Saint Guardians

Scene 6 Act 4-1 陰謀-Conspiracy- 蠢き、交錯する思惑と策謀

written by Moonstone

 アレンが再び薬の力で本当に女になった夜のこと。
首都フィルの中心部にある広大な敷地に聳え立つ荘厳な屋敷の執務室で、一人の金髪の男性が書類にペンを走らせていた。
無音の室内で黙々と書類と格闘する男性の執務室のドアがノックされる。男性が、どうぞ、と応対すると、白髪の男性が失礼します、と言って静かに入室して
男性の机の前に歩み寄る。

「まだお仕事でございますか?」
「うむ。今月は教会人事の監査請求がかなりあるのでな。」
「フォン様は、今年のシルバーローズ・オーディションの中央実行委員長でもあられます。くれぐれもご無理をなさらぬよう。」
「分かっておる。」

 机に向かっていた男性こそ、10ある一等貴族の一家系であるリルバン家の第1724代当主、フォン・ザクリュイレス・リルバンその人である。執務室に
入ってきた白髪の男性はリルバン家当主に仕える執事の一人で、フォンが連日夜遅くまで執務に取り組んでいるのを心配して来室したのだ。
フォンは書類の必要事項の記入を終えて右下隅にサインを入れると、ペンをペン立てに置き、小さな溜息を吐いて椅子の背凭れに身を委ねる。

「・・・首尾は?」
「警備の兵士に扮装した者が深夜襲撃しましたが、隣室の出場者の護衛に助けられて辛うじて難を逃れた後、隣室の出場者の部屋で自炊して暮らして
居られるとの知らせが、福利厚生班班長様よりありました。」
「そうか・・・。」
「対象者の護衛の腕もさることながら、隣室の出場者の護衛もかなりの腕前らしいとのこと。・・・いかがなさいますか?」
「ホテルに予備の部屋はないのだったな?」
「はい。例年どおりオーディション本選出場者とその護衛の他、各班の班長、幹部、担当職員が詰めておりますが故。」
「そうか・・・。では、とりあえずこのままで良かろう。何か動きがあったら直ちに私に伝えてくれ。」
「承知いたしました。では、失礼いたします。」

 執事が退室した後、フォンは再び溜息を吐いて机の端に立てかけてあるドローチュア入れを手に取る。そこには、フォンと並んで長い茶色の髪とやや褐色を
帯びた肌の若い女性が写っている。
無言でドローチュアを見るフォンの表情は、思い詰めたものさえ感じさせるものになっている・・・。
 日が昇り始める頃、ソファで寝ていたアレンの意識が深層から浮かび上がって来る。上体を起こして軽く伸びをしてベッドの方を見ると、フィリア、リーナ、
そしてクリスが形成する布団の盛り上がりがある。
今日もやはり朝昼晩三食を用意しなければならないのだが、ルイと一緒に料理をするのをアレンは心底楽しむようになっていた。互いの郷土料理を教え
あったり、この地方の郷土料理を作ってみたり、それぞれの知恵と経験を生かした創作料理を作ったりするのは、料理の心得がある者ならそれなりに理解
出来るであろう、趣味や娯楽の延長線上のものだ。元々娯楽が少ないこの世界において、料理は趣味と実益を兼ねた娯楽の一つと言える。
 アレンはソファから出て手櫛で髪を整え、台所へ向かう。「目覚めの一杯」となるティンルーを飲むこととルイに挨拶することを兼ねてのことだ。
台所を覗くと、やはり着替えを済ませたルイが椅子に座って竈を見詰めていた。アレンが声をかけようとした時、気配を感じたのかルイがアレンの方を向いて
柔和な笑みを浮かべる。

「アレンさん、おはようございます。」
「おはよう、ルイさん。今日も早いね。」
「習慣になってますから。」

 はにかんだ笑みを浮かべるルイの左隣に、アレンは腰を下ろす。
竈にかけられたやかんの蓋がコトコトと音を立てて揺れ、口から白い蒸気を噴出し始める。
ルイは立ち上がってやかんを竈から下ろし、予めテーブルに用意してあったポットに湯を注ぎ、軽く揺すってからやはり用意されてあったカップに注ぐ。
てきぱきとしていて、同時に嫌味を感じさせないルイの手馴れた動きとその甲斐甲斐しい姿に、アレンは自然と心を釘付けにされる。

