Saint Guardians

Scene 4 Act 1-1 調査-Investigation- ラマンの町に漂う臭い

written by Moonstone

 あと一歩のところでアレンの父ジルムを救出出来ず、ジルムを拉致したセイント・ガーディアンの一人ザギの行方も掴めなくなったアレン達一行は、
とりあえずカルーダ王国の北方の町ラマンを目指して、サンゼット湾を出て東への航海を続けていた。
内陸部で生まれ育ったアレンとフィリア、そしてリーナは初めての航海に最初こそ胸を躍らせていたが、直ぐにそれは酷い船酔いへと代わった。
船が絶えず上下に大きく揺れることに加えて、ホリブ海1)特有の強い風で左右にもふらふら揺れることで、アレンとフィリアとリーナの三半規管は呆気なく
バランスを崩してしまい、わくわくしながら見る筈の海原へ出る時は嘔吐するだけの時になってしまい、食べ物も食べられなくなり、辛うじて水分補給が
出来る程度になってしまった三人は部屋でぐったり横になっていた。
 船を操縦する『赤い狼』情報部第1小隊の隊長であり、アレン達一行に加わったイアソンはドルフィンと共に、大きく揺れる船の甲板に出て外を見ていた。
空には低く重い鉛色の雲が立ち込め、一行が目指すラマンの港はまったく見えてこない。
出港から2日目。そろそろ南側にナワル大陸の海岸線が見えて来る筈なのだが、天候が悪いせいで雲と霧に隠れて見えない。
船に乗り慣れているのか、それとも鍛えられたが故か、ドルフィンは普段どおり平然としており、イアソンも船の揺れに身体を同化させたかのように
立っていて、船酔いの気配はない。
 実のところ、『赤い狼』は中央本部に次ぐ勢力を有するエルスやバードの港から密かに船を出してカルーダ王国に赴いていた。
それは世界情勢の情報収集に留まらず、エルスとバードでの主要産業である農漁業の収穫物の一部をカルーダ王国へ売りに行き、『赤い狼』の勢力が
大きいが故に王政の度重なる弾圧で焼き討ちされる町の復興資金にするための活動でもあった。
その役割を担っていたのが情報部であり、イアソン率いる第1小隊も頻繁にカルーダ王国へ赴いていた。
だから海が多少荒れていようが天候が多少悪かろうが、感覚で船の進路を把握出来るし、船酔いなどしないのである。

「アレン達は?」
「酔い止めの薬を飲ませたせいか、多少楽になったようです。ただ、まだ食事には手が届きそうにないです。」
「まあ、初めてじゃ無理もないな。ラマンに着いたら宿を取って三人の回復を待って町を出るようにするか。」
「そうですね。」

 イアソンは目を凝らして海岸線を探すが、一向に見えてこない。
そうこうしているうちに、甲板や人の頬や頭にポツリ、ポツリと冷たいものが当たり始める。
ドルフィンが上を見上げる。重かった空が益々重みを増して低く垂れ込め、雨の到来を予感させる。
強い風に雨という、航海にとっては最悪の条件が重なりつつある。

「こりゃ来るな。」
「ええ。ドルフィン殿は中に入って下さい。私は引き続き航海の指揮を執りますので。」
「こういう時は魔物や攻める側にとっては有利な条件だ。俺も此処に居る。操縦しながら戦闘なんて出来んだろ?」
「はい。では宜しくお願いします。」

