し、ホークがリルバン家当主として権勢を振るうことによる
国民への深刻な影響を考えると、ホークにリルバン家次期当主継承権の白紙委任状を与えることも出来なかった・・・。」
「フォン様がリルバン家を出られることは、先ほども申し上げましたとおり、教会関係者をはじめとする理性ある王国議会関係者にとって大きな懸念事項
でした。先代は在位中から基本税率42)引き上げ法案など、国民の多数に負担増を強いる法案の可決成立の陣頭指揮を担っておられました。二等三等貴族
出身の王国議会議員の多くが先代の威光を背景にしていたため、先代の後継に先代と思想を同じくするホーク様が座ることは、勢いだけでそれらの法案が
可決される決定打になりかねません。」

 アレンはイアソンとの情報交換で、フィリアとリーナはホテルの居室での話の席上で、先代が国民への負担を増やす方向で動いていたことを聞いているが、
それは事実だった。
 一等貴族当主としての執務遂行能力はあった先代の後継がホークと確定すれば、ホークとナイキが更に「我こそが絶対者」と思い上がること、政治能力の
ない人間が民族排除や国力維持増強という耳障りの良いお題目を掲げて国民に負担を強いる方向へ猛進することは、火を見るより明らかだ。

「そこで、私は1つの提案をしました。・・・ローズ殿を秘密裏にリルバン家から出し、ローズ殿を処刑したと偽ることを。」

 追い詰められたフォンにロムノが提示した案は、アレンがルイから聞いたローズの戸籍上の死亡と重なる部分がある。

「その日は偶然、リルバン家邸宅には明朝出発する輸送用の馬車が来ておりました。輸送用の馬車がどの町村をどの順に回るかは、積載されている荷物の
行き先や量で運送主が決めますので、馬車そのものを追跡しなければ足取りを追うことは出来ません。死亡となれば尚のこと。」
「ローズ様をその馬車に乗せてリルバン家から脱出させよう、と。」
「左様でございます。」

 確認したイアソン以外の面々も、ロムノの提案の背景にある策略は感じ取れる。ルイから話を聞いているアレンは、ルイの話とロムノの話が話す立場の
違いはあってもほぼ一致しているから、少なくとも嘘を言っていないとは思う。
 ホークを早々に見限り、次期当主としてフォンを強く推していたと聞いているロムノは、ローズを殺さずにホークとナイキの執拗且つ危険な魔の手から逃し、
更にフォンをリルバン家に留めることを両立するために、ローズの脱出と偽りの死亡を提案したのだろう。ロムノが先代在位中から筆頭執事として辣腕を
振るっていたとは言え、次期当主継承者を決定出来る権限はない。そしていかに有能であろうと執事が主人に成り代わることは許されない。当主が絶大な
権限を行使出来る一等貴族邸宅内において執事と実子が出来ることは、どうしても限られてしまう。

「ローズを殺したくない。しかし、私がリルバン家を出ることでリルバン家当主をホークに無条件に託せば、多くの民が更なる重税に苦しむことになる。悩んだ
末に私は・・・、ロムノの提案を受け入れた。ローズには荷物運搬用の木箱に入ってもらい、ロムノには緊急の荷物が生じたとして運搬追加の手続きを依頼
した。」
「私は料理人の1人に、豚を1匹内密且つ緊急に捌くよう命じました。併せて心臓を洗浄せずに持参するように、とも。併せてローズ殿には、髪を切るよう依頼
しました。」
「脈打つ血まみれの心臓と、ローズ殿の髪を併せて先代に提出することで、ローズ様の処刑が完了したと見せかけるためですね?」
「左様でございます。」

 生々しい心臓と当人のものという髪を突きつけられれば、かなりの説得力を持つ。人殺しの経験に余程慣れているものでなければ、本物の人間の生首を
見たいとは思わないものだ。ローズ処刑をフォンに命じた先代がどれほど血の気の多い人物だったかは不明だが、一等貴族という立場上自らの手を血に
染める機会はなかったと考えるのが自然。となれば、生々しい証拠を提示されれば納得すると推測するのは比較的容易だ。