「アレンさん。どうぞ。」
「ありがとう。」

 アレンはルイから入れたてのティンルーが入ったカップを受け取る。朝、入れたてのティンルーを渡して飲むことに、ルイの熱烈な求愛の意思が込められて
いることを知ったアレンだが、今はそれを重荷に感じることはない。「男らしく」「女みたい」と見栄を張ったり卑下したりせず、自分に向けられる好意を正面から
受け止め、それに応えられるだけの存在になりたい、とアレンは思う。
 自分のカップを持って元の位置に座ったルイと共に、アレンはヘブル村特産のティンルーを啜る。薔薇に似た芳香と仄かな甘みが心和ませる。双方無言の
ままティンルーを少しずつ飲んでいくが、二人の間に気まずさや間が持たないといったことはない。ティンルーを飲みつつ緩やかな時間の流れを過ごすこと
そのものを、二人は楽しんでいるのだ。

「・・・ねえ、ルイさん。」

 半分ほどティンルーを飲んだアレンが、徐に会話を切り出す。

「はい。」
「今度開かれるオーディションの本選は、女優やモデルや貴族子息との結婚への登竜門だ、って聞いたんだけど、ルイさんはそれ知ってる?」
「ええ。この国では演劇が盛んなんです。それに国の特産品である銀細工には指輪やペンダントの他、ティアラなどもありますから、オーディションとは別に
シルバーカーニバルの一環として銀細工職人の腕を競うコンテストや即売会が開かれるんです。そのコンテストに銀細工を着けて出場するモデルも女性に
人気の職業の一つなんです。もっとも、銀細工職人が自分の作品をアピールする目的がありますから狭き門なんですよ。このオーディションの本選に
出場した、というだけでもかなり有利になるんです。」
「へえ・・・。貴族子息との結婚はどうなの?」
「やはりと言うか・・・人気は高いですね。貴族の子息は、オーディションの本選出場者を妻や側室にする傾向が強いんですよ。オーディションそのものが
一等貴族の持ち回りで開催される国家的行事ということもありますから、その本選出場者、ましてや入賞者となると、貴族の子息は高い関心を寄せますね。」
「貴族の後継者は男限定なの?」
「限定ということはないですけど、男性が主ですね。特に家業の発展でその座に就く二等・三等貴族はその傾向が強いです。このオーディションの本選
出場者を妻にして、言葉は悪いですが、箔を付けるという・・・。そんな関係もあって、オーディション出場者の多くが貴族子息との結婚を狙っているのは
間違いないです。」
「嫌な質問かもしれないけど・・・、女性って男性の地位や財産に惹かれるものなの?」
「そういう傾向がまったくないとは言えません。この国は貴族制国家ですし、二等・三等貴族が小作地や収穫量の規模に応じて昇格・降格する関係で、
小作料を搾取する場合が多くて、多くの市民の生活は苦しいんです。女性にとってこのオーディションは、そんな境遇から脱する数少ない機会でも
あるんです。」

 アレンは、オーディション本選出場者の「自分以外は皆敵」という態度の背景にある市民生活の窮状を知る。
一等貴族の小作人の生活はかなり安定しているらしい、とイアソンが言っていたが、一方では圧迫続きの生活からの脱却を目論む女性も居る。女優や
モデル、貴族子息との結婚という「栄光」を手にすれば生活水準は格段に良くなるだろうし、家族の生活を幾ばくかでも楽にすることが出来るだろう。
このオーディションは生活の窮乏に喘ぐ一般女性に対する救済策という側面があるのだ、とアレンは思う。

「アレンさんは、そういう女の人は嫌いですか?」

 今度はルイから質問が生み出される。

「人それぞれだ、っていうのは分かるつもりだけど・・・、男性そのものじゃなくて男性の付加価値に便乗するような女性は、ちょっと嫌だな・・・。俺を貴族子息に
当てはめて考えると、自分より自分の地位や財産を愛されてるような気がしてさ・・・。」
「そうですよね・・・。でも、私は違います。」