 イアソンは隊員に注意を促しながら船をラマンから逸らさないように操縦の指示を出し、ドルフィンは周囲の様子を隈なく監視する。
一行が乗っている船は中型のもので安定性もそれなりにあるとは言え、操縦を誤れば転覆の危険もある。
更に厄介なのは魔物やザギの襲撃だ。陸地ですらも町を囲む外壁を一歩外に出れば魔物が徘徊する危険な場所であり、まして海など未知の世界である。
クラーケン2)シーサーペント3)といった、陸地の魔物より強力な魔物が何時姿を現すか分からない。
それに加えてザギが援軍を率いて、悪天候で視界が利かないことを利用して来襲する可能性もある。
そういう場合はドルフィンが早急に始末しないと、この程度の船など簡単に海の藻屑にされてしまう。
 雨が本格的に降り始め、ドルフィンやイアソン、船を操縦する情報部第1小隊隊員の身体を勢い良く濡らし始める。
イアソンは隊員に特に足元に注意するように指示し、ドルフィンは不測の事態に備えて剣を抜いて待機する。
魔物やザギが来襲した場合は早急に片付けるためだ。
勿論、ザギは死なない程度に痛めつけて身柄を拘束し、アレンの父ジルムの居場所を吐かせる腹積もりである。
 まるでこれからの旅の困難さを予告するかのように、海は荒れ模様を強めていく。
怒号にも似た指示と合図が飛び交う中、ドルフィンは周囲の警戒と臨戦態勢を続ける。
激しい雨が降り注ぐにも関わらず、情報部第一小隊の隊員はイアソンの指示を受けて帆と舵を巧みに操る。
ドルフィンは魔法探査を断続的に行って魔物やザギの居場所を捜索する。
航海には最悪の条件の中、一行を乗せた船は少々蛇行しながらも確実にラマンへ向かっていたが、今の状態でそれを察知出来るものは誰一人居ない・・・。
 出港から3日目の朝を迎えた。
どうにか船酔いが治まったアレンは、念のために枕元に置かれてあった酔い止めの薬を飲んだ後、揺れる船内の壁を伝いながら外へ出る。
昨日の大荒れが嘘の様に空と海は静まり、青々とした世界を広げて見せている。
外へ出ると日差しがじりじりと肌を焼くのを感じる。本格的な夏の訪れが近いことを感じさせる。
そんな中、甲板には隊員に指示を出すイアソンと、剣を鞘に収めて周囲を見ているドルフィンが居た。
甲板に出たアレンを、イアソンが見つけて駆け寄る。

「アレン、もう大丈夫なのか?」
「うん、何とかね。念のため酔い止めの薬は飲ませてもらったよ。」

 アレンは声こそ張りがあるものの、出港してからろくに食事を取っていなかったため、少々頬がこけていて顔色もまだ若干悪い。
体力はかなり落ちているだろう。
このままラマンに着いたら即町を出る、というのはどう考えても無理がある。
フィリアとリーナは部屋を出て来る気配さえないのだから、やはりラマンで宿を取るのが賢明だとイアソンは思う。

「アレン、起きてて良いのか?」

 アレンとイアソンのやり取りを聴いたのか、ドルフィンがアレンに歩み寄って声をかける。

「俺はもう大丈夫。何か食べたいっていう気分も出てきたし。」
「そうか。だが病み上がりの状態じゃ付いて直ぐ出発、ってのは無理だな。リーナとフィリアは?」
「はっきり見てないけど、まだ苦しいみたい。」
「船酔いは長引くとそこいらの病気より質が悪いからな。イアソン、ラマンには何時頃着くか分かるか?」
「海岸線がはっきり見えていますから、このまま順調に行けば昼過ぎには着くと思います。」
「だそうだ。またぶり返すといかんからアレン、お前は念のため部屋で休んでろ。」
「うん、そうする。」

 アレンは壁伝いに船の奥へと戻って行く。
ドルフィンとイアソンはその様子を見送った後、ラマンに着いてからのことを話し合う。

「ラマンはラマン教の指導部内紛に巻き込まれてるのか?」
「ラマンの住民の殆どはラマン教信仰者ですから、指導部の内紛の影響を受けていると思います。」
「キャミール教に対してはどういう姿勢なんだ?」
「ラマン教は他の宗教に対して非常に寛容です。ですから他宗教の国の人間と言っても戒律に触れない限り敵視されることはありません。」
「戒律?」
「具体的には一般の女性が僧侶に触れてはいけない、建物に入る時は男性が先、逆に出る時は女性が先、魚介類は捌く以外の調理を施したものを
食べてはいけない。旅行者に関係することはこんなところですね。」
「魚は刺身じゃないと駄目ってわけか・・・。」