「ローズ殿の死亡はその夜のうちに先代に確認を受け、ローズ殿が隠れた木箱は輸送用の馬車と共にリルバン家を出ました。私は先代の命令で役所に
向かい、ローズ殿の死亡届を提出しました。」
「・・・ローズさんが戸籍上死んだことになってた理由は、一応分かったよ。だけど、ルイさんを身篭らせておいて・・・!」
「ローズが子どもを、ルイを身篭っていたということは知らなかった。ローズからも一言も聞いていなかった。」

 尚も残る怒りを向けたアレンに、フォンは沈痛さをこれ以上ないほど強めながら答える。

「じゃあ、どうしてルイさんが自分とローズさんの子どもだって分かったんだよ。」
「ローズが度々言っていたのだ・・・。もし女の子を授かったら『ルイ』と名付けたいと・・・。」
「『朝の雫』ですね?」

 イアソンの確認に、フォンは目を強く閉じて涙を堪えながら頷く。

「『朝の雫』って?」
「この国、ランディブルド王国と北で国境を接するウッディプール王国に伝わる神話で描かれている、世界の破滅と再生の場面に登場する重要なアイテムだ。」

 フィリアの疑問にイアソンが答える。
イアソンはリルバン家への潜入調査前にフィルの町を駆け回っていたが、その際王立図書館にも立ち寄り、所蔵の神話や伝説をひととおり読破して粗筋や
主要なキーワードを記憶している。それ以外にも「赤い狼」で活動中に資金調達のために渡ったカルーダ王国で、世界の知識や情報を見聞している。
そうして培われた広範な知識の一部は、アレンとの情報交換の場でも披露されている。
 イアソンは一呼吸置いて、「ルイ」という名前の由来であるウッディプール王国の神話を語り始める。

はるか昔、人間が神々43)との契約を一方的に破棄したことで、神々は烈火のごとく怒り狂った。
神々は自分達の住居である天から、地上に向けて火を伴う光の雨を降らせた。
火を伴う光の雨は瞬く間に地上を焼き尽くし、そこに居た人間をも残らず焼き尽くした。
しかし、大地の根幹である生命の大樹は、神々の降らせた火を伴う光の雨でも焼かれることなく残った。
生命の大樹の陰に逃げ込んだ先人(「さきびと」と読む)44)達も、焼かれることなく逃げおおせた。
しかし、焼き尽くされた地上に先人達の食料は何1つなく、先人達は飢えと乾きに苦しんだ。
そこに、生命の大樹がその葉に蓄えていた雫が齎された。
雫は赤黒くただれた大地に緑を戻し、暗く澱んだ海や川や湖を清め、先人達の乾いた喉を潤し、飢えた腹を満たした。
夜が続いていた地上に再び朝が訪れた。
光と潤いに満ちた地上で、先人達は生命の大樹の恵みと自然の豊かな生命に歓喜し、涙した。

「−この神話の中で、新しい世界の来訪を告げて先人達の飢えと渇きを癒した、生命の大樹が蓄えていた雫が、ウッディプール王国の言語であるエルフ語の
古代形で『ルイ』と表記されている。現代のエルフ語では『朝の雫』と訳される。」
「信心深かったローズは、自身がバライ族でも珍しいハーフのダークエルフということもあってか、ウッディプール王国の神話もよく知っていた。人々の心に
潤いを齎す存在になって欲しいから女の子にはルイと名付けたい、とローズは言っていた・・・。」

