Saint Guardians

Scene 8 Act 3-3 決戦U-Decisive battleU- 一大決戦の幕、今開かん

written by Moonstone

「アレン、聞こえるか?」
「うん、聞こえる。待ってたんだ。」

 耳に流れ込んできたイアソンの問いかけに、アレンは即座に応答する。
今回が恐らく、オーディション本選前最後の情報交換だ。ルイの今後の身の安全を保障するため、ひいてはルイに纏わりつく黒い翳を完全に取り払うため、
「敵地」に潜入しているイアソンから情報を得て、可能な限りの作戦を講じておく必要がある。
期せずしてルイとの楽しいひと時を過ごしたアレンは、今まで散々辛酸を舐めさせられ、自ら逆境を乗り越えたルイの安全と幸福を願わずには居られない。

「俺の方で得られた情報は、限られている。」

 イアソンは前置きする。単独、しかも無闇に素性や事情を明かせないから、得られる情報には限度というものがある。

「明日の9ジムにフォン氏は邸宅、つまり俺が今居る場所を出る。オーディション本選に関してだが、そっちでは総務班っていう担当部署の係員が出場者の
滞在する部屋に出発を知らせに出向いて、ホテルからはアレンを含む護衛と警備班の兵士で周囲を固めて本選会場まで案内することになっている、と
シーナさんから先に連絡を受けている。オーディション本選出場者は出発前に出場用の服装に着替えるよう、さっき言った総務班の係員から伝えられるとも
聞いている。」
「本選開始時刻は?」
「11ジムだ。早めに昼食を済ませて会場入りするっていうスケジュールだろう。オーディション本選そのものに関してはこんなところだ。焦点をホーク氏とその
顧問、すなわち問題の彼女を狙っている連中の動向とかを伝える。」

 イアソンはひと呼吸置く。アレンは高まる緊張で思わず息を呑む。

「別館の警備は、先に伝えた情報より更に頑強に固められている。別館周辺どころか内部にまで重装備の兵士が居て、今朝からは食事を運ぶ使用人も長く
リルバン家に仕えるベテランの使用人が選任されている。フォン氏はホーク氏と顧問を一歩たりとも別館から出さない意向のようだ。フォン氏もホーク氏が
問題の彼女、つまりフォン氏の唯一の実子を狙っていることを側近中の側近であるロムノ氏から聞くなどして嫌と言うほど把握している筈だ。オーディション
本選が終わってから何らかの形で問題の彼女に接触してリルバン家に迎え入れ、次期当主に指名する。後は次期当主を暗殺しようとした罪でホーク氏を
司法委員会にかけるだけだ。絶対世襲制、しかも直系優先の上に実子が1人しか居ないところに次期当主として指名されていない人物が次期当主を暗殺
しようとしていたとなれば、親族といえどただ事じゃ済まない。前に伝えたとおり、最低でもリルバン家から永久追放となるだろう。そうなればリルバン家は
万事安泰、となる。」
「・・・警備が幾ら厳重になったからって、ホーク氏と顧問を完全に抑えられるわけじゃないんだろ?」
「ああ。何度も言っているとおり、ホーク氏は兎も角、顧問はあのザギ若しくはその衛士(センチネル)だと断定出来る。その力を以ってすれば、重装備の兵士が
100人束になっても適わない。それは、クルーシァでセイント・ガーディアンを師匠として修行を積んだドルフィン殿とシーナさんを見れば一目瞭然だ。
だからホーク氏と顧問は、警備が厳重になったからといって慌てふためいたりはしていないだろう。当日フォン氏が邸宅を出たあたりを合図に、一気に別館を
突破して本選会場に向かう腹積もりで居ることに変わりはないと考えるのが適切だ。」