 ルイは茶色の瞳にアレンだけを映して言う。

「私はクリスの勧めを断りきれなかったということもありますけど、聖職者として村という小さな世界に閉じこもっていたこれまでの生活を外から見直すきっかけに
しようと思っているんです。私は入賞は勿論ですけど本選出場はどうでも良くて、これからの人生を考える機会になればそれで良いんです。」
「だから、オーディション予選の賞金を全部教会の慈善施設に寄付したんだね?」
「はい。慈善施設は町や村の中央教会付属の施設で福利部の管轄下にある、事実上の公的施設なんですけど、経営は決して楽ではありません。親が死んで
他に扶養者が居なかったり、小作料の支払いに伴う家計圧迫を少しでも改善するために預けられた子どもが多いんですが、全員に十分な生活水準を提供
出来るだけの財政基盤がありません。教会への寄付や国からの運営金でも賄いきれないのが現状です。村の中央教会の祭祀部長という重要な役職に
任じられた以上は、そういう苦しい経営状況にある慈善施設やそこで暮らす子ども達の生活水準の向上に、出来る範囲で貢献すべきだと思うんです。」
「ルイさんは本当に聖職者の鏡だね。」
「そう言っていただけると嬉しいです。」

 アレンとルイは顔を見合わせて微笑む。
ルイがオーディションの予選突破の賞金全額を慈善施設に寄付した理由が、クリスの証言と共に当事者であるルイの考えで裏付けられた。
決して押し付けでも自己顕示欲からの行動でもなく、自主的に自分が生まれ育った準公的施設に対する恩返しをしたルイに、アレンは好感を強める…。

「おっはよー。」

 やや眠気が混じった声が台所に入って来る。見ると、パジャマ姿で髪をおろし、小脇に服を抱えたクリスが顔を覗かせている。

「クリス、おはよう。」
「おはよう。眠そうね。」
「んー、ちょっとね。とりあえず眠気覚ましにティンルー頂戴よ。」
「ちょっと待って。」

 ルイはカップをテーブルに置いて、湯を沸かしてティンルーを入れる。
クリスはルイからティンルーの入ったカップを受け取ると、一度欠伸をしてから湯気が立ち上るティンルーを啜る。

「あー、美味いわ。やっぱ朝飲むティンルーはこれやないとな。」
「そう言えば、クリスも朝早いね。」
「道場の朝稽古があるで、ルイ程やないけど朝は早いんよ。師範代以上になると下の拳徒教えやんならんし。」

 クリスは速いテンポで入れたてのティンルーを飲み干し、ありがと、と言って空になったカップをテーブルに置く。

「あー、美味かった。んじゃ着替えて来よっと。美味い飯作ってな。」
「分かってるよ。」

 アレンが応えると、クリスは大欠伸をしながら台所を後にする。
アレンとルイはティンルーを飲み終えると、朝食の準備に取り掛かる。火を起こすのに時間がかかることなどを考えると、そろそろ準備を始めないといけない。
二人にとって慌しい、同時に楽しい時間の始まりが、カーテン越しに部屋に溶け込む朝日に彩られる・・・。
 その日の午後。部屋にはアレンとルイが居た。2人しか居ないリビングでティンルーを飲んでいる。
リーナは読み終えた本を別の本に換えるために図書館に出向き、フィリアに命じて同行させ、クリスは買い出しと稽古を口実にして一緒に出て行った。
部屋に備え付けのティンルーとハーブを混合して作ったティンルーは、ほろ苦さとミントに近い鼻通りの良い香りを併せ持った良い出来に仕上がった。
昨日クリスがしこたま買い込んできた菓子の余りを摘みながら、アレンとルイは穏やかな午後のひと時を過ごしている。
 作る量と火起こしのため時間がかかる食事の準備が1日3回もあるため、料理を任されているアレンとルイが寛げる時間は限られてしまう。読書がてら
口にする飲み物を頻繁に要求するリーナが居ない今、アレンは好感を強めるルイと二人で過ごす時間を心から楽しんでいる。互いの料理のレパートリーを
一頻り話し合ったアレンとルイはティンルーで喉を潤して、リラックスから生じる小さな溜息を吐く。