 右手を顎に当ててうんと考え込んだドルフィンに、イアソンが尋ねる。

「ドルフィン殿は刺身が苦手なのですか?」
「いや、俺は平気だが他の面々がな。何せ内陸部育ちだから魚介類を生で食うことなんて習慣なんてまずないだろう。そもそもアレンとフィリアは
テルサの出だから、魚介類に触れること自体が少ない筈だ。」
「あ、そうですか・・・。ラマン教では肉類は新月の時以外は食べてはならないという戒律があるんです。ドルフィンも昨夜御覧になったでしょうが、
月は三日月。魚介類や野菜以外は宿では出されません。」
「となると、刺身が食べられなかったら携帯食で我慢だな。売られている携帯食はやっぱり魚介類か?」
「はい。旅行者向けに内臓を取り除いた状態での塩漬け、干物といったものが種類も多くて安価です。肉類の携帯食も売られていることは売られていますが、
干し肉でもレクスの3倍くらいの値を吹っかけられます。」
「てことは、刺身の類が食べられないなら手持ちの携帯食か、市場で魚の干物辺りを買って部屋で食べるしかないな。」
「ラマン教は他宗教に対しては寛容ですが、教義や戒律は厳格です。旅行者でもそれを破ると、宿を追い出されたりされかねません。」
「・・・宗教ってのはややこしいからな。それが人の生活に染み込んでいればいるほど。」
「ええ・・・。」

 レクス王国は一応キャミール教の勢力範囲であるが、祭りや礼拝、冠婚葬祭以外の戒律はそれ程人々に浸透していない。
レクス王国の建国自体に、西の隣国ブルド王国で人々への戒律の強制に異議を唱えた宗教指導部の影響を受けた王族が内紛を起こし、戒律強制の
反対派が東に出て分離独立したという経緯があるだけに、人々の信仰心は伝統的に薄いのだ。
その歴史を再現しているようなラマン教の聖地ラマンに踏み込むことは、自分達も宗教指導部の内紛に巻き込まれる危険性を十分孕(はら)んでいると言える。
 ザギの手がかりがなくなった上に宗教の内紛に足を踏み入れる。旅には難しい状況ばかりが揃っている。
何事もなく宿でアレン達三人が回復したら、早急に町を出るのが賢明だという見解でドルフィンとイアソンが一致した。
船はその間にも、海岸線に加えて徐々に高山の険しい輪郭も見せ始めてきたナワル大陸を南に臨みながらラマンに近付いていた・・・。
 燦燦と輝く太陽が少し西に傾き始めた頃、アレン達一行を乗せた船は、ラマンの港に到着した。
パルナ4)に先導されながら、船は漁船らしい船が並ぶ地帯の一角に入って行く。
桟橋に横付けして碇を下ろしたところで、船を操縦してきた情報部第1小隊隊員はようやく胸を撫で下ろす。
 船が入港したことをドルフィンがアレンに伝える。
アレンは食事もそこそこ摂れるほどに回復していたが、フィリアとリーナは未だに苦しそうに唸っていた。
とりあえず二人に酔い止めの薬を飲ませた後、アレンがフィリアを、ドルフィンがリーナを背負って船から桟橋を渡ってラマンの地に降り立つ。
 イアソンの姿はない。先にラマンの町に入り、手頃な宿を確保しに行ったのだ。
一行の分は勿論、これまで厳しい条件下で船を操縦してきた隊員達の分も確保する必要がある。
幾ら鍛えられ、航海に慣れているとはいえ、入港して乗客を降ろしたら直ぐ出港、というのは無理にも程がある。
イアソンは10数名の隊員の長として、隊員の事情も踏まえた行動を取らなければならない。
隊長だから隊員に命令して宿を確保させる、ということは『赤い狼』では通用しない。長や幹部になるほど部下に対しての配慮が求められるのだ。
 20ミム程待った後、イアソンがドルゴに跨って戻って来た。
人込みは致し方ないにしても、それを抜けたら一刻も早く、アレン達一行や隊員達に報告するためだろう。
こういうきめ細やかな気遣いが若干18歳にして『赤い狼』の中央本部幹部の一員に抜擢され、更に代表のリーク自らがアレン達の旅に今後のために、と
同行させるように依頼させる程の信頼を得たのだろう。
ドルゴを急停止させて、イアソンが降り立ってアレン達に伝える。