 強く自薦して警備班班長に就任したにも関わらずホテル内で2度もルイが襲撃されたことで、フォンは激昂してホークの役職を解任し、妻と顧問共々別館に
軟禁したのだ。ルイがリルバン家に迎え入れられて次期当主に指名されれば、もはやホークに次期当主の看板がつけられることはない。
それどころか、唯一の実子を抹殺されかけたことでフォンはホークを最低でもリルバン家から永久追放させる構えでいる。建国神話にまで歴史が遡るという
由緒ある家系の断絶を謀ったとなれば、ランディブルド王国でなくとも貴族社会では重大な犯罪として厳罰に処されるのは目に見えている。
地位も財産も全て剥奪されることが切迫しているホークがこのまま大人しくしている筈がない。
 顧問も、ホークが次期当主でなくなれば用済みとして切り捨てるのは造作もないだろうが、その後の利用価値がなくなる。ホークをリルバン家次期当主に
据えて恩を売っておけば、代償として顧問料などの名目で資金を継続的に得られるだろうし、その方が中長期的には得だ。
利害のみで成立している、しかもホークが気付かないまま一方的に顧問に利用されている可能性が高いという歪んだ関係だが、その利害関係からすれば、
次期当主継承権を何としても確保したいホークと、ホークから継続的に資金を得たり、王家の城の地下神殿の扉の鍵になるという、リルバン家が代々所有する
王冠ザクリュイレスを奪い、地下神殿に眠っている可能性がある古代文明の遺産を得ようと目論んでいるとも考えられる顧問が、警備を突破してルイ抹殺に
乗り出すと推測するのが最も適切だ。こういう事例ではより悪い条件を想定しておくに越したことはない。

「俺はどうにかリルバン家に潜入出来たが、さっき言ったように別館に入れる使用人はリルバン家に長く仕えるベテランに限定されている。当然俺が入り込む
余地はない。だからホーク氏と顧問の動向は推測する他ないのが現状だ。何度目かの繰り返しになるが、オーディション本選が終われば、フォン氏は問題の
彼女に接触してリルバン家に迎え入れる意向だ。そうなればホーク氏は次期当主としてその地位や権限をひけらかすことが出来なくなるばかりか、地位も
権限も全て剥奪される方向に突き進まされることになる。今までフォン氏があえて次期当主を指名してこなかったことを逆手にとって次期当主と勝手に
錯覚して威張り散らしてこれたのに、それが完全に出来なくなることが現実問題として切迫してるんだ。手段を選ばずに巻き返しに打って出るのが、権力と
いう麻薬の常習者の常だ。顧問も警備の兵士の数が増えたのを見て、仮面の奥でせせら笑っているだろう。この程度で動きを封じたつもりか、ってな。」

 圧倒的な力の差を確信していて、それを顧問はひた隠しにしている。
イアソンの言うとおり、警備の兵士が別館内部に入り込んできたところでせいぜい殺す人数が増える程度だと班で笑っているだろうし、当日になれば人殺し
などいささかも躊躇するまい。目的のためにはあらゆる物を利用し、手段を選ばない。そこには当然人殺しも含まれる。それがザギのやり方だ。
 顧問がザギ本人かその衛士(センチネル)のどちらかはイアソンも掴めていないが、シーナの話では衛士(センチネル)の戦闘力も相当高いという。
セイント・ガーディアンではないがそれを師匠として自己研鑽したドルフィンとシーナの尋常でない戦闘力を知っているから、顧問が別館の警備を破るのは
容易に推測出来る。むしろ、警備の壁を破らずに別館に立て篭もると考えるほうが不自然だ。

「俺は当日使用人としての任務をこなしながら、別館の様子を監視する。リルバン家で絶大な権限を持つフォン氏が邸宅を出た時が顧問達の行動開始の
頃合だと考えるのが自然だ。そうでなければ今の今まで別館に閉じこもっていないで、それこそ配下の部隊に命じてそっちのホテルを襲撃させて、問題の
彼女を抹殺するっていう強硬手段に打って出る筈だ。自分より上位の者の前ではひたすら平伏して、そのたがが外れれば自分が王とばかりに振舞う。それも
権力っていう麻薬の常習者の常だ。表面上大人しくしておいてこれ以上問題の彼女に手を出さない素振りを見せておけば、フォン氏の顔色を窺うっていう
観点からしても作戦を優位に進めることが出来る。フォン氏が実際に油断しているかどうかは別としてな。」
「俺は当日、ホテルを出るところから顔を知っている人以外は全員敵と思って臨戦態勢を整えておく必要がある、ってことか。」
「そのとおりだ。オーディション本選が無事終了した後、フォン氏が問題の彼女と接触してリルバン家に迎え入れて次期当主に指名するまで、若しくは
ホーク氏の権限剥奪が確定するまで気は抜けない。何にせよ、オーディション本選以降はホテルの警備も出場者っていう特別な位置づけも何もなくなる。
問題の彼女が無事リルバン家に迎え入れられるかホーク氏の権限剥奪が確定するか、或いは問題の彼女が抹殺されるかの何れかまで戦いが続くってこと
には変わりない。少しでも怪しい動きがあったら、問答無用で迎撃するんだ。アレンが言ったとおり、アレンが顔を知っている人物以外は全員敵と思うくらいで
丁度良い。」