「ねえ、ルイさん。」

 アレンが会話の糸口を掴む。

「はい。」
「こんな時にこんなこと聞くのはちょっと気が引けるけど・・・、クリスについて聞きたいことがあるんだ。」
「何でしょう?」

 二人きりの場で、自分ではなく幼馴染のクリスの名がアレンから出たことに、ルイは内心不安を感じる。

「今別行動を取ってる仲間と、ルイさんを此処に来るまでにも襲撃して来た連中について調べてるんだけど、関係者から出来るだけ情報を入手してくれ、って
その仲間から言われてるんだ。何か糸口が掴めるかもしれないってことで。」
「そうなんですか。わざわざありがとうございます。」
「ルイさんを襲撃した奴等が何者かに雇われたって話は昨日クリスから聞いたんだけど、クリスに関してはルイさんの幼馴染だってこと以外は知らないから。
あ、クリスに疑いをかけてるわけじゃないよ?クリスはルイさんを此処まで護衛して来た実績があるし、良い人間だと思ってる。ただ、ルイさんの生い立ちが
ルイさんへの襲撃に何か関係している可能性が否定出来ないから、クリスの生い立ちや家族構成なんかに関しても何か糸口があるんじゃないかと思って。」
「私の生い立ちは、昨日クリスが買い物にアレンさんを連れ出した時にクリスが話したんですね?」
「うん。俺が甘えてるってことを思い知らされたよ。」
「人の境遇は、その人がそれに耐え得るだけの資質を持っていると神に認められたからこそ課せられるものだと思っています。ですから隠したりそれを汚点と
思ったりはしません。アレンさんの言うとおり、私と長く関わって来たクリスについて知ることで、何か事件解決の糸口が見つかるかもしれませんね。」
「ルイさんにとっては、大切な幼馴染に疑いをかけられて良い気分はしないだろうけど・・・。」
「いえ、アレンさんの気持ちは分かるつもりですし、必要なことだと思いますからお話します。」

 ルイは一呼吸置く。

「クリスのお父様は、村に駐在している国軍の指揮官をなさっています。お母様は村の役所に勤務されています。」
「指揮官ってことは、軍隊の最高幹部か。いきなり質問だけど、この国の軍隊の組織や任務はどうなってるの?」
「国軍は国内の各町村を魔物や盗賊などの襲撃から防衛することと、各町村の治安維持が任務です。この町フィルに常駐する国軍最高司令官は国王に任命
されて、国軍最高司令官が議長を務める幹部会が、各町村の規模や土地条件に応じて軍隊を派遣しています。その軍隊はある年数で異動するんですけど、
それとは別に各町村には軍隊が常駐していて−これを常駐軍と言いますが、派遣されて来た軍隊と常駐軍を統括・指揮するのが各町村の軍隊の指揮官
です。指揮官は各町村の評議委員会42)の推薦を受けて国軍の幹部会に任命されます。任期は5年ですが再選が認められています。任命対象となるのは、
国から派遣される軍隊で10年以上の勤務実績があり、指揮官として相応しい実力と人望を併せ持つ人です。クリスのお父様は連続3期、村駐在の国軍の
指揮官に任命されています。」
「ということは、村での知名度は高いんだね。」
「はい。クリスが武術家として幼い頃から武術学校に通っているのは、心身共に強くなければならない、というお父様の教育方針に因るものです。」

 クリスの父が国軍の幹部だということが分かった。選任の流れやクリスのルイとの関係を踏まえると、クリスの父がルイの抹殺を図る理由は見当たらない。
となると、疑いたくはないが、次に焦点をあわせるべきは、村の役所に勤務しているというクリスの母だ。
 イアソンからの情報では、この国に根付いている戸籍制度の根本である戸籍は役所が管理していて、閲覧には厳しい制約があると言う。しかし、えてして
内部犯行はなかなか発覚しにくい。幹部職となれば、自分の不正行為を揉み消すことも可能だ。

「クリスのお母様は生まれも育ちもヘブル村で、異動して来られたクリスのお父様と結婚されたんです。」

 アレンの心を見透かしたかのように、ルイはクリスの母についての説明を始める。

「職務の関係上戸籍の編集や加筆修正を行われますが、その度に村長の承認を得なければなりません。村長は国の役所から派遣されて来ていて、
その行動は同行している秘書団を通じて国の役所に報告されています。ですから、クリスのお母様が戸籍を無断で操作したりする余地はほぼないと
言えます。そうでなくても戸籍の無断操作や偽造などは厳重な処罰の対象ですし、クリスのお母様も敬虔なキャミール教徒です。不正をされるような方では
ありません。」

 ルイが断言するところから推測するに、ルイはクリスの家族と面識があるようだ。品行方正を絵に描いたようなルイが言うのだから、不正や裏取引をする
ような人物ではなさそうだし、自分の娘の親友を抹殺しようとはしないだろう。