「宿は確保出来ました。今後のことを考えて、安めの宿で大部屋にしましたが。」
「それは構わん。それよりなかなか気が利くな。」
「こうでないと『赤い狼』の中央幹部なんて勤まりませんよ。皆!宿を確保したから船を下りてくれ!」
「「「「「はい!」」」」」

 隊員達が続々と船から降りて来る。それには久々の大地の感触を味わっているという様子はない。
流石に中央本部直属の小隊隊員であり、尚且つ航海に慣れているだけあって、旅行気分に浸ることはないようだ。
全員が揃ったところでイアソンは言う。

「宿には私が案内します。私についてきて下さい。宿の部屋の配分は私が決めますが、それで宜しいでしょうか?」
「イアソンに任せるよ。俺はその辺の勝手は知らないし。」
「異議なし。」
「我々は隊長の指示に従います。」
「よし、それじゃくれぐれもはぐれないようについて来て下さい。」

 イアソンを先頭にしてそれぞれフィリアとリーナを背負ったアレンとドルフィン、そして情報部第1小隊隊員の順に並び、イアソンの後をついて行く。
港に隣接する町は活気に溢れ、中には黒色の布を身体に巻き付けたような袖なしの服を着て歩いて来る者も居る。
彼らこそ一行の懸案事項の一つであるラマン教の僧侶である。
幸か不幸か、戒律を知らないフィリアとリーナはそれぞれアレンとドルフィンに背負われていて気分も悪いから興味を示すどころではないし、
隊員達は事情を心得ているので−女性隊員も数名居る−問題なくすれ違う。
 10ミム程歩いて大通りから少し外れた界隈の中に、かなり大きな3階建ての木造の建物が現れる。これがイアソンの確保した宿である。
木造建築で3階建ての建物を初めて見るアレンは、思わず、へぇ、と感嘆の声を上げる。
ラマン教は建築技術に優れていて、キャミール教の勢力圏内の建物が煉瓦を主体にしているのに対し、此処では木造の高層建築物が当たり前のように
彼方此方に佇んでいる。
中には相当年季が入ったらしく黒ずんだ柱や壁を持つ建物もあるが、その場にどっしりと根を下ろしていて少々の揺れでは崩壊しそうにない。
宿の前に着いたところで隊員達が隊列を入れ替え、男性が前になるようにする。ラマン教の戒律を心得ている証拠だ。

「フィリアとリーナはどうしようか・・・。この調子じゃ歩けそうにないし。」
「女性隊員に背負ってもらいましょう。」
「良いのか?」
「戒律が影響するのは出入りする時だけですし、彼女達も人一人くらい背負えるくらいの体力はありますよ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・。」

 アレンとドルフィンは最後尾に並ぶ女性隊員に、フィリアとリーナを背負ってもらうよう依頼する。
女性隊員は嫌な顔一つせず、快くアレンとドルフィンの依頼に応じてフィリアとリーナを背負う。
アレンとドルフィンが元の場所に戻ったところで、イアソンは念のため隊員を点呼してはぐれた者が居ないかどうか確認する。
全員揃っていることを確認したイアソンは、ドアを開けて中に入る。アレンとドルフィン、そして隊員達がそれに続く。
 カウンターに座っていた老人がカウンターから出てきて、両手を胸の前で合わせて頭を下げて一行を出迎える。どうやらこの宿の主人らしい。
イアソンが老人と同じ様に両手を胸の前で合わせて頭を下げる。これがラマン教の挨拶なのだ。