 オーディション本選は、アレン達とルイ、そしてリルバン家にとっては家督相続や今後の処遇がかかった一大決戦の場だ。警備が厳重になったからといって
安心しては居られない。顧問が本領を発揮して、その血塗られた牙を直接ルイに向けてくると考えた方が自然だ。ならば、こちらも手段を選んだり剣を振るう
ことを躊躇してはいけない。それが即自分とルイの死に直結する可能性さえある。
オーディション本選出場者に成りすましてルイを刺殺しようとしてきた刺客を斬殺したように、人殺しもいとわない覚悟が要求される。昼間のルイとの至福の
余韻に浸っている余裕はもはや微塵もない。これが戦争なのだ、とアレンは改めて痛感する。
 だが、逆に考えれば、オーディション本選を無事乗り切り、ホークと顧問をルイから完全に引き離せば、ルイの安全は完全に保障出来る。母に地獄の

苦しみを与えたフォンの求めに応じてルイがリルバン家に入るかどうかは分からない。ルイは母ローズの死の間際に実父がフォンであると知らされ、クリスの
強い勧めを断りきれずに出場することになった今年のオーディションの中央実行委員長がそのフォンであるとチラシで知り、本選出場のために此処フィルの
町に入ることで、母ローズから託されたフォンとの愛の誓いの証である指輪を渡すつもりではいるようだ。
その後のことはルイ自身が決めること。未来を勘案するに絶対不可欠な「生きる」という条件を保障することが先決だ。
 ルイを守るためには、今回も黒幕と考えられるザギに攫われた父ジルムから譲り受けた剣を、そして自分自身を鮮血で染めることも厭わないと決意した。
迷ってはいられない。迷ったら負けどころか、守るべき、守りたい存在の死に繋がりかねないのだから。

「ホーク氏と顧問が動きを開始したら、俺は会場の警備に当たるドルフィン殿とシーナさんに連絡して、出来るだけホーク氏と顧問の動きを阻止する。
俺の戦闘力じゃ限度があるだろうが、何もしないよりはましだ。アレンには俺からの連絡を届けるようにシーナさんに言伝してある。それに応答する必要は
ない。」
「ルイさんを守ることに専念すれば良いんだな?」
「そういうことだ。」

 シーナを通じてホークと顧問が動きを開始したと知れば、より警戒を強め、オーディション本選の途中だろうが何だろうが、ルイを守ることを最優先する。
そして「やられる前にやる」というスタイルで先手先手を打ち、どれだけ迫るか分からない攻撃の手を寸断することに専念する。単純だが極度の緊張の連続を
強いられる、心理戦も含んだ文字どおりの総力戦になることは不可避だ。それを抜けなければ未来がない以上、そうするしかない。

「イアソン。そっちは警備を固める以外にホーク氏と顧問を封じようとする動きはないのか?」
「こちらでは警備を固める以外に目立った動きはない。だが、シーナさんから入った情報では、街中に国軍の兵士とは違う武装の人間が目立ち始めた
そうだ。彼らはフィル全域に居るようだが、特にホテルからオーディション本選会場になる中央大舞台に至るルートに重点的に存在するらしい。それが顧問の
配下の部隊かどうかは分からないし、まさか問い合わせるわけにはいかないから確かめようもないが、フォン氏が別途雇った傭兵部隊とも考えられる。
フォン氏もホーク氏と顧問がこのまま大人しくしているとは思っていないだろう。だから警備を突破された際に備えて、ホテルから中央大舞台までのルートに、
警備班とは別に独自の警備を敷いている可能性がある。問題の彼女はフォン氏の唯一の実子だ。フォン氏も問題の彼女が狙われるのを傍観しては
いられないからな。」