 イアソンの締めくくりに、フォンは搾り出すように続く。

「先代は5年前、急病を罹患して逝去した。何故か先代が次期当主を指名していなかったため、法律で規定された優先順位に従って私がリルバン家の
当主に就任した。その直後から、ロムノの協力を受けて必死にローズの行方を捜した。しかし、足取りを追うのは困難を極めた。戸籍上死んだとなっている
ため、仮に戸籍を閲覧出来たとしても今何処に居るのかを掴むのは不可能だっただろう・・・。」
「「「「「「・・・。」」」」」」
「邸宅に居座っていては埒が明かないと判断した私は、視察を兼ねて全国を回ることにした。その途中、希望が落胆に変わりかけていた時に訪れた
ヘブル村で、私を迎える列の中に一際背の低い、明らかに子どもだと分かる礼服姿の聖職者が目に入った。頭を下げていたため顔を見ることは
適わなかったが、髪の色はローズを髣髴とさせるに余りあるものだった・・・。私は案内を担当した時の村の中央教会総長に、私を迎えた列の中に1人子どもが
居たようだが、と話を向けた。総長が明らかにしたその小さな聖職者の名前は・・・ルイだった。」
「「「「「・・・。」」」」」」
「この町に戻った私は、直ちに教会人事監査委員会委員の権限を使ってルイという名の聖職者の履歴を請求して閲覧した。セルフェスという姓、生年月日と
一致しない戸籍登録日、そしてルイという名前・・・。あの小さな聖職者が、私とローズの子どもであると察するには十分だった・・・。しかし、正規の聖職者で
あるルイを正当な事由なく招聘することは出来ない。教会が自律の元で決定した人事に介入することも出来ない。事実確認だけでも手をこまねいている間に
時間だけが悪戯に流れていった・・・。流れていく時間の中で・・・、ローズが・・・昨年・・・本当に死んだことを知った・・・。ルイの聖職者の履歴を精査する名目で
入手した戸籍で・・・。」

 堪えきれなくなった涙がフォンの頬を伝う。生き別れて以降何も出来ないまま、書類で相手の死を知った衝撃は大きかっただろう。
悲しみが伝播したか、一同は悲しみに沈む。感情が表に出やすいフィリアとローズをよく知るクリスが、手を目にやって鼻をすする。まだ怒りが残るアレンも
心に痛みを感じる。フォンは取り出したハンカチで涙を拭い、深呼吸で言葉の震えを取り除いてから話を再開する。

「今年になって、リルバン家がシルバーローズ・オーディションの中央実行委員長を担当する番になった。私はシルバーローズ・オーディションを口実にルイを
この町に招聘出来ないかと考えた。オーディションの担当者決定の際に相談に乗ってもらったロムノにその話を持ちかけたところ、ロムノは妙案だと賛同して
くれた。」
「そこで、私がヘブル村の実行委員会宛に、ルイ様の予選出場を申し込む封書を差出人を記載せずに発送したのです。フォン様が記載したと判明しますと
オーディションの公平性を疑われますし、何より、問題の性質上、事を大きくするわけにはまいりませんが故。」

 フォンとロムノの証言により、ルイのオーディション予選出場が差出人不明の封書で申し込まれたことが裏付けられた。
ルイ自身は身に覚えがないオーディション予選出場は、クリスの強い勧めもあって結局ルイの出場と圧勝という形でルイをこの町に招聘出来る道筋をつけた。
では、どうしてホークがルイの存在を知りえたのか。次期当主に指名されなかったことでホークは内弁慶状態になったことはこれまでに判明している。
一同の疑問に答えるように、フォンが沈痛な表情のまま話を続ける・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

40)交流会:ランディブルド王国における上流階級の社交場であり、集団見合いの場でもある。主催は一等貴族当主のみと定められている。一等貴族当主は
継承候補ほぼ交流会で出逢った異性と婚姻する。本文にもあるように、相手の門地や身分を優先させるのがその理由。


41)入家:この世界における、上流階級の結婚相手が相手の家に入ることの呼称。家系を重視するため「家」という概念が存在する。

42)基本税率:ランディブルド王国における、国民であれば必ず課せられる最低税率。ここに収入に応じた税率が加算される。農漁民と職人・商人とでは
異なり、リルバン家の先代在位中は前者が50%で後者が30%だったが、フォン就任後に前者が30%、後者が40%と逆転した。特に小作人の間でフォンの評判が
良いのは、基本税率の大幅引き下げをフォンが主導したことが理由の1つ


43)神々:ウッディプール王国は多神教。契約など詳細については後で説明することになるだろう。

44)先人:ウッディプール王国の神話における、人間とエルフの先祖。イアソンが語る神話はこの後、人間とエルフの分離とウッディプール王国建国へと続く。

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