「いらっしゃいませ。」
「さっき予約を取ったイアソンという者です。」
「イアソン様ですね。ではお部屋へご案内させます。誰か!」

 老人が大声を出すと、奥からトタトタ・・・という足音が近付いてきて、中年の女性が姿を現す。

「この方達を2階の202号室、203号室、206号室、207号室にご案内して。」
「承知しました。では皆様、どうぞ。」

 女性は老人がしたのと同じ様に挨拶をすると、一行を先導して部屋へと案内する。
やや狭い廊下を歩き、これまた狭くて傾斜が急な階段を上って2階に辿り着き、さらに少し歩いたところで、女性が立ち止まってイアソンの方を向く。

「お部屋はここから奥へ向かって202号室、203号室、そして突き当たりが206号室、その右が207号室となっております。鍵はこちらになります。」
「ありがとうございます。」
「ではごゆっくりどうぞ。」

 女性は再び挨拶をすると、一行の脇を抜けて立ち去る。
イアソンは受け取った鍵のうち2つをアレンとドルフィンに手渡す。

「アレンとフィリア、そしてドルフィンとリーナに一部屋ずつ割り振ります。フィリアとリーナは船酔いが回復していませんから、
誰かが付いていた方が良いかと思いまして。」
「そうだな。」
「で、隊員は男性が206号室、女性が207号室へ入ってくれ。207号室はベッドが余ると思うが、物置にでも使ってくれ。」
「分かりました。」
「夕食は14ジム以降に1階奥の食堂に行けば良い。風呂場は同じく1階にある。隊員は以後明日の出発まで自由行動とするが、
現状が現状だけに軽率な行動は取らないように。」
「「「「「はい。」」」」」

 イアソンは男性隊員と女性隊員の一人にそれぞれ鍵を渡す。隊員達はぞろぞろと部屋へ向かう。
イアソンが鍵を持って行かなかったことを疑問に思ったアレンが尋ねる。

「イアソンは休むんじゃないの?」
「ちょっと外へ出て、最新の情報を仕入れてこようと思ってね。あと、携帯食の購入も。」
「イアソン。お前も航海の指示で徹夜の連続だろう。情報入手や買い物は明日でも構わんぞ。」
「いえ、こういうことは私の責務であると同時に性ですが故。」
「・・・危険だと思ったら直ぐに帰って来いよ。」
「分かりました。酔い止めの薬は女性隊員が保管しておりますので、必要に応じて申し出て下さい。では。」

 イアソンは頭を下げると、小走りで走り去る。
徹夜の連続で相当疲れている筈なのにその素振りすら見せず、更に情報収集に赴くイアソンの体力と行動力に、アレンは素直に驚く。
『赤い狼』代表のリークが同行させるよう直々に依頼しただけのことはある。

「アレン。お前はフィリアを部屋に運べ。お前も病み上がりの身だ。ゆっくり休んでおけ。」
「そうさせてもらうよ。ドルフィンは?」
「俺はこの建物の概要を把握しておく。」
「え?」

 てっきりリーナを看るものかと思っていたアレンは、思わず聞き返す。

「見知らぬ建物に入ったら、まずその概要を把握して、主要場所各々からの最短の逃走経路を見つけておくこと。いざという時のためにな。」
「じゃあ、俺も・・・。」
「病み上がりの身はじっとしてろ。それにフィリアを放ったらかしにするつもりか?」
「それはドルフィンだって同じだろ?」
「リーナにはオーディンを護衛に付けておく。俺が帰って来るまでに部屋に入ろうとしたら、問答無用に殺すように命令するから心配要らん。」