 純粋に我が子を守りたいという思いからかどうかは分からないが、フォンも手をこまねいているとは思えない。
ホークが警備班班長を務めていた時期に発生した2度のルイ暗殺未遂事件を受けて、フォンはホークを解任して別館に軟禁、更にオーディション終了後に
司法委員会にかけるという荒療治に乗り出している。手緩いとも言えるが、当主という立場を濫用したとも受け止められかねないし、まだルイを実子として
リルバン家に迎え入れていない状況下では、唯一の継承権保持者を抹殺することは出来ないという社会的事情もあるのだろう。
 だがその部隊らしき存在が、フォンが秘密裏に雇った傭兵部隊と断定出来ない。先にフィルに乗り込んできているホークの顧問の配下とも考えられる。
警備班の兵士が妙な動きをすれば、以前警備班班長だったホークに疑いの目が向けられるのは必至。となれば、外部の人間の襲撃という形でルイを抹殺
する方が「安全」だ。策略や謀略といった面では嫌味なほど優れているザギやその悪知恵を体得しているらしい衛士(センチネル)なら、自分の手を汚さない
ような手を次から次へと編み出してくるだろう。レクス王国全体を巻き込む壮大且つ巧妙な策略を張り巡らせた「実績」を持つザギやその衛士(センチネル)
なら、造作もない。
 結局のところ、アレン達が圧倒的に不利な状況で当日を迎えることには違いない。相手が地位と権限の確保、そして現在とはるか昔の資産を狙って、
そしてアレン達がルイの未来を保障するための総力戦に、全力で臨まなければならない。付け焼刃的な感は否めないが、クリスの助言を受けて筋力
トレーニングを重ねた。持てる力を出し切ってルイを守る。

全てが終わるまでは、それだけを考えれば良いのだ。
迷いや躊躇は自分はおろか、渦中の人物であるルイの生死に直結する。
だから、ルイを守るための意識以外は全て排除しなければならない。

 覚悟と決意を新たにしたアレンは、小さい溜息を吐く。

「そっちは頼む。イアソン。俺はルイさんを何としても守る。」
「分かった。情報伝達は速やかに行う。当日まで残り僅かだ。出来る限り休息を取っておけ。」
「ああ、分かった。」