「ルイさんの保障があるから、クリスの両親が誰かと結託してルイさんの抹殺に手を貸すようなことはしないだろうね。警備の兵士に扮装してまでルイさんを
襲撃して来たってことは、やっぱりオーディション本選関係者による内部犯行と考えるのが自然だな。仲間もそういう見解だし。」
「私は正規の聖職者ですし、異動要請が国の教会人事監査委員会の承認を得ていることからも、私の存在そのものは教会関係者なら大抵知っていると
思います。」
「でも、異動要請が殺到するくらい優秀な聖職者を、教会関係者が抹殺しようとする理由が見当たらないな・・・。」

 アレンはうんと考え込む。
やはり自分の推測どおり、ルイの父は高位の聖職者か出世している国の役人で、ルイの母に纏わる暗部が明るみに出ることを恐れて、ルイの抹殺を目論んで
いるか。そう考えると犯人は、自分もイアソンも怪しいと睨んでいる、このホテルに滞在しているというオーディション本選の警備班に絞られてくる。
だが、警備班の幹部は、フィルの町の地区教会の幹部や国軍の幹部で構成されているとの情報がイアソンから寄せられている。聖職者、しかもオーディション
本選出場者の一人に過ぎないルイの抹殺を、警備の兵士に扮装させてまでも実行に移す直感的理由がどうしても見当たらない。

「ルイさんは、お父さんに関して何も知らない?」
「・・・はい、知りません。何も・・・。」

 答えることには答えたが、ルイの口調はこれまでと違ってやや歯切れが悪い。エリートコースの象徴とも言える国の中央教会からの異動要請を断ってまでも
一緒に居ることを選ぶほど慕っていた母を救わなかった父、否、男の存在など考えたくないのか、と思ったアレンはルイを問い詰めるのを躊躇う。
 母が戸籍上死んだことになっていたがために苛烈極まりない幼少時代を過ごし、ようやく長いトンネルを抜けたと思ったら母を亡くしてしまったルイ。幾ら
気丈とは言え自分と変わらない年齢でそんな重い過去を背負っているのだから、出来るだけ表に出したくないという気持ちはあって当然だ、とアレンは思う。

「このまま何事もなしに、オーディション本選が終われば良いんだけどね。」
「・・・オーディションが終わったら、アレンさんはどうするんですか?」
「え?」
「攫われたお父様を探す旅を再開・・・されるんですよね。」
「あ、そ、そうだね。」

 慌てて返答したアレンの隣で、ルイはいたく寂しげな表情で呟く。

「このままずっとこうして居られたら良いのに・・・。」

 蚊の鳴くようなルイの呟きを聞いたアレンは、ルイを見詰める。ルイはゆっくりと切なげな表情をアレンに向ける。
アレンがルイを抱き締めたい衝動に駆られかけた時、ドアの鍵が外れて勢い良くドアが開け放たれる。
 何事かと思ってアレンとルイがドアの方を見ると、何人もの警備の兵士を引き連れて、着飾った小太りの男が入って来た。その男は、アレンが剣を突きつけて
警備の再検討と強化を約束させた警備の責任者、すなわちリルバン家当主フォンの実弟ホーク・リルバンである。
反射的に剣を手にしてルイを庇うように身構えたアレンに、ホークがネチネチとした気味悪い笑みを向ける。

「アレン・クリストリア殿。よくこのホテルに潜り込みましたな。その努力は褒めて差し上げよう。」
「何の話だ!」
「とぼけても無駄ですぞ。貴方が男だという匿名の情報を小耳に挟みましてな。警備の責任者として無視するわけにはいかないんですよ。」

 アレンは驚愕のあまり叫びそうになるのをぐっと堪える。
イアソンの推測どおり、難癖をつけてルイとの合法的な引き離しに乗り込んで来た。しかも警備班班長直々にだ。様々な推測が頭の中を交錯するアレンに、
警備の兵士がずかずかと歩み寄り、その両腕を掴む。

「離せ!」
「そういうわけにはいかないんですよ。女装してまでこのホテルに潜り込んだ策略は評価しますが、規則違反には違いありません。賞金その他没収並びに
暫く牢獄で過ごしていただきましょう。」
「先にあんたが地獄に行くことになっても?」

 男の背後から冷淡な口調の声が届く。ホークが見ると、ドアの縁にリーナが腕を組んで凭れ掛かり、険しい表情を向けている。眉を吊り上げたリーナの
睨みは、ホークを思わず後ずさりさせる迫力を孕んでいる。

「あたしの正規の護衛に随分な真似をしてくれるわね。とりあえず、どういう了見か伺おうかしら。」
「こ、この赤毛の人物が実は男だという情報が入ったので・・・。」
「アレンはこのホテルに入った時、女だってことを堂々と証明したのよ。衆人環視の前で。」