 ドルフィンの言葉に突け入る隙がないと察したアレンは、反論を止めて頷く。

「分かった。ドルフィンがそこまで言うなら・・・。」
「お前のところにも念のためにリトルドラゴンを護衛に付けておく。部屋には鍵をかけるのを忘れるなよ。お前以外の人間が出入りするようなら
同じく問答無用に殺すように命令しておくから、下手すりゃ『赤い狼』の連中を殺してしまいかねん。」
「ありがとう。」
「じゃあ、夕飯の時にでもな。」

 アレンとドルフィンはそれぞれ部屋の鍵を開けて中に入る。
アレンとフィリアの部屋はドアが閉まって鍵がかけられたが、ドルフィンとリーナの部屋は程なくドアが開いて、剣を持ったドルフィンが出て来て、
自分の部屋の前でオーディンを、アレンとフィリアの部屋の前でリトルドラゴンを召喚して命令を下し、小型化して待機するよう指示する。
二体の魔物が小さな青白い炎のようになってドアの前に漂うようになったのを確認して、ドルフィンは部屋を立ち去る。
 青白い顔で眠っているフィリアをベッドに寝かせたアレンは、革袋を降ろして中からリストバンドを取り出し、自分の両手首と両足首に巻き付ける。
それだけで腕と足がずっしり重くなったのを感じつつ、アレンは床でスクワットを始める。
筋力を鍛え、アレンの持ち味である敏捷性を更に高めると同時に体力そのものを高めるように、とドルフィンから譲り受けたものだ。
今度何時来襲するか分からないザギとの対決に備えてのものであることは言うまでもないし、これからの旅を進めるにあたって体力を高めておいて
損になることはない。
 不覚にも船酔いしてしまったアレンは、その分の遅れを取り戻そうと入念にスクワットを続ける。
冷房などある筈のない部屋でのトレーニングは、アレンの全身から汗を噴き出させるには十分過ぎる。
だが、アレンは汗を拭うことなく、ひたすらドルフィンに教わったやり方でスクワットを続ける。
自分が目標とする「男」に少しでも近付こうという強い意志が、その瞳に浮かんでいる・・・。
 日がかなり西に落ちた頃になって、ようやくイアソンが戻って来た。
ドルフィンは既に建物の概要把握を終えて魔物を消去し、リーナを看ていた。
イアソンはドルフィンとリーナの部屋をノックする。
ドルフィンがどうぞ、と言うと、イアソンが中に入って来る。その手には仕入れた携帯食が多数ぶら下げられている。

「随分買い込んだな。」
「魚類の携帯食は日持ちも良いですし、栄養面でも優れてますからね。で、早速現状報告なんですが・・・。」

 イアソンはドルフィンの元に歩み寄って、小声で報告する。

「ラマン教指導部の内紛の影響はやはり町民にも及んでいます。改革派と反改革派の僧侶が街中で口論している光景も目にしましたし、携帯食を買おうと
した時に『お前は守旧派の人間か?』と尋ねてきた商人もいました。」
「本格的だな。で、内紛の原因は?」

 ドルフィンも小声で応対すると、イアソンは小声で続ける。

「改革派を名乗る僧侶から聞いたところによると、改革派はラマン教を民衆に広く開放したものにすることを主張し、そのためには現在では僧侶や僧侶志願者
以外の入場が許されない神殿の出入り全面自由化や、秘宝として極一部の高位の僧侶しか見ることを許されていない秘宝の一般公開が必要だ、と
言っています。」
「・・・改革を叫ぶ割にはその内容が小さいな。」
「ええ。で、指導部は反改革派が多数を占めているのですが、一般の僧侶では改革派が多数を占めていて、街頭説法でも反改革派主導の指導部を、
教義と戒律の狭い空間に閉じこもって自分達を高潔と思い込んでいる集団、と非難し、民衆からの蜂起を煽っています。街頭に出る僧侶は一般の僧侶
ですからね。ですから町民の間でも改革派を支持する向きが多いようです。」
「内紛が始まったのは何時頃だ?」
「ここ2、3年のことです。『赤い狼』はこの町に度々訪れていますから、内紛発生直後に事態に遭遇した同志が居ます。」
「まあ・・・ラマン教の戒律は町民の生活にも関わるものが多いし、それに圧迫感を感じていたところに民衆への開放を宣伝すりゃ支持が集まるのは無理も
ないな。」
「はい。どちらを支持しているかは町民の世代で違いがあって、年少世代ほど改革派支持が多いようです。こういう場合、行動力があって上の世代からの躾や
戒律の伝承を押し付けと反発する年少世代の動きが顕著になり易いですからね。改革派もそこを突いて一般僧侶における勢力の増大に成功したようです。」