 アレンとイアソンは通信を終了する。最後の情報交換では目ぼしいものは殆ど得られなかった。だからと言って当惑している暇はない。自分の知る顔以外は
全て敵と思い、何か動きがあれば速やかに迎撃する、文字どおりの人間兵器になるしかない。
 送信機を耳に戻したアレンは、もう一度小さい溜息を吐いて立ち上がり、腰に帯びている剣を抜いてランプの光にかざす。未だ刃こぼれ1つしていない、
「7つの武器」の1つだともいうこの剣で、向かい来る全ての敵を叩き切る。そして、ルイが晴れて未来を選ぶために必要不可欠な「生きる」という選択肢を完全に
保障する。ホテル内だけで終わったデートを改めて光溢れる街中で再開したいなら、迷いや躊躇は厳禁だ。この場で叩き切っておかなければならない。
 鋭い輝きを放つ剣に覚悟と決意を込めたアレンは剣を静かに鞘に収め、ランプを消してリビングに向かう。決戦の時間まで遺された時間はあと僅か。
出来る限り休息を取って体調を万全にしておかなければならない。早くも緊張と不安を感じながら、アレンは遅い眠りに就く・・・。
 夜が明け始めた頃、アレンは目を覚ます。少し寝つきが悪かったため若干寝不足を感じるが、長年の主夫生活で確立した体内リズムに狂いが生じるほど
ではない。1度欠伸をしてからベッド代わりのソファを出て、身体の節々を曲げ伸ばしして解す。これで眠気は解消出来た。
ベッドを見ると、窓に近い方から1つずつ盛り上がりがある。ルイはもう起きているようだ。かと言って脱衣場に踏み込んだら前のように着替え中のルイと
ご対面、というハプニングも予想される。
 身体は女になっているが頭の中は男のまま。しかも明確にルイを特別な異性として意識している現在、ルイの着替えに興味がないといえば嘘になる。
だが、前はそれこそ偶発的だったこともあってルイは非難したりしなかったのだ。好意を向け合っているとは言え、まだ−と言うと語弊があるかもしれないが
共に食事をしたり店を回ったりしただけの初歩的な段階で堂々と着替えの場所に踏み込んだら、いかにルイでも印象を悪くするだろう。
折角自分を1人の男性と認めてくれ、頼りにしてくれる女性と出逢えて距離を縮められたのに、それを一時の気の迷いでふいにするのはどうかしている。
アレンは着替える服だけ準備して、脱衣場に繋がるドアが開くのを待つ。
 アレンが所有している服は「女の子だから」とパーティーの女性陣が面白がって合わせた女性向けのもの以外に、薄手の鎖帷子(かたびら)や防刃服がある。
薄手と言っても細い鎖を縦横に走らせた鎖帷子はかなりの物理防御力を持つし、防刃服はデザインこそ普通の服そのものだが、その名のとおり防刃効果を
持つ。女性化したアレンの身長が平均的な同年代の女性のそれよりやや高く、スタイルはフィリアとリーナが悔しく思うほど凹凸が明瞭という、皮肉にも
女性的な体格故にサイズを合わせるのに多少時間を要したが、その分身体にしっかりフィットする仕上がりになっている。
出発時に装備していたハーフプレートを損失して以来、財政事情もあって鎧を購入出来ないで居たが、女性化したことで上手い具合に軽量だがかなりの
防御力を持つ鎖帷子と防刃服を入手出来たのだから、今は幸いとアレンは自分に言い聞かせている。

 少し待ったところで、ドアが静かに開く。中からパジャマを抱えたルイが出てくる。
服装は出発前にクリスに合わせられたという普段着。まだ本選会場へ出発する旨は伝えられていないし、総務班の係員がそれを伝えに来ることを知って
いるのは現状ではアレンだけだ。朝食の用意などがあることを前提に、普段着を選んだのだろう。

「ルイさん。おはよう。」
「おはようございます。」

 ひとまずルイの着替えが完了したことで自分が着替えるべく、アレンは着替えを持って脱衣場に赴く。

「アレンさんの服、かなりの重装備ですね。」
「ああ、これ?鎖帷子だから見た目重そうだけど、実際は結構軽いんだ。普通に着ててもそれほど違和感ないように出来てるし。」
「・・・もう本選が始まっているものと考えるべきですよね。そうなると、この服だと防御力の面で問題ありですね。」
「本選開始は11ジムだ、って昨日の夜仲間から聞いたんだ。だから、朝と昼の食事はこれまでどおりリーナが俺とルイさんに作れって命令するだろうし、
出発の前には係員の人が各部屋に出向くそうだから、それまでは防御魔法で良いと思うよ。非詠唱で長時間継続して使えるタイプの防御魔法ってある?」
「あ、はい。パワー・シールド32)が、私が非詠唱で使用出来る最高の防御系魔法です。」
「じゃあ、出発まではそれを使ってて。礼服は防御効果が高いけど、本選までそんなに時間はないし、そのために二度も三度も着替えるのは時間のロスだし、
その間に突入されたりしたら、その方が防御が手薄になりやすいから。」

 ドルフィンやイアソンほど修羅場を潜り抜けたり策略を編み出した経験はないが、策略の渦中に長く身を置いてきたためかアレンの助言は的確だ。
服1枚でも着ていないよりは防御力がある。逆に言えば、服を着ていない時、すなわち入浴時や着替えの時が最も無防備と言える。着替えの時は、服を
脱いだり着たりする最中だと特に手が塞がって突発的事態に対処しきれない。覗きくらいならまだしも、命を狙う凶刃となればただでは済まない。
それは渦中の人物であるルイ自身もそれなりに想像出来る。
 防御効果を高めるために着替えるより、魔力消費が少なくて済む非詠唱の防御魔法で防御を高めておいた方が無防備になる機会を減らせる。せめて
アレンの足手纏いになりたくない、と思うルイは、素直にアレンの助言を聞き入れる。