 リーナはホークの脇を通り過ぎて、両腕を掴まれているアレンに歩み寄ったかと思うと、いきなりアレンのシャツの襟元を掴んで力任せに下へ引っ張る。
ボタンが勢いよく千切れて、形の良い二つの膨らみが姿を現す。ホークの目が驚愕で見開かれ、口が開いたままカクカクと動く。

「こんな風にね。」

 さらっと言ってのけたリーナの行動に唖然とするアレンとルイを尻目に、リーナはホークを見据える。その眉は最大限に吊り上っている。

「オーディション本選出場者のあたしも羨む立派な胸を持つこの護衛が男だっていう証拠が何処にあるって言うのかしら?明確な証拠を示して頂戴。」
「う・・・、いや、情報では・・・。」
「情報?その情報を何処から仕入れたのか知らないけど、デマかどうかの検証もろくにしないで、あたしの正規の護衛を摘み出そうとしたわけ?随分な
狼藉じゃないの。」

 リーナは広げた右手をホークに向けて、サラマンダーを召還する。猛烈な火炎と熱を帯びた火の精霊を目の当たりにして、腰を抜かしてその場に座り込んだ
ホークに、リーナが畳み掛ける。

「さて・・・。オーディション本選出場者が予選突破の謝礼金で雇った正規の護衛を、出場者のあたしが居ない間に摘み出そうとした罪、どう償ってくれる?」
「あ、いや、その・・・。」
「サラマンダーで丸焼きにしたら多少は食べられそうね。もっともあたしは肉は嫌いだからパスさせてもらうけど。」
「ちょ、ちょっと・・・。」
「いっそ焼却処分するのも手ね。自分が管轄する警備に部外者を易々と侵入させた上に今回の狼藉・・・。生きながら火炙(あぶ)りにするのが最も適切ね。」
「ご、ご勘弁を・・・。」
「許して欲しければ、この場に最高責任者を呼んで来なさい。今直ぐよ。」
「い、今直ぐ?!」
「出来ないならこの場で丸焼きにするまでよ。」

 冷淡に告げたリーナの視線に冗談の意思はひと欠片も感じられない。恐怖で顔面を蒼白にしたホークは、小刻みに首を横に振りながら回答を吐き出す。

「わ、分かりました・・・。さ、最高責任者はじ、自邸で執務中ですが故、しょ、少々お時間をいただきたいのですが・・・。」
「まず、後ろに居る木偶の坊から、アレンを解放させなさい。」
「しょ、承知しました。お、お前達!は、早くアレン殿を解放しろ!」

 ホークが必死の形相で命令すると、兵士達はアレンを解放する。アレンはリーナに破られた胸元を左手で寄せて隠す。

「あんたが連れて来たこの木偶の坊集団とあんた自身が人質。あんたにはサラマンダーを追わせるから、さっさと最高責任者を連れて来ることね。
サラマンダー。その男の後を追って最高責任者を此処に連れて来るまで監視しなさい。逃げようとしたり攻撃しようとしたら、その場で焼き殺しなさい。」
「仰せのとおりに。」
「ひ、ひいっ!」

 ホークは完全に腰が抜けたらしく、立ち上がることもままならない。眼前にサラマンダーが居ることによる威圧感が腰の感覚的重みを増しているのもある。
文字どおり這うように部屋を出て行ったホークの後をサラマンダーが追う。
騒ぎがひと段落したところで、廊下に居たフィリアとクリスが入って来る。その表情はリーナと同様険しい。

「アレン。フィリア。クリス。此処に居る木偶の坊集団を包囲しなさい。日が暮れるまでにあの男が戻って来なかったら、あたしの合図で殺して良いわ。」
「分かった。」
「そうする。」
「了解っと。」

 まずフィリアがバインダーで創り出した金色のリングで兵士達の動きを封じ込め、その左右を身構えたアレンとクリスが挟む。剣を鞘から抜いているアレンと
拳に力を込めるクリスから感じる殺気に、兵士達は身動きが取れないまま震え上がる。
 約1ジム後、脂汗とも取れる汗を滴らせてホークが戻って来た。ホークの背後にはリーナが追跡させたサラマンダーと、整った身なりのフォンが居る。
サラマンダーの監視を付けられたホークは、自邸の執務室に居たフォンに半ば命乞いするように自分に同行するよう頼んだのだ。