 イアソンの報告を受けて、ドルフィンは腕組みをして考え込む。
改革派とやらはラマン教を民衆に解放されたものにしようと言う。
だが、神殿への出入り自由化や秘宝の公開がそれに直接繋がるかどうかは疑問が多い。
 宗教は大抵の場合、一部の許された修行者しか閲覧を許されない書物や宝物を持つもので、特に書物は教義を深く理解した者でないとその内容を簡単に
誤解あるいは曲解して、誤った考え方を他の修行者や民衆に流布してしまい、教義そのものを歪めてしまうことになりかねないからそうしているのである。
それを一般公開することで宗教改革に繋がるとは必ずしも言えない。逆に先に挙げたような好ましくない事態を招きかねない。
レクス王国の時のように、黒幕の−勿論、ザギのことだ−助言にしたがって国王が突発的に中央集権体制と国民監視、抑圧のための専門部隊を編成、
派遣した時とは事情と発生の時期こそ違えど、何か臭うものがあるとドルフィンは感じる。

「・・・また背後に黒幕が控えている可能性があるな。その辺の情報は?」
「それについてですが、改革を唱えた指導部の一部が、一般の僧侶に特別説法会というものを慣例を無視して何度か開催して勢力を拡大したということ
です。改革を唱え始めた理由については流石に現状では把握出来ませんでした。」

 特別説法会というのは、ラマン教指導部が一般僧侶に集中的に教義や戒律の内容や意義について解説する「集中講義」の様なもので、その開催に
あたっては、解説の部位や内容について事前に指導部が協議し、全員一致で承認を受けた後、指導部から担当を互選するという慣例がある。
改革派を名乗る一部指導部がその慣例を無視して一般僧侶を言わば「洗脳」した格好であり、尚更きな臭いものを感じずにはいられない。
仮にこれにザギが介入しているとなれば、先のレクス王国に対する内政干渉に続いて宗教指導部に対しても干渉していることになり、これもクルーシァが
禁じていることである。
 ザギの関与の可能性が全くないと断言出来る証拠はないし、ザギが関与しているとなれば乗り込まない手はない。
アレンの父ジルムを拉致しているのはザギ本人であるし、旅の目的はアレンの父ジルムを救出することにあるから、我関せず、と放置して首都カルーダへ
向かうのはみすみすザギを取り逃してしまうばかりか、人々の間に浸透しているラマン教という宗教の変質を放置することになる。
ドルフィンは少し考えた後、小声で言う。

「これは放っておくわけにはいかんな。・・・イアソン、反改革派の僧侶やそれを支持する市民に接触して改革派の動向を別の角度から調査しよう。
ザギが手を回している可能性が否定出来ない以上、この内紛を無視するわけにはいくまい。」
「そうですね。改革派からの情報だけではそれが正しいものと思い込んで、重要な点を見落としてしまいかねませんから。では早速・・・。」
「待て、そう慌てるな。フィリアとリーナ、それにアレンが完全回復するには1日2日はかかる。その間に二人で手分けして情報収集をしても遅くないだろう。」
「しかし、ドルフィン殿。情勢は確実に動いています。早め早めの行動が大切では?」
「今日、これ以上お前に負担をかけるわけにはいかん。肝心な時にダウンされたらその方が困る。」
「しかし・・・。」
「俺が今夜、パピヨンをラマン教総本山に向けて複数放つ。それで情報収集する。悪さをする奴は大抵夜によく動くもんだからな。それでどうだ?」