「私はアレンさんが着替えを済ませるまでの間、防御魔法を使用しておきますね。」
「うん。手早く済ませるから。」

 アレンは脱衣場に入り、ドアを閉めてから着替えに取り掛かる。
購入時にサイズや関節部分の動き具合などを合わせてあるとは言え、長時間装備するのは今回が初めてだ。その初めての機会が、ルイの安否がかかった
今日のオーディション本選となった。着慣れないために動き難さなどを感じたりするかもしれないが、ホテル出発前までに身体に馴染ませておくしかない。
 パジャマを脱いでまず薄手の半袖シャツを着て、その上に鎖帷子を着る。直接着ると違和感が余計に先行すると思ってのことだ。
実際着てみると、細いとは言え金属性の鎖で作られているだけあって、普通の服よりかなり重い。それでも以前装備していたハーフプレートよりはずっと軽い。
半袖シャツを下に着ているため、金属が直接肌に接触することで生じる違和感を感じない。やはり半袖シャツを着て正解だった、とアレンは思う。
 続いて防刃服を着る。デザインは余所行きと称しても問題ないものだが、これは意外にも殆ど重量感がない。体力がないため鎧を装備出来ないなどの
理由で購入される、と店主から聞いているが、確かにこれなら見た目も問題ないし防御力もそこそこ備わる。体力的な問題以外で鎧を装備出来ない−例えば
パーティーの席上など−場合でも役立ちそうな一品だが、女性化した今の体格に合わせてあるため、過去の嫌な思い出も相俟って、アレンは今後も
着たいとは思わない。
ズボンも同じく防刃タイプのものを着用して、腰に剣を帯びて準備完了。念のため肩を上げ下げしたり腕を前後させたりするが、さほど違和感はない。
これなら着ている間に直ぐ馴染む、と思ったアレンは、パジャマを纏めて外に出る。

「あ、もう済んだんですか?」
「鎧ほど重くないし、何重も重ね着するわけじゃないからね。買う時にサイズとかを合わせてあるし。」
「見たところ、余所行きの服装そのものですね。重さとかはどうですか?」
「普通の服よりは流石に重いけど、動き難いとかそういうことはないよ。」