「お、お連れしました・・・。」
「あんたが最高責任者?」
「はい。本年度シルバーローズ・オーディション中央実行委員長を任じられております、フォン・ザクリュイレス・リルバンでございます。」

 建国以来国王一族を支えてきたという由緒正しい歴史を背景にする一等貴族の当主らしい威風を漂わせつつ、フォンは自己紹介してから一礼する。

「聞けば、我が愚弟が貴方様の護衛が男性というデマに基づき、護衛を連れ出そうとしたとのこと。」
「そのとおりよ。」
「お怒りになるのはもっともでございますが、今回のところは私に免じて、どうかご容赦くださいますようお願いいたします。」

 フォンはリーナに向かって深々と頭を下げる。
ホークと人質になっている警備の兵士達にとって途轍もなく重苦しい時間が流れた後、リーナが口を開く。

「あんたの礼儀正しさに免じて、今回だけは見逃してあげるわ。」
「ありがたき幸せに存じます。」
「その代わり、今度こんなふざけたことになったら・・・。」
「警備の兵士などを通じて私にご報告くだされば、直ちに愚弟の警備班班長の任を解き、本選終了まで自邸別館に軟禁いたします。その後厳重な処罰を
科すべく、司法委員会43)に掛けることをお約束いたします。」
「最高刑は?」
「死刑でございます。」
「最低の場合は?」
「一等貴族の家系からの永久追放でございます。」
「そう。厳正な処分を期待しておくわ。」

 厳正な処分、の部分を大袈裟なほど強調したリーナはサラマンダーに歩み寄り、その額に手を翳してサラマンダーを消す。

「併せて今回の不始末、自邸にて愚弟に厳重注意を行います。」
「分かったわ。」
「では、失礼いたします。ホーク!来い!」
「は、はいっ!兄上!」

 フォンに一喝されたホークは、恐れおののきながらフォンの後を追って部屋を出て行く。フィリアのバインダーから解放された兵士達がそれに続く。
アレンは、フォンが一瞬自分の方を見たような気がしたが、気のせいだと思って剣を鞘に収める。
ドアが閉まり、遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなったところで、全員が程度の差はあれ安堵の溜息を吐く。

「ありがとう、リーナ。助かったよ。」
「正規の護衛に抜けられちゃ、あたしが困るからね。早く戻って来て良かったわ。」
「それにしても、アレンが男だっていう情報をあの男、何処で入手したのかしら?」
「後ろに誰か居るね。多分アレン君が男やっちゅうことを知っとる奴が。」
「・・・まさか・・・。」

 アレンの脳裏にある男の顔が浮かぶ。
フィリアとリーナは顔を知らないため思い浮かべるには至らないものの、名前はアレンと同じものが思い浮かぶ・・・。

「顧問殿。あの小僧は女でしたぞ!」

 フォンに厳重注意を受けた後自室に戻ったホークは、白銀のローブを纏った魔術師らしい小柄な人物に向かって怒鳴る。その人物が顔を目の部分だけ細く
切り抜いた仮面で覆っているため表情の変化が窺い知れない分、ホークは苛立ちを強める。

「兄上には厳重注意を受けた上、今度同じようなことになったら警備班班長を解任されてしまう!そうなったらもう手の出しようがなくなる!その前に何としても
手を打たねばならない!顧問様も同じでしょう?!にも関わらず偽の情報で我々を不利な状況に追い込むとは・・・!」
「お怒りは重々承知しております。何らかの方法であの小僧が本当に女になっているとあっては、別の手を講じなければなりますまい。」

 人物はしわがれた、しかしホークとは対照的に冷静な口調で言う。

「ホーク様は警備班班長。警備の兵士を動かすのは簡単でございましょう?」
「それがどうかしたのですかな?!」
「急(せ)いてはことを仕損じる、と言います。今度こそ確実に始末させましょうぞ。」

 小柄な人物の低い笑い声が、薄暗い室内に不気味にこだまする・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

42)評議委員会:ランディブルド王国にある町村の地方議会に相当する。各町村の有力者と教会の幹部で構成される。任期は3年で再選可。

43)司法委員会:ランディブルド王国における裁判所の役割を担う組織。厳しい選考試験を突破した国の役人と中央教会の代表者で構成される。
任期は4年で、中央教会の代表者の再選には、教会人事監査委員会の推薦が必要。


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