 ドルフィンの提案に、イアソンは頷いて同意する。

「分かりました。では宜しくお願いします。」
「これまで徹夜続きで疲れただろう。今夜は隊員達と一緒にゆっくり休んでくれ。よくやってくれた。感謝する。」
「いえ、情報収集能力を売り物にして一行に加えていただいた以上、これくらいは当然です。」
「じゃあ、夕食の時にでもまた会おう。それからさっきのことはアレン達や隊員達には伏せておいてくれ。」
「分かりました。では、失礼します。」
「お疲れ。」

 イアソンが部屋を出て行くと、ドルフィンはリーナの様子を見る。
早い周期で浅い呼吸を繰り返すリーナの顔は青白く、とても食事が出来る様子ではない。
自分の食事と入浴の時はまた護衛を付ける必要があるな、と思ったドルフィンはリーナの額に浮かぶ汗をそっと拭ってやり、席を立つ。
アレンの方の様子を窺うためだ。
ドルフィンは再びオーディンを召喚し、建物の概要を調べに出た時と同様の命令と指示を出してから部屋を出てドアに鍵をかけ、アレンとフィリアの
部屋へ向かった・・・。
 日が西に落ち、町に夜の帳が下りる。
アレンとイアソン、『赤い狼』の隊員達と夕食を済ませた−フィリアもまだ食事が出来る状況ではなかった−ドルフィンは部屋に戻り、窓を開ける。

「パピヨン。」

 ドルフィンが何かを受け止めるように右手を出して小声で言うと、闇にほとんど同化した黒い蝶がドルフィンの掌に浮かぶように現れる。

「ラマン教総本山に潜入して建造物の概要を把握して来い。」

 ドルフィンが命じると、パピヨンはふわふわと漂って闇に溶け込むようにドルフィンの視界から姿を消した。
ドルフィンは続けてパピヨンを召喚して、指導部を含む僧侶達の会話を記憶して来ること、秘宝がある場所を探査して可能な限り潜入してその状況を
記憶して来ることをそれぞれに命令して闇に放つ。
パピヨンが何時戻って来るか分からないため、ドルフィンは今夜も徹夜を決め込むつもりである。
ドルフィンにとって睡眠は取れる時に取れれば良い程度のものであり、その深さもさほど重要ではない。
極限まで高められた身体能力は、生活リズムを自由自在に制御出来るレベルにまで到達しているのである。
 ドルフィンは窓を手が差し込める程度まで閉めて、ガラス越しに月を眺める。
三日月が深い藍色のキャンバスに神秘的な輝きを放っている。
それを見詰めるドルフィンの表情は、何時になく寂しげで何処か遠くを見詰めるようなものになっている。
ふと、それまで閉じていたドルフィンの口が微かに動く。
三日月を眺めながら、ドルフィンは何を思うのだろうか・・・?

用語解説 −Explanation of terms−

1)ホリブ海:ナワル大陸北部に広がる海の名称。ホリブとはフリシェ語で「強大な」の意味。

2)クラーケン:RPGでお馴染みの巨大タコ(あるいはイカ)。巨大なものでは全長15m以上にもなる。性格は巨大化するほど獰猛になり、船を襲って沈めてしまう
ことも珍しくない。


3)シーサーペント:現代でも存在の有無が争われている巨大な海蛇。巨大なものでは全長50mを越える。性格は極めて凶暴で、獲物や敵と認識したものに
長い胴体を巻きつけて絞め殺そうと襲って来る。


4)パルナ:現代で言えばタグボートに相当する小型の船。入稿する船舶を停泊先へ先導したり、大型船舶の入出港時に複数で誘導したりする。

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