 アレンが着替えを完了したのを受けて、ルイはアレンが居た脱衣場をカバーする形で展開していた青白い輝きを放つ6角形の防御壁を消滅させる。

「もう直ぐクリスが起きてくるでしょうから、ティンルーを入れるお湯を沸かしましょうか。」
「そうだね。あのティンルー美味しいし。」

 ルイとクリスと生活を共にするようになって以来ずっと起床後に飲んでいる、ヘブル村特産のティンルーは何度飲んでも味わい深く、飽きが来ない。
眠気眼を擦って顔を出すクリスも、このティンルーを飲むと完全に目を覚ます。これでないと嫌だと言って持参しただけのことはある。
朝食の準備をするかどうかはリーナの意向次第で決まる。何れにせよ湯を使う機会があり、ガスコンロで直ぐ点火出来るわけでもないから、準備をしておくに
越したことはない。リーナもフィリアもヘブル村特産のティンルーを気に入っていることは既に知っている。
 アレンとルイは揃って台所に向かい、カップとポットを用意して湯を沸かし始める。ポットの内側が少し泡立ち始めた頃、おろした髪を少し乱したリスが、
少し眠そうな顔を出す。ティンルーを入れる準備をしているとルイが言うと、クリスは先に着替えてくる、と言って脱衣場へ赴く。意外にファッションに
敏感な側面を持つクリスの着替えや身繕いの時間は割と長い。その頃には十分湯も沸き、ティンルーを入れられる。
こんな毎朝の平穏な光景にも、今日で一応終止符が打たれる。その後の存否は今日次第。「なるようになる」などという楽観的且つ傍観的な姿勢では話に
ならない。ルイに纏わりつく黒い翳を完全に払い除け、ひたすら母のため、信仰のために生きてきたルイに未来を保障するための戦いは、確実に近づいて
いる。
 その前の平穏なひと時は、髪をトレードマークのポニーテールに纏め、洒落たデザインの武術着を着てクリスが台所に再び顔を出したことで幕を開ける。
普段着ではなく武術着というところに、言葉に出さないまでもクリスの真剣さが分かる。これまでたった1人でルイを守ってきた自負と心意気は健在だ。
ルイがティンルーを入れ、それをアレンとクリスが受け取り、3人で味わいながらひと時の穏やかな時間を過ごす・・・。
 ドアがノックされる。席を立ったアレンが、念のため腰の剣に手をやって応対に出る。
少し開けたドアの隙間から顔を出したのは、ウェルダを着用した総務班の係員。アレンに出発の準備をすることと9ジム半頃にロビーに集合するよう伝える。
ドアを閉めたアレンは、出発が近いからリーナとルイに着替えるように言う。リーナとルイはそれぞれ出場用の服を持って脱衣場へ向かう。
 朝食は全員が起きた後、これまでどおり最後に起きたリーナが外で済ませることを提案したため、全員揃ってホテル内の喫茶店で済ませた。
昨夜イアソンから聞いたスケジュールをアレンが言うと、昼食は会場で準備されるから必要ないだろう、とリーナが言ったため、そのまま待機していた。
本を食事に出向くついでに図書館へ返却したリーナは勿論、これまでなら早速とばかりにカーム酒のボトルを開けていたクリスも、今日ばかりはアレンとルイが
入れたティンルーを飲んで寛いでいた。しかし、同じくティンルーを飲んでいたフィリアとルイは、無言のうちに激しい火花を散らせていた。無理もない。
フィリアが長年望んでいたが叶わずにいたアレンとのデートをルイに先取りされたのだから。
 現在この部屋で絶大な権限を持つリーナの意向だから妨害したり出来なかったが、帰還直後からフィリアとルイの睨み合いは続いている。場所がホテル、
今がオーディション本選を間近に控えた状態という束縛条件がなければ、フィリアがルイに攻撃を仕掛けるのは間違いない。それくらい不穏な空気が漂って
いたのだから、フィリアの隣に居たアレンは生きた心地がしないでいた。
 出発が近いため着替えるよう言われてルイが席を立ったからとりあえず無言の激しい戦いは終息したが、ルイの服装次第では再発しかねない。
アレンは抑えるようフィリアを諭せない。自分が争いの火種となっていることくらい、鈍いことで散々フィリアの手を焼かせたアレンでも分かっている。
そのフィリアは、アレンが他の女性に関心を示したりすることに過敏に反応する。更にパーティーではリーナと一二を争うほど気性が激しい。そんな性格の
炎に嫉妬という可燃性の高い油が注がれたら、激しく燃え上がるのは自明の理。アレンは気が気でならない。

 アレンにとって重苦しい時間が流れ、脱衣場のドアが開いてリーナとルイが出てくる。ルイの服を見てアレンは目を見張り、フィリアは敵意を剥き出しにする。
ルイが着ている服は髪の色に合わせたのか、薄いブルーを帯びた白地に銀色の緻密な刺繍が施された、肩を半分ほど出したドレスと称するに相応しい
ものだ。
髪は昨日のアレンとのデートと同じく、前に余分に垂れ下がらない程度に後ろに回し、服の色に合わせた薄いブルーを帯びた白の幅広のリボンで束ねて
いる。身長やスタイルの良さを引き立てると同時に、元来の落ち着いた雰囲気も相俟って、王族や貴族の令嬢としても遜色ない。

「おー、ルイ。やっぱしその服ええなぁ。被服店のオヤジも滅茶驚いとったし。」
「綺麗だなぁ・・・。」

 クリスの称賛に続いてアレンが思わず漏らした呟きに、フィリアが反応しない筈がない。フィリアはアレンの左手を力いっぱい抓(つね)る。突然の激痛に
アレンは顔を顰めて歯を食いしばり、叫び声を挙げることだけは免れる。
此処で大声を出したりしたら、警備の兵士が殺到する恐れがある。そこに刺客が紛れ込んでいる可能性は否定出来ない。護衛という立場と四方八方敵
だらけとなる可能性の板挟みにされた上に、フィリアの嫉妬の炎で炙(あぶ)られては、アレンもたまったものではない。
 リーナは、ブラックオニキスと重宝される自慢の長髪を何時もどおりポニーテールにして、幅広の白いリボンを巻きつけている。上は白の襟付き長袖
ブラウスに黒のベスト、半透明のストールを纏い、下は黒のミニスカートと白のパンプス。白と黒のコントラストが映える組み合わせだ。ストールは予選で
スタイリストを担ったイアソンの選択によるものだが、今回初めて纏う。邪魔に感じたからだ。
やり手のキャリアウーマンのような凛とした気品を醸し出しているが、身長の低さゆえに少し背伸びしている感は否めない。しかし、流石に外国からの飛び入り
参加にも関わらず予選をトップで通過しただけあって、リーナの美しさも十分人目を引くに値する。

「リーナもえらいしっかりとめかし込んだなぁ。こりゃええ勝負が期待出来そうや。」
「負けに来たわけじゃないからね。まあ、ルイほど大化けはしてないけど。」
「ルイにその服合わせたった時、被服店のオヤジが滅茶驚いとったくらいやでな。ヨッキュ33)の子みたいに後つけてきた男連中が一緒にドローチュア
描かせてくれ、とかぎゃあぎゃあ喧しぅてしゃあなかったわ。あんた達の見世物やない、言うてあたしが追い払ったったけど。」
「まあ本当に、馬飼いに衣装34)そのものねぇ。見事に化けましたこと。」

 自分のことのように当時のことを自慢するクリスに対し、フィリアは皮肉と嫌味を存分に込めた言葉を贈る。
確かにルイの変化は大きい。礼服姿からある程度想像出来るが、実際目にするとその美貌は認めざるを得ない。定数1の予選を得票率8割で圧勝したが、
その時は教会の普段着だったという。仮にこの服装で出場したら、得票率10割も夢ではなかっただろう。服を合わせたクリスの意気込みも分かるが、服装
次第でこうも変わるという典型的な例だ。
 これほどの美貌に加えて信心深さと謙虚さ、更に料理の腕前もアレンと肩を並べるほどのものとなれば、村の男性や未婚の息子を持つ親が放っておく筈が
ない。「村で嫁さんにしたい女No.1」の称号は伊達ではない、とクリスは勿論アレンは思うが、決して口には出せない。今度抓られるのは左手だけでは
済まないだろうから。
 色々な意味で臨戦態勢が整った。後はロビーに集合して本選会場である中央大舞台に向かうのみ。
だが、此処からが本番だ。今のところシーナから動きがあったとの連絡はないが、水面下で動きが生じていても何ら不思議ではない。
出場する服に着替えたルイを見て浮ついた心を引き締め、アレンは席を立つ。始まりは静かだが始まると激動するのが、戦いの常というものだ・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

32)パワー・シールド:衛魔術の1つで、同じ防御系魔術のシールドの強化版。シールドが対物理攻撃のみなのに対し、こちらは対魔法攻撃にも耐え得る。
呼称のとおり、シールドより物理防御力が高い。キャミール教では司祭以上で使用可能。


33)ヨッキュ:体長10〜20セム程度の淡水魚で観賞用に飼われる。我々の世界で言うところの金魚に相当する。子どもはある程度成長するまで親(オス)から
離れないので、この様から文中にあるように「ヨッキュの子」という表現が生じた。


34)馬飼いに衣装:容易に想像出来るだろうが、「馬子にも衣装」と同じ。この世界では「馬飼い」と言う。

Scene8 Act3-2へ戻る
-Return Scene8 Act3-2-
Scene8 Act3-4へ進む
-Go to Scene8 Act3-4-
第1創作グループへ戻る
-Return Novels Group 1